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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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2つの人形劇

あちこちで梅雨明けしていますが、一方で東北地方では雨の被害も出ているようです。暑さも雨もどちらもお気をつけください。日本は面積自体はそう広くなくても、山の存在や四方を海に囲まれているための海流の影響、緯度の関係などでかなり気候に多様性がありますからね。

で今回は人形劇関連です。三谷幸喜氏の『新・三銃士』とパペットホームズ(『シャーロックホームズ』)、どちらも観ましたが、そろそろ第3弾をやってほしいと思ってはいます。舞台でのホームズはあるのですけどね。なかなか人形劇は人形のキャラデザインと作成、操演などもあるため、人手がかかるのは確かですが、アニメにないものがあるのも事実です。

どちらも、あ、これは如何にも三谷さんらしいと思われる場面が登場します。たとえば『新・三銃士』で、バッキンガム公爵がジョギング中にサソリに刺されて死ぬとか、オライリーが公爵を蘇生させるとか、ダルタニアンがリシュリュー枢機卿の護衛士になってしまうなどなど。あとパペットホームズのハドソン夫人のキャラとか、ステイプルトンのモンスターバナナなどもまた然りでしょう。

このステイプルトンのモンスターバナナ、この回は『バスカヴィル家の犬』を原作にしており、ステイプルトンが幼馴染のメアリーを取られまいと、彼女に近づく男子(このシリーズは全寮制の学校が舞台)に嫌がらせをし、最後にメアリーと親しくしているワトソンが邪魔なので、彼が嫌いなバナナの着ぐるみというかかぶり物的なものを作って、怖がらせて引き離そうというものでした。結局失敗しましたが。

あと『真田丸』に、このパペットホームズと、あるいは重なるのではと思われるシーンが登場していました。真田信繁が上杉に人質に行く時、矢沢三十郎が、源次郎様の行くところ三十郎ありですと言っていましたが、これもパペットホームズ中の「ホームズ行くところワトソンありだ」と似ていましたし、聚楽第の落書の件も、推理の仕方がどこか似通っており、「真田丸とホームズ」というタグを作ったことがあります。

あとパペットホームズのホームズとワトソン、『新・三銃士』のアトスとポルトスの声がそれぞれ山寺宏一さん、高木渉さんで、いずれも声優さんではありますが三谷大河に出演しています。それとパペットホームズのべインズ、ちょっとしつこくて敵か味方かわからないキャラは浅利陽介さんで、こちらも『真田丸』の小早川秀秋でしたが、『相棒』の青木年男のイメージでもありました。これに関してはこちらに書いています→https://bakerhouse221b.blog.fc2.com/blog-entry-2148.html


飲み物ーアイスカフェオレ2
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[ 2023/07/22 01:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 85その4

『武将ジャパン』大河コラム、第47回関連記述への疑問の続きです。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第47回「ある朝敵、ある演説」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/12/172451


1.報告を終えた義村たちが廊下へ出ると、宗政はずるいと責めたてます。
それでも義村はまだ諦めていない様子。
彼としては、自分のミスでやっちまったわけじゃないし、上皇様がこんな間抜けだとは思わなかっただろうけど、そこは仕方ない。
当初の目論見と比べたらずいぶん獲れる魚は小さくなったけど、せっかくだから獲っておきたい――そんなところでしょう。
最後まで、ぶれませんね。つくづく根性が悪いというか、ただただ計算高い。しかしそこが素敵です。

ここのセリフですが
宗政「ひどいではないか」
義村「まあ、そう言うな」
宗政「で、どうするつもりだ」
義村「とりあえずは様子を見る」
  「まだ諦めたわけではない、俺に任せろ」
で、その前のシーンを見ると、義村は「すぐに兵を調え…」と言いかけたところで、宗政も院宣を懐から出しています。つまりこの時点で、他の有力御家人にも院宣を出しているのを義村は知るわけです。そして御所へ赴き、広元が院宣に言及した所で、すかさず自分に来た分を差し出すと言う流れです。

一方宗政も成り行き上、自分に来た院宣を出さざるを得なくなるのですが、その後義村に対し、ここで上皇様を裏切るのかと言いたげです。一方義村は、院宣は出したものの北条に与したわけではなく、あの押松を調べて、誰と誰に院宣を贈ろうとしたかを見たうえで決めると言いたいのではないかと思われます。
しかし武者さんの書き方だと、義村が何をしたいのかが今一つ見えてこないのですが…。

ところで宗政の「どうするつもりだ」というセリフに、パペットホームズのワトソンをちょっと連想します。

2.夫である義時の異変に気づいたのでしょう。
京都で何が起こっているのかとのえが焦りながら問い詰めています。
「兄は見殺しにされたのですか!」
しかし義時はそっけなくあしらい、次男の北条朝時と共に奥へ。
二階堂行政も、婿殿はこうなることがわかっておったのかと憤りを感じています。
「ゆるせませぬ!」
ここにもプライドがへし折られた女が一人います。のえは京都が好きです。兄が京都のいることは誇りだったことでしょう。
その京都で兄が討たれてしまうなんて……執権の妻という地位にまで上り詰めていたのに、それを防げなかった!

ここのところですが、恐らく行政とのえは別ルートで光季が討たれたことを知り、義時が何か知っているのだろうと問い詰めていると思われます。それから
「のえは京都が好きです」
とありますが、元々祖父の二階堂行政は京の人ですし。そして
「執権の妻という地位にまで上り詰めていたのに、それを防げなかった!」
と言うよりは、夫が何か工作したのだと思ったのではないでしょうか。

3.ここで義時が足を止め、のえを労り、優しい言葉を掛けていたら運命は変わったかもしれない。
しかし義時は踏み間違った。
上皇との戦いでは正解を選べるのに、妻との対峙では間違いばかりを選んでしまいます。

「のえを労り、優しい言葉を掛けていたら運命は変わったかもしれない」
まずやらないでしょうし、踏み間違ってもいません。ここで優しい言葉をかけると、のえはさらに追及してくるでしょうし、彼に取っては院宣を誰に渡したか、そのうえで自分はどう行動すべきかを考える方が先でした。

4.上皇から御家人たちへ送られた院宣――義時が眼の前に並べ、時房と泰時を呼んでくるよう朝時に伝えます。
院宣は全部で8名分。
驚くべきことに、北条時房宛のものもあり、後鳥羽院は北条を直接揺さぶるつもりだったのでしょうか。
あるいは蹴鞠で通じ合えたと勘違いしたか。
その真意は不可解ですが、もしかしたらこれも時房の愛嬌がなせることかもしれません。
あんなにかわいらしく蹴鞠に付き合った時房なら、自分の味方をするかも……と後鳥羽院も考えてしまった可能性が。

ドラマ本編で泰時が
「北条までも分断するつもりだったんでしょう」と、わかりやすく言ってくれていますね。
またこの大河では蹴鞠で決着をつけたことになっていますが、実際は時房は、三寅を連れて帰るまでに交渉を行っており、使えるやつと上皇は踏んだのでしょう。

5.義時がそう言うと、時房は記念に院宣をもらいたいと言います。
呆れたように首を横に振る義時。トキューサよ、駄目に決まっているでしょ! 悪用されたら困るじゃないですか。

悪用されるより何より、この当時院宣を「記念に」貰うなどという発想が、果たしてあったのでしょうか。

6.死の覚悟を、自分よりも先にあの泰時に伝えた!
政村のことなんて全く触れなかった!
自分たち親子への愛が、気遣いが、一片もない!
私の人生は何だったのか?
せめてここで義時が立ち止まっていれば、政村を呼び寄せていれば、あるいは……。

「死の覚悟」と言うより、自分の後継者をはっきりさせたと受け取るべきかと思います。お前が跡を継いでくれることが何よりの喜びと言ったことで、政村が義時の後継者となる目がなくなったわけですから。そのうえで、自分にもしものことがあったら、時房や朝時に、泰時を支えてやってくれと言っているのでしょう。

「せめてここで義時が立ち止まっていれば、政村を呼び寄せていれば、あるいは……」
いや、どうにもならないと思いますが。政村を呼び寄せて、お前も兄上を助けてやってくれと言うのならまた別ですが。

7.そんな兄の真意を見抜いた実衣は「気持ち悪い、一人でかっこつけている」と言います。
私も同じ意見です。かっこつけているだけではなく、もう燃え尽きているし、いっそ死んで楽になりたいように思える。
最終回目前の大河主人公が自滅願望に取り憑かれているなんて、驚くばかりですよ。

最終回目前の主人公が、自滅願望ではなくても、覚悟を決めるというのはよくある話だと思います。一例を挙げれば、かの『真田丸』も最終回の1つ前の回で、塙団右衛門も戦死し、自分たちの不利を悟った信繁は妻子を伊達政宗に預け、きりにも沼田にでも戻るようにと言っています。
ただ信繁には、この回でこの決めのセリフがありました。
「これでしまいかー、徳川兵に真の武士は一人もおらんのかー」
こちらのほうは、関東に真の勇者はいないのかと言う意味ですから、今回とは逆の構造とも言えるでしょう。

