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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第45回「二人のプリンス」あらすじと感想-2

第45回後半部分です。


秀頼が抱く猫を描く千姫。会見も終わり、秀頼は千姫との時間を楽しんでいた。茶々もその様子を見て嬉しそうだった。一方秀忠は夜も眠れず考え込んでいた。秀忠の脳裏を、家康の言葉がよぎっていた。
「わしら上に立つ者の役目は、如何に理不尽なことがあろうと責めを負うことじゃ」
征夷大将軍宣下を受けた時の緊張感、本多正信の「大いなる凡庸」、それらが彼自身を圧迫していた。お江はそんな夫の身を案じる。

慶長17(1612)年、正純は、三浦按針と名を改めたウィリアム・アダムスに、西洋の不思議な機械について尋ねていた。それは時計であり、按針がぜんまいを巻くと動き出したため、正純は驚嘆する。しかし按針は、自分が呼ばれたのは他にも理由があるのではと思っていた。それは大筒だった。正純も、エングランドには素晴らしい大筒があるそうじゃなと言うが、按針は、あれは恐ろしい道具であると言う。

その按針に家康は言う。
「異国同士が商いをして、互いに豊かになるため…。わしも同じ思いだ」
さらに家康は、大筒は戦を防ぐためのもの、大いなる力を見せつければ攻めてくる者もおらんじゃろうと口にし、この要求を呑ませてしまう。そして家康は時計を手にしながら、関ケ原の戦、そして石田三成とのやり取りを思い出していた。
「その乱世を生き延びるあなたこそ、戦乱を求むる者!戦無き世などなせぬ。まやかしの夢を語るな」

その時来客がやって来る。何をやっておると訊かれ、時を刻む道具だそうじゃと答える家康。来客は、子供の頃からそういうことが好きであったなあ、木彫りで生き物や人形を夢中で作っておったと昔を懐かしむうように言う。あの頃のわしを知っておるのは、今やあなただけじゃと家康は立ち上がる。この来客とは今川宗誾、かつての氏真だった。没落後は家康の庇護下にあり、妻と悠々自適の生活を送り、歌を嗜んでいた。

歌とは奥が深く、技やしきたりに果てがなく、どこまでやっても極められんと宗誾は言う、家康には羨ましい限りだった。その宗誾は、いつかあなた様のように生きたいと言う家康に、まだ降りるな、そこでまだまだ苦しめと言ったことを思い出していた。
「だがまさか、これほどまで長く降りられぬことになろうとはなあ」
宗誾は言い、さらにこう続ける。
「だがあと少しじゃろう。戦無き世を作り、我が父の目指した王道の治世、お主がなしてくれ」

しかし家康は答える。
「わしには…無理かも知れん…」
お主は成長した、立派になったと言葉をかける宗誾を家康は遮るかのように、成長などしておらん。平気で人を殺せるようになっただけじゃと言う。そして家康は問いかける。
「戦無き世など来ると思うか?一つ戦が終わっても…新たな戦を求め集まる者がいる。戦はなくならん。わしの生涯はずっと…死ぬまで…戦をし続けて」

そう言って涙を流す家康を、宗銀は弟よと抱きしめる。弱音を吐きたい時は、この兄がすべて聞いてやる、そのために来たと言う宗誾。そしてこうも言う。
「お主に助けられた命もあることを忘れるな。本当のお主に戻れる日もきっと来る」
宗誾は家康の手を取る。2人の傍らで、時計の音が響いていた。

秀頼は二条城での会見後、豊臣家の威光を復活させる大事業を進めていた。京大仏の再建は秀吉の悲願であり、その十七回忌に開眼供養ができることを、父も喜んでいるに違いないと秀頼。片桐且元はその開眼供養に、諸国の大名や公家、商人に至るまで招待すると提案する。もちろん徳川様もと、千姫の方に目を向けつつ話す且元。しかし大野治長は旭日の若君と、齢70を超える老木では、時がいやおうなく勝負をつけましょうと茶々に話す。

老木さえ朽ち果てれば、あとは凡庸なる二代目、比べるまでもないと治長は言う、その「凡庸なる二代目」、秀忠は家康に、開眼供養はどうにかしてくだされと直訴する。秀忠は豊臣の威光がよみがえるのを恐れていた。正信にもそう申しておるのにと秀忠は言うが、正信は、立派な大仏を作っとるだけですからなあととりつくしまもない。また阿茶局は、迂闊に動けばかえって徳川の評判を落とすのでは、堂々となさっているのがよいと忠告する。

正純も、諸国の大名は秀忠に従うよう誓紙を取り交わしていると言うものの、秀忠はそんなものが何の役に立つと言葉を荒げ、家康に世間ではやっている歌をご存知ですかと尋ねる。それは
「御所柿はひとり熟して落ちにけり 木の下にいて拾う秀頼」
という歌だった。正信がその歌について、仰々しい口調で説明をする。正純はこの歌に怒り、秀忠は自分の名はこの歌に出て来ない、取るに足らぬ者と思われていると悔しそうだった。

秀忠はもし家康がいなくなり、自分と秀頼の戦いになったら自分は負ける、負ける自信があると断言する。さらに秀頼は織田と豊臣の血を引く者、自分は凡庸なる者で、父上の優れた才も受け継いでいないと如何にも自信なさげで、家康がいなくなるのを恐れているかのようだった。そんな秀忠に家康は、そなたは私の才をよく受け継いでおる、それは弱いところであり、弱さをそうやって素直に認められるところじゃと家康は言う。

