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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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日本代表VSトンガ戦の結果と『舞いあがれ!』とロブ・ペニー氏

7月29日の花園ラグビー場でのトンガ戦、日本が勝利です。しかしながら気温は28度とは言え湿度が86パーセント(29日午後8時現在)、かなり蒸し暑い中での試合でした。トンガの選手にしてみれば、南半球で、今のシーズンは気温が低めの母国の方が、よほど涼しかったのではないかと思われます。

さてこの試合の経過に関しては、以下のリンクをご覧ください。

(日本ラグビーフットボール協会公式サイト)

得点差はそうなかったものの、試合の大部分で日本がリードを守った試合で、途中交代の松田力也選手のPG、さらには、松島・堀江両選手の好プレイが勝利につながったと言ってもよさそうです。

日本代表、タフなトンガを倒し今季初勝利。姫野「素直に嬉しい」

トンガ戦での勝利のタックルと対応力。松島幸太朗の価値

そして地上波ではNHKで放送されたこの試合、朝ドラ『舞いあがれ!』で、"ドーベルマン"望月佳晴を演じた松尾諭さんと、その娘で舞の親友の久留美を演じた山下美月さんがゲストでした。個人的に、関係者でない人物が試合に呼ばれるのにはやや抵抗がありますが、『舞いあがれ!』で、2019年ワールドカップの試合に関する描写がなかったこともあるので(2015年のはあり)、これはよしとしましょう。

あとNHK関連でもうひとつ。U20のヘッドコーチで、来シーズンからスーパーラグビーのクルセイダーズの指揮を執るロブ・ペニー氏が、U20指導の際にミニチームを4つ編成し、チームアクティビティを高めたということですが、それぞれのチームの名前が、

うつけ
楽市楽座
安土
ロブナガ

となっていたそうです。ペニー氏によれば、容赦ない精神を持った信長をチームポリシーとして掲げたとのこと。あるいは、今年の大河を観ていたのでしょうか。

飲み物-ギネススタウト
[ 2023/08/03 01:45 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

過去の戦国大河を観直してみる

先日『おんな城主 直虎』をもう一度観ていると書いています。最初の4か月ほどは面白かったのですが、その後疑問に感じる点も出て来て、小野政次が退場するまではリアタイ視聴したものの、その後録画視聴となってしまいました。主人公の知名度があまり高くなかったせいもあり、創作部分が多いことで不満を感じたように思うので、今現在の視点でもう一度観てみようと考えた次第です。

そしてこれには、『どうする家康』も大きく関わっています。直虎で描かれる時代は、家康の時代の前半期とほぼ同じで、舞台となる地域も似通っており、比較しやすいという点がまず挙げられます。ここ10年ほどの戦国大河の場合、『真田丸』は甲州征伐辺りから始まるので、時代的にはかなり後で、寧ろ家康の後半部分と言うべきでしょう。また『麒麟がくる』も時代的には直虎とほぼ同じです。『軍師官兵衛』がやや近いと言えるでしょうか。

というわけで、実は官兵衛も観ています。ただこちらは家康や直虎の東国、現在の東海地方であるのに対し、西国である播磨や中国地方が中心となっています。無論織田信長が登場するため、尾張や美濃なども描かれないわけではないのですが、どちらかと言えば今の山陽地方が中心となっており、毛利家の存在がかなり大きくなっています。

戦国大河が多く作られたのには、こういうバリエーションの豊富さもあるでしょう。そして今なお、主人公となっていない人たちは沢山います。無論この中には知名度があまり高くないとか、活躍した期間が短いなどで、主人公は難しいという人物もいるわけなので、群像劇にするなどの工夫が必要にはなるでしょう。

取りあえず直虎は井伊直親(亀之丞)が戻って来て元服したところなので、この先の遠江情勢も駿河や三河との関係も、まだこれからと言ったところです。官兵衛は、実は先日書いた万見仙千代の登場シーンを観たいので、中国攻めや荒木村重謀反辺りからと言う、かなりいい加減な観方をしています。これが終わったら最初から観直そうと考えています。

あと、ほぼ毎週ご紹介しているtaketak39460607さんのnote記事は、次回の予定です。


飲み物-テーブルの上のスタウト
[ 2023/07/30 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

森乱と万見仙千代

ラグビーについて書く予定だったのですが、その前にちょっとこちらの方を書いておきたいと思いました。

まず森乱(蘭丸)、『どうする家康』でも登場し、本能寺の変で討ち死にする人物です。本名は成利あるいは長康(諸説あり)で、信長の小姓の中でも特に名を知られています。今まで大河にも10回以上登場しています。

この人はどちらかと言えば武将として有名であり、また信長の使者としての務めも果たしているようです。その一方で、万見仙千代という人物がいます。この人も信長の小姓で信忠にも仕えており、こちらは『軍師官兵衛』に登場したから、ご存知の方もいるでしょう。仙千代というのは幼名で、本名は重元といいます。

但し森乱がかなり有名であるのに比べると、こちらはやや地味な印象があります。なぜ地味に見えるのか。それは万見仙千代は武将としてというよりは、寧ろ事務または取次関係を担当していたこともあるでしょう。奉行を務めたこともあります。この点、秀吉に取っての石田三成を思わせるものがあります。

一方で南部季賢の使者の供応役をまかされたり、所謂検使、首実検のための務めを請け負ったりもしています。他に段銭(税金の一種)に関連した仕事をしたり、荒木村重謀反の際には、明智光秀共々糾問使として出向いたりもしています。

しかし村重はその後反旗を信長に翻し、仙千代は検視として、有岡方面へ向かうことになります。そして裏方、あるいは取次役としての任務を遂行して来た彼が、有岡城攻めに加わることになったわけです。

しかしこの攻撃で彼は討ち死にすることになります。仙千代がもう少し後の時代の人物であったなら、地味ながら主君の務めを忠実にこなす能吏として一生を終えたかも知れません。

尚先ほど仙千代は、『軍師官兵衛』で登場と書いていますが、あるいは他の大河にも登場している可能性もあるかと思います。

飲み物-アイスコーヒーとストロー
[ 2023/07/27 01:45 ] 日本史 | TB(-) | CM(0)