8.「御家人たちの心を打つものにしてくださいね」
政子が大江広元をスピーチライターにして、演説用の原稿を作成しています。
これはあくまで朝廷と坂東武者の戦である。鎌倉が危ないと訴える。そのほうが心に響くと広元が言うと……。
「なんでもいいから。時がないの、急いで」
「かしこまりました」

このシーン、広元が自分で実際に筆を取っているし、その後の演説のシーンでは目を見開いていますから、見えないふりをしていて、本当は見えていたのではないでしょうか。実はこれ、あらすじと感想で書こうとして書きそびれていたのですが。

9.実衣も横から同意します。
(中略)
泰時が言い切ります。

演説のシーンですが、やはり政子にすべて言わせるべきだったなと思います。そしてこの後の部分に
「微かに涙ぐみ、完敗を噛み締めているような義村」
とありますが、宗政の方を向いていることからして、やはりこうなったなと確認している感じですね。

10.義時は潤んだ目で政子を見返します。政子も潤んだ目で微笑んでいます。
ここで義時はやっと深く息をつきました。
天命に呑まれていた男は、やっと息ができるようになったようです。

義時ですが、息をつこうとするその前に、政子に何か言おうとしているように見えますが、結局それが言葉にならず、深く息をつくことになったものと思われます。

あと、MVPと総評関連では次回に回します。例によって武者さんが好きなジェンダー論が登場しますが、毎回毎回、同じようなことばかりですね。

飲み物-ブッシュミルズと暖炉
[ 2022/12/17 01:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』ナレ担当の決定、そして『鎌倉殿の13人』をちょっと振り返ってみます

まず『どうする家康』のナレが、寺島しのぶさんに決定したようです。

「どうする家康」語りは 寺島しのぶさんに決定!
(『どうする家康』公式サイト)

寺島さんと言えば、『龍馬伝』の龍馬の姉・乙女が懐かしいです。それにしても記事中にある「語りの“中の人”」とは何なのでしょうね。

さて『鎌倉殿の13人』はいよいよ承久の乱、後鳥羽上皇隠岐配流と義時の最期を残すのみとなりました。これがどのような描き方になるのかはともかくとして、今まで観て来て思ったのは、やはり良くも悪くも三谷さんの大河だなと言うことでした。(ちょっと批判的になります)

それも今までは敗者の物語であり、特に『真田丸』は、犬伏の別れで父親と次男、長男がそれぞれ別の人物に付き、敗北を経て九度山で再起を目指すことになるわけで、いくらかの飛躍(「幸村」の命名など)があっても納得できるものもありました。しかし今回は勝者の物語であり、敗北から再起することによる感動というのはやはり生まれにくくはありました。

そのせいもあって、義時をかなりダークな人物に仕立て、三浦義村を相棒的存在に持ってくる一方で、周囲の、たとえば政子や泰時などは、どちらかと言えば理想論を持ち出す人物として、いくらか中和させているかなという印象があります。ただこれまでも書いていますが、政子は実朝が死んだ時点で腹をくくり、義時と同盟してもよかったかと思います。

逆に、義経が追われる方が従来の三谷大河らしさを感じさせもしました。それからやはり敗者である木曾義高の逃亡にしても、『吾妻鏡』にある通り、馬で木曾に戻る途中で討ち取られる描写でよかったかと思います。これだと木曾に戻って、兵たちを集めて父の敵を討とうとしている様子が伝わってくるのですが、こちらでは義時不信のため自分から、しかも無防備なまま抜け出したため、そういったひたむきさに欠ける嫌いもありました。

それとやはり平家の出番があまりありませんでしたね。この平家もまた敗ける側であり、描き方によっては三谷大河らしい敗者の抵抗が出せたかと思うのですが。やはり三谷さん、今回は、勝者が己のしたことを悔いるストーリーにしたいのでしょうね。

ところで三谷さん、NHK出版の『鎌倉殿の13人』完結編で、
「シェイクスピアは日本の鎌倉時代を知っていたんじゃないかと思うくらいに、彼の作品とこの時代はぴったり合うことが分かりました」
とあり、確かに幾分似通ったところはあるかと思います。

それに続いて、和田義盛と源実朝は『ヘンリー5世』のフォルスタッフとハル王子、公暁は『ハムレット』、そして三浦義村は『オセロ』のイアゴーにそれぞれなぞらえられています。しかしフォルスタッフやイアゴーはともかく、私としては、公暁はどう見てもハムレットには見えないのですが…。

あとパペットホームズに出演した俳優さん、声優さんもいましたね。これについてはまた改めて。


飲み物-テーブル上のマグのビール
[ 2022/12/11 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第42回「夢のゆくえ」あらすじと感想-1

第42回「夢のゆくえ」前半部分です。

実朝は寝苦しくなり目を覚ます。するとそこに後鳥羽上皇が現れ、共に日本を治めよう、北条に惑わされるな、義時は食わせ者よと言い、実朝の鼻をはじいて去って行く。急に飛び起きる実朝と驚く千世。翌日実朝は泰時を呼び、父上が作られたこの鎌倉を源氏の手に取り戻すと言うが、それは北条から取り戻すということですかと泰時。実朝は上皇を手本にするつもりでいた。

すなわち何事も人任せにせず自分で裁きをする。そしてお前の力を借りたいと実朝は言う。自分も北条の者であると泰時は答えるが、義時に異を唱えることができるのはお前だけだと実朝。泰時は鎌倉殿のためにこの身を捧げると言うが、これにより実朝、三善康信と泰時、そして義時と三浦義村と大江広元が二手に分かれた感があった。

実朝は日照りが続いたことにより、将軍家領の年貢を減らそうとするが広元が異を唱える。義時は年貢が減れば政も滞ると言い、義村も御家人たちから文句も出ると意見する。泰時は御所領をいくつかに区切り、年ごとに年貢を減らす土地を変えて行くと言い、康信も文書を見せるが、義時は泰時に、どういう立場でそこにいるのかと厳しい目を向ける。自分が頼んだと実朝。泰時も父上が義理の弟という理由だけで頼朝様に仕えたように、私も鎌倉殿のいとこということでここにいると答える。

のえは行政共々、義時に執権になることを勧める。執権になってくれないと、のえが何のために北条に嫁いだかわからんよと行政。しかし義時は執権という言葉に、政をほしいままにして追放された父時政をダブらせていた。考え過ぎである、悪い癖だとのえは言い、結局義時は執権を名乗ることにする。義村からは執権殿と呼ばれ、名乗るつもりはなかったがその方が都合がいいと答える義時。遅かったくらいだと義村。

一方で実衣は、鎌倉殿が御家人たちに任せず自分で政をすると政子に話していた。頼家の二の舞を案じる政子だが、自分がついていると実衣。政子は実朝と義時が不仲なのを案じ、自分がそばにいようかと言い出す。しかし実衣は言う。
「私が何かしようとすると、いつも姉上は邪魔してくる」
そんなに信用できないのならあとはおまかせしますと実衣は、政子の制止も聞かず出て行こうとする。政子は実衣に任せると言わざるを得なかった。

広元は訴状を読もうとするが目を患っており、代わりに康信が読み上げる。伊豆の御家人長岡七郎からのもので、米が昨年の半分しか取れないのに近くの将軍家領が年貢を3分の1に引き下げられ、百姓たちが不公平だと怒っているらしい。将軍家領だけ減らすからこうなると、泰時の方をにらみながら義時は口にする。実朝は泰時を伊豆にやって実地検分させおうとするも、義時は既に時房を派遣していた。さすが執権殿は打つ手がはやいと義村。色々試してみて、不具合が見つかれば別の手を考えるのが大事と、実衣は実朝をうちわで扇ぎながら言う。

義時は実朝を責めているのではなく、周りの者にもっとしっかりせよと申しておると一喝する。泰時は考えが甘かったことを詫びるが、実朝は上皇から贈られた聖徳太子像の前に座り、世を治めるために自分が慈悲深い名君となるべき、尊い生まれながらそれに満足することなく功徳を積んだ聖徳太子を、自分の道しるべだと言う。そこへ康信が慌ててやってくる。源仲章が宋人の陳和卿を連れて今日から戻って来たのである。

陳和卿は涙を流し、私たちは初めて会うわけではないと実朝に言う。前世の実朝は宋の医王山の長老で自分はその門弟であったと言い、恭しく実朝に手を合わせて長老様と呼ぶ。実朝はこの光景を以前夢に見ており、自分の夢日記を見せる。さらに実朝は和卿に言いたいことがあるのでは、船にまつわることではないかと尋ねる。和卿は誰も見たことのない大きな船を作り、宋との交易を勧め、仲章もかつての聖徳太子の遣隋使の礼を引き出す。実朝はすぐに船を作らせることにする。