自分もかつてはそうであったが、戦乱の中でそれを捨てざるを得なかった、捨てずに持っていた頃の方が、多くの人に慕われ、幸せであった気がすると続け、わしはそなたがまぶしい、それを大事にせいと言葉をかけ、またこうも言う。
「戦を求める者たちに、天下を渡すな」
そして王道と覇道とはと尋ねる。
「徳をもって治めるが王道、武をもって治めるが覇道、覇道は王道に及ばぬもの」
秀忠がそう答えると、家康は顔を近づけてこう言い聞かせる。

「そなたこそが、それをなす者と信じておる」
さらに家康は秀忠の肩に手をやり、わしの志を受け継いでくれと言う。秀忠は涙ぐみつつ出て行き、正純もまた退室した。時計の音が聞こえていた。一方大坂では、秀頼が家臣を相手に、たんぽ槍で槍の稽古をしていた。治長は呆気なく負けてしまい、手加減してはおらぬだろうなとの茶々の言葉に、槍も囲碁ももう敵いませぬと答える。さらに治長は逸材をお育てになられましたな、今は亡き乱世の名将たちを思わせまするとまで言う。

「惜しいのう…」と茶々。柿が落ちるのをただ待つのでなく、家康を倒して手に入れてこそまことの天下であろうと茶々は治長に尋ねるが、その時且元がやって来て、鐘の銘についての意見を茶々に具申する。大仏と共にお披露目する梵鐘のことで、茶々は銘の案に目を通す。その一枚に目を止めた茶々は、面白い、面白いのうと口にする。

この銘のことで、家康近辺はちょっとした騒ぎになる。その銘には「國家安康 君臣豊楽」の文字があり、これは家康の諱を2つに切り刻み、豊臣こそが君であると取れた。江戸から秀忠と金地院崇伝、そして林羅山も駿府に駆けつける。そなたらの意見を聞きたいと家康。また正信はとんでもない一手を打たれたようで、上手に少しずつ力を削ぐということは、もはやできませんな、恐らく避けられませぬと言う。とうとう戦かと、家康は苦渋に満ちた表情を浮かべる。


豊臣の威光が増し、秀忠は自信を失って行きます。父の才も受け継いでいないと言う秀忠に、家康がかけた言葉は、そなたは自分の才を受け継いでいる、それは弱さであり、その弱さを素直に認められるところであると言います。その家康もまた、兄事する宗誾、かつての氏真から、弱音を吐きたい時は自分に言え、お主に助けられた命もあると言われていました。そしてこういう形のつながりは、秀頼や豊臣家には見られないものでした。

その秀頼も大仏を再建しており、また武芸にも秀でていました。しかもこの時稽古の相手となった治長は、かつて既に老齢である家康がいなくなれば、あとは凡庸な二代目、くらべるまでもないと言ったこと、さらにこの時、乱世の名将を思わせるなどと口にしたことから、「柿が落ちる」のを待つ茶々はじれったさを感じてもいたようです。そして梵鐘の銘の案を渡され、これは面白いと一計を案じたような顔をします。

「面白い」というと、『ガリレオ』の湯川先生をどうも想像してしまうのですが、それはさておき。つまり茶々は、あの「國家安康 君臣豊楽」案を、戦を起こすためにわざと選んだとも言えそうですし、実際挑発したという説もあるようです。しかしこれで徳川方は、金地院崇伝や林羅山までが呼ばれることになります。

さて前出の「柿が落ちる」、
つまり
「御所柿はひとり熟して落ちにけり 木の下にいて拾う秀頼」
ですが、この「木の下」は秀吉の元々の苗字であった木下、「拾う」は、秀頼の幼名「拾」に引っ掛けているようです。それとは別に、片桐且元の「桐一葉 落ちて天下の 秋を知る」などというのもありますね。

そしてウィリアム・アダムス改め三浦按針。時計のぜんまいを巻く以外に、彼にはもうひとつの役目がありました。それは大砲を手に入れるというもので、あれは恐ろしいと按針は言います。この当時私掠戦ビジネスの時代であり、またリーフデ号そのものにも大砲が搭載されていたことから、その威力の凄まじさをも、身をもって知っていたものと思われます。

尤も家康は抑止力としてこの大砲を使うことを考えていましたが、、大坂の陣ではこの大砲が火を噴き、その後和睦という運びになってしまうわけです。抑止力としての武器と言えば、『麒麟がくる』の火縄銃もそれに該当するかと思われます。

ところで「二人のプリンス」、秀忠と秀頼のことではないかと思われますが、今川宗誾(氏真)と家康の意味に取れなくもありません。

飲み物-パブのアンバーエール2
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[ 2023/11/28 00:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『古畑任三郎』と『ガリレオ』そして映像作品のシーズンごとの違いについて

先々週辺りから、このブログのアクセス数が多めになっています。恐らくは田村正和さん逝去で、『古畑任三郎』関係の記事へのアクセスが、いつもより増えているためでしょう。とは言え、私はあまり『古畑任三郎』関係の記事を投稿しているわけではありません。「頭でっかちの殺人」、「悲しき完全犯罪」そして「最も危険なゲーム・最後の事件」について投稿している程度です。

