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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『麒麟がくる』第39回に関しての武将ジャパンの記事について-2

今回は光秀と煕子の夫婦の描写(+信長、秀吉VS光秀)関連です。

夫が病気で帰館し、煕子は神仏の加護を求めますが、無理して倒れてしまいます。そんな彼女を駒が助けるのですが、彼女は駒に、質入れを教えてくれたことを感謝し、生活のために、女として必要な鏡や紅、さらには髪までも売ったと言います。

彼女が売ったという着物、紅、鏡、そして髪の毛は、全て女性の美しさの象徴です。
外見よりも、内面で深く思いあう夫妻。これみよがしに名場面として処理するのではなく、ここにきて煕子の逸話として無理なく印象的に入れてきました。

それを言うのであれば、夫のために自ら武田の歩き巫女の相手をし、信長に対して、臣従するのは家臣との話し合いもあるし、今しばらく待ってくれとも言う『どうする家康』の瀬名に対して、なぜあそこまで攻撃的になるのかわかりません。武者さんの場合、人物描写より好き嫌いが先に来るのでそうなってしまうわけですが、そういう「レビュー(もどき)」を書かせる方もどうかと思う所以です。

そして信長と秀吉が光秀を訪ねるところですが、

この信長は、ともかく光秀が大好きなのだそうです。
だったらもっと気遣えと思いたくもなりますが、信長は絶望的にそういう気遣いが不器用。秀吉は調子よく「明智殿が思いの他元気そうで何よりでございます!」とサラッと言えるのですが。

「光秀が大好きなのだそうです」
どう観ても、この第39回の中にそういうセリフは出て来ません。この後で『土曜スタジオパーク』(現・土スタ)に染谷さんが出演したことが書かれているから、恐らくそちらの方で口にしたのでしょうが、ならばそれはそれとはっきり書いてほしいものです。

なぜ天王寺砦でそれ(注・本願寺攻めに九鬼水軍を使う)を冷静に思いつけなかったのか? 敵の物資面での優位を光秀たちは進言していた。気合いが足りない、なんてしょうもない根性論に飛びついて、数字の分析も無視してしまった。

この場合信長は、原田の家臣たちが一向宗徒で、わざと玉を込めなかった、これで本気と言えるか、大事なのは気合じゃと言っているわけです。無論これは、彼我の兵器の数を考慮に入れていない信長の、一方的な思い込みではありますが、一般的な意味合いの「気合が足りない」が、しょうもないと果たして言えるかどうか。この「しょうもない」も武者さん好きですね。

またこのシーン、本願寺攻めで、信長は劣勢にあるにも関わらず、手勢を率いて本願寺勢力を切り崩し、その際敵方の銃弾で軽傷を負ったという説を踏まえていると思われます。

人は、恋をしている相手はとてつもなく美しく見えるものではないですか。
染谷さんも『スタジオパーク』で語っていました。信長はずっと十兵衛ラブ。
(中略)
信長としては大好きな十兵衛、そのそっくりな愛娘の縁談を用意して、親密度を上げたい! 張り切ってますね。
いかにも東洋的な家父長制度って、娘を身代わりにして大好きな男性に接近することがチラホラあるわけでして。また光秀が病になってしまわないかと不安です。

これなのですが、今年の信長の「白兎愛」と相通じるものがあるかと。要は信長とその時々の主人公の距離の近さ、連携の強さをこういう形で描いているわけでしょう。
それで行くと亀姫の奥平への輿入れも、その親密度を上げるためのものかとなりますが、それは今後の展開を待つとして。

それと
「いかにも東洋的な家父長制度って、娘を身代わりにして大好きな男性に接近することがチラホラあるわけでして」
だったら、その具体例を挙げて貰えないでしょうか。

そして『MAGI』をここでも出して来ていますが、

決して『MAGI』が素晴らしく、『麒麟がくる』がせせこましいということではありません。
『麒麟がくる』は、人の心、その機敏を、細工もののように扱う繊細な美しさがあります。これはこれで最新鋭の歴史の捉え方でしょう。

好きな大河だとこういう書き方ですね。嫌いな大河だと、この『MAGI』を叩き棒にするのでしょう。

このあと、秀吉はシレッと信長に明智様とお話がしたいと言います。
しかも、話題は愚痴でした。殿が最近暴走気味だというのです。
愚痴だのゴシップは、人間関係をつなぐものともなります。よい話や噂以上に盛り上がる定番のネタと申しましょうか。

武者さんも『青天を衝け』や『どうする家康』関連では、愚痴やゴシップがかなり目につきますね。これも人間関係をつないでいるのでしょうか。そして今年は、この時の信長同様に暴走気味だと思います(これについては後日)。

【長篠の戦い】はセリフで流されました。
これを「スルー」とするのはどうでしょうか。
どうにも「ナレ+イベント」とか「スルー」という言葉が定着しましたが、見る側に変な偏見を刷り込みそうな気がしています。
予算や尺の問題もあるのでしょうが、戦いを描くことで物語の焦点がずれてくることはあります。
歴史ファンは自分が好きなイベントや人物を入れて欲しいと願うもの。それが悪いとは言いませんが、そのことばかりに目配せして、制作陣が振り回されると物語の芯や根幹が揺らぎかねません。

これも好きな大河だとこうなのですね。嫌いな大河なら、主人公とそう関わりがなくても叩いたでしょう。
そもそも「戦いを描くことで物語の焦点がずれてくる」とは、どういうことですか。それを如何にストーリーに嵌め込むかも、制作陣の腕の見せどころではないかと思うのですが。

恐らくは
織田・徳川VS武田
の構図であり、明智がメインではないから外した可能性はあると思います。このセリフを発したのは築山殿でしたし。ただやはりこれは、実際にその戦を経験した家康に言わせてもよかったかかもしれません。

あと
「目配せして」
ではなく、
「目配りして」
ではないかと思います。

京では、光秀と入れ替わるように煕子が胸の病で床にいました。
幼い嫡男の十五郎が母の傍にいます。
そこで賑やかに、鬼に扮したものが庭にやってきます。伝吾が弓で射るふりをします。
今、何かと話題の鬼。その鬼とは何なのか、想像するのもおもしろい。
(中略)
左馬助が駒様から習ったと不器用な舞を見せ、岸が「手はこうでございます」と指摘。
あの叔父上の子なのだと思えて、それでいて爽やか、清涼感があります。
この作品の明智家臣団は、出番がそこまで目立たないようで、味があって欠かせない、大事な人たちです。
「うおーっ、病魔退散!」
そう言い、楽しむ明智家。

この大河のこういうシーンであれば、ここまで肯定的に書いているのに(それが悪いとは言いませんが)、なぜ『どうする家康』の「えびすくい」を、自分は嫌いだというそれだけの理由で、武者さんは否定しまくるのでしょうね。
あれは三河出身の徳川家臣団に取って、このうえない感情表現であり、めでたさを表す手段であると思うのですが。

そしてその後

このご時世ともなると、いろいろ考えさせる場面です。
煕子の神社での祈り。そしてこの病魔退散。こんなことをしたところで、病気は治療できません。
東庵や駒、そして家康が得意とするの東洋医学とちがい、理論の裏付けはない。迷信であり、気休めにすぎないもの。
だからといって否定できるのか?
新型コロナウイルスの影響で初詣がない。神仏に祈ることすら制限される中、重大な問題提起にも思えます。