伊豆から戻った時房は、時政が膝を悪くして、歩くのもままならないという話を耳にした。見舞いに行こうと思うと言いつつも、義時が不機嫌そうなのを観てやめておくと時房。そんな時房に義時は、泰時に行かせるように言う。その頃鎌倉を丹後局が訪れていた。彼女は修行と称して諸国を巡っていると言う。自分もあなたも大きな力を持つ人物につかえた似た者同士、困ったことがあればあったら遠慮なく言うようにと政子に話す局。

政子はたまに心の芯が折れそうになる時がある、4人の子のうち3人を亡くし、背負う物が多すぎる、家族のだれ一人失わずつつましやかな方がよかったと打ち明ける。しかし丹後局は頼朝と一緒になったのはいつかと尋ね、40年と答えた政子に、それでまたそんな甘えたことを言っているのか、いい加減覚悟を決めるのです。あの源頼朝と結ばれたということはそういうことと厳しく言い放つ。人並みの人生など望んではならないとも言い、さらにこう言い添える。
「何のために生まれてきたのか、何のためにつらい思いをするのか、いずれわかる時が来ます」

泰時は実朝が、聖徳太子に倣って宋へ使者を送ろうとしていると義時に伝える。余計なことをと義時。大きな船は世に鎌倉殿の力を知らしめることになる、北条に取っては確かに余計だなと義村はずけずけと言う。義時は御家人たちの負担が大きすぎるのを案じていた。

そして時房に言われ、泰時は陳和卿が実朝の夢を当てて信頼を得たが、夢日記はあの部屋に出入りする者なら誰でも見られるし、和卿自身は京から来たばかりではあるが、仲章ならそれを見ることができたと打ち明ける。西のお方が糸を引いているということかと義時はため息をつく。そしてこの船は坂東のためにはならぬ、完成させるわけには行かぬとも言い、泰時によう知らせてくれたと言うが、泰時は複雑な思いだった。

その泰時は普請の名手で聞こえた八田知家に、陳和卿の手伝いをしてくれと頼む。描かれた設計図は見事なものだった。その知らせを受け取った上皇に藤原兼子は、思いの他早かったですねと言い、これで実朝の威光は高まると上皇、そして北条の影は薄くなると慈円。

なぜ北条を目の敵にされるのかとの兼子の問いに、たかだか伊豆の豪族に過ぎぬのに将軍に指図するなど身の程を知れと上皇。北条など上皇様から見ればごみ虫と兼子は言うが、なぜか放っておけぬ、なぜだ慈円僧正と訊かれ、慈円はこう答える。
「人が最も恐れるものは己に最も似た者」
と答え、上皇は持っていた太刀を慈円の鼻先に突き付けるが
「親譲りの大事な鼻にございます」と言われてほくそ笑む。


実朝の夢枕に立つ後鳥羽上皇、何やら頼朝の夢枕に立つ後白河法皇を思わせます。尤もあの時とは、鎌倉と朝廷の関係は変わりつつあるわけですが。ところで上皇が実朝の鼻をぴんと弾くシーン、アドラー先生とホームズを思い出した人は、かなりのパペットホームズファンと言えます。アドラー先生の声はりく、そしてホームズの声は慈円が担当していましたね。

そして実朝は上皇に倣い、自分で政を行うと言い始めますが、どうもこれは失敗フラグと言った感もあります。どう見ても実朝は実務家ではないし、清濁併せ呑むイメージでもありません。それに実朝に出て来られたら義時が困るわけで、だからこそ不本意ながらも執権を名乗ることになります。

ところで泰時が、父が義理の弟というだけで頼朝に仕えたから、鎌倉殿のいとこである彼も、実朝のそばにいると言い出しますが、鎌倉幕府創設のために頼朝と戦った義時にすれば、実朝と泰時の関係は重みに欠けるような気がしたことでしょう。第一泰時を側近としたいのは義時自身でしょうから。そして聖徳太子を手本とする、陳和卿に言われて船を作るというのも、義時にしてみれば浮世離れした人物に見えたかも知れません。しかし自分の領地の年貢を減らすと言う一方で、御家人に負担を強いる造船というのもどうかと思いますが…。

その陳和卿が夢を当てたことは、源仲章の企てだったようです。そう言えば北条政範暗殺にもこの人が関わっていましたね。朝廷が実朝を通じてこの鎌倉に入ってくることを、義時は懸念します。そしてこの仲章の介入を伝えた泰時は、義時が船を作らせるわけに行かないと言ったことから、状況がまずくなったことを感じ取ります。

そして朝廷関係と言えば丹後局。彼女に比べると、政子は如何にも坂東の女といったイメージです。頼朝と夫婦になった以上覚悟するべきことはあったにも関わらず、温かい家庭を望んだ彼女に局はぴしゃりと、まだそんな甘えたことを言っているのかと言い、何のために生まれ、つらい思いをするのかいずれわかると諭すのですが、この「いずれ」は、さていつを意味しているのでしょうか。

ところで7日から13日まで、三谷さんの『ショウ・マスト・ゴー・オン』の福岡公演が行われていますが、出演予定だった小林隆さん(鎌倉殿の三善康信)がケガで出られなくなり、三谷さんが代役として出演するとの由。


飲み物-テーブルの上のスタウト
[ 2022/11/07 01:15 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第40回「罠と罠」あらすじと感想-2

第40回後半部分です。ところで25日にこの大河がクランクアップを迎えています。


泰時は、自分は誰とも敵対関係にならず、皆で安寧の世を築いてみせると言う。口で言うのはたやすいと義時。そして尚も父上は間違っていると言う息子に、義時は謹慎を申し付ける。そこへ義村が弟胤義人とやって来てこう言う。
「もう一押しだ。ひげおやじは間違いなく挙兵するぞ」

胤義は義村に義時の味方と言いつつ、和田につこうとしていると指摘し、大人になったなと義村に言われる。その義村はそうやって俺は生きて来た、上総、梶原、比企、畠山幾人が死んだ、三浦はまだ生き残っている、そういうことだと去って行く義村。一方泰時は政子に、義盛がこのまま行けば必ず兵を挙げる、父がそれを機に和田を滅ぼすつもりだから父を戒めてほしい、それができるのは尼御台だけと直訴する。しかし泰時の背後には義時が立っており、一喝する。
「謹慎しろと命じたはずだ」

政子は和田殿は武芸には優れていても利にさとくなく、北条の敵になるような野心はないと言うが、周りが担ぎ上げると義時。そしてこうも言う。
「申し上げたではないですか、兄上の望まれた世が目の前まで来ている、坂東武者のてっぺんに北条が立つ日が」
政子はもう十分だと言うが、姉上は関わらないでいただきたいと義時。政子は、政に関われと言ったのはあなただ、私を支える立場ではなかったのか、一人で勝手なことをしないと叱責とも取れる言葉をぶつける。

義時は言う。
「姉上に叱られたのはいつ以来でしょう」
政子も自らの非を認め、義時は承知した、尼御台の仰せだから和田殿をこれ以上けしかけないと答える。もう誰も死なせたくないと言う政子に、それは私も同じですと義時も答える。しかし義時は広元に、尼御台にはいずれわかってもらうと言い、また、和田を焚き付けるいい方法を思いついたようだった。

一方政子は義村に、義時は和田殿を滅ぼすつもりでいると話す。尼御台のお考えはと訊かれ、悔しいがいまやあの人を止めることは誰にもできないと言い、義村も同意する。戦になった場合は三浦は北条につくことになり、和田は孤立することになるため、戦を諦めるだろうと政子は考え、その見返りに義時の許可なく義村を宿老にする。そして泰時は謹慎になったことを初に伝えるが、そこへ義時に追い出された朝時が現れる。鎌倉がきな臭いこともあり、初が呼び戻したのだった。父上も子供に手を焼くお方だと泰時は言い、酒をあおる。

実朝と千世はアジサイを楽しむ。本当は2人きりになりたいが、立場上そうもいかなかった。そして実朝は片隅の天幕を指さし、顔なじみが来ていると言う。例の歩き巫女だった。しかし彼女が実朝の袖に振れたため、時元が戒めようとして鎌倉殿と口にしてしまう。実朝は御台所だと千世を紹介し、千世におばばは人の目に見えない物が見えると言う。おばばは仲はよく相手を敬っているが寂しい、幸せが3で寂しさが7だが、寂しさが10よりはいい、肘が顎につくかねと言い、千世は袖を顔に充てようとするが実朝が止める。

