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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第36回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第36回の『武将ジャパン』大河コラム関連その5です。尚、taketak39460607さんのnote記事のご紹介は、この次の大河関連投稿になります。

5ページ目、例によってファンダムやジェンダー論関連の持論展開が目立ちます。そして以前も登場した屈原の
「衆人皆酔えるに我独り醒めたり」(衆酔独醒)

衆人皆酔えるに、我独り醒めたり。屈原『漁夫辞』
みんなハッシュタグで無茶苦茶盛り上がっているけど、自分はそういう性格じゃないんだよね。

まず意味から行きましょう。
「多くの人は酔っているのに、私ひとりだけが醒めている。それ故に罪となり、遠い地に流されたのだ」
「自分はそういう性格ではない」とはちょっと違うような気もしますが…。

そしてファンダムとハッシュタグについて、

中高年以上は放映時間に大河を一斉に見ることが習慣としてあり、大手掲示板で実況書き込みをする人も多かった。その若い頃の習慣が抜けず、リアルタイムで投稿することで承認欲求を満たすことができるのです。そりゃ楽しいとは思いますよ。考えに考えて投稿してもろくに「いいね」も「リポスト」もされないのに、ハッシュタグつけてドラマのことを語ったらそれがドッとつく。中毒性もあるでしょう。

ハッシュタグをつけての投稿は、(武者さんがあまり好きでないであろう)中高年以上の、おじさんやおばさんのものなのでしょうか。またその人たちの投稿は、本当に承認欲求を満たすためのものなのでしょうか。そしてそれは、中毒性があると言い切れるものなのでしょうか。

確かに同じドラマを観ている同志で、やり取りをするのは楽しいものであり、その意味でハッシュタグは有効な手段です。しかしその人たちは年齢的にまだ若いかも知れないし、先行放送あるいは再放送を観ているかも知れないし、承認欲求よりもそのやり取り自体が楽しいからという動機からやっているとも思われるのですが、なぜこう断言してしまえるのでしょうね。武者さんのネガティブなファンダム観が窺えます。

その一例としての『ちむどんどん』(大河コラムのはずなのですけどね)反省会タグに関して。

◆ちむどんどん、イライラしても「見てしまう」視聴者達 一体なぜ?識者が推し量る「制作側の意図」(→link)
ハマって見ているならまだしも、つっこんで見ることが中毒性になってしまうですね。
(中略)
『ちむどんどん』についていえば、反省会タグに夢中になっていたと思われる方と実際に話したことがあります。
その方は、反省会タグで猛威を振るっていた“ある誤認”を元に批判してきたため、それに対し論拠を示しつつ、否定しました。そのときの相手の不機嫌な顔は今でも思い出せます。
どうやら「いいね」や「リポスト」に溺れていると、自分に確固たる自信が湧いてくるようで。

私もこの朝ドラの反省会タグは何度か目にしたし、中にはもっともであると思われるものもありました。武者さんの場合、好きな作品への反省会タグというだけで、敵視しているふしがないでしょうか。ならば見なければ済む話です。それとこの場合の「ある誤認」とは具体的に何なのでしょうか。

しかも、

私の指摘に対して「この番組の識者である我が意に背く気か!」とイラつく様子なのです。
しかし、だからといって論拠立てての反論はしてこない。

失礼ですが、何やらブーメランのように見えてしまうのですが。
その指摘が何であるのか、そして相手がどのようなことを言ったのか、よくわからないので何とも言えませんが、実際『ちむどんどん』にはその当時存在しなかった物、法律上適用されなかったこと(沖縄の農産物を本土で売れないといった)が適用されたかのような描写も出て来ており、それを指摘した人も当然いるわけでしょう。

今にして思えば「ちむどんどん」はアンチが強いだけで、そこまで悪くなかったのだと思います。
その次の『舞いあがれ!』は本タグもアンチタグもあそこまで盛り上がっていない。
ただひたすらつまらない、突っ込む価値がないと思われたドラマは、無言の離脱視聴者が増え、ただ単に数字が落ちるだけです。

既に上の方で述べていますが、疑問に思える点も沢山ありましたよ。
そして『舞いあがれ!』は叩くのですね。私はこの朝ドラは、そこまで投稿をチェックしたわけではありませんが、前作に比べると、突っ込まれる要素が少なかったのではと思えます。無論人によって好き好きはあったでしょうが。

SNSを見ると『どうする家康』も、反省会投稿そのものが減っています。「いいね」や「リポスト」がそうそうつかないんでしょう。数字や関連商品の落ち込みぶりと一致します。
今も稼働中の「反省会」は、滝行に挑むようなストイックな心境だと思いますね。

これで不思議なのが、武者さんは「いいね」や「リポスト」目当てで投稿するのが嫌だと言っているわけです。ならば、そういう投稿が少ないのは寧ろファンダムが健全に回っているわけであり、評価するべきことだと思うのですが、今度は皆が無関心だからという方向に持って行きたいのでしょうか。

そして「牝鶏晨す」、要はめんどりが鳴いて朝を知らせることから、女が権勢を振るうことのたとえで、国や家が衰える前兆とみなされるわけですが、これも時代遅れだとしたうえで

かつて、倫理、教育、道徳、人権、生真面目さを冷笑する態度こそがかっこいいとみなす風潮がありました。
(中略)
クールな本音をネットに書き込む自分たちこそが情報強者で特別だという特権意識が広まっていったのです。
そういう世代が、今ではそれなりの発言権を持つようになり、今、いろいろと弊害が出てきています。
典型的な逆張り冷笑欲求として、草を生やしながら女性蔑視をキメたいというものがあります。

その次にエコーチェンバーが出て来ますが、これはあまり詳しく書かれていません。
そして順番が前後しますが、この後にも

今年の大河ドラマを熱心に擁護している方たちの中にも、一部過激な方たちがいます。
ドラマを批判するSNSの反省会タグまで乗り込んできて、批判的なファンを攻撃していくのです。
彼らを見ていると、大河ドラマの出来がよいかどうかより、誰かを叩いたり、仲間同士で承認欲求を満たすことが大事なように思えてきます。

自分と仲間が推すと決めた大河は意地でも褒める。そこを抜け出そうものなら里を抜けた忍者のように叩かれる。
そんなギスギスした村社会のシステムが見えてきたように思え、興味深い。

先ほどブーメランだとちょっと書きましたが、これらの記述も似たようなものだと思います。
「大河ドラマの出来がよいかどうかより、誰かを叩くのが目的」
「自分と仲間が推すと決めた大河は意地でも褒める」
今までの武者さんのこのコラムを見る限り、この2つはかなり顕著な傾向となって現れているのではないでしょうか。しかも、それが年を追うごとに過激化している印象を受けます。

そして
「倫理、教育、道徳、人権、生真面目さを冷笑する態度こそがかっこいいとみなす風潮がありました」
とあります。武者さんはそうでないということなのでしょうか。
しかし嫌いな大河だと、出演者や制作スタッフが真面目に取り組んでいる作品を冷笑し、また登場人物を、かつてビッグモーターのCMに出ていたものの、イメージダウンになるので自ら降板した俳優さんを未だに「ビッグモーター」呼ばわりし、また近眼設定の登場人物をそうでないと一方的に決めつけ、こちらもまたレーシック呼ばわりしているわけです
正直こういった点では、武者さんも「逆張り冷笑欲求」と言えるのではないでしょうか。

現にこういう記述も出て来ます。

『どうする家康』は、こうした状況と非常に似通っている。
側室オーディションだけで一回使う。
マザーセナ信仰で何もかもばっちりだ。
バカな女をおちょくる女叩き要素も小ネタとして入れてくる。
団子売りだの大政所だの、ババアはちゃんとコケにしてくる。
『麒麟がくる』の”駒ちゃん“みたいな生意気な女はいないし!
ああ、なんて甘い世界なんだ!
そういうノスタルジーには合致しますよね。同じ脚本家の『レジェンド&バタフライ』もそうでした。

「側室オーディション」「マザーセナ信仰」「バカな女をおちょくる」「ババアはちゃんとコケにしてくる」
非常におちょくっている印象がありますし、このバカな女とかババアをコケにするというのを平気で出してくるのが、言っては何ですが、武者さんは本当は女性蔑視なのだと考えざるを得なくなります。
第一、団子屋の婆さんとか大政所の気持ちを読み取れていませんし。

で、これも『どうする家康』関連で、このような諺を引き合いに出しています。

櫝(はこ)を買いて珠(たま)を還(かえ)す。『韓非子』
ブランドのわかる箱だけ欲しいんです。中身はどうでもいいし。

この意味ですが、
「 外見の立派さに惑わされ、中身の本当の価値に気が付かないこと」です。
何か微妙に意味がずれていないでしょうか。

そしてこれに関連することで、

もしも『どうする家康』が民放ドラマや映画だったら。
あるいは女性主人公や女性脚本家であったら。
もっと徹底的にボロボロに叩かれていたかもしれない。
つまり、「男性向き大河」という“ラベル”に『どうする家康』の真価はあり、それを褒め、自己と一致させることが、自我の一部になっているのかもしれません。瓶の中身がまずかろうがどうでもいいと。

女性主人公や女性脚本家ならもっと叩かれていたとありますが、それを言うなら武者さんは、女性主人公や女性脚本家の大河を過去に叩いたこともあるので、これは如何なものかと思います。「女性だから叩かれる」という発想は、大河に於ける女性の地位を自分で貶めているようなものではないでしょうか。

また私としては、『どうする家康』は少なくとも、過去の、特に20年くらい前までの男性向き大河(の定義がどのようなものか、やや不明ですが)とは別物のように思います。武者さんにしてみれば、おじさんまたはおばさん向け大河でミソジニーと言いたいのかもしれませんが。

