第31回の『武将ジャパン』大河コラムについてです。
ところで13日に、このコラムの筆者である武者さんが
「『どうする家康』こんな後半戦は絶対イヤだ!36の悪寒をリストアップ 」
などという記事を書いています。なぜ36もあるのかと思ったら、何のことはない、今までのコラムに登場したネタの使い回しと言っていいものでした。
しかも視聴率が9.4パーセントと一桁になったことに触れ、裏にスポーツ中継もないのになどと書いていますが、この13日の放送で、再び二桁に戻していますね。
こういうのを書くくらいなら、ちゃんと14日付けでコラムを書いてほしいものです(今回のこのコラムは15日にアップ)。それともお盆休みだったのでしょうか。
それとのっけから最後の部分で恐縮ですが、
「失敗した。反省点もある」と表明すると、ファンダムから裏切り者扱いされて叩かれかねない。
ゆえに何があろうと「これは傑作です。あなたならわかりますよね!」と強気で突っ張り続けるしかありません。
そんな方には『真田丸』の真田昌幸の切り替えでも引用しましょう。
朝令暮改の何が悪い!
より良い案が浮かんだのに、己の体面のために前の案に固執するとは愚か者のすることじゃ!
とやけに『真田丸』の真田昌幸を引き合いに出していますが、かつて『いだてん』コラムで、武者さんはこんなことを書いていました。
『いだてん』に感情移入できないのが、視聴率が取れないことという民放関係者のコメントのようですが、ここで武者さんは
感情移入できないことが最悪、だそうです。
じゃあ逆に聞きますけどね。
例えば『真田丸』の真田昌幸とかに感情移入できましたか?
「昌幸はやっぱり最高だな!ああいうふうに謀略で敵が悔しがると最高!」
って人、周囲にいたら?
逃げたくなるやろ。
何だかんだ言いつつこの時は昌幸を叩き、『いだてん』に好意を持っていたのだなと思います。
今とは逆ですね。今は大河叩きというか、ここではファンダム叩きで昌幸を持って来ています。そう言えば、次回辺りで昌幸が登場しそうですね。
前置きが長くなりましたが、本題に入ります。
家康の「秀吉を倒す!」宣言も、とにかく虚しい。
かつては信長に対してもそう断言していましたし、この後も結局は秀吉の妹・旭姫をマザーセナ以来空白だった正室にしますしね。
マザーセナを教祖として崇めているようでいながら、性的なことは別。
旭姫がその対象となるかどうか不明ですが、カルトとしての生々しさだけはリアリティのあるドラマです。
小牧・長久手の戦いを知っていたら、こういうことは書かないかと思いますね。
信長は寧ろ向こうから討ちに来いと言われて悩んでいますが、謀反寸前で思いとどまっています。しかし今度の家康に迷いはありません。
それと「マザーセナ」呼ばわりもうやめませんか、と言っても、彼女の考えをカルト視していたい武者さんですから、そういう姿勢が如何に痛いと見られていてもやめないのでしょう。
「フルタイムのラグビーウォッチャー」中尾氏が、90年代の神戸製鋼をコウベ真理教呼ばわりしたように。
こういう人たちは何か相通じるものがあります。
あと旭姫を最終的に正室に迎える(と言うか、秀吉が送り込んでくる)件で
「マザーセナを教祖として崇めているようでいながら、性的なことは別」
まるで家康が自分の意志で正室にしたようですね。武者さんこの間も同じようなこと書いていましたが、ネタ不足なのでしょうか。
秀吉に挨拶をするため、順番待ちをする人々。
僧衣やら貴族やら、なんだかそれっぽい人々が並んでいますが、天下人への挨拶を頼む場面としてはあまりにフランクすぎやしませんか。
『麒麟がくる』の場合、高位の人物に会うとなれば結構な手間暇がかかることがわかりました。
駒や東庵は名のある人物とホイホイ会えたではないか、という反論は別の話。
彼らは特殊技能持ちだからこそのルートがありました。
では斎藤道三の家来である無位無官の光秀が、将軍義輝と差しで会えたのはなぜだとお考えでしょうか?