あと「古畑中学生」ですが、これはパペットホームズ関連のカテゴリーに入っているので、修正しようと思います。こちらはホームズの正典中、4つの作品がベースとなっていて、三谷さんのホームズ好きが窺えます。

これとほぼ同時期に、『ガリレオ』に関してもいくつか投稿しています。こちらの方が多分多いかと思います。このガリレオこと湯川学の変人性に関して、「ガリレオの変人性」というタイトルで投稿しています。BBCの『シャーロック』とダブった人もいるだろうとその時書いていますが、確かにいくらか似通った点はあります-ちなみに制作は『ガリレオ』の方が先です。このシリーズも最初が2007年、次に2013年に制作されていますが、やはり2007年版の方が面白いかなとは思います。内海薫と岸谷美砂、それぞれのキャラの違いもありますし、OPやドラマそのものの展開など色々理由はあるでしょう。

最初は面白かったのに、第2シーズンから面白くなくなった、あるいは特定のシーズンまではよかったのに、その後はそうでもなくなったという作品は多いものです。たとえば『半沢直樹』も、2013年と2020年ではかなり違っています。ただ私としては、池井戸氏が本当に書きたかったのは、2020年放送分ではないかと思っていますし、半沢が大和田に土下座させたのは、ゴールではなくスタートだったと見るべきでしょうね。

ドラマだけでなく、アニメや特撮についても同じことは言えるかと思います。この作品は今シーズンは面白くない、いや面白いなどと賛否両論あるのは珍しくなさそうです。『はたらく細胞』(実は今回これについて書こうかと思ったのですが、連日のように投稿しているので、もうしばらく日を置くことにします)も1期の方が面白いという意見もあったようですが、これは『はたらく細胞BLACK』のアニメ化も関係しているかも知れません。

いずれにせよ、第1期である程度ヒットした作品だと、次作に対して過剰に期待してしまいがちです。そのため第2期が予想と違うとか、何となく意に沿わないとなると、どうも裏切られたような気分になりますし、また制作側が、第1期の反響に引きずられ、冒険できなくなってしまうというケースも考えられます。しかしシーズンによって、登場人物やキャストは違ってくるわけですから、ドラマにしてもアニメにしても、そのつもりで観た方がやはりよさそうです。


飲み物-アイスコーヒー2
[ 2021/06/02 01:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

70年代ホームドラマと2000年代以降のドラマそれぞれの男女関係

数日前に投降した、1970年代のドラマ『ありがとう』シリーズ関連の記事についてです。ここでご紹介している関連サイトでは、主人公とその恋人は「身分の違い」云々とあり、さらにその恋人のことなのでしょう、「星の王子さま」なる表現が使われていますが、「白馬の王子」のことと思われます。それ以外にも「玉の輿」ともあり、実際この言葉は今も使われますが、個人的には寧ろ「シンデレラ・ストーリー」ではないかと思います。

ちなみに以前、医療ドラマと医療関連シーンについてのあれやこれやという投稿で、男女(あるいは男性もしくは女性同士)のどちらかが病気になって、一方が看病をしていることで距離が縮まり、仲が深まって行くといったことを書いています。実は先日、このシリーズの再放送分をアップされている方のブログを偶然見つけたのですが、それによるとやはり似たような場面が登場します。この主人公は看病のプロである看護師で、またかなり献身的であるようです。無論この当時は、それはそう珍しくないことではあったのでしょうが、今だとミソジニー的だと批判されそうな雰囲気でもあります。実際シンデレラというキャラそのものが、今ではジェンダー論で取り上げられることも多いです。

その同じ投稿の終わりの方で、私は

しかしやはり私としては、2000年代以降の『JIN-仁-』や『相棒』、『ガリレオ』、前出『半沢直樹』などから受けるメッセージの方が、時代が近い分インパクトが大きく感じられます。その当時は存在しえなかったゲイカップルのドラマ、『きのう何食べた?』もまた然りでしょう。

とも書いています。
この中で『相棒』の杉下右京はバツイチで今は妻子はおらず、『半沢直樹』の主人公は既婚で、2013年シリーズはかなり家族の存在が大きかったものの、2020年シリーズではそこまでではなく、寧ろ東京セントラル証券の部下だった森山が「女房役」的な部分があります。

その一方で『ガリレオ』と『JIN-仁-』ですが、両作品とも主人公である男女が、ひょんなことから出会うことにはなるのですが、一緒になるということはありません。かつてのホームドラマにありがちな、結婚して家庭を築くという展開にはならず、本当は互いに思ってはいるものの、自分自身でそれを打ち消してみせたり、様々な理由で両者の恋が実らないという形で結末を迎えます。そのため、なぜ彼らは自分の気持ちを否定し、夫婦として添い遂げられなかったのか、それらのメッセージに色々考えさせられる部分があります。

『きのう何食べた?』も、男性同士のカップルである以上、男女が結婚して家庭を持つ展開とは明らかに異なり、それどころか筧史朗の方は、ゲイであることのカミングアウトすら戸惑う始末です。こういった事情を考えると、今の時代はドラマの舞台や設定が複雑化しており、社会の様々な在り方がクローズアップされているという点が、恐らくは大きなインパクトを与えているのでしょう。無論、半世紀ほど前のドラマはよく知らないけれど、ここ10年ちょっとなら実際に観ていることもあり、そういった時間的な近さや実際の視聴経験が、ドラマが与えるメッセージを知るうえでの手掛かりになっているとも言えます。

