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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『鎌倉殿の13人』第37回「オンベレブンビンバ」あらすじと感想-1

第37回の前半部分です。


各地の所領を巡る訴訟が相次ぐが、その中には三善康信の所領もあった。しかし時政は評定裁定から締め出されており、恩賞の沙汰より後は、執権宛ての訴状は政子宛てとなっていた。既に実朝もこれを認めており、時政は面白くない。その時政は二階堂行政から、義時とのえの間に子供ができたと聞かされ、結び付けたことを自分の手柄にするが、行政は意外な表情をする。その行政に時政は、高野山に訴えは退けるという下知状を自分の名で書くように迫る。訴訟から政子を退けるつもりだった。

一方りくも、義時が時政を厄介払いしたがっているのを知り、父親を何だと思っているのかと腹を立てる。りくは政子や義時への復讐を考えていた。りくは政子の前に現れ、こう告げる。
「何もかも思い通りになると思ったら大間違い。この鎌倉を動かすのは、私の夫です」
政子は答える。
「もう父上を振り回すのはおやめなさい」

行政は時政名義の書状を義時に見せ、京に送るべきかと伺いを立てていた。義時は今後後訴訟は尼御台が行う、ご自分の引き際を考えるようにと引退をほのめかす。父親に向かってようそんなことが言えるなと時政。しかし義時は、父親だから申しており、そうでなければもっと手荒なことをしていたとにべもなく、この先は父上の出方次第では、今まで粛清された御家人たちと同じ道を歩むことになりかねないと釘をさす。時政は言う。
「だんだん頼朝様に似て来たな」

お褒めの言葉として受け取っておくと義時。親子で争うのはうよくないと時房が諫めるも、すべては父上次第と義時は斬り捨てる。そして実衣の子である時元が実朝に仕えることになり、千世からも挨拶を受ける。そして泰時は義時のたっての願いで、義時自身に仕えることになっていた。不服か、もっと晴れやかな顔をしろと言う義時に、生まれつきである、ならばご自分をお責めくださいと泰時は答え、義時は苦笑しつつ。自分のすることを見て学ぶように言う。

時政は縁側に腰を下ろし、現れた時房に「やることがねえってのは楽でいいなあ」と洩らす。時房は一緒に食べようと餅を2つ持っていた。固いのが駄目な時政のために、時房はどちらが柔らかいか感触を確かめていた。そんな時房に時政は、政所へ行って褥を取って来てくれ、どうせもう使わねえんだからと言い、尚も餅を確かめる時房に時政は尋ねる。
「お前はどちらなんだ。わしか小四郎か」
時房はおかしなことを申される、北条は一つだと言うが、時政にはその時房の笑顔が癪にさわった。時房は、兄上は父上を守ろうとしていると言い、やっと餅を渡すが、時政はそんなに触った餅は要らねえと慌てふためいたように言う。

政子は書状を認めていたが、政子は慣れない仕事に疲れていた。大江広元は文官に任せるよう提案するが、政子は自分で書くと主張し、泰時に肩を揉ませる。女性であるため、ひらがな文であることを義時は懸念するが、これぞ尼御台の文書である証と広元は言う。しかし最終的に政子は文官に一任することにし、広元は仮名を使用することを決める。政子は肩を揉ませながら時政について義時に尋ね、時政が何か企んでいることを知る。そして政子は泰時の揉み方が悪いと、、自ら泰時に手本を示す。

義時は広元に時政について尋ねるが、広元は御家人の気持ちを引き戻すのは難しい、それはあのお方もわかっているはずなので任されたいと答える。一方でりくは、実朝を鎌倉殿の地位から下ろし、やはり源氏の血を引く平賀をその地位につけるつもりであると時政に伝える。政子から力を奪うのが目的だった。

そして朝雅ときくの子がその地位を継げば、自分達は鎌倉殿の祖父母になると述べた上で、成り行きによっては、政子と小四郎を討つことになるやもしれぬ、その覚悟はおありかと時政に伝え、こう続ける。
「向こうも同じことを考えているのかも知れないのですよ」
りくは、志半ばで去った政範のためにも、成し遂げてほしいと時政に懇願し、いいお顔になられましたね、覚悟を決めた男の顔てこんなにも艶っぽいのですねと、その胸に顔をうずめる。

りくはまず三浦を味方につけ、三浦がつけば和田もつく、三浦を先に引き込んだ方が勝ちだと、自分の計画を打ち明ける。やがて三浦義村が時政の館に呼ばれ、時政は実朝がおとなしすぎて、周りの者が調子に乗るばかりじゃと言うが、義村は威勢がよすぎて、潰れて行ったお方もいると答える。

しかし時政はそれを遮るように、善哉は今いくつだと答える。6つになられましたと義村。そしてりくは、時政が善哉を鎌倉殿にしたがっていると言い、義村は頼家様が聞けば涙を流して喜ぶと口にしつつも、まだ善哉は鎌倉殿になるには幼かったが、善哉の元服までは平賀朝雅が鎌倉殿を務める計画を知らさえる。2人の野心を知ったた義村は、悪くない話ですと答え、りくは手を貸してくれますねと念を押す。

御所にはちえが呼ばれていた。ちえは重忠が発つ前に畠山の本領を譲り受けており、政子はその本領はちえの物だと言うが、ちえは謀反人の遺言には従えないと断る。従ってくれと義時は言うが、ちえは、北条は身内に甘いと言われると受け取ろうとしない。重忠は謀反人ではないと政子は言うが、ちえは謀反を起こしたから討伐されたのではないかと逆に聞き返し、武蔵へと帰って行った。後にちえはこの地で再婚し、畠山の名を遺した。

後鳥羽上皇は側近たちの前で何やら絵を描いていた。平賀朝雅の助言を聞きながら描いたのは、時政の似顔絵だった。似絵(にせえ)は上皇の得意中の得意であると慈円。一方藤原兼子は自分の似顔絵が気に入らなかったようで、破り捨てていた。上皇は畠山の件を尋ね、中原親能が一族すべて滅亡したと答える。力のある御家人が少なくなり、朝雅はしばらくは北条の天下と答えるが、既に上皇は、北条は時政と政子がやり合っていることを知っていた。生き馬の目を抜くとはまさにこのことよと上皇。そして描き上げた慈円の似顔絵は慈円本人が取り上げ、丸めてしまう。


時政が評議から外され、政子が尼御台として訴訟に加わることで、時政と義時の対立が表面化します。義時は時政が訴訟に関して、勝手に振舞うのを止めるように言い、時房は兄上は父上を守りたいのですと言うものの、時政は腹の虫が治まらないようです。そして、義時と政子への敵対を促すりくの意見に乗り気になります。りくにしてみれば、血縁関係にない政子や義時は、自分の野心のために滅ぼしたい相手でもありました。そして義村を呼んで、彼が乳母夫である善哉を、将来的に鎌倉殿にするという条件で味方に引き入れようとするのですが、あの義村が簡単に転ぶでしょうか。

その義村、威勢がよすぎて潰れたというのは頼家のことでしょう。いっそ頼家のように暴走してくれた方が、ある意味楽な場合もあるにはあります。実朝の場合は本人に非はなくても、周囲の思惑があれこれ絡みそうです。しかし先日も書いたのですが、柿澤勇人さん演じる実朝は既に大人であり、もっと若く頼りない実朝なら、高校生か、せめて20歳そこそこの俳優さんでもよかったでしょう。同じことが
まだ若いと言うか幼くて、魚を両手で持って食べる義時
富士の巻狩りでの元服直前の金剛(頼時→泰時)
にも言えるかと思います。

さて実衣の息子の時元ですが、元々は全成が捕らえられた際に連座させられそうになり、身内である北条一族から助命されて、父の領地に隠棲したとされています。その後、実朝が暗殺された際に、源氏の血を引く彼は将軍の座を狙おうとして、義時方の武士に討ち取られるわけですが、どうも将軍の座狙いと言うよりは、北条方が彼を討とうとして、挙兵したという説もあります。

そしてちえ。この人物は後に足利義純と再婚しています。姓からわかるように、かの足利氏の血を引く人物です。これによって所領を継承しますが、これには諸説あるようです。ともあれ、元々は平氏であった畠山氏は、この婚姻によって源氏となりますが、この人の6代後の子孫がかの足利高(尊)氏です。

互いが互いに何やら企てていますが、行きつく先はどうなりますやら。ところで後鳥羽上皇の似顔絵、パペットホームズのベッポを思い出します。このベッポの声を担当していたのが、梶原善さんでした。授業中先生の似顔絵を描いていて取り上げられてしまい、取り返してほしいとホームズに依頼して来るのですが、先生がある理由から絵を引き裂いてしまったため、結局取り返すことはできませんでした。そして、りくの
「何もかも思い通りになると思ったら大間違い」
は、今週で終わる朝ドラのヒロインに言ってほしいです。