それからネスレ元社長の高岡氏の記事についてです。

こちらの記事が話題になっていたので、読まれた方も多いでしょうか。
◆【独自】《ジャニーズCM打ち切り問題》元ネスレ社長独占告白! 看板商品のCMに退所後の香取慎吾さんを起用...「タレントには罪がない」という理由(→link)
元ネスレ社長の見解が述べられています。
ジャニーズ起用の危うさとともに、ネスレは東京オリンピックスポンサーにもならなかったと指摘されています。
どうにも危ういと感じていた。その感覚を重んじたことが今になって急激に評価されています。

この記事ですが、一部切り取り報道をされているようにも見えます。
こちらの記事(アエラドットコム)では、元社長である高岡氏のこういうコメントが紹介されているので、その部分を挙げておきます。

https://news.yahoo.co.jp/articles
/44265f0bb26f042aa68b969b1aa2a32358419634?page=3

今、市場調査したら、ほとんどの人は、ジャニーズのタレントが広告に出ている商品は買わないって言うでしょう。でも、それはうそです。買うとは言いづらいから、買わないって答える人が多いだけで、回答結果と実際の購入行動が一致するとは限らない。それを理解したうえで判断するのがマーケティングのプロであり、企業としての正しい姿勢だと思います。

みなさん、ジャニーズの企業体質を変えろって言いますけど、加害者本人がいない今、何をどう変えるべきだと思っているのでしょうか。社名を変えれば、体質は変わるんですか? トンチンカンすぎて、グローバルでは笑われますよ。

隠蔽(いんぺい)体質を責めるつもりなら、取引企業やメディアも、性加害の実態を知らないふりして、あるいは知ろうとしないで、一生懸命ジャニーズにお金を投じてきたわけなんだから同罪でしょう?


武者さんはこの記事のことを、ご存知なかったのでしょうか。

あとまたメールフォームのリンクがありますね。
まあ私は、武者さんが望むような意見は送らないとは思いますが。


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[ 2023/10/01 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

「叩き棒」と「逆張り」の心理

ネット上の「叩き棒」、そして「逆張り」について書きたいと思います。
と言いますか、それについて書かれているnoteを見つけたので、それのご紹介のような形になります。

あなたの好きな作品はテコでも叩き棒でもない
https://note.com/hyuugahikage/n/ncad4a1f2238f

まずK-POP関連の記事が紹介されています。ただこれが3年ほど前の記事で、生憎今はファイルが削除されているようですが、恐らくその記事中に、叩き棒と思しき表現があるようです。これに関しては記事中から、順を追ってピックアップして行きます。

1.何かを語るときに、「〇〇の方がいい」とか「それに引き換え〇〇は」とかは安易に言わない方がいい
2.何を比較にするかは書き手の恣意性があり、どっちつかずになるし、どっちのためにもならない
3.両者の知識の量・質におけるギャップが出るので、その差が批評の「穴」として浮上することがある
4.比較と言うのは何かを説明するには有効な方法だが、どちらかを上げるまたは下げるような方法は避けた方がいい
5.好きなものを上げるためのテコとして他の作品を持ち出す、他の作品を否定するための叩き棒として好きな作品を持ち出すのは誰も幸せにしない

実際その通りだなと思います。この記事にもありますが、SNSは言論の極化が起きやすい、つまりアンチと擁護あるいは肯定派に分かれやすいわけです。それと特に2や3や5、これはこのブログでもよく書いている『武将ジャパン』大河コラムの方法にそのまま当てはまるなと思います。

特に嫌いなものの知識量や質が劣っている点について、件のコラムの場合は、嫌いな作品の場合はきちんと本編を観ることもなく、そのためドラマの細部の描写の認識が、おろそかになっている感があります。またこれは本編だけではなく、公式サイトやSNSの情報にも同じことが言えます。

そして
「他の作品を否定するための叩き棒として好きな作品を持ち出すのは誰も幸せにしない」
この場合、当事者の好きな作品がイメージを落とすことになりかねません。

それからこの部分

あと、これもよくあることなんですけど、「自分の好きなもののライバルへのアンチ活動」って、人間すごくハマりやすいんですよ。マイナスの意見の方がモチベーションが生まれやすいというか、ファン活動より実があったりしますからね。その実が美しいかどうかは別として。

これもおおいにうなずけます。ライバルであるかはともかく、条件面で似通っていて、また自分の好きな存在をおびやかしかねない、あるいはその地位を奪いかねない(と、当事者が考えている)場合は、特にアンチ活動が攻撃性を増してくることはあるでしょう。

それと「逆張り」について別のnoteから。

一口エッセイ:「逆張り」の研究
https://note.com/nyalra2/n/nf0d9da45a6fe

こちらは「『逆張り』の研究」という本を基にした文章となっています。
元々は相場に逆らう、裏をかく形で投資を行うことですが、ネット上の話題に逆らう形で主張することをもこう呼びます。こちらもいくつかピックアップさせて貰いますが

1.ネットスラングの「逆張り」はSNSと相性が良く、大衆が夢中になる巨大なモノに反抗する高揚感、同じ意見を持つ仲間で固まっていく一体感、とにかく「何かと戦っている」感覚を得ることができる
2.人気や権威ある作品や作家を貶してボロクソに言うことで、本人の中で批評した気持ちになってしまう現象
3.その作品に「ある」点を見つけるより「無い」点を叩く方がずっと楽で誰にでもできる(書いてないことを指摘するだけなので)
4.「冷笑」タイプのオタクの話も多く、これはシンプルになんでもバカにして欠点を指摘することで、なんとなく頭良さそうに見せている人たちである
5.逆張りや冷笑によって「個性」を得ようとしてしまうのも、反抗期や思春期が誰にでもくるように、ネットを数年浴びると避けられない問題かもしれず、ある意味必要な期間でもある

2の場合、これも例のコラムにありがちな傾向ではありますが、ただこの場合、必ずしも「人気や権威ある」だけではなく、特定の対象を叩くことにより、その対象を肯定している人達に対して、一矢を報いた気になれるということも言えるでしょう。
3の「ある」点を見つけるより、「無い」点を叩く方が楽、こちらも2と同じことが言えるかと思います。

逆張りがSNSと相性がいいというのはうなずけます。ただその場合、逆張りをしたい対象がネットで話題になっているというのが前提条件という必要があります。叩き棒とは、好きでない対象を貶めるという意味で共通していますが、この場合もちろん好きな作品と比較するのではなく、最初から当該の対象の存在を否定してかかるという点で異なっています。


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[ 2023/09/17 01:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第25回に関しての武将ジャパンの記事について-4

『武将ジャパン』大河コラム関連その4です。


『どうする家康』は「シン・大河」だのなんだのぶちあげ、若者向けとされています。
そんなことにエビデンスはなく、ふわっとした宣伝戦略でそうなっているだけ。
一方、それを否定するエビデンスはありました。
◆【どうする家康】瀬名の描く理想国、多くの布石打った脚本が前代未聞の展開に(→link)
注目は「ウルトラC」なんて言葉を使った以下の部分です。
■ 固定概念から完全にフリーダムな物語へ
(前略)史実の疑問への思わぬ回答や布石を、これでもかと詰め込みながらも「あー、そういうことか!」と納得させるという、ウルトラCの脚本にうなる人も多かった。
ウルトラCとは、1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックで生まれた言葉です。ほぼ60年前ですね。
果たしてそんな古い言葉が、本物の若者の心に響くものなのか?

まずこの出典ですが、関西の京阪神エルマガジンですね。なぜスポーツ紙だけでなく、わざわざこういうのを持ち出したのかは不明ですが、1970年代末の創刊で、比較的年齢の高い層も読んでいるであろうことを考えれば、そこまで不自然には思えません。
何よりもこのメディアは「『どうする家康』が若者向け」というのを大々的に打ち出しているでしょうか?でなければ、こういう年配の人たちになじみ深い言葉を使っても納得できます。

それとオリンピックがどうこう、『いだてん』関連だから攻撃したいのかなと思ってしまいます。普通に考えれば、ちょっと古い言葉だけと年齢層が高い人たちがターゲットかな、くらいで済まされると思います。

『いだてん』もそうでしたが、若者向けだの斬新だの、必要以上に強調する大河はむしろ胡散臭い。1964年東京オリンピックにノスタルジーを感じる層は、もう若くはありません。
(中略)
大河と朝ドラは、40代から50代に忖度すると好評になる。
『舞いあがれ』が典型例で、「大学はサークル活動のために行くの! 講義中は居眠りでしょw」というヒロインの価値観は、劇中のヒロイン設定より十年以上ずれていました。

『いだてん』がどのようであったのか、あまり観ていないのでわかりませんが、若者ターゲットというのは、別に1964年のオリンピックにノスタルジーを感じる感じないかは関係ないのではないでしょうか。
そして『舞いあがれ』の舞ですが、武者さん以前にもnoteの朝ドラ記事で、同じようなことを書いていたかと思います。居眠りしたのは、なにわバードマンのスワン号のパイロットに選ばれ、減量とトレーニングに追われていたのが原因なのですが、その辺をすっ飛ばしていますね。

◆『どうする家康』 なぜ瀬名は「策謀家」として殺されねばならないのか その真の意味(→link)
まるで、蘇秦か張儀か鬼谷子か……って、失礼なのでやめていただけませんか。
中国の英雄にあまりに失礼です。
瀬名が近いのはむしろ三国志作品で序盤の張角あたりでしょうよ。
いや、張角だってもっと立派ですが、フィクションだとカルト教祖扱いにされるという意味です。
千代のバンダナを黄色くすれば、まさしく黄巾党ですね。

「中国の英雄にあまりに失礼です」
武者さんも、漢籍を引っ張り出してくる割に、時々解釈が違っているのがありますが、これも失礼ではないでしょうか。そしてまた「カルト」、本当にカルト好きですね。