ところで、上記の投稿のその次に書いていた『プライド』、これの第1巻を観たところ、この中にも「病気の男を看病する女」のシーンがあります。キムタク演じる里村ハルが、雨に濡れて風邪を引き、所属アイスホッケーチームの親会社のOLで、友人の夏川の彼女である村瀬亜樹(竹内結子さんが演じています)の部屋へ転がり込みます。実は亜樹は彼に腹を立ててはいたものの、薬を飲ませた後にホットレモネードを作ったり、リンゴをすりおろして食べさせたり、最終的には泊めてあげたりもするわけです。このハルは恋愛には極めてクールなのですが、彼女が自分の求める「古き良き時代の女」ではないかと思い、徐々に恋愛に対する姿勢が変わってくるわけで、これはまた機会があれば書くことにしましょう。

飲み物-ホットウイスキー
[ 2020/11/01 00:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

70年代ホームドラマ考察に関して思ったこと

少し前に、70年代のホームドラマについて書いたことがありましたが、今回全く別の検索をしていて、昭和のホームドラマについてのサイト(https://shiseiweb.com/
%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%81%A8%E3%81%86、リンクは貼りません)の『ありがとう』シリーズ関連記事を見つけたので、少し引用させてもらいます。文章は意味を変えない程度に省略しており、また少々批判的であることをお断りしておきます。

このサイトには、「第一部では母親が娘を直接教育し、第二部では母親が優位だが、遠くから見守っている。そして第三部では母親のほうが娘に依存し、母親は再婚し、家業の鮮魚店を娘に任せる。つまり娘がついに第三部で一本立ちしたのである。人間も社会も自然も、決して止まったままではない。10年一日の世界のようでいて、実はしっかり時が移ろいでいる。ホームドラマを舞台とした大河ドラマといった趣だ」
とありますが、恐らくは同じキャストで何シリーズか作ることが決まっており、制作サイドがいつも同じパターンではあれだから、いくらか設定を変えてみたということではないかと思われます。それと最後の言葉ですが、同じ登場人物で同じ設定なら大河と比べるのもありですが、この場合はやはり違うでしょう。ただホームドラマを観ていた人というのは、年齢からして大河も熱心に見ていたのだろうなと思われます。

さらに第二部(看護師編)だけ趣向が違うとして、「医院の跡取り候補である医師と、片や母子家庭の住み込み看護婦という、「 身分の違い 」がわかりやすく描かれていた」とあります。今時こういう表現はちょっと微妙に思えますが、要は勤務先のオーナー社長の息子と結婚する女性のパターンですね。さらに
「それでもまだ、戦前同様、「どんな男性と結婚できるか」が、女性の人生には最重要項目だった。こうしたドラマは、女性はもちろん男性の側から見ても、家や名誉のための政略結婚ではなく、愛情で相手を選んだという心地よさを感じさせ、女性に希望をもたせ、男性の“度量”を見せることで、お茶の間の庶民に夢と希望と感動を与えれば、それは人気番組になるだろう」とあります。
このシリーズ自体きちんと観ていない-だから一度どういうものか観てみたい-ので何とも言えませんが、これも当時はそうだったのだろうと考える他はありません(無論今もそうかも知れませんが)。しかしホームドラマの中で、主人公とその恋人的存在を結婚させるのはいわばお約束ですし、ドラマという虚構の中の出来事と、現実とはまた違うものでしょう。そのため「夢と希望と感動」という表現には今一つ共感できません。

ところでこの場合の人気番組云々というのは、視聴率56パーセントというのも関係しているのでしょうが、どうもこの数字に必要以上に引きずられているようにも思います。何度か書いていますが、その当時と今の視聴形態を比較すれば、ビデオが普及していない、TV以外の動画配信やSNSなどが存在しないといった理由から、数字は伸びるのではないでしょうか。(『半沢直樹』第1シリーズの40パーセント越えの方が、寧ろ画期的かとも思います)何よりも第一部で観て、そのまま観続けた人もいるでしょうし、同調現象という言い方は何ですが、皆が観ているから自分も、新聞に載っていたから自分もということもあるでしょう。

確かに時代のニーズに沿ったものではあったかもしれません。しかしそれは即ち、同じような設定を仮に2020年の今に持って来ても、当然ながらそこまで数字は伸びないということです。今現在の時点で一番時代のニーズに応えているのは、10日間で100億円の興行収入を得た『鬼滅の刃』でしょう。無論この数字には、コロナ禍の最中の娯楽であること、事前にアニメがあったことなども、少なからず関係してはいると思います。

それとこのシリーズ第二部の、何かのメディアの番宣記事と思われる画像がアップされています。(https://middle-edge.jp/articles/4Russ、こちらもリンクは貼っていません)しかし失礼ながら、どうも出演者のコスプレのように見えてしまいます。個人的にはこれよりも、以前投稿したことのある『37歳で医者になった僕』の、名刺を持っている草彅さんの方が医師らしく感じられます。閑話休題。確かに前出の記述のように、シリーズによって異なる母と娘の在り方、当時の人々の結婚観など、このシリーズから受け取るメッセージもあったでしょうし、私も現在、録画しておいた70年代のドラマを観ているため、その当時の価値観や考えに触れることはあります。しかしやはり私としては、2000年代以降の『JIN-仁-』や『相棒』、『ガリレオ』、前出『半沢直樹』などから受けるメッセージの方が、時代が近い分インパクトが大きく感じられます。その当時は存在しえなかったゲイカップルのドラマ、『きのう何食べた?』もまた然りでしょう。

