では『武将ジャパン』大河コラム関連その1です。今回は主に目に留まった部分を拾うようにしていますが、それでも突っ込みたくなる部分が多いですね。
ますは出だしから。
頭部の毛を剃り、家康が月代にしています。
磯氏がチーフプロデューサーの大河ドラマは、なぜ服飾に過剰な意味を持たせるのでしょう。
覚悟を決めたように剃った。そう思えて、月代の在り方に誤解が生じませんかね?
さっさと髷を結えばいいのに、なぜか垂らしたままで話す家康もマナー違反に感じられてなりません。
おまけにヘアメイクをしているとはっきりわかるのは、現場の士気が低いからでは?とも勘繰りたくなります。
実際この時は築山事件も終わり、信長の家臣になるということで、一同恭順の意味もあって、ある意味覚悟を決めて月代にしたと思われます。これは先日の投稿でも書いていますが、この回で様々な変化が起きているわけです。
そして「垂らしたまま」というのは、後ろで束ねている髪型(たぶさ髪)と思われますが、あの当時はああいう髪型も存在しており、そのことすなわちマナー違反となるのでしょうか。
それと
「おまけにヘアメイクをしているとはっきりわかるのは、現場の士気が低いからでは?とも勘繰りたくなります」
「ヘアメイクをしているのがわかる」も何も、ドラマならそれは当然でしょう。何かにつけて、現場の士気が低いと言いたくてたまらないように見えます。
◆“松本潤×有村架純”の神回は紀行までも秀逸(→link)
理解できないのは、私のような邪教徒クソレビュアーってことですね。
素直に観ていれば、あの回であの紀行を持って来たのは大いに納得が行くと思います。
余談ですが、現在、炎上中である以下の記事を読みながら、
◆【ガチゆえに】タリーズの店員さんに「自腹で飲むくらいオススメのドリンク」を聞いたらスタバと対応が違い過ぎて心が折れた(→link)
『どうする家康』のことを思い出してしまいました。
80年代で止まったサブカルセンスで作っているという共通点がありませんか?
ナウなヤングにバカウケ!
これツイッターでもありましたが、この記事を企画したロケットニュースの記者が謝罪し、当該記事を削除しています。恐らくこのコラムがアップされた時点では、まだそうではなかったのでしょうが、要は「事前許可取り無しのガチ企画」を謳っていたわけですね。
しかしこれと『どうする家康』がどう結びつくのでしょうか、
「80年代で止まったサブカルセンスで作っているという共通点がありませんか」
単に武者さんがそう思っているだけかと。と言うか、目につく物何でもかんでも、家康叩きのネタに利用していないでしょうか?
地図があまりに雑すぎます。
わじゃわじゃした図面が生理的に気持ち悪い。
進軍というより害虫が這いずり回っている様にも見えてしまう。
こんなところで奇をてらう必要など全くないでしょうよ。コーエーテクモゲームスさん並のクオリティでなくても、せめて普通に見られる地図にして欲しい。
「生理的に気持ち悪い」
ならば観なければいいのでは?
「害虫が這いずり回っている」
害虫と一口に言っても様々ですが、ああいう二等辺三角形の害虫ていますか?
「普通に見られる地図にしてほしい」
十分普通に見られています。
今川氏真の時も思ったのですが、本作は、敗走時の将兵が、紛れるとか隠れるとか、そういう発想が一切ない。
あんな真っ赤な陣羽織を着ている武田勝頼では愚かにしか思えません。
そして勝頼のセリフがおかしい。
自分で「信玄が全てを注ぎ込んだ至高の逸材」とか言いますか?