◆「どうする家康」17年前からのロングパス伏線…瀬名「命を懸ける時」ネット悲痛「遺言という名の呪い」(→link)
NHKとジャニーズ忖度に余念がない大手スポーツ紙は、本当に毎回懲りずにしつこいですが、またもや「伏線」ですわ。
『カムカムエヴリバディ』以来ネットニュースが大好きな「伏線」に、「ネット悲痛」と入れて若者アピールにぬかりはありません。

そしてまた「ジャニーズ忖度」、こちらの方が毎回しつこく感じられるのですが。しかも犯罪に関わったことのない俳優さんが悪者であるかのように一々書いてこれも失礼。
そして伏線がどうのこうの。好きな作品なら伏線を嬉しそうに使う武者さんも、嫌いな作品だと否定しまくりですね。

「でもさ〜、ほら、役者のイメージってあるでしょw あの役者さんを悪役にできないからああなっているのw」
こんな擁護もあるようですが、俳優という職業をどう思っているのか。
イギリスの俳優が一度は演じて欲しい役は、シェイクスピアの『リチャード三世』タイトルロールです。
最低最悪の悪役として有名なのです。
しかし、そんな悪役だからこそ、演じることで新境地に挑みたい。
韓国の場合、実力派俳優は憎々しいほどの悪役や、どうしようもない役を演じることがステータスシンボルになっています。
にもかかわらず、陳腐な擁護をしている時点で、役者という職業への敬意は感じられませんし、それが日本の芸能界のお約束だとすれば、危機的だと思います。

その「役者のイメージ」が誰に向けられているのかは不明ですが、悪役を演じるのにステータスがあれば、当然それを演じることに誇りが持てるでしょう。歌舞伎の悪役などもそうかと思います。
何よりも第24回で、この大河では十分に悪役と言える、寺島進さん演じる水野信元をチンピラだ何だと書いていながら、悪役こそ最高と言い出すのがちょっと不可解なのですが。

私が最も気になるのは、今川氏真役と武田勝頼役が十分悪党として描かれているという点です。
演じる方はまだ若く、時代劇との相性もよく、実力もある。
将来大河の看板を背負って立つ有望な役者だと思います。
そういう二人、これから伸びゆく逸材に泥を塗りたくっておきながら、どうして「役者のイメージが大事!」と言えるのか。私には理解できません。

悪役をほめながら、この大河で悪党だと言われるのが嫌とは、話が矛盾しているのですが。しかもその出典がないようですが、どの記事なのでしょうか。
個人的には勝頼の方が、悪党というか陰のある役で、それをうまく演じていると思います。氏真はプライドの塊だったような人物が、憑き物が落ちたような感じになっているイメージです。

所詮はドラマなんだから、傑作と褒める人がいても、駄作と貶す人がいてもいい。こんな意見もありますよね。
しかし、私はそうは思えません。
ドラマの感想をSNSに書く
RTといいねがつく、フォロワーも増える!
目立つために過激な投稿や、トリビア、芸能通らしいこと言うようになる
肥大化する自我
これの何が悪いか?って、自分の頭で考えることを放棄して、まずはネットウケばかり気にするようになります。
「インフルエンサー」の語ったことは、事実として間違っていても拡散してゆくもの。
そのインフルエンサーがどうにもおかしくなっていくというのは、水源に毒を撒くようなものでしょう。
さらには、目の前にいる大事な誰かより、ネットの反応を重視するようになります。

エンタメは賛否両論あるし、またSNSとはそういうものではないかと思います。嫌なら距離を置けばいいだけの話です。
そこまで皆が皆「インフルエンサー」のイエスマンなのでしょうか。無論影響力の大きな人を中心に、コミュニティが出来上がるのは事実でしょうが、逆もまた真ではないかと思いますが。
そしてそのインフルエンサーがおかしくなるという証拠は何でしょうか。
「さらには、目の前にいる大事な誰かより、ネットの反応を重視するようになります」
ならばその人とは距離を置いた方がいいと思いますよ。

しかし「水源に毒を撒く」という言い方が凄いですね。

私の友人は、ドラマのネット評に浸かりすぎた結果、だんだんと精神が悪化してゆきました。あれほどファン心理を熱く語る割には、私が好きなドラマを悪様に罵倒しだしました。
しかも実は一度も見ていない。
会社で同僚が悪口を言っていることを聞き、真実だと思いこみ「こんな非常識な作品は叩かれて当然でしょw」と得意げに語っていました。
訂正するのも面倒なので、放置していたら悪化するばかり。

自分と未来は変えられるけど、過去と他人は変えられません。

インフルエンサーがヘイトを繰り返す陰謀論者であったために、その人も朝から晩まで罵倒と陰謀論を呟く人になっていました。
ドラマを褒めるにせよ、貶すにせよ、ヘイトや陰謀論という毒が混ざると危険です。
「お前が言うんじゃねえよ!」
はい、そんな声が聞こえた気がします。
それはそうですね。なるべくエビデンスを得つつ、慎重にいきたいと思います……が、同時に大事なのが自分の頭で考えることでしょう。
私の言うことにガンガン脳内で反論してください。そうすればインフルエンサーやクソレビュアーに影響されることもありません。
思考を鍛えていきましょう。

言っては何ですが、何だか武者さんのこの言葉の方が陰謀論に見えてしまうのですが。
そして自分の頭で考えろと書くわりに、ネット上の意見に影響されているように見えるし、エビデンスを得るも何も、ドラマ本編関連も史実関係も、ちょっと首をひねるような記述が多いのも事実ではあるのですが…。
そしてこの次が、例によってファンダムがどうのこうの。これ大河関連コラムですよね。本来大河に何が描かれ、どういうメッセージがあるのかに割かれるべきスペースに、SNSの陰謀論がどうのこうの。そんなにSNSについて書きたいのなら、他の記事でやっていただけないでしょうか?

あと

孫子曰く、「上兵は謀を伐つ」。最善の策は謀略を見抜くことだという。

とあり、その後ファンダムについて長々と書かれた挙句、

「大掛かりな詐欺行動」なんて、古参の大河ファン、歴史ファンからすれば、むしろ自家薬籠中のものではありませんか。むしろ基本でしょうよ。
それなのに「民放でこんなにウケた古沢神すらわからない、頭の固いクソレビュアー乙ww」というスタンスでしょうか。
そんな騙し合いなんて、それこそ『孫子』を読んでいればわかる。それを踏まえた上で、「こんな雑な策で騙せるわけがない!」とこちらはシラけているわけです。

「自家薬籠中のもの」より「おなじみのもの」程度で意味が通じるかと思いますが。
取りあえず武者さんの孫子好きはわかりますが、武田信玄の「戦は勝ってから始めるもの」が孫子由来であったことに、何も言及していなかった気がします。こういうところでやたらに出すのではなく、あの信玄のセリフがあった回で、それとなく孫子について語る方が、ファンダムだなんだに付随させて「大河レビュー」のスペースを埋めるより、よほどかっこいいのではないかと思います。

飲み物-ジョッキのビール
[ 2023/07/08 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第21回に関しての武将ジャパンの記事について-3

では『武将ジャパン』大河コラムの続きです。

しかし何と言いますか、内容そっちのけで自分が書きたいと言うか、そう書かないと気がすまないのだなと思われる文章ばかりで、肝心の大河「レビュー」はどうなっているのだと思います。『青天を衝け』の時もこの傾向はありましたが、それよりもはっきり言ってひどくなっていますね。

鳥居強右衛門の歌は、考証として正しいのでしょうか?
『麒麟がくる』や『鎌倉殿の13人』では歌う場面や楽器を演奏する場面はきちんとしていました。

強右衛門のは岡崎体育さんのオリジナルですし、あれはあくまでも強右衛門自身の心の内を歌ったものですが。そして歌う場面や楽器を演奏する場面は「きちんとしていた」て、どのようにきちんとしていたのですか?これじゃ単に『どうする家康』の描写の否定でしかありません。で、その単なる否定がかなり多いのですね。

それに引き換え本作は呆れるばかりのワンパターン演出。
突然出てくる。死ぬ。ピアノ。
って、なぜこれで泣かないといけないのか?

誰かこのシーンで武者さんに「泣け」と言ったのでしょうか。涙を流したのは長篠城主の奥平信昌で、自分のために岡崎まで行って交渉をし、最終的にああいう死に方を、しかも目前でされたのなら涙も出るでしょう。
そして「ピアノ」とありますが、武者さんはあの時のBGMが、ピアノに聞こえましたか?録画をお持ちの方は、あの回の41分あたりを再生してみてください。

鳥居強右衛門が信長に対して、長篠を救えといきなり言い出すし……セキュリティはどうなっているのでしょう。
号泣するような忖度を要求されてばかりで、ストレスばかり溜まってきます。

セキュリティ云々ですが警固の兵がちゃんといて、強右衛門が信長に近づこうとした時、無礼者と引きはがしていますよね。それと「号泣するような忖度」と言うのはどうかと思います。所謂「ここは泣くところだな」というのは、どの大河でもありがちだと思うし、これに関しては『麒麟がくる』も然りでした。
それからストレスを溜めるとよくないですよ、もう観ない方がいいのに。

本作の制作陣は
『べちゃべちゃ甘ったるい喋り方をしないと萌えないんだ〜w』
とでも思っていませんか?
日本人女性の声が高いことは、悪名高いものでした。近年は修正されているとされるものの、このドラマの作り手はそんなアップデートと無縁です。

この大河で
「べちゃべちゃ甘ったるい喋り方」
の人はいるでしょうか、お万でさえそうとは思いませんでしたが。
あと日本人女性の声が高いというのも、何やら海外出羽守ぽいし、声が高いと言うよりは、女性タレントなどがちょっと舌足らずとか、すぐ大声を出したがるという方が寧ろ正しいかと。

もしかして『おんな城主 直虎』の小野政次の二番煎じなのでしょうか。井伊直政も雑になぞっていますよね。
亀は結局、死ぬ間際の妄想に見るかわいこちゃん。
亀のことを知っていてそう描けるっていうのが辛い。