昔の大河と今の大河及びオンデマンドの件

1つ前のが長めなのでこちらは簡単に。

以前ご紹介した「ゆるっと解説 大河と歴史の裏話『世相が変われば、歴史解釈も変わる!?』」で、昔の映像作品でも今から見たらおかしなこともあるし、その1つ前の『前代未聞! 三河一向一揆を3週にわたって』でも、昔の大河が必ずしも史実を描いているわけではないとあります。

実際これはその通りだと思いますし、それゆえに昔の作品を基準にすることもできないわけです。実際昔の大河のDVDを観たり、あるいはアンコール放送で観たりしても、これはおかしくないかと思われるところもありますし。大河に限りませんが、あくまでもその当時だからそれが通用したという部分もあるでしょう。好きか嫌いかという以前に、その当時はそういうものだったと見た方がよさそうです。

それから先日も書きましたが、市川猿之助さんのことで『鎌倉殿の13人』のNHKオンデマンドの配信が終わる件、これには反対の意見も出ています。好きな大河の配信がこういう形で終わるのであれば、それはやはり反対したくもなるでしょう。しかし好きでない大河がこのケースだった場合、どのくらいの人が異を唱えるかとちょっと思ってしまいました。

もし好きな作品であっても、仮に好きでない作品であっても、こういう形で打ち切られる場合に反対だと言えるのは、あるいは本当の大河好きなのかも知れません。

ちなみに私は、特に好きな作品はすべて録画しており、BDにダビングしているので、今回の件はあまり自分事として感じなかったのですが、改めて、オンデマンドを利用している人の反響の大きさを目の当たりにした気がします。

飲み物-アイスコーヒー
[ 2023/07/01 01:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

NHKオンデマンド&豊田市と『伊勢物語』

まず。NHKオンデマンドから『鎌倉殿の13人』をはじめ、市川猿之助さんが出演している8作品が姿を消すことになりました。

市川猿之助容疑者出演「鎌倉殿の13人」など8作品が「NHKオンデマンド」で販売停止
(ライブドアニュース)

しかしこの場合、すべて販売停止というのもちょっと痛いものです。無論再放送もできなくなるわけですし。あとはDVDとBD、あるいは個人の録画のみになるのでしょうか。それと「市川猿之助容疑者」も変な気がします。あくまでも本名+容疑者ではないのでしょうか。

それからこちらは『どうする家康』関連ですが、第23回の紀行潤礼でしたか、徳川家の祖である松平親氏が紹介されています。この中で親氏は現在の豊田市で活動したとあるのですが、もちろんここは現在のトヨタ自動車の本拠地です。そして豊田スタジアムもこの地に立っています。

そしてこの豊田スタジアム。日本とサモアの試合を含む、2019年のラグビーワールドカップ数試合が行われています。ところでワールドカップでは、命名権のあるスタジアムでも、本来の呼称で呼ぶのが前提となっています。しかし豊田スタジアムの場合、英語でToyota Stadiumとすると、あたかもトヨタの企業名をそのままくっつけているようになるため、Toyota City Stadiumとされたようです。

しかし前の回の『伊勢物語』、単に於愛の思い付きではなく、何か意味が込められているような気はします。「東下り」で三河が出て来ますが、それと何か関係があるのでしょうか。

飲み物-グラスのアイスカフェオレ
[ 2023/06/30 01:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『麒麟がくる』第40回に関しての武将ジャパンの記事について

第40回、松永久秀退場回です。第39回の主人公の病気に描写について以前触れたため、もう1度この大河の、別の回に関するこのコラムを見てみようと思った次第です。

と言いつつ、のっけから余談になりますが、『どうする家康』第22回「設楽原の戦い」関連です。これの1つ前の分の投稿で、このコラムがなりふり構わなくなっている印象があると書いたことがあります。実際エスカレートしている感は否定できませんし、また鳥居強右衛門を演じた岡崎体育さんについて、武者さんはこのように書いています。まず彼は役者でなく、シンガーソングライターである、そのため歌まで入れたと書き、その後

「演じる側にとってはNHKの看板番組で露出があって、美味い話なのかもしれません。作品自体がいかなる内容であろうと、NHKが提灯を持ってくれるなら芸能人にとって損はない。(中略)本業が役者でない人をゲスト扱いで出すことでテコ入れしようとするんですね。大河は腐っても鯛。出たら自慢になる。そういう記念と自己アピールによるキャストが増えるわけです。当然ながら、ドラマの出来は落ちます」

などと書いています。
いくら何でも岡崎体育さん、そして『どうする家康』スタッフに失礼でしょう。それに岡崎さんはNHKの他の番組にも出演しており、朝ドラ『まんぷく』にも俳優として出演しています。武者さんはこの朝ドラはお気に召さないようでしたが。

そして中略部分ですが、
「同様のことは『花燃ゆ』でもありましたが、本業が役者でない人をゲスト扱いで出すことでテコ入れしようとするんですね」
とあります。『花燃ゆ』にミュージシャンが出演していたかなと思ったのですが、どうやら乃木坂46のメンバーが、奥女中として出演したのを指しているようです。しかし彼女たちはミュージシャンよりアイドルではないかと思いますし、登場シーンも尺も、今回の強右衛門とはかなり違っていたのですが。

では本編です。前回もそうでしたが、大河そのものへの姿勢に関して、『どうする家康』との比較を入れていることをお断りしておきます。

なんでも亡き妻の爪を小さな入れ物に収めて、大事に持ち歩いているのだとか。耳のところで振ると爪が可愛らしい音を立てるのです。
妻が生きていた証を、優しい音に求める光秀でした。

光秀が亡き煕子の爪を持ち歩いているシーンです。無論これはこれで、彼の思いが伝わって来ます。

しかし仮に今年の大河で同じようなシーンがあった場合、何と書いたのだろうかと思います。少なくともここまで肯定的には捉えないように思われます。

糟糠の妻は堂より下さず――。
若い頃から連れ添った妻とは、自分の考えをまとめてくれる。若さ、美貌、妊娠できるかどうか。そこだけ見ているとろくなことにならないという戒めです。
この言葉を頭の隅にでも入れておきたい。大事な要素ですね。

