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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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再び小檜山氏の朝ドラnote記事とツイートに思うこと

以前の投稿で書いたことですが、小檜山青氏の朝ドラ関連のnote記事についてです。この記事で、実際の放送回と記事のナンバリングが食い違っている件でしたが、その後再びコメントを頂いています。こちらのコメントによると

小檜山氏は第85回のレビューを書かないまま第86回のレビューをアップしている。しかし第86回のタイトルで第86回のレビューを上げているため、表向きナンバーに齟齬を来たしてはいない。

となっています。しかしながらその一方で、

その後、第86回から第113回までのレビューのナンバーを1つずつ繰り下げている。このため本来は第86回から第113回のレビューであるにも関わらず、記事タイトルとしては第87回から第114回となっている。しかし第114回のレビューはアップされておらず、元々「第114回」となっていた第115回レビューを本来の「第115回」と表記することで対応している。
しかし第86回から第114回までを1つずつ繰り下げたため、当該レビューは実際の放送回との1つずつずれる格好になった。なお、第115回以降のレビューについては、やはり食い違いがあったが、ナンバリングし直している。

つまり第114回(杉並のちむどんどん再開の回)のレビューは元々なく、今ある第114回は第113回の内容であり、第115回から本来の形に戻っているわけです。ちなみに当該記事を2022年9月30日にざっとチェックしましたが、やはり1つずつズレたままのようです。一応有料記事を書いているのであれば、こういう点はどうにかしてほしいです。今からでも飛ばした分のレビューをアップし、もう一度きちんとナンバリングするべきでしょう。

そして小檜山氏または武者震之助さんの記事の多くに言えることですが、レビューと名乗ってはいるものの、その実ドラマの内容にかこつけた自説主張に見えますし、個人的な好き嫌いに偏っているふしがあります。そのため本来書くべきことが書かれていない、あるいはいくらかデフォルメされて書かれているといった事態が散見され、その意味では言葉本来のレビューとはかなり隔たりがあります。

これは前に書いたことがありますが、個人の方のブログで、『八重の桜』について書かれていたのを見たことがあります、正直な話、そちらの方がよほど「レビュー」にふさわしく感じられました。

またこれは、先日の大河コラム関連でも書いていますが、「オンベレブンビンバ」の意味を、放送前に推測していた人が多いことについて、武者さんは

SNSでそういうことを呟き、誰かにハマれば拡散され、自己承認されたようで気持ちがよいでしょう。
しかし、そこが危険な気がするのです。
「オンベレブンビンバ」は、話の中身を理解するうえでさして役に立ちませんよね。
SNSではドラマをネタにしたハッシュタグも多く、画面写真を貼り付けた大喜利状態にもなっています。

と書いていますが、私はこれに対して、皆楽しんでやっているのだから、別にいいのではないかと書いています。

ところが今日の小檜山氏名義のツイにはこうあります。

https://twitter.com/Sei_Kobeee/status/1575700661580156928
ドラマなり趣味が一致しなければ「そっか、あわないんだね」でいいと思う。なんで冷笑しながらリプライして「このよさもわからないんですかぁw」みたいな態度をとられなくてはならんのか。

「そっか、あわないんだね」で済ませられるのなら、小檜山氏=武者さんも、自分が好きでもないことを、わざわざ大河コラムで書くこともないと思うのですが―と言うか、最初からスルーすれば済む話なのですが。どうしても書きたければ、こう言うのを色々推測している人たちもいました程度でいいでしょうし。また自分に関係のないリプなら、放っておくなり、それでも絡んでくるならミュートするなりしてもいいのですが。

note記事やコラムのみならず、小檜山氏名義のツイもまた自説主張、さらには自分と相容れない意見への反発に見えます。何よりも明らかなのは、『青天を衝け』と『カムカムエヴリバディ』が好きでないこと、そして、有名企業の創業に至るまでを描いた朝ドラが気に入らないこと、この2点でしょう。

ただし朝ドラの場合、後者に該当する人物がモデルになるケースは多く、ドラマのレビューを書きたいのであれば、好き嫌いは封印するべきかと思います。別にNHKも、小檜山氏の好き嫌いに合わせて朝ドラや大河を作っているのではないのですからーと言うか、好き嫌いでドラマを判断するのなら、もう有料記事を書くのは止めるべきですね。


飲み物-カクテルとオイルランプ
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[ 2022/10/01 01:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『ちむどんどん』最終週の前のあれやこれや

まず先日ご紹介した分の、1日前の小檜山氏の記事です。(大河関連は次回以降になります)

https://note.com/54seikobi85/n/n0157657c7446
『ちむどんどん』第117回 ちむどんどんし続けることが大事

コメントで指摘していただいていますが、実際の放送回と2回分のずれがあり、この回は本当は第119回です。で、この記事なのですが、

暢子は「和彦くん」といまでも夫を呼ぶんだなと改めて思ったり

この点ですが、私としてはプライベートな関係であればまだしも、お姑さんにまで「和彦君が」と言うのは正直ちょっと解しかねます。

あと、

和彦は反省会界隈からありえないほど無能だと罵倒されていますが、無能有能はさておき、特殊な人物ではある。フリーランスだから東京にこだわらなくてもいい。重子と同居しないことを選んだのも、ここにつながってきます。夫としてやんばるに住んでもいいわけよ。

この和彦がやんばるに住むことに関しては、先日の投稿でも触れています。まだネットも一般に普及せず、しかも東京の出版社から原稿を依頼されているにも関わらず、距離のある沖縄、それもやんばるに住もうとし、しかもそのデメリットを考えないという点に、疑問を持つ人は多いのではないでしょうか。場合によっては、和彦は連載を打ち切られてもおかしくないと言えます。

またこの和彦はフリーライターではありますが、仕事をしているシーンがきわめて限られていますし、そういう点もまた、ライターとしての彼に疑問符がつく一因とはなっているでしょう。

しかしこのように書くと言うことは、やはり小檜山氏は、自分と異なる意見が多い反省会の存在を、かなり意識しているようにも見えます。かと言って小檜山氏の意見が絶対的なわけではないのだし、人それぞれでいいとは思いますが。

