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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『光る君へ』第19回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-3

第19回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。


望みは大胆なほうが目に留まる。もう10年目であるとはいえ、千仞(せんじん)の谷に飛び込むつもりでやってみてはどうか、と強気なまひろです。
(中略)
まひろは臆病なのか大胆不敵なのか、振り幅が極端な性格ですね。

この千仞(千尋)の谷云々、今で言えば清水の舞台から飛び降りると言ったものでしょうが、まひろの性格が振り幅が極端と言うよりは、先日も書きましたが、自分の理想に合うものを追い求めるたちなのではないでしょうか。それが場合によっては大胆な方向に向かい、また別の場合は自分の中に封じ込めるのではないかと思われます。

(為時は)宮中で娘がおかしくなったといささか呆れ気味です。
確かにこれで何か火がついたとすれば、清少納言としてはしてやられてしまったのかもしれません。

清少納言は中宮定子にまひろを紹介したわけであり、彼女と何かを競っているようには見えなかったのですが、何が「してやられた」となるのでしょうか。

『枕草子』で描かれるキラキラと輝く伊周が、これでもかと言わんばかりに光らなういようにヤスリをかけられているように思えます。特に女性関係では顕著です。

この大河は主人公であるまひろ=紫式部、そして道長の目線が中心となっているはずです。中関白家の先代当主である道隆は民を顧みず、また伊周は道長と対立する関係にある以上、どうしてもこういう描かれ方になるでしょう。清少納言が主人公であればまた別ですが。

ところが伊周の場合、手頃で無難な女を抱いてスッキリしているようにしか思えません。
さらには公任の白い顔と、実資の輝く黒い瞳も思い出してしまいます。
公任は女を抱く以外にも、教養を高めることが楽しくて仕方ありません。
実資だって、ゴシップを集めつつ、先例はどうかとサッと当たる知性がある。

ひとつ前に書いていますが、この作品での伊周はそういうキャラ設定なのでしょう。
そして「思い出してしまいます」というのは、誰が思い出すのですか?武者さんですか?ならばそれをわからせるように書いてください。これではメモ程度にしか見えません。

そして何よりも、道長に近い立場である、あるいは道長を客観的に見ることができる公任や実資の描き方と、道長を敵とみなして対立し、妹の定子に皇子を産めと迫る伊周の描き方は違っていて当然です。ただこの回の場合、公任が女を抱くシーンは出て来ませんし、実資が「ゴシップを集める」のは道長と伊周の件でしょうか、ならば道綱経由ですね。

あと行成にも俊賢にも武者さんはここでは肯定的ですが、それに比べて伊周はこんなに魅力がないとあります。そのような設定になっているから当然なわけで、寧ろなぜそのような設定にされているのかを考察するのが、武者さんの本来の仕事ではないのでしょうか。

そして行成に関して
「おっとりしているようで能書家であることを生かせる切れ者です」
とありますが、能書家であるが故の、女性たちとの交流を利用して情報を集めるというのは、行成が自分から言い出したわけではなく、公任のいわば推薦です。この場合本当の切れ者は公任でしょう。
また俊賢も
「計算高いといえばそうです。その賢さが魅力であると言える」
とあるのですが、その俊賢を除目で参議にしたのは道長であり、道長の人を見る目もまた評価されてしかるべきでしょう。

帝は、優秀な者を起用すべきだという意見を面白がり、道長にどうかしたかと問いかけます。
恐れ多いことを申すものだと返すしかない道長。
帝はなおも、あの者が男であれば登用してみたいと言い出しました。
これはなかなか重要で、まひろの考えを参照にすれば道長の安泰ははかれるということですね。

この最後の行
「まひろの考えを参照にすれば道長の安泰ははかれるということですね」
これ「参照」より「参考」の方がよさそうな気がするのですが。
そしてなぜ「道長の安泰がはかれる」のか、ちょっと説明不足な気がします。つまり帝は、まひろが言うように試験で優秀な者を起用する方法を採り入れれば、今後の道長の地位は安定するということでしょうか。

伊周にしてみれば「関白になれないから女に軽んじられるんだ!」と嘆いています。
果たしてそれだけが問題なのか。関白の件で精神状態が悪いことは確かなようです。

「関白になれないから」の前に、隆家から揶揄するようなことを言われたのも、伊周には気に障ったのでしょう。
あと「精神状態が悪い」より、気がふさいでいるとか、面白くないとかいった表現がありそうな気がします。

誰か確かめるだけでもいいからと、兄をせかして、光子の元へと向かいます。
そして出てきた男に矢を放つ隆家。
いやいや、思い切りが良すぎでしょうよ。
怯えていたのは花山院でした。
院を気遣う声を聞き、異変を察知する兄弟。
【長徳の変】の始まりでした。

ここのところも端折り過ぎではないでしょうか。
このシーン、観たままを逐一書いてみます。

まず2人で一条殿に押しかけたところ、まだ牛車が止まっています。にもかかわらず隆家は弓に矢をつがえるわけですが、伊周はよせと言い、邸内から出て来た人物を目にします。しかし調子に乗った隆家は、矢をその人物に放ってしまいます。
のけぞったのは僧形の人物でした。隆家は脅かしただけだとどや顔ですが、慌てて出て来た斉信が「院」と何度も口にするのを聞き、2人はただならない事態になったことを察します。

武者さんの文章だと、「思い切りがよすぎる」とあり、これでは隆家が花山院とわかっていながら矢を放ったようにも取れますし、伊周が一度は制止しているのに、それも書かれていません。そして出て来た斉信が、「院」と何度も叫んでいるのも書かれていませんね。

そして為時の越前国司就任は、帝が為時の対句を詠み、為時が感動したという話があると伝わるものの、史実とは思い難い(ならば、それを裏付けるものを見せてください)とあって、

ただ、歴史劇における強引な展開は、作者の描きたいメッセージが何かを考えることも重要でしょう。
このドラマは身分制度の理不尽が強調されているように思えます。
実力主義で人が登用されないことはなぜか?
そう問いかけているのでしょう。

「歴史劇における強引な展開は、作者の描きたいメッセージが何かを考えることも重要でしょう」
昨年武者さんは、徳川家康が弱くて戦嫌いな人間であり、家臣に説得されるという描き方を散々駄作呼ばわりしていました。のみならず、瀬名の戦ではなく互いに助け合うという発想も、カルト呼ばわりしていました。
結局こういう考えが、戦のない徳川幕府を作ることへとつながって行くのですが、そういったメッセージははなから無視しましたね。

結局、まひろの語る科挙のある国という夢は長いこと叶いません。
今でこそ試験で官僚を選抜するとはいえ、そもそもがスタートラインに差があるということを、朝ドラの『虎に翼』がつきつけてきました。
日本は政治家はじめ、世襲権力者が多い国とされます。
実力が認められる世界は、いつ実現するのか――そんな今も変わらぬ問いを突きつけたい、そんな挑戦を感じさせる作品です。

朝ドラとか政治の話なら、別コラムでやって貰えませんか。朝ドラはnoteがあるはずですよね。
ただ私は、日本は実力が全く認められていないとは思いませんが。

そして何よりも、先日のたけたけさんのnote記事にありましたが
『大河ドラマを現代思想を絡めて見るとおかしくなるので、時代背景を踏まえて論評しろ』
と、ここで言っておきたいです。

そして逆MVPとかで、伊周と隆家の兄弟が挙げられていますが、

こうしたドラマのテーマを踏まえると、この藤原伊周と藤原隆家の兄弟は実像というよりも虚像の側面が強く、あえて悪どく描かれていることは踏まえた方が良さそうです。
『枕草子』とは正反対、どぎついまでに貶められた気の毒な造形です。

「藤原伊周と藤原隆家の兄弟は実像というよりも虚像の側面が強く」
これはドラマです。必ずしも史実に沿っているわけではありません。
史実に沿うのであれば、武者さんが好きな公任や実資の描かれ方も、いくらか違っているはずですし。

そうはいっても、実は演出や見る側の偏見もあります。
道長側だって、現時点でかなり陰湿で卑劣なことをしている。
道長がまだ彰子を入内させていないから目立たないこともあるでしょう。
よってこの先どうなるかは全く読めない――見る側も騙されているのかもしれません。

武者さんてこのドラマ好きなのですか、それとも好きでないのですか。
図らずも、一条天皇が道長に対してぶつけた質問のようなことを考えてしまいました。道長が陰湿で卑劣などとありますが、伊周に代表される中関白家を越えるためには、多少まともでない手を使う必要もあると思い、源俊賢を使ってああさせたわけでしょう。その俊賢を、武者さんは少し前に賢いと書いていましたが。

それから
「よってこの先どうなるかは全く読めない――見る側も騙されているのかもしれません」
この先どうなるかは読めないと書きつつ、今後はこうなるのではないかなどと以前書いていましたが、どちらなのでしょうか。そして騙されているという書き方もどうかと思います。このドラマでは主人公が誰それだからこのような描かれ方をしている、このような演出になっているとわきまえて観ている人もいるでしょうし、ドラマの楽しみ方とはそういうものでしょう。


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[ 2024/05/19 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(-)

第18回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

遅くなりましたが、今週もたけたけさんのnote記事からいくつかご紹介します。またいつも通り、ダークブルーの文字が、武者さんのコラムからの引用部分です。(多少順番が前後します)