この場合、こういう書き方でなく
「煕子の祈願、明智家臣団の病魔退散。それらは系統だった医学とは異なり、あくまでも呪術的で迷信と取られがちでもある。目に見えず恐れおののくべき対象、魔物のような存在ではあるが、それを何とか追い払いたいという彼らの大きな思いが込められており、あながち今の感覚のみで否定する気にはなれない」
とでも書いてほしいなと思います。

その夜、光秀は眠らずにいる煕子を見ます。
「寝ていなくてよいのか?」
「あまりに楽しかったものですから、まだ余韻に浸っていとうございます」
そっと上着を掛けつつ、部屋を片付けていたら出てきた温石を見せる光秀。結婚する前に、煕子が渡したものでした。

「上着」でなく「羽織」ですね。何度も言いますが、武者さん歴史系ライターの割にこういう服飾用語に無頓着ですね。

光秀は麒麟を呼んだのか?
麒麟がくる道に、この夫妻は花びらを撒いたようにも思えます。その花びらを踏みしめて、麒麟はくるのでしょう。
人は何もかも手に入れられるわけではありません。
麒麟を呼ぶ者となった家康は、美しい花びらを撒く天女のような存在は知らない。出会うことはない。そういう美しく、あたたかい存在とは無縁のまま生きることになる。
麒麟を呼び、天下人となる、そんな【守成】の英雄の宿命であり、天からそうさだめられたのであれば、仕方ないのかもしれないけれど。
最終章に突入し、人の繊細で美しい心の機微が展開されてゆきます。

その病魔退散で花をまき散らし、煕子がそれを拾っているわけです。
それはいいのですが、どうもその後の「麒麟が…」がちょっとくどく、またわかりづらく感じられます。
要は光秀は、例えて言えば花嫁の先を行くフラワーガール的に花をまいたものの、その花嫁に象徴される主役は彼ではなく、天下人となった秀吉あるいは家康だった、こういうことでしょうか。

特にここ。
「麒麟を呼び、天下人となる、そんな【守成】の英雄の宿命であり」
守成というのは、創業者の後を継いで地盤を固めることですが、それをやった「天下人」はこの場合秀吉ではないでしょうか。

圧倒的に美しく、儚い煕子。
主人公の妻にしては目立たないようで、地味で、保守的な理想像のようではあった煕子。
一周回ってこれが正解だとは思えます。
もう、わざとらしく木の枝に登ったり、暴れ馬を止めるヒロインはいらない。そう思える女性像でした。
とはいえ、無個性ではない。

再度。それを言うなら、瀬名も似たようなものだと思います。
彼女は木に登ったり(『木の枝に登る』のは難易度が高いかと思います)、暴れ馬を止めたりするわけではないけど、夫が今川を捨てたことで苦労もし、三河の小領主の夫を支え、そして自ら「女子の政」をも実践しています。しかし武者さんに取っては、「昭和のオヤジが好きな、昭和平成のギャル」にしか映らないようで、あのドラマ本編をちゃんと観ていないか、あるいは観ているけど、敢えてネガティブに書いているかでしょう。

それから、最近投稿の分のタイプミス、わかりづらい個所などを修正しています。

飲み物-2つの赤いカクテル
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[ 2023/06/08 01:45 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

『麒麟がくる』第39回に関しての武将ジャパンの記事について-1

ところでこの『麒麟がくる』第39回のコラムに関して、これはおかしい、あるいはわかりづらいと思われる部分をピックアップしておきます。ちょっと変則的ですが、光秀を主に描いた部分と、そうでない部分とに分けています。まず後者の方です。

1ページ目
朝廷は岐阜まで三条西実澄を遣わし、どういうことかと問い詰めます。
京には京の理(ことわり)がある――それを伝えにわざわざ来たのです。

この三条西実澄関連で。この人の祖父は三条西実隆です。
以前武者さんは、『どうする家康』の金ヶ崎の回絡みで、当時越前ガニはあったのかと言ったツイートをしていたようで、これに対して歴史考証の平山優氏が、史料を読んでいないのかという内容のツイをしています。この史料に出てくる人物、もっと言えば、自らの日記に「越前蟹」と記載した人物は恐らくこの実隆です。

信長は悲しい。
母に魚を釣り続けても、喜んでもらえない。
父に箱詰めの松平広忠の首をあげても、喜んでもらえない。

この松平広忠の首、「箱詰め」とありますが正確には首桶です。そして喜ばないその理由について武者さんは、遺体損壊(注・武者さん用語、遺体から首を取ること)が悪いのではなく、それをクールだと演出して喜んでいることが悪辣なのだなどと書いています。

しかし実際の映像は違っており、父信秀は広忠の首を取ったことで、松平が人質の竹千代を取り戻しに来る、そうなれば織田が危なくなると息子を叱っていたわけです。武者さん、一体何を見ていたのでしょうか。尚これについては、下記の投稿に書いているので、一読くだされば幸いです。


本作は無駄がないので、三者のセリフで状況が見えてきます。
松永久秀:物量差を指摘。本願寺側の物量を遮断できないからには、攻め手が不利になるばかりだとわかる
明智光秀:天王寺砦は狭い。狭いということは、物量の確保が難しく、攻め手の装備関連に不備があるとわかる
佐久間盛信:この口調からは、信長のパワーハラスメント気質が伺える

無駄がどうこう言うより、その放送回の尺の問題もあるかと思うのですが。
そして彼らのセリフではこんな感じです。

久秀:敵の方が人数も鉄砲も多い。
光秀:この(天王寺)砦だけでは手勢が少ない、他の砦と共に動くべき
信盛:主君信長がこちらに向かっている。それまでに打つ手を考えなければならない
久秀:攻め込むなら一気に攻めた方がいい、使いを出そう

でその後信長が来て、原田直政の家来を一向宗徒と決めつけ、乱暴を働くわけですが、信盛のセリフはその前のものであり、別にこれだけではパワハラ気質など窺えませんし、主君が来るまでに策を練っておこうと家臣が考えてもおかしくはないでしょう。

3ページ目
コロナが猛威を振るう中、アジアは欧米と比較してやや軽いとはされます。
方方『武漢日記』には、コロナによって東洋医学が息を吹き返したと語る人物について記述があります。
軽んじられがちな東洋医学ですが、実は何かあるのかもしれない。そこも考えつつ、医事考証をしている本作を見ていきたいところです。

東洋医学との関連はともかく、最初の株はアジアよりも欧米人の方が感染しやすかった、また欧米人はマスクをしたがらないのでそれも影響したとも言われています。実際アジア人に比べると、マスク即ち病人という印象があるのかかなり嫌がるようですね。

家康と築山殿は、仲が冷え切っているとわかる秀逸な場面でした。
理由は理解し合えないこと。

そのイメージを今年のにも当てはめているフシがありますね。麒麟は麒麟、家康は家康なのですけどね。そして風間俊介さんをやけにほめています。その一方で今年はジャニーズ忖度などと書いているようですが、風間さんもジャニーズなのですが。

東洋の時代劇となると、髭と結髪が課題だと思います。
現代風に前髪を落とすとか、髭を断固無視するとか。そういう『天地人』あたりの模索はもういらない。むしろ時代遅れで、それを続けると韓流と華流に食い尽くされて無惨なことになる。

この人は前髪にやけにこだわりますね。私も『天地人』はあまりなじみのある大河とは言い難かったのですが、兼続の最初の頃はまだ年齢も若く、前髪を残していてもそう不自然ではなかったでしょう。さすがに直江家に婿入りしてからあの前髪はどうかと思いましたが。あと子供の教育施設については、『天地人』の方がよく描けているところもありました。