では本題に行きます。
「ちむどんどんできるか」という小見出しで、このような記述があります。

そんなわけで、やんばるに戻る決断というラストへ向かうわけですが。極めて慎重に、2022年らしくしているわけさ。優子の面倒を見るという親孝行でもない。和彦がやんばるでライフワークを完遂したいからでもない。地方で生まれた女性である暢子が、自分がちむどんどんするか、そこで決めています。

まず
「極めて慎重に、2022年らしくしているわけさ」
などとありますが、この朝ドラの今現在の時代設定は1984年であり、2022年から40年近く前なのですが…。

それからこの少し前の方で
「フリーランスだから東京にこだわらなくてもいい」
「夫としてやんばるに住んでもいいわけよ」
とあるのですが、ここでは
「和彦がやんばるでライフワークを完遂したいからでもない」
となっています。どこか食い違っていますね。

また
「地方で生まれた女性である暢子が、自分がちむどんどんするか、そこで決めています」
「朝ドラもここまで到達しましたね。いや、近年の朝ドラの流れかな。女性が自分の意思で人生を決める。そういう流れがきっちりある」
と言うことなのですが、これもおかしな話です。

まず暢子が、ちむどんどんするかしないかを判断基準としている点ですが、それと「女性が自分の意思で人生を決める」のは違うのではないでしょうか。暢子の場合は極めて感覚的なものであり、周囲のことを顧みず、自分がちむどんどんすればそれでよしとしているわけで、如何にも身勝手で子供じみた基準でしかありません。それと「近年の朝ドラの流れ」と言うのであれば、あれだけ叩いた『カムカムエヴリバディ』も『まんぷく』も、女性が自分の意思で人生を決めたということでいいのですね。

それと「地方で生まれた女性である暢子が、自分がちむどんどんするか、そこで決める」と言うよりは、「沖縄(またはやんばる)で生まれた女性である暢子に取って、ちむどんどんできるかできないか、それもまた重要な決め手であった」とでも書いてほしいです。

そしてこの後も反省会が登場しています。この反省会の存在、または嫌いな朝ドラor大河の存在は、ご本人にはかなり心理的負荷となっていて、このnoteや大河コラムでの反発につながっているように見えますが、そこまで敵視することもないかと思います。何よりも、好き嫌いで価値を決めたがる小檜山氏または武者さんの姿勢もまた問題です。

それと前出の時代設定ですが、この朝ドラは、離婚歴があるもののまだ付き合ってもいない清恵に、なぜそのことを隠していたと賢秀が詰め寄る一方で、和彦が沖縄でも仕事はできると、まるで今の時代のようなことを言ってみたり、設定基準がかなりあいまいであると思われます。清恵が、離婚歴を黙っているのが責められるのが当時の価値観であるのなら、和彦も、沖縄には行きたいが東京から離れている、仕事をどうするか問題だなどと悩むシーンが欲しいところです。

もうひとつ、暢子の出産シーンについて。まず破水、それから病院に行って、かなりあっさりとお産が終わったことになっています。これで思い出すのが『ER』の看護師長、キャロル・ハサウェイが雪の中を出勤する途中で産気づき、何とかもちこたえて病院でお産をするシーンです。あれは、お産に至るまでの様子がかなり詳しく描かれていました。もう一度DVDを観てみようと考えています。少なくとも制作サイドが「一人の女の子の何十年という歳月を濃く描きたい」と言うのであれば、あれくらいの描き方を心掛けてほしいものです。

それにしてもこの「一人の女の子」、「女性」でないのが気になりますね。



食べ物‐コーヒーゼリー
[ 2022/09/26 01:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『武将ジャパン』大河コラムの視聴率関連記述に関して

『武将ジャパン』大河コラムの視聴率関連の記述です。尚元々の文章は記事のリンクが貼られていますが、引用文には貼りませんのでその点ご了承ください。それと最近の分で、意味が通りにくい箇所を多少直しています。

今年の大河は視聴率が低迷しているとして、こんなニュースがありました。
◆「鎌倉殿の13人」が危険水域! 大泉洋、菅田将暉、ガッキー…前半投入の反動か
ニュースにする以上、何かバリューが必要であり視聴率低下に目をつけたのでしょうが、これは何も今年に限ったことではなく、私は勝手に大河恒例の「夏枯れ現象」と呼んでいます。
中盤となれば主人公の師匠や親にあたる世代が抜ける。
初期キャストは豪華なメンバーが揃うものの、夏ともなればガクッと落ちることは避けられません。

夏枯れと言うよりも中だるみと言うべきでしょうか。要は、放送開始から4月~6月頃までは盛り上がりがあるけれど、その後やや主人公の立ち位置が安定し、あるいは作品によっては創作が多くなり、クライマックスまでの間場つなぎをする必要に迫られるわけです。ただ初期は豪華キャストで、その人たちが抜ける例があるにしても、すべての大河で同じことが起こるわけではありません。

例えば『真田丸』は、寧ろ春以降キャストの顔ぶれが増えて来た感があります。それと今年は頼朝はもういませんが、、主人公の親である時政もまだいますし、主人公に影響を与える人物は比較的多く残っている方だと思います。それと武者さんの場合、「今年に限ったことではない」としつつも、嫌いな大河であればここまで書くだろうかと思います。

そして視聴率低迷の原因を、私なりに考えてみました。
・地上波全体が減衰傾向にある
→あのドラマが低視聴率と煽る記事も増えています。若い世代を中心に、テレビを定時に見る習慣がなくなっているのです。
・時代がそこまで有名でない
→戦国や幕末と違ってなじみがありません。
・毎週鬱展開……
→これですよ。毎週毎週ドンドコドンと人が死ぬ鬱展開。そりゃ好き嫌いは分かれるでしょう。
・難解
→今年は伏線の張り方が複雑です。単純そのものだった昨年と比べると特に顕著です。
時代背景が理解しにくいため、頭に入ってこない。
美味い燻製肉でも、理解できない人からすれば「ただの焦げた肉」になるようなものです。
テレビですから、内容が理解できなければ視聴を止めてしまうのも仕方のない話でしょう。