それと、この後にこういったコメントが紹介されています。

>近ごろホッコリ系のホームドラマ無くなったね 2000年代に入ってから 連ドラ面白いのないし 殺伐してたり ドロドロ←イジメ 虐待など取り上げたり 殺伐としてて 見る気になれない?? ほんと 昭和のホームドラマ毒がなくて ホッコリとして 安心して見れたね
>暴力や、殺人事件の謎解きがエンタメント化してるサスペンスドラマはもうたくさん!
>なつかしいですね。もう一度じっくり見直してみたいです。 

要するに「この当時はよかった、なのに近頃は」というありがちなパターンなのですが、今は高度成長期ではもちろんありません。その後のオイルショックがあり、バブルがあり、デフレを経た時代であり、また犯罪も猟奇的なものが増え、社会現象も大きく変化している以上、ドラマの内容も変わって当然です。逆にこういうホームドラマがいつまでも続くわけもありません。最後の「なつかしいですね」はわかりますが、「殺人事件の謎解きがエンタメント(ママ、恐らくエンターテインメント)化」するのはそこまで悪いことでしょうか。それを言うなら、刑事ドラマもホームズ物もすべてアウトでしょう。

最初に取り上げた記事の冒頭では、かつての『ありがとう』シリーズのキャストの、この記事が書かれた時点での近影が紹介されています。無論若い頃とは違い、それぞれ顔にしわが刻まれる年齢となっていて、年月の移り変わりを物語っています。ならば年月が移り行く間に何が変わり、なぜホームドラマが廃れたのか、最近のドラマはその当時と比べてどう変わったのか、その辺りも考察されていいかと思いますが、「昭和映画・テレビドラマ懐古房」とある以上そういうのはやっていないのでしょうか。昭和はよかっただけでは単なる思考停止のように見えるのですが。上記コメのドラマが殺伐としている云々も、とどのつまり社会情勢の変化が大きく影響していますし。

ところでその昭和の終わり、ドラマではなく映画の方ではドライな感覚の物が登場するようになっています。これについてはまた後日。

飲み物-ミルクティ2
[ 2020/10/28 23:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

70年代のドラマとBS12トゥエルビ その3(『ありがとう』と『ガリレオ』)-3

「警察官が登場するホームドラマ」と「推理ドラマ」の比較について3日目です。

『ありがとう』の主人公光をはじめとする婦人警官は、BS12トゥエルビの公式サイトによれば
「婦人警官を志す3人の明るい下町娘の物語」
となっています。どうもこの辺りが、時代劇に時々登場する、娘岡っ引きに似た立ち位置ではありますが、それはさておき。この当時のことを考えると、やはり男性のアシスタント的な意味合いはまだ強かったでしょうから、このような「3人娘」的なキャラ設定にする必要もあったのでしょう。
元々は「死体を見た後で肉を食べられるかどうか」という部分に焦点を当てる形で始めたこの投稿ですが、もう一つ、これは警察が大きく関わっている以上ありうることですが、何か大きな事件とかきわめて危険な状況に巻き込まれ、辛うじて窮地を脱したヒロインが、自分を助け出してくれた男性に対して抱きついてしまう(あるいは相手が抱きしめる)というのも、年月を経て尚変わらないものではあるかと思われます。
木島の「レッド・マーキュリー」に監禁された後、やっと解放された後の内海薫は、やはりこうなるのでした。ちなみに『ありがとう』のシリーズでも、舞台である保育園の園児を人質とした立てこもり事件(かなり世間の顰蹙を買いそうな事件です)で、ヒロインの光が、憎からず思っている段進矢との間で似たような状況が起こりますが、これはこれで、光がなぜ抱きしめたのかなどと問い質してしまうようです、わかってあげなさいと言いたくもなります。『ガリレオ』では、普段うるさい内海が黙るとかえって気が散るなどと湯川が言っていますが、『ありがとう』のヒロインの光もお喋りで少々うるさい設定のようです。

ガリレオS1最終回
(『ガリレオ』DVDシリーズより)

ところでこの『ガリレオ』のエピは、核兵器開発をめぐるいざこざが殺人に発展したものですが、しかし木島が東京の半分を壊滅させられる、しかもトラップ仕掛けのレッド・マーキュリー(元々は核兵器製造を可能にする物質、諸説あり)を作り、その中に内海を閉じ込めたことに加え、解除方法は7000通り以上あるというのは、湯川への宣戦布告ともいうべきものでした。つまり内海は人質であるわけです。
そういう中から湯川が苦心惨憺して解除方法を見つけ出すものの、最終的には意外と簡単な方法でロックが解除され、クリスマス当日を迎えたその時に、内海は晴れて自由の身になり、腑抜けたような声で「メリー・クリスマス」を言います。また同じ時刻に捜査本部の先輩の草薙も、手酌で酒を飲んでいた城ノ内先生も、ケーキの箱を抱えて帰宅途中だった栗林宏美も実に晴れ晴れとした表情になります。この辺の演出はうまいなと思います。