飲み物-チューリップグラスのビール
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[ 2022/09/27 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第29回「ままならぬ玉」あらすじと感想-2

第29回「ままならぬ玉」後半部分です。


義村は頼家が善哉を嫡男として認めてくれるのだろうなと尋ねるが、比企が納得していないと義時は答える。頼朝が望んでいたことじゃねえかと義村は言うが、そのことが文書に記載されていないためだった。義村も、比企が大きな顔をすることを快く思ってはいなかった。

頼時は初からつまらないと言われ、父上を見習って真面目に生きようとやって来たのにとしょげていた。義時はそんな息子に女子の心がわかっていない、初は寂しいからわざとそう言ったのだと教える。そして、山ほど土産を抱えて帰ってくれば、機嫌を直してくれると言い、女子は大体きのこが大好きだと教える。頼時はいいことを聞きましたと言って出かけて行く。

その頃せつは、善哉が生まれたこともあり、頼家がつつじの所に入り浸っていると比奈に愚痴っていた。おさみしゅうございますねと言う比奈にせつは、随分他人行儀だ、もう比企の者ではないからかと面白くなさそうだった。そしてせつは、皆家のことばかり考えるが、自分は誰が鎌倉殿になろうがどうでもいい、鎌倉殿に自分の方を向いていてほしいと言う。比奈はいい考えがあると言い、せつを政子に会わせる。

政子はせつに、夫の頼朝は幼いころから苦労をし、人を信じることをしなかった、頼家もきっとそうであろうと言う。ならばどうすべきかと比奈が問いかけ、政子は、いっそ思っていることをぶつけてみてはと促す。誰も信じていないお人にですかとせつは尋ねるが、政子は、信じていないけど信じたいのです、私にはそう見えますと答える。そしてあなたにしかできないことと、自信なさげなせつの背中を押す。

頼時は伊豆で百姓たちに会っていたが、彼らは借りた米を返そうにも返せず、鶴丸は、約束をなかったことにしてしまえばいいと言い、頼時はその場で即座に証文を破り捨ててしまう。これは逃散を防ぐためであり、返済分として米を鎌倉から届けさせると同時に、彼等にも1人当たり米を1斗与えることにした。その後戻った頼時に、鞠の手入れをしていた頼家は、伊豆では大変な評判と聞いていると言い、頼時と義時は礼を述べる。

頼家は証文を破るとは思い切ったことをしたものだと言い、これで全国の百姓たちが証文破りをするのではないかとまで言うが、幸い今までのところそうはなっていなかった。頼家はこれを機に褒美を取らせようと言い、間もなく自分は征夷大将軍に就任する、同じ「頼」の字を持っていてはお前も心苦しかろう、天下泰平の「泰」の字を取って泰時とせよと命じる。鎌倉殿に名をつけていただけるとは誉れであると、義時はそつなく答える。

頼時改め泰時も父に言われて頭を下げ、これからも鎌倉殿のおそばで力を尽くしたいと言うものの、頼家はお前はうるさい、父の許で励めとにべもなかった。泰時は、頼の字は頼朝様の頼の字でもあると不満そうだったが、義時はもう忘れろと言う。その側には、泰時が初への土産に持ち帰ったものの、突き返されたきのこが積まれており、泰時は不満やるかたない表情だった。

頼家は日が落ちた屋外で、またも蹴鞠の稽古に興じていた。全成は人形を作り、呪文を唱えていた。その様子を実衣が目にし、義時に人形(ひとがた)のような物をこしらえていたが、小娘じゃないんだからそんなのを貰っても喜ばないと言い、そして、本気で鎌倉殿になってほしいなんて思っていない、ただ源氏だから気概を持ったらどうなのかと言いたかっただけと話す。義時は、その気にならなかったから今があるのではないかと言い、実衣もそれは同意だった。

義時は全成のことを、時政とりくに話す。呪詛をかけているのではと義時は言い、時政はうっかり、鎌倉殿はわしの孫だぞと口にしてしまう。義時は余計なことはやめていただきたいと言うも、りくはしらを切り、また比企と争う時は終わったと食い下がるが、比企にそれを言えと時政は苛立っていた。その頃西国から流れて来た念仏僧たちが、民を惑わしているとして捕らえられる。

斬り捨てよと言う頼家に、民が念仏僧をありがたがるのは、暮らしが厳しいからだと時連が諫める。頼家はお前も北条の手先かと不機嫌になる。鎌倉殿を案じて申し上げていると時連は答えるが、皆同じことを言う、腹にあるは己の家のことだけではないかと声を荒げる。僧を斬れば災いが起こると言う時連に、天罰など畏れぬと頼家は言うが、時連はお子達に何があってもいいのか、お考え直しをと諫め、結局彼らは衣を剥がれて鎌倉から追放されたにとどまった。

頼家は善哉の許へ行こうとしたが、その時せつが向こうから来て、自分と一幡の所へも足を運んでくれと言う。しかし頼家は、せつの後ろの比企が煩わしい、どけとまたも声を荒げる。せつは嫡男は善哉様で結構と言い、ただ自分と一幡の側にもいてほしい、比企は関わりないと譲らず、それを退けていては鎌倉殿は本当に1人になる、お支えしたいと言う。

建仁2(1202)年7月、頼家は征夷大将軍となる。束帯を着けた彼の後ろには能員が控えていた。一方りくも時政も、一向に呪詛の効果が表れないことに腹を立てていた。全成は、頼家の髪の毛を手に入れることにする。それがあれば何とかなりそうなのだが、だったら初めからそうしなさいとりく。しかし頼家に近づこうとするものの、そこに義時が現れる。頼家は鞠を蹴ることに救いを見出していた。

そして自ら義時に指導を行い、また父は蹴鞠は得意だったかと尋ねる。お上手でしたと答える義時に、父は何も教えてくれなかったと言い、また頼家は義時が笑うのを見て、父が心から笑っているのを見たことがないが、その気持ちは今になったらわかるとも言う。義時は、頼朝様は人を信じることをなさらなかった、父上を超えたいのなら、人を信じるところから始めてはどうかと忠告する。

そこへ平知康が現れるものの、頼家はしばらく下がらせ、そして一幡を跡継ぎにすると義時に言った。比企のためではなく、せつは強い女であり、かつての両親のように、2人で鎌倉をまとめて行ける、また自分はは弱いから、自分を信じてくれる者を頼りたいとも言った。そして頼家はもう蹴鞠に逃げることは止めたと言い、知康もお役御免となる。しかし頼家が投げた鞠を受けようとして、知康は古井戸に落ちてしまう。

そして助けようとした頼家も落ち、隠れていた全成がやって来る。そこにあった縄のお蔭でかろうじて2人とも引き上げられるが、頼家は全成に亡き父の面影を見ているようだった。そんな頼家を全成は、こうして見ると可愛い甥っ子だと笑い、義時は、役目の重さと日々闘っておられると言う。結局全成は御父上に頼まれたと、呪詛のことを実衣に打ち明ける。しかし全成は、お前の喜ぶ顔が見たかった、千幡が鎌倉殿になれば立場も上がり、いい思いをさせてやれるとも話した。

あなたは見かけ倒しだからと言う実衣の言葉に、全成は図星を突かれたような顔をする。そして呪詛のため御所の床下に置いていた人形は、全部集めて来たと全成は言うものの、実は1つだけ置き去りにされていた。


まず、以前の投稿で頼家を将軍と書いている箇所がありますが、家督を継いで鎌倉殿となってはいたものの、将軍宣下はまだ先でした。今後訂正することになるかと思います。

後継者選びがエスカレートしそうになります。実際
一幡-比企
善哉-三浦
千幡-全成、実衣
とそれぞれの乳母夫が存在し、しかもそれぞれが義時に絡む展開になるわけですが、頼家は最終的には、一幡を嫡男とすることに決めたようです。しかしせつが比企と全く無縁と言うわけでもなく、頼家が将軍宣下を受けた時の能員の存在、あるいは三浦の存在などを考えても、今後比企との対立は激化して行くことになるでしょう。あと井戸に落ちて助けるのは、パペットホームズで、穴に落ちた友達を助けるのを思わせますね。

それから頼時の伊豆行き。百姓に逃散させない目的もあったのでしょう。米を借りたことに対する証文をその場で破り捨て、帳消しにしてしまいます。その代わり、鎌倉から米を持ってくることで決着したようです。この場合は台風という自然災害のためですが、飢饉もあり、百姓の生活は安定しませんでした。あと、きのこはかつて、八重にきのこを持って行った義時自身の行動を踏まえていると思われます。