髭を断固無視するというのは、どの大河のことでしょうか。幕末はあまり髭のない人もいます。明治になって、髭が復活しましたが。

しかしこれを言うのなら、今回の奥平信昌を演じる白洲迅さん、もみあげまでそっくりにしていますけどね。

4ページ目
時代劇のレベルもあがり、かつ育てたい若手も見えてきました。門脇麦さん、中川大志さん、大島優子さん、溝端淳平さんがそうではありませんか? 期待が高まるばかりです。

その溝端さんは、武者さんが嫌いな『どうする家康』に今川氏真役で出ていますね。しかもこれが大河初出演です。さらにガイドブック前編で、松本さん主演の作品に出られて嬉しいと語っていますが、これについての武者さんの意見を伺いたいです。

話を『麒麟がくる』にしますと、鉄板人気をイージーに掴みにいくのであれば、こういう日本人多数の脳裏にある、かっこいい理想の信長像をイケメンに演じさせればそれでよかったとは思うのです。
そういう像を捨て、童顔で愛嬌があり、それでいて怒りっぽくどこま挙動不審な信長にした。このことそのものが『麒麟がくる』の先進性であり優れた点だと思います。

要はそういう人物を、この作品が求めていたからでしょう。
それを言うなら、『西郷どん』の鈴木亮平さんにしろ、『どうする家康』の松本潤さんにしろ、それまでとは違ったイメージのキャスティングなのですけどね。尚この染谷さんの信長には、やはり私はどこか馴染めませんでした。
それと「かっこいいイケメン」に演じさせて、中身をそれまでとは変えてくるという方法もあります。これは以前にも書いたことがあります。そして、今年の信長はそれに近いでしょう。

大河の歴史は、今年ではっきりと変わったのです。
リアルタイムで見られて幸運でした。
社会がなんとなく求める最適解よりも、作り手がハッキリとこれだと言い切れる答えがよい。そんな力強さを感じるのです。

最近の大河はどれも似たようなものではないでしょうか。「作り手がハッキリとこれだと言い切れる」大河は、武者さんが好きな大河だけに当てはまるわけではありません。ならば私は、武者さんが散々こきおろしている今年のも、作り手の意志が感じられるかと思います。

2000年代あたりからは、大河主演でむしろ評価が下がる、低迷責任を背負わされる。嫌な流れができているようではあった。
そろそろ、大河には原点回帰して欲しかった。
主演が文句なしに輝いている、そういうものが見たかった。

「大河主演でむしろ評価が下がる、低迷責任を背負わされる」
具体的にどのような俳優さんなのか書いて貰えないでしょうか。そういうのを無視するから、単に武者さんの妄想にしか見えないのです。
そしてこの「原点復帰」、これも具体的にどういうことなのか書いて貰えませんか。
主演が文句なしに輝いているというのは、武者さんが嫌いな大河でも同じだと思いますが。

この大河は、2020年代の扉を開き、大河の危機を乗り切る一歩となったと思います。
思えば一年前、十年後に大河ドラマはなくなっているのではないかと危惧していたものです。
そんな危惧を吹き飛ばすどころか、希望を残してゆく。本作は紛れもなく偉大でした。大河という枠に、麒麟を呼んだ。そういう作品になると思えるのです。

以前にも書いたことがありますが、十年後(この時から数えてですから、今から八年後でしょうか)に大河がなくなっていればそれでもいいです。何かがその穴埋めをしている可能性はあります。

あと個人的に、途中でリアルタイム視聴を止めたせいもあり、希望を残していくとか偉大という印象は、私の場合あまりありませんでした。そもそもこの「麒麟を呼んだ」ですが、麒麟とは本来仁政を行う王の元に現れる存在で、この場合戦国の世を平らかにすることであり、それを大河枠に呼んだというのは、大河枠そのものが混乱していたように取れてしまいます。

ただ2010年代の大河で、武者さんが好きな作品は『八重の桜』をはじめ、結構あったのではないでしょうか。本人には嫌いな作品しか見えておらず、それが大河枠を混乱させていると思ったのでしょうか。何はともあれ、武者さんはとにかくこの大河をほめたいのだなとは思いますが。

視聴率のことは、オンデマンドやBSもあるので、回復はそもそもが難しいと思います。
今年は前年の低迷や、岩盤視聴者層の流出の影響もあったでしょう。

好きな大河だと優しいですね。昨年はこれ以外にも、NHKプラスの再生数が多いのだろうとまで書いていましたね。その一方で、一昨年とか今年とか、嫌いな大河の場合は世帯視聴率のみで語ろうとしているのですね。

飲み物ーアイスカフェオレ
[ 2023/06/07 01:15 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』『麒麟がくる』主人公の病気の記述に関して再度

毎度同じようなテーマで恐縮です。先日投稿分の続きのようになりますが、武者さんが第20回の家康の病気に関する記述で、『麒麟がくる』の、光秀の発病を引き合いに出しています。では実際に、『麒麟がくる』の場合はどのように書いていたのでしょうか。アーカイブから、光秀の病気に関わる部分だけを一応拾ってみます。

その伝吾は、光秀の顔色の悪さを懸念していました。腕を負傷したようで、光秀当人は「大事ない」と言うものの、具合が悪そうではある。
丹波攻めからずっと戦ってきて、疲れが溜まっているようです。

何をぐずぐずしているのか、行け行けと叫び始める信長。皆疲れておりますると反論されても無視だ。そのうえで、これですよ。

佐久間殿はじめ、譜代衆は苦労が絶えない。
光秀はそれを聞いていないどころか、倒れてしまいました。
「十兵衛、十兵衛、しっかりしろ十兵衛! 医者じゃ、こっちにも医者を!」
大変なことになりました。

実際録画を観たところでは、光秀が体調が悪そうだなと思われるのはこういった部分で、それはいいのですが、どこか足りない部分がありますね。

まず
「皆疲れておりますると反論されても無視だ」
ですが、これは光秀がそう言ったとはっきり書くべきではないでしょうか。彼自身がその疲れている将校や兵の代弁者のようなところがあるわけで、だからこそ説得力があると言うべきでしょうから。

あと
「佐久間殿はじめ、譜代衆は苦労が絶えない。
光秀はそれを聞いていないどころか、倒れてしまいました」
この「佐久間殿」云々は、光秀に水を差し出した松永久秀のセリフですが、
「それを聞いていないどころか、倒れてしまった」
のではなく、体調が悪くて、それを聞くだけの余裕がもうなかったとこの場合は取るべきでしょう。

その後

どうやら受けた傷は浅いものの、毒が入ったのか、弱ってしまった。

と書かれているのもどうかなと思います。藤田伝吾のセリフを踏まえれば
「たちまちのうちに弱ってしまわれ」
ですね。

尚その後にこうも書かれています。

こういう戦闘時の傷は金創(きんそう)と言います。
刃物や武器による負傷ですね。細菌感染の危険性が高く、破傷風になりかねない。細菌の知識はなくとも、この手の傷は時に発熱を伴い、大変危険であるという認識は昔からありました。

「細菌の知識はなくとも」と言うか、そもそもこの時代細菌という概念はありません。それも通常の健康状態であれば、免疫力があるから大事に至らなくても、この時の光秀のように連戦続きで疲弊していれば、大事になってもおかしくないわけです。特に戦場では、衛生状態もよくないでしょう。