ただこの「メリー・クリスマス」の前に、湯川が例によってちょっとKYなことを言います。
「そういえば以前君は、僕がサンタクロースを信じていたかどうかについて、きわめて非論理的な…」
「先生、その話は今しなければなりませんか」
そう言われていやと答える湯川ですが、君を助けたいといったことを言いながらも、いざ問題解決となったらなったでこうですから、あまりロマンチックとは言い難いようで。このサンタクロース云々は、第2回の空中浮遊少年の回で登場しましたね。
ということで、ご参考までにこの2作品関連のリンクを置いておきます。

フジテレビ『ガリレオ』バックナンバー
<ドラマ> ありがとう 第1シリーズ

3日間にわたるこの投稿に目を通してくださりありがとうございます。自分では割と楽しめましたが(でないとこういうのやりませんよね)、如何せん『ありがとう』シリーズの映像はなし、もしあれば、もう少しあれやこれやと比較ができたかも知れません。無論この比較というのは、優劣をつけるという意味ではなく、時代の違い、女性の警官の描かれ方の違い、さらにホームドラマと推理ドラマとの違いなどを比較してみるということではありますが。

飲み物-カフェラテ2
[ 2020/08/21 01:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

70年代のドラマとBS12トゥエルビ その3(『ありがとう』と『ガリレオ』)-2

先日と同じテーマの続きなので、枝番号をつけています。大河関連もその内投稿しますので今しばらくお待ちください。

さて、『ありがとう』の婦人警官シリーズの主人公(四方光)も、『ガリレオ』の内海薫も、死体を見た後は肉を食べられなくなったという点では共通しています。尤も内海薫は、七味をかけて何とかかき込もうとするのですが、その一方で『ガリレオ』の監察医城ノ内桜子は実に大胆なものです。この先生は本来遺体を保存しておく冷蔵庫に、サンドイッチやらスイーツやらを入れていて、訪れて来た内海に振る舞ったりしています。
無論これは先日書いたように、「ホームドラマの中の警察」と「推理ドラマ」(湯川学が主人公であるため)の違いもありますし、時代の流れに伴う警察組織内の女性のポジションの違いも、あるいは関係しているかと思われます。ただ女性の警官が(あるいは男性も)職務上とはいえ死体を見た後、しばらく食欲が湧かない、特に肉っけの物を食べられないというのは同じであるわけです。この場合『ガリレオ』の方がかなり後で作られており、後方互換的であると言えそうです。

無論『ありがとう』の光がパトロールや少年補導中心の巡査であり、しかも家での食事であろうと思われるのに対し、やはり内海は事件を担当する刑事であり、しかも外での食事(草薙の奢り?)であるわけで、そう言ってもいられない。一見似ていながらこの辺りが違う点に、両者の違いの大きさが見て取れると言えるかも知れません。
それとやはり前者の方は、後者のように事件解決と推理をテーマにしているわけではないし、またホームドラマというのは大抵そうなのでしょうが、紆余曲折を経ながらもハッピーエンドで終わるのが目的になっているわけです。この光ちゃんも、結局は同じ署の刑事である彼と結婚することになるわけですし。

しかし内海の場合、ドラマでは先輩の草薙と、協力者の湯川という2人の、しかも独身男性がいるわけですが、彼らと恋愛感情を持つに至ってはおらず、どころか湯川と知り合った頃は「オタク」と一蹴しています-確かにかなり奇妙な人間ですから、それはうなずけます。ただ、第1シーズンの最終回「爆(は)ぜる」では、監禁されていた内海を湯川が助けに来て、2人でメリークリスマスを口にするシーンが登場しますし、それ以外にも、何となく湯川を意識しているなと思われる部分が感じられます。しかしやはり「警察官が出て来るホームドラマ」ではないわけですから、ハッピーエンドでめでたしめでたしというわけにも行かないのですね。
ところでこの最終回、湯川の恩人で犯人の木島の存在に、どことなくモリアーティ的なものを感じます。最初の方のデスマスクからして何か怪しげですし、またこの木島が何とも高圧的に湯川に挑んでくるわけですが、モリアーティがライヘンバッハの滝に落ちるような劇的な最期でもなく、無論その後再登場することもありませんした。

かなり自己満足とも言える投稿を延々と続けておりますが、もう1度だけお付き合い願えたら嬉しいです。
(この項続く)

飲み物-アイスミルクティ
[ 2020/08/20 00:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

70年代のドラマとBS12トゥエルビ その3(『ありがとう』と『ガリレオ』)

このチャンネルで放送されている1970年代のホームドラマ、DVDが出ているのをレンタルする前に、一応どのようなストーリーなのか見ておこうと、いくつかの番組の放送ラインアップを見てみました。ごく簡単ながらおおよその見当はつきますが、当然と言うかビジネスよりプライベートの比重が大きく、ビジネスの部分はいわば添え物的なイメージがあります。
無論ホームドラマだからそれはそれでいいのです。この場合買収も追加融資も、はたまた稟議などというのも関係ないのですから。『半沢直樹』だと、半沢が栄転祝いで貰ったマカロンを花も買って来ていて、同じ物がダブってしまい、何だかんだ言いつつ食べているシーン、あの手のシーンがメインになる感じがします。

実際『肝っ玉かあさん』と言う、京塚昌子さんが出演していたドラマは、そば屋が舞台ではあるものの、そば屋の経営という部分が重視されているわけではなく、核となるのはどちらかと言えば、主人公の家族とかその店の常連とか、近所の人々に絡んだ話題でしょう。これは『時間ですよ』でも、『ありがとう』のシリーズでも同じようです。
それとこの当時、やはりというか嫁姑問題とか、今だと、弁護士案件になると思われるようなもめごとが多い印象があります。またシングルファーザーなども、あまり認められていなかったようです。1970年代初頭だと、そのようなものかもしれません。