大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第18回~


父・兼家の営業から解き放たれ、平静の心を取り戻してからは好人物だった道兼

まず寛和の変で花山天皇の退位に成功したものの、兼家の後継が道隆となって大いに荒れたこと、ドラマでは自堕落な日々を送り、『大鏡』では遊興に耽ったという記述があることに触れられています。しかしそんな道兼は道長に諫められ、その後昇進を重ねて右大臣となり、道隆没後の関白ともなり、また自ら悲田院に向かう姿勢も描かれているとあります。

そして道兼を演じた玉置玲央さんのコメントが紹介されています。
「1番信奉していて、かつ柱だったのが父親。自分の中で柱になってた存在がパキっと折れて崩れた。そこを救ってくれた。道長のおかげで少しだけ真人間になれた」
「避けず逃げず、きちんと今、道兼に必要な言葉を道長がぶつけてくれた。すごいエネルギーのいること。道長の中でも乗り越えなきゃいけないことがいっぱいあったやり取りだと思う。あれで道兼の中での道長への感情がガラッと変わった」

また『大鏡』や『栄華物語』では悪く描かれるものの、藤原実資の『小右記』や藤原行成の『権記』では交流のある姿も描かれているともあります。
しかし武者さん、コメント紹介もなければ、当時の資料に描かれた道兼像を紹介することもないのですね。
あと「営業」は「影響」でしょうか。

なんなんでしょう、この、宣孝の圧倒的なスケベ感は!
女性を酔いつぶして不届な行為をはたらくものは論外としまして。
同意のうえで酒を少し飲ませ、頬に血の気がのぼる様を楽しむのは、粋な男という感があります。
宣孝が、親切なおじさんから、色気あるおじさまにランクアップを遂げた瞬間でしょう。

ここで藤原宣孝は、
「まひろは打てば響くよい女になった」
「歳を重ねて色香を増した」
と言っていること、それをまひろは軽くあしらい、宋の国の事を聞きたがっていることに触れられています。

また元々は為時の友人であり、親戚でもあった宣孝が、まひろに「女性」を見出すというシーンであり、それなのに
圧倒的なスケベ感
女性を酔いつぶして不届な行為をはたらく
同意のうえで酒を少し飲ませ、頬に血の気がのぼる様を楽しむ
と書くというのは、武者さんは、男女の恋の駆け引きや情の移ろいを、エロ目線でしかいないのかとたけたけさんは指摘しています。

私の場合、宣孝とまひろのやり取りに、宣孝は彼女が大人の女になったのを感じ取ったのではないかと書いていますが、しかしどう考えても「スケベ」だ何だと騒ぐシーンではなさそうです。

科挙は時代ごとに異なります。

ここもまず、科挙とは「試験科目による選挙」のことであり、当初は進士科と諸科に分かれていたものの、その後諸科が廃止となり、経書・歴史・政治などに関する論述が中心となると説明されています。やがて北宋の時代になると、官僚たちが士大夫という支配階級を形成するようになり、官僚になることで地位や名声、権力を手に入れる、いわばエリートコースであったようです。

また科挙は受験資格に制限がなかったものの、幼い頃から勉学に専念できる環境が必要であったため、受験できる人は限られており、一生をかけても合格できなかったと書かれています。しかし試験偏重主義になり、明代に於いては四書を、八股文という決められた様式で解釈する方法に改められ、簡便になったことで、貧困層にも道が開けた反面形式重視となり、本来の意味での秀才を得られなくなったともあります。

私も関連投稿で書いていますが、武者さんには、この時代による変化を解説してほしかったと思います。そういうのは武者さんのコラムでなく、たけたけさんのnote記事の方に書かれているのですね。

宣孝は唐の薬を取り出します。
切り傷に驚くほど効くとかで、藤原実資が見たら欲しがりそうな逸品ですね
この薬を売り捌くことで、宣孝はボロ儲けをしました。

以前にもこちらのnote記事で紹介されていますが、この当時、筑紫の鴻臚館(福岡城内)に唐物使という役人が派遣され、貴族から依頼された商品を買い上げていたこと、宣孝は宋の商人と唐物使の間に入り、自分で値を付けて売りさばいたのではないかといったことが記されています。

また実資の名が出てくるのは、平安貴族としては長寿=健康マニアのイメージがあるせいだろうが、その論拠を示してくださいともあります。そしてこの人物の場合はお金持ちであり、わざわざ宣孝に頼むようなことをしなくても、自分で唐物使に頼んだのではないかとも指摘されています。
参考文献として挙げられていた以下のリンクを貼っておきます。

鴻臚館跡|平安時代の対外交流 遣唐使による公式外交から商人による民間貿易へ - 史跡ナビ

鴻臚館出土の文字史料展
(福岡市博物館アーカイブス)

藤原斉信は、藤原公任と藤原行成を前にして、伊周で決まりだなと結論。

これについては、あまりに状況説明を省き過ぎと指摘されています。実際、それぞれのセリフが意味を持っているわけですから、それぞれの会話についてもう少し書いてほしいものです。
note記事本文からセリフだけ抜粋させていただきます。

斉信「伊周殿は皆の承認を取り付けたという事か」
公任「以前に比べればやや人間的にマシになっただろう」
行成「道長が関白であるべき、伊周ではない」
公任「そりゃ道長の方が、俺たちはありがたい」
斉信「分からんよ、行成のように大の道長贔屓もいる」
行成「はい、私は大の道長さま贔屓にございます。されど自分の地位を何とかして頂きたいなどと厚かましい事は考えません」
斉信「俺は厚かましいのが売りだからな。道長になったら売り込むよ」
しかし公任は、やはり道長の関白はないと考えていた。

これだけでも大分違うと思うのですが。

口に運んで満面の笑みで喜ぶまひろの表情から、そのお菓子がどれだけ珍しくて貴重か伝わってきます。

ここのところ、せっかくのお菓子なのに何も書かれていないと思ったものですが、たけたけさんも
「どの様な菓子でどの様に珍しく貴重な品なのか具体性がありません」
と指摘しています。そして『八種(やくさ)唐菓子』の一つ『梅枝(ばいし)』であると書かれています。

そして当時は、果物を菓子と呼んでいたことから「唐果物(からくだもの)」と呼ばれていたこと、この八種唐菓子は、
「もち米・うるち米・麦・大豆・小豆などの粉に塩や甘葛の煮詰めた汁、水飴、献上する上級品でははちみつなど甘味料を加え捏ね、果物の形を作った後胡麻油で揚げた菓子」
とあります。
そしてその他には、餢飳(ぶと)や索餅(さくべい)などの菓子もあると指摘されています。

また参考文献として、以下の3つが挙げられています。

『倭名類聚抄』

八種唐菓子

平安時代の菓子
(奈良女子大学)

そして道兼は、関白就任の慶賀奏上のため清涼殿へ向かいます。
しかし、そのとき、ふっと力が抜けたように倒れ込んでしまう。

ここでは道兼が、清涼殿に向かう際に倒れたわけではなく、御前を下がる時であり、どこか体調が悪そうに、口元が震えていたとあります。
私も似たようなことを書いていますが、これだと時系列がよくわかりません、せめて「退出しようとして倒れ込む」くらい書いてほしいものですね。

また道長が対面するシーンは『源氏物語 36帖「柏木(二)」』で、夕霧が柏木を見舞い、その臨終を看取る場面を思い起こさせると書かれており、さらに道兼が唱えていたのは『光明真言』で、『十悪五逆四重諸罪』によって地獄・餓鬼・修羅に生まれ変わった死者に対し、光明を及ぼして諸罪を除き、西方極楽国土に往かせるという功徳があるそうですと説明されています。

つまり、定子や清少納言周辺は、金銭感覚が相当おかしくなっているとも思える。
道長はごく常識的な範囲で咎めたのに「こんなことすら許さないなんて!」となるのだとすれば、おかしいのは定子周辺なのです。
(中略)
たかが贅沢な調度品ひとつにしても、嫌な兆候があるもの。
それを見抜き、事前に止めた道長様はえらい!
そんなことを思ううちに、まひろはにやけてしまったのかもしれません。

武者さんがここで、『韓非子』の「箕子(きし)の憂い」を持ち出して、定子や清少納言の金銭感覚はおかしいと叩いても、ものを見る価値観は人それぞれであること、また道隆が莫大な費用を公費から出していたため、道長が疑問を呈したとも言えるといったことが書かれています。

また『紫式部日記』には、紫式部が出仕した頃は中宮崩御後5、6年が経過しており、『枕草子』の影響もあって、かつての登華殿を懐かしむ空気感もあったようだともあります。

女同士はドロドロだとか、薄っぺらいとか、そういう偏見込みで描くフィクションはまだまだ多いものです。
それは結局、書き手に男性が多いとか。
そういう偏見に迎合するのが賢いと錯覚するとか。
そういう古臭い感性でしょう

まずたけたけさんは、伊周の関白継承がままならず、定子が皇子を産むことに望みを託すしかないため、その伊周が、かつての父道隆のように皇子を産めと繰り返し、「素腹の中宮」とまで言っている点について、「ジェンダー」「ポリコレ」「偏見込みで描くフィクション」にうるさい武者さんは、何も感じないのかといったことを書いています。また現代ならマタハラもしくはモラハラ案件になるとあり、

これが嫌いな作品なら『「家父長制」の弊害(もちろん摂関政治全盛期に家父長制などありません)』とか『古臭い感性。価値観がアップデートされていない(いつの時代の価値観でしょうか)』となるのではないでしょうか。
(原文ママ)