この時代「妊娠できるかどうか」は重要な要素であるかと思います。「ろくなことにならない」とも言えないでしょう。当時子供を著名な大名の家に輿入れさせるとか、他家の娘を息子と縁組させ、姻戚関係となるのはかなり意味を持ったでしょうし、それもあって光秀も、娘たちを荒木村重や細川忠興と縁組させたわけですが、

それにこんなことを書くと、木村文乃さんが演じた煕子が若くもなく、美貌でもないように思われてしまうのではないでしょうか。

そしてこれは『どうする家康』でも同じでしょう。瀬名は若いころから連れ添った妻であり、家康を一番理解している人物です。そしてこちらの妻は、危険ではあるものの武田の間者を呼び寄せ、堂々と駆け引きまでやっているにも関わらず、武者さんは、おじさんが好きな昭和平成ギャル呼ばわりまでしていますね。

なんでもたまは、駒から薬のことを習っているとか。
たまが駒から薬のことを学びたいと言い出した時は疑っていた光秀。けれども、たまは覚えが早いと駒は言います。十兵衛様の腹痛の薬くらいなら調合できるそうです。
光秀は笑い、ならたまを医者として長生きすると言い出すのでした。

これも『麒麟がくる』ではこう書いているのですが、『どうする家康』では、瀬名が夫のために薬を煎じているところを評価したことがあるのでしょうか。

スマートフォンやスマートウォッチには呼吸アプリがありますね。あれはそういう効能から実装されています。

東洋医学から『鬼滅の刃』の全集中の呼吸、そしてこのような記述となっているのですが、所謂マインドフルネスのことと思われます。ただこれは元々は、上座部仏教の影響の方が大きいのではと思います。あと治療としてのマインドフルネスを実践したのは、確かアメリカが最初ですね。

実澄は光秀が変わりないかと挨拶。光秀は戦に追われ歌を詠むこともできず、お恥ずかしい限りだと言います。
この言葉は、もしかしたら再来年も有効かもしれません。『鎌倉殿の13人』の源氏ともなれば、
「歌なんて詠んでも何の役にも立たねえのによーッ!」
という価値観でした。現に鎌倉武士の書いた文章は誤字脱字が多いのだそうです。教養レベルの違いですね。鎌倉武士と比較すると、戦国武士は洗練されています。

これは「鎌倉殿」を見ればおわかりのように、そもそもそういう価値観がなかったし、字を知らなくてもそれなりに生きて行くことができたからで、必ずしも戦国時代的視点でとらえるべきではないかと思います。それと
「歌なんて詠んでも役に立たない」
は「源氏」より、寧ろ「坂東武者」ではないかと思いますが。

それと何度も書くようですが、鎌倉殿の最終回で吾妻鏡を読む家康を、戦国時代は本を読むようにとほめていた武者さん、いざ始まってみたら散々な叩きようです。しかも『吾妻鏡』を読んでいて、肩を揉んでいるお葉のことを
「読書中に肩揉みだの、お色気サービスだの」
などと書いていますね。肩揉みはともかく、お色気サービスなどあのシーンにありませんでしたが。

光秀がその小屋に入っていくところを、怪しげな男が見ています。この出番だけなのに、圧倒的な存在感。こういうキャストまで本作は素晴らしいものがある。

こういう役はどの大河にもたいてい見受けられるかと思いますが、武者さんがここまで言うのは、やはり好きな大河であるのも関係しているのでしょうか。

なんでも久秀と実澄は長い付き合いだとか。死んだ女房が何かと世話になったそうです。京にくるたび、昔話をする関係のようです。
久秀は洗練された審美眼の男だとわかりますし、愛妻家でもある。
何かと久秀はフィクション由来でどぎつい扱いをされますが、愛妻を挟んだ思い出を大切にする、心も綺麗な人なんだとわかりますね。

これですが、久秀退場回であるのなら、もう少し色々な史料と突き合わせて実像を探ることはやってほしいと思います。この大河コラムでは、関連記事を色々リンクしてそちらにアクセスさせる方法を採っていますが、コラムの中で完結させてほしいですね。その分時間がかかりますが、別に月曜の夜や火曜日のアップでもいいかと思います。今年の大河(好き嫌いはともかくとして)も、もっと史料と照らし合わせれば、いろいろ発見があるはずなのですが。

理由はどうあれ、戦の最中に人を抜け出す者は死罪と決まっている。

細かいことですが、人でなくて「陣」でしょうね。

光秀は叫ぶしかない。
げせぬ! げせぬ! げせぬ!
久秀は酒を飲めと言い、茶釜を太夫に預けておくと言います。
久秀が負ければ光秀のもの。久秀が勝てば、その手に戻る。いいな、わかったな。そう念押しする。
「平蜘蛛など欲しくない! 戦などしたくない!」
そう叫ぶ光秀には……道三のもとで戦っていた若侍時代のような、若い嘆きがある。
(中略)麒麟がくる世を信じていたのに、そんなことはなく親しい誰かの屍が積み上がってゆくばかり。
光秀の精神が壊れてゆきます。

この「解せぬ」を3回叫ぶところ、戦などしたくない、平蜘蛛など欲しくないと言うところ、これは確かになかなか世が平らかにならない、そのための厭戦気分ももちろん関係していたかも知れません。しかしそれと同時に、昔からの知己であった久秀を敵に回さざるをを得なくなる、そういったいわば私情もあったのではないでしょうか。

「げに何ごとも一炊の夢……」
短刀の鞘を投げ、死装束に着替えることもなく、叫びながら腹を切る久秀。

いくらなんでも、あの状況で死に装束に着替える暇は恐らくなかったかと思います。

NHKのVFXもこなれてきました。
安土城の場面は、そのひとつの極みだと思えます。遠景、そして大広間。壮麗な広さと豪奢さがあって眼福そのもの。かつては、あまりにお粗末で立派な建物に見えない、せいぜい旅館に見えてしまうセットやVFXの使い方にさんざん文句を書きましたが、そういう過ちは克服したようです。