ところで少し間に、『ありがとう』の婦人警官シリーズで、主人公がパトロールの最中にバラバラ死体が入ったスーツケースを見つけ、しかもそれもLSDの密輸と関係があるなどという設定はいささかベタだと書いています。無論これは別の意味で物語の展開に必要だと思われますが、しかしバラバラ死体なら一つにまとめるより、分散させた方が捜査の目をくらませることができるのではないでしょうか。
それから『ありがとう』の方では、このお蔭で、主人公の光が夕食のすき焼きが食べられなくなる設定のようですが、ここで1つ前にも出て来た『ガリレオ』と比較してみます。こちらは内海薫が焼死体を見て気分が悪くなりながらも、その後草薙と牛丼を食べるシーンがあります。草薙は平気で平らげますが、内海は流石に肉を食べるのに抵抗があるようで、何とか七味をぶっかけて食べてしまいます。この場合、食べられないとは言っていられない状況なのでしょう。そしてこの時に草薙が、「俺はミステリーハンターなんかじゃない」と、湯川の存在を内海に教えることになります。
(この項続く)

飲み物-ビールと夜景
[ 2020/08/19 01:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『若い人』その3

ここのところやや不調というのもありますが、このブログの投稿で、後からいくらか修正をしていることがありますので、その点、悪しからずご了承ください。では『若い人』その3です。

この作品のアウトラインを述べて行きます。江波は作文のみならず、絵画にもかなり天才的な物があります。そういった部分に驚きつつも、橋本の知的な雰囲気にも惹かれて行く間崎でした。また女学校ということで、様々な女性の先生も多く、それぞれの人物像が細かく描かれています。そのような中、間崎は靴の中に走り書きの手紙を見つけます。

それは江波の手紙で、寮を出て通学する旨が簡単に書かれています。かつて江波は、間崎に挨拶しないという宣戦布告のような手紙をよこしていたのですが、今度は自分の作文を橋本先生がどのように評価したか、それを教えてくれれば挨拶をするとまで書いています。しかもその時、当の江波の体操服姿を間崎は目にします。彼女はバスケットボールをしていたのです。しかもそのボールがこちらに転がって来て、間崎はそれを蹴返そうとしてひっくり返ってしまい、橋本先生に肩を借りるはめになります。どうも間崎は江波の前ではあまりいい格好ができないようで、他の生徒たちはくすくす笑っていますが、江波は自分は笑わないと明言します。

その年の9月、文部省派遣の視学官が学校を訪れることになります。これはかつて、授業視察や教員の監督を目的に置かれた制度で、私立の学校ももちろん対象となっていました。(今も同じ名前の文部科学省の職務がありますが、内容は全然違います)ともあれ、国語科の授業の視察ということで、間崎の授業も視察されることになります。この時の授業内容は乃木大将の殉死に関するもので、授業中江波が突っ込んだ質問をします。最終的に間崎の授業は高評価ではあるものの一部批判もあり、その批判がやはり江波絡みであったことから、間崎はどこかやり場のない思いを抱きます。

上巻前半のこの辺りから、江波の存在が、間崎にかなりの影響を及ぼすようになって行きます。江波との直接的または間接的なやり取りは、橋本との間で成立する理論的な会話とはかなり違ったものでした。しかもそれに対して対処しているつもりが、どこかうまく対処出来ていないところもあり、その点を視学官からも指摘されています。この場合授業がどうこうと言うより、江波との絡みの不十分さを指摘されたことにより、間崎は落ち着かない気持ちにさせられたと考えるべきでしょう。

それにしても、この当時の女子スポーツにはバスケもあったのですね。ちなみに今はWNBAもありますが、かつてアメリカの女子バスケ選手がプレイで生活できるのは、日本とイタリアだけだったらしい。それはともかく。この間崎が転がって来たボールを蹴り上げようとして転んでしまいますが、サッカーのスライディングのようなものでしょうか。普通に手で拾って渡してもよかったのでは…。

ところで先日の投稿の、この間崎が女子生徒に人気があるという部分ですが、かの高嶋政伸さんも、この役を演じていたようです。個人的にはちょっと微妙ではあります-高島さんといえば、最近では『DOCTORS〜最強の名医〜』とか、『真田丸』の汁かけ飯が大好きな北条氏政公のイメージがあるせいでしょうか。この頃谷原章介さんが俳優としてデビューしていますが、谷原さんだとこの役はうってつけだったかも知れません。

ところで女子生徒のみならず、女性に人気があるという点で思い出すのが、『ガリレオ』の草薙俊平が所轄署から警視庁に栄転になる時、同じ署の女性警官が我先にと花束を渡すシーンです。この時草薙は内海薫にだけ話しかけるのですが、それは湯川に懐疑的な内海に対し、俺なら湯川と捜査を続けるというものでした。内海の方はといえば、日頃付き合いのある女性警官たちの態度に驚き気味です。尤も湯川の授業に女子学生が多いのも、この場合似たようなものです。

飲み物―アイスコーヒー5
[ 2020/08/19 00:30 ] | TB(-) | CM(0)