おばばは大戦が始まって鎌倉が火の海になり、たくさんの血が流れ、みんな死に、由比ヶ浜に髭面の首が並ぶと予言する。そこへ盛綱が来て、急ぎ御所へ戻るようにと言う。義時は胤長の屋敷を没収し、本来の慣例である同族への引き渡しも行われなかった。そんなことをすれば義盛が怒るに決まっていると実朝は言うが、義時は寧ろそれが狙いであった。戦には大義名分が必要だったからである。向こうが挙兵すればすなわち謀反となり、鎮圧軍を出すことができるのである。

実朝は止めようとするが、義時は以後出歩かぬように言って去り、和田が兵を集めているから、兵の支度をと時房に命じる義時。実朝は政子に義盛を死なせたくないと訴える。政子は三浦がこちらに付くから戦にならないと言うものの、実朝は、義盛は一人になっても戦う男であると言い、本人に挑発に乗らぬよう伝えようとする。しかしここに呼べば捕らえられてしまうため、政子は秘策を使う。

その秘策とは女装だった。やがて被衣をかぶった大柄な「女」が御所にやって来て、実朝に、ここまでコケにされては武士の名折れで、後には引けないと言う。お前を死なせたくないと言う実朝に、自分は死なないと義盛、歩き巫女がそう言ったのだと実朝は言うが、義盛によれば、おばばは近頃死ぬとしか言わなくなっていた。実朝は義盛の手を取り、いつまでもそばにいてくれと言う。

小四郎も鎌倉を思ってのこと、二度と行き過ぎた真似をせぬよう自分が目を光らせると実朝は言い、義盛は久々に実朝をウリンと呼ぶ、実朝はまたうまい鹿汁を食べさせてくれと言う。実朝は和田義盛は鎌倉一の忠臣であることはわかっていると言い、やがて義時も呼ばれる。実朝は2人の前で、北条と和田が手を取り合ってこその鎌倉と言い、自分に免じて此度は矛を収めて貰えないかと言う。義時は、和田殿は歴戦の強者、戦わずにすめばこれ以上のことはないと言い、実朝は義盛にこれからも御家人たちの要として力を貸すように求める。

久々に会えたから双六でもどうだと言われ、乗り気になる義盛。立ち上がろうとする義時に、政子は残るように言う。これで和田殿が挙兵することはなくなったが、わかっている、貴方は和田を滅ぼしてしまいたいと言い、鎌倉のためと答える義時に、聞き飽きたと政子。戦をせずに鎌倉を栄えさせてみよと政子は言うが、姉上は甘過ぎると義時。しかし政子は、こんなやり方でなくてもまとめて行けるはずと譲らず、その後廊下に出た義時に義盛が話しかける。
「考えてみれば、皆死んじまったな、昔からいるのは俺と平六くらいだ」

時の流れを感じると答える義時。今の鎌倉殿は賢いし、度胸もあるし、何よりここが温かいと胸の辺りを指す義盛。ようやく俺たちは望みの鎌倉殿を手に入れたのかも知れない、政はお前に任せる、力がいる時は俺に言え、これからも支え合って行こうぜと義盛は言うが、義時はどこか他人行儀だった。義盛はウリンが待ってる、行って来るとその場を後にし、義時は浮かない表情をする。

和田館では、義盛が北条に嵌められたと思った息子たちが、戦支度を始めており、ものものしい雰囲気だった。そこには義村と胤義、そして知家と宗政の姿もあった。義村はこの乱は失敗すると至って冷静に言う。なぜかと理由を訊かれて義村はこう答える。
「俺が向こうにつくからだ、挙兵したら寝返ることになっている」
「この先も鎌倉で生きていたいなら和田には手を貸すな」
そんなことは知る由もない義盛の息子たちは、義村や知家に声をかけ、これより手筈通り大江の館を襲っておとりとすると指示を出す。

義村も、共に北条を倒そうぞと声を上げるが、その前に巴は起請文を書かせようとする。義村は、信じて貰えないのなら手を引くと言うが、和田勢が太刀を一斉に抜いたのを見て口を開く、
「いいだろう、書こう」
その後義村はしたためた起請文を灰にし、巴が酒を注いだものを飲む。知家も同様だった。寝返る手はなくなったと言い、義村は「小四郎、すまん」と言って他の者と出て行く。

時房は義時に、戦にならずによかったというが、和田を滅ぼす口実を失ったのは事実だった。時房は和田殿が好きなくせに、あのお方を嫌いな人なんていませんよと言い、御所の守りを解かせると言って出て行く。その後義時はトウを呼び、和田の館にいる義村に引き揚げるように伝えよと命じる。建暦3(1213)年5月2日、和田合戦勃発。しかし義時は双六に興じる。


いよいよ和田合戦の勃発です。元々胤長が処刑されたのが一因とされていますが、ここでは出てこなかったようです。無論義時は胤長の屋敷を没収するという強硬な手段に出て、義盛を焚き付けようとしたのですが、その目論見はうまく行きませんでした。しかし義時は、和田を生かしておくと泰時の時代が危うくなる、つまり鎌倉殿の時代は終わり、得宗の時代となることは必然と思っていました。政子に
「坂東武者のてっぺんに北条が立つ日が目前」
と言ったのも、それを考えれば当然と言えるほどです。

その政子、「弟と違って私はすぐに人を信じない」と言っていますが、これは寧ろ逆かと思われます。結局彼女は、戦を避けるため北条につくのを前提に、義村を宿老にしてしまうことになります。無論その前に、彼女は再三どちらにつくのかを尋ねているわけで、2度目に聞かれた時の義村のセリフが
「そう言われて向こうと答えるバカはいない」
と、如何にもこの人らしくはあります。

それでも和田潰しを目論む義時ですが、実朝と政子が間に入ったことで、ことがうまく運ばず、かと言って元の状態に戻れるわけでもなく、何ともぎくしゃくした雰囲気ではあります。実朝が義盛を忠臣と呼び、彼に全幅の信頼を寄せるシーンは、単なる主従を超えたものが感じられます。多少話が逸れますが、男性同士の恋愛に於いては、所謂ガタイのいい人物が好まれると言われています。『きのう何食べた?』もそうでしたがそれを言えば、義盛などはかなりもてるタイプのようにも見えます。尚『きのう何食べた?』の方は「三浦義村」、つまり山本耕史さん演じる小日向大策が、主人公の1人史朗の理想のタイプでしたが。

一方で歩き巫女がまた登場します。しかし彼女は和田館から永福寺に居場所を移しており、実朝はそれを知っていて出かけえたようです。この時おばばはまた何やら意味ありげなことを言います。パペットホームズにも似たような表現が出て来たようにも感じられますが、それはさておくとして。一方で鎌倉が火の海になると言うのは、もう少し含みを持たせた言い方でもよかったかと思います。

そして義村。起請文を灰にして酒や水に溶かして飲むのは、所謂「一味神水」ですね。『風林火山』の甲相駿三国同盟にもこれが出て来ました。約束を破ると神罰を受けることになると言われていますが、さて義村はどのような行動に出るでしょうか。それはそうと、トウは義村のものになったはずなのに、まだ義時の命令に従って動いているようです。


飲み物-ホットラム
[ 2022/10/26 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第37回「オンベレブンビンバ」あらすじと感想-1

第37回の前半部分です。


各地の所領を巡る訴訟が相次ぐが、その中には三善康信の所領もあった。しかし時政は評定裁定から締め出されており、恩賞の沙汰より後は、執権宛ての訴状は政子宛てとなっていた。既に実朝もこれを認めており、時政は面白くない。その時政は二階堂行政から、義時とのえの間に子供ができたと聞かされ、結び付けたことを自分の手柄にするが、行政は意外な表情をする。その行政に時政は、高野山に訴えは退けるという下知状を自分の名で書くように迫る。訴訟から政子を退けるつもりだった。

一方りくも、義時が時政を厄介払いしたがっているのを知り、父親を何だと思っているのかと腹を立てる。りくは政子や義時への復讐を考えていた。りくは政子の前に現れ、こう告げる。
「何もかも思い通りになると思ったら大間違い。この鎌倉を動かすのは、私の夫です」
政子は答える。
「もう父上を振り回すのはおやめなさい」

行政は時政名義の書状を義時に見せ、京に送るべきかと伺いを立てていた。義時は今後後訴訟は尼御台が行う、ご自分の引き際を考えるようにと引退をほのめかす。父親に向かってようそんなことが言えるなと時政。しかし義時は、父親だから申しており、そうでなければもっと手荒なことをしていたとにべもなく、この先は父上の出方次第では、今まで粛清された御家人たちと同じ道を歩むことになりかねないと釘をさす。時政は言う。
「だんだん頼朝様に似て来たな」

お褒めの言葉として受け取っておくと義時。親子で争うのはうよくないと時房が諫めるも、すべては父上次第と義時は斬り捨てる。そして実衣の子である時元が実朝に仕えることになり、千世からも挨拶を受ける。そして泰時は義時のたっての願いで、義時自身に仕えることになっていた。不服か、もっと晴れやかな顔をしろと言う義時に、生まれつきである、ならばご自分をお責めくださいと泰時は答え、義時は苦笑しつつ。自分のすることを見て学ぶように言う。