私もこの回はリアタイで観ておらず、従って公式サイトやSNSでの詳しい説明も多分見ておらず、詳しいことはわかりませんが、あれは京都の寺院か、何かの建造物でロケをやっているのではないかと思うのですが。

ただ……「話は以上じゃ!」と打ち切って、光秀に有無を言わせない、そういう信長の性格が残念でなりません。
なぜにこれほど不器用なのか。

この時は信長の不器用さ、あるいは誤解されやすい性格について書かれています。

しかしそれを言うのなら、今年の信長も似たようなところはあるわけですが、今年の場合、そういう点があまりきちんと書かれていないようですね。

以前も記しましたように、2010年代最大のヒットドラマとされる『ゲーム・オブ・スローンズ』もこのパターンの結末でした。
『鬼滅の刃』も心理描写が細かい。そして自分のことばかり重視して、最愛の仲間たちを思いやれない者は、鬼だけではなく鬼滅隊士だろうがろくな目に合わないというルールがあります。

個人的にはゲースロと『鬼滅の刃』を持って来られるよりは、やはり史料と登場人物、特にこの回で退場した松永久秀の人物像の変化などを、このスペースを使って書いてほしかったです。

ちなみに常山紀談などでは彼が梟雄とされているようですが、この書物は江戸時代にできたものであり、戦国時代と江戸時代とでは見方が、相当変わっていることについて触れてもいいでしょう。

前回のことで訂正します。家康が「薬酒」を飲んでいるとしましたが、状況や色からして「薬湯」の方が妥当で可能性が高いです。失礼しました。
そうなのです。苦い薬湯を敢えて飲むところが、家康と光秀にはある。
最終回間近になって、その後への導線が見えてきます。

瀬名は恐らく薬酒は作っていないと思いますね。光秀も坂本城に戻り、たまが煎じた苦い薬湯を飲んでいます。

しかし再度書きますが、この時はこう書いているにもかかわらず、今年は瀬名が夫のために薬湯を煎じて飲ませていても、そのことをどのくらい肯定的に捉えていたでしょうか。

あ、そうそう、これは願望ですが。松永久秀が生まれ変わって、徳川幕府を仕切る大和ゆかりの男・柳生宗矩に生まれ変わったという設定が私の中には成立しつつあります。
『柳生一族の陰謀』のみならず、『魔界転生』も吉田さんの宗矩でやってくれないかなぁ。柳生十兵衛は溝端淳平さん続投でお願いします。

その溝端さん、この前も書きましたが『どうする家康』に今川氏真役で出ていますね。氏真公は後編も登場予定ですね。ちなみに溝端さんは6月14日がお誕生日だったとのことで、おめでとうございます。

久秀は、信長ですら世の中を変える気構えがない、昔からの血筋だのなんだのにこだわると悔しがる。
もう人間としての生存本能を超えて、世の中を変えてやるという執念に飲み込まれてしまっていた。
これはすごい描き方だと思った。

「すごい描き方」といった表現が多いような気がするのですが…以前からそうですが、プロとして文章を書いているのなら、もう少し書き方を工夫して貰えないでしょうか。

飲み物-グラスのアイスティー

[ 2023/06/15 00:45 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

『麒麟がくる』第39回に関しての武将ジャパンの記事について-2

今回は光秀と煕子の夫婦の描写(+信長、秀吉VS光秀)関連です。

夫が病気で帰館し、煕子は神仏の加護を求めますが、無理して倒れてしまいます。そんな彼女を駒が助けるのですが、彼女は駒に、質入れを教えてくれたことを感謝し、生活のために、女として必要な鏡や紅、さらには髪までも売ったと言います。

彼女が売ったという着物、紅、鏡、そして髪の毛は、全て女性の美しさの象徴です。
外見よりも、内面で深く思いあう夫妻。これみよがしに名場面として処理するのではなく、ここにきて煕子の逸話として無理なく印象的に入れてきました。

それを言うのであれば、夫のために自ら武田の歩き巫女の相手をし、信長に対して、臣従するのは家臣との話し合いもあるし、今しばらく待ってくれとも言う『どうする家康』の瀬名に対して、なぜあそこまで攻撃的になるのかわかりません。武者さんの場合、人物描写より好き嫌いが先に来るのでそうなってしまうわけですが、そういう「レビュー(もどき)」を書かせる方もどうかと思う所以です。

そして信長と秀吉が光秀を訪ねるところですが、

この信長は、ともかく光秀が大好きなのだそうです。
だったらもっと気遣えと思いたくもなりますが、信長は絶望的にそういう気遣いが不器用。秀吉は調子よく「明智殿が思いの他元気そうで何よりでございます!」とサラッと言えるのですが。

「光秀が大好きなのだそうです」
どう観ても、この第39回の中にそういうセリフは出て来ません。この後で『土曜スタジオパーク』(現・土スタ)に染谷さんが出演したことが書かれているから、恐らくそちらの方で口にしたのでしょうが、ならばそれはそれとはっきり書いてほしいものです。

なぜ天王寺砦でそれ(注・本願寺攻めに九鬼水軍を使う)を冷静に思いつけなかったのか? 敵の物資面での優位を光秀たちは進言していた。気合いが足りない、なんてしょうもない根性論に飛びついて、数字の分析も無視してしまった。

この場合信長は、原田の家臣たちが一向宗徒で、わざと玉を込めなかった、これで本気と言えるか、大事なのは気合じゃと言っているわけです。無論これは、彼我の兵器の数を考慮に入れていない信長の、一方的な思い込みではありますが、一般的な意味合いの「気合が足りない」が、しょうもないと果たして言えるかどうか。この「しょうもない」も武者さん好きですね。