金創のことを書くのなら、こういうこともちゃんと書いてほしいなと思います。
それとこれは前にも書いていますが、光秀が体調が悪そうだと窺わせる描写が、1シーンの中で分散的であること、彼の声に比較的張りがあること、信長を庇って倒れた後再度起き上がったりしていることなどから、この人はかなり具合が悪そうで、このまま倒れてもおかしくないという印象があまりないのが残念です。

そして『どうする家康』コラムでこのシーンを引き合いに出した時は、

精神的にも疲労し、激務に追われた結果、自分でも気づかないうちに体調が悪化し、甲冑をつけたまま倒れる-そんな『麒麟がくる』の光秀とどうしてここまで違うやら。

などと書いていますが、この『麒麟がくる』コラムには
「精神的にも疲労し」
「激務に追われた」
などというのは見当たらないのですが…無論丹波攻めからの連戦で疲れているという記述(前出)はあります。私はこの時の投稿で、
「合戦で負傷してろくな治療も受けられず、しかも戦に次ぐ戦で体が弱っており、陣中で傷が悪化して倒れた」
といったところではないかと書いていますが、実際そのようにしか見えません。あとなぜ光秀が腕を負傷したのか、そのシーンがないのも残念です。もしそのシーンがあれば、傷に構うだけの時間もなく戦準備に追われ、それが病の引き金になったという描写ができたはずなのですが。

それを考えると、この『どうする家康』で家康が発熱して倒れるシーンは、そのことのみに特化しているせいか、わかりやすいし、この人も対武田で心身共に疲れていたのだろうなというのが見えて来ます。

ところで先日触れていたサイトカインですが、疲労感のみならず眠気、発熱すべてこのサイトカインのしわざではあります。発熱の場合、このサイトカインによってプロスタグランジンE2という物質が産出され、免疫細胞を抗原と戦わせるため、通常の体温よりも高い温度に設定されます。

抗原が死滅すると体温は下がるという仕組みで、発熱はいわば免疫細胞が抗原と戦うための必須条件と言えます。『はたらく細胞』では、活性化した樹状細胞がサイトカイン=免疫細胞たちの過去の恥ずかしい写真をまき散らして、彼らを奮起させていますね。そして免疫細胞が暴走し、このサイトカインが大量放出されるのが、新型コロナで問題になったサイトカインストームです。

あの時の家康は武田との戦いに忙殺されていましたが、その体内でも、免疫細胞が抗原、恐らくは風邪だかインフルだかのウイルスと戦っていたのでしょう。

あと武者さん、例によって
「嫌な場面です」
「危険な兆候です」
こういう表現をしていますね。こういうのが、このコラムが主観的と思われる一因なのですが。
それと佐久間信盛が「盛信」と書かれています。


飲み物-注がれるワイン
[ 2023/06/06 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

高天神城の続き&一言坂の戦い

先日の続きになります。

まず高天神城は、岡部元信が討って出て徳川が勝利した後は、廃城となっています。そしてこの天正9年の戦いこそが、武田の家臣たちの離反を招き、武田氏滅亡のもとになったとも言われており、その意味では家康に降伏を受け入れさせず、補給路を断って籠城中の岡部元信にダメージを与えたのみならず、家臣を見捨てた勝頼というイメージを広めた信長の策略は、恐るべきものがあります。

ところで本多忠勝と忠真が、山県昌景と戦った一言坂の戦いですが、本多勢に加え、家康の異母弟である内藤信成も偵察に加わっていました。そして家康自身も出陣します。そして偵察隊の彼らが武田の先発隊と出くわし、退却するものの、武田は徳川を追いかけて一戦交えることになります。

家康は撤退することに決め、本多・内藤はしんがりを務めますが、これがかなり激しい戦闘だったようで、しかも武田の先鋒隊には馬場信春もいたようです。この時の忠勝の見事な防戦ぶりに、武田方の小杉左近は
「家康に過ぎたるものが2つあり、唐の頭に本多平八」と詠んだとも言われます。またこの左近は、忠勝が自軍に対して敵中突破しようとした際に、迎撃せずに見逃したという話が伝わっています。

大河ではこの防戦よりは、飲ん兵衛殿である叔父忠真とのやり取りが重視されています。この叔父さんは、どうも次回で退場のようですね。ところでこの一言坂ですが、現在の静岡県磐田市にあり、浜松からそう離れていません。


飲み物-ウイスキーオンザロック
[ 2023/05/11 01:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

高天神城を巡る織田・徳川連合軍と武田の攻防

高天神城について、再度。

織田・徳川と武田の戦いに於いて、重要なキーワードの1つと思われるこの「高天神城」。最初にこの城を巡って戦いが行われたのは、『どうする家康』第18回に描かれている信玄の西上作戦の時でした。この時の城主は小笠原信興(氏助、長忠)で、武田とにらみ合いになるものの、元亀3(1572)年10月21日までに降伏したと伝わっています。元々は今川氏真に仕えていたこの小笠原家ですが、今川没落後は徳川に臣従します。しかしこの時信興は一旦武田に下ることになります。

ただその後は再び徳川に仕えるようになります。そして天正2(1574)年、信玄は既に亡く、子の勝頼が2万以上と言われる大軍を率いて、再び高天神城を攻めます。この時信興は徳川に援軍を要請するものの、家康は自軍だけでは守れないと悟り、信長に援軍を要請します。しかし信長軍は石山本願寺との戦で手一杯で、とても援軍を差し向けられる状態ではありませんでした。

結局信興は籠城せざるを得なくなりますが、その間廓(曲輪)を次々と落とされ、信興は武田側の条件を飲んで降伏します。その後信長は高天神城へ向かうものの、既に降伏した後でした。そしてその後も信興は高天神城を安堵されます。しかしその後長篠の戦い(長篠設楽原の戦い)が起こり、勝頼は徳川に対してのぼ防衛拠点としての高天神城の守りを固め、信興は駿河に転封となります。

代わりに城主となったのは、かつて今川に仕えており、その後武田家の家臣となった岡部元信でした。そして天正9(1581)年、家康はこの高天神城を包囲します。そして元信は勝頼に援軍を要請しますが、結局援軍は来ませんでした。これにはその当時の大名間の同盟関係が、影響していたとされています。

しかもこれに至るまでの家康の準備が、また周到でした。家康はまず周囲の城を陥落させ、そして高天神城を取り囲むように砦を作ります。さらに横須賀城を築き、これによって籠城中の高天神城への補給路を断ち、高天神城をいわば干上がらせたわけです。これに実際に携わったのは、榊原康政の舅に当たる大須賀康高です。

しかも元信からは降伏を願い出ていたものの、信長は家康に、降伏させてはならないと指示しています。高天神城を見捨てたことによって、勝頼の面子は丸つぶれとなり、そうすれば今後駿河にも攻め入ることができると読んだようです。また降伏を受け入れるか否かは、徳川の一存に任されたとなっています。

尚最終的に元信が討って出た時、この人物と最初に刃を交えたのは、大久保忠世の弟の忠教(彦左衛門)であったと言われています。また武田軍が攻め入った際の戦後処理は寛大なものでしたが、この戦の後信長は、主だった岡部家臣はすべて処刑しています。