という指摘もあります。
(実際家父長制云々は、『青天を衝け』でも目にしました)

第一武者さんがこう書くこと自体、男性への偏見と取れてしまいます。

大河でも、綺麗事ばかり言って具体的な政治姿勢が見えない人物はいるものです。
もう「言われんでもわかっているぞ」と返されそうですが、『青天を衝け』での渋沢栄一の経済政策。
そして『どうする家康』における家康の政治。
どこが優れているのか説明がないに等しかった。
イケメンが綺麗事を並べればいいわけじゃない。

この前の箇所で道兼を褒めて、それでも綺麗ことしか言わない人物もいると、例によって嫌いな作品叩きが始まっています。
それに対してたけたけさんは、

道兼卿を褒めたいのなら彼の在り様のみを総括すれば良いのであって比較する必要はありません。何見氏は嫌いな作品を『穢れ』と言い、似非陰陽師宜しく『全力で追い返しましょう』と侮蔑的的に叩いていました。
(原文ママ)

と指摘しています(何見氏=武者さん)。そして穢れとは本来見ないようにするもので、未だに嫌いな作品を叩いて悦に入っているものの、嫌いな作品に関わらないことはできないのか、正直誰かを侮辱し、叩くことで優越感に浸っているようにしか見えないとあります。

また
「どこが優れているのか説明がない」
どんなに状況説明がなされていても、分からないことを調べない、肝心要の部分を無視する、セリフを聞いていないなどであれば、どんなに優れていてもどこが良いのかわからないになるでしょうと指摘されてもいます。

結局嫌いだからという理由でちゃんと観ないのでしょうね。尤も今年の場合でも前出のように、斉信、公任、そして行成の間のセリフをちゃんと読み取っていないような記述もありました。

またポリコレ、ジェンダー関係の武者さんの記述に関してたけたけさんは、来年の『べらぼう』の主人公の蔦屋重三郎は吉原生まれ、引手茶屋(遊客を遊女屋へ案内する茶屋)を営む蔦屋の養子となり、貸本屋を開いて、吉原の案内書である「吉原細見」の案内書を編集するが、これに武者さんがどういう感想を持つのかと疑問を呈しています。
また

『大河に政治を持ち込むな』ではなく、『大河ドラマを現代思想を絡めて見るとおかしくなるので、時代背景を踏まえて論評しろ』というのが私の意見です。
(原文ママ)

ともあります。実際そういうものだと思いますが、特に、嫌いな作品に対しての、現代的な見方の絡め方はひどいですね。

あと二宮和也さんが『光る君へ』に出演予定の件ですが、

それをどこまで業界が認識できているのかというと、この上にあげた記事を見ると暗い気持ちにならざるを得ません。
真実かどうかはさておき、この記事は前提がおかしい。
『 光る君へ』は視聴率が低迷していて、そこに嵐の二宮さんを起用することで起死回生を狙うという、実在も定かではないNHK関係者の声が出ています。
今年の視聴率低迷は題材からしてNHKは覚悟の上でしょう。
2023年、鉄板の題材である徳川家康を主役とし、嵐の一員が主演であった大河ドラマは歴代ワースト2を記録しました。
忘れたとは思えません。
ジャニーズが大河において起爆剤にならないことを一年かけて証明したとも言えるでしょう。

結局私怨での旧ジャニーズ叩きに執着しないと気が済まないのか、手のひら返し決定か、公平な論評ができずに人を中傷するだけのレビューなら、続ける意味はないとあります。また、事務所が社名を変えようが、俳優さんが事務所を対処しようが関係なしに、過去に所属していたという属性だけで論拠もなしに、
「私は俳優を名指ししてサンドバッグにします」
と叩くのは、ただの誹謗中傷であるとたけたけさんは言っています。

それとやはり思うのは、自分が嫌いな作品を叩く時には、
海外の大河ファンがこう言っていた
と「マックの女子高生構文」を持ち出し、好きな作品の記事に、「実在も定かではないNHK関係者の声が出」ていると、この記事はおかしいと言っているわけで、まさにダブスタですね。

飲み物-緑とグラスビール
[ 2024/05/13 03:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(-)

『光る君へ』第18回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-3

第18回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。


これ以上、姉上に賢くなられてもなぁ、とぼやく惟規。
このあたりはまひろの知識欲があらわれていますね。
かつて道長には陶淵明『帰去来辞』を書き送りました。政治批判、正しい世を望む気持ちがこめられた詩です。
白居易はこうした先行作品を参照しつつ、自らの作品に反映させる。
まひろが欲している白居易の新楽府は、そうした作品なのでしょう。

この『新楽府』、あらすじと感想で少し触れていますが、政治批判や社会批判のための所謂「諷諭詩」ですね。そういうのはきちんと書いてほしいと思います。
ただこの諷諭詩も、その後廃れていきます。また政治批判の性格を持ちつつも、実際に起こった事件をありのままに述べることは、避けられたようです。

ここで彼らの価値観として、先にでた白居易の影響があると考えましょう。白居易の代表作『長恨歌』背後にある世界観です。
(中略)
しかし、帝は警告として読み込んでいてもおかしくない。
なぜあの詩に描かれている楊貴妃は死んだ? 政治は乱れた?
帝王の愛は時に重く、政治に反映させると危険である。

詮子が帝に直訴するシーンですが、ここで『長恨歌』は出て来たでしょうか。
また玄宗や楊貴妃の時代の唐と、平安時代中期の社会は日本は同じでしょうか。
要は武者さんが、白楽天(居易)を持ち出したいがためにこう書いているとしか思えません。

そしてさわの肥前行きです。

肥前守を拝命した父と一緒に行かねばならないのだとか。せっかくまひろ様と仲直りできたのに……と嘆いています。
父上が国司になるのはめでたいとまひろが言っても、肥前は遠い国であり、もう会えないかもしれないとさわは残念がっています。
国司の任期は四年だから、そんなことはない。

ここのところ、ききょう(清少納言)の父元輔が肥後に赴任してその地で亡くなったこと、ききょうが父を1人行かせるべきでなかったと後悔したことに言及されてはいないようです。大石静氏は、そのことを念頭に置いていたのではと思いますが、

人の心はうつろうものだとあっさり言ってのけるまひろ。お別れは寂しいと惜しむさわに対しては、また会えると励ますのでした。
このドラマは意識的に男女間と同性間の関係性を、偏見なく再構築しているように思えます。
女同士はドロドロだとか、薄っぺらいとか、そういう偏見込みで描くフィクションはまだまだ多いものです。


「女同士はドロドロだとか、薄っぺらいとか、そういう偏見込みで描くフィクションはまだまだ多い」
では今までどのような作品が
「女同士はドロドロ」
「女同士は薄っぺらい」
作品であったのか、それを挙げ、どのようなシーンがそうであったのかを書いてください。

「意識的に男女間と同性間の関係性を、偏見なく再構築している」
この場合まひろと惟規、さわそれぞれの関係性であり、どちらも親しい間柄である以上、平等に接しているのは当然かと思います。

それは結局、書き手に男性が多いとか。そういう偏見に迎合するのが賢いと錯覚するとか。そういう古臭い感性でしょう。
紫式部は同性との友情に篤いことがわかります。
彼女が主人公ならば女同士のシスターフッド礼賛はむしろ偏見をとりのぞき、あるべき姿を見せるだけなのだといえます。

何だかごちゃごちゃ書かれているようですが、男性であれば女性に偏見を持つ、そう言いたくて仕方ないようですね。そういう見方こそが、男性に対する偏見でしょう。
そして何もまひろ=紫式部が主人公でなくても、女性同士の友情や信頼は他の大河でも描かれています(昨年の瀬名と於愛もそうだったと言えるでしょう)。

あと
「彼女が主人公ならば女同士のシスターフッド礼賛はむしろ偏見をとりのぞき、あるべき姿を見せるだけなのだといえます」
「彼女が主人公でなければ」シスターフッド礼賛はけしからんとなるのでしょうか。ちょっと都合がよくないですか。

初回のちやは惨殺のインパクトが強烈だった藤原道兼。
道長に対しても常に暴力的でした。
それがこんなにも清らかになって、彼が関白となる姿をもっと見ていたかったと思わせるとは、すごいことでしょう。

「それがこんなにも清らかになって、彼が関白となる姿をもっと見ていたかったと思わせるとは、すごいことでしょう」
もうちょっと書きようがあると思います。
第一この「すごいことでしょう」て、どんなふうに「すごい」のでしょうか。
恐らくこう書きたいのかも知れません。

あの常に父兼家のもとで汚れ仕事を引き受け、本人もそれに対して開き直っていた感がある道兼が、妻と娘に去られて自暴自棄になり、道長に諫められて真人間となって行く。この変貌ぶりの鮮やかさに驚かされます。そして兄を説得して立ち直らせた道長もまた、評価されてしかるべきでしょう。

花山院でもそうでしたが、当時の政治停滞をふまえ、具体性のある改革案をさわりだけでも見せてくるのが巧みだと思えます。
大河でも、綺麗事ばかり言って具体的な政治姿勢が見えない人物はいるものです。

この「花山院でもそうでしたが」は具体的にどういうことですか。
そして政治停滞や具体的改革案と言うより、道隆が己の家庭第一で民を顧みない、疫病が流行ってもほったらかしというわけで、民のために政をするべきと考えた道長からの提案を、道兼は受け入れたのだと思います。