さてその百姓、時連が、厳しい生活であるが故の念仏僧の受け入れについて、頼家に説明しています。この念仏こそが、鎌倉仏教のひとつの流れであるわけです。一方で全成は、密教に由来する呪詛を行っています。しかしなかなかうまく行きません。それと時政、自分達が疑われているのに、鎌倉殿などとわざわざ言うでしょうかね。それと全成が作っていたのは「にんぎょう」ではなく「ひとがた」ですね。ちなみにホームズの『踊る人形』も、本来は「ひとがた」です。

それにしても政子がせつの、そして義時が頼家の背中を押すところは、何か2人で筋書きを作ったかのようにも見えてしまいます。無論一幡ではなく、千幡が頼家の跡を継ぐことにはなるわけで、嵐の前の静けさといった印象もあります。あと以前、比奈が比企の紙に言及するシーンがありましたが、あれは「小川和紙」のことでしょうか。

それと、この『鎌倉殿の13人』の女性たちなのですが、政子、りく、丹後局、八重、そして道などはいいかと思います。しかしそれ以外の女性が、これは演じている女優さんには悪いのですが、何か似たような印象を与えているように見えます。『真田丸』に出て来る女性は、それぞれキャラが立っていたように思うのですが、やはり舞台となる時代の違いもあるでしょうか。


飲み物-グラスビール
[ 2022/08/02 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 64その1

『武将ジャパン』大河コラムへの疑問点です。第27回前半部分です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第27回「鎌倉殿と十三人」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/07/18/169673

1.もしかして落馬か?と呟けば、武家の棟梁でそれはない、と通親が否定します。

2.【アブダクション(仮説形成)】で思考をまとめている後鳥羽院はかなりできる人物でしょう。尾上松也さんも生き生きと演じている。声音にも、表情にも、皮肉げに面白がる響きがあって素晴らしい。

3.(頭蓋骨は)それこそ三種の神器と比較すれば、くだらないとしか言いようがないものですが、証ってそういうものかもしれない。中世当時に信じられてきた神秘的なものは、実際のところいかほどの由緒があるのか?これは何も私一人の考え方でもなく、人間が進化の過程で「なんでこんなものをありがたがるのかなぁ?」と疑念に思った聖なるものはたくさんあるのです。
商業が発達すれば、いくらで売れるものなのか?ということが価値になってゆきます。

4.父・頼朝と同じ白と紫装束の身につけた頼家(ママ)。

5.頼家は、若き君主として失敗するパターン通りの第一歩を踏み出したように見えます。

1、後鳥羽上皇の仮説に通親が答えているわけですが、ここでは「武家の棟梁で」ではなく、「頼朝ほどの男が」と言っていますね。

2、ここでまたアプダクション。武者さんはよほどこの言葉がお気に入りなのでしょう、私としては「パペットホームズ」ですが。それはともかく、こういう上位に立つ人物が、自らの仮説を述べ、従う者がそれを御意とする姿勢はどのようなドラマ(現代物を含む)にも見られますけどね。

3、「『なんでこんなものをありがたがるのかなぁ?』と疑念に思った聖なるものはたくさんあるのです」
とありますが、具体的にどのようなもので、それがどのようにありがたがられたのかを書かないと、この場合説得力がないと思います。あと商業が発達する=貨幣経済の時代になるのは室町以降ですから、この場合は鎌倉時代の視点でものを見るべきでしょう。

4、ここで大きな違いがあります。頼朝は紫と白の2色でしかも水干を着ていましたが、頼家は紫と白の下着(たぶん小袖)を着た上に、柄の入った直垂を着ています。この両者の着こなしの違いが、時代の変化を物語っているように見えるのですが。

5、どうもこの「君主」なる言葉に引っ掛かりますね。君主とは一国を統べる国家元首的色彩が強く、この時代であれば後鳥羽上皇、あるいは土御門天皇でしょう。


6.比企をないがしろにしては鎌倉ではやっていけない、とまで言い出します。

7.猛毒があるけど、とびきりチャーミング――そんなベニテングダケみたいな個性があって、そりゃあ時政も「ぐふふふ!」と笑っちゃいますよね。

8.実衣はかつて、全成がラッキーカラーと告げた赤い服を着ていました。
そうやって夫の気を惹きつけたい、妻としての心が感じられたものです。
それが今ではどうでしょう。
阿野全成が頼朝に赤を避けるように告げたことをきっかけに、赤以外の服となりました。
頼朝に告げたデタラメなんてどうでもいいのだから、赤に戻ってもよいはず。
しかし、そうではない。加齢もあるにせよ、何か別の意思も感じます。
もう、夫の言うことなんて聞いていない。そのことが服にも現れているようで、こわい。

9.しかし、この二人が接近するのはマズいのでは?潔癖ゆえに鈍感な畠山重忠は気づいていないようで、義姉上に喜んでいただけたと納得していますが……。

10.そう考えると頼家はやはりマズいことをしている。
彼が判断する、やる気にせよ、実力にせよ、明確な基準がない。
となると実力の有無に関わらず「鎌倉殿にえこひいきされていてアイツは出世したんじゃねえのか!」と反発が溜まりやすくなります。人は弱い。ゆえに実力ではなく、自分の耳に優しいことを囁いてくれる相手を出世させることもある。
頼家は、己を過信しているのです。

6、この言葉には続きがあり、「鎌倉ではやっていけないことを身をもって知ってもらう」と能員は言っており、頼家に思い知らせてやるといった含みがありますね。

7、「ベニテングタケ」とはまた変わった比喩ですね。要は「きれいな花には棘がある」といったところでしょうか。

8、この時実衣は、夫全成がなおも鎌倉殿にふさわしいと言っており、全成に止めろと言われているわけですから、夫婦の間に何らかの溝ができたとしても当然でしょう。それをあの衣装で表現しているとも考えられます。ただ、いつまで経っても侍女みたいな服装だなとは思いますし、これを機に袿を着せるようにしてもよかったかと。

ついでながらこの2人は千幡の乳母夫でもあるのですが、その乳母夫としての描写が、本編にあまり出てこないのがちょっと物足りなく感じます。

9、まずいも何も、この結城朝光は梶原景時を失脚させる人物ですし、それはここで書いてもいいかと思います。実衣を虜にする朝光は、実は恐ろしいことを企んでいるといった具合に。

10、頼家の過信というのもあるでしょうが、父頼朝と比較されるプレッシャーもかなりあるのではないでしょうか。


11.どうやって鎌倉に流れ着いたのでしょうか。その旅路の心境を考えると、興味深いものがありますね。

12.しかし、時連には才能があったのか。コツを掴んだのでしょう、華麗にこなしています。
史実でも北条時連は蹴鞠が得意だったようですが、ともかく驚いた頼家が、わざわざ褒美まで与えています。

13.ヒートアップする義盛に、義時はそもそも「鎌倉殿」を連呼するなと言います。今は頼家が鎌倉殿なのだから、頼朝殿と分けよ、と。

14.もうダメです。はい、タイム。義時が休憩を取らせると、頼家に対して康信が「記録を参照するとよい」とヒントを出してくれます。
しかし、ウンザリしてしまった頼家は、何処かへ立ち去ってしまう。

15.そうそう。鎌倉幕府初期の訴訟って『笑点』の座布団方式のようでよくわからない。
トークスキルの高い方が有利なので、不満を溜めてしまう口下手な御家人もいたとか。突発出家なんてことにもなりかねず、過渡期ゆえの辛さがあったのです。

11、元々この人は義経絡みの弁明で鎌倉へ行き、その時頼家、当時の万寿の蹴鞠の相手として迎えられたともいわれています。この大河では、その部分ははっきり書かれてはいませんが。

12、ただこの時、頼家がかなり怒りをあらわにしたような表情を見せ、他の者たちが驚いたような表情を見せていますが、あれにはどのような意図があったのでしょうね。あと時連はあの中ではうまいと言えますが、他の皆が下手過ぎると言うか、そもそも鞠の扱いがわからないと言った方が正しいでしょう。

13、頼朝殿でなく「頼朝様」ですね。頼朝殿などかなりの非礼だと思います。そもそも頼朝様なる呼称も、諱を呼ぶことが一般的でなかったこの時代は、非礼だったでしょう。

14、「タイム」て、『ちむどんどん』の暢子ですか(苦笑)。
そして頼家ですが、ここで康信が頼朝の名を出したのが、やはり面白くないのではないでしょうか。あとこの時、景時が「鎌倉殿」と「頼朝様」を使い分けている点にも言及してほしかったです。

15、「『笑点』の座布団方式のようで」とありますが、この比喩がちょっと「よくわからない」。それよりもどういう訴訟があり、どのような裁きがなされたか、また口下手な御家人、出家した御家人とはだれか、それをちゃんと書いてこそのものでしょう。