また「二番煎じ」。
強右衛門が磔刑にされたのは、その話が最も有名だからです。ああいう形で旗指物にも残っていますからね。そして亀姫が現れたのは、岡崎城で実際に会っていること、ろくでなしと言われていた自分の働きで、主君信昌と亀姫が結婚することになり、ああいう幻想を見てしまったのでしょう。

それなのに看板ドラマがジャニーズ主演と副主演とは……今後どうなるか暗雲が立ち込めています。

ジャニーズ関連の不祥事がNHKで放送された、それなのにと言いたいのでしょうが、前にも書いたように、この2つは分けて考えるべきかと。
そして『偉人たちの記者会見』ですが、

本能寺の変にあわせまして、明智光秀が織田信長を討った事を謝罪するわけです。
光秀を演じるのは『鎌倉殿の13人』で善児を演じた梶原善さん。光秀も信長も、『どうする家康』と比べることも失礼なほどにうまい。しかも『真田丸』の音楽が使われています。
こういう番組では現在放映中のものを使うと思いますが、戦国時代に合わないのでしょうかね。

「光秀も信長も、『どうする家康』と比べることも失礼なほどにうまい」
また随分と失礼ですね。この番組自体は面白そうだし、梶原善さんのちょっと情けない表情が、悪いことやってしまいましたといった雰囲気ではありますが、大河下げに使われるのが嫌ですね。武者さんはそれをやりたいのでしょうが。それと『真田丸』のOP、大河のOPテーマは、何にでも使うわけには行かないのでは?ならば、やはり武者さんが好きな、それも光秀が主人公の、『麒麟がくる』のOPでもよかったでしょう。でもそうはなっていませんね。

このドラマはネットに特化しているという評価が一部であるようです。
それは大河ドラマのファンダムが大きいだけのこと。
偏った意見だろうと、ハッシュタグをつけた投稿はそれなりに多く、ゆえにトレンドも取る。
ファンアートが投稿されると、その絵師のファンが喜んで、RTといいねを繰り返す。
お互いWin-Winだからそれを繰り返す。なんなら作中にない描写を二次創作して、それがウケる。
そういうエコーチェンバーを構成しているだけのことでしょう。

以前も書いたことがありますが、そのファンダムの中で楽しんでいる人も当然いるわけで、その人たちの行為に対して、武者さんがあれこれ言うものではないと思います。気に入らなければ無視すればいいだけのこと。

毎年、大河関連書籍は歴史雑誌コーナーにありますが、ここにあるのは当然のこと。
そうではない一般誌にまで記事があれば、世間でも大いにウケていると判断できます。ネットではなく、紙媒体となると売上に直結するため、駄作大河は取り上げられない。ゆえに真実が浮かび上がってきます。
私が見る範囲では、家康本人を特集する記事はあっても、ドラマそのものに触れられるケースは少ない。
主人公の知名度で言えば、家康ドラマのほうが絶対的に有利なはずなのに、去年のほうが確実に盛況です。

では昨年はドラマそのものに触れられているのが多かったのでしょうか。それはどのメディアなのでしょうか。
そして今年は「ドラマそのものに触れられるケースは少ない」だそうですが、この場合もどれとどれであれば、ドラマそのものを扱っているのか、それを明記しないと話になりません。

それとガイドブック関連でこういう記事があったので置いておきます。後編のガイドブックが売り上げナンバーワンだそうです。

松本潤主演大河ドラマ「どうする家康」公式ガイド後編や、シリーズ累計70万部突破の『とにかく仕組み化』が初登場|週間ベストセラー(2023年6月6日調べ)
(ほんのひきだし)

その後、白居易(白楽天)は詩を作ると、仲間ではなく近所のおばちゃんに読み聞かせて、その感想を聞いていた、それで受けたら詩の価値がわかるなどと書かれており、さらに
「要は、普段と別の場所に行くことで、見えることもあるんですね」
なのだそうですが…。確かこれ、白居易は平易な作風を目指しており、ゆえに字がわからない老女に呼んで聞かせることで、如何に平易に、伝わりやすくするかを心がけたのではないでしょうか。

それから、

とある歴史をテーマにした本が、大ヒットをして受賞ラッシュでした。しかし、どうにもおかしい。なんか思いつきを大胆に語ったら受けただけでは? そういう検証本を読みました。
これは大河にも当てはまることでしょう。
特にSNSだと先鋭化して、深読みだの考察だの広まります。それを動画にすれば再生数も稼げる。
しかし、考察するにせよ、点と点を繋いで線を引いて、洞察する手続きがいる。
(中略)
これが事実の分析です。
それをすっ飛ばして、こういうことをしたらただの陰謀論です。

これに関してはtaketak39460607さんのツイートにもありましたが、ならば武者さんも自分の思い込みや誹謗中傷を書くのではなく、ちゃんと史料や文献を参照したうえでこのコラムを書いてください。でなければ
「思いつきを大胆に語った本」
「先鋭化したSNS」
とそう変わらないかと思います。

『どうする家康』にまつわる物事は、一事が万事、この調子です。
ストロングゼロを数本飲めば、そう解釈できるのかと戸惑うような話がバンバン出てきますが……そんなものは本作の本多忠真だけで間に合ってます。

『どうする家康』ではなく、武者さんのこのコラムの方が
「ストロングゼロを数本飲めば、そう解釈できるのかと戸惑うような話がバンバン出てきて」
いるように思うのですが…。あと武者さんに飲ん兵衛殿を語ってほしくないなと思います。

『鎌倉殿の13人』の場合、(中略)公式サイトには時代考証の先生がコラムを書いていて、読み応えがあり助かりました。それが今年はスカスカです。
SNSの非公式な解説、動画、関連書籍はあります。関連番組を見ないと理解できないこともある。
まるで大河が、利益誘導へと導くコンテンツみたいなんですよね。
公共放送でこれは健全なスタンスでしょうか?

解説、動画や関連書籍はどの大河でもありますし、関連番組を観ないと理解できないのもまたしかりです。別に今年に限ったことではないし、ただ当該作品を好きか嫌いかで捉え方が違ってくると言うことでしょう。嫌いな対象はネガティブに見ますからね。
そして武者さんの場合、「スカスカ」などと書くのは、平山優氏にツイッターで注意されているせいもあるでしょうか。

あとこういうのもありました。

◆北野武監督、日本の映画製作に警鐘「大作は人をいっぱい使わないとつまんない。CGはダメ」(→link)
確かにその通りだよな……と思いながら『首』のプロモを見ました。
古典的な時代劇に固執するわけでもなく、軽いと思えるところもある。それでも衣装も所作も何もかもが『どうする家康』とは比べものにならない。
そして思わず身を乗り出してしまったのが、荒木村重が信長から刀に刺した饅頭を突き出され、喰らいつく場面です。
これだ、こういうのが見たかった!

そして
「それでも衣装も所作も何もかもが『どうする家康』とは比べものにならない」
これも失礼な言い方だなと思います。何もかも褒めろとまでは言わないにしても、制作サイドにもう少し敬意を持てないものでしょうか。しかも個人サイトやブログならまだしも、報酬を貰って書いている大河コラムなのですけどね、これ。

それから
「荒木村重が信長から刀に刺した饅頭を突き出され、喰らいつく場面」
武者さん、これ、貴方が嫌いな『軍師官兵衛』に確か登場していましたよ。

またCGに関しては、再度NHK静岡のこの記事を置いておきます。

【どうする家康】磯智明プロデューサーが語るドラマ出演者の素顔 シンポジウム記録②

エキストラの方たちも今は安全を考えて、気温が35度を超えると撮影が中止になる。(中略)30度を超えるとほとんどロケはできない。こうした異常気象の時代の中でどうやったら大河ドラマのスケール感出せるかをここ数年考え、1つのやり方がこういうやり方でして。(中略)これ(LED画面)をやると当時の岡崎城、浜松城、駿府城、関ヶ原、リアルな地形をそのまま再現できる。関ヶ原の映像も馬が数頭、人のエキストラが数人ぐらいで、あとはバーチャルとCGで作っています。そういうところにシフトしていくのが今の大河の撮影現場ですね。

これも武者さんの言う「アップデート」の1つだと思うのですけどね。

そして村重関連から浮世絵、そして浮世絵の題材にもされた鳥居強右衛門の描き方へのクレームと長々と続いて行くのですが、これは省略します。

しかし、そもそも私はこう感じている。なぜ、出来の悪い大河は、私の好きな歴史上の出来事や人物を改悪して描くのかと。侮辱するのかと。
そのことがとてつもなく悲しい。ただただ、虚しい。
歴史を描くというのは、資料を追いかけるだけではないでしょう。
私たちの先祖が描いてきた「これが見たい!」と追い求める需要と供給の一致。
それを表現する配慮と技術。
英雄への敬愛。
そういうものが入り混じって構成されてきたはず。
それを大河が断絶させるって、何がしたいのでしょう?

「出来の悪い大河は、私の好きな歴史上の出来事や人物を改悪して描くのかと。侮辱するのかと」
武者さんが最初から駄作認定するから、そう見えるのだと思いますが。それに誰も、武者さんのための大河など作っていません。いくら武者さんが悲しいだの、需要と供給の一致だのと言っても、これでは前にも書いたように
「私が観たい大河を作れ」
と言っているに等しいのです。

それと「英雄への敬愛」て、いくら英雄を描いていても、武者さん自身が駄作認定していれば、そこに敬愛などあるわけもなく、誹謗中傷のし放題になっているように見えますが。で、その後「えびすくい」が需要と供給のバランスが悪い、つまり自分は見たくないのにしつこく出て来ると書いているのですが、あれを楽しみにしている人もいるのではないのですか?

