先日分の続きです。
今回はこのパートのみです。何だか無理やり問題視したがっているように見えますね。
しかし宗教史は、取り扱いがナーバスな面があり、専門家が必要でしょう。
『八重の桜』では同志社大学関係者によるチェックが入りました。
例えば脚本段階で、新島襄が茶碗酒を飲んでいる場面があれば、お茶に変える。彼は厳格なプロテスタントですので、飲酒はありえませんでした。
ただ、これは良い例外とも言え、大河のみならず、日本のドラマはどうにも宗教史の考証に甘い傾向があります。
朝ドラの『花子とアン』では、ヒロインが飲酒泥酔する場面がありました。
ドラマとしては盛り上がっても、彼女のモデルは厳格なプロテスタントですから、モデルへの酷い侮辱となります。
これらはすべて今までの焼き直し(コピペと言ってもいい)です。従って、私も何度も書こうと思います。
まずプロテスタントとひとくくりにしていますが、同じプロテスタント教会の聖公会、ルーテル派に至っては、飲酒は罪悪視されていません。新島襄は会衆派教会、花子はメソジストで、どちらも飲酒は禁じられているかあまり奨励されませんが、新島襄は受洗した信徒です。
それに引きかえ『花子とアン』の主人公の花子は、ドラマの中では洗礼を受けていません。それゆえ泥酔したとしても(あまり感心はしませんが)、特別問題視するものでもないでしょう。取りあえず、武者さんが『花子とアン』を叩きたいのはわかりますが。
そして今年も、宗教描写がおかしい。
考証が足りないというよりも、現在問題視されている特定の宗教に、あえて近付けたような印象すらあり、教義や実態が無茶苦茶になっています。
◆【どうする家康】家康を苦しめた「三河一向一揆」脚本家の“カルト”描写に「現代日本にも通ずる」感嘆の声(→link)
批判精神がある、ということでしょうか。
このご時世にそんなことをするのは、むしろ逆効果では?
現在、多くの宗教団体が、新興宗教との違いを説明するため労力をかけているのに、実在する寺をこんな風に描くのは無神経だと思います。
「教義や実態が無茶苦茶になっています」とありますが、昨年の鎌倉殿とは違い、今回は一向一揆が中心です。本證寺サイドが家康にどう刃向かったか、それが中心となるでしょう。しかし鎌倉殿に登場する宗教に関しても、どうも武者さんはあまりよく理解しているように見えませんでしたが。
それにカルトと同一視すること自体がおかしいかと思います。一部前の投稿でも書いていますが、この一向宗は他にも一揆を起こしており、三河の一揆のみを採り上げて云々するのは筋違いでしょう。ちなみにリンク先の記事ですが、FLASHのもののようです。これ以外に宗教関連を云々した記事を未だに見ていないので、武者さんが叩くためにこの記事をわざわざ引っ張って来たようにも見えます。確証バイアスの典型のようです。
また前出の『八重の桜』、『花子とアン』での「信徒として如何にあるべきか」(花子はこれに該当しない)に関する記述と、この一向一揆を同列に論じるのも変な話です。宗教関係の場合必ずと言っていいほど、この2つのドラマに関する記述を、比較対象として適切か否かはお構いなしに持ち出していますね。
それと武者さん、家康が乗り込むことについて、どうも勘違いをしていたように見えます。これについては、また次回で。
余談ながら中尾氏関連ですが、「キャンペーン」を「キャンパーン」と書いていたのを思い出しました。こういう点に一々こだわりたがる辺り、中尾氏と武者さんは、まだまだ共通するものがかなりありそうです。
(2023年3月4日加筆と修正)