第33回『武将ジャパン』大河コラムその3です。
それから30日の福岡城関連投稿で、阿部進之介さんの名前の漢字を間違えていたので、訂正しています。
本作の制作者は、開き直っているんだと思います。
歴史的な意義を壊すことが「シン・」とつけることだと誤解し、だからこそ暴走した。
たとえば来週の旭姫もそう。
彼女と家康の結婚は、年齢的に名目的な儀式であり、実際の夫婦関係は無かったと見なされる。
それが歴史的見解の「常識」であり、自然な見方でもありましょう。
しかし、それだと「シン・」にはなりません。だからこそベタベタとした展開になったりするのでは?
先日も書いていますが、制作サイドは「シン・大河」などと言っていないと思いますが――『麒麟がくる』の時に「大河新時代」と言ってはいましたが。
それと次回のをまだ観てもいないのに、
「ベタベタとした展開になったりするのは、そうでないと「シン・」にならないから」
などと書くのは、武者さんの勝手な決めつけ以外の何物でもありません。
ちなみに次回の予告について先日書いていますが、ベタベタした展開のシーンなどはありませんでした。
こうした認識の持って行き方は“斬新”などではなく、むしろ“手抜き”でしょう。単に逆を取っただけ。
仮に今までの展開を、その真逆にするにしても、それがすなわち「手抜き」になるのでしょうか。
思えば初動から間違っていました。
家康をナイーブなプリンスと定義していますが、そもそも「プリンス」をどう見ていたのか?
昭和平成の学園ドラマなら金持ちの息子とか、上品なイケメンいうことになりますかね。
しかし、歴史用語として考えた場合の「プリンス」は、日本であれば皇族に該当するはず。
もうこの時点で誤用が甚だしい。
「○○界のプリンス」などという表現は、特にPRの意味で使われますし、その意味で家康がナイーブなプリンスというのは少しもおかしくありません。プリンスではありませんが、ハンカチ王子なんて言葉もありましたね。
ところで豊臣秀頼も「豊臣家の若きプリンス」という触れ込みですが、武者さんそれにも何か言いそうですね。以前、『真田丸』の中川大志さんも同じような触れ込みであったかと思いますが、ただそれに対しては何も言わなかったかと思います。
徳川家康をプリンスとして定義する時点で、信頼感が地に落ちていた本作。
強引ですね。この時点で信頼感が地に落ちていたのであれば、武者さんがあれもよくないこれも駄目と書いていたのは、一体何だったのでしょう。
「家康をプリンスなどとしている、だからこの大河はダメ」
この一言で済んだのではないでしょうか?
これは何も視聴者だけでなく、演じる側もそうなっているようで、今週やたらと長かった石川数正のラストシーンは、アドリブだそうです。
◆ 松重豊、「どうする家康」石川数正のラストシーンに言及「本来書かれていなかったセリフをアドリブで言った」(→link)
思い入れのある人物のセリフをアドリブにするというのは、通常ならばまず考えられないでしょう。
脚本が役者さんに信じられていないか。
あるいは、よほど中身がなかったか。
この記事ですが、松重さんのコメントによると
「出奔した後の最後のセリフも本来書かれていなかったセリフをアドリブで言ったんです」と告白。
(中略)
「松本潤家康とどういう別れ方をしたかなって2人で一生懸命シュミレーションした結果が33・34回の放送回だと思います」と具体的な出奔シーンの時期についても言及していた。
「出奔した後の最後のセリフ」
「33・34回の放送回」
とあるのを見る限り、このセリフは第33回ではなく、第34回に家康が上洛し、出奔した後の数正と会って、その時数正がこの言葉を放つのではないかと思われます。何よりも第33回では、家康は「出奔後の数正」と話す機会はありませんでしたから。
そして中島亜梨沙さんのSNSでの
「(劇中での)台詞は台詞ですので苦情は受け付けておりません!」
に関して、
「なぜ、そんなことをSNSでわざわざ但し書きしているのか、
誰かから「おかしい」と言われることを想定していないと、そんなこと発表しませんよね」
とありますが、あの中で中島さん演じるひよは、板垣さん演じる虎松を悪童呼ばわりするため、
「気にしないでくださいね」
という意味で板垣さんのファンに送ったメッセージとも取れます。
しかし武者さんは、収録現場の人間関係がギスギスしているに違いないと思っていたいようです。
そんなギスギスした不幸な関係は、ドラマの描写にも反映されているようで、先週の放送で、秀吉が吐いたセリフが注目されていました。
◆NHK大河「どうする家康」ムロ秀吉の悪口に対するアンサーが話題に 視聴者「全てのSNSユーザーが胸に留めたい」「正論かましてきた」(→link)
徳川軍に罵詈雑言の看板を掲げられた秀吉が、「人の悪口を言うやつはどうしようもない」という趣旨の発言をしたものですね。
この秀吉のセリフを、私のように批判を記す不届者へのカウンターと捉えた意見は多かったようです。
しかし、だとしたら非常に妙なことになる。
秀吉の発言が向けられたのは、あくまで「徳川軍」です。
罵詈雑言の看板を立てた徳川軍に対し、秀吉が「どうしようもない連中だ」と罵り返したわけで、もしも秀吉の発言が肯定的に捉えられるなら、表向きは徳川軍の連中がどうしようもないということになる。
SNSでのアンチを叩きたいあまり、主人公側をぶん殴るとは、あまりに筋が悪い。
ドラマはドラマ、現実は現実とここは分けて考えるべきでしょう。
実際秀吉のセリフは、自分への悪口雑言を書き連ねて、自分を怒らせようとした徳川に向けられています。そして視聴者の中には、ネット上で発言をする際の自分への戒めとしようと思った人もいるでしょう。
しかし結局徳川の目論見は失敗に終わるわけですし、確かにこの時の徳川の考えはやや浅はかであったとも言えます。
とは言うものの、
「SNSでのアンチを叩きたいあまり、主人公側をぶん殴るとは、あまりに筋が悪い」
は、武者さんの僻目ではないのでしょうか?