時政は縁側に腰を下ろし、現れた時房に「やることがねえってのは楽でいいなあ」と洩らす。時房は一緒に食べようと餅を2つ持っていた。固いのが駄目な時政のために、時房はどちらが柔らかいか感触を確かめていた。そんな時房に時政は、政所へ行って褥を取って来てくれ、どうせもう使わねえんだからと言い、尚も餅を確かめる時房に時政は尋ねる。
「お前はどちらなんだ。わしか小四郎か」
時房はおかしなことを申される、北条は一つだと言うが、時政にはその時房の笑顔が癪にさわった。時房は、兄上は父上を守ろうとしていると言い、やっと餅を渡すが、時政はそんなに触った餅は要らねえと慌てふためいたように言う。

政子は書状を認めていたが、政子は慣れない仕事に疲れていた。大江広元は文官に任せるよう提案するが、政子は自分で書くと主張し、泰時に肩を揉ませる。女性であるため、ひらがな文であることを義時は懸念するが、これぞ尼御台の文書である証と広元は言う。しかし最終的に政子は文官に一任することにし、広元は仮名を使用することを決める。政子は肩を揉ませながら時政について義時に尋ね、時政が何か企んでいることを知る。そして政子は泰時の揉み方が悪いと、、自ら泰時に手本を示す。

義時は広元に時政について尋ねるが、広元は御家人の気持ちを引き戻すのは難しい、それはあのお方もわかっているはずなので任されたいと答える。一方でりくは、実朝を鎌倉殿の地位から下ろし、やはり源氏の血を引く平賀をその地位につけるつもりであると時政に伝える。政子から力を奪うのが目的だった。

そして朝雅ときくの子がその地位を継げば、自分達は鎌倉殿の祖父母になると述べた上で、成り行きによっては、政子と小四郎を討つことになるやもしれぬ、その覚悟はおありかと時政に伝え、こう続ける。
「向こうも同じことを考えているのかも知れないのですよ」
りくは、志半ばで去った政範のためにも、成し遂げてほしいと時政に懇願し、いいお顔になられましたね、覚悟を決めた男の顔てこんなにも艶っぽいのですねと、その胸に顔をうずめる。

りくはまず三浦を味方につけ、三浦がつけば和田もつく、三浦を先に引き込んだ方が勝ちだと、自分の計画を打ち明ける。やがて三浦義村が時政の館に呼ばれ、時政は実朝がおとなしすぎて、周りの者が調子に乗るばかりじゃと言うが、義村は威勢がよすぎて、潰れて行ったお方もいると答える。

しかし時政はそれを遮るように、善哉は今いくつだと答える。6つになられましたと義村。そしてりくは、時政が善哉を鎌倉殿にしたがっていると言い、義村は頼家様が聞けば涙を流して喜ぶと口にしつつも、まだ善哉は鎌倉殿になるには幼かったが、善哉の元服までは平賀朝雅が鎌倉殿を務める計画を知らさえる。2人の野心を知ったた義村は、悪くない話ですと答え、りくは手を貸してくれますねと念を押す。

御所にはちえが呼ばれていた。ちえは重忠が発つ前に畠山の本領を譲り受けており、政子はその本領はちえの物だと言うが、ちえは謀反人の遺言には従えないと断る。従ってくれと義時は言うが、ちえは、北条は身内に甘いと言われると受け取ろうとしない。重忠は謀反人ではないと政子は言うが、ちえは謀反を起こしたから討伐されたのではないかと逆に聞き返し、武蔵へと帰って行った。後にちえはこの地で再婚し、畠山の名を遺した。

後鳥羽上皇は側近たちの前で何やら絵を描いていた。平賀朝雅の助言を聞きながら描いたのは、時政の似顔絵だった。似絵(にせえ)は上皇の得意中の得意であると慈円。一方藤原兼子は自分の似顔絵が気に入らなかったようで、破り捨てていた。上皇は畠山の件を尋ね、中原親能が一族すべて滅亡したと答える。力のある御家人が少なくなり、朝雅はしばらくは北条の天下と答えるが、既に上皇は、北条は時政と政子がやり合っていることを知っていた。生き馬の目を抜くとはまさにこのことよと上皇。そして描き上げた慈円の似顔絵は慈円本人が取り上げ、丸めてしまう。


時政が評議から外され、政子が尼御台として訴訟に加わることで、時政と義時の対立が表面化します。義時は時政が訴訟に関して、勝手に振舞うのを止めるように言い、時房は兄上は父上を守りたいのですと言うものの、時政は腹の虫が治まらないようです。そして、義時と政子への敵対を促すりくの意見に乗り気になります。りくにしてみれば、血縁関係にない政子や義時は、自分の野心のために滅ぼしたい相手でもありました。そして義村を呼んで、彼が乳母夫である善哉を、将来的に鎌倉殿にするという条件で味方に引き入れようとするのですが、あの義村が簡単に転ぶでしょうか。

その義村、威勢がよすぎて潰れたというのは頼家のことでしょう。いっそ頼家のように暴走してくれた方が、ある意味楽な場合もあるにはあります。実朝の場合は本人に非はなくても、周囲の思惑があれこれ絡みそうです。しかし先日も書いたのですが、柿澤勇人さん演じる実朝は既に大人であり、もっと若く頼りない実朝なら、高校生か、せめて20歳そこそこの俳優さんでもよかったでしょう。同じことが
まだ若いと言うか幼くて、魚を両手で持って食べる義時
富士の巻狩りでの元服直前の金剛(頼時→泰時)
にも言えるかと思います。

さて実衣の息子の時元ですが、元々は全成が捕らえられた際に連座させられそうになり、身内である北条一族から助命されて、父の領地に隠棲したとされています。その後、実朝が暗殺された際に、源氏の血を引く彼は将軍の座を狙おうとして、義時方の武士に討ち取られるわけですが、どうも将軍の座狙いと言うよりは、北条方が彼を討とうとして、挙兵したという説もあります。

そしてちえ。この人物は後に足利義純と再婚しています。姓からわかるように、かの足利氏の血を引く人物です。これによって所領を継承しますが、これには諸説あるようです。ともあれ、元々は平氏であった畠山氏は、この婚姻によって源氏となりますが、この人の6代後の子孫がかの足利高(尊)氏です。

互いが互いに何やら企てていますが、行きつく先はどうなりますやら。ところで後鳥羽上皇の似顔絵、パペットホームズのベッポを思い出します。このベッポの声を担当していたのが、梶原善さんでした。授業中先生の似顔絵を描いていて取り上げられてしまい、取り返してほしいとホームズに依頼して来るのですが、先生がある理由から絵を引き裂いてしまったため、結局取り返すことはできませんでした。そして、りくの
「何もかも思い通りになると思ったら大間違い」
は、今週で終わる朝ドラのヒロインに言ってほしいです。

飲み物-チューリップグラスのビール
[ 2022/09/27 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第29回「ままならぬ玉」あらすじと感想-2

第29回「ままならぬ玉」後半部分です。


義村は頼家が善哉を嫡男として認めてくれるのだろうなと尋ねるが、比企が納得していないと義時は答える。頼朝が望んでいたことじゃねえかと義村は言うが、そのことが文書に記載されていないためだった。義村も、比企が大きな顔をすることを快く思ってはいなかった。

頼時は初からつまらないと言われ、父上を見習って真面目に生きようとやって来たのにとしょげていた。義時はそんな息子に女子の心がわかっていない、初は寂しいからわざとそう言ったのだと教える。そして、山ほど土産を抱えて帰ってくれば、機嫌を直してくれると言い、女子は大体きのこが大好きだと教える。頼時はいいことを聞きましたと言って出かけて行く。

その頃せつは、善哉が生まれたこともあり、頼家がつつじの所に入り浸っていると比奈に愚痴っていた。おさみしゅうございますねと言う比奈にせつは、随分他人行儀だ、もう比企の者ではないからかと面白くなさそうだった。そしてせつは、皆家のことばかり考えるが、自分は誰が鎌倉殿になろうがどうでもいい、鎌倉殿に自分の方を向いていてほしいと言う。比奈はいい考えがあると言い、せつを政子に会わせる。

政子はせつに、夫の頼朝は幼いころから苦労をし、人を信じることをしなかった、頼家もきっとそうであろうと言う。ならばどうすべきかと比奈が問いかけ、政子は、いっそ思っていることをぶつけてみてはと促す。誰も信じていないお人にですかとせつは尋ねるが、政子は、信じていないけど信じたいのです、私にはそう見えますと答える。そしてあなたにしかできないことと、自信なさげなせつの背中を押す。