地上波の視聴率が落ちているのは今に始まりませんが、裏番組が強くなっているのも関係しているのではないでしょうか。あまり有名でない時代なのはその通りです。この場合戦国が一番馴染みがあり、次いで幕末になるかと思います。そして源平を含むその他の時代は、幕末と同じかそれ以下の数字でしょう。あと「鬱展開」はどうかと思います。それを言うのなら、『風林火山』なども似たようなものですが、それが面白いと言う人もまたいるでしょうから。

そして「難解」
つまり今年は複雑だ、分からない人間は観なくなるといった、何やら上から目線と思われる論調になっています。武者さんらしいと言えなくもありません。しかし今回は「難解」と言うよりも、「癖が強い」のだろうと思います。つまり三谷さんの描写が好きでないから、コント的展開の乗りが好きでない人は視聴を止めるでしょうし、逆にそれが好きだと言う人は視聴を続けるのではないでしょうか。

あとこういう時に必ず『青天を衝け』を引き合いに出していますが、止めた方がいいと思いますね―止めない可能性が高いですが。別に昨年のが「単純そのものだった」わけではないし、ならばどこが単純だったのか、ここで例を挙げるべきでしょう。それができない、あるいはやらないのであれば何の説得力もありません。

そしてNHKプラスの再生数を重んじるから、NHKは『鎌倉殿』を失敗としないとありますが、失敗か否かはさておき、NHKプラスの再生数のみで論じるのもさてどうかと思います。本当に観たい人なら、録画して観るという方法もあるのですから。

そして『おかえりモネ』がNHKプラスの再生回数が高いとあり、泰時役の坂口健太郎さんが、『おかえりモネ』に出演した際の「俺たちの菅波」を、今度は「俺たちの泰時」として使っている、だから『おかえりモネ』の高評価は『鎌倉殿』にもいい影響を与えていると言いたいようです。そしてこういうリンクを貼っています。

「おかえりモネ」NHKプラス朝ドラ歴代最高 期間平均16・3% 大台超え一度もなく苦戦もSNS反響

しかし実は、『カムカムエヴリバディ』がそれを上回っているようなのです。

「カムカム」最終話 番組最高の視聴人数で有終の美 109話は「NHKプラス」全ドラマ最多視聴数を記録
(いずれもスポニチより)

NHKプラスの再生回数が高ければ、武者さん的には『カムカム』は当然失敗ではないはずですし、寧ろ高評価と言えるのですが、その割にかなり叩いていますね。

さらにその後、今年は関連書籍も多いとありますが、『青天を衝け』もかなり関連書籍は書店に並んでいました。無論これは近代の人だからとも言えるかとは思います。しかし何かにつけて『鎌倉殿』は凄いと言っている武者さんですが、どうも『青天を衝け』をかなり意識しており、それへの対抗意識で、『鎌倉殿』を肯定しているようにやはり見えてしまいます。もう少し肩の力を抜いてはどうでしょうか。

それからレビューやSNSのハッシュタグを見て、周りに合わせるのはよくないとありますが、それはその人の自由であり、武者さんがあれこれ言う問題でもないでしょう。

なぜ自分の感覚を大切にしないのか?
視聴率という基準そのものが時代遅れですが、それを信じる自分の感覚も見直すべきところに来ているのかもしれません。
言うまでもなく、ネットの声は発言者が精査できません。
確たる根拠を持っているのか。
それともフワッとした感性か。
それでもこんなネットニュースになれば信憑性が高まるから危険です。

お言葉ですが、視聴率が時代遅れと言うのであれば、なぜ視聴率を報じる記事をそこまで気にするのでしょうか。放っておけばいいと思います。時代が戦国でないとか、三谷さんの脚本はやはり癖があるからと、そのように考えておけばいいのではないでしょうか。

自分の感覚を大切にしないのかとありますが、誰でも他人の心まではわからないし、その人にどうこうしろとも言えないわけです。そして
「こんなネットニュースになれば信憑性が高まるから危険」
とありますが、武者さんは嫌いな大河の場合、その手のネットニュースのリンクをコラムに貼っていたのではないでしょうか。そして、

「このドラマ、嫌いなのって、私だけ?」
「このドラマって、もっと評価されてもいいと思うの、私だけ?」
おそらくや共感を得て安心したいのでしょう。
むろん、ドラマの感想だけで済んでいれば問題ありませんが、自身の生活に関連するニュースも同様の姿勢であれば、さすがに危険と言わざるを得ません。

いいか悪いかはともかく、共感を得て安心したい人も中にはいるのではないでしょうか。そして
「自身の生活に関連するニュースも同様の姿勢であれば、さすがに危険と言わざるを得ません」
とありますが、ニュースの見方も人それぞれであり、どれが正解と言うのは恐らくないかと思います。

ハッシュタグなりフォロワーの情報にも、何らかの毒が含まれていないどうか。
自身で見極める時代を私たちは今まさに生きていると思います。

ならば武者さんはそうすればいいでしょう。しかし武者さんの意に反する人がいても、よほど違法行為などをしない限り、それはそれで認められるものであると言っておきます。こう書くのは、『ちむどんどん』の反省会タグの存在もあるいは関係しているのでしょうか。あのタグ付きのツイートはまともなことも書かれていると思いますが。


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[ 2022/09/11 01:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『ちむどんどん』羽原氏インタビュー記事と公式サイトのコラムを読んで

『ちむどんどん』の脚本家である羽原大介氏が、作品について語っています。元々は琉球新報のインタビュー記事ですが、こちらが有料であるため、yahooの方のリンクを貼っておきます。

「 #ちむどんどん反省会」などSNS上の批判に脚本・羽原氏の受け止めは? 琉球新報単独インタビュー 沖縄描いた朝ドラ

しかしタイトルに「 #ちむどんどん反省会」が出て来るなんて、反省会タグも有名になりましたね。

そしてこの記事で羽原氏は
「比嘉家6人の家族の絆やふるさとにかける思いだ。人と人との結びつきやつながり合うことの大切さを伝えたかった」
とコメントしていますが、絆やふるさとにかける思いらしきものが、どうもあまり見えてこないのです。逆に見えて来るのは