おまけに、
そして、今まで散々秀吉を貶めるような描写をしてきたドラマの制作者も、批判される側になるでしょう。
作り手の自己批判だったのでしょうか?
だからドラマはドラマ、現実は現実です。ただ視聴者の中には、このセリフが刺さった人もいるでしょうし、そこから先はその人の考え次第でしょう。
図星だったのかも知れませんが、ここまで言う必要もないかと思います。スルーしとけばいい話です。
武者さんて割と冗談を真に受けるようなタイプなのでしょうか。
それにしても「主人公側をぶん殴るとは筋が悪い」
いや、貴方の大河評はいつも、 主人公側をぶん殴るに等しいことをやっているように見えますが。
でこの後榊原康政を演じる杉野遥亮さん、茶々を演じる白鳥玉季さんについての記述がありますが、これはまた機会があれば別途取り上げます。特に白鳥さんについては、武者さんが持論を持ち込んで延々と書いていますので。
◆『どうする家康』が放送開始以来の大ピンチ…「BL展開」しか逃げ道がない「ヤバすぎる事情」(→link)
「山田(本多)が上半身裸となって槍の稽古をする、杉野(榊原)が家臣と相撲を取る、といった演出プランがあると聞きます。松本家康の相手役になるのは、おそらく板垣(井伊)でしょう。美男子の井伊が、風呂場でふんどし一丁になって家康の背中を流すというシーンが今後の見せ場になるそうです」
一言だけ言うなら「しょーもな!」でしょう。
こんな安っぽいBL展開でしか数字を狙えないドラマとは一体なんなのか。
現代ビジネスの記事ですね。
しかし忠勝が上半身裸で槍の稽古をするのは、もう既に出て来ているはずですが。
あと相撲を取るシーン、武者さん『西郷どん』でも何かのように叩いていましたが、相撲で褌一丁なのは当たり前ですし、こういう男性の裸のシーン即ちBLに結びつくのでしょうか。
では『真田丸』で石田三成が水垢離をするシーンがありましたが、あれもBLなのでしょうか。
それと先日『秀吉』絡みで書きましたが、あの時は秀吉と家臣が褌姿で走っていました。この論理だと、それもBLになるのですね。
確かに『鎌倉殿の13人』で若い層を取り込んだという分析結果もありましたが、今年はもう今さら頑張ったところで無理。
ここから制作陣を入れ替えたって、とても挽回できるものではないでしょう。
この大河は実際若い層を取り込んではいると思います。またSNSとの親和性も高そうです。
にもかかわらず
「今年はもう今さら頑張ったところで無理」
「ここから制作陣を入れ替えたって、とても挽回できるものではないでしょう」
なのだそうですが、何が無理で、何を挽回できないのかはっきりさせてほしいですね。
世帯視聴率ですか?それとも固定視聴層の復帰ですか?
