『舞いあがれ!』も3週目に入り、本編のみならずOPにもすっかり馴染んで来ました。まず第1話(第11回)です。
第1話
浩太と悠人はカレーを作っていた。悠人は味見をし、ちょっと薄いと言う。そこへばらもん凧を持った舞が、いい匂いだと言って入ってくる。座って待ってろと浩太。めぐみは炊飯器の蓋を開け、美味しそうに炊けていると言う。悠人が炊いたのだった。「お父ちゃんが炊いたら、ご飯固すぎんねんな」と悠人。
舞は自分から皿を出すと言い出し、浩太と悠人を驚かせる。やがて食事が始まり、舞もめぐみも美味しいと言うが、悠人はジャガイモがでかすぎだと言い、お前はいちいち細かいと浩太。そして舞は悠人が生まれた時、祥子が作ってくれたばらもん凧をみんなに見せる。これがばらもん凧かと浩太は感心する。
鬼を飾るのは怖いと言う悠人に、鬼ではなく、鬼に兜をかじられても逃げずに立ち向かう侍だと舞は説明する。そして舞も自分の部屋に凧を飾ろうとするが届かず、浩太にやって貰う。逃げんと立ち向かう侍か、かっこええなと言う浩太に、舞は今日初めて飛行機に乗ったことを話す。
飛行機がかっこいいと言う舞に、浩太は自分も飛行機が好きなこと、子供の頃生駒の山からグライダーが飛んでいたことを教え、見てると元気になったと言い、舞を物置に連れて行って昔のグライダーの写真や、江戸時代に飛行機の原型を考えていた国友一貫斎の本を見せる。
「そないな昔に飛行機みたいなもん考えて、作ろうとしたことがすごいと思うねん」と浩太。そして浩太は、若い頃勤めていた会社が飛行機も作っており、自分も作りたかったが、作る前に辞めたと舞に打ち明ける。そして舞に、次の日曜日に生駒山の遊園地で飛行機に乗ろうと誘う。
9月。舞は久々に貴司と東大阪の小学校に登校する。貴司は絵葉書の礼を言う。五島てきれいなとこやなと貴司、その2人の上はまた飛行機が飛んで行く。舞は体育の授業にも出られるようになった。そしてウサギ小屋に行くが、スミちゃんがいないことに気づく。そこへやって来た久留美に、スミちゃんのことを舞は尋ねるが、久留美は死んだと答える。
夏休みのひどく暑い日、久留美はスミちゃんが心配になって、家の方が涼しいからと連れて帰ったのだが、翌朝死んでいたのだった。舞は久留美がクラスの女子から声をかけられないこと、ウサギ殺しとまで言われていることに驚く。そして家に帰って来たが元気がなく、めぐみにどないしたんと訊かれ、ウサギが死んだこと、久留美が仲間外れにされていることを教える。
めぐみもそれには驚いたようだった。舞は以前熱を出した時、久留美が手紙をくれて、一緒にウサギの世話をしようと言ってくれたこと、そして本で、ウサギは自分の病気を人に隠すと読んだことを話す。めぐみはそこのことを久留美に言えば、少しは気が楽になるのではないかと言い、舞は翌日学校で話そうとするが、久留美は休みだった。
舞は久留美の持ち物がそのままになっていることから、それを持って久留美の住むアパート行くことにした。すると中から買い物に行くと言う声が聞こえ、久留美が出てくる。中には久留美の父親がいるようだったが、久留美は急いでドアを閉める。久留美は父の存在を隠したがっているようだった。その父は娘に、車気いつけやと声をかける。
久留美は歩きながら舞に、父がラグビーの選手だったが、ケガで会社を辞めたことを話す。舞は、ウサギが死んだのは久留美のせいではない、自分の病気を飼い主に隠すから、急に死ぬこともあると言う。久留美はいくらは表情が明るくなる。途中で舞は久留美と別れ、家を目指しつつ「言えた…」と満足げだった。
東大阪に帰って来て、飛行機の話からグライダーの話になり、浩太がかつて飛行機を作る会社に勤めていたことから、
さらに国友一貫斎の話へとなり、生駒の遊園地に飛行機に乗りに行こうとなります。ところでこの国友一貫斎、元々は鉄砲鍛冶の仕事の傍ら色々な物を発明し、彼が考案した飛行機は「阿鼻機流」と呼ばれています。この人は天保11(1840)年に亡くなっていますが、あと20年遅く生まれていたら、恐らく黒船や砲術関係で引く手あまただったかも知れません。
ところで元気で戻って来た舞ですが、久留美がウサギを死なせてしまったこと、そのせいで仲間外れにされ、ウサギ殺しとまで言われていることを知って愕然とします。しかし舞は、ウサギは自分が病気でも、人に知らせないことを本で読んでおり、そのことを久留美に伝えることにします。その久留美の家はアパートの一室で、しかも昼間から父親が在宅しています。怖そうな、しかし本当は娘思いのお父さんですが、久留美はその父のことを知られたくないようです。
久留美の父は元ラグビー選手でしたが、ケガで引退していました。舞からウサギは病気でも黙っている、だから久留美のせいではないと聞き、めぐみが言ったように、いくらか気が楽になったようです。ところで久留美のお父さん、佳晴ですが、実業団(社会人)ラグビーだと地元の近鉄でしょうか。この当時はトップリーグが発足の10年近く前で、しかもラグビーのプロが認められておらず、引退したら会社に残るか、退職して稼業などを手伝うかが一般的な時代でした。