暢子が人の話を聞こうとせず、いつも自分を押し通して最終的には誰かが助けてあげる
賢秀が犯罪まがい、あるいは犯罪(ネズミ講)に手を染めてばかりいる
子供たちを叱らない優子
子供を教える立場なのに柔軟性がなく、理想論を述べたがる良子
暢子の夫なのに存在感が薄い和彦
毎週のように出て来る後付けの事実

こういったことなのですが…。あと

「SNSを中心に厳しい意見があることについては『朝見ていただいて“今日も一日頑張ろう”と思っていただけるようなドラマ作りが一貫してできた』と自信をにじませた」

とありますが、質問に対する答えになっていないと思います。厳しい意見の内容に対して本来は向き合うべきなのですが、これでは自分の思いを述べているだけでしょう。ウリミバエで沖縄産の野菜が持ち込めない問題、この当時なかったはずの諸事物、さらには料理がテーマなのに食物を粗末にするような描写に加え、「姉のおさがり」、病院へ数珠を持ち込むところなどなど、反省してほしい点は多々あるのですが。

それから第105回で重子が暢子に渡した花束ですが、あれも昭和50年代ではなく最近のものだと指摘されていました。ラッピングの仕方などが今風ですし。

また羽原氏によると、賢秀ニーニーがようやく本気を出すらしいのですが、つまりは養豚場の娘の清恵と結婚するということでしょうか。その前にあの涌井なるチンピラとの乱闘シーンが出て来るのでしょうか。それと清恵も水商売をやって涌井に貢ぐシーンがあるようですが、そういうのを出す必然性が果たしてあるのでしょうか。

とにかく乱闘とか、暴力沙汰になりかねないようなシーンがこの朝ドラは多いし、それ以外にも暢子の態度とか、食物を粗末に扱うようなシーンを観て、果たして「今日も一日頑張ろう」という気持ちになれるのでしょうか。(ちなみに私は録画を夜観ています)

また反省会タグのツイで、このドラマはおじさん視点という指摘がありました。無論それ以外にもおじさん的な脚本というのはありますが、確かに主人公が我が強く、その割に主に男性に助けてもらうという描写が「おじさんに助けて貰う女の子(女性ではない)」であり、ちょっとマンスプレイニング的な、男性よりも下の位置にいる女性のイメージにも取れてしまいます。無論この場合助けてあげる存在は暢子であって、決して愛ではないわけです。

小檜山青氏はこのドラマを評価していますが、本当はこういうのは、一番嫌いな設定ではないのでしょうか。やはり『カムカム』への対抗意識で、やや強引に評価しているのだろうなと思います。

あと公式サイトでこういうコラムがあるので置いておきます。

イタリア料理と沖縄料理には似ているところも(オカズデザイン)

この中で、矢作を演じる井之脇海さんの包丁使いが上達したというのはわかります。ただ黒島さん演じる暢子の包丁使いは、ちょっと危なっかしく見えるところがあるし、最近は包丁を使うシーンそのものをあまり見ないのですが。そして何よりも、食物を粗末にするシーンの方を何とかしてほしいです。飲食店のシーンのみならず、山原小学校の子供たちが、給食を残す描写にも同じことが言えます。


飲み物-エスプレッソ2
[ 2022/09/04 01:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

朝ドラに求められるものとは何か

『ちむどんどん』のアンチと言うか、反省会タグのツイが東洋経済のネット記事に取り上げられているようです。「ようです」などと書くのは、実は私は読んでいないためですが、誹謗中傷はけしからんという論調のようで、多くのツイをイジメだと批判しているらしい。

しかし私もこのタグのツイを見たことがありますが、中には建設的なものも多く、一概にどうこうとは言えないわけで、何かいつものネットVS既存メディアの構図のように取れてしまいます。しかもNHKの場合、受信料で作られているわけであり、一応視聴者はその受信料を払っているわけですから、一家言あっても当然でしょう。批判できないのなら、それは宗教と同じだというツイもありました。

またこの朝ドラに関しては、私もここのところしょっちゅう書いています。なぜそこに至るのかが省かれていることが多く、超展開となる傾向があり、また先日の投稿で書いたように、主人公が成長しないから感情移入できない、要は感動しないわけです。

一方で再放送されている『芋たこなんきん』、これも前に少し触れました。こちらは人々の思いがよく描かれていて、観ていて楽しめます。実際私はリアルタイムでもこれを観ていたので、恐らくはそのせいもあるのでしょう。主人公の作家町子とその夫(再婚)の開業医健次郎、子供たちや近所の人々、主人公の友人や秘書が織りなすドラマです。

前に触れた時、同じ屋根の下で暮らす人々が多いのも楽しめる一因といったことを書いていますが、登場人物はあまりあちこちに置かない方が、楽しめる構成になるかと思います。『ちむどんどん』の場合、登場人物があちこちに散らばり、それぞれのエピソードを描く必要に迫られて、そのため尺が足りなくなり、どこか不完全燃焼になっている感もあります。

8月第1週の放送では、ハリウッドで売り出し中で、来日した豪州出身の若手俳優と、関東煮屋「たこ芳」の女将りんの意外な関係が描かれており、その一方で健次郎の長女由利子が進路に悩むという設定でした。この別々の2つのテーマが、着物デザイナーの東子を絡めて丁寧に描かれており、物語の中にすんなり入って行けました。15年前の作品である以上、今とは多少事情が違うかとは思いますが、朝ドラというのは本来こういうものなのかも知れません。

あと『まんぷく』にも、これと似たものを感じました。こちらも家族とその知人友人が中心で、インスタントラーメンとカップ麺を開発して行くわけですが、試行錯誤の果ての商品化、またその前に、戦後の混乱期で様々な事業を手がけたことなどが描かれていて、それぞれに考えさせられるものがありましたね。


飲み物-アイスティー

[ 2022/08/07 00:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと番外編2-「義時は犯人か」と餅について

『武将ジャパン』大河コラム続きです。先日の投稿で触れていますが、義時が頼朝を殺した犯人かといった推察(武者さんがふと見かけたらしい)と丸餅に関する記述への疑問です。

まず義時が犯人という推察です。

・義時だけ鈴の音を聞いていない
・義時が頼朝を毒殺した
具体的には「喉が渇いた頼朝に、義時が水筒を渡したとき、毒があった!」というものです。
義時だけが頼朝の死を知っているからこそ動揺しないし、鈴の音も聞こえない。