あと、以前このコラムでは弓馬は源平合戦がピークとか、弓矢から学問の時代へ移行する的な記述が見られましたが、コラム中に、鎌倉時武士と弓矢についての記事のリンクが貼られたりしていますね。そもそも、弓矢の時代はまだまだ続くのですけどね。

続きは次の投稿にて。

飲み物-冷えたビール2杯

[ 2022/07/21 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

井上文太氏による三浦一族関連作品とホームズの鎧姿

先日ちょっと書いていましたが、横須賀美術館で現在企画展「運慶 鎌倉幕府と三浦一族 」が開催中です。同時に井上文太氏による「 画狂人 井上文太 '' inspirations'' 」も開催されており、三浦一族を描いた作品も展示されています。

こちらはご本人のアカウントからお借りしたツイートです。いずれもサムネイルなので、クリックで拡大できます。

まず三浦一族関連作品のひとつです。

井上文太-運慶鎌倉幕府と三浦一族

そしてパペットホームズの主人公である、ホームズの大鎧姿です。
井上文太-大鎧姿のホームズ
なかなか様になっています。
パペットホームズ、また観たいですね。
尚、井上氏のアカウントはこちらになります→https://twitter.com/333888G
[ 2022/07/19 01:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第27回「鎌倉殿と十三人」あらすじと感想-1

第27回のまず前半部分です。

建久10(1199)年1月。蹴鞠を蹴り続ける後鳥羽上皇の許へ、土御門通親より頼朝の訃報が入る。年末に発病し1月11日に出家、13日に亡くなるという知らせを受けた上皇は、急すぎることから殺されたかと思うが、今頼朝を殺して得をする者は鎌倉にはいなかった。上皇は事故、それも武士にあるまじき死に方で隠し通す必要があることから、落馬であるかと考え、頼朝は上洛した折によく水を飲んでいたことから、藤原道長と同じ飲水の病であろうと結論付ける。後継者は頼家と聞かされた上皇は、笑みを浮かべつつこう言う。
「頼朝の跡目、さぞ重かろう」

頼家は鎌倉殿としての初執務を行うことになる。出家した政子は頼家を送り出し、義時は、自分の信じるところを大事にのびのびやっていただきたい、何かあれば我々宿老が対処すると述べる。そして政子は見せたいものがあると言って、例の偽のドクロを差し出す。無論本物は勝長寿院にあるのだが、すべてはこのドクロから始まったと義時は言い、政子は頼家に、鎌倉殿の証しとしてこれを持つように勧める。頼家はドクロを手にする。

頼家は文官や御家人たちに、父頼朝が成し遂げたこと、また成し遂げられなかったことを引き継ぎ、その上で父を超えると告げる。しかし比企能員は、鎌倉殿の判断を仰ぐときは自分を通すように言い、それに時政が対抗したため、梶原景時が注意する。しかし頼家は、訴えは自分が直接聞くと言い、母政子には口出しを避けるため伝えていないが、北条や比企を特別扱いしない、力のある者を登用すると一同の前で言い放つ。

しかし能員も時政も、そのやり方には不満があるようだった。景時がまたもそれを諫めるが、これはそもそも景時が関与していた。景時は、頼朝が最後まで自分以外の御家人を信じなかったように、あの者たちを信じてはならないと頼家に警告する。しかしその様子を義時が目にしていた。

比企館では道が、比企を特別扱いしないこと、せつが正室の座を外されたことに怒りをぶちまけるが、能員はしばらくは頼家の好きにさせておくことにする。無論これは、比企をないがしろにして鎌倉ではやっていけないということを、思い知らせるためでもあった。一方時政は孫である頼家をほめるが、何をのんきなとりくは夫を諭し、一枚岩だと思っていた比企と鎌倉殿がそうでなかった、面白いことになるとほくそえむ。

義時は、鎌倉殿である頼家が、一番信頼しているのは景時のようだと政子に伝える。政子は、私心なく働く人物だからそれでいいのではと言い、また、若くて力のある者を集めたいという頼家の所望により、頼時、そして時連もその仲間に加わる。時連は年長ではあったが、おかしな方向に行かぬよう、年長者として目を光らせよと義時から命じられる。そして動きを逐一報告するよう義時から言われ、悪目立ちを心配するが、顔だちが幼いから大丈夫と政子に言われてしまう。

実衣は子供たちが遊ぶのを見ながら琵琶を手に取り、頼家がかなりやる気のようだと夫の全成に言う。しかし本当の跡継ぎは貴方だと今でも思っていると言ったため、全成に注意される。そしてなおもその話を続けようとする実衣に、全成は釘を刺してその場を去り、実衣は琵琶の弦を撥で弾く。

その頃京では事件が起こっていた。通親の暗殺計画が明らかになったのである。この人物は上皇の後見役だった。捕らえられたのは、一条高能ゆかりの御家人たちであり、高能はかつて大姫の嫁ぎ先候補であった。頼朝亡き後、通親に虐げられるのを恐れてのことと思われたが、能員、時政が彼ら御家人を守るべきと言うも、上皇自らが鎌倉自ら処罰せよとの通達が来ていた。景時は通親は守るべきであり、上皇から通達があるのなら、なおのこと明らかであると主張する。

頼家は中原親能に命じて京へ向かわせ、御家人たちを処罰させる。今は朝廷ともめ事を起こす時ではないと頼家は言い、景時もそれに同意する。その捕らえらえた者の中には、かつて挙兵を促した文覚がいると義時が伝える。文覚は、自分に勝手に処罰を加えるなら、都と鎌倉の諍いの火種になるは必定、自分を即刻鎌倉へ引き渡せと言うものの、頼家は最早関わろうとせず、文覚の処分は上皇に委ねることになった。

畠山重忠が結城朝光を連れて、実衣のところへ来る。実衣に琵琶を教えるためだった。実衣は、御所の宴席で楽人が引いていたのが素晴らしいため、譲り受けていたが、やってみると難しいものだと話すものの、朝光はそれには応じず演奏を始め、そしてこう口にする。
「琵琶の名手と言えば、唐の国の楊貴妃。絶世の美女にこそ琵琶は似合います」
そして朝光は琵琶をかき鳴らす。

例のドクロが片隅に置かれた部屋で、頼家は若い者たちに会って、やる気のない者、やる気はあっても力のない者はどんどん落として行くと述べ、太郎(頼時)によろしく頼むと言う。そして康信に政について説明をさせる。康信は、政の大本は訴訟の裁きであり、主に土地に関する仲裁であることを説明する。また頼家は都との付き合いとして、彼ら若者に蹴鞠を紹介する。それを教えるのは、鎌倉に下向して来た平知康だった。

葵の花が日を見上げるように、優しく蹴り上げると知康。頼時は、蹴鞠よりも我らがやるべきは弓と馬だと、叔父の時連に言うが、ひとまずは付き合うことになる。鞠を蹴ることに慣れていない彼らの中で、1人鞠をうまく捌く者がいた。それは時連だった。そこまでじゃと制し、怖い表情で向かって行った頼家は、意外にもやるではないかとこの叔父をほめ、褒美を取らせる。

康信が訴状を持って現れる。その数はかなりのもので、新たな鎌倉殿の判断を仰ぎたいという訴えだった。これらを裁き、頼朝の徳の高い政を受け継いだことを知らしめるように康信は促す。しの中には、御家人たちの諍いもあった。和田義盛は、元々侍所の別当は自分なのに、景時が一日別当だと言うから変わってやっただけで、なのに別当の座に居座っているのが気に入らなかった。しかし義盛は訴えの中で鎌倉殿を何度も連発し、頼朝なのか頼家なのか混乱するため、義時が注意を促す。

しかも景時は、頼朝が自分に、義盛は別当の器量がないため、代わりに務めるようにと言われたと答えるが、義盛はそれが気に入らず、こいつを信用ならねえと言う御家人は山ほどいる、そいつらが自分に別当に戻ってほしがっていると主張する。康信は、頼朝であればまず記録を調べたでろうとに言うが、頼家はそのまま席を立ってしまう。そして政子はつつじに、御台所としての暮らしについて尋ねていた。


頼朝の訃報が京に届きます。後鳥羽上皇は何か裏に事情があるのを見抜き、武家の棟梁であるにもかかわらず、落馬でもしたかと考えます。と言うのも、上洛の際に水ばかり飲んでいたせいで、藤原道長と同じ飲水の病であろうと思ったわけで、実際道長はこの飲水の病、今で言う糖尿病であったとも言われています。水を飲むのはインスリンが足りなくなるのが原因なのですが、ただ頼朝の場合はやはり脳卒中であったのではないでしょうか。水をほしがると言うよりは、脱水症状が起こると脳卒中、特に脳梗塞になりやすいとはされていますね。