そして孔子を使って『どうする家康』をディスらせてますね。武者さん儒学は好きななずなのに、その儒学を発展させた人物にこんなこと言わせているのですか。

「たとえば、これだ『どうする家康』。センスとしてわけわからんが、それでも逡巡の中身が政治や軍事ならば、まあ許容範囲だがね。それがどうだ。側室だのお手つきで迷っている。そんなもん視聴者が求めていると思う? なんかタイトルが伏線回収とかよくわからん記事が出るけどさぁ」

何だか、なりふり構わなくなっている印象を受けます。

飲み物-テーブル上のマグのビール
[ 2023/06/11 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第11回に関しての武将ジャパンの記事について-3

先日の続きです。今回も引用部分は短めにしていますが、それでも長めになっています。それから先日「刈谷城攻め」と書いていましたが、もちろんこれは鵜殿長照の上ノ郷城攻めの誤りです、訂正しています。

やたらと芝居ががかっていた田鶴が不憫でなりませんでした。
(中略)
しかも回想シーンで、冬なのにペールカラーの着物で話している二人がいる。あれでは寒いとしか思えません。
この田鶴の回想に出てくる場面が、おじさんが考えた若い女設定でさらに辛い。
「若い女はスイーツ食うよね!」
だから、このセンス、もうどうにかしてっての……。

また「ペールカラー」(苦笑)
そして必ず「おじさんが考えた若い女設定」
武者さんのこの固定観念の方こそ、どうにかしてくれと言いたくなります。
で、
「串団子で、はしゃぎながら外食するってどれだけ陳腐な表現方法なんですか。怪我の原因にもなるからやめましょうよ」
くわえて走ったりすれば確かに危ないでしょうが、そういうシーンはありませんよね?
第一この当時、外食するなら団子とか餅とか、そういうのに限られていたと思うのですが。

お団子食べてはしゃいでいる時間があったら、統治者なり為政者なりの思いでも入れるべきだったのでは?
本作に、とにかくありがちな描写――ぶつ切りにして、臭い感動を入れればいいと思っている。

武者さんに取っては「臭い感動」であったのでしょうが、お田鶴がこの行動に踏み切るためのいわば伏線だったのではないでしょうか。ここで

「どうする家康」田鶴の行動原理は瀬名への「強すぎる愛」 “裏切り者”の声も「うれしかった」
https://mantan-web.jp/article/20230317dog00m200069000c.html
(MANTANWEB)

という記事が紹介されており、
記事でわざわざ解説しなければならないほど、本編の描写が足りていないなどとありますが、ちゃんと観ていればわかることでしょうし、他の大河でもそれは同じと思われます。
そして、

そもそも田鶴の話は、後世の創作とされます。
それをここまで引っ張るばかりか、しょうもないアレンジを効かせて、台無しにしてしまう。

創作と言うよりいくつか説があるため、どれを採るかとなったのではないでしょうか。そして例によって
「しょうもないアレンジ」
どこがしょうもないのでしょうね。彼女が城を守ったこと、城下に赴いたこと、さらに瀬名に手紙を送ろうとして結局送らなかったことなどなど、それなりに意味があると思いますが。

そして「料理初心者ほどわけのわからんアレンジをして、色々ぶち壊しにする状態」なる書き出しで、「レモン味の牛乳」を

三谷幸喜さんならばわざと固めてカッテージチーズ風にできるし、森下佳子さんならばラッシー風にできるし、池端俊策さんなら寒天を入れることで解決する。それが今年は、固まりかけのまずい牛乳だけが残っているんです……飲みたくありません。

何言っているんだ?と言いたくなってしまいます。しかし徹底して好きな脚本家しか出していませんが、山本むつみさんは登場しないのでしょうか。
それと「飲みたくありません」
だったら飲まなければいいのでは?

そして瀬名とお田鶴をクローズアップした、本作の女性描写が酷い、こういう記事があるがどれもこれも脳内妄想女などとあります。失礼ですが、武者さんの方が脳内妄想なのではないかと思いたくもなりますね。
その記事とはこういう記事です。

有村架純&松嶋菜々子&古川琴音ら「どうする家康」のカギを握る女性たち
https://www.cinemacafe.net/article/2023/03/18/84159.html
(シネマカフェ)

女性たちが様々な形で登場するのは、昨年も似たようなものだったと思います。しかし武者さんも叩くためとは言え、色々な記事に目を通してますね。本当はこの大河を好きなのではないかとさえ思ってしまいます。でベクデル・テスト(ジェンダーバイアス測定のためのテスト)がどうこう、ひらパーで岡田准一さんが既視感のある格好で、メリーゴーランドに乗ってどうこう。これには
「どう見ても作り物の馬に乗って、はしゃぐ信長もとい園長て……そんなんお前、むしろ皮肉っとるんやないか?」
遊園地だから当然かと思いますけどね。ちなみに信長ならぬ園長(そのなが)という名で登場したようです。紛争姿はこちらをどうぞ。

https://www.hirakatapark.co.jp/
(ひらかたパーク公式サイト)

さらに
「ま、それはさておき、関西弁ネイティブの岡田准一さん、時代劇もお得意です。
(中略)
バリバリに関西弁を使う役が見たいんですよね。どうですかねえ。楽しみにしております」
関西弁が理由ではない(多分)とは言え、BK朝ドラが嫌いな武者さんにそう言われてもなあ…と思います。

そしてこの回では登場していないお葉の関連記事ですが、彼女のしぐさが『うる星やつら』の場面に似ているという記事をわざわざ持ち出し、こういう記事を引っ張って来て、このアニメは1981年のだから若者向けではないとか何とか。知らないなら知らないなりに楽しめるのではないでしょうか。実は私もこのこと知らなかったのですが、『レジェンド&バタフライ』に似ているとは思いました。
あとお葉の家康に対する仕草に「ムツゴロウさん」という声もあったとのことで、これも80年代だから若者向けではないなどと書いていますね。

そしてこの部分、

面白ければ褒める。
つまらなければ批判する。
レビューというのは当然そうあるべきだと思いますが、つまらない作品についてそう批評していると、私のような末端の者にまで「なぜ褒めないなんだ、馬鹿か!」といった言葉が飛んでくることがあります。

「面白ければ褒め、つまらなければ批判する」は、1つの作品の面白い部分、そうでない部分をそれぞれ批評または批判するものだと思います。しかし武者さんは好き嫌いのみで判断し、嫌いな作品即ちつまらない作品と決めつけるから反発も来るのでしょう。レビューとは本来、もっと客観的な分析が要求されるものではないでしょうか。これが

作品の面白い部分は褒め、つまらない点は批判する。
レビューというのは当然そうあるべきであると思います。仮に作品がつまらないと思われても、描き方や登場人物の動かし方などで見るべき部分はあるでしょう。ただ批判が多くなると反発がくることもやはりあります。

とでも書かれていたら、まだ納得できるのですが。

それからステラのテレビ桟敷談義なる記事ですが、これも一応URLを置いておきます。

家康(松本潤)の側室問題は続く!? 大河で描かれるセクシュアリティーってなんだ? 大河初心者の“見た蔵”とマニアの“同門センパイ”が第10回を大胆レビュー!
https://steranet.jp/articles/-/1623
(ステラnet)

武者さんが公式ポリアンナ(記事)と呼ぶこのステラの記事、戦国期の女性同士の同性愛で、
「ドラマでは、扱い方がセンシティブで難しいんだ。今回は、家康は同性愛について理解を示した、それくらい懐の深い人でした、というのがオチだよね。でも、ドラマからはそれ以上のメッセージは伝わらないように感じたんだ」
そして公式ポリアンナも引いたとあるのですが、別にこの桟敷談義なる記事、武者さんが言うポリアンナ記事ではないように思います。他に大河紹介記事もありますし。

そして『平清盛』はバッシングがひどかったのに、SNSで盛り上がった、ドラマ通は理解できる作品と位置づけできたと決めつけ、本当に必要だったのは、批判の中身を吟味して改善することだったと書かれています。そして家康も反省からの改善がないとか何とか。
確かに清盛は反省すべき点もあったかとは思いますが、後からDVDで観た限りでは癖が強めながら、そんなにひどい作品とも思いませんでした。ならば『麒麟がくる』にも同じようなことが言えるかと思うのですが、その点武者さんはどう考え、どう改善するべきだったと思っているのでしょうか。

そもそもこれ、清盛がどうこう言っていますが、例によって関連ツイのハッシュタグのことを批判したいように見えます。

あとこの漢詩ですが、

項羽作『垓下の歌』より
力抜山兮気蓋世
力は山を抜き、気は世を蓋(おお)う
私の大河愛はめっちゃ素晴らしくて、タイムラインを絶賛で埋め尽くすほどなのに
時不利兮騅不逝
時に利あらず、騅(すい)逝(ゆ)かず
ドラマ通が少ないのか、マスゴミやアンチのせいか、視聴率が低迷してる!
騅不逝兮可奈何
騅(すい)の逝(い)かざるを奈何(いか)にすべき
トレンド一位取ればヒットのはずなのに、それが通じないってどういうこと!?
虞兮虞兮奈若何
虞(ぐ)や虞(ぐ)や若(なんじ)を奈何(いかん)せん
えーん辛いよぉ、推しがヒットしないのどうすればいいのぉ〜!

最後の「虞や虞や汝を奈何にせん」は有名ですね。それはともかく、皮肉ろうとしてどうも「おじさん構文」同様滑っているような感があります。何か1人で感傷に浸っているように見えると言うか、単なる自己満足のように見えますが。
このコラムが「レビュー」たりえないのは、こういう点も一因かと。


飲み物ウイスキー

[ 2023/03/25 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第10回に関しての武将ジャパンの記事について-6

先日の続きです。

あと例によって『大奥』関連の記事を、ゴシップサイトからも引っ張って来たうえで、この次の朝ドラの記事を紹介しています。

◆4月開始「らんまん」ディーン・フジオカ 7年ぶり朝ドラ凱旋「光栄」坂本龍馬役“恩人”五代さまと親交(→link)
最新研究がいまひとつ最近の大河に反映されていない幕末明治、しかも土佐!
ジョン万次郎も出ますし、自由民権運動も扱う。
楽しみに待っています。

えーと、ジョン万次郎は既に『西郷どん』で登場し、同じ『西郷どん』で薩長同盟関連の最新研究も登場していますが、それはまるっきり無視の、実に武者さんらしい喜び方ですね。この人は好きな作品に登場しない限り、最新研究も、史料を基にした描写も認めませんからね。
しかし武者さん、貴方ディーン・フジオカさんが出て来る作品、嫌いだったのでは?