あと「さわりだけでも」とありますが、「さわり」は話の要点の意味で、それ「だけ」を入れて来るのは別に構わないと思うのですが、武者さんの書き方だと、さわりだけでは不十分だが、でもないよりはいいという意味に取れてしまいます。

そして
「大河でも、綺麗事ばかり言って具体的な政治姿勢が見えない人物はいるものです」
例によって嫌いな大河叩きですね。

もう「言われんでもわかっているぞ」と返されそうですが、『青天を衝け』での渋沢栄一の経済政策。
そして『どうする家康』における家康の政治。
どこが優れているのか説明がないに等しかった。
イケメンが綺麗事を並べればいいわけじゃない。
その点、道兼は、道長の救い小屋について賛同するだけでなく、税の減免や荘園制度の改革などについて触れていました。

「説明がないに等しかった」
武者さんがちゃんと観ていないか、でなければ「どういう形で説明されたか」を理解していないかです。

「イケメンが綺麗事を並べればいいわけじゃない」
じゃ今年の公任や伊周がきれいごと、社交辞令を並べるのもダメなのですね。

「その点、道兼は、道長の救い小屋について賛同するだけでなく、税の減免や荘園制度の改革などについて触れていました」
それ、道兼がセリフで、はっきりそのように述べていたからではないでしょうか。

玉置玲央さんはNHK大河ドラマで毎回当たりを引いていると思えて、実に素晴らしいと思います。
彼の力量があってこそできた道兼です。
彼の魅力を引き出すためにこの脚本や演出を作り上げたチーム全体の大勝利でしょう。

仮に玉置さんが適役であっても、嫌いな大河の出演なら、武者さんは「役者の無駄遣い」だ何だと散々に言いそうですね。
そして「チーム全体の大勝利」などとありますが、チームはどこに勝ったのですか?貴方の嫌いな大河の制作チームに勝ったのだと言いたいのですか。

そしてその後また朝ドラ。

◆【テレビ用語の基礎知識】主人公は現代からタイムスリップ?「虎に翼」に違和感 政治的な意図やメッセージ、社会に訴えるためのドラマ使用いかがなものか(→link)
この記事は『虎に翼』のヒロインの口癖を借りて「はて?」としか言いようのないものです。
要するに「ドラマに政治を持ち込むな」ということですが、これは朝ドラではなく、今年と来年の大河から「何を言っているの?」となる話でしょう。

私は今回は観ていないので何とも言えませんが、この記事に書かれているのは
「あまり『政治的な意図やメッセージを社会に訴える』ためにドラマを使うのはどうなのか」
であり、政治そのものを持ち込むなではないと思います。


そして今年の大河も『新楽府』が登場し、政治理念が持ち込まれているだの、『源氏物語』も当時の政治や価値観への批判も滲んでいるだの。現時点でこの大河は、当時の「世相」を描いてはいると思いますが、殊更に「政治」を持ち込んでいるようには見えません。ならば戦国大河とか『鎌倉殿の13人』の方が、もう少し政治にコミットしていると思います。

あと
「『源氏物語』には当時の政治や価値観への批判も滲んでいるとされます」
とありますが、こういうコラムを書くのであれば、せめて『源氏物語』には一応目を通してください。「されます」だと如何にも伝聞的です。

そして上記の記事がよほどお気に召さないようで、
「テレビドラマは娯楽のためだと思う」
という記述に対してでしょう。このようにあります。

むしろ政治理念を込めてこそ、漢詩はよりよいものになるとされてきます。
「漢詩は単純に文字の素晴らしさを味わうためのものなので、楽しませるためだけに作った方がよいと思います」
漢詩鑑賞の上で、そんな風に語ろうものなら「へっ」と鼻で笑われます。

貴方はそうやって、自分が気に入らない作品、自分が気に入らない描写を
「『へっ』と鼻で笑」い続け、
その結果今のこのコラムがあるのだと思います。気に入らない作品から何も学んでおらず、その気に入る入らないも決め打ち、あるいは個人的な好悪(たとえば薩長大河が嫌いとか)で決めているから、いつも同じような、しかもおよそプロの手になるとは思えないコラムしか書けないのだと言いたくなります。

それでも『虎に翼』ほど激烈な叩き記事が出ないのは、今年の大河は白居易などを出してきて、読み解きが面倒だからでしょうか。
おじさま向けメディアの皆さん、そんな体たらくでいいんですかね。

「おじさま」たちに対して、大変な侮辱かつ偏見だと思いますね。そういう人が自分の好きな作品や登場人物を叩かれると「偏見だ」となるのですね。

新札アピール大河の『青天を衝け』は、海外の大河ファンから「こんな露骨なプロパガンダを作っていいのか?」と心配された題材でした。労働運動を敵視して潰す渋沢を大河で礼賛するのはどうか?というワケです。

「海外の大河ファン」
また「マックの女子高生」でしょうか。

あるいは、スポーツに興味関心がないクドカンさんに、強引に政治イベントオリンピック礼賛『いだてん』を書かせたのも一体なんだったのか。
大坂の陣四百周年の年に無理やりねじこまれたような『花燃ゆ』。『真田丸』は大坂の陣401年目放映という、どこか間抜けなタイミングです。そのあとは明治維新150周年にあわせた『西郷どん』。
平成の薩長同盟とでも言いたいこの両作品は『八重の桜』の足元にも及ばず、会津に負けるために作ったのかと思えるほどでした。

まず『いだてん』で描かれたのはオリンピックであり、スポーツではありません。私も最初の方しか観ていませんが、その時点ですでに、喜納治五郎のオリンピック構想が登場していました。
そして『花燃ゆ』は放送の2年ほど前に既に制作が決まっており、ねじ込まれたわけではありません。
そしてこの大河と『西郷どん』は、制作から何からまるで違っており、無理やり薩長同盟呼ばわりするのは牽強付会です。しかもどちらも会津と戦をするシーンは出て来ません。

尚『西郷どん』には、小栗旬さんが坂本龍馬役で出演していましたし、武者さんが今年の大河で褒めまくっている町田啓太さんが、その薩長同盟の立役者的存在ともいえる小松帯刀を演じていました。あの小松帯刀好きでした。

なぜ韓国ドラマがこうも受けているのか?
というと韓国のエンタメは政治批判が当たり前の要素とされているからであり、鈴木亮平さんはこう語ったとされます。
◆鈴木亮平「韓国に20年くらい差をあけられた」の衝撃 関係者が明かした、日本のドラマ現場の惨状とカネの問題(→link)
世相を批判したドラマ『エルピス』で好演した彼らしい発言といえます。

私は韓国ドラマは観ないので、受けているかどうかは知りません。
そしてその鈴木亮平さんのコメントですが、
「我々は日本国内だけに向けて作品を作っていたけど、気がついたら海外、例えばお隣の韓国に20年くらい差をあけられちゃったっていう危機感がある」
とあり、それは、日本のドラマ制作現場について語ったもので、政治批判のことなど話していないのですが。
そして鈴木さんより、大沢たかおさんの方に多くが割かれています。

鈴木亮平「韓国に20年くらい差をあけられた」の衝撃 関係者が明かした、日本のドラマ現場の惨状とカネの問題
(デイリー新潮)

ここ十年だけでもNHK大阪制作朝ドラは、執拗なまでに京阪神大企業と芸能界賛美をテーマにしております。受信料の意義を理解しているのでしょうか。

大阪制作である以上、関西や西日本がメインになるし、その意味で京阪神の企業や関西の芸能シーンが採り上げられるのは、無理からぬことだと思います。また『舞いあがれ!』のように、東大阪の町工場と五島が舞台という朝ドラもありました。

そしてこういうのはお気に召さないのですね。

◆【全文公開】二宮和也、『光る君へ』で「大河ドラマ初出演」の内幕 NHKに告げた「嵐だけは辞めない」(→link)
それをどこまで業界が認識できているのかというと、この上にあげた記事を見ると暗い気持ちにならざるを得ません。
真実かどうかはさておき、この記事は前提がおかしい。
『光る君へ』は視聴率が低迷していて、そこに嵐の二宮さんを起用することで起死回生を狙うという、実在も定かではないNHK関係者の声が出ています。


正直言って、リアルタイム視聴率は高くないと思います。前回はGWというせいもあったのでしょうか、10パーセントを割り込んで9.4パーセントとなっています。無論配信で観ている人もいるでしょうし、それは昨年も同じだったようです。

そして
「実在も定かではないNHK関係者の声が出ています」
この少し前に武者さんは
「『青天を衝け』は、海外の大河ファンから『こんな露骨なプロパガンダを作っていいのか?』と心配された題材でした」
嫌いな作品であれば、こういう「マックの女子高生」構文を持って来て叩きたがるのに、好きな作品に同じことをされるのは嫌なのですね。

今年の視聴率低迷は題材からしてNHKは覚悟の上でしょう。
2023年、鉄板の題材である徳川家康を主役とし、嵐の一員が主演であった大河ドラマは歴代ワースト2を記録しました。忘れたとは思えません。

これも好きな大河なら「題材からしてNHKは覚悟の上」
嫌いな大河なら「嵐の一員が主演であった大河ドラマは歴代ワースト2」
でも今年も「嵐の一員」が出演する大河となりました。
そしてどのスタッフも、リアルタイム視聴率はともかく、視聴者が減ることを望んではいないはずだと思いますが。