頼家の「初出勤」ですが、やはりと言うか、早速能員と時政の間で意見が対立します。そんな2人を尻目に頼家は、若手中心の実力主義とも言うべき方針を打ち出しまずが、実はこれは景時の差し金でした。他の御家人を信用するなとの忠告のもと、頼家を自分の側に取り込みたい景時と、景時を信用すれば大丈夫との思いが根底にありそうな頼家ですが、この両者の関係は義時に気づかれます。一方比企が外されたことで、時政とりくは笑いが止まりません。

頼家の御家人離れは尚も続きます。土御門通親暗殺計画が発覚し、それに関与した御家人を処罰させる方向に出て、しかも文覚をいわば見捨てたわけです。例のドクロを持参し、挙兵をほのめかした人物ではありましたが、この場合朝廷との間に波風を立てるのは、好ましからざることでした。そして若者たちに政や蹴鞠を教えることにします。康信の「講義」は、御成敗式目の伏線でしょうか。そして蹴鞠、本来弓馬をもっとやるべきではというセリフに、彼らの本音が潜んでいるような気がします。

御家人2人の諍い、つまり義盛と景時という対照的な2人の諍いは、別当の座を巡るものでした。ここで面白いのが、義盛は頼朝に対しても頼家に対しても、「鎌倉殿」という呼称を使っているのに対し、景時は「鎌倉殿」(頼家)と「頼朝様」を使い分けている点で、それぞれの特徴を表しています。しかしここで康信が、頼朝ならこうすると言い出したせいか、頼家は裁きをほったらかして中座してしまいます。

実衣と琵琶。こういう部分も、都の洗練された文化が御所に入り込む、その過程を描いているかとは思います。しかしその一方で、実衣がいつまでも全成が後継者と主張するのはいただけません。彼女が思ったことをすぐ口にする姿勢は、傍目には不用心とも取られかねないわけで、そこがりくとの違いとも言えますし、政子から御台所に向かないと言われる所以でもあるのでしょう。尤も政子も、思ったことを行動にすぐ移すところはありますが。

あと、これは前回のあらすじと感想でも書きましたが、後鳥羽上皇の「繋がった」は、パペットホームズで、推理が完了したホームズを思わせます。それから実衣が琵琶の弦を弾いて音を出すのは、京に於ける事件の導入部での、効果音の意味合いもあるのでしょう。


飲み物-ビールと夜景
[ 2022/07/18 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第26回「悲しむ前に」あらすじと感想-2

第26回後半部分です。


この臨終出家というのは、いよいよ死が近づいた時に必ずや極楽往生できるものだと、広元と康信から聞いた義時は、そのことを政子に伝える。縁起でもないと言う政子に、頼朝が倒れてから何も口に入れていないことに触れ、極楽往生の為には死後では遅いと言う。

頼家は義時に、母上は分かっておられると言い、読経の中頼朝の落飾が行われた。康信が髷に鋏を入れ、政子は涙を流し、義時はその様子を見守る。康信は、髷の中からこれが出て来たと小さな観音像を見せる。正にあの観音像だった。

頼朝の葬儀場が完成した。しかし政子は木の実を持って病室へ向かい、話があると近づいて来た実衣にそれを見せる、初めて頼朝に会った時に出した木の実だった。食べてくれるかどうかはわからないまでも、置いておけば何かのきっかけになると言う政子に実衣は、全成が鎌倉殿になることを決意した、父上も義母上も同じ考えであることを伝える。まだ早いと言う政子に、実衣はもしものことを言っている、その時は私も御台所になって鎌倉殿をお支えすると言う。

政子は実衣に言い放つ。
「あなたに御台所が務まるものですか。あなたには無理」
そして頼朝の枕元に木の実を入れた皿を置き、様子を見るためにそばに座った。その後鳥の鳴き声が聞こえる中、政子は疲れのせいか居眠りをしていた。ふと目が覚めた彼女は、縁先に腰かけて皿を手に取り、木の実を眺めているザンバラ髪の頼朝がいるのを見つける。

頼朝は政子に尋ねる。
「これは何ですか」
政子は声を弾ませながら、そこに現れた侍女に早く誰かをと命じる。しかし引き返した来た彼女が見たのは、縁先に倒れ、動こうとしない頼朝だった。政子は夫の目を閉じてやり、その体にすがりながら泣き続けた。

頼朝の遺体は棺に納められ、経が唱えられ、親族が見守る中荼毘に付された。長年従って来た主を失った盛長は、放心したように、頼朝が使っていた座布団を眺めつつ座っていた。そこへ義時が現れ、遺骨を持仏堂に運ぶ役目を盛長に頼みたい旨を伝える。盛長はもっとふさわしい方がいるはずと断るが、康信によれば、生前最もつながりの深かった者が、その役目を仰せつかることになっており、義時は頼朝もそれを望んでいるであろうと言ったため、盛長が御所の裏の持仏堂に骨壺を納めた。

葬儀場も片付けられた。重忠はあっけないものですねと言い、義盛は、あのお方を恨んで死んで行った者は多いと言う。さらに義盛は、ろくな死に方はしないと思っていたが、馬に振り落とされたらしい、武家の棟梁が情けないと悪態をつく。重忠も寂しいお方です、心の底から嘆き悲しんでいるのは、身内を除けば一握りであると答える。それを頼時が耳にしていた。頼時が去った後、義盛は坂東は坂東武者の手に渡ったと満足げだが、重忠はそれを軽くいなす。

一方頼朝亡き後の鎌倉殿に関して、時政と能員が言い争いをしていた。広元が、まず全成に任せたうえで、若君が十分成長したところで座を譲ってはどうかと提案するが、頼家の乳母夫である能員は、そんなあやふやな話には乗れぬと言い、全成殿が若君をたばかるかと申すかと時政は反論する。その取り巻きが当てにならぬと能員は異議を唱え、そこに現れた義時は、我らの誰にも決めることはできぬ、御台所のお裁きに任せるがいいと口出しし、時政は賛同するが、能員はかなり不満げだった。

しかし政子は頼朝から、政には口を出すなと言われていた。そんな姉に義時は、これからは姉上のご沙汰で事が動くこともあるでしょう、好む好まざるにかかわらず、そういうお立場になられたのですと言い。さらにこのように述べた。
「悲しむのは、先に取っておきましょう」

政子は頼家と、鎌倉の市街を見渡せる場所で話をしていた、初めて鎌倉にやって来た時、自分と一緒にここに立った佐殿は、自分の思いを語ってくれたと述べる。それは坂東をまとめ、平家を滅ぼし、そして自分の跡を継ぐ立派な男子を産むようにということだった。政子は言う。あなたはまだ若いが、小四郎と自分はあなたの才を信じる、鎌倉を混乱から守れるのはあなただけ、新しい鎌倉殿になるようにと。頼家はそれを受け入れる。

しかしこれは景時の差し金であり、むしゃぶりついては節操がないと思われるため、一度は断るように仕向けたのである。景時は、これから若君の思った通りに進めて行けばいいのですと言い、初めて頼家を鎌倉殿と呼ぶ。

頼家は御家人や文官たちの前で、我らは大きな柱を失った、このままでは日本(ひのもと)中で再び戦乱の嵐が吹き荒れかねぬ、偉大なる先の右近衛対象、征夷大将軍の死を乗り越え、前へ進むのだと所信を述べる。一礼する御家人の中で、能員は嬉しそうに笑い、時政はいまいましげにそれを見ていた。そして時政、りく、全成は、政子と義時に裏切ったかと非難の声を浴びせる。

頼家は孫であり、祝ってやろうという気持ちにはならないのですかと政子は父をなじるが、時政は、あれはもう比企に取られたようなものではと語気を荒げ、りくは腹立たしそうにその場を去って行く。義時は、北条を思う気持ちは自分も同じだが、時政が北条あっての鎌倉と主張するのに対し、自分は鎌倉あっての北条だと述べる。鎌倉が栄えてこそ北条も栄えると言う義時に、時政は意味が分かんねえと言い残してやはり去って行く。

政子は、鎌倉のために頼家を助けてやってくれと全成に頼み、全成もそれを受け入れるが、実衣は騙されるなと言い、政子に、私が御台所になるのがお嫌だったんでしょう、私が自分に取って代わるのが許せなかったのとずけずけと言う。そんな人ではなかったのに、力を持つと人は変わってしまうのねと実衣は言い捨てて、全成と共にやはり去る。全成は妻と嫂であり御台所である政子の間で、戸惑っているように見えた。

りくは時政に言う。
「頼家様は頼朝様と違って気性が荒く、そして頼朝様に似て女子癖が悪い。いずれ必ずボロを出します。その時が本当の勝負」
ボロを出さなかったらと尋ねる時政に、その時はそう仕向けるだけとりくは答える。そして義時は1人悲嘆にくれていたが、頼時がやって来るのを目にする。