ここのところですが、「毒があった」のではなく「毒を入れた」のでしょうね。それと「動揺しない」も何も、第25回が終わった時点で頼朝の死は確定していませんし、あくまでも義時にだけ鈴の音が聞こえなかった(だから犯人という推察の一因となった)ため、何かの予兆を感じ取ることもなかったというだけです。

で、以下は武者さんの考察になりますが、これに関してちょっと突っ込んでみます。

しかし、冷静になって考えてみると、なかなか成立が難しい推論でもあります。
理由をざっと挙げてみましょう。

とあり、

・水に毒を入れると高確率でわかってしまう
無味無臭の毒はありがたいことにそうそうありません。
味が濃いもの、泥酔状態といった条件付きでないと、毒は口にした瞬間に吐き出してしまう。
水筒に毒は良い手段とは言えません。

無味無臭の毒は既にヒ素があります。既に遣唐使の時代に「雄黄」という鉱物が持ち込まれていますが、これからヒ素が生成されます。水筒に毒はあながち不可能と言えませんが、義時がそれをどのように入手したのかがまず疑問ですし、何と言ってもこの後で指摘されていますが、水を汲んだ本人が毒を入れたのなら、真っ先に嫌疑がかかるでしょう。

・毒殺は確実性が低い
毒の致死量は標的の体質や体格でによって変わります。
成功率も意外と低いので、確実に仕留めるのであれば善児のような刺殺あたりがオススメです。

前出のヒ素ですが、大体100ミリグラムから300ミリグラムが致死量とされています。よく「耳かき1杯分の分量」などと言われますが、この場合耳かきで大体2杯分程度で、それだけの分量を入手しなければなりません。
その意味では善児の刺殺の方が確実ですが、彼の場合は主人の命令がないと殺せませんね。

・同行者(安達盛長)がいる
同行者がいると、毒を吐かせる可能性が高まります。
確実に仕留めるなら、単独になるときを狙うべき。

これもヒ素を例に取った場合、多量に服用したら即死の可能性もありますが、服用量によっては、中毒症状が急性でなく慢性的に出ることもあります。また無味無臭なので、わかりにくいというケースもあるでしょう。無論少量でも体に異常が現れるため、それでによって服毒が発覚することもあるとは思います。

・状況的に疑いがかかる
水筒の毒が死因と判明したら、義時まで簡単に辿れてしまい、一気に窮地に陥ります。

これは上の方で書いた通りです。
ただこの場合、義時が水を汲むシーンはなく、誰かに頼んで汲んで貰い、その誰かが毒を入れたということも考えられます。

・動機がない
そもそも頼朝の死は、義時にとって利益はありません。怨恨もない。
今の義時は腹黒いので、大してメリットもなく、自らの危険性が高まる手段などまず取り掛からないでしょう。

これは義時が腹黒いと言うより、普通に考えても、敢えてそこまでの危険を冒すこともないわけです。もっと言うならば、殺すことによるデメリットの方が大きいと言えます。比企能員ならどうするかわかりませんが。

そして最後に

頼朝の退場後も、ロスだのなんだのいう暇がないほど盛り上がりそうですね。喜ばしいことです。

「ロスだのなんだのいう暇がないほど盛り上がりそう」
は、武者さんの希望的観測でしょう。実際ネット上のファンの間では、ロスを実感する人もいるでしょうし、そういう人たちが、自分もロスだということでで盛り上がる可能性もあります。いつも思うのですが、ロスが嫌いだと言うのであれば、そういうコミュニティとか記事から、距離を置いた方がいいと思うのですが。

あと『ちむどんどん』関連で、アンチでない本タグなのに批判ツイが流れて来ると、以前、これは小檜山氏名義でのツイートがありました。しかしドラマ関連ツイの場合、アンチでなくても批判ツイはあるし、もっと言えば、批判を避けて関連ツイを見るのは不可能です。ミュートするなりNGワード設定するなりして、極力自分の目に触れないようにするべきでしょう。

そして丸餅関連ですが、これもちょっと疑問です。こちらは「丸餅を作るシーンにも各キャラの個性」とあり、主に畠山重忠と北条時連の、餅作りの違いについて述べているのかと一瞬思います。事実それについても出て来ますが、その前にこのようにかかれています。

ここで、ちょっと食べ物のことでも。
当時の餅は丸めます。餅は四角いという印象を受けるとすれば、それは技術が進歩した時代だから。餅を切るためのまな板にせよ、包丁にせよ、それを作る技術が必要です。
丸めるほうが原始的です。

まず、そもそも餅は丸めるものでした。これは神事や、この回に登場するように仏事に使うものでもあり、基本的に刃物を使わなかったからです。今も鏡開きの鏡餅は切らないことが原則で、ですから庖丁を使わないこと即ち「原始的」というのは、当てはまらないかと思います。
そして実はまな板は古代、そして包丁も奈良時代ごろには登場しています。

尚この包丁、元は庖丁と書きましたが、実は武者さんの好きな漢籍にそれが出て来ます。具体的に言えば『荘子』で、王の料理人の名前であったとされています。

お雑煮の餅の形も、切り餅か丸餅かによって差があります。
味付けの醤油と味噌にも差があり、「切り餅と醤油」の組み合わせの方が江戸時代の最先端トレンドです。
参勤交代をする過程で、大名が「江戸の最新トレンドだぞ!」と切り餅醤油を持ち込んだと言われております。

この場合「差がある」と言うよりは「地域差がある」でしょうね。あと「組み合わせの方が最新トレンド」でなく、「組み合わせが新しい食べ方として広まった」くらいに書いてほしいです。

江戸時代は参勤交代で江戸の人口が増え、のし餅ができて、それを切り分けた角餅が登場します。しかし当然ですが、鎌倉時代に角餅などはありません。その当時にない物を持ち出して無理やり比較するのではなく、そもそもの丸餅のいわれは何であるかを、この場合は書くべきでしょう。

何だか『麒麟がくる』を引き合いに出すのと似ていますね。後世の方が色々な意味で変化し、あるいは進化してはいるわけですが、この時代を語るのに、それを引っ張り出して来てどうするのと思います。何かテーマがあって、餅の変化について書いているのであれば、それはそれで理解できますが。