頼時は伊豆で百姓たちに会っていたが、彼らは借りた米を返そうにも返せず、鶴丸は、約束をなかったことにしてしまえばいいと言い、頼時はその場で即座に証文を破り捨ててしまう。これは逃散を防ぐためであり、返済分として米を鎌倉から届けさせると同時に、彼等にも1人当たり米を1斗与えることにした。その後戻った頼時に、鞠の手入れをしていた頼家は、伊豆では大変な評判と聞いていると言い、頼時と義時は礼を述べる。

頼家は証文を破るとは思い切ったことをしたものだと言い、これで全国の百姓たちが証文破りをするのではないかとまで言うが、幸い今までのところそうはなっていなかった。頼家はこれを機に褒美を取らせようと言い、間もなく自分は征夷大将軍に就任する、同じ「頼」の字を持っていてはお前も心苦しかろう、天下泰平の「泰」の字を取って泰時とせよと命じる。鎌倉殿に名をつけていただけるとは誉れであると、義時はそつなく答える。

頼時改め泰時も父に言われて頭を下げ、これからも鎌倉殿のおそばで力を尽くしたいと言うものの、頼家はお前はうるさい、父の許で励めとにべもなかった。泰時は、頼の字は頼朝様の頼の字でもあると不満そうだったが、義時はもう忘れろと言う。その側には、泰時が初への土産に持ち帰ったものの、突き返されたきのこが積まれており、泰時は不満やるかたない表情だった。

頼家は日が落ちた屋外で、またも蹴鞠の稽古に興じていた。全成は人形を作り、呪文を唱えていた。その様子を実衣が目にし、義時に人形(ひとがた)のような物をこしらえていたが、小娘じゃないんだからそんなのを貰っても喜ばないと言い、そして、本気で鎌倉殿になってほしいなんて思っていない、ただ源氏だから気概を持ったらどうなのかと言いたかっただけと話す。義時は、その気にならなかったから今があるのではないかと言い、実衣もそれは同意だった。

義時は全成のことを、時政とりくに話す。呪詛をかけているのではと義時は言い、時政はうっかり、鎌倉殿はわしの孫だぞと口にしてしまう。義時は余計なことはやめていただきたいと言うも、りくはしらを切り、また比企と争う時は終わったと食い下がるが、比企にそれを言えと時政は苛立っていた。その頃西国から流れて来た念仏僧たちが、民を惑わしているとして捕らえられる。

斬り捨てよと言う頼家に、民が念仏僧をありがたがるのは、暮らしが厳しいからだと時連が諫める。頼家はお前も北条の手先かと不機嫌になる。鎌倉殿を案じて申し上げていると時連は答えるが、皆同じことを言う、腹にあるは己の家のことだけではないかと声を荒げる。僧を斬れば災いが起こると言う時連に、天罰など畏れぬと頼家は言うが、時連はお子達に何があってもいいのか、お考え直しをと諫め、結局彼らは衣を剥がれて鎌倉から追放されたにとどまった。

頼家は善哉の許へ行こうとしたが、その時せつが向こうから来て、自分と一幡の所へも足を運んでくれと言う。しかし頼家は、せつの後ろの比企が煩わしい、どけとまたも声を荒げる。せつは嫡男は善哉様で結構と言い、ただ自分と一幡の側にもいてほしい、比企は関わりないと譲らず、それを退けていては鎌倉殿は本当に1人になる、お支えしたいと言う。

建仁2(1202)年7月、頼家は征夷大将軍となる。束帯を着けた彼の後ろには能員が控えていた。一方りくも時政も、一向に呪詛の効果が表れないことに腹を立てていた。全成は、頼家の髪の毛を手に入れることにする。それがあれば何とかなりそうなのだが、だったら初めからそうしなさいとりく。しかし頼家に近づこうとするものの、そこに義時が現れる。頼家は鞠を蹴ることに救いを見出していた。

そして自ら義時に指導を行い、また父は蹴鞠は得意だったかと尋ねる。お上手でしたと答える義時に、父は何も教えてくれなかったと言い、また頼家は義時が笑うのを見て、父が心から笑っているのを見たことがないが、その気持ちは今になったらわかるとも言う。義時は、頼朝様は人を信じることをなさらなかった、父上を超えたいのなら、人を信じるところから始めてはどうかと忠告する。

そこへ平知康が現れるものの、頼家はしばらく下がらせ、そして一幡を跡継ぎにすると義時に言った。比企のためではなく、せつは強い女であり、かつての両親のように、2人で鎌倉をまとめて行ける、また自分はは弱いから、自分を信じてくれる者を頼りたいとも言った。そして頼家はもう蹴鞠に逃げることは止めたと言い、知康もお役御免となる。しかし頼家が投げた鞠を受けようとして、知康は古井戸に落ちてしまう。

そして助けようとした頼家も落ち、隠れていた全成がやって来る。そこにあった縄のお蔭でかろうじて2人とも引き上げられるが、頼家は全成に亡き父の面影を見ているようだった。そんな頼家を全成は、こうして見ると可愛い甥っ子だと笑い、義時は、役目の重さと日々闘っておられると言う。結局全成は御父上に頼まれたと、呪詛のことを実衣に打ち明ける。しかし全成は、お前の喜ぶ顔が見たかった、千幡が鎌倉殿になれば立場も上がり、いい思いをさせてやれるとも話した。

あなたは見かけ倒しだからと言う実衣の言葉に、全成は図星を突かれたような顔をする。そして呪詛のため御所の床下に置いていた人形は、全部集めて来たと全成は言うものの、実は1つだけ置き去りにされていた。


まず、以前の投稿で頼家を将軍と書いている箇所がありますが、家督を継いで鎌倉殿となってはいたものの、将軍宣下はまだ先でした。今後訂正することになるかと思います。

後継者選びがエスカレートしそうになります。実際
一幡-比企
善哉-三浦
千幡-全成、実衣
とそれぞれの乳母夫が存在し、しかもそれぞれが義時に絡む展開になるわけですが、頼家は最終的には、一幡を嫡男とすることに決めたようです。しかしせつが比企と全く無縁と言うわけでもなく、頼家が将軍宣下を受けた時の能員の存在、あるいは三浦の存在などを考えても、今後比企との対立は激化して行くことになるでしょう。あと井戸に落ちて助けるのは、パペットホームズで、穴に落ちた友達を助けるのを思わせますね。

それから頼時の伊豆行き。百姓に逃散させない目的もあったのでしょう。米を借りたことに対する証文をその場で破り捨て、帳消しにしてしまいます。その代わり、鎌倉から米を持ってくることで決着したようです。この場合は台風という自然災害のためですが、飢饉もあり、百姓の生活は安定しませんでした。あと、きのこはかつて、八重にきのこを持って行った義時自身の行動を踏まえていると思われます。

さてその百姓、時連が、厳しい生活であるが故の念仏僧の受け入れについて、頼家に説明しています。この念仏こそが、鎌倉仏教のひとつの流れであるわけです。一方で全成は、密教に由来する呪詛を行っています。しかしなかなかうまく行きません。それと時政、自分達が疑われているのに、鎌倉殿などとわざわざ言うでしょうかね。それと全成が作っていたのは「にんぎょう」ではなく「ひとがた」ですね。ちなみにホームズの『踊る人形』も、本来は「ひとがた」です。

それにしても政子がせつの、そして義時が頼家の背中を押すところは、何か2人で筋書きを作ったかのようにも見えてしまいます。無論一幡ではなく、千幡が頼家の跡を継ぐことにはなるわけで、嵐の前の静けさといった印象もあります。あと以前、比奈が比企の紙に言及するシーンがありましたが、あれは「小川和紙」のことでしょうか。

それと、この『鎌倉殿の13人』の女性たちなのですが、政子、りく、丹後局、八重、そして道などはいいかと思います。しかしそれ以外の女性が、これは演じている女優さんには悪いのですが、何か似たような印象を与えているように見えます。『真田丸』に出て来る女性は、それぞれキャラが立っていたように思うのですが、やはり舞台となる時代の違いもあるでしょうか。


飲み物-グラスビール
[ 2022/08/02 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 64その1

『武将ジャパン』大河コラムへの疑問点です。第27回前半部分です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第27回「鎌倉殿と十三人」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/07/18/169673

1.もしかして落馬か?と呟けば、武家の棟梁でそれはない、と通親が否定します。

2.【アブダクション(仮説形成)】で思考をまとめている後鳥羽院はかなりできる人物でしょう。尾上松也さんも生き生きと演じている。声音にも、表情にも、皮肉げに面白がる響きがあって素晴らしい。

3.(頭蓋骨は)それこそ三種の神器と比較すれば、くだらないとしか言いようがないものですが、証ってそういうものかもしれない。中世当時に信じられてきた神秘的なものは、実際のところいかほどの由緒があるのか?これは何も私一人の考え方でもなく、人間が進化の過程で「なんでこんなものをありがたがるのかなぁ?」と疑念に思った聖なるものはたくさんあるのです。
商業が発達すれば、いくらで売れるものなのか?ということが価値になってゆきます。