またこのシーン、本願寺攻めで、信長は劣勢にあるにも関わらず、手勢を率いて本願寺勢力を切り崩し、その際敵方の銃弾で軽傷を負ったという説を踏まえていると思われます。

人は、恋をしている相手はとてつもなく美しく見えるものではないですか。
染谷さんも『スタジオパーク』で語っていました。信長はずっと十兵衛ラブ。
(中略)
信長としては大好きな十兵衛、そのそっくりな愛娘の縁談を用意して、親密度を上げたい! 張り切ってますね。
いかにも東洋的な家父長制度って、娘を身代わりにして大好きな男性に接近することがチラホラあるわけでして。また光秀が病になってしまわないかと不安です。

これなのですが、今年の信長の「白兎愛」と相通じるものがあるかと。要は信長とその時々の主人公の距離の近さ、連携の強さをこういう形で描いているわけでしょう。
それで行くと亀姫の奥平への輿入れも、その親密度を上げるためのものかとなりますが、それは今後の展開を待つとして。

それと
「いかにも東洋的な家父長制度って、娘を身代わりにして大好きな男性に接近することがチラホラあるわけでして」
だったら、その具体例を挙げて貰えないでしょうか。

そして『MAGI』をここでも出して来ていますが、

決して『MAGI』が素晴らしく、『麒麟がくる』がせせこましいということではありません。
『麒麟がくる』は、人の心、その機敏を、細工もののように扱う繊細な美しさがあります。これはこれで最新鋭の歴史の捉え方でしょう。

好きな大河だとこういう書き方ですね。嫌いな大河だと、この『MAGI』を叩き棒にするのでしょう。

このあと、秀吉はシレッと信長に明智様とお話がしたいと言います。
しかも、話題は愚痴でした。殿が最近暴走気味だというのです。
愚痴だのゴシップは、人間関係をつなぐものともなります。よい話や噂以上に盛り上がる定番のネタと申しましょうか。

武者さんも『青天を衝け』や『どうする家康』関連では、愚痴やゴシップがかなり目につきますね。これも人間関係をつないでいるのでしょうか。そして今年は、この時の信長同様に暴走気味だと思います(これについては後日)。

【長篠の戦い】はセリフで流されました。
これを「スルー」とするのはどうでしょうか。
どうにも「ナレ+イベント」とか「スルー」という言葉が定着しましたが、見る側に変な偏見を刷り込みそうな気がしています。
予算や尺の問題もあるのでしょうが、戦いを描くことで物語の焦点がずれてくることはあります。
歴史ファンは自分が好きなイベントや人物を入れて欲しいと願うもの。それが悪いとは言いませんが、そのことばかりに目配せして、制作陣が振り回されると物語の芯や根幹が揺らぎかねません。

これも好きな大河だとこうなのですね。嫌いな大河なら、主人公とそう関わりがなくても叩いたでしょう。
そもそも「戦いを描くことで物語の焦点がずれてくる」とは、どういうことですか。それを如何にストーリーに嵌め込むかも、制作陣の腕の見せどころではないかと思うのですが。

恐らくは
織田・徳川VS武田
の構図であり、明智がメインではないから外した可能性はあると思います。このセリフを発したのは築山殿でしたし。ただやはりこれは、実際にその戦を経験した家康に言わせてもよかったかかもしれません。

あと
「目配せして」
ではなく、
「目配りして」
ではないかと思います。

京では、光秀と入れ替わるように煕子が胸の病で床にいました。
幼い嫡男の十五郎が母の傍にいます。
そこで賑やかに、鬼に扮したものが庭にやってきます。伝吾が弓で射るふりをします。
今、何かと話題の鬼。その鬼とは何なのか、想像するのもおもしろい。
(中略)
左馬助が駒様から習ったと不器用な舞を見せ、岸が「手はこうでございます」と指摘。
あの叔父上の子なのだと思えて、それでいて爽やか、清涼感があります。
この作品の明智家臣団は、出番がそこまで目立たないようで、味があって欠かせない、大事な人たちです。
「うおーっ、病魔退散!」
そう言い、楽しむ明智家。

この大河のこういうシーンであれば、ここまで肯定的に書いているのに(それが悪いとは言いませんが)、なぜ『どうする家康』の「えびすくい」を、自分は嫌いだというそれだけの理由で、武者さんは否定しまくるのでしょうね。
あれは三河出身の徳川家臣団に取って、このうえない感情表現であり、めでたさを表す手段であると思うのですが。

そしてその後

このご時世ともなると、いろいろ考えさせる場面です。
煕子の神社での祈り。そしてこの病魔退散。こんなことをしたところで、病気は治療できません。
東庵や駒、そして家康が得意とするの東洋医学とちがい、理論の裏付けはない。迷信であり、気休めにすぎないもの。
だからといって否定できるのか?
新型コロナウイルスの影響で初詣がない。神仏に祈ることすら制限される中、重大な問題提起にも思えます。

この場合、こういう書き方でなく
「煕子の祈願、明智家臣団の病魔退散。それらは系統だった医学とは異なり、あくまでも呪術的で迷信と取られがちでもある。目に見えず恐れおののくべき対象、魔物のような存在ではあるが、それを何とか追い払いたいという彼らの大きな思いが込められており、あながち今の感覚のみで否定する気にはなれない」
とでも書いてほしいなと思います。

その夜、光秀は眠らずにいる煕子を見ます。
「寝ていなくてよいのか?」
「あまりに楽しかったものですから、まだ余韻に浸っていとうございます」
そっと上着を掛けつつ、部屋を片付けていたら出てきた温石を見せる光秀。結婚する前に、煕子が渡したものでした。

「上着」でなく「羽織」ですね。何度も言いますが、武者さん歴史系ライターの割にこういう服飾用語に無頓着ですね。

光秀は麒麟を呼んだのか?
麒麟がくる道に、この夫妻は花びらを撒いたようにも思えます。その花びらを踏みしめて、麒麟はくるのでしょう。
人は何もかも手に入れられるわけではありません。
麒麟を呼ぶ者となった家康は、美しい花びらを撒く天女のような存在は知らない。出会うことはない。そういう美しく、あたたかい存在とは無縁のまま生きることになる。
麒麟を呼び、天下人となる、そんな【守成】の英雄の宿命であり、天からそうさだめられたのであれば、仕方ないのかもしれないけれど。
最終章に突入し、人の繊細で美しい心の機微が展開されてゆきます。