勝頼は既に覚悟を決めているからこそ、紛れも隠れもせず、堂々と敵に立ち向かったのではないでしょうか。何よりも、穴山信君改め梅雪が、諏訪大明神のご加護をと言っているわけで、彼が少ない手勢を連れて、決死の覚悟で臨んだことがわからないでしょうか。
それと
「信玄が全てを注ぎ込んだ至高の逸材」
と言うのは、
「そなたは、わしの全てを注ぎ込んだ至高の逸材じゃ」
と、第19回で信玄自身が言っているわけで、 その父の思いを無にしたくなかったというのは、十分考えられます。
今回で退場となる眞栄田郷敦さんについては、磯氏が起用理由を熱く語っておりました。
◆「どうする家康」“新・勝頼像”に眞栄田郷敦「運命的」CP語る起用理由「風林火山」千葉真一さんとの縁も(→link)
(中略)
私は、眞栄田郷敦さんの父である千葉真一さんの大ファンです。彼の逸話を見ていて、興味深いと思えたことは確かでした。
しかし、それを『どうする家康』に露骨なまでに落とし込んでいるのがわかって、思わず眉間に皺が寄ってしまいました。
インタビューで磯氏は勝頼に関する新説だのなんだの、持ち出しています。
確かに勝頼暗愚説は否定されています。
ただし、その際に触れられる要素としては、勝頼には信玄の残した負の遺産がのしかかっていたことがあげられます。
そういう要素は全く触れず、義信の名前すら出さず、信玄が最初から勝頼を寵愛していたように描いたのが『どうする家康』です。
信玄の負の遺産、長篠の戦いの回でも、勝頼は父信玄が勝ち目のない戦はしなかったこと、だから天下を取れなかったと口にしていますし、そもそもなぜここで出し抜けに武田義信が出て来るのですか?
そして最後に諏訪大明神と梅雪が口にしたことから、本来は諏訪家の人間であることが察せられそうなものですが。あと嫡男扱いでもありませんし(当初字幕で嫡男と紹介されていたものの、後に削除)。
で、その後眞栄田さんと父千葉真一さんに重ね合わせているとか、視聴者が演者とドラマを重ね合わせるように意識しているとか、海外ではそういうことはやらないとか。そういうのはこのコラム以外でやって貰えませんか。それよりもここでなぜ「諏訪」について書かないのか、その方がよほど不思議です。
それに案の定こういう記事では、世間の勝頼ファンが今回の大河に感じている不快感は無視しますよね。
武者さんは案の定世間の勝頼ファンの意向を無視していると書いていますが、では 世間の勝頼ファンが感じている不快感とは何か、具体的に説明して貰えますか?
おまけに瀬名の馬鹿げたカルト慈愛の国抗争をぶち壊したせいで、卑劣で、戦うことしか知らない愚か者のようにされた。
なぜ、これほど武田勝頼を下げて描いたのか。
そのくせ『真田丸』とは違って斬新だのなんだのネットニュースが騒ぐのですから、頭を抱えたくなるばかりです。
『真田丸』の勝頼は暗愚ではありません。
少なくとも今回の下劣な勝頼よりずっと気品に溢れていて、勝頼役の平岳大さんも二世俳優ですが、前面に出すことはありませんでした。
あの時なぜ勝頼が「おなごのままごとに付き合っていられない」と口にしたのか、やはり理解していないように見えます。そして『真田丸』とは違う描き方なのは当然ですから、何も頭を抱える必要もないはずです。
また磯CPが眞栄田さんの父、千葉真一さんのことを持ち出したのは、『風林火山』での縁があったというのを記事の中で語っているだけで、二世であることを、この大河では そこまで前面に出していないと思いますが。
尚眞栄田さんといえば、『ノーサイド・ゲーム』のアストロズのゴールキックの名手、七尾選手を思い出します。
結局『どうする家康』って、適材適所というより、話題性だけでキャステイングしていませんか。
その点、眞栄田郷敦さんも被害者。
役者の親の死を、あんな風に扱われて、あまりにも心無い作り方です。
もしも民放がこういう暴走時代劇を作ったら、笑い者になって終わるだけだったのに、よりによって大河で……。
妄想じみているなと考えざるを得ませんが、武者さんがそう思いたいならそう思っていればいいでしょう。私は共感しませんし、何よりもこういうレビューの場でそれを書くかとは思いますが。
大久保忠世の桃色がどうにも受け付けない。
『麒麟がくる』の朝倉義景が紅梅を思わせる色合いなら、こちらはスイカバー。
いかつい男(自称・色男)にピンクを着せてウケ狙いをしているんですよね?