ジャニーズが大河において起爆剤にならないことを一年かけて証明したとも言えるでしょう。
一度失敗した手段に二度頼るほど、NHK大河チームは無能でないと思いたい。
問題はこういう明らかにおかしい記事を、PV稼ぎのために書き回してしまう業界そのものにあると思う次第です。

ドラマ関係者が誰であるかはさておき、マスコミらしい誇張もないとは言えませんが、記事は極端に間違った内容ではないと思います。
そして二宮さんにオファーを出したのも、NHKの制作サイドです。それは昨年の松本さん同様、何か期するものもあってのことではないでしょうか。
記事がおかしいと言うより、武者さんがこの記事を受け入れたくないだけではないかと思われます。

「佞言は忠に似たり」と言います。
へつらいの言葉は、熱烈な忠誠心じみた響きを持つ。
ファン心理にこびへつらってアクセス稼ぎを狙うような記事は、邪悪なものだと私は思います。

ここの部分で、急に昨年に戻ってしまいましたね(苦笑)。


飲み物-ブランデーグラスのビール
[ 2024/05/12 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(-)

『光る君へ』第18回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-1

第18回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。
順番が前後しますが、3ページ目のこの記述から行きたいと思います。

帝は、夜になると、定子に「嫌いにならないでくれ」と訴えます。嫌いになどなれないと返す定子。
「そなたがいなければ生きられぬ。許してくれ。そばにいてくれ」
そう定子を抱き寄せる帝。なんて悲しい愛なのでしょうか。

武者さんはこう書いていますが、こちらも「悲しい愛」(哀しいの方が正しいでしょうか)であるはずの、昨年の秀頼と千姫の別れについて、武者さんはこのように書いています。

そんな千姫まで洗脳宣言じみたことを言い出しました。
秀頼は棒読みで何かしゃべっている。大坂城が落ちる場面で、ここまで空虚なセリフと演出とは……。

ここで千姫が秀頼の手を取る。
マザーセナ&家康といい、何度このポーズを使い回すつもりなのでしょう。ロマンチックなポーズはいつも同じ。

ここのシーンですが、千姫は秀頼と共にいたいと言う、しかし秀頼はそれを突っぱねているわけですね。豊臣の人間として散りたいと思っているわけですが、そういう描写ははなから見ようとしていませんね。

どうする家康第48回秀頼と千姫の別れ
『どうする家康』第48回

そして帝が苦肉の策の決断を下したのは、詮子が道長を強く推したせいもあったからなのですが、そういう場合無武者さんは「小馬鹿にするBBA枠、実母だろうがうぜえw」とは書かないのでしょうか。昨年のコラムのこの部分、もう一度貼っておきます。

どうする家康47コラムの女性観3

お土産は「変わった味のする唐の酒」とのこと。
宋代に造られ始めたという「白酒」です。まだ本場でも珍しい品をよくぞ手に入れました。

説明がされていないのでここで書いておきますが、この「白酒」(パイジウ、パイチュウ)は蒸留酒の一種で、もちろんひな祭りの白酒とも、また白酒と表記される神酒とも異なっています。

2023年に放送されたドラマ『パリピ孔明』で、オーナー小林が「昔の酒は弱い」と孔明に問いかけていました。
孔明が生きた三国時代は醸造酒でも、宋代になると蒸留酒である白酒ができてくる。日本で焼酎ができるのはまだまだ先のこととなります。

また『パリピ孔明』ですか。別に直接関係ないのであれば、わざわざ持ち出さなくてもいいかと思いますが。
そして『本草綱目』によれば、蒸留酒作りが始まったのは元代であるという説もあります。ただしその蒸留酒は「焼酒」という名前になっています。

中国における白酒産業の動向と白酒文化
(P17~18、元代、宋代そして唐代それぞれの時代の説に言及)
(熊本学園大学)

また日本での蒸留酒作りは、戦国時代にシャム(タイ)から蒸留酒が持ち込まれたという説があります。この説は上記論文での、宋代に於ける蒸留酒の始まりと共通しています。

まひろは打てば響くいい女になった。歳を重ねて色香を増した。
なんなんでしょう、この、宣孝の圧倒的なスケベ感は!
女性を酔いつぶして不届な行為をはたらくものは論外としまして。同意のうえで酒を少し飲ませ、頬に血の気がのぼる様を楽しむのは、粋な男という感があります。

武者さんはやけにスケベ感と騒いでいますが、この場合は酒を飲ませて紅潮するのを楽しむのみならず、まひろが戦の前に己を鼓舞する酒であると言ったのを受けて、会話のやり取りが大人になったと宣孝が喜んだ、そういう意味もあるのではないでしょうか。

唐代は、科挙はあっても、まだ貴族制度が残っていました。
明代以降はテクニック重視となり、多様性が失われ、弊害も大きいとされます。
その点、宋代はバランスがよく、この時代は官僚のレベルが高いとされます。宋代政治は日本でもお手本とされたものです。

そのそれぞれの時代の科挙の違い、また宋代政治はどのような形で日本でもお手本とされたのか、ここで具体的に書いて貰えないでしょうか。

為時は色気から話を逸らしたいのかどうか、太宰府の魚の話をします。
(中略)
まひろは太宰府から宋の距離を聞きます。

前にも同じミスがありましたが、この場合は「太宰府」ではなく「大宰府」ですね。もちろん字幕もそうなっています。

まひろが行く気になるからやめてくれと為時が言うと、ならばわしが一緒に行く、商いもできると微笑む宣孝。
為時は「その気になったら困る」と返すしかありません。
このシーンからは、宣孝とまひろの距離が縮まるだけでなく、別の影も見えてきます。
かつて直秀と旅立つことを夢見たまひろ――今度は宋へ旅立つことを、別の誰かと考えてしまうのではないでしょうか。

この場合の為時ですが、「別の誰か」云々より、すばりまひろが宣孝と共に宋へ行く、そのことを案じているのではないでしょうか。そもそも武者さんが言う「別の影」とは誰ですか、道長ですか?しかし道長はもっと若い頃ならともかく、最早まひろと宋へ逃避行できるような立場ではありませんよね。

そして継承関連で、

継承順位について兄弟と父子を絡めると混乱するのは世の常。伊周と道長のように、甥と叔父が対立しかねません。
この対立パターンは例えば『鎌倉殿の13人』にもありました。
和田義盛の父・杉本義宗は、三浦義明の嫡男でした。

と書かれ、本来は彼が三浦を継ぐはずだったが亡くなり、弟の三浦義澄が当主となったとあります。そこまではまあわかりますが、平安貴族でなく坂東武者同士の対立が血生臭い惨劇となることは、ドラマで描かれた通りと、いささか飛躍した表現となっています。
武者さんが、ここで何を問題視しているのかちょっと不明です。三浦義明の死後義澄、さらにその死後義村が当主となり、その義村が義盛と刃を交えたことを言いたいのでしょうか。
しかし今回「戦」はないけれど、この関白職を巡る動きは「戦」との類似性を感じさせます。

時代がくだると兄の血統を重視し、叔父は当主を継承しないことが成立してゆきます。

この場合も、本来は伊周のはずだったわけです。道長自身も当初その意志はなかったようですが、中関白家に対抗心を持つ詮子が間に入って、伊周では駄目だから道長でなければと考え、ついには我が子である帝をも動かす作戦に出たこともあって、道長にお鉢が回って来たのですね。

そしてその後、日本では戦国時代には当主の弟である叔父でなく、その息子が継ぐようになっている、『麒麟がくる』の明智光秀と光安、『どうする家康』の本多忠勝と忠真がそうだと書かれています。武者さんがネガティブな意味でなしに『どうする家康』を引き合いに出すのは、珍しいですね。

あとここの一連の継承関連の記述、「叔父と甥の対決」となっていたり、「兄の血統を重視し、叔父は当主を継承しない」とあったりで、それぞれの関係の表記に統一性がなく、紛らわしく感じられます。
今回の場合は、道隆の「息子」である伊周と「弟」である道長が対立することになり、伊周に取って父の弟、つまり叔父である道長が実権を握ったわけですね。こういうのはわかりやすい形でお願いします。

そして道兼は、関白就任の慶賀奏上のため清涼殿へ向かいます。
しかし、そのとき、ふっと力が抜けたように倒れ込んでしまう。
音が消えて無くなり、静寂の中、道長が道兼を抱き抱える姿が見えます。露骨に喜びを見せる伊周の顔も映る。そういうところが人望のなさに繋がるのですが、本人も気付いていないのでしょう。

「しかし、そのとき」とありますが、道兼は奏上を終わって立ち上がり、その後に倒れています。「そのとき」では奏上前という可能性もあるので、こういうのはきちんと書いてください。そして倒れ込んだのは、もちろん体調がよくなかったせいもあるでしょう。その前から少しふらついていましたし。

あと
「露骨に喜びを見せる伊周」
伊周は喜んでいるでしょうか?倒れた道兼と、駆け寄る道長を見つめてはいましたが。内心俺の出番が来たと思ってはいたかも知れません。

飲み物-マグに注がれたビール
[ 2024/05/09 03:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(-)