本作は、嫌な煮詰まり方をしてきました。
ファンの間で、
・このドラマは面白い、なぜなら
といった表現ではなく、
・このドラマの面白さがわからないのはバカだ
といった論調がしばしば見られるようになってきたのです。

何かブーメランを見たような気がします。
「このドラマの面白さがわからないのはバカだ」
と言うのは、好きな大河の場合に、それを批判する人たちに対して武者さんが取る態度に非常に似ているのですが。

私は、本作の陳腐な内容について、制作サイドやポリアンナメディアに失意を感じ、大河ドラマ自体が好きで批判の記事を書いていますが、ドラマを楽しんでいる人そのものには何ら感情はありません。
作品についての好き嫌いは誰にでもあり、何を取捨選択しようが個人の勝手でしょう。

どこが「陳腐」なのかちゃんと書いて貰えないでしょうか。
それに制作サイド、ポリアンナメディアなる名称の記事などなど、どの大河にもありがちだと思いますし、どう見ても最初から叩く気満々で書いているとしか思えません。大河ドラマが好きなら、長所短所それぞれを挙げてしかるべきで、全面否定あるいは肯定ばかりする人を大河好きとは呼ばないと思います。武者さんの場合大河好きなのではなく、麒麟好きや鎌倉殿好きなのでしょう。

それと
「作品についての好き嫌いは誰にでもあり、何を取捨選択しようが個人の勝手でしょう」
率直に言って、よくこのコラムでこんなこと書けるなと思います。書かせている方にも無論責任はありますが、歴史ポータルで大河コラムを、しかも報酬を貰っているはずの人が書くことでしょうか。ならば個人のブログやサイトで、無償でやってください。

そして「ライター」なら、
「ドラマを楽しんでいる人そのものには何ら感情はありません」
「感情」などと書かず、せめて「他意」くらい書いてほしいものです。

あとツイッター上のファンダム関連で(これを一番書きたいのではないかと思います)、

それが近年、朝ドラあたりから、どうにもおかしく感じます。
自分の好き嫌いと一致しない人間を見つけると、SNSで一方的に突っかかって喧嘩腰のリプライをつけたり、相手のツイートを勝手にスクリーンショットを取り、罵倒していたりする。

お言葉ですが、自分の好き嫌いと一致しないとすぐにブロックしたり、あるいは、このコラムのコメント欄を閉鎖してしまったりする武者さんに、それは言ってほしくないと思います。

ときには「意見があるなら論文を書け」とまで迫ってくる方もいます。
そんなもんほっとけ、とも思うのですが、一方で大河ドラマが好きだからこそ非常に危うく感じてしまう。
いったい何が起きているのでしょうか。
まるでSNSに酔っているかのよう。
衆人皆酔えるに、我独り醒めたり。屈原『漁父辞』
みんなが酔っ払っているが、私は一人、シラフでいる。
そう思いたくなるほど、悪意が煮詰まった感じを受けます。

そしてツイッターでのやり取りを
「一方で大河ドラマが好きだからこそ非常に危うく感じてしまう」
などと書いていますが、大河のようなエンタメ作品は賛否両論あり、それに関しての意見を、衝突することはあるものの一方的に危ないと言ったり、この後に出て来ますが、「有毒ファンダム現象」などと決めつけたりするのは如何なものでしょうか。

また屈原の「衆酔独醒」ですが、単に酔っぱらっているか酔っぱらっていないかではなく、この場合人としてあるべき道を歩いていないか、または歩いているかといった意味が含まれますね。しかし何だか上から目線的だなと思います。

そして、
先日『アカデミズムとジェンダー: 歴史学の現状と課題』という本を読みました。
そこには「今の若者の中には歴史が好きだけれども、SNSでミソジニーを炸裂させ、女性を罵倒し合う日本史界隈を見ていて、選びたくなくなったものもいる」という趣旨のことが書かれていました。
大河でも、くだらない差別を横行させ、ファンダムが荒ぶるとなると、未来の芽が摘まれかねない――そのことを危惧しています。

結局落としどころは、ジェンダー論のようですね。武者さんて要は大河ではなく、こういうことを書きたいようですから、そちらに特化した方がいいのではないでしょうか。

どんな作品でも好き嫌いがある以上、互いにいがみあうのではなく、それぞれのスタンスで楽しめばよいのではないでしょうか。

タグ付きのツイをしているファンダムの住人も、それぞれのスタンスで楽しんでいると思いますよ。

しかしやはり、「フルタイムのラグビーウォッチャー」氏に、どことなく似ているなと思います。ただあちらは知識はそこそこあって、文章ももっと読みやすく感じられました。


飲み物-ホットラム
[ 2023/03/19 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

平原学氏のnote記事について

それからすみません、『どうする家康』第9回関連のあらすじと感想は、次回以降にさせていただきます。

実はこの1つ前の投稿の反省会関連で、このようなnote記事がありますので、ご紹介しておきます。元々平原氏はライターということもあり、読みやすく書かれています。

『#どうする家康反省会』に物申す!文句言うのはいいが、この姿勢だけは崩すなよ!
https://note.com/barusan/n/n8cc5e2fd2ab2

で平原氏はこの中で、

史実至上主義に持ち込むべきではない
せっかく知識あるのならウィンウィンで行こう
意見がぶつかっても相手を認めよう

といったことを主に書いていて、ネット上の不毛になりがちな対立を牽制しています。無論それでも対立構図に持ち込まれやすくはなるわけですが、好きか嫌いか白か黒かだけになってしまうのは、やはりネット上のやり取りとしてはそれはまずいわけで、互いに譲歩することも覚えようと書いているわけですね。

あと『鎌倉殿の13人』をうまく引き合いに出しています。興味のある方は、一度この記事にアクセスしてみることをお勧めします。言っては何ですが、武者さんのよりはよほど記事としてまとまっています。

反省会と言えば、私も『ちむどんどん』反省会(これも1つ前に書いています)のツイを何度か目にしたことがあります。うなずけるものもあったし、逆にそれは言い過ぎではと思われるものもありました。あと、主演の黒島結菜さんが別のドラマに主演しているのを観て、あれこれ言っている人もいましたが、流石にそれはやり過ぎだろうと思いましたね。


飲み物-カクテルとオイルランプ
[ 2023/03/06 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

今後の『武将ジャパン』関連の投稿について

まず『武将ジャパン』の大河コラム関連の投稿、今年いっぱいはやりますが、今後はもうコラム自体を見るのをやめようかと考えています。

断続的に8年ほど見て来ましたが、相変わらず好きな物は持ち上げ、嫌いな物はちゃんと観ようともしない点、好きな作品を時代背景や舞台もろくに考えずに、嫌いな作品と比較しなおかつ叩き棒にしたがる点、言葉遣いがどうかと思われる点などなど、正直言って改善されているようには見えません。

あとこれは先日の投稿でも触れましたが、漢籍などを引用する割に意味を把握していない点、背景をきちんと調べない点なども如何なものかと思いますので。炎上狙いと指摘する方もいますが、炎上させるならもう少し工夫があってもいいかと思うのですが。実は夏頃もう止めようかと思ったのですが、結局ここまで何とか続けて来ました。

嫌いな作品は特に、あることないことあれこれ書かれる傾向がありますが、それは「辛口な意見」であると言うのを目にしたことがあります。しかし批判するべき点を厳しく批判するのと、ほぼ全面否定するのとでは自ずから意味が異なるはずです。無論どの部分を批判するかは、その人の見方にもよります。

で、取りあえずnote記事のこの部分を引用しておきます。

『天地人』の織田信長以来の……
吉川晃司さん、痛恨のNHKドラマ選択ミス。予告の時点でつらい。何がサンダーだ! 戦闘機乗りと旅客機乗りは違うわ!

『舞いあがれ!』の大河内教官のことですが、まだ本格的に登場してもいないのに、「ドラマ選択ミス」と言うのもどうかと思います。そしてこの大河内教官、自衛隊出身の教官とのことですが、戦闘機に乗って退官した後、民間のパイロットのライセンスを取ったということではないのでしょうか。

そして『天地人』の信長役ですが、あの作品ではヒール的存在なのですから、こういう強面な雰囲気の人が求められたでしょうし、実際ご本人もガイドブックでそう言っており、あの役には嵌っていたと思います。

ただやけに初音がそばにいるのとか、本能寺の爆発はいただけませんでしたが。私としては、『八重の桜』の西郷吉之助の出て来方もちょっと微妙かなとは思いました。あの作品は女性主人公の中では一番好きですが、無論疑問点もないわけではありません。

『天地人』、あまり馴染めない大河ではありましたが、以前禅宗の寺院と武将の学問という投稿で書いているように、武士の子弟が寺院に寄宿して学ぶというのを、きちんと描いていた点などはよかったと思います。

あと吉川さんは、この作品との間に『精霊の守り人』にも出演しているのですが、そちらの方は観ていないので何とも言えません。

それからエコーチェンバーについて、以前書いたことがありますが、また書こうと思っています。小檜山氏=武者さんが、大河コラムで、ネット上のファンのコミュニティがそうだと言って、かなり嫌っているようなのですが、武者さん自身もどこか似たような印象があるにはあります、こちらは確証バイアスと呼ぶべきかも知れません。あとエコーチェンバーと言うのは、多分に同調圧力も絡んでいるとは思います。

飲み物-アイリッシュコーヒー
[ 2022/11/28 00:00 ] その他 | TB(-) | CM(4)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 80その2