飲み物-コニャック
[ 2023/05/10 01:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

中尾亘孝氏「貧者の核爆弾・企業アマ制度考」について思うこと 4

先日分の続きです。突っ込んでいる内に、当初の予定より長くなってしまいました。引き続き、企業アマに対する1994年当時の中尾氏の主張です。

規定を変え、企業アマを純アマとするような無謀な発想をやめたとき、新しいヴィジョンが拓けてきます。
それは、企業アマ制度とは、貧者の核爆弾になりうるということです。この春、NZを憤激させたジンザン・ブルック引き抜き騒動があり、NZユニオンのチェアマンが来日しました。その騒動の際、NZの『ラグビー・ニュース』に発表された公開状で、マーク・フィンレー(元伊勢丹)は、「就職先をトップ・レヴェルのプレイヤーに紹介し、それと同時に彼らをプロフェッショナルのレヴェルの体調に保つということを日本は(企業アマ制度により)成し遂げている」と言い、NZも企業アマ制度を採用すべきと述べています。
NZのアマチュア規定を知りませんが。フィンレーは、企業アマ制度はNZのアマ規定には触れていないとも言っています。

このジンザン・ブルックとは、かつてのオールブラックスのNO8の選手です。この選手のお兄さんがマツダ(現スカイアクティブズ)に所属していました。そしてこの引き抜きに関してのマーク・フィンレー氏の言葉(の日本語訳)の中で、「体調」とあるのは状態とか状況という意味ではないかと思います。恐らく元々はconditionだったのではないでしょうか。

で、ここでタイトルの「貧者の核爆弾」が出て来ます。この場合は貧者=日本、核爆弾=企業アマの意味でしょう。そして中尾氏は、フィンレー氏のアドバイスは一考に値するとした上で、この手のドタバタはいい加減にしてほしいが、先行きは暗いと書き、その後本場に於いてプロフェッショナルとは、プロ(13人制リーグ)の選手しかいないとも書いています。

フィンレー氏の言葉を評価しながら、その言葉にあるプロフェッショナルという表現を否定するようなのはどうかと思いますし、この場合のプロフェッショナルは、専従、つまり1日の大半をラグビーやトレーニングに割けるという意味ではないでしょうか。そしてアマチュアとはその道の愛好者であり、プロとはその道の達人であるとも中尾氏は言います。さらにこうも書いています。

現実は、プレイヤーにとり余りにも過酷です。このままでは、プレイヤーのみがババを引くという結果になります。一刻も早く、プロに対する偏見を改めるべきです。

このプレイヤーというのは、日本人選手のことを指しているのだと思います。日本人でないのなら、それをまずはっきりさせるべきでしょう。その日本人選手は日本の企業アマとしてプレイしており、無論アマチュア規定によってこの当時はいくらか制約を受けていましたが、そこまで「過酷」だったのでしょうか。しかもこの後中尾氏は、

シギー(今野滋氏、当時日本協会会長)にも、IB(現ワールドラグビー)にも、ホーム・ユニオンのエリートにも、選手がプロ化するのとを止めることはできない。
トップ・レヴェルのラガーメンにとって、オフ・シーズンは無いも同然です。フル・タイムの競技者でなければ、ワールド・ワイドの選手権のプレッシャーには勝てない。それほど競技レベルが上昇しているのです。

と書き、さらにフランスの有力クラブやイタリア、そしてイングランドの中核プレイヤー、7人制ラグビーなどは実質プロであると指摘しています。実際フランスとかイタリア(オフシーズンのオールブラックスの選手がプレイしていたことがある)などはそうだったと言えます。

ただ元々は、日本協会のアマチュア規定、そして企業アマはインチキである、企業アマの選手は文武両道ではないなどと書いていたはずです。なのにいつの間にか、プロを認めて選手の救済をといった形に変わって来ています。中尾氏が企業アマが元々のアマチュアではなく、アマチュア規定にも問題があると指摘したいのであれば、企業アマの問題点やアマチュア規定の再検討、場合によっては撤廃について書くべきでしょう。しかし選手のプロ化にすり替わってしまっています。

確かにこの当時、特に強豪国の選手は最早アマチュアではどうしようもなくなり、プロを認めるようにという声は強まっていました。結局それをそのまま日本にスライドさせ、企業アマはインチキだからやめろ、プロを認めろといった論調になっているように見えます。何だか極端だなと思います。

ならば企業アマをどうやってプロにどのように移行させるのか、それを明記してしかるべきであったかと思いますが、このコラムには詳しく書かれていません。また当時の日本人選手が企業アマを、また外国の選手がアマチュアをどう考えているのか、そういう声も紹介されていません。

あと今野氏と言えば、

日本協会のチャウシェスク(チャウチャウではない、念のため)ことシギー

などと書かれてもいますが、こういうのもどうかと思います。チャウシェスクとは独裁的な姿勢で有名だった、かつてのルーマニアの大統領で、共産圏民主化が進んだ1989年の末に夫人共々処刑されています。

さらにこの後も同じようなことが書かれており、さらに

中国のことわざに「上に政策あれば、下に対策あり」というものがあります。

とありますが、中国を引っ張ってくるのが武将ジャパンの武者さんを思わせます。そして自分の書きたいことを優先させた結果、何か辻褄が合わなくなってしまっているようにも見えます。この点も何となく似通ったものがあります。一応この中尾氏のコラムについてはこれで終わりですが、何かでもう一度書くかも知れません。しかしリーグワンの今、この当時と変わったところもあり、意外に変わっていないなと思うこともあります。

それと武者さん(小檜山氏)と言えば、『どうする家康』の歴史考証の平山優氏がツイッターで、この方のツイに呆れておられましたね。

飲み物-タンブラーの白ビール
[ 2023/04/23 01:45 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

『舞いあがれ!』第24週「ばんばの歩み」第3話&第4話

第24週第3話(第114回)と第5話(第115回)です。


第114回
舞とめぐみは東大阪へ帰ってくる。家では貴司がカレーを作って待っていた。その頃祥子は、例のラジオのスイッチを入れてみたが、何の音も聞こえてこなかった。そして舞と純は、大阪万博に東大阪の工場が出品できないかという相談を受ける。しかし新しい技術をPRするとなると難しかった。そこで舞は、五島でのドローンを使った物流の実験と、一太の「これからは、空や」について話す。

舞ちゃんの得意分野じゃないと純に言われる舞。舞もこの案に乗り気になる。そして岩倉/梅津家では、勝と雪乃を招待して五島の名物料理が振舞われる。五島うどんが油でコーティングされていると聞き、油と小麦粉ならほぼお好み焼きやんと勝がジョークを飛ばし、和やかな雰囲気の中歩も一同に加わる。

食後めぐみはかんころ餅を勧め、勝と雪乃、そして舞と貴司に話を切り出す。祥子を引き取って、一緒に暮らしたいと言うのである。貴司はそれに賛成し、舞もうなずく。しかし問題は、祥子が島を離れたがらないことだった。説得して来て貰うしかない。自分たちもできるだけのことをさせて貰うと雪乃。しかし勝は、そんな簡単に背中は押されへんと言う。

めぐみはIWAKURAの社長であり、舞も貴司も仕事があって歩もいる。自分たちも店がある。迎える側に覚悟が必要だと勝は考えており、今来てもろてもちゃんと面倒見られへんのちゃうかなとめぐみに言う。子供やないと言う貴司に、勝は子供やないからやと、店に来る客が、親の介護がしんどいと言っていることを話して聞かせる。子育ては楽になって行くけど、介護はその逆だった。