4.父・頼朝と同じ白と紫装束の身につけた頼家(ママ)。

5.頼家は、若き君主として失敗するパターン通りの第一歩を踏み出したように見えます。

1、後鳥羽上皇の仮説に通親が答えているわけですが、ここでは「武家の棟梁で」ではなく、「頼朝ほどの男が」と言っていますね。

2、ここでまたアプダクション。武者さんはよほどこの言葉がお気に入りなのでしょう、私としては「パペットホームズ」ですが。それはともかく、こういう上位に立つ人物が、自らの仮説を述べ、従う者がそれを御意とする姿勢はどのようなドラマ(現代物を含む)にも見られますけどね。

3、「『なんでこんなものをありがたがるのかなぁ?』と疑念に思った聖なるものはたくさんあるのです」
とありますが、具体的にどのようなもので、それがどのようにありがたがられたのかを書かないと、この場合説得力がないと思います。あと商業が発達する=貨幣経済の時代になるのは室町以降ですから、この場合は鎌倉時代の視点でものを見るべきでしょう。

4、ここで大きな違いがあります。頼朝は紫と白の2色でしかも水干を着ていましたが、頼家は紫と白の下着(たぶん小袖)を着た上に、柄の入った直垂を着ています。この両者の着こなしの違いが、時代の変化を物語っているように見えるのですが。

5、どうもこの「君主」なる言葉に引っ掛かりますね。君主とは一国を統べる国家元首的色彩が強く、この時代であれば後鳥羽上皇、あるいは土御門天皇でしょう。


6.比企をないがしろにしては鎌倉ではやっていけない、とまで言い出します。

7.猛毒があるけど、とびきりチャーミング――そんなベニテングダケみたいな個性があって、そりゃあ時政も「ぐふふふ!」と笑っちゃいますよね。

8.実衣はかつて、全成がラッキーカラーと告げた赤い服を着ていました。
そうやって夫の気を惹きつけたい、妻としての心が感じられたものです。
それが今ではどうでしょう。
阿野全成が頼朝に赤を避けるように告げたことをきっかけに、赤以外の服となりました。
頼朝に告げたデタラメなんてどうでもいいのだから、赤に戻ってもよいはず。
しかし、そうではない。加齢もあるにせよ、何か別の意思も感じます。
もう、夫の言うことなんて聞いていない。そのことが服にも現れているようで、こわい。

9.しかし、この二人が接近するのはマズいのでは?潔癖ゆえに鈍感な畠山重忠は気づいていないようで、義姉上に喜んでいただけたと納得していますが……。

10.そう考えると頼家はやはりマズいことをしている。
彼が判断する、やる気にせよ、実力にせよ、明確な基準がない。
となると実力の有無に関わらず「鎌倉殿にえこひいきされていてアイツは出世したんじゃねえのか!」と反発が溜まりやすくなります。人は弱い。ゆえに実力ではなく、自分の耳に優しいことを囁いてくれる相手を出世させることもある。
頼家は、己を過信しているのです。

6、この言葉には続きがあり、「鎌倉ではやっていけないことを身をもって知ってもらう」と能員は言っており、頼家に思い知らせてやるといった含みがありますね。

7、「ベニテングタケ」とはまた変わった比喩ですね。要は「きれいな花には棘がある」といったところでしょうか。

8、この時実衣は、夫全成がなおも鎌倉殿にふさわしいと言っており、全成に止めろと言われているわけですから、夫婦の間に何らかの溝ができたとしても当然でしょう。それをあの衣装で表現しているとも考えられます。ただ、いつまで経っても侍女みたいな服装だなとは思いますし、これを機に袿を着せるようにしてもよかったかと。

ついでながらこの2人は千幡の乳母夫でもあるのですが、その乳母夫としての描写が、本編にあまり出てこないのがちょっと物足りなく感じます。

9、まずいも何も、この結城朝光は梶原景時を失脚させる人物ですし、それはここで書いてもいいかと思います。実衣を虜にする朝光は、実は恐ろしいことを企んでいるといった具合に。

10、頼家の過信というのもあるでしょうが、父頼朝と比較されるプレッシャーもかなりあるのではないでしょうか。


11.どうやって鎌倉に流れ着いたのでしょうか。その旅路の心境を考えると、興味深いものがありますね。

12.しかし、時連には才能があったのか。コツを掴んだのでしょう、華麗にこなしています。
史実でも北条時連は蹴鞠が得意だったようですが、ともかく驚いた頼家が、わざわざ褒美まで与えています。

13.ヒートアップする義盛に、義時はそもそも「鎌倉殿」を連呼するなと言います。今は頼家が鎌倉殿なのだから、頼朝殿と分けよ、と。

14.もうダメです。はい、タイム。義時が休憩を取らせると、頼家に対して康信が「記録を参照するとよい」とヒントを出してくれます。
しかし、ウンザリしてしまった頼家は、何処かへ立ち去ってしまう。

15.そうそう。鎌倉幕府初期の訴訟って『笑点』の座布団方式のようでよくわからない。
トークスキルの高い方が有利なので、不満を溜めてしまう口下手な御家人もいたとか。突発出家なんてことにもなりかねず、過渡期ゆえの辛さがあったのです。

11、元々この人は義経絡みの弁明で鎌倉へ行き、その時頼家、当時の万寿の蹴鞠の相手として迎えられたともいわれています。この大河では、その部分ははっきり書かれてはいませんが。

12、ただこの時、頼家がかなり怒りをあらわにしたような表情を見せ、他の者たちが驚いたような表情を見せていますが、あれにはどのような意図があったのでしょうね。あと時連はあの中ではうまいと言えますが、他の皆が下手過ぎると言うか、そもそも鞠の扱いがわからないと言った方が正しいでしょう。

13、頼朝殿でなく「頼朝様」ですね。頼朝殿などかなりの非礼だと思います。そもそも頼朝様なる呼称も、諱を呼ぶことが一般的でなかったこの時代は、非礼だったでしょう。

14、「タイム」て、『ちむどんどん』の暢子ですか(苦笑)。
そして頼家ですが、ここで康信が頼朝の名を出したのが、やはり面白くないのではないでしょうか。あとこの時、景時が「鎌倉殿」と「頼朝様」を使い分けている点にも言及してほしかったです。

15、「『笑点』の座布団方式のようで」とありますが、この比喩がちょっと「よくわからない」。それよりもどういう訴訟があり、どのような裁きがなされたか、また口下手な御家人、出家した御家人とはだれか、それをちゃんと書いてこそのものでしょう。


あと、以前このコラムでは弓馬は源平合戦がピークとか、弓矢から学問の時代へ移行する的な記述が見られましたが、コラム中に、鎌倉時武士と弓矢についての記事のリンクが貼られたりしていますね。そもそも、弓矢の時代はまだまだ続くのですけどね。

続きは次の投稿にて。

飲み物-冷えたビール2杯

[ 2022/07/21 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

井上文太氏による三浦一族関連作品とホームズの鎧姿

先日ちょっと書いていましたが、横須賀美術館で現在企画展「運慶 鎌倉幕府と三浦一族 」が開催中です。同時に井上文太氏による「 画狂人 井上文太 '' inspirations'' 」も開催されており、三浦一族を描いた作品も展示されています。

こちらはご本人のアカウントからお借りしたツイートです。いずれもサムネイルなので、クリックで拡大できます。

まず三浦一族関連作品のひとつです。

井上文太-運慶鎌倉幕府と三浦一族

そしてパペットホームズの主人公である、ホームズの大鎧姿です。
井上文太-大鎧姿のホームズ
なかなか様になっています。
パペットホームズ、また観たいですね。
尚、井上氏のアカウントはこちらになります→https://twitter.com/333888G
[ 2022/07/19 01:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第27回「鎌倉殿と十三人」あらすじと感想-1

第27回のまず前半部分です。

建久10(1199)年1月。蹴鞠を蹴り続ける後鳥羽上皇の許へ、土御門通親より頼朝の訃報が入る。年末に発病し1月11日に出家、13日に亡くなるという知らせを受けた上皇は、急すぎることから殺されたかと思うが、今頼朝を殺して得をする者は鎌倉にはいなかった。上皇は事故、それも武士にあるまじき死に方で隠し通す必要があることから、落馬であるかと考え、頼朝は上洛した折によく水を飲んでいたことから、藤原道長と同じ飲水の病であろうと結論付ける。後継者は頼家と聞かされた上皇は、笑みを浮かべつつこう言う。
「頼朝の跡目、さぞ重かろう」

頼家は鎌倉殿としての初執務を行うことになる。出家した政子は頼家を送り出し、義時は、自分の信じるところを大事にのびのびやっていただきたい、何かあれば我々宿老が対処すると述べる。そして政子は見せたいものがあると言って、例の偽のドクロを差し出す。無論本物は勝長寿院にあるのだが、すべてはこのドクロから始まったと義時は言い、政子は頼家に、鎌倉殿の証しとしてこれを持つように勧める。頼家はドクロを手にする。