清盛とホームズ

まず大河『平清盛』に関して。私はリアルタイムで観ていないため、後でDVDで観たのですが、この作品には確かに従来とは異なった演出方法がありました。それもまた観る観ないで二分された一因かと思います。ただ合戦の描写などはそこそこ納得できるものでした-平治の乱が、『花燃ゆ』の大田絵堂の戦い同様、冬でなく夏になっていましたが。

あと後白河法皇を演じた松田翔太さんが当時20代後半で、老けメイクを施しても、今一つ50代の法皇の雰囲気ではなかったのは惜しいところでした。さらにこの作品は、和歌が出て来るシーンが何度かありましたが、それが如何にも和歌風なフォントで、しかもカラー文字で登場したのには、やや違和感を覚えもしました。

同時期に放送されていたBBC『SHERLOCK』でも、メールの本文(日本語版)を字幕で出す場合に、確か似たような手法が使われていましたが、個人的には、こういうやり方にはあまり同意できませんでした。尚この『SHERLOCK』も第2シーズンまでは楽しめましたが、その後本来の謎解きがやや薄れた感があるのに加え、メディアがやたらに取り上げたことへの反発もあって、結局最終シーズンは観ないままでした。

今でも好きなのはグラナダ版、あるいは三谷幸喜氏の人形劇(パペットホームズ)や映画『ミスター・ホームズ』であったりするので、どちらかといえば「シャーロック」より「ホームズ」を重視しているのかもしれません。ただ『ミス・シャーロック』は好きでした。日本人女性のバディ物と言う、ホームズ関連では異色の存在というせいもあるでしょう。

フジ系の『シャーロック』に関しても、関連投稿で書いているように、BBC版同様どこか原作を意識させられている部分はありましたし、ちょっと凝り過ぎではないかと思われるところもありました。これも前に書いてはいますが、以前日テレ系列で放送されていて、リアルタイムで何度か観た『臨床犯罪学者・火村英生の推理』の方が、私としては受け入れられるようにな気がしました。

有体を言ってしまえば、この主人公2人(火村とアリス)も結構ホムワト的な存在ではあるのですが、原作はもちろんホムワトではなく、あくまでも有栖川有栖氏の作品となっています。まあ広い意味で言えば、『ガリレオ』も『相棒』も、人物設定はいくらかホムワト的ではあるのですが、ストーリーを多少それらしき物にとどめるのか、あるいはホムワトのパスティーシュ的な物として制作するのか、また後者の場合、時代背景その他をどう動かすかで、受け止める物に多少の違いは出て来るでしょう。

何やら無理やり『平清盛』からホームズ関連にシフトさせた感が無きにしも非ずです。敢えて共通点を探すとすれば、『平清盛』で重盛を演じた窪田正孝さんが、『火村英生の推理』ではアリスこと有栖川有栖を演じていたという点でしょうか。

飲み物-ホットココア
[ 2020/01/23 01:00 ] ドラマ | TB(-) | CM(0)

「戦は嫌じゃ」と『麒麟がくる』

一昨年に戦は嫌じゃ考という投稿をしています。この投稿の前半は『西郷どん』の、特に江戸無血開城関連ですが、後半は戦国大河の「戦は嫌じゃ」について書いています。『江~姫たちの戦国~』で有名になったこのセリフですが、使われる状況や使う人によっては、説得力を感じるものです。『真田丸』の梅は、男手がなくなり、田畑も荒れるので戦はない方がいいというのはうなずけますし、同じ『真田丸』で、徳川家康が戦について否定的とも取れる発言をするシーンがありますが、長年戦場に立ち、様々な戦を見て来た家康ならではともいえます。あと、大坂の陣での長宗我部盛親の「わしは戦が嫌いでな」も、関ヶ原での西軍の敗退に起因していると取れなくもありません。ただそう言いつつ、盛親は大坂方に加わったわけですが。

ただし『おんな城主 直虎』の龍雲丸は頂けませんでした。自分が武将の子で、城が敵に落とされたから戦は嫌だ、もっと言えば戦の拠点となる城の存在が嫌だというのは、どうも説得力に欠けるように思います。この場合、城を落とされたから相手に何らかの復讐をしたい、自分の家の名誉を回復したい、そのためにも手を貸してくれと直虎に頼むのであれば、まだわからなくもありません。柴咲コウさんと柳楽優弥さんは『内海薫最後の事件』でも共演していますが、こちらの方が面白かったですね。最終的に冤罪ビジネスを糾弾しようとする内海と、彼女の「相棒」で、長野県警の巡査部長である当摩健斗のコンビは楽しめました。閑話休題。しかしこの「戦は嫌じゃ」、『麒麟がくる』では、どのように描かれるのでしょうか。

無論戦乱の世が舞台である限り合戦は不可欠であり、一部でその戦を疎ましく思う人物もまた存在するでしょう。肝心なのは、その人物がどのような立場で、どういう視点からこのセリフを口にするかです。戦乱の多さは守護大名同士の私闘と、領地の切り取りが公然と行われるようになったためですが、これは室町幕府の求心力の弱さが、引き金になったともいわれています。この幕府の弱体化と、光秀が夢見たであろう室町幕府の再興、この両者をどのように絡ませるのかなと思います。また脚本担当の池端俊策氏は、かつて南北朝時代を舞台にした『太平記』の脚本を手がけています。戦国時代は南北朝の影が色濃く残っていましたが、その辺りをどのように描写するのか、そちらにも興味を覚えます。

飲み物-ラテアート
[ 2020/01/07 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

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まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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