そしてわざわざスイカバーの画像までアップしていますが、スイカバーの色は赤と緑、そして色男殿の服装は柘植伊佐夫氏によればインド茜で染めているとの由。.
帯にかなり濃い色を持って来ていますね。
さらに、井伊万千代の赤と黒の横縞甲冑はなんでしょう。
こちらは殺虫剤あたりのパッケージを連想させますが……はて、なんだったかな。画像の引用は避けておきましょう。
万千代の場合、まだ井伊の赤備えの時代ではありませんから、ああいうのを着けていても別に不自然ではありません。
本作は、イメージ像を描くのが本当に稚拙だと思います。
『鎌倉殿の13人』の作画担当者が歌川国芳と、月岡芳年ら国芳一門の弟子一同ならば、『どうする家康』は何と言うか……“いらすとや”とワードアートを用いたチラシのようなセンスと申しましょうか。
イマジナリー信玄にしても全くダメ。それでも家康より信玄のほうがマシに見えるのはどうしたものか。
一体全体何を基準にして駄目だ駄目だと書くのか全くわからないのですが。
自分の思い込みだけで書いているから、説得力がかなり乏しくなっているようにしか思えませんけどね、イメージを描くのが稚拙云々より、このドラマに合った人物像を作り出しているわけだから、それはそれでいいと思いますし、それでも嫌だと言うのであれば、この大河の「レビュー」をやめた方がいいのではないかと思います。
生憎武者さんにそういう潔さは感じられないし、このコラムの最後の方でも、大河が好きだからなどと書いていますが、本当に好きな人ならこういう叩き方はしないでしょうね。
このドラマは、遺体損壊が好きですよね。
明智光秀に、勝頼の首をいたぶるようなゲス発言をさせて、家康を持ち上げる。
そんなことをしないと家康の魅力を引き出せないということでしょうか?
光秀って、残された逸話から察するに、そういうことをしない人だったはずで、要は『麒麟がくる』の逆張りをしたいだけですよね。
来ましたか、「遺体損壊」
首を取るという意味であれば、武者さんが好きな大河でもそれは同じだったはずです。
そして
「光秀って、残された逸話から察するに、そういうことをしない人だったはずで、要は『麒麟がくる』の逆張りをしたいだけですよね」
そういうことをしない人だったはずであっても、完全にそういうことをしなかったかどうかは言い切れないかとは思います。結局のところ「遺体損壊」がどうこうと言うより、光秀にそういうことをさせるのが嫌なのでしょう。
このドラマを批判する側は、想像力不足で「史実」にうるさい連中だというニュースが出ています。
◆「史実からかけ離れたファンタジー」なのか?繰り返される大河ドラマの史実問題…それでも『どうする家康』が“ナシ”とは言い切れない理由(→link)
記事タイトルに二度も「史実」という言葉を入れ、まるでそれだけに固執しているかのような印象。
何かと思ったら「現代ビジネス」でしたか。それはともかく、この記事中にあるように「要所の辻褄は合っているわけ」ですから、そこまであれこれ言う必要もないと思いますけどね。
史実にこだわる頭の固い連中が喚き散らすだけで、実は面白いドラマなんだよ、とでも誘導されていますよね。
違います。とにかくドラマとして陳腐な上に、配慮に欠けるシーンが多いから、心底受け入れられないのです。
その「配慮に欠ける」とは具体的にどういうことですか? 生首を見せるなということですか?しかし見せなかったら見せなかったで、また武者さんあれこれ言うのではないでしょうか。
第一このコラムそのものが、キャストやスタッフを叩きまくっているのに、そういう人に「配慮に欠ける」と言われても、今一つ実感がわきません。 そして若者や女性には受けているという誘導が好きだ、しかしその若者像は平成で止まっているのなんだの。何を持ってそう言い切れるのか全く不明です。
あと第25回でなぜ寺島しのぶさんのナレがなかったか、これも残念ながら武者さんは分かっていないようです。
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