頼家は文官や御家人たちに、父頼朝が成し遂げたこと、また成し遂げられなかったことを引き継ぎ、その上で父を超えると告げる。しかし比企能員は、鎌倉殿の判断を仰ぐときは自分を通すように言い、それに時政が対抗したため、梶原景時が注意する。しかし頼家は、訴えは自分が直接聞くと言い、母政子には口出しを避けるため伝えていないが、北条や比企を特別扱いしない、力のある者を登用すると一同の前で言い放つ。

しかし能員も時政も、そのやり方には不満があるようだった。景時がまたもそれを諫めるが、これはそもそも景時が関与していた。景時は、頼朝が最後まで自分以外の御家人を信じなかったように、あの者たちを信じてはならないと頼家に警告する。しかしその様子を義時が目にしていた。

比企館では道が、比企を特別扱いしないこと、せつが正室の座を外されたことに怒りをぶちまけるが、能員はしばらくは頼家の好きにさせておくことにする。無論これは、比企をないがしろにして鎌倉ではやっていけないということを、思い知らせるためでもあった。一方時政は孫である頼家をほめるが、何をのんきなとりくは夫を諭し、一枚岩だと思っていた比企と鎌倉殿がそうでなかった、面白いことになるとほくそえむ。

義時は、鎌倉殿である頼家が、一番信頼しているのは景時のようだと政子に伝える。政子は、私心なく働く人物だからそれでいいのではと言い、また、若くて力のある者を集めたいという頼家の所望により、頼時、そして時連もその仲間に加わる。時連は年長ではあったが、おかしな方向に行かぬよう、年長者として目を光らせよと義時から命じられる。そして動きを逐一報告するよう義時から言われ、悪目立ちを心配するが、顔だちが幼いから大丈夫と政子に言われてしまう。

実衣は子供たちが遊ぶのを見ながら琵琶を手に取り、頼家がかなりやる気のようだと夫の全成に言う。しかし本当の跡継ぎは貴方だと今でも思っていると言ったため、全成に注意される。そしてなおもその話を続けようとする実衣に、全成は釘を刺してその場を去り、実衣は琵琶の弦を撥で弾く。

その頃京では事件が起こっていた。通親の暗殺計画が明らかになったのである。この人物は上皇の後見役だった。捕らえられたのは、一条高能ゆかりの御家人たちであり、高能はかつて大姫の嫁ぎ先候補であった。頼朝亡き後、通親に虐げられるのを恐れてのことと思われたが、能員、時政が彼ら御家人を守るべきと言うも、上皇自らが鎌倉自ら処罰せよとの通達が来ていた。景時は通親は守るべきであり、上皇から通達があるのなら、なおのこと明らかであると主張する。

頼家は中原親能に命じて京へ向かわせ、御家人たちを処罰させる。今は朝廷ともめ事を起こす時ではないと頼家は言い、景時もそれに同意する。その捕らえらえた者の中には、かつて挙兵を促した文覚がいると義時が伝える。文覚は、自分に勝手に処罰を加えるなら、都と鎌倉の諍いの火種になるは必定、自分を即刻鎌倉へ引き渡せと言うものの、頼家は最早関わろうとせず、文覚の処分は上皇に委ねることになった。

畠山重忠が結城朝光を連れて、実衣のところへ来る。実衣に琵琶を教えるためだった。実衣は、御所の宴席で楽人が引いていたのが素晴らしいため、譲り受けていたが、やってみると難しいものだと話すものの、朝光はそれには応じず演奏を始め、そしてこう口にする。
「琵琶の名手と言えば、唐の国の楊貴妃。絶世の美女にこそ琵琶は似合います」
そして朝光は琵琶をかき鳴らす。

例のドクロが片隅に置かれた部屋で、頼家は若い者たちに会って、やる気のない者、やる気はあっても力のない者はどんどん落として行くと述べ、太郎(頼時)によろしく頼むと言う。そして康信に政について説明をさせる。康信は、政の大本は訴訟の裁きであり、主に土地に関する仲裁であることを説明する。また頼家は都との付き合いとして、彼ら若者に蹴鞠を紹介する。それを教えるのは、鎌倉に下向して来た平知康だった。

葵の花が日を見上げるように、優しく蹴り上げると知康。頼時は、蹴鞠よりも我らがやるべきは弓と馬だと、叔父の時連に言うが、ひとまずは付き合うことになる。鞠を蹴ることに慣れていない彼らの中で、1人鞠をうまく捌く者がいた。それは時連だった。そこまでじゃと制し、怖い表情で向かって行った頼家は、意外にもやるではないかとこの叔父をほめ、褒美を取らせる。

康信が訴状を持って現れる。その数はかなりのもので、新たな鎌倉殿の判断を仰ぎたいという訴えだった。これらを裁き、頼朝の徳の高い政を受け継いだことを知らしめるように康信は促す。しの中には、御家人たちの諍いもあった。和田義盛は、元々侍所の別当は自分なのに、景時が一日別当だと言うから変わってやっただけで、なのに別当の座に居座っているのが気に入らなかった。しかし義盛は訴えの中で鎌倉殿を何度も連発し、頼朝なのか頼家なのか混乱するため、義時が注意を促す。

しかも景時は、頼朝が自分に、義盛は別当の器量がないため、代わりに務めるようにと言われたと答えるが、義盛はそれが気に入らず、こいつを信用ならねえと言う御家人は山ほどいる、そいつらが自分に別当に戻ってほしがっていると主張する。康信は、頼朝であればまず記録を調べたでろうとに言うが、頼家はそのまま席を立ってしまう。そして政子はつつじに、御台所としての暮らしについて尋ねていた。


頼朝の訃報が京に届きます。後鳥羽上皇は何か裏に事情があるのを見抜き、武家の棟梁であるにもかかわらず、落馬でもしたかと考えます。と言うのも、上洛の際に水ばかり飲んでいたせいで、藤原道長と同じ飲水の病であろうと思ったわけで、実際道長はこの飲水の病、今で言う糖尿病であったとも言われています。水を飲むのはインスリンが足りなくなるのが原因なのですが、ただ頼朝の場合はやはり脳卒中であったのではないでしょうか。水をほしがると言うよりは、脱水症状が起こると脳卒中、特に脳梗塞になりやすいとはされていますね。

頼家の「初出勤」ですが、やはりと言うか、早速能員と時政の間で意見が対立します。そんな2人を尻目に頼家は、若手中心の実力主義とも言うべき方針を打ち出しまずが、実はこれは景時の差し金でした。他の御家人を信用するなとの忠告のもと、頼家を自分の側に取り込みたい景時と、景時を信用すれば大丈夫との思いが根底にありそうな頼家ですが、この両者の関係は義時に気づかれます。一方比企が外されたことで、時政とりくは笑いが止まりません。

頼家の御家人離れは尚も続きます。土御門通親暗殺計画が発覚し、それに関与した御家人を処罰させる方向に出て、しかも文覚をいわば見捨てたわけです。例のドクロを持参し、挙兵をほのめかした人物ではありましたが、この場合朝廷との間に波風を立てるのは、好ましからざることでした。そして若者たちに政や蹴鞠を教えることにします。康信の「講義」は、御成敗式目の伏線でしょうか。そして蹴鞠、本来弓馬をもっとやるべきではというセリフに、彼らの本音が潜んでいるような気がします。

御家人2人の諍い、つまり義盛と景時という対照的な2人の諍いは、別当の座を巡るものでした。ここで面白いのが、義盛は頼朝に対しても頼家に対しても、「鎌倉殿」という呼称を使っているのに対し、景時は「鎌倉殿」(頼家)と「頼朝様」を使い分けている点で、それぞれの特徴を表しています。しかしここで康信が、頼朝ならこうすると言い出したせいか、頼家は裁きをほったらかして中座してしまいます。

実衣と琵琶。こういう部分も、都の洗練された文化が御所に入り込む、その過程を描いているかとは思います。しかしその一方で、実衣がいつまでも全成が後継者と主張するのはいただけません。彼女が思ったことをすぐ口にする姿勢は、傍目には不用心とも取られかねないわけで、そこがりくとの違いとも言えますし、政子から御台所に向かないと言われる所以でもあるのでしょう。尤も政子も、思ったことを行動にすぐ移すところはありますが。

あと、これは前回のあらすじと感想でも書きましたが、後鳥羽上皇の「繋がった」は、パペットホームズで、推理が完了したホームズを思わせます。それから実衣が琵琶の弦を弾いて音を出すのは、京に於ける事件の導入部での、効果音の意味合いもあるのでしょう。


飲み物-ビールと夜景
[ 2022/07/18 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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