『武将ジャパン』大河コラム、第42回後半部分関連記述への疑問点です。しかし思った以上に突っ込みたくなる部分があります。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第42回「夢のゆくえ」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/11/07/171931


1.これ以上、朝廷を第一とすれば、いずれ坂東の御家人全てを敵に回すと言い切り、ついには「あのお方のようになって欲しくない」と……。
政子は悟ります。
義時の言うとおりにせねば、いずれ実朝は源頼家のようになると脅迫じみたことを念押ししてきた。
ここのやりとりは日本の歴史を考える上でも重要かもしれません。
つまり、この時点で坂東武者には天皇の威光が及んでいないと。

坂東武者に朝廷の威光が及んでいないと言うより、朝廷の存在は知りつつ、かつ畏れ多いと思いつつも、鎌倉幕府と言う自分たちの政権があり、それを朝廷と並立させることこそが彼らの夢ではあったかと思われます。

2.そしてこの話なのですが、ちょっと変だと思いませんか。
インド生まれのお釈迦様の骨が、どうして中国にあるのか?
(中略)
時代がくだると、水戸の徳川斉昭がこんな考えに至ります。
「仏教って天竺のもので、そもそも日本にそぐわないのではないか?」
そして領内の寺の鐘を鋳潰して、大砲を作ってしまった。そんな水戸から思想の影響を受けた明治政府上層部は、廃仏毀釈を進めて禍根を残しています。

実朝の医王山関連の話ですが、その後で別にここで出さなくてもよさそうな徳川斉昭と明治政府。よほど叩きたくて仕方ないのだなと考えざるを得ませんね。

3.それでも義時は冷静に、何が一番大切か鎌倉殿に考えて欲しいと言うのですが……義時にも少しおかしなところがあります。
義時は何かにつけ頼朝を持ち出します。
その頼朝は最晩年、宋との貿易をしてみたいと言っていましたが、それを忘れてしまったのか。あるいはフリをしているだけなのか。
彼の理屈は分裂しています。
あるときは頼朝のやり方を持ち出す。そうかと思えば亡くなった兄・北条宗時の言葉を持ち出し、坂東は坂東武者のものだと言い出す。
意図的に嘘をついて使い分けているのか。それともそんな天命が聞こえているのか。

まず
「その頼朝は最晩年、宋との貿易をしてみたいと言っていましたが、それを忘れてしまったのか。あるいはフリをしているだけなのか」
宋との貿易に、朝廷が何らかの形で関わることがまずいのではないでしょうか。
「あるときは頼朝のやり方を持ち出す。そうかと思えば亡くなった兄・北条宗時の言葉を持ち出し、坂東は坂東武者のものだと言い出す」
義時の方向性を定めているのは、本来は宗時が言い残したこの言葉です。ただし鎌倉幕府の礎を築いたのは頼朝であり、こと政に関しては、頼朝のやり方を踏襲するべきと考えているわけでしょう。別に分裂などしていないと思いますが。

4.北条政子も、義時だけではなく大江広元に意見を求め、こんなアドバイスを受けています。
確かに頼朝は朝廷の干渉を拒んだけれども、時代は変わった。いま頼朝が生きていればどうなのか。
広元は、一方で義時の言うこともわかる、と立場を重んじながら結論を出します。
「あとは尼御台のお気持ちひとつ……」
広元の声が完全に心酔していますね。京都から来た彼は、鎌倉の坂東武者と違い、冷静で理知的な判断を常としてきました。しかし、政子に近づくとカッと酔ったように燃え上がる。
(中略)
漢籍に詳しい広元のことなので、
「尼御台が武則天なら、私は狄仁傑!(てきじんけつ・武則天の忠臣、小説および映画ディー判事シリーズも有名)」
とでも思っていそうなところです。

このシーン、そうも見えませんが…2人の間に信頼関係はあるかとは思いますし、だからこそ広元も「お気持ちひとつ」「逃げてはならない」と言ったわけでしょう。
武者さん(小檜山氏も)はジェンダー論を云々する割には、やけに男女関係でものを見たがるところがありますね。
そして
「『尼御台が武則天なら、私は狄仁傑!(てきじんけつ・武則天の忠臣、小説および映画ディー判事シリーズも有名)』
とでも思っていそうなところです」
政子はこの時点で将軍でも執権でもないのに、女帝である武則天と比べるのは如何なものでしょうか。

さらに

大江広元は、政子に対する忠臣であることに酔いしれるとセクシー。
知家の場合、チャレンジすること、奮起して頑張るところがセクシー。

こういうのは有料でない、個人のサイトかブログで書いて貰えないでしょうか。主観でしかないでしょう。

5.知家は時代の変わり目に生きた。自分の親世代はやらなかったようなことをどんどんやる羽目になる。
それを嫌がるのではなくて、前向きに取り組んでいくところが若さになり、セクシーさになったと思えてきます。
宋の技術者から学ぶなんて、もう俺も歳だと諦めていたらできない。そこで、新たに学び、チャレンジしていく姿勢が素敵なんですね。

まず
「知家は時代の変わり目に生きた。自分の親世代はやらなかったようなことをどんどんやる羽目になる」
とありますが、あまりにも発想が現代的過ぎでしょう。そもそも「自分の親世代はやらなかったことをやる羽目になる」とは具体的にどういうことですか。日本に来た宋人はそれより前の時代にもいましたが。
それと
「宋の技術者から学ぶ」
とありますが、知家はこの仕事を最後に引退すると言っており、陳和卿から得たものを、何らかの形で活かすということにはならないようです。確かに彼我の違いに驚き、あるいは感心したかも知れませんが。

6.実朝の独りよがりに終わってしまった……と虚しさが心に広がりますが、しかし、無駄になっただけではないとも思いたい。
船に名を刻み、共に引っ張った御家人の心には何かが残った。
そしてこの後、日宋貿易が実現したとき、彼らは実朝の正しさを実感するでしょう。
食卓に並ぶ磁器。猫。香木。仏典。書籍。
海を越えてやってきた物に囲まれつつ彼らがこの船を思い出すのならば、意味がなかったわけでもないのです。

まあこれは実朝の個人的な夢ではありましたし、朝廷に取ってもいくらか誤算だったかも知れません。
「船に名を刻み、共に引っ張った御家人の心には何かが残った」
というのも、その御家人がこの回ではモブ同然(知家を除く)で、何かが残ったような描写もないのですが。むしろこの船作りのための御家人たちの貢献が、無に帰したような感じになっています。

それにこの後日宋貿易が実現したとありますが、日宋貿易はその前の時代から続いています。これは御分唐船(幕府直営の貿易船)のことでしょうか。この鎌倉時代の日宋貿易は、『北条時宗』に確か描かれていますね。

そして余談になりますが、
「無駄になっただけではないとも思いたい」
などどこちらの方では書いていますが、『舞いあがれ!』で主人公の舞が、なにわバードマンの部員たちに支えられながら記録飛行に挑戦するも、10分で飛行機が着水した回については散々に書いていますね。こちらは小檜山氏の方ですが。

7.しかし政子も最初から理論武装していたのか。力強く弟に言い返します。
「鎌倉あっての北条! 北条あっての鎌倉ではない!」
かつて自身が放った言葉を引き出され、返す理屈を失いつつある義時。政子、泰時、実朝と、的確に急所を突いてきます。
泰時に「鎌倉は、父上一人のものではない!」と言われ、義時は「黙れ!」と語気を荒くするほか術がありません。

あらすじと感想でも書いていますが、この
「鎌倉あっての北条! 北条あっての鎌倉ではない!」
というのは、頼朝が鎌倉殿であったからこそ言えたのでしょう。それと普通に考えて、こういう時は力のある者が、少々強硬な手段を使ってでも幕府を引っ張って行かないと、元も子もなくなるのですけどね。

8.最終章になってから義時が人間に見えない。伊豆にいたころのお兄ちゃんはもういない。
義盛が嘆いたように、木簡をつぶさに眺めていた彼はどこへ行ってしまったんだ?
彼の器に黒い運命が流れ込んで蠢いているようで、人ではない何かに操られているようにすら思えてくる。まるで無慈悲な運命の操り人形だ。

「伊豆にいたころのお兄ちゃんはもういない」
当然です。いつまでもあのままの方がおかしいでしょう。
「彼の器に黒い運命が流れ込んで蠢いているようで、人ではない何かに操られているようにすら思えてくる。まるで無慈悲な運命の操り人形だ」
何やら長々と書かれていますが、私としては
「義時は別人になってしまった、源平合戦と幕府創設、そして頼朝の死を経験することで、彼自身が一匹の魔物に変化したような印象すらある」
とでも書いておきます。

9.そうしみじみと語る時政に向かって、泰時の見知らぬ女性が寄ってきました。
「何よ、じいさん、全くあってないじゃない!」

まずこのセリフですが
「何よしいさん、全くやってないじゃない」
ですね。しい様と呼ばれていたから「しいさん」でしょう。そして久々に会った孫と話し込んでいて、彼女(サツキ)が頼んでいたことを、全然やっていなかったのですね。

10.情けねえところを見られちまったとデレデレしている時政は、確かに女子相手に苦労したかけらもない。どこかズレていて、キノコキノコとうるさい義時とはまるで違います。

この時政の「女子に苦労しない」、嫌いな大河だったら武者さんはどう書いたでしょうか。

11.全く人生を楽しんでいない義時に対し、知家はいつでも全力で謳歌している。
彼は鎌倉時代の坂東武者でもあるのだけれども、一方で現代の由比ヶ浜でも見られそう。サーフィンを楽しんでいても違和感がない。そういう普遍的な人生の達人だと思いました。