勝は祥子を迎えることに反対しているわけではなかった。きつい言い方してもうてたらごめんなと言う勝に、めぐみは礼を言い、もう少し考えることにした。舞は義父の勝が、言いにくいことを言ってくれて感謝する。覚悟かと貴司は言い、歩が大人になるまでしっかり面倒見んとなと舞に言う。めぐみはなかなか眠れず、仏壇の浩太の写真を見ていた。

仕事中のめぐみのスマホに、電話がかかってくる。信吾からだった。祥子の様子を見に行ったとのことで、体調はよさそうで一太がバカやると笑ってくれるが、気持ちは沈んでいると言う。予定通り週末には退院できそうだった。その夜めぐみは祥子の退院で五島に行くが、どうするかと舞に尋ねる。舞は貴司と歩を連れて行こうと考えていた。

貴司は舞と話し合い、覚悟を持って証拠を迎えようとしていた。しかしめぐみは、自分の覚悟について話す。その後舞はめぐみと、うめづで結城に会う。会社のことを尋ねられ、舞は万博で何かできたらと答える。そしてめぐみは話を切り出し、IWAKURAを、ゆくゆくは結城に継いで貰いたいと言う。そして祥子を引き取ることに触れ、五島で暮らして来たから大阪はしんどいと思う、自分がそばについとかなとめぐみ。

しかしそれは、社長の仕事とは両立でけへんと言うめぐみに、自分より社長にふさわしい人はいると結城は答える。しかしめぐみは、祥子が病気になる前から次期社長について考えており、舞か悠人かとまで考えたが、もう子供に継いで貰うことにこだわらんでええ、結城にだったら任せられるとめぐみは思っていたのである。

第115回
経営のことなど無理だと言う結城に、浩太が30で貝会社を継いだ時には、経営どころか工場のこともわからなかった、結城の方が経験豊富だとめぐみは言う。しかもIWAKURAのことも、浩太の思いもよく知っていた。そしてめぐみは結城のことを知っているから任せられる、前向きに考えてくれるように頼む。ちょっと時間を下さいと言う結城。

祥子が退院する。家に戻って来た祥子を舞、貴司そして歩の3人が出迎え、歩は手作りのレイを祥子にかける。祥子は曾孫からばあばと呼ばれて嬉しそうだった。大阪の家では走り回れる所がないため、歩は貴司と家の周囲を楽しそうに駆け回っており、めぐみは信吾の所へ出かけていた。祥子は船を見てこようとするが、手に力が入れられないと無理だと豪に言われる。

祥子のめぐみ丸は、若葉が手入れをしており、畑も信吾や一太が世話をしているらしい。舞はさくらが栗のジャムを作りたがっているから、レシピを教えてあげてくれと祥子に言う。悪かねと言う祥子に、みんなやりたかけんやっちょっとさと豪。歩は疲れて寝てしまい、舞は祥子にみかんを剥いてあげる。情なかね、みんなの世話になっちょると言う祥子。自分のことを自分でできないのがつらい、この先はできないことばかりが増えて行くと祥子も思っていた。

舞は子供の頃祥子から、
「できんなら、できることば探せばよかとぞ」
と言われたことを思い出し、ばんばにできることいっぱいあると思う、ばんばにしかでけへんことがいっぱいあるねんと祥子に言う。舞はジャム作りを一緒にやろうと言い、貴司は畑仕事の手伝いを買って出る。そして舞がジャム作りの手伝いをしている時、めぐみは祥子に向かってこう言う。
「大阪、来んね」

めぐみは祥子と住みたいこと、20年しか一緒にいられなかったから、これから親孝行したいと話す。祥子はめぐみが飛び出して行ったことは何とも思っていない、そして大阪には行かないと言う。めぐみは社長を辞め、祥子の介護をすることを伝えるが、浩太さんの会社、そがんな理由で手放すとかと祥子は反対する。しかしめぐみに取ってはおおきな理由であり、引き継ぎが終わったら現場を離れるつもりだった。

そして祥子が戻りたいと思ったら、一緒に五島に戻ろうと言うめぐみ。めぐみもかと言う祥子は、母ちゃんと一緒に暮らしたかとの娘の言葉を聞いて涙を流し、そして大阪に行く決意をする。しばらく経って祥子が大阪に行くことになり、送別会がみじょカフェで行われる。一太と百花の間には、進という息子が生まれていた。

豪が別れの言葉を述べ、ここにいる全員が祥子の世話になったことを口にすると、あちこちから思い出の話が出る。祥子のおかげでさくらは結婚できており、夫のむっちゃんは、祥子は織姫と彦星を会わせるカササギのような存在と言う。祥子にやって貰ったことを挙げたら切りがないと信吾。そして豪は、祥子がここにいてくれたことが一番嬉しかったと言う。

そこへ若葉が現れて、写真立てに入れためぐみ丸の写真を渡す。大切な船ば譲ってくださって、ありがとうございますと頭を下げる若葉に、船も喜んじょると祥子。若葉は自分が祥子の後を継ぐには頼りないと言いつつ、「海が好きとやったら大丈夫」と祥子に言われたのである。そして改めて、祥子の門出を祝して乾杯となる。


舞とめぐみが大阪に戻ります。貴司がカレーを作って待っていましたが、そう言えばかつてめぐみと舞が五島から戻って来た時も、浩太と悠人がカレーを作っていましたね。そしてめぐみは勝と雪乃に五島名物を振舞いながら、今後のことについて話します。祥子を迎えたいと言うことですが、それにはやはり相応の覚悟がいると勝は言います。

今のままでは、祥子の相手をする人がいないというのがその理由でした。めぐみは覚悟を決めたようで、社長を退き、結城を次期社長にしようとします。一方で舞は、東大阪の技術を万博に出品できないかと考えていました。そしていよいよ祥子が退院となり、めぐみと舞だけでなく、貴司と歩もやって来ます。祥子は歩に初めて対面します。

祥子は大阪行きを渋ります。しかしめぐみはその祥子を説得し、社長を退くことまで考えていたことを伝え、祥子もやっとその気になります。そして送別会に、めぐみ丸を引き継ぐことになった若葉がやって来ます。ちなみにこの若葉を演じているのは、五島出身の川口春奈さんです。

川口さんと言えば、『ちむどんどん』で良子を演じていたことがあります。ただ個人的には、登場回数は少ないものの、この若葉の方が似合っているようにも見えます。良子の夫を演じていた山田裕貴さんは、今は『どうする家康』の本多忠勝ですね。あと太秦工業に『カムカムエヴリバディ』を思い出します。

ところで、これ先日似たようなことを書いていますが、祥子が何もできなくなったと言った時、ばんばでなければできないことがあると舞が言います。さくらに栗のジャムの作り方を教えてほしいと言うセリフは、この時に言った方が収まりがよかったのではないかと思いますが…。あと歩ちゃんの服は、舞が子供の頃に着ていた服に似ていますね。

そして若葉がめぐみ丸を引き継ぐと言うのは、このままIWAKURAの社長退任、次期社長就任にもつながりそうな気がします。しかしめぐみは、舞や悠人に社長を譲ることも考えたと言っていますが、舞はともかくとしても、悠人はやはりちょっと畑違いのように思えます。


飲み物-コーヒーと砂糖とミルク
[ 2023/03/17 01:30 ] 朝ドラ | TB(-) | CM(0)

ラグビーあれこれ-中尾亘孝氏と武者さん3

何度も申しわけないのですが、中尾氏と武者さん関連でもう少し。先日触れた確証バイアスにですが、要は、自分の考えを支持する情報ばかりを集めることですね。

『武将ジャパン』コラムで『どうする家康』第2話関連のを見た際、評価する記事のリンクばかりを集めて好きな人はこれを見ろ、自分は厳しい意見を書くと冒頭にありましたが、本来ライターであれば、その両方に目を通して分析し、記事を書くものではないかと思っています。