第17回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

それでは今週も、たけたけさんのnote記事からいくつかご紹介します。いつも通り、ダークブルーの文字が、武者さんのコラムからの引用部分です。

そして今週末の大河関連投稿ですが、いつもより1日程度遅れるかも知れないことを、ここでお断わりしておきます。


大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第17回~

悲田院で疫病に伝染したのか、意識を失ってしまったまひろ。

まずここでは、広範囲で人から人へ、接触または媒介によって感染して行く感染症が「伝染病」であること、まひろの場合は他の人に伝染させたとは言えず、「疫病に感染し発病した」という状態が正確ではないかと指摘されています。また感染者に農耕接触しても、必ずしも発症するわけではなく、感染症状が現れていないのを「不顕性感染」と呼ぶと付け加えられています。

この不顕性感染、無症状感染とも言われるようです。感染しているのに症状が出ないため、無意識のうちに病原体を広げてしまうこともあり、この病原体を広げる個体をキャリアと呼んでいます。

これまで疫病が内裏に及んだことはない、放っておけばよいとそっけない道長。
救い小屋なぞ設けなくてよいと突っぱねます。

『放っておけばいずれ収まる』と言ったのは道長卿ではなく道隆卿です。

こう書かれています。ドラマをきちんと観ていればわかることなのですけどね。

なお、民衆を救済しないのは、この時代の日本史が持つ特徴ともいえます。
中国史の場合、困り果てた民衆を放置すると、反乱が起きます。
(中略)
特に宗教勢力は求心力がありまして、『三国志』ファンならおなじみ「黄巾の乱」は、宗教勢力の蜂起です。

この黄巾の乱、張角が唱えた太平道(道教系の新興宗教)により起こった農民反乱で、後漢末期の184年に起こっているとたけたけさんの記事にはあります。そして、日本の平安時代とは宗教観や時代背景が違うともあり、「中国史マウントのために引用したのでしょうか」とも言われています。

条件が全く異なる事柄を比較対象に持ってくるのは、このコラムでは珍しくありませんが、「民衆を救済しない」と決めつけるのもおかしいし(道長は救済するつもりでいるので)、そしてこの記事にあるように、疫病大流行と宗教集団に率いられた反乱とでは、条件がかなり異なっています。

では、民衆の救済は歴史的にいつ始まったのか?
というと大河ドラマ『鎌倉殿の13人』最終盤で示されています

民衆の救済ですが、こちらでは
「『悲田院』は仏教思想にもとづき貧窮者や孤児らを住まわせて養う施設で、我が国最古の福祉施設といわれています。
『悲田』とは慈悲の心で哀れむべき貧窮病者などに施せば福を生み出す田となるという意味です」
と、悲田院についての説明がまずあり、養老7(723)年に大和国興福寺(山階寺)に創建されたのが、史料で確認できる初めての例であること、その後天平2(730)年に、仏教に帰依した聖武天皇の后である光明皇后により、悲田院と施薬院が設けられたとあります。

そして平安遷都後は平安京の東西に悲田院が設けられたものの、困窮するようになります(藤原実資が何度か施しをしている)。光明皇后は藤原氏(藤原不比等の娘)であり、だからこそ道隆は子孫として、徳を積むためにも悲田院による疫病対策を疎かにするべきではなかったとも書かれています。

確かに『鎌倉殿の13人』でも民衆の救済はありますが、その歴史が始まったのは悲田院と言えるでしょう。

倫子は前回、まひろの看病をした夫のことを勘付いていました。
けれども何をしようにも、これほどの財産があるならば夫は頭を下げてくる。

これに関しても、倫子が道長の疫病対策として、民のためのお救い小屋を私財を投じて建設したいので、その民のための政を信じ、彼女自身が相続している私財を使ってくれと申し出たと説明されています。そして、まひろへの牽制や道長へのマウントのための私財提供ではないとも書かれています。

ここでどうも気になるのが、武者さんはただ倫子がまひろに対抗するため、そして私はこんなに財産を持っているのよとひけらかしたいがために、私財提供を申し出たと思っているのではないかということです。

まひろが『荘子』を書写しています。

まず
「『『荘子』を書写しています。』と言うだけで具体的にその内容を解説する気はないのでしょうか」
とあり、『胡蝶之夢』であることが指摘されています。加えて、

またここでは書物を読むだけで書写はしていません。

とも指摘されています。
書写しているのは、さわが訪ねて来た時ですからね。
尚この『胡蝶之夢』についての荘子の言葉に関して、夢の中で胡蝶として飛んでいて目が覚めたが、自分は蝶になった夢を見ていたのか、それとも実は夢で見た蝶こそが本来の自分であり、今の自分は蝶が見ている夢であるのかと説話であると説明されています。
しかし『胡蝶之夢』と言えば、司馬遼太郎氏の『胡蝶の夢』を思い出しますね。

それから劇伴についてですが、

ギターの情熱的な調べが響いています。
今年は劇伴がドラマチックで美しい。

たけたけさん曰く、これが嫌いな作品ならば、
和楽器の楽曲、あるいはピアノソロについても「ニコライ・バーグマンのボックスフラワーオルゴールにとても似合いそうな曲調」
「和風でもなく、オシャレなカフェのメニューにあったら似合いそうなアニメ」
「戦国時代の日本が舞台で、スカンジナビア風味を持ち込まれても私には意味がわからない」
と酷評するのではないでしょうかとのことで、大いにうなずけます。

実際今年も、ピアノソロはよく登場していますね。でも「ピアノがピロピロ」とは書かないのですね。

そして藤原斉信とききょう(清少納言)の関係について。

これぞ恋愛の達人といったところでしょうか。

この2人の関係ですが、斉信の手がききょうの懐に入っているにもかかわらず、「セクハラ」だの「フェチシズム」だの、はたまた「お色気要因・ムフフ要素」と言った言及が全くないという指摘がまずあります。
一方『どうする家康』では、

人質交換で川をわたるため、おんぶ紐で幼い我が子を背負った母親(瀬名)をみてフェチシズムを感じる
くノ一(歩き巫女?)を見てお色気要因・ムフフ要素と言っている
今川氏真の家康に対する見せしめのため、(瀬名を)妾扱いという、人間としての尊厳の破壊行為を、『夜伽役』と言うサービス狙いと言っている

こういう点がまず指摘され、さらに政略結婚による正室または継室、正室主導で選ばれ、公的に認められた側室と、そうでないお万さんの様な愛妾の違いを描いているにもかかわらず、
「発想が性犯罪者、フェチを感じさせる」と
女性を性的対象物としか思っていない発言をしていた点についても触れられています。

また『枕草子』の斉信のストーキング、行成との優雅な恋の戯れとある部分に触れ、その箇所の記述を具体的に示してほしいと言われています。
武者さん、出典をきちんと書こうとしませんからね。

この公卿たちは道長が悲田院に向かい、まひろを看病したと知ったらどう思うことでしょう?
実資だけは目を見開いて、見直すかもしれませんね。

藤原朝光が亡くなったことについての情報が広がり、身近な恐怖として迫ってきたことに対し、恐怖を感じたり、そのため出仕を渋って物忌みをしたがったり、疫病対策の不備を為政者のせいにしたりする公卿の様子は、未知の疫病に対する反応であり、これはコロナ禍でも同様だったとたけたけさんは書いています。そして、穢れに触れることを憚る貴族は、積極的に悲田院に向かい道兼、道長をあまりよく思わないのではないか、だからこそ道長も表立って言わないのだろうと武者さんに異議を唱えています。

この時道綱や惟仲は、疫病が長引くことを懸念しています。彼らに取っては恐怖以外の何物でもないのに、道長が悲田院に行ったなどと言えば、如何に実資でも「見直す」でしょうか。

道隆はなおも伊周を関白にするようにと願っており、源俊賢にも頼んでいます。
さらには這いずるようにして、帝にも伊周を関白にするようにと頼みに行こうとして止められています。

病が進行して、歩くのもままならなくなった道隆が、帝の御座所の御簾を上げて関白職譲渡の許可を迫るシーンですが、状況説明を省き過ぎとたけたけさん。
これに関しては『小右記』長徳元年正月五日条に、
「きょう関白(藤原道隆)は御簾(みす)の中に伺候(しこう)していた。病悩しているところが堪え難いからであろうか。ときどきこのような事があった。奇怪に思った」
とあること、こういう道隆の乱行があったことに言及されています。源俊賢に頼むと言うより、俊賢は道隆を止めようとしており、ついに道隆がその場から連れ出される際、伊周を関白にと尚も口にしていたのですね。

そしてファンアートに関することとして。

印刷が普及して、わざわざ『源氏物語』を筆写する人は減ったとは思います。
けれども、SNSでこのドラマの感想をつぶやき、ファンアートを投稿することも、伝統的と言えるのかもしれません。
何かを見て、自分の頭でそのことを考え、書き出す
世の中がどれだけ変わろうが、人の気持ちには変わらないものもあるでしょう。

この、昨年と比べると豹変したかのような武者さんの文章について、たけたけさんは「第15回コラムでも書きましたが」と前置きしたうえでこう書いています(原文ママ)。

嫌いな作品では視聴者によるファンアートやSNSでの盛り上がりを敵視し、『一部のファンが投稿を執拗に繰り返し、ときには複数のアカウントを使い、偏った“民意”が形成されることがあり、それが制作サイドに伝播することを危惧していました。』とさも視聴者が盛り上がる事を気に入らない悪い事のように吹聴していましたが。

また(昨年でも)作品を見て自分の頭でそのことを考え、書き出したり語り合っていたりしていたことをも、エコーチェンバーとばかりに叩いていたのは何見氏(=武者さん)ではないかと書かれています。