頼時は、頼朝の着衣は肩の辺りが汚れており、つまり馬から落ちた時に手をついていなかったということだと話す。それを考えると、先に意識を失い、そして落馬したのではないか、決して振り落とされたわけではないと言う息子に、義時はよくぞ見抜いたと我が子を褒める。

政子は弟をねぎらい、義時は自分がすることは終わったと言って今までの礼を述べる。政子はその様子を訝るが、自分はこれで鎌倉を離れると言う義時。自分は頼朝のためにこの身を捧げたのであり、最早ここにいる意味はない、頼朝に憂いなく旅立って貰うことが最後の仕事だと思っていたと話し始める。政所は文官に、侍所は梶原殿や和田殿に任せ、また平六(義村)もいるし、それぞれが私欲に走らず頼家を支えれば今後も安泰、北条も五郎も太郎(頼時)もいる、皆で父上を支えればいいと義時。

また鎌倉の中心には、誰とでも隔てなく接することのできる姉上がいると言われ、政子は意外な気持ちだった。さらに義時は、伊豆に帰って米の勘定をする、これからの鎌倉に自分は要らないと言うが、政子は頼家を助けてやってくれと頼む。しかし義時がなおもその場から出て行こうとしたため、あなた卑怯よ、私にすべて押し付けて自分だけ逃げるなんてと、政子は怒りをあらわにする。

さらに政子は、あなたに言われて腹を括ったのだから少しは責任を持ちなさい、頼朝様を支えたようにこれからは私を支えてくれと言って、義時に何かを渡す。それは例の観音像だった。
「鎌倉を見捨てないで。頼朝様を、頼家を」
政子は懇願するかのようだった。義時はその観音像を強く握りしめる。


頼朝が他界し、これによってまとまっていたはずの北条家が、仲たがいを始めます。そもそもは、次の鎌倉殿を誰にするかで時政とりくが、比企に取り込まれた頼家よりも、全成を推したのがきっかけでした。しかし政子が全成の鎌倉殿就任を渋るのには、自分が御台所になるのが面白くないのだと実衣が言い始め、政子と義時は裏切り者呼ばわりされるまでになります。しかし実衣も、自分が思ったことをあけすけに言う性格は変わっていないようです。ちょっとおとなげないかとは思いますが。

実衣があけすけに言う一方で、りくはもう少し抑えた部分があります。頼家が第二代目の鎌倉殿になったところで、気性が荒く女癖が悪いと言い、ボロを出す時を待つ、あるいはこちらから仕掛けてボロを出させると、この駆け引きを楽しんでいるが如きです。そして義時は、もう頼朝もいないからと伊豆へ戻ろうとし、姉政子からここにいて、自分を支えるようにと要請されます。身内が近くにいた方が心強いのでしょうが、政子も御台所である以上、夫がいなくなった後に何をすべきかは考えていなかったのでしょうか。

そして頼家。どうも景時から知恵をつけて貰っていた感があります。そして恐らく、この頼家を一番最初に鎌倉殿と呼んだのも、この景時でしょう。ちなみにひとつ前の回の『武将ジャパン』コラムで、
「こういう懐刀は、庇護する主君がいなくなれば脆い。すかさず頼家に取り入らねば、次なる政争に敗れて破滅が待っています」
という記述がありましたが、これは本当は今回のこのシーンで持ってくるべきものだったでしょう。第25回のあの時点では、景時は頼朝がどうなるかわからなかったはずですから。しかしこうなると、頼家を動かしているのは景時なのか、あるいは能員なのかわからなくなりそうです。

重忠と義盛。頼朝も身内や近しい人々からは慕われていたものの、恨んでいた者もまたいたでしょう。それをオブラートに包むように語る重忠と、ざっくばらんに話したがる義盛のキャラの違いがよく出ています。ところでこの時頼時が2人の話を小耳に挟んでおり、あるいは義時にそのことを伝えるのかと思っていたのですが、さにあらず。頼朝の着衣の汚れからして、既に落馬した時は意識がなかったという推察でした。このシーン、そして予告に出て来る後鳥羽天皇の「繋がった」という言葉に、何やらパペットホームズを思い出します。

ちなみに、パペットホームズのパペットのデザインを手がけた井上文太氏が、三浦一族の画をツイッターで公開していますので、これは今後ご紹介します。またホームズのパペットの大鎧姿も同様に公開されています。

政子が頼朝に持って行った木の実、グミとヤマモモでしょうか。しかし季節は冬なのに、ああいう果実はあったのかなと思います。土肥実平が石橋山から敗走する時は、グミを食べていましたね確か。それと脳卒中で寝たきりの、恐らく手足も動かせない人物があそこまで動けたのかどうか…それはともかく、大泉さんがCMに出演しているヤクルトが、血圧対策のトクホ商品を出していたのをちょっと思い出しました。


飲み物-パブのビール2
[ 2022/07/05 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』新キャスト

先日ちょっとだけご紹介した『鎌倉殿の13人』、完結編のキャストです。改めてリンクを貼っておきます。

【第七次】大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
新たな出演者決定!

登場人物は以下の通りです(出演者敬称略)

のえ(義時の3人目の妻)- 菊地凛子
土御門通親 ー 関智一
平賀朝雅 - 山中崇
初(泰時の妻) - 福地桃子
藤原兼子 - シルビア・グラブ
せつ(頼家の側室) - 山谷花純
つつじ(頼家の正室) - 北香那
トウ - 山本千尋
慈円 - 山寺宏一
源仲章 - 生田斗真

シルビア・グラブさん、『真田丸』に続いての大河出演です。山中崇さんは、『ちむどんどん』の東洋新聞学芸部の多良島デスクですね。生田さんは未だに『軍師官兵衛』を思い出します。

またパペットホームズの声優さんが、2人追加されたことになります。

宮沢りえさん - アイリーン・アドラー
浅野和之さん - ロイロット先生
梶原善さん - ベッポ
堀内敬子さん - ハドソン夫人
迫田孝也さん - マクドナルド警部
そして
関智一さん - ラングデール・パイク
山寺宏一さん - シャーロック・ホームズ、マイクロフト・ホームズ、トビー(犬)、トンガ(猿)、ベイカー寮遊撃隊
(尚三谷さんも声優として、『恐怖の谷』を基にした「ダグラスさんのお屋敷の冒険」のダグラス氏の声を担当)

しかし山寺さんにはやはりナレを担当してほしかったです。状況に応じて声を使い分けるという方法もあったかと思いますし。この人は海外ドラマの吹き替えも好きですね。


飲み物-ビールと夜景
[ 2022/06/12 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第22回「義時の生きる道」あらすじと感想-2

第22回「義時の生きる道」の後半部分です。

後白河法皇が倒れる。丹後局は、南都焼討後に復興され、法皇が開眼供養をした大仏がお守りくださっているとささやく。そして法皇は、守り抜いたと口にし、若い後鳥羽天皇に守り抜かれよ、楽しまれよと言い残して崩御する。その建久3(1192)年7月、頼朝は朝廷に自らを大将軍に任じるよう要求し、征夷大将軍となる。祝辞を述べる政子に頼朝は、御家人どもを従わせる肩書に過ぎないと言うが、日本(ひのもと)の武士の頂とその妻となった嬉しさが2人の顔に溢れていた。

この時第4子を身籠っていた政子は、8月に無事男児を出産し、その子は千幡と名付けられた。後の源実朝である。乳母父には実衣と全成が選ばれた。全成は占いで吉と出たものの嬉しそうではなかった。全成は、自分の占いは半分しか当たらない、寧ろ全く当たらないのならその逆を行けばいいが、半分は一番厄介だと言いつつ筮竹を投げ出す。そして比企家でも、千幡が頼朝の跡を継げばどうなるか、北条家は何をしてくるかわからないと、道が疑心暗鬼に囚われていた。

そして姪である比奈を、頼朝の側女にしようとする。能員夫妻は器量よしで賢いと比奈を頼朝に紹介し、都でも通じるたしなみを身につけさせたいと依頼する。頼朝もそれを受け入れるが、本来頼朝に仕える女性は政子が選ぶことになっていた。頼朝は政子には自分から言うと言い、比奈に京の香を与えようとする。しかし実衣からこのこと、しかも頼朝が比奈に惚れ込んでいると聞いた政子は、頼朝が双六の手ほどきを比奈にしてやっている部屋へ行き、比奈を下がらせる。

頼朝はその場を取り繕うように、比奈は義時にぴったりだと言う。政子もそれに同意し、比企と北条の懸け橋になってくれると期待する。とんとん拍子に話が進むのは気持ちよいと言って出て行く政子だが、笑顔を見せていた頼朝は、彼女が出て行くと浮かぬ表情になる。しかし義時は後妻を貰うつもりはない、この館で息子と生きて行くと言い、比奈の気持ちを尋ねる。比奈は答える。
「私は周りに言われたことをするだけ。自分の思いで動いたことなどございませぬ」