まあ率直に言って、武者さんはおよそそういうタイプのライターではないとは思います。好きな大河ならその逆のことをやるし、この大河の脚本を信じている、迷わないなどとも書くのでしょう。

そして中尾氏ですが、この人も自分が好きでないチームの不祥事は取り上げたり、あるいは、労組がチームのあり方を批判しているといったことを書いていましたが、好きなチームのOBがバカラ賭博で逮捕された件に関しては、不問に付していたと思います。「フルタイムのラグビーウォッチャー」らしからぬ姿勢だなと思いました。

それからかつてこの人は、自著の中で日本人はバスケットボールに向いていないとか、サッカーのプロ化(Jリーグですね)は失敗すると書いていたことがあります。しかしその後バスケットボールは、Bリーグというプロのリーグを立ち上げましたし、Jリーグはクラブ数を増やしました。しかしこれに関して、中尾氏が前言を撤回したという話を、私が知る限り見聞きしたことがありません。


飲み物-テーブル上のマグのビール
[ 2023/02/19 23:45 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

『舞いあがれ!』第16週「母と私の挑戦」第3話&第4話

第16週の第3話(第74回)と第4話(第75回)です。


第74回
出勤前の舞はネジの勉強に余念がなく、遅刻すんでとめぐみに言われて家を出て行く。そのめぐみは、斑鳩商事のネジの出荷のデータを見て、単価が安すぎて売るほど赤字になっていると藤沢に指摘する。その時はリーマンショックで仕事が減り、儲けが少なくてもないよりはマシと藤沢が単価を引き下げたのだった。済んだことは仕方がないと言うめぐみだが、これが赤字となってIWAKURAの経営を圧迫していた。

休憩時間に落ち込む藤沢。そして舞は笠巻からネジについて教わっており、笠巻は太陽光発電の時に発注されて、没になったネジを見せる。これでうちはえらい目に遭うたのに、まだ捨てていなかったのかと藤沢は言うが、笠巻に言わせれば、IWAKURAの技術がこれに凝縮されていた。2ダイ3ブロー(素材を2回押し込み3回打ちつける機械)で作ったネジである。舞は営業用にこのネジの完成品を貰う。ネジ好きな土屋がそれを見ていた。

さらに笠巻の補習が行われ、ネジの値段には金型代が影響する、藤沢はここを甘く見積もったと指摘する。この補習には、いつのまにか多くの社員が集まっていた。めぐみは金型1つで何本作れるかを尋ねる。笠巻は土屋に質問を振り、土屋は5万本てところかと答えて褒められる。金型が6万円なので、ネジ1本の金型代が1円20銭という計算になる。それに固定費や材料費を足したらと、めぐみは計算を始め、結局斑鳩商事のネジの値段は1本4円50銭にして、利益を出そうとする。

問題はそれを先方が受け入れるかだった。一方舞はカワチ鋲螺に行き、ネジを見せて、これを2ダイ3ブローで作るからコストを抑えられること。そして頭が大きくネジ部が短いという特殊な形状のため、丸ダイスで1本ずつ加工する工場が多いが、当社は独自技術を生産性の高い平ダイスで加工することを説明する。独自技術とはと聞きたがる森本に、社外秘だと舞。勉強しはったんですなと森本。

しかし森本は、お願いできる仕事はあれへんのですわと席を立つ。どんな小さな仕事でも精一杯やらせてもらうと言う舞に、森本はかつての浩太がだぶり、何やあんたのお父さん思い出しますわと言う。舞は必死に食い下がるが、結局仕事は貰えず、窓の外を飛行機が飛ぶ音が聞こえる。

めぐみと藤沢は斑鳩商事にいた。値段の交渉をするめぐみに、急にそないなこと言われてもなと担当の香川。そもそも藤沢がこの値段でお願いしますて踏み込むから、香川は受けたまでだった。さらに奥さんが社長になったことで、どこまでやりはるもんか期待していたが、それが値上げの交渉とは、やっぱり主婦が家計見直すみたいなことしかできはらへんのやねえと、歯に衣着せずに言う。

めぐみは主婦が家庭守るように、社長は会社を守らなければならず、材料費が高騰している今、このままの値段では会社を危険にさらすことになると反論する。あと3か月このままでやり、その間、4円50銭より安い値段で作れる会社をお探しになれたら、そちらに頼んでいただいて結構、けどそんな会社ありますやろかと言うめぐみ。

一方的に値上げをお願いするつもりはないが、めぐみは今後新しい依頼を貰えたら、設計段階でコスト面でメリットのある提案を、プラスアルファでさせてもらうように求める。さらに新しい価格は、弊社の職人たちの高い技術への、正当な対価と思っているとも言い、香川に頭を下げる。

藤沢は帰社後、めぐみのその姿勢をかっこよかったと社員たちに話し、そして「うちの職人らが持っとる高い技術への正当な対価じゃ。ワレ、文句あんのけ」と言ったなどと言い、垣内から奥さんそんなに柄悪くないと突っ込まれるが、一歩も引かずに決めてくれはったと藤沢は嬉しそうだった。

その話を立ち聞きした舞は事務所に戻る。仕事取れたのかとめぐみに訊かれ、全然と答える舞だが表情は明るかった。そこへカワチ鋲螺の森本から電話が入る。森本は薄型テレビのネジの、見積もりを頼みたいと言って来たのだった。取りあえず設計図を見てほしいと言われ、すぐ伺いますと嬉しそうに返事して出て行く舞の後を藤沢が追う。


第75回
舞と藤沢は会社に戻ってくる、すると社員たちがまだ休憩室に残っていた。山田曰く、お嬢さんが初めて仕事取ったって話したら、みんな図面見るまで信じへんてと言い、舞はいそいそと図面を見せて皆はそれに群がる。発注数も多く大きな仕事だが、土屋は設計者がいないのを気にしていた。設計、つまり、どのような工程でねじを作るのかを決められたのは先代社長の浩太と結城だけだったのである。すると結城に特訓されたと、尾藤がそれを買って出る。

しかし尾藤はしくじってしまう。5万円の金型がネジ1本を作っただけで壊れてしまい、笠巻は、塑性加工は色んな条件が絡むさかい、計算通りに行かへんもんやと言うが、尾藤は結城はいつも計算通りに結果を出していたと言う。無論結城の腕は現場で経験を積んだその賜物で、お前も焦らんと身に着けたらいいと笠巻は言うものの、納期まで一月で、誰か設計できる者を呼ぶしかなかった。社員は心当たりの人物を探すことにする。

舞は浩太の仏壇の前に座り、祈るような気持で結城に電話をする。しかし聞こえて来たのは留守電の声だった。舞は設計のことで助けてほしいと伝言を残し、うめづで待っていますと言うが、いくら待っても現れなかった。そして工場では尾藤も悩んでいた。その時足音がして結城が姿を見せる。結城は遅れたことを詫び、分かれへんことあったら、いつでも連絡してこいいうたやろと尾藤に言う。

そしてめぐみに、図面を見せてくれと頼む。めぐみはしばし悩むが、尾藤に図面を持って来させる。結城は壊れた金型も持って来させ、どの部分がよくなかったのかを把握すると、自分に金型を試作させてくれと頼む。渋るめぐみ。しかし結城はIWAKURAに恩返しをしたいと思っていた。相良は、他社の社員となった結城に図面を渡したことを訝る。お前にはプライドはないのかと尾藤に言うが、舞は結城に頼んだのは自分だと言う。