そして時政が言っていた“酢”なんですが……。餅に酢って他にどうにかならないの? と思われるかもしれません。
残念ながら、これがなりません。

この当時、食事は主に調味料を使って、各自味付けをして食べるものでした。
「酢・酒・塩・醤」がその調味料で、四種器(よぐさもの)と呼ばれています。醤は醤油の前身と呼ぶべき調味料です。自分で調味料を使って味つけする時代ですから、時政が酢をかけて食べたとしても不思議ではないかもしれません。ちょっと意外な気はしますが。

ただし酢餅という食べ物は今も存在します。これは主に柑橘類やポン酢を使ったものが多いようです。

甘い餡はこれから先のこと。濃い甘さというのは時代が降らねば出てこないものであり、それ以前は干した果物が最も甘いものでした。

ただし塩餡というのはありました。無論砂糖を使った餡が普及するのは、もっと後の時代になってからです。

あと、おこしや飴はかなり昔から存在したようです。

しかし武者さんというか小檜山氏、細川幽斎の包丁式を、幽斎も料理をしましたなどとツイしたこともありますが、昔の料理について書くのなら、もう少し調べてほしいです。


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[ 2022/07/01 00:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』について少々+小檜山氏ツイート

やはり思うのですが、江間の館で孤児を育てるシーンは必要だったのかということです。子供たちの中から、将来的に幕府に影響を及ぼす人間が出て来るという設定なのでしょうが、このシーン、あるいは政子たちの会話のシーンがやけに多く、それが他のシーンの描写に影響を及ぼしていると言っていいでしょう。ほっこりするシーンではあります。しかしそれは、戦とか御家人たち、あるいは頼朝と朝廷などの駆け引きなどが十分に描かれてこそ、功を奏するものではないかと思います。

あと、『吾妻鏡』に必ずしも沿っていないなとは思います。三谷さんが『吾妻鏡』を、まるで原作のように言っているのを目にして、もっと細部まで描かれるのだろうなと期待したのですが…たとえば第22回にしても、頼朝が後白河法皇の崩御を聞いて、四十九日の法要などを執り行っているのですが、そういうシーンは出て来ませんでしたね。あと征夷大将軍就任時の勅使の接待とか、それよりも前になりますが、武田信義逝去などもありませんでした。武田信義は誓紙を出した時点で、姿を消してしまいましたね。ちょっと残念でした。

ともあれこの幕府、あるいはそれまでの時代とは違った形の政府の黎明期には、とかく反対派がいるものです。かつて敵対した勢力ではなく、それまで味方していた勢力が、自分たちの理想と違うのを確信した時に、仲間割れという形で起こることもあります。岡崎義実も、それと似た思いを抱いたのでしょう。そしてこれは南北朝の動乱を引きずった室町時代でも、あるいは戦国時代でも起こったものでした。信長に対する荒木村重の造反もこれに近いものがありますし、江戸時代の大坂の陣もそうですが、江戸時代の場合は家康が大名を支配下に置き、対抗するのは牢人のみとなりましたが。

ところで小檜山青氏のツイートに、このようなものがあります。
「つまらないコンテンツは海を越えない…日本の大河ドラマなんかもそうで、今年は海外の日本史好きも結構熱い目線を送っている印象。」
「日本の大河ドラマなんかもそうで」ではなく、「日本の大河ドラマなんかもそうだったが」とでもしないと、意味が通らないかと思うのですが。それはともかく、この「海外の日本史好きも結構熱い目線を送っている」を裏付ける記事のリンクも何もないのですね。

その他にもこういうツイもあります。
「武士を規範としこどもの日に武者人形を飾る日本より、身分を問わぬ文官登用試験を実施し文民統制を徹底していた隣国の方が「平和で平等で内向き」に思えるんですよね〜。真面目に考えちゃった。」
ならば、隣国をはじめとする儒教国家に移住してはどうでしょうか。そんなに武が嫌なら、武士が主人公であることが多い大河のレビューは、精神衛生上よくないでしょう。

元々儒教は武より文を重んじるわけだから、これは当然のことと言えます。無論それゆえに、儒教国家にはデメリットもあるのですが、そのことは小檜山氏または武者さんは、きちんと書いたことがあるのでしょうか。そして武者人形ですが、子供の無病息災を祈るという意味があります。言っては何ですがそれを理解しているのでしょうか。そう言えば昨年の大河では、天狗党すなわち水戸藩と捉えている節もありましたし。捉え方が大雑把と言うか、調べていないなと思います。

ところでこの小檜山氏のツイに、朝ドラ『ちむどんどん』でアンチ意見を、アンチタグでなく本タグでツイートするのがけしからんといった内容のがありました。しかし本タグといえども必ずしも賞賛ばかりでなく、批判的意見もあるものです。ドラマの意見をタイムラインで見るということはそういうものです。必ずしも小檜山氏が望む意見のみが、本タグで流れて来るとは限りません。ならば批判的意見の多いアカウントをミュートするとか、特定キーワードを指定して非表示にするとか、色々方法はあるかと思いますが。

ちなみにその『ちむどんどん』、率直に言って、暢子でなく視聴者が「まさかやー」と突っ込みたくなる描写が目につきます。これについては、また次の投稿で。

飲み物-アイスティーとグリーン
[ 2022/06/11 01:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

自己愛性パーソナリティ障害とは

まず、先日の『武将ジャパン』関連投稿、当該記事のリンクがなかったので貼っています。また、投稿の数か所を少し直しています。

ところで、今回は自己愛性パーソナリティ障害について書きたいと思います。この自己愛性パーソナリティ障害、所謂パーソナリティ障害の一つですが、とある医学系サイトを見たところ、以下のような特徴があります。

  • 自分の重要性および才能についての誇大な,根拠のない感覚(誇大性)
  • 途方もない業績,影響力,権力,知能,美しさ,または無欠の恋という空想にとらわれている
  • 自分が特別かつ独特であり,最も優れた人々とのみ付き合うべきであると信じている
  • 無条件に賞賛されたいという欲求
  • 特権意識
  • 目標を達成するために他者を利用する
  • 共感の欠如
  • 他者への嫉妬および他者が自分を嫉妬していると信じている
  • 傲慢,横柄