そして以下の箇所、部分的にですがご紹介しておきます。まず伊周が通う三の君です。

こういう姫君は、貴公子がちょっと手出しするには、ガードが緩くて身分が高くてお買い得。
そんな半額シールが貼られた惣菜のような扱いにまで落ちてしまいます。

これについてたけたけさんは「馬鹿にし過ぎ」と明言しています。
またその前の、父の死後「困窮してしまう」も同様で、兄弟である誠宣は頭中将であり、斉信は当然ながら中宮定子のサロンに出入りしているともあります(出典、『枕草子』156段、157段)

女性を物扱いという視点に加え、例えが如何にも安っぽいと思われます。昨年の家康の草履を「ホームセンターの草履」などとしたのと結局は同じでしょう。

それから『ゲーム・オブ・スローンズ』との比較。

2010年代世界的大ヒットドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』には対照的な戦いがあります。
五人の王が戦う「五王の戦い」と、二人の女王が最終決戦に挑む「女王の戦い」です。

もちろんこれも、平安時代が舞台のドラマに『ゲーム・オブ・スローンズ』は必要なのか、それなら別記事で語ってはどうかとあります。

また『御堂関白記』に関する、道長をディスった記述に関して、

道綱卿にも言える事ですが、何見氏は気に入らない歴史上の人物を蔑み見下して嘲笑うために古典を読んでいるのでしょうか。

とも書かれています。

国際的に中世を描くならば理不尽さや暴力性は欠かせない要素とされます。

武者さんまた「中世」ですか。無論たけたけさんはこう書いています。

日本史時代区分では平安時代は中世ではなく『古代』です。
大和朝廷が成立し律令などの法を基盤とした天皇中心の国家が成立した時期といえるでしょうか。

大河ドラマは「主人公を持ち上げるために周囲を貶める作劇手法がある」と指摘されます。
典型例が昨年ですが、こちらの記事でもご参照ください。
反対に主人公側は無理矢理ロンダリングする手法もあります。
幕府崩壊過程において、慶喜をいい人扱いする『青天を衝け』は一体なんだったのか。

これに関しても、たけたけさんから、最初から自分が嫌いで叩く事を大前提に、それらしい週刊誌記事を引用していること、嫌いな作品は、主人公側をロンダリングしているに違いないと恣意的に論じているに過ぎないこと、また私怨もあり、『どうする家康』を「穢れ」と言っていたことを指摘されています。
わざわざ嫌いなものを叩きにこなくてもいいし、その叩き棒に『光る君へ』を使っているだけで、この項目自体蛇足ですともあります。
叩き前提でそれを指示する記事を引用するのは、以前から書いていますが、確証バイアスかと思われますね。

ここでもう一度、以前ご紹介した『あなたの好きな作品はテコでも叩き棒でもない』から、この箇所を引用させていただきます。

あと、これもよくあることなんですけど、「自分の好きなもののライバルへのアンチ活動」って、人間すごくハマりやすいんですよ。マイナスの意見の方がモチベーションが生まれやすいというか、ファン活動より実があったりしますからね。その実が美しいかどうかは別として。

あらかじめ「ボーイズクラブ」に適応するかどうかで、褒めるか貶すか決めておく。そうやって風を吹かせることでドラマ評価も決するようにする。
そんなことをしても本質には何の影響もないどころか、むしろ悪化するばかりかと思います。

この箇所、「ボーイズクラブ」ではなく「ポリコレやジェンダー」に変えると、そのまま何見氏にブーメランで返ってくると思われること、そして褒めるか貶すか決めておき、そうやって風を吹かせることでドラマ評価も決する、そのようにしているのは武者さんの論評の特徴と、ずばりと言われています。

私も同じようなことを関連投稿で書いていますが、恐らくこのコラムのこの箇所を見た人の大部分も、同じことを考えるのではないでしょうか。


飲み物-ビールと夜景
[ 2024/05/04 02:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第17回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-3

第17回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。

道隆は、いますぐ約束していただきたい、ここで決めて欲しいと訴えるものの、帝は道隆を下がらせます。
道隆はやはり、政治力は鈍いようです。力押ししかできません。
思えば定子のサロンを華やかにして、公卿の心を掴む計画は、道隆ではなく貴子のものでした。

「皇子を産め! 早く皇子を産め!」
錯乱した道隆が定子のもとへ。定子こそ唯一無二の妃だ。他の姫は入内するかもしれないのに、何をしているのかと訴えます。
(中略)
歴史上の人物にはハズレ値を出す人がいるので誤解されがちですが、いくら若いうちに結婚しようが、子が簡単にできるわけでもありません。

「迂直の計」という概念がありまして、まっすぐに力押しするよりも、根回しした方が目的を達成できることがあります。
同じきょうだいでも詮子はそれができるのに、道隆はできない。

いずれの場合も、道隆が余命いくばくもないであろうことから、このような行動に出たかと取るべきかとも思われます。
まだ健康な時は、もう少し強かな姿勢を取っており、実資はそれを不満に感じていました。無論その強かな姿勢も、兼家の嫡男であること、定子を入内させたことなどに裏打ちされていたとも言えますが。

そして妃でなく后であり、
「他の姫は入内するかもしれないのに」
ではなく、
「他の姫の入内も拒んでおるのに」
ですね。

それと「迂直の計」ですが、元々は遠回りして相手を欺き、その隙に攻めたてることを言います。ですからこの場合、まっすぐに力推しせずに根回しするというのとは、ちょっと意味が異なるのではないでしょうか。

実資のようにやる気があり、かつ有職故実に詳しく、カリスマもある公卿は使い道があったはずです。
例えばスポークスパーソンになれる。
道隆は実資を抱き込むようなことはできなかったものでしょうか。言っても仕方ないことですが。
ちなみに実資は、アホのくせに出世が早い道綱が嫌いです。

「スポークスパーソン」などと書いていますが、時代は平安時代です。要は広報担当者のことですが、この時代だと代弁者でしょうか。しかしこの当時、そのような役職が存在したのでしょうか。
そして道隆と実資は元々反発し合っています。抱き込むというのは、どのような形で抱き込むのでしょうか。
さらに
「アホのくせに出世が早い道綱」
この書き方もちょっとないでしょうね。
人がよくて調子がいいところはありますが。

それから、

もうひとつ、道隆には重要な役目があります。
男性の政治力が低いと、女性が補うというひとつのモデルを示したということです。

とあり、漢詩の会からプロデューサーは貴子だった、そして定子は母譲りのしたたかな知略がある、詮子は政治力と策謀がある、倫子も侮ってはならないなどなど。で、道長とまひろの今後も示唆しているとか何とか。
道隆が政治力が低いかどうかはともかく(前でも書きましたが、父親ほど策士ではありませんが)、ここの女性たちは皆、それなりに地位も財力もあるわけですし、ならば何らかの形で政に加わることは可能でしょう。

そして

この道隆と貴子の関係は、道長とまひろの今後も示唆しています。

とあり、

道長はお勉強が苦手であることは、日記『御堂関白記』から推察できます。
解説者がつっこみたくなるのがこの日記でして。
「この日は事件があったでしょう、天気だけでなく、もっとちゃんと書くことがあるでしょう!」
「文法が無茶苦茶です。ちゃんと勉強しましたか?」
「馬をもらったことはしっかり書いているね。馬が好きなのはわかったけどさ」

まず『御堂関白記』のどの部分に突っ込みたくなるのか、それをはっきりさせてほしいです。
相変わらずですが出典を書こうとしませんね。
さらに
「文法が無茶苦茶です。ちゃんと勉強しましたか?」
失礼ながら、同じ言葉を武者さんにそのままお返ししたいです。
日本語として意味が通じない部分が時々ありますので。

そしてまたも、しかも武者さんが昨年あれほど「穢れ」だ何だと書いていたにもかかわらず、また『どうする家康』叩きでリンクがやたらに貼られています。『青天を衝け』しかりです。

大河ドラマは「主人公を持ち上げるために周囲を貶める作劇手法がある」と指摘されます。
典型例が昨年ですが、こちらの記事でもご参照ください。
◆善と悪が分かりやすい『どうする家康』 淀君はなぜ魔物のような悪として描かれるのか(→link)
◆ムロツヨシの秀吉はどうしてあんなイヤなヤツなのか 『どうする家康』が隠そうとしない「強い悪意」(→link)

反対に主人公側は無理矢理ロンダリングする手法もあります。
幕府崩壊過程において、慶喜をいい人扱いする『青天を衝け』は一体なんだったのか。

なぜ自分が嫌いだ、穢れだと言っていたにもかかわらず、ここでしつこく引っ張り出して叩きまくるのか不可解です。しかも、放送は既に終わっているのですが。
そして好きな作品は褒めるという、例によって例の如くのパターンです。

『麒麟がくる』の織田信長はどこかずれていたものの、彼を初めてみた光秀は、純粋性を見出しました。
『鎌倉殿の13人』の北条義時にせよ、その父の時政にせよ、はじめは伊豆の田舎の人のよいお兄ちゃんとおじさんでした。
どちらも権力に近づくことで、どす黒くなり、呑まれてゆく――『光る君へ』も、道隆と道兼の描き方からそうだとわかります。

権力に近づくことでどす黒くなる、もっと言えば権謀術数を身につけて行くのは、何も武者さんが好きな大河だけではありません。恐らく、自分が好きな大河の描写しか見ようとしていないのでしょう。