尾藤は結城が仕事の後、無償で手伝ってくれていること、来週の夜6時に作業をすることを告げ、社員たちの協力を求める。舞も、どないしてもこの仕事をやり遂げたいと頭を下げる。しかしそれやったら結城をちゃんと雇え、そんなんで品質が保てると思わへんと言う声も出る。その一方で山田が手を挙げる。しばらく合コンがないというのがその理由だった。土屋、藤沢も名乗りを上げ、お前らだけ残ってもなと宮坂も仲間入りする。しかし夜中までは許さんと言うのが条件だった。

無論笠巻も残ることになる。山田に礼を言う舞に、別にお嬢さんのためではないと山田。宮坂は、垣内ら他の部署もおらんと間に合えへんでと言う。そして結城がやって来る。宮坂はよう来れたなとまず口を開く。そして扇さん許してくれはったんやなと言うが、その宮坂に紛らわしい言い方すな、歓迎してへんのかと思うがなと笠巻。

その場の空気がほぐれ、やがて作業が始まる。結城は形状を変えた方がいいと言い、以前浩太とこれに似た加工をしたことがあって、油の吹き付け方の工夫なども教えて貰っていた。山田は皆に、うめづにお好み焼きを買いに行くと申し出、舞と藤沢も同行する。

しかしこのネジの転造の前に、寸法はいじらんとあかんかもと笠巻は言う。しかも試作品に結城は納得していなかった。こんな遅くまでありがとうと言うめぐみに、もうこんな時間かと結城。楽しくてあっと言う間だった、仕事する楽しさのようなものを、久々に思い出した、ここで仲間とネジを作るのがやっぱり好きやなあと楽しそうに結城は話す。

その結城に舞は戻って来てもらえませんかと口走り、すぐに勝手なこと言うてすみませんと打ち消す。ほな俺も勝手なこと言うわ、ホンマは戻って来たいと結城も同じ思いだった。そして家に戻っためぐみと舞は、結城に戻って来て貰えたらと思いつつも、雇い直すだけの金がないのも事実だった。

舞は風呂へ行き、めぐみは悠人から貰ったマンションのパンフレットを眺めて、悠人に電話をかける。シーンが切り替わり、めぐみは舞を始め、社員にIWAKURAの売却のこと、土地と工場を買ってくれた人に家賃を払い、ネジを作り続けることを伝える。その売却の相手は悠人だった。社員の間から動揺が走る。


営業回りが続きます。舞は笠巻のおかげで少しは詳しくなり、その点をカワチ鋲螺の森本に褒められるものの、肝心の仕事は貰えませんでした。一方藤沢に同行して貰っためぐみは、斑鳩商事の、ちょっとこわもてな感じの相手に交渉し、藤沢はその様子がかっこよかったと、社員に話して聞かせます。この交渉で相手に要求を飲ますのもさることながら、めぐみは経理の経験があるせいか、ネジ1本分の値段をさっと出すところなども、流石に仕事慣れしています。

そのめぐみの交渉について耳にした舞は、何やら心が弾むような感じだったのでしょう。仕事は貰えていないけど嬉しそうで、そこへカワチ鋲螺から電話がかかって来ます。薄型テレビのネジの発注でした。そう言えばちょうど地デジ化の時代だったのですね。舞が取った初めての仕事は大掛かりなものでしたが、肝心のネジを設計できる2人が最早おらず、結城の教えを受けた尾藤が作るもののうまく行きません。

結局結城に来て貰うことになります。めぐみは既に他社の社員になっていることもあり、結城に図面を渡すのをためらいますが、結城はIWAKURAへの恩返しのつもりでした。と言うか、仕事を貰うということは、とりもなおさずネジの設計と製造を意味するのですが、まだその辺りを決めていなかったようです。結城は試作品には満足していませんが、久々にIWAKURAでネジを作って楽しそうでした。

舞もめぐみも彼に戻って来てほしいのはやまやまでしょうが、如何せん3人の子供をIWAKURAの給料で養えず転職したわけですから、彼を再度引き抜くには、それなりの収益が見込めないとどうにもならなかったのです。ところで舞が結城に電話をする時に「章にいちゃん」と呼んでいますが、舞も社会人だし、ここは「結城さん」の方がよかったような気がします。無論後で顔を突き合わせている時は「章にいちゃん」でいいかと思いますが…で、結城が「結城さん」なんて、他人行儀だなどと言う設定でもよかったのではないかと。

そして最後でいきなりめぐみが、IWAKURAを売るなどど言っていますが、あれはめぐみの頭の中の風景なのか、それとも実際に起こっているのか、一体どちらなのでしょう。あと「どうなるIWAKURA」は、「どうする家康」の捩りでしょうね多分。

それと丸ダイスと平ダイスについて、山梨県の会社のサイトのURLを置いておきます。
https://www.nisseiweb.co.jp/formrolling.php?page=fmmachine


飲み物-白いカップの紅茶
[ 2023/01/20 00:45 ] 朝ドラ | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』新キャスト発表と『ホリデイ~江戸の休日~』

8日から放送予定の『どうする家康』ですが、放送開始を前に早くも次のキャストが発表されています。

第8弾】出演者「乱世が生んだ怪物」を発表!
(NHK ONLINE)

武田勝頼役に眞栄田郷敦さん、足利義昭役に古田新太さんです。

眞栄田さんと言えば『ノーサイド・ゲーム』の七尾選手を思い出します。あの時のアストロズのGMの中の人が、『鎌倉殿の13人』の頼朝の中の人でした。それからNHKの夜ドラにも出演していましたね。

そして古田さん。今回は家康が主人公で、恐らく信長の視点も入るせいか、ちょっと食わせ物的なキャラになりそうです。少なくとも『麒麟がくる』の将軍義昭とはかなり違ったイメージでしょう。

しかし本文に
「江戸幕府を開く家康が、謁見した唯一の将軍・足利義昭」
とありますが、考えてみれば家康は義昭の次の征夷大将軍となるわけです。無論足利家と徳川家の違いはありますが。

それと先日放送されていたこちらの時代劇です。

新春ドラマスペシャル「ホリデイ~江戸の休日~」
(テレビ東京公式サイト)

現代と過去が共存するスタイルの「時代劇」で、記事中でも触れられているように、「江戸の休日」は『ローマの休日』を意識したものと思われます。内容としては若き家光が一心太助に預けられ、庶民の生活の中で修行をするというストーリーです。

実は部分的にしか観ていないので、今度観直そうかと思っているのですが、こういうスタイルのドラマは、大河だとちょっと考えてしまいますが、民放の時代劇、あるいはNHKでも大河以外の時代劇として放送するのなら楽しめます。無論オリキャラの存在も気になりません。

しかし現代との共存というのは、映画『大河への道』を思わせます。あれも大河の誘致に関係する人々を演じる俳優さんたちが、伊能忠敬とその周辺の人物も演じていましたね。

ところでこちらの家康公は、既に孫のいる年齢ということもあり、演じているのは高橋英樹さんです。そして、里見浩太朗さんは『どうする家康』にも、登譽上人の役で登場です。家康に「厭離穢土  欣求浄土」の意味を教えた人物ですね。


飲み物-ワインと暖炉
[ 2023/01/08 01:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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