それとこの時秀吉は、正式にはまだ天下人ではなく(ナレでも天下人への階段を駆け上がっておりましたとあり)、柴田勝家に勝利して、織田家の家臣ナンバーワンの位置を確立したと言うべきでしょう。そしてこの場合も、それなりの手間暇はかかっていると思います。
それと特殊技能持ちと言うのは、医学のことと思われますが、当時は高位の人物を診る医師は僧形が基本でしたが(曲直瀬道三などもそう)、東庵は結局僧形にはなりませんでしたね。
そして
「天下人への挨拶を頼む場面としてはあまりにフランクすぎやしませんか」
あの人たちは列を作って待っているだけですが、どこがどうフランクすぎるのですか?そして彼らもまた、順列があってのことでしょう。
髭ヅラ秀長の説明セリフもしんどい。どうしたってビッグモーターのCMイメージが先行してしまい、興が削がれます。
まぁ、こればかりは不運としか言いようがありませんね。ドラマが現実を超えられなかった。
武者さんが勝手にそう思っているだけで、佐藤隆太さんに失礼ですね。
そしてまた「説明セリフ」(苦笑)。
それにあの時は、家康の家臣である数正を並ばせるわけには行かないと言っているだけです。これがしんどく感じられるのなら、観るのをやめた方がいいですよ。
このドラマは差別への意識が薄いことも欠点。
秀吉と秀長、死を目前とした明智光秀がお国言葉になります。
大河でお国言葉を使うことそのものが悪いのではありません。貶める手段として用いることが問題です。
今時この認識なのかと驚きました。
この描写だと、お国言葉を使う人間を貶めているニュアンスがあると思われかねない。
(中略)
しかし、2020年代にもなってこの感覚とは、愕然としてしまいます。脚本家が同じ映画『レジェンド&バタフライ』も同じようなお国言葉の使い方をしていました。
何やら既視感のある文章がまた出て来ましたね。
しかも
「秀吉と秀長、死を目前とした明智光秀がお国言葉になります」
秀吉は最初から尾張言葉です。秀長もそうでしょう。
そして光秀の場合、「死を目前とした」よりは、信長という重しが取れてあのような言葉遣いになったと言うべきでしょうし、それがなぜ
「差別」だの「貶める」だのになるのでしょうか。
それを言うのなら、『真田丸』の寧(北政所)でも、なか(大政所)でも尾張言葉を使っていましたが、あれも差別なのでしょうか。特になかを演じた女優さんは名古屋の方なので、板についていたなと思います。
そしてまた『レジェンド&バタフライ』叩き。
秀吉の下劣さが止まらない。品位が何もない。
役者の問題ではなく、脚本はじめ作り手が権威や身分秩序を理解できていないせいでしょう。
『鎌倉殿の13人』はこの点高度でした。
また『鎌倉殿』を叩き棒。で、これに出ていた歌舞伎の俳優さんはよかった、坂東彌十郎さんは敢えてちょっと崩していた云々。私も彌十郎さんの時政は好きでしたが、今回の場合、
「権威とか身分秩序を理解できていない」
わけではなく、今回の秀吉はこのキャラで行こうと決めたからではないでしょうか。
ムロさん自身「自分の考えがバレないようにピエロになる、アホになる」と動画で言っていますが。
(『どうする家康』公式サイト)
秀吉が書状を書く場面。
今回も筆の持ち方がおかしい。
そもそも秀吉は出世したのだから祐筆を使えばよいのでは?
さすがに大河スタッフが祐筆を知らないとはあり得ないでしょうが、こうした描写があるから、どうしても出世した感じが出てこない。
秀吉が信雄にグイグイ迫るところも、どうにもくだらない。
一喝するなり、睨みつけるなり、できないのでしょうか。
「祐筆を使えばよい」
あの秀吉、文書に花押を書いているように見えますが、それでも祐筆を使えですか。
そして文章でなく花押のみなら、多少斜めにしていても納得です。
そしてこの信雄がグイグイ迫るのは、尾張、伊勢、伊賀の3国のみお治めくだされと秀長に言われ、器不足だと言わんばかりの姿勢を秀吉が見せたこととも、もちろん関係しているでしょう。
こんなに怖くない秀吉は前代未聞です。
図らずも武者さん、この秀吉のキャラの一部だけを言い当てましたね。
実際は「怖くなさそうでいて、実は怖い」のですが。
本作は、豊臣秀次とその妻妾の死も簡単にすっ飛ばしそうですね。いや、若い美女を殺すことは好きなようだから、じっくり描くかもしれません。
この作品の場合、そこまで秀次事件は関係なさそうです。寧ろ江戸の町をどう作るかの方が重要でしょう。
それと
「若い美女を殺すことは好きなようだから、じっくり描くかもしれません」
武者さんは叩きネタにしたいから、じっくり描いて欲しいのですね。
秀吉の下劣さは、どうしようもない衣装にも一因がありそうです。
この作品は全体的にカラーパレットがおかしい。
『中国の伝統色』(→link)という本には、色の説明に歴史劇の衣装で使われていたということがしばしば言及されていました。
あざやかな使い方で素晴らしいといったことが書かれている。
そういう色の意味合いや使われる意味を考える楽しみ方が今年の大河ドラマにはありません。
ここは中国ではなく日本です。
そして色の意味合いを考える楽しみがないのは、武者さんがこの大河の衣装の色合いを理解しようとしていないからではないでしょうか。公式サイトの柘植氏のコラムも恐らく読んでいないようだし、なぜこの色でなぜこのデザインか、最初から知りたくないのではありませんか?そう言いたくもなります。
あと日本の伝統色はちゃんと踏まえていると思いますね。
一応これを置いておきます。
日本人の美の心!日本の色【伝統色のいろは】
それと柘植氏の衣装デザイン関連で。大久保忠世の衣装を紅と私は書いていましたが、茜(インド茜による染色)が正しいので直しておきたいと思います。
(2023年8月16日一部加筆)