義時は、以前八重に同じことを言われたのを思い出したと言い、
「しかし八重は、いつも最後は自分の思いを貫き、そして…」
とまで話して言葉を詰まらせ、比奈に帰るように勧める。比企家では比奈が、御台所がいる限り頼朝はだめだと本音を打ち明け、能員が義時の話を持ち出した時も、色恋にしつこいという噂があると言い出す。道は「むっつり」、比奈は薄気味悪いとそれぞれ言い、この話はしばらくお預けとなる。

義時は金剛と安達家に来ていた。金剛は盛長の子弥九郎に押され、けがをしていた。押されるようなことをしたのではないか、先に手を出したのはお前だなと尋ね、その理由を問うが、金剛は言おうとしなかった。その金剛に義時は、言いたくなければ言わなくてもよいが、どのような訳があっても自分から手を出すな、お前は北条の一族であり、北条はどの御家人よりも立場が上で、慎み深くあるべきだと諭す。

そこへ安達盛長が弥九郎を連れてくる。弥九郎は体格のいい子供だった。義時の方から頭を下げたため盛長は恐縮し、けがの様子を聞かれてかすり傷であると答える。義時は謝罪の品を差し出し、盛長はさらに恐縮する。そしてその場を去ろうとする義時に、盛長は「皆待っておりますぞ」と声をかける。

御所に戻って来てくれという意味だった。義時は無言のまま片手で金剛を抱き上げ、外へ出て行く。そこへ鶴丸がやって来て、金剛は自分を守ってくれたと言う。弥九郎が孤児の鶴丸をからかったため、金剛が殴ったのだった。義時はもう一方の手で鶴丸を抱き上げ、夕餉にしようと館に戻る。

翌建久4(1193)年、曾我十郎と五郎は時政に父の敵討ちとして、工藤祐経を討つと打ち明ける。かつて工藤祐経は伊東から追い出され、祐清を殺そうとして息子の祐泰を殺してしまっていたが、その祐泰が兄弟の父だった。祐経は頼朝の覚えめでたい人物だったが、時政とりくはこれに賛成する。時政は五郎の烏帽子親でもあった。しかし時政の館の庭に善児が入り込み、そのことを聞いていた。

頼朝は巻狩りをしたいと考えていた。大将軍就任を祝って盛大にやりましょうと、足立遠元もこの考えに同意する。万寿の披露目の場でもあり、御家人たちに武芸で名を上げさせる目的もあった。場所は富士の裾野が選ばれ、時政が仕切ることになった。そして、政所で年貢米の整理をしている義時にも声がかかることになる。

その頃比企館を岡崎義実が訪れていた。曾我十郎と五郎も一緒で、育ての親が幼なじみの曾我祐信であると紹介する。しかし、なぜ自分に敵打ちのことを話すのか能員は訝る。そこで兄弟は、この敵討ちでは頼朝も狙うこと、伊東祐親の恩を仇で返したのがその理由だと言い、さらに征夷大将軍を名乗りながら、最早戦は怒らぬ、文官ばかりが出世すると不満をぶちまける。

義実もこれでは平家の頃と変わりないと言い、五郎は頼朝に近い者だけが得をする、理不尽だと吐き捨て、我らと共に新しい世をと能員に訴えるが、能員は何も知らない若造が知ったような口を叩くなと諫める。さらにここまでこれらたのは鎌倉殿のおかげだい、お前らだけで何ができると叱るが、彼らは既に20名ほどの手の者を揃えていた。

その20名というのは北条の兵だった。時政には祐経への仇討ちのことしか教えていなかったのである。能員はこれは十中八九失敗する、すると関わった者も処罰され、北条は終わりだと道に言う。もし敵討ちがうまく行っても、寧ろそちらの方が都合がいい、その時は万寿が跡を継ぎ、要はどちらに転んでも比企は安泰ということだった。

二階堂行政は調べ物をしている義時に、あんたがいるとやりにくいと、出て行くように仄めかし、梶原景時が呼んでいると言う。景時は、再び御家人たちに謀反の気配があると伝えに来たのである。本来それは侍所別当の和田義盛の案件だが、その謀反の企ての中には曾我十郎、五郎の名前もあった。心当たりがあろう、五郎の烏帽子親はそなたのお父上と景時は言い、父が関わっているのかとの問いに景時はうなずく。


まず義時ですが、北条は御家人の中でも立場が上と言いつつ、後妻を娶る気はないと比奈に言います。この時点では義時が北条の家督を継ぐかどうかははっきりしないまでも、後々のことを考えれば、後妻の間に男児を儲けたほうがいいのではと思われます。あるいは比企とのつながりができることに、義時としてはあまり乗り気でなかったのかも知れません。

それからこの会話で、義時は最初は「妻」と言い、次は「八重」と言っています。比奈ちゃんが奥さん=八重さんということを知っていたのなら、これで話は通じるでしょう。しかしそうでない場合、まず八重と言いかけて妻がと言い直した方が、それらしい雰囲気は出るように思います。あとお詫びの品を安達家に持って行くというのは、何やら江戸時代が舞台の時代劇のようです。

ところでこの比奈、能員と道の姪ということになっています。ちなみにこの2人の娘が若狭局で、頼家の側室となります。しかし「むっつり」というのは、「むっつり助平」のことでしょうかね。さらに薄気味悪いだの散々な言われ様ですが、あまり感情を出すタイプでもなし、何を考えているのかわかりづらいのでしょう。しかし堀内敬子さん演じる道、声の感じが段々と、パペットホームズのハドソン夫人の、「毎日クッキーを焼いてあげる」のイメージに近づいています。

曾我兄弟の敵討ちが、現実のものとなって行きます。しかし確かに能員の言う通り、お前たちだけで何ができると言えますし、仮に頼朝が殺されて彼らが政権を取ったら、朝廷が黙っていないでしょう。その点能員はなかなか強かです。この場合、寧ろ問題は時政の方なのですが…。しかし梶原家の家人になって以来、善児の仕事が暗殺者に加えてボディガード、そしてスパイと徐々に増えています。

さて朝廷といえば、後白河法皇崩御です。大天狗と言われますが、ああでもしないとこの乱世の中、朝廷の存在を示すこともできなかったでしょう。ちなみに法皇の東大寺の開眼法要ですが、これは壇ノ浦の戦いが行われた元暦2年=文治元(1185)年のことです。

あと、頼朝が将軍宣下を受ける時に着ているのが束帯です。本来は裾飾りをつけて太刀を佩き、帯を締めるのが束帯で、それらをつけない服装は、衣冠と呼ばれていました。公家が、帯を締めない黒の袍を着ているシーンをこの大河でも見かけますが、そのような格好は、この衣冠に当たります。


飲み物-グラスに入った黒ビール
[ 2022/06/07 00:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第20回「帰ってきた義経」あらすじと感想-1

『鎌倉殿の13人』第20回「帰ってきた義経」前半部分です。


文治3(1187)年平泉。山伏姿の義経は平泉に戻って来た。藤原秀衡は、義経を送り出した時兵を挙げるべきだったと後悔する。しかしそれを実現するには、奥州の存在は重かった。代わりにお前が日本(ひのもと)一の英雄になった、これほど嬉しいことはないと言う秀衡に、義経は涙を流す。

一方このことは鎌倉にも知らされており、義経と秀衡が組めば強大な敵となるのは間違いなかった。義時は、義経が奥州へ行ったことに腹を立てていた。

大姫はようやく笑顔を見せるようになっていた。しかし弟の万寿が、蝉の抜け殻を見せたことで義高を思い出し、その場を離れてしまう。政子はそういう娘を案じていたが、頼朝はその大姫を入内させることを計画していた。大姫と後鳥羽天皇は2歳違いだった。

平泉の秀衡は余命いくばくもなかった。泰衡を後継者にした秀衡は、自分の妻とくを側室腹の国衡に娶らせ、そして義経を大将軍に任命する。家族と義経に支えられて外に出た秀衡は、秋深い平泉の景色を見ながら、もう少し時間があったら鎌倉に攻め込むと言って息絶える。

文治5(1189)年閏4月。義時は、慎重派の秀衡の死による平泉の不安定化を憂えていた。そこで平泉へ行って義経を連れ戻すと頼朝に願い出る。頼朝の返事は、任せるが生かして帰すな、但し自分では手を下すなというものだった。泰衡と国衡は仲が悪く、2人の間を裂き、泰衡を焚き付けて義経を討たせるようにと頼朝は命じる。それこそが、鎌倉が奥州に攻め込む大義名分であった。