そしてまた中国ドラマとアニメのリンク。
◆中国ドラマ「陳情令」配信4周年記念の切手セット販売、五大世家シーリングスタンプも(→link)
◆アニメ第2シリーズ「天官賜福 貮」字幕版&吹替版で放送決定! PV第1弾が公開&新キャストに子安武人(→link)
関係ない話ですが、このアニメに出演している日笠陽子さん、『はたらく細胞BLACK』の白血球ですね。
先ほどの記事で名前が出てきた松坂桃李さん。
実は彼の「桃李」とは、桃李成蹊を由来としていて、成蹊大学の由来でもあります。
桃李もの言はざれど、下自ら蹊(みち)を成す。『史記』
桃やスモモは何も言わない。しかしその下には、その花と実を求めた人が集い、自然と小道ができるものだ。つまり、優れた徳や誠意の持ち主のもとには、宣伝などせずともそれを求める人が集まってくる。
「先ほどの記事」などと書かず、杉野さん関連の記事であること、杉野さんが松坂さんと同じトップコート所属であることをちゃんと書いてください。
しかし松坂桃李さんを出してくるなら、出演大河もちゃんと書けばいいのに。ただ武者さんは『軍師官兵衛』も『いだてん』も好きじゃないから、書きたくないのでしょうね。
で、好きな『八重の桜』絡みのこのニュースには嬉しそうです。
大河ドラマもそうだと示すニュースがありました。
◆綾瀬はるかさん、今年も特別ゲストに 9月23日の会津藩公行列 福島県会津若松市 福島民報(→link)
もう十年間ですよ。
彼女を呼ぶ会津の期待や信頼感と、綾瀬はるかさんの誠意が今なお合致していて、
「さすけねぇか」
と呼びかける綾瀬はるかさんはすっかり名物です。
その一方で、家康の出演者が信玄公祭りに出ないと書いています。実はこちらの信玄公の方は、ちゃんとした理由があるからなのですが、それを書いていませんね。
『どうする家康』でも、まだ祭りのゲストに出演者が参加することがあるようですが、その一方で一切関わらない祭りもあります。
その代表例が、信玄公祭りでしょう。
◆第50回信玄公祭り 信玄公役が決定しました!(→link)
以前にも触れましたが、信玄公を務めるのは阿部寛さんでも眞栄田郷敦さんでもなく、『大奥』で徳川吉宗を演じた冨永愛さん。
意思決定の経緯は不明ながら、ともかく結果は結果。
なぜ大河ドラマが回避されたのか。あらためて考えていて浮かんできたのが脚本家の得意とする描写手法です。
これに関してですが、男性ばかりでなく女性も入れようということになり、富永さんに白羽の矢が立ったようです。
長崎幸太郎知事は「(祭りは)県の新しい姿を見せていく大きな機会」と述べ、女性活躍推進に力を入れる姿勢を示していく方針だ。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC069XC0W3A600C2000000/
(日本経済新聞)
ちなみに今年は、山本勘助も女性が演じるようで、信玄公だけではなさそうですね。
第50回信玄公祭り 山本勘助役が決定しました!
https://www.yamanashi-kankou.jp/shingenko-fes/50th_kansuke-kettei.html
武者さんは女性参画は好きでしょうから、こういうのはちゃんと紹介してはどうでしょうか。
あと今年の場合、信玄公は主役ではないということもあるでしょうね。それを考えれば、主人公を演じた綾瀬さんが会津関連イベントを10年間務めるというのはわからなくもありません。
そして、この後ですが、
『どうする家康』にせよ『コンフィデンスマン』などにせよ、この脚本家については
「二転三転する展開で視聴者が軽妙に騙される」
といった趣旨の文言が必ずのようについて回ります。
とあり、
徳川家康はむしろ誠実さが売り物です。
むろん誇張や美化もあるでしょうが、裏切られることの多かった織田信長に対し、一度もそんな素振りを見せていないのが家康。
秀吉だって、死を前にして、家康に秀頼を託しています。
実際の内面はともかく、誠意ある人物に思われていたのでしょう。
そういう人を主人公にして、どうして、軽妙に騙すのが得意な脚本家に依頼したのか?
この家康自身は寧ろ誠実で、だからこそ最初は悩みもし、その中でしたたかさを身に着けては行きますが、本質的な部分は第33回時点であってもそう変わっていないでしょう。そして古沢氏は、そういう家康の成長と変わらない部分とをきちんと描いているかと思います。ただドラマそのものは、この人らしい二転三転した展開、最初から時系列に沿って描かない展開は多めではあるでしょう。
そんな不誠実なドラマのもとには綺麗な花も咲かないし、美味しい実もならない。
騙されて近づくと造花がつけてあって、実はただのハリボテ。しかも蜂の巣が仕掛けてあって、逃げ惑う羽目になる。
それを「斬新だ!」「シン・桃李成蹊だ!」「ただの桃とスモモじゃつまらないでしょw」と木の周りにいる連中がニヤニヤと笑いながら見ている。
一体何を言いたいのですか、武者さんは?何か変な夢でも見たのですか?
先ほどの桃李成蹊になぞらえたいのでしょうが、この蜂の巣とは何ですか。何かの暗喩ですか。
そしてまた「シン・」だの「つまらないでしょ」だの、すべて武者さんの妄想でしかありません。
同じ揶揄するにしても、もう少しまともな方法はないかと思ってしまいます。
こんなことで引き合いに出される松坂桃李さんが気の毒になります。官兵衛の長政好きなのに…。
それと先ほどの大河絡みで書きましたが、松重さんに加えて松坂さんも綾瀬さんも出して来たのなら、ここで『いだてん』の話を…とは、なりませんかやはり。
「この素晴らしい木がわからないなんてバカw 怠慢だw」と嘲笑う者までいる始末です。
バカとまでは言いませんが、武者さんが『どうする家康』を、大河レビュアーであるにもかかわらず、少しも理解していないのは、残念ながら事実でしょう。
2013年と2023年の大河ドラマの違いとは、誠意の問題だと思います。
信頼関係を無茶苦茶に破壊しておいて、この後どうするつもりなのか。
どこが「誠意の問題」なのでしょうか。
今年のスタッフは誠意がないと言わんばかりですね。
そして「信頼関係を破壊」、この信頼関係とは具体的に何なのでしょうか。
皆さんの意見はNHKへ直接送りましょう。
◆NHK みなさまの声(→link)
ではまた支持の声と、それからラグビー中継に関して一言送っておきましょう。
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