要は「誇大性,賞賛の要求,および共感の欠如の持続的なパターン」が最大の特徴と言えるでしょう。

また人によっては、モラハラをするケースもあります。さらに一般の人で、最大6パーセントがこの障害を持ち、男性に多いとも言われています。他にうつ病、摂食障害や薬物使用が見られることもあり、また、自己を他者からの賞賛に結び付ける能力のある人もいます。その一方で、ガラスのハートの持ち主であり、批判などには敏感で失敗を恐れる傾向があります。

しかしこうして見ると、ちょっと付き合いづらい、あるいは面倒臭い人という印象があります。常に自分が賞賛されていないと気が済まないからでしょう。また上から目線だとか、支配欲が強いといった面もあるようですし、上記の特徴といくらか重複しますが、自慢話とかひけらかし、承認欲求の強さも特徴として挙げられます。

この障害はごく普通の人にも見られるようですし、華やかで賞賛される自分を実現したいという点から考えると、結構有名人とか芸能人にもいるタイプかも知れません。

ところでこの障害を持つ人は、よくいわれるファン活とか推し活に熱心だとも言われます。要は自分の「推し」は優れており、その優れた推しを応援する自分も素晴らしいといった心理状態から来ているようです。実際SNS、特にツイッターなどで、そういう推しう活をしているアカウントを見たこともあります。しかしあまりエスカレートすると、他のファンとの軋轢を生むことにもなり兼ねません。さらにエスカレートすると、ストーカー行為を起こしてしまうということもあるようで、それはやはり問題でしょう。

飲み物-ミルクが注がれる紅茶
[ 2022/04/30 00:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

市川海老蔵さんの件とSNSに思うこと

深夜になって東北地方中心に地震、それもかなり揺れていますね。今後の津波が心配です。

ところで少し前ですが、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんが、SNSでの誹謗中傷に関して、法的措置を取ると発言しています。SNS、特にツイッターのエコーチェンバーに関しては、今までも何度か書いています。便利な反面、エスカレートもしやすいものであり、特に有名人の場合、なかなかミュートしたりブロックしたりというわけにも行かないでしょうが、それをいいことに、あることないこと言われるのであれば、これもやむなしでしょう。

SNSに関して言えば、自分の好きな、所謂「推し」の芸能人やスポーツ選手関連、あるいは特定コンテンツの投稿をしている人もいます。無論その人が好きであるのなら、それはそれで構わないのですが、ただ他人にそれを押し付けるのは止めるに越したことはないでしょう。実際以前そういうのを目にしたことがありますが、はたから見ても気持ちのいいものではありません。もちろんそういう人に対し、殊更に反発するのも感心しません。好きなものは人それぞれですので。


飲み物-注がれるコーヒー
[ 2022/03/17 00:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 16

『武将ジャパン』大河コラムです。
今回は義経登場回ということで、2週間ぶりに目を通してみましたが、やはり相変わらずだなと思いました。
引用箇所(ブルー)はいずれも原文ママです。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第7回「敵か、あるいは」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

清盛が頼朝追討を急ぐ件について。

清盛はそのあたりは鋭い。とはいえ、なぜ急ぐのか、そうするのか、もっと宗盛に伝えるべきでしょう。
そもそも平家は仁政を心掛けなかった。
民の不満を押さえつけるのではなく、聞き入れるようにしていれば、運命はちがっていたかもしれません。
そのころ、安房国では――。

「なぜ急ぐのか」についてですが、たかが流人と宗盛が言ったその後でのやりとりです。
清盛「すぐに追討せよ」
  「必ず殺せ」
宗盛「源氏の嫡流とはいえたかが流人。恐るるに足りませぬかと」
清盛「すぐに追討せよ。必ず首を取れ!」
宗盛「直ちに取りかかります」

武者さんもこの前の部分でセリフを引用してはいるのですが、清盛がここまで言うからには、ただならぬ事態であると宗盛も察したのではないでしょうか。だからこそ「直ちに取りかかります」なのでしょう。
それとここでも仁政、『麒麟がくる』が頭から離れないようです。この場合の「不満を押さえつける」は、市中に放った禿のことと思われますが、ただこれが出て来るのは『平家物語』のみとされています。

北条義時と和田義盛が、援軍を頼むため上総広常のもとへ向かっていました。
なんでしょう、この圧倒的な人選ミス感は。
義盛は全ては俺にかかっている、必ず味方につけてみせるとアピールしつつ、「ついでこい!」と走り出す。
と、このドラマは演出が盤石だなぁ。
そんなもん人力で走ってなんの意味あります? やる気アピールをするだけで実質的な意味はなく、消耗するばかりでしょうもない。でも和田義盛なら仕方ない感がある。

あらすじでも書いていますが、和田義盛は『吾妻鏡』によれば、実際に上総広常を訪れています。義時はどうかわかりません。
それと「演出が盤石」云々ですが、義盛的なキャラが体力と気力に任せて走り出すのは「盤石」でしょうか。「盤石な演出」というのは、もっと緻密さが要求される場面で使われるのでは。

ダメな大河は無駄に主人公を走らせるんですね。
心がワクワクしているんだか胸がぐるぐるしているんだか……はっきりいって根性論。無駄な摩耗が肯定的に描かれると、ブラック企業の営業みたいで見る気が減退します。
今年は和田義盛がゴリ押しすることで、馬鹿馬鹿しさが強調される方向になって安心ですね。でかした!