義時は一御家人である知家とは違います。彼のような楽しみ方などできるわけがありませんし、また知家も楽しんでいたかどうかは不明です-そのように見えるのは確かですが。
それと
「一方で現代の由比ヶ浜でも見られそう。サーフィンを楽しんでいても違和感がない。そういう普遍的な人生の達人だと思いました」
何だか今一つわかりづらいのですが、要は雰囲気的に、今の時代に生きていてもおかしくないと言いたいのでしょうか。

それから今回の陳和卿のように、外国にルーツを持つ俳優さんが外国人を演じることに関して。

12.『春の坂道』(注・日本人俳優が明国人を演じている)はまだ半世紀前ですので良しとしまして、最近では2018年朝の連続テレビ小説『まんぷく』を悪い例として挙げさせていただきます。
あの作品は、ヒロイン夫のモデルである安藤百福が台湾人だったのを、ドラマでは日本人ということに変えていました。
一体なぜそんな設定にしたのか?
公式サイトでは、日本の視聴者が楽しめるためとされていました。
しかしそれでは華僑ルーツだと日本人が楽しめないということにもなり、単なる人種差別となってしまいます。

武者さん、何かにつけて『まんぷく』を持ち出して叩くのが好きですね。嫌いな作品すべてに言えることでもありますが、朝ドラという番組枠の特性も考えて、日本人設定にした可能性があります。それに「日本の視聴者が楽しめるため」即ち「華僑ルーツだと日本人が楽しめない」と言えるのでしょうか。
それを言うのなら、『ちむどんどん』も沖縄復帰50周年とは言え、思ったほど沖縄の背負った歴史と言うのは描かれていなかったのですが、これも朝ドラ枠という事情も関係はしていたでしょう。
あと「2018年朝の連続テレビ小説」とありますが、「2018年度後期の朝の連続テレビ小説」ですね。

その後時代が下るに従って尊王思想が広まったと、要はまたも水戸叩き、『青天を衝け』叩きに持って行きたいのかと思います。さらに日宋貿易関係で
「日宋貿易は、宋から銭が入ってきてそれを流通させられるから、ものすごく儲かる。やらない手はない!」
「何かと非現実的に思えるこの船建造にも、政治家としてきっちり意図はありました」
といった感じで経済的効果が見えにくい、その部分が弱かったと書かれてありますが、それはこの大河のテーマとは言えないからでしょう。『平清盛』では、テーマの1つではありましたが。

その『平清盛』関連なのでしょう。

13.今週ご覧になってご理解いただけたと思いますが、大陸まで向かえるようなあの規模の船を海賊が持っているとは考えにくい

とありますが、この当時の海賊は海の武士とも言われており、武士が力を持つにつれて彼らもまた力をつけて行きます。こういう集団は後に水軍と呼ばれるようになり、松浦党とか伊予水軍、村上水軍などがその代表例で、このレベルの船を持っていても特におかしくないと思われます。武者さんが考えている海賊は、どのような集団なのでしょうか。

そして

14.それ以外にも色々と中国史関連考証がおかしかった。
十年前のドラマに突っ込んでもキリがないし、誰も幸せになれないのでやめておきますが。
ドラマの意図はわかります。日宋貿易を促進した平清盛の先進性を持ち出したくて、過剰に出してきていたんでしょう。ただ、そうはいっても正確でなかった。
(中略)
この点がものすごく進歩していて、今年はよいと思いました。


「十年前のドラマに突っ込んでもキリがないし、誰も幸せになれないのでやめておきます」
と書くのであれば、最初から書かない方がいいと思いますが…。それに正確でなかったと書かれても、どれがどのように正確でなかったかの記述がないし。あれは、清盛がなぜあそこまで勢力を伸ばしたか、そして海賊船で出会ったオリキャラたちとの関係の描写も意図されていたと思います。
そして
「この点がものすごく進歩していて、今年はよいと思いました」
とありますが、この点とは何でしょう、その前にある「宋船を唐船と呼んだこと」でしょうか。それは「ものすごく」進歩したことなのでしょうか。

あとツイッター関連で
「Twitterは「一定の時間」に多数ツイートされると、トレンド入りする傾向がある。
三谷幸喜さんがまたも大河に登板するとなれば、このドラマの成功をひっさげてのこととなる」
とあります。ツイッターは一定の時間内と言うより、他にSNSの使用頻度が高い欧米の先進国が、まだ稼働していない時間帯、日本の場合午前から午後早くにかけては、世界トレンドに入る可能性が高くなります。
武者さんはそれが嫌いなようで、三谷さんが再登板するなら、ツイッターの評価ではなくこのドラマの成功によってと言いたいのでしょうが、前にも書いたように、三谷さんは既に三作を手がけており、一応区切りをつけていいかとも思います。個人的にこの大河への疑問もそこそこありますが、それはまた改めて。

それと
「SNSでは同様に『エコーチェンバー』も懸念すべき現象でしょう。
ハッシュタグや同志のノリに浸かりすぎると、そうでない誰かを見かけただけで敵認定し、喧嘩をふっかけたくなってしまう」
とあり、恐らく「ちむどんどん反省会」を意識しているのでしょう。しかしあの反省会タグには、建設的な意見もかなりありました。そして
「ドラマの好き嫌いは個人の問題」
ならば反省会もまた個人の問題と言えるのではないでしょうか。
「自分と評価が一致しない誰かに、いきなり無礼なことを言う行為に利はありません」
個々が思い思いのことをつぶやいているだけかと思いますが。言っては何ですが、どうも被害者意識に囚われている感がありますね。
何よりも武者さん=小檜山氏が『舞いあがれ!』に対して言っているのは、「無礼なこと」ではないのでしょうか。
(2022年11月11日一部加筆修正)


飲み物-琥珀のエール
[ 2022/11/11 01:15 ] 朝ドラ | TB(-) | CM(0)

再び小檜山氏の朝ドラnote記事とツイートに思うこと

以前の投稿で書いたことですが、小檜山青氏の朝ドラ関連のnote記事についてです。この記事で、実際の放送回と記事のナンバリングが食い違っている件でしたが、その後再びコメントを頂いています。こちらのコメントによると

小檜山氏は第85回のレビューを書かないまま第86回のレビューをアップしている。しかし第86回のタイトルで第86回のレビューを上げているため、表向きナンバーに齟齬を来たしてはいない。

となっています。しかしながらその一方で、

その後、第86回から第113回までのレビューのナンバーを1つずつ繰り下げている。このため本来は第86回から第113回のレビューであるにも関わらず、記事タイトルとしては第87回から第114回となっている。しかし第114回のレビューはアップされておらず、元々「第114回」となっていた第115回レビューを本来の「第115回」と表記することで対応している。
しかし第86回から第114回までを1つずつ繰り下げたため、当該レビューは実際の放送回との1つずつずれる格好になった。なお、第115回以降のレビューについては、やはり食い違いがあったが、ナンバリングし直している。

つまり第114回(杉並のちむどんどん再開の回)のレビューは元々なく、今ある第114回は第113回の内容であり、第115回から本来の形に戻っているわけです。ちなみに当該記事を2022年9月30日にざっとチェックしましたが、やはり1つずつズレたままのようです。一応有料記事を書いているのであれば、こういう点はどうにかしてほしいです。今からでも飛ばした分のレビューをアップし、もう一度きちんとナンバリングするべきでしょう。

そして小檜山氏または武者震之助さんの記事の多くに言えることですが、レビューと名乗ってはいるものの、その実ドラマの内容にかこつけた自説主張に見えますし、個人的な好き嫌いに偏っているふしがあります。そのため本来書くべきことが書かれていない、あるいはいくらかデフォルメされて書かれているといった事態が散見され、その意味では言葉本来のレビューとはかなり隔たりがあります。

これは前に書いたことがありますが、個人の方のブログで、『八重の桜』について書かれていたのを見たことがあります、正直な話、そちらの方がよほど「レビュー」にふさわしく感じられました。

またこれは、先日の大河コラム関連でも書いていますが、「オンベレブンビンバ」の意味を、放送前に推測していた人が多いことについて、武者さんは

SNSでそういうことを呟き、誰かにハマれば拡散され、自己承認されたようで気持ちがよいでしょう。
しかし、そこが危険な気がするのです。
「オンベレブンビンバ」は、話の中身を理解するうえでさして役に立ちませんよね。
SNSではドラマをネタにしたハッシュタグも多く、画面写真を貼り付けた大喜利状態にもなっています。

と書いていますが、私はこれに対して、皆楽しんでやっているのだから、別にいいのではないかと書いています。

ところが今日の小檜山氏名義のツイにはこうあります。

https://twitter.com/Sei_Kobeee/status/1575700661580156928
ドラマなり趣味が一致しなければ「そっか、あわないんだね」でいいと思う。なんで冷笑しながらリプライして「このよさもわからないんですかぁw」みたいな態度をとられなくてはならんのか。

「そっか、あわないんだね」で済ませられるのなら、小檜山氏=武者さんも、自分が好きでもないことを、わざわざ大河コラムで書くこともないと思うのですが―と言うか、最初からスルーすれば済む話なのですが。どうしても書きたければ、こう言うのを色々推測している人たちもいました程度でいいでしょうし。また自分に関係のないリプなら、放っておくなり、それでも絡んでくるならミュートするなりしてもいいのですが。

note記事やコラムのみならず、小檜山氏名義のツイもまた自説主張、さらには自分と相容れない意見への反発に見えます。何よりも明らかなのは、『青天を衝け』と『カムカムエヴリバディ』が好きでないこと、そして、有名企業の創業に至るまでを描いた朝ドラが気に入らないこと、この2点でしょう。

ただし朝ドラの場合、後者に該当する人物がモデルになるケースは多く、ドラマのレビューを書きたいのであれば、好き嫌いは封印するべきかと思います。別にNHKも、小檜山氏の好き嫌いに合わせて朝ドラや大河を作っているのではないのですからーと言うか、好き嫌いでドラマを判断するのなら、もう有料記事を書くのは止めるべきですね。


飲み物-カクテルとオイルランプ
[ 2022/10/01 01:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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