その病魔退散で花をまき散らし、煕子がそれを拾っているわけです。
それはいいのですが、どうもその後の「麒麟が…」がちょっとくどく、またわかりづらく感じられます。
要は光秀は、例えて言えば花嫁の先を行くフラワーガール的に花をまいたものの、その花嫁に象徴される主役は彼ではなく、天下人となった秀吉あるいは家康だった、こういうことでしょうか。

特にここ。
「麒麟を呼び、天下人となる、そんな【守成】の英雄の宿命であり」
守成というのは、創業者の後を継いで地盤を固めることですが、それをやった「天下人」はこの場合秀吉ではないでしょうか。

圧倒的に美しく、儚い煕子。
主人公の妻にしては目立たないようで、地味で、保守的な理想像のようではあった煕子。
一周回ってこれが正解だとは思えます。
もう、わざとらしく木の枝に登ったり、暴れ馬を止めるヒロインはいらない。そう思える女性像でした。
とはいえ、無個性ではない。

再度。それを言うなら、瀬名も似たようなものだと思います。
彼女は木に登ったり(『木の枝に登る』のは難易度が高いかと思います)、暴れ馬を止めたりするわけではないけど、夫が今川を捨てたことで苦労もし、三河の小領主の夫を支え、そして自ら「女子の政」をも実践しています。しかし武者さんに取っては、「昭和のオヤジが好きな、昭和平成のギャル」にしか映らないようで、あのドラマ本編をちゃんと観ていないか、あるいは観ているけど、敢えてネガティブに書いているかでしょう。

それから、最近投稿の分のタイプミス、わかりづらい個所などを修正しています。

飲み物-2つの赤いカクテル
[ 2023/06/08 01:45 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

『麒麟がくる』第39回に関しての武将ジャパンの記事について-1

ところでこの『麒麟がくる』第39回のコラムに関して、これはおかしい、あるいはわかりづらいと思われる部分をピックアップしておきます。ちょっと変則的ですが、光秀を主に描いた部分と、そうでない部分とに分けています。まず後者の方です。

1ページ目
朝廷は岐阜まで三条西実澄を遣わし、どういうことかと問い詰めます。
京には京の理(ことわり)がある――それを伝えにわざわざ来たのです。

この三条西実澄関連で。この人の祖父は三条西実隆です。
以前武者さんは、『どうする家康』の金ヶ崎の回絡みで、当時越前ガニはあったのかと言ったツイートをしていたようで、これに対して歴史考証の平山優氏が、史料を読んでいないのかという内容のツイをしています。この史料に出てくる人物、もっと言えば、自らの日記に「越前蟹」と記載した人物は恐らくこの実隆です。

信長は悲しい。
母に魚を釣り続けても、喜んでもらえない。
父に箱詰めの松平広忠の首をあげても、喜んでもらえない。

この松平広忠の首、「箱詰め」とありますが正確には首桶です。そして喜ばないその理由について武者さんは、遺体損壊(注・武者さん用語、遺体から首を取ること)が悪いのではなく、それをクールだと演出して喜んでいることが悪辣なのだなどと書いています。

しかし実際の映像は違っており、父信秀は広忠の首を取ったことで、松平が人質の竹千代を取り戻しに来る、そうなれば織田が危なくなると息子を叱っていたわけです。武者さん、一体何を見ていたのでしょうか。尚これについては、下記の投稿に書いているので、一読くだされば幸いです。


本作は無駄がないので、三者のセリフで状況が見えてきます。
松永久秀:物量差を指摘。本願寺側の物量を遮断できないからには、攻め手が不利になるばかりだとわかる
明智光秀:天王寺砦は狭い。狭いということは、物量の確保が難しく、攻め手の装備関連に不備があるとわかる
佐久間盛信:この口調からは、信長のパワーハラスメント気質が伺える

無駄がどうこう言うより、その放送回の尺の問題もあるかと思うのですが。
そして彼らのセリフではこんな感じです。

久秀:敵の方が人数も鉄砲も多い。
光秀:この(天王寺)砦だけでは手勢が少ない、他の砦と共に動くべき
信盛:主君信長がこちらに向かっている。それまでに打つ手を考えなければならない
久秀:攻め込むなら一気に攻めた方がいい、使いを出そう

でその後信長が来て、原田直政の家来を一向宗徒と決めつけ、乱暴を働くわけですが、信盛のセリフはその前のものであり、別にこれだけではパワハラ気質など窺えませんし、主君が来るまでに策を練っておこうと家臣が考えてもおかしくはないでしょう。

3ページ目
コロナが猛威を振るう中、アジアは欧米と比較してやや軽いとはされます。
方方『武漢日記』には、コロナによって東洋医学が息を吹き返したと語る人物について記述があります。
軽んじられがちな東洋医学ですが、実は何かあるのかもしれない。そこも考えつつ、医事考証をしている本作を見ていきたいところです。

東洋医学との関連はともかく、最初の株はアジアよりも欧米人の方が感染しやすかった、また欧米人はマスクをしたがらないのでそれも影響したとも言われています。実際アジア人に比べると、マスク即ち病人という印象があるのかかなり嫌がるようですね。

家康と築山殿は、仲が冷え切っているとわかる秀逸な場面でした。
理由は理解し合えないこと。

そのイメージを今年のにも当てはめているフシがありますね。麒麟は麒麟、家康は家康なのですけどね。そして風間俊介さんをやけにほめています。その一方で今年はジャニーズ忖度などと書いているようですが、風間さんもジャニーズなのですが。

東洋の時代劇となると、髭と結髪が課題だと思います。
現代風に前髪を落とすとか、髭を断固無視するとか。そういう『天地人』あたりの模索はもういらない。むしろ時代遅れで、それを続けると韓流と華流に食い尽くされて無惨なことになる。