「あくどいよのう」と頼朝は言いつつも、鎌倉の敵を一掃しないと戦は終わらない、新しい世を作るためだとも言う。帰館した義時に金剛が飛びついて来る。館では子供の数が増えていた。彼らの面倒を見る八重に義時は、明日から秀衡の供養として奥州へ行くと告げる。しかしその旅には、梶原景時の命を受けて善児が同行することになった。

平泉では泰衡が、父の遺言に従い義経を渡さぬと言う。そこへ国衡が、欲しければ力ずくで奪えと言い、泰衡は兄上は黙るようにと言い渡す。しかしその国衡は、今は泰衡の義理の父となっていた。泰衡は、義経は鎌倉殿に刃向かう気持ちはないと言い、農作業をしている義経を見せる。義経は農作物を荒らすコオロギを追い出すため、虫送りの儀礼ではなく、煙でいぶり出す方法を考えていた。

平家と戦った自分が、今はコオロギ相手に戦っていると話す義経。その義経には里のみならず、幼い娘もいた。2人が下がった後、義時はなぜ奥州へ行ったのかと義経を問いただす。義経はもう戦はしないと言うものの、平泉に手を出したら、鎌倉が灰になるまで戦うつもりだ、兄上にそう伝えろと半ば脅すように義時に言う。

義時は善児に、農作業のことはまことかと尋ねる。元が百姓の善児は、爪の間に泥があるから間違いはないと言い、やっちまいましょうかとまで言うが、余計なことはするなと義時は制する。その後義時は、義経に静のことを話す。義経が京を去ってからまもなく、吉野から鎌倉入りしようとしていて、時政の軍に捕らえられたのだった。

三善康信から尋問されても、静は知らぬ存ぜぬを繰り返し、義経は雲の上の人だと言う。そんな静を見たりくは、静の座り方から腹に子が宿っていることを見抜く。その父は多分義経である、だから名乗らない、それで繋がったとりく。頼朝は子が男児なら由比ヶ浜に沈めるように言う。一方政子や実衣は、鎌倉は危険だから出て行くように静に進めるが、静は、自分は静御前でないと答える。

その場に控えていた比企能員の妻道は、こんな女は守ってやる必要はない、義経には自分の一族出身の正室がいる、あなたは側女だ、九郎殿から捨てられたのですよとびしびしと言う。政子はこの人は静ではないと言うが、その時静は言った。
「いえ、私は静です」
また子供の父親は義経であると明言して立ち上がり、御所中に自分のことを触れ回り、さらにこうも言った。
「信じていただけないのなら、証しをご覧に入れましょう」

静は舞を披露することにする。あなたは身勝手だと言う義時に、生まれた子が殺されたら自分も死ぬと言う静。義経がそれで喜ぶかと義時は怒るが、大姫はもう人が死ぬのは見たくないと言う。こうなったら偽者のふりをして、わざと下手に待ってくれと義時は頼む。御曲は畠山重忠、工藤祐経、そして三浦義村の御家人たちが担当することになったが、釣太鼓担当の義村は、音曲そっちのけで静御前の方に興味があるようだった。

静香はわざと下手に舞い、頼朝や全成をがっかりさせる。その拙い舞を舞っている最中、彼女は義経から言われたことを思い出していた。
「生きたければ黙っていろ」
そして彼女はこう歌う。
「しづやしづ、しづのおだまきくり返し、昔を今になすよしもがな」


義時の意に反し、義経が平泉へ戻ります。秀衡は彼を大将軍に任じ、彼のもとで力を合わせるように言い、不仲の泰衡と国衡を案じて、国衡に自分の妻を娶らせ、義理の父とすることでことの解決をはかろうとします。実際公家出身の母を持つ泰衡よりも、側室の子である国衡の方が評価されていました。
このため国衡を泰衡の義理の父とすることで、兄弟間の不和を緩和しようとしたとされています。またこうすることで、とくの父である藤原基成が義父となるため、後継者ではないと言え、国衡の立場もかなり強くなるという、ある意味苦肉の策とも言えるものでした。

その泰衡を取り込み、義経を討たせて奥州征服の足掛かりを作ろうとする頼朝ですが、流石にこのやり方はあくどいと、自分でもわかっていたようです。無論その後、戦乱が続いてもっとあくどいことをする時代も来るわけで、武士の政権というのは特に、そういうあくどさを内包していたとも言えそうです。義経の方も、平泉に手を出すなと言うわけですが、鎌倉が灰になるまで云々は、『太平記』の「鎌倉炎上」を思い出させます。

そして大姫、今回から南沙良さんです。この人は朝ドラのヒロイン向けの顔だなと思いますが、それはさておき。この大河の大姫の描かれ方については、ここのところかなりの頻度で書いていますが、ここでも急に蝉の抜け殻が出て来たりで、言っては何ですがどうも場当たり的というか、彼女が義高を今なお思っているという、意志の強さがあまり見えないのです。あと江間の館は保育園のようになっていますね。

それと義経、何やら農作業姿が様になっていますね。このまま余生を送ることができたら、それはそれで充実した人生だったと思われますが、何せこの人物が生きているということ自体が、奥州と鎌倉の間の軋轢を産み出している以上、それは残念ながら難しいようです。

そしてりくの
「繋がった」
何やらパペットホームズの、ホームズが推理する時のセリフを思い出してしまいます。あの人形劇では、宮沢りえさんは保健の先生のアイリーン・アドラーの声担当でした。そして比企能員の妻道を演じる堀内敬子さん、こちらはハドソン夫人でしたし、奥州に同行するのがこの人かと思いつつも、ボディガードとしては頼もしいかも知れない善児を演じる梶原善さん、石膏像を壊したベッポが懐かしいです。


飲み物-ビールと夜景
[ 2022/05/23 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

小檜山氏のツイと壇ノ浦合戦回

毎度のように小檜山氏、すなわち武者さんのツイートを持ち出してすみません。きりがないのでそろそろ区切りをつけたいと思ってはいます。

で、今回はこちらのツイです。
「そうそう。で、八重松陰が大河主演で、花燃松陰が逮捕と…」
こちらは他の方へのリプで、『八重の桜』の出演者関連でスレッドが形成されています。無論小檜山氏のことですから、好きな作品の登場人物は褒め、嫌いな作品の登場人物はけなしています。

それはともかく、この「大河主演の八重松陰」ですが、八重と主演作品、つまり『鎌倉殿の13人』の間にもうひとつ出演した大河があります。『西郷どん』です。こちらでは坂本龍馬を演じていましたが、小檜山氏は嫌いな作品だからだんまりのようですね。実際あの時の龍馬のイメージが、今の髪を下ろした時の小栗さんにどことなく重なるのですが。

そして何よりも、先日放送された『プロフェッショナル 仕事の流儀』で、小栗さんは主演に関して「断る理由がない」と語ったうえで、大河主演に関してこう述べています。
「(『西郷どん』の)鈴木亮平くんは、とにかく自分の人間力というものが、ものすごく大きくなる参加だと思うという話はしていた」
「背負うものも大きく、常に自分の人間力を試されているような気がする現場だったって話をしていた」
鈴木さんの言葉も、小栗さんが主演のオファーを受けるその一因となったようです。

そして「花燃松陰」が逮捕などとありますが、小檜山氏がほめていた『いだてん』前半部分でも、コカインで逮捕された出演者がいましたし、そして何よりも、『麒麟がくる』で当初帰蝶を演じる予定だった女優さんも、麻薬所持で逮捕されていますね。この辺りはどう考えているのでしょうか。

しかしツイでは、嫌いな作品叩き(特に『青天を衝け』と『カムカムエヴリバディ』)が凄まじいです。それも、叩く理由が正鵠を得ているのならまだしも、とにかく嫌いだから叩きたいといった雰囲気です。そう言えば以前歴史改竄した大河は嫌いだと言っていましたが、恐らく歴史を改変(改竄ではなく)していない大河などまずないでしょう。

ところで『鎌倉殿の13人』、明日は壇ノ浦の戦いです。いよいよ義経が平家を追い詰めて滅亡させるわけですが、これを巡って義経と景時が対立することになるのでしょうか。この両者を「アマデウスとサリエリ」になぞらえた記事がありました。個人的にはホームズとモリアーティ、特に(ちょっと生意気な)パペットホームズのホームズと、モリアーティ教頭のイメージもあります。

しかし平家を追い詰めるのはともかく、なぜ平家がそこまで追い詰められたか、平家の権力によって彼らはどのような不利益を被ったのか、そういった描写がやはり弱いような気がします。先日の投稿で触れた義高の脱出と逃走、さらには上総広常謀殺に先立つ御家人蜂起などに、尺を割くなとまでは言いませんが、やはりその尺の一部で他に描くべきものはあるでしょう。平家に関する様々なこともまたしかりです。

飲み物ーアイスカフェオレ

[ 2022/05/08 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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