ここでまた『青天を衝け』を貶めていますね。
あれはそもそも根性論でも無駄な摩耗でもなく、若い栄一の意気込みと取るべきなのですが、それはやりたくないのでしょう。そして和田義盛もさりげなくディスっているように見えます。三谷大河は好きだけど坂東武者は嫌いという、二面性が表れているように見えて仕方ありません。

その義盛や広常の服装について。

その辺に鶏がいるあたりが素朴ですし、派手な服も義時たちよりは高級そうだけどなんだか田舎っぽい。平安末期版のドン・キホーテで買った服と言いましょうか。

和田義盛なんか無駄に派手だし、袖を雑にまくっているし、義盛らしさ満点じゃないですか。広常もセンスが派手。義時は地味。

まず「服」でなく直垂と言ってほしいですね。しかも
「平安末期版のドン・キホーテで買った服」
とは何なのでしょう。『西郷どん』で遊郭をキャバクラ呼ばわりした武者さんらしい表現ではありますが。
あと鶏は卵や肉のために飼育していたでしょうし、場合によっては闘鶏目的ということもあるようです。尚軍鶏が闘鶏に使われるのは江戸時代に入ってからで、その前は小国という種類の鶏が使われていました。

ところで義盛の服装について。この画像の向かって右が義盛ですが、「無駄に派手」でしょうか。『麒麟がくる』の農民や市井の人々の、ショッキングピンクの着物の方がよほど派手に見えるのですが。(鎌倉殿の13人公式サイトより)

鎌倉殿の13人第7回義時と義盛


義時はオーラがありません。主人公補正がない。あいつはすごいと誰もがはっきり言わない。
聡明であることは、頼朝も政子も認めてはいるけれども、その辺の機微を小栗旬さんはうまく使い分けていると思います。

オーラのあるなしはともかく、そもそも『吾妻鏡』では行っていないはずの上総の屋敷に行くこと自体、主人公補正であるかと思うのですが。それに『青天を衝け』関連コラムで

「人と人が出会わないと歴史イベントが盛り上がらない」という思考に陥っている
映像にしない部分を如何に表現するか-という視点が肝要になる

と武者さんは書いていますが、この時の義時の描かれ方も
「『人と人が出会わないと歴史イベントが盛り上がらない』という思考に陥っている」
のではないでしょうか。しかしそもそもドラマとは、まず複数の人間の出会いがあり、それが進展して行くものではないかとは思いますが。

俺は素直な男だ。素直な男は損得で動く。頼朝につけばどんな得があるか?
広常は原始的であり、さらに、味方につけたいのは頼朝だけじゃないと語ります。

「損得で動く」のが原始的なら、戦国時代の武将たちの多くも原始的ではないのでしょうか。

この作品は、説得力のない奴ほど自信満々で素晴らしい。ダニング=クルーガー効果ってやつです。
大して説得力もないのに「俺がなんとかする!」と目をキラキラさせ、それで上手くいってしまう安易な展開は見どころがありません。

また某大河のことを言いたいのでしょうか。しかしこう頻繁に出て来る辺り、武者さんが意識しているのは事実かと思われます。それとこの場合、ダニング・クルーガー効果というよりは彼の性格によるものなのでは。

「刀は斬り手によって名刀にもなれば、なまくらにもなる。決めるのは斬り手の腕次第……御免」
思わずキョトンとする義盛。
「今のわかったか?」
揶揄が理解できないんですね。義時は無言。
どうにも恐ろしいことになってきました。広常も頼朝を利用する気が満々で、景時もそう。
頼朝という刀を名刀として世に出す策を、馬に揺られながら考えているのでしょう。
そうやって心に火をつけたのは北条義時であり、景時の性格をちょっと考察してみたいと思います。
天皇は、神か? そうでないか?
日本史を学ぶ上で、必ずつきあたるこの問題。信仰心があつい景時にとっては、神聖であることは確かでしょう。

この刀云々はいいでしょう。しかし不思議なのが、なぜ途中で唐突に、しかもあまり関連性があると言い難い景時の性格、そして天皇や朝廷に飛んでしまうのかです。それと広常も景時も、この段階では頼朝を利用しようとしていたとしても、特に不思議ではありません。

この眉剃りコントで笑ってしまいますが、結構重要なところだと思います。
『真田丸』でも「理に頼りすぎるばかりではいけない」という趣旨のセリフが出てきました。
これは何も三谷さんだけでなく、大河チームでそれができる人がいると私は推測しているのですが。
【情】と【理】の両方が必要である――それを意識して取り組まれている方がいるのでしょう。

個人的に、この眉剃りも何か唐突感がありました。義盛という人物をよく表しているとは思いますが、それだけであそこまで尺を取るべきなのでしょうか。それにどの大河でも「情」と「理」は使い分けているかと思うのですが、嫌いな大河になるとそれが見えなくなってしまうのが武者さんなのでしょう。で、ここでまた『青天を衝け』批判。

胸がぐるぐるとか、ムベムベとか。この手の言葉は【情】だけに突っ走っていて、説得力に欠ける。
むろん、ドラマは心に訴えかけるものですから、仕方ない一面はあれど、そこに偏って近道を走ろうとする脚本と演出はいかがなものでしょうか。
SNSの言葉が拾われ、ネットニュースで拡散する時代なら、なおさらそういう傾向も強くなります。
物事は【情】だけではダメで【理】がなくては説得力がありません。
このドラマの義時は【理】詰めで感【情】を動かす才能がある。そこがよいのです。

「そこに偏って近道を走ろうとする脚本と演出はいかがなものでしょうか。」
『青天を衝け』は、別に情の部分だけに偏っていなかったと思います。栄一の考え、天狗党を説得するシーンなどもちゃんと描かれていましたし。
また
「SNSの言葉が拾われ、ネットニュースで拡散する時代なら、なおさらそういう傾向も強くなります」
所謂エコーチェンバー的なものなのでしょうが、武者さんのコラムとコメント(削除されていない分)も似たような雰囲気であるかと思います。

そして千葉常胤。

こんなおじいちゃんにそこまで言われたら、そりゃ、広常も心は動きますよね……と、言いたいところですが、野蛮だとも思います。
武士は暴力集団、戦闘集団だと断言されました。それでいいのでしょうか。武士はそれだけなんですか。
大事な問い掛け。このドラマを見ながらそこは考えたい。戦うしか使命がない集団って、危険ですからね。

まず「断言された」の主語が不明です。
それとやけに武士は暴力集団などと書かれていますが、この当時の坂東の武者たちが、何を守ろうとして戦っていたのか、それはご存知なのでしょうか。結局ここでも坂東武者に対して批判的ではあるようです。彼らはこの大河の根幹を成す存在であるかとも思うのですが。
(この項続く)

飲み物-トディ


[ 2022/02/25 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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