いささか取り留めのない話ですが。
『真田丸』または『天地人』に登場する上杉景勝は、子供の頃に母の弟、つまり叔父である上杉政虎(謙信)の養子となります。この叔父と甥の関係といえば、『ハムレット』を思い出す人もいるでしょう。洋の東西を問わず、昔は父親が亡くなって叔父に養われる関係とか(景勝はこれに当たります)、あるいは『ハムレット』に見られるように、父親を殺して母を奪ったため、叔父甥で敵対する関係もまたあったと思われます。日本の場合は、夫が死ぬと妻は出家する例が多いのですが、特に戦国時代などは再婚した人も結構います。ただしその場合、男子は寺に入れるなどして、自らが仇を討たれないような措置を取っていました。
ちなみに上杉景勝は、叔父には反感を持っておらず、むしろ叔父を尊敬する甥でした。この人の苦労は、むしろその叔父が亡くなった後にやって来ます。謙信が急死したため後継者が定まらず、北条から迎えた義弟の景虎との間に対立が起きました。これで起こったのが御舘の乱です。この時景勝は、武田氏と同盟関係を結び、北条の後押しを受けた景虎に勝利して、上杉の後継者となりました。また、武田勝頼の異母妹である菊姫を妻としています。しかしその後越後は織田信長の襲撃を受け、国境にあった魚津城が落ちてしまいます。しかし織田信長が急逝したため難を逃れ、その後は秀吉に仕えて北条攻めで功を成し、領地を加増されています。
しかしこの会津を中心とする上杉領は、その大部分がかつての伊達政宗領で、その伊達政宗や最上義光の領地と隣接しており、しかも徳川家康を監視する立場にありました。おまけに秀吉の死後、徳川は上杉との対立を深め、その戦いの最中に関ヶ原の戦いが勃発します。上杉は西軍として伊達や最上らの東軍と一線を交え、結局徳川に降伏します。その後領地をかなり減らされ、米沢藩30万石の大名となった後は、大坂の陣に参戦しています。
『ハムレット』にあるような叔父と母親、あるいはレアティーズとオフィーリアに対する愛憎の念は、無論この景勝からは感じられません。上杉景勝はあくまでも戦国末期から江戸初期の大名であり、その立場にふさわしいことを彼なりにやり遂げたわけで、『ハムレット』のような内面的なものが描かれる存在ではないからです。しいていえば、直江兼続という家老との関係が、ハムレットとホレイショのような役割を果たしていたといえます。叔父も母も憎む対象ではなかったわけですし、また景勝自身、ハムレットの役に求められるような感情や苦悩を、ほとんど表に出さなかった人物として有名です。刀剣を集めるのが趣味でしたが、この点において、毒を塗った剣で落命したハムレットと何らかの共通点があるでしょうか。
恐らく景勝にとって身内のことで最も苦労したのは、やはり御舘の乱でしょう。特に上杉家は関東管領も兼ねていたため、誰がどこを継ぐかといった問題もありました。また、他にも畠山氏や村上氏からの養子もいましたが、とりわけ景虎との間にこのような事態が発生したということは、やはり景虎の背後にある北条との対立があったためと思われます。景勝の生涯で、この御舘の乱の場面のみを脚色すると、身内の対立で苦悩するこの人物の内面を、それなりに描いたものができるかもしれません。