この人は前髪にやけにこだわりますね。私も『天地人』はあまりなじみのある大河とは言い難かったのですが、兼続の最初の頃はまだ年齢も若く、前髪を残していてもそう不自然ではなかったでしょう。さすがに直江家に婿入りしてからあの前髪はどうかと思いましたが。あと子供の教育施設については、『天地人』の方がよく描けているところもありました。

髭を断固無視するというのは、どの大河のことでしょうか。幕末はあまり髭のない人もいます。明治になって、髭が復活しましたが。

しかしこれを言うのなら、今回の奥平信昌を演じる白洲迅さん、もみあげまでそっくりにしていますけどね。

4ページ目
時代劇のレベルもあがり、かつ育てたい若手も見えてきました。門脇麦さん、中川大志さん、大島優子さん、溝端淳平さんがそうではありませんか? 期待が高まるばかりです。

その溝端さんは、武者さんが嫌いな『どうする家康』に今川氏真役で出ていますね。しかもこれが大河初出演です。さらにガイドブック前編で、松本さん主演の作品に出られて嬉しいと語っていますが、これについての武者さんの意見を伺いたいです。

話を『麒麟がくる』にしますと、鉄板人気をイージーに掴みにいくのであれば、こういう日本人多数の脳裏にある、かっこいい理想の信長像をイケメンに演じさせればそれでよかったとは思うのです。
そういう像を捨て、童顔で愛嬌があり、それでいて怒りっぽくどこま挙動不審な信長にした。このことそのものが『麒麟がくる』の先進性であり優れた点だと思います。

要はそういう人物を、この作品が求めていたからでしょう。
それを言うなら、『西郷どん』の鈴木亮平さんにしろ、『どうする家康』の松本潤さんにしろ、それまでとは違ったイメージのキャスティングなのですけどね。尚この染谷さんの信長には、やはり私はどこか馴染めませんでした。
それと「かっこいいイケメン」に演じさせて、中身をそれまでとは変えてくるという方法もあります。これは以前にも書いたことがあります。そして、今年の信長はそれに近いでしょう。

大河の歴史は、今年ではっきりと変わったのです。
リアルタイムで見られて幸運でした。
社会がなんとなく求める最適解よりも、作り手がハッキリとこれだと言い切れる答えがよい。そんな力強さを感じるのです。

最近の大河はどれも似たようなものではないでしょうか。「作り手がハッキリとこれだと言い切れる」大河は、武者さんが好きな大河だけに当てはまるわけではありません。ならば私は、武者さんが散々こきおろしている今年のも、作り手の意志が感じられるかと思います。

2000年代あたりからは、大河主演でむしろ評価が下がる、低迷責任を背負わされる。嫌な流れができているようではあった。
そろそろ、大河には原点回帰して欲しかった。
主演が文句なしに輝いている、そういうものが見たかった。

「大河主演でむしろ評価が下がる、低迷責任を背負わされる」
具体的にどのような俳優さんなのか書いて貰えないでしょうか。そういうのを無視するから、単に武者さんの妄想にしか見えないのです。
そしてこの「原点復帰」、これも具体的にどういうことなのか書いて貰えませんか。
主演が文句なしに輝いているというのは、武者さんが嫌いな大河でも同じだと思いますが。

この大河は、2020年代の扉を開き、大河の危機を乗り切る一歩となったと思います。
思えば一年前、十年後に大河ドラマはなくなっているのではないかと危惧していたものです。
そんな危惧を吹き飛ばすどころか、希望を残してゆく。本作は紛れもなく偉大でした。大河という枠に、麒麟を呼んだ。そういう作品になると思えるのです。

以前にも書いたことがありますが、十年後(この時から数えてですから、今から八年後でしょうか)に大河がなくなっていればそれでもいいです。何かがその穴埋めをしている可能性はあります。

あと個人的に、途中でリアルタイム視聴を止めたせいもあり、希望を残していくとか偉大という印象は、私の場合あまりありませんでした。そもそもこの「麒麟を呼んだ」ですが、麒麟とは本来仁政を行う王の元に現れる存在で、この場合戦国の世を平らかにすることであり、それを大河枠に呼んだというのは、大河枠そのものが混乱していたように取れてしまいます。

ただ2010年代の大河で、武者さんが好きな作品は『八重の桜』をはじめ、結構あったのではないでしょうか。本人には嫌いな作品しか見えておらず、それが大河枠を混乱させていると思ったのでしょうか。何はともあれ、武者さんはとにかくこの大河をほめたいのだなとは思いますが。

視聴率のことは、オンデマンドやBSもあるので、回復はそもそもが難しいと思います。
今年は前年の低迷や、岩盤視聴者層の流出の影響もあったでしょう。

好きな大河だと優しいですね。昨年はこれ以外にも、NHKプラスの再生数が多いのだろうとまで書いていましたね。その一方で、一昨年とか今年とか、嫌いな大河の場合は世帯視聴率のみで語ろうとしているのですね。

飲み物ーアイスカフェオレ
[ 2023/06/07 01:15 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』『麒麟がくる』主人公の病気の記述に関して再度

毎度同じようなテーマで恐縮です。先日投稿分の続きのようになりますが、武者さんが第20回の家康の病気に関する記述で、『麒麟がくる』の、光秀の発病を引き合いに出しています。では実際に、『麒麟がくる』の場合はどのように書いていたのでしょうか。アーカイブから、光秀の病気に関わる部分だけを一応拾ってみます。

その伝吾は、光秀の顔色の悪さを懸念していました。腕を負傷したようで、光秀当人は「大事ない」と言うものの、具合が悪そうではある。
丹波攻めからずっと戦ってきて、疲れが溜まっているようです。

何をぐずぐずしているのか、行け行けと叫び始める信長。皆疲れておりますると反論されても無視だ。そのうえで、これですよ。

佐久間殿はじめ、譜代衆は苦労が絶えない。
光秀はそれを聞いていないどころか、倒れてしまいました。
「十兵衛、十兵衛、しっかりしろ十兵衛! 医者じゃ、こっちにも医者を!」
大変なことになりました。