では道長はどうか?
(中略)
道長は、良くも悪くも、確固たる思想や基盤もないように思えます。
まひろと誓って善政を目指すことは素晴らしいようで、実資や公任とは違います。
実資は有職故実の達人です。
公任は「貞観の治」を掲げ、『孟子』を読みこなしています。
そうした教養なり知性の裏付けがない、誰かへの愛情だけだと案外人間は脆いのです。

道長は、まひろへの愛情だけで政に臨んでいるでしょうか。
自らの理想とするものと、まひろの理想とが一致するところがあるからではないでしょうか。さらに
「案外人間は脆いのです」
とありますが、実際の彼はその後権力者となり、娘たちを入内させていて、その当時の成功者となっているのですけどね。

『鎌倉殿の13人』の義時は、頼朝から学んだ謀略を駆使します。
とはいえ、民を思いやる政治改革に乗り出すのは『貞観政要』を熟読していた泰時の代から。

前にも書いていますが、民を思いやるという概念は既に奈良時代には存在しています。
武者さんが、泰時を理想化したくて仕方ないのはわかりますが、その前の時代はまだ武家政権の黎明期で、権謀術数を尽くす必要がありました。戦国→安土桃山→江戸といくらか似たものがあります。

どこかで道長が折れたとき、まひろが自らが漢籍講義をしていた彰子とともに反旗を翻すのであれば、見どころは十分にあります。
どうして今まで紫式部で大河ドラマを作らなかったのか。
それとも時代が進んだからこそできる作品なのか。
毎週新たな驚きがあります。

武者さん、別に制作スタッフではありませんよね。
貴方はこの先の展開を決める立場にはないはずです。
貴方がやるべきは、前回放送された内容をわかりやすく説明し、それにはどういう意味があるのか、それを客観的に論じることだと思いますが。
それができないのなら、個人ブログでやってください(そちらの方がいいとは思いますが)。

『光る君へ』はもっとバッシング記事が多いかと予想していたのですが、幸いなことにそうでもないようです。
平安時代が舞台であり、合戦もないにもかかわらず視聴率は2桁を割らない。手堅くまとめてきているのだと思います。

一般的なメディアには、そうバッシング記事はありません。これは昨年も同じです。
ただ昨年の場合、主に武者さんが週刊文春だの日刊ゲンダイだのの「ジャニーズ叩き」の記事リンクを貼りまくってはいましたが。

そしてやけに「合戦がない」と書いているようですが、その代わり政変があります。これも前に書いています。要はこの政変が合戦の代役を果たしていると言えるし、制作サイドも、どこにそれを持ってくるかを念頭に置いているのではないでしょうか。そろそろ長徳の変となりそうですね。

あとあれだけ視聴率は古いと言っていたのに、なぜリアタイ視聴率にこだわっているのでしょうか。

その後、

ここで、大河ドラマと合戦についての悲しい話に触れておきたいと思います。

とあり、今度は中国の作家の朝鮮出兵ドラマ(唐入りですね)が放送されるのどうの。そしてまたも

このことを海外の友人と語っていて、日本目線の朝鮮出兵がどうにも消化不良だとこぼしたところ、
「大河がお粗末すぎるんだよね」
と指摘されました。

これは満を持して登場した『SHOGUN』への反応でも感じているところです。
あれを見た日本史ファンからは「当時の日本人はもっと高潔で道徳心があった」とぼやく意見がありました。

スタジオ撮影と顔芸でチマチマやられてもそうなるのでしょう。結果、海外の日本史ファンからも期待されていない状況に陥っています。

『光る君へ』についていえば、打毱やかな書道、女性文人の活躍といった要素が海外からも受けています。

その「海外の友人」「日本史ファン」や、「『光る君へ』がどういう人たちに受けているのか」の裏付けをちゃんと出して貰えませんか。また「マックの女子高生」ですか?

そしてまたも「中世」。

国際的に中世を描くならば理不尽さや暴力性は欠かせない要素とされます。

平安時代は古代です。まず日本史の勉強をやり直してほしいですね。

で、この後は例によって朝ドラを持ち出してジェンダー論の展開。そういうの、別のコラムでやって貰えませんか。やはり5ページ分を貰うと、最後の方は大河とさほど関係ないにも関わらず、結びつけたがってしまうようですね。
あとここもちょっとわからないのですが。

そんな『虎に翼』は概ね好評のようで、バッシング記事もあります。

「そんな『虎に翼』は概ね好評のようですが、中にはバッシング記事もあります」
ではないでしょうか。
しかし武者さん、自分が好きな作品へのバッシング記事に、多くの突っ込みが入るのには喜ぶのに、その逆のケース、たとえば『どうする家康』『ブギウギ』などで同じことがあると、駄作へのバッシング記事は正しい、突っ込むなとなりそうです。

こういうのもあります。朝ドラに文句を言うおじさんがおかしいと言っているわけですが、

なぜ、森羅万象が俺様向けでないとヘソをまげるのでしょう?

ブーメランにしか見えませんね。
武者さんが嫌いな大河、朝ドラを叩きまくる文章を見て、同じことを思ったその番組のファンも多いことでしょう。
そしてまた「ボーイズクラブ」なる言葉を持って来ています。

出来が悪いわりにメディアでは好評意見が目立った昨年大河は、こうした中高年男性へのサービス要素が多かった。
ボーイズクラブ御用達として、褒める記事が探れるのでは? と、検索してみた結果が以下の通りです。

とあり、これもまた以前見たような記事のリンクが5本貼られていて

あらかじめ「ボーイズクラブ」に適応するかどうかで、褒めるか貶すか決めておく。そうやって風を吹かせることでドラマ評価も決するようにする。

これもブーメランに見えます。
武者さんの場合、自らが主張するジェンダー論やポリコレに適応するかどうかで、褒めるか貶すか決めているように見えて仕方ないのですけど。

そんなことをしても本質には何の影響もないどころか、むしろ悪化するばかりかと思います。
今年はそんな風を呼ぶ動きまで絶って欲しいところです。
大河ドラマが時代遅れの象徴と化してゆく様は全く嬉しくないのです。

だったら武者さんも、決め打ちで大河や朝ドラを評価するのはやめてはどうでしょうか。

あと、前出の「男性の政治力が低いと、女性が補う」ですが、彼女たちの存在は摂関政治という、娘を入内させて帝の外戚となり、権力を握る体制と無縁ではないと思います。ただ武者さんが、そういう点について何か考察したのか、生憎それを目にしたことがありません。

それと桜のつぼみが花開き、葉桜となることで時間の経過が表されているのにそれも言及無し。そして最後の蝶が飛ぶのは、まひろが書き写していた「胡蝶ノ夢」と関係ありそうですが、それへの指摘もありませんね。

それから全く余談ですが、道隆の糖尿病。
『はたらく細胞BLACK』で、白血球と赤血球たちのいる体が糖尿病となり、インスリンを作り出す多くのβ(ベータ)細胞がオーバーワークで自殺してしまう場面がありました。
道隆の体内でも、あれと同じことが起こっていたのですね。


飲み物-ワインのデキャンタとグラス


[ 2024/05/03 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(-)

『光る君へ』第17回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第17回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。


まひろが『荘子』を書写しています。
漢籍の書き方と、かな文字の違いに注目したいところです。
漢字書道とかな書道は別物。
現在の学校教育で習う書道は漢字書道となります。
吉高由里子さんは左利きで、右手で筆を持つとかえって力が抜けてよいのだとか。

まずここのところ、為時がまひろに道長のことを尋ねようとするのですが、この時のまひろは『荘子』を読んではいますが書き写してはいません。書き写しているのは、後でさわがやって来た時ですね。
そして漢字書道とかな書道は別とあるのに、どのように違うのかが書かれていません。なお下記サイトによれば、細字の毛筆で書く書道のことで、ハガキや和歌を書くのに適しているとあります。筆遣いについても書かれています。

「かな書道」とは?コツがわかれば初心者でもうまく書ける!
(書道研究尚美堂)

とぼとぼ部屋へ戻ろうとすると、いとが引っ張って「あれは絶対に何かある!」と迫ります。女の私にはわかるのだとか。
「姫様と大納言様は間違いない! 私の目に狂いはない!」
と、大興奮しているいと。これは倫子も女の勘で道長とまひろの関係を見抜くという前振りでしょうか。

この前の回で、いとは道長がまひろを抱きかかえていたのを見ており、そのせいもあって、この2人はただならぬ関係ではないかと思ったのではないでしょうか。そして倫子はもう気づいているかと思いますが、ただ軽々しく表に出したりはしないでしょう。

一方、道長は、まひろの様子を見てくれと百舌彦に頼んでいます。
抵抗するも、断固として道長に命じられてしまう百舌彦。

道長は「断固として」と言うより、百舌彦が渋っているのに、頼んだぞと一言口にして行ってしまうのですね。

百舌彦も悲田院で助けてくれたのか?というと、相手はシラを切ります。
「ありがとう」
丁寧にお礼を言うまひろ、戸惑う百舌彦。しらを切り、ほっつき歩いていたら乙丸に会っただけだと言います。

ここのところ、「シラを切ります」「しらを切り」と同じような表現が2回出て来ますが、どちらか1つでいいと思います。こんな感じでしょうか。
「悲田院で助けてくれたのかと訊かれて、何