実際録画を観たところでは、光秀が体調が悪そうだなと思われるのはこういった部分で、それはいいのですが、どこか足りない部分がありますね。

まず
「皆疲れておりますると反論されても無視だ」
ですが、これは光秀がそう言ったとはっきり書くべきではないでしょうか。彼自身がその疲れている将校や兵の代弁者のようなところがあるわけで、だからこそ説得力があると言うべきでしょうから。

あと
「佐久間殿はじめ、譜代衆は苦労が絶えない。
光秀はそれを聞いていないどころか、倒れてしまいました」
この「佐久間殿」云々は、光秀に水を差し出した松永久秀のセリフですが、
「それを聞いていないどころか、倒れてしまった」
のではなく、体調が悪くて、それを聞くだけの余裕がもうなかったとこの場合は取るべきでしょう。

その後

どうやら受けた傷は浅いものの、毒が入ったのか、弱ってしまった。

と書かれているのもどうかなと思います。藤田伝吾のセリフを踏まえれば
「たちまちのうちに弱ってしまわれ」
ですね。

尚その後にこうも書かれています。

こういう戦闘時の傷は金創(きんそう)と言います。
刃物や武器による負傷ですね。細菌感染の危険性が高く、破傷風になりかねない。細菌の知識はなくとも、この手の傷は時に発熱を伴い、大変危険であるという認識は昔からありました。

「細菌の知識はなくとも」と言うか、そもそもこの時代細菌という概念はありません。それも通常の健康状態であれば、免疫力があるから大事に至らなくても、この時の光秀のように連戦続きで疲弊していれば、大事になってもおかしくないわけです。特に戦場では、衛生状態もよくないでしょう。

金創のことを書くのなら、こういうこともちゃんと書いてほしいなと思います。
それとこれは前にも書いていますが、光秀が体調が悪そうだと窺わせる描写が、1シーンの中で分散的であること、彼の声に比較的張りがあること、信長を庇って倒れた後再度起き上がったりしていることなどから、この人はかなり具合が悪そうで、このまま倒れてもおかしくないという印象があまりないのが残念です。

そして『どうする家康』コラムでこのシーンを引き合いに出した時は、

精神的にも疲労し、激務に追われた結果、自分でも気づかないうちに体調が悪化し、甲冑をつけたまま倒れる-そんな『麒麟がくる』の光秀とどうしてここまで違うやら。

などと書いていますが、この『麒麟がくる』コラムには
「精神的にも疲労し」
「激務に追われた」
などというのは見当たらないのですが…無論丹波攻めからの連戦で疲れているという記述(前出)はあります。私はこの時の投稿で、
「合戦で負傷してろくな治療も受けられず、しかも戦に次ぐ戦で体が弱っており、陣中で傷が悪化して倒れた」
といったところではないかと書いていますが、実際そのようにしか見えません。あとなぜ光秀が腕を負傷したのか、そのシーンがないのも残念です。もしそのシーンがあれば、傷に構うだけの時間もなく戦準備に追われ、それが病の引き金になったという描写ができたはずなのですが。

それを考えると、この『どうする家康』で家康が発熱して倒れるシーンは、そのことのみに特化しているせいか、わかりやすいし、この人も対武田で心身共に疲れていたのだろうなというのが見えて来ます。

ところで先日触れていたサイトカインですが、疲労感のみならず眠気、発熱すべてこのサイトカインのしわざではあります。発熱の場合、このサイトカインによってプロスタグランジンE2という物質が産出され、免疫細胞を抗原と戦わせるため、通常の体温よりも高い温度に設定されます。

抗原が死滅すると体温は下がるという仕組みで、発熱はいわば免疫細胞が抗原と戦うための必須条件と言えます。『はたらく細胞』では、活性化した樹状細胞がサイトカイン=免疫細胞たちの過去の恥ずかしい写真をまき散らして、彼らを奮起させていますね。そして免疫細胞が暴走し、このサイトカインが大量放出されるのが、新型コロナで問題になったサイトカインストームです。

あの時の家康は武田との戦いに忙殺されていましたが、その体内でも、免疫細胞が抗原、恐らくは風邪だかインフルだかのウイルスと戦っていたのでしょう。

あと武者さん、例によって
「嫌な場面です」
「危険な兆候です」
こういう表現をしていますね。こういうのが、このコラムが主観的と思われる一因なのですが。
それと佐久間信盛が「盛信」と書かれています。


飲み物-注がれるワイン
[ 2023/06/06 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

高天神城の続き&一言坂の戦い

先日の続きになります。

まず高天神城は、岡部元信が討って出て徳川が勝利した後は、廃城となっています。そしてこの天正9年の戦いこそが、武田の家臣たちの離反を招き、武田氏滅亡のもとになったとも言われており、その意味では家康に降伏を受け入れさせず、補給路を断って籠城中の岡部元信にダメージを与えたのみならず、家臣を見捨てた勝頼というイメージを広めた信長の策略は、恐るべきものがあります。

ところで本多忠勝と忠真が、山県昌景と戦った一言坂の戦いですが、本多勢に加え、家康の異母弟である内藤信成も偵察に加わっていました。そして家康自身も出陣します。そして偵察隊の彼らが武田の先発隊と出くわし、退却するものの、武田は徳川を追いかけて一戦交えることになります。

家康は撤退することに決め、本多・内藤はしんがりを務めますが、これがかなり激しい戦闘だったようで、しかも武田の先鋒隊には馬場信春もいたようです。この時の忠勝の見事な防戦ぶりに、武田方の小杉左近は
「家康に過ぎたるものが2つあり、唐の頭に本多平八」と詠んだとも言われます。またこの左近は、忠勝が自軍に対して敵中突破しようとした際に、迎撃せずに見逃したという話が伝わっています。

大河ではこの防戦よりは、飲ん兵衛殿である叔父忠真とのやり取りが重視されています。この叔父さんは、どうも次回で退場のようですね。ところでこの一言坂ですが、現在の静岡県磐田市にあり、浜松からそう離れていません。


飲み物-ウイスキーオンザロック
[ 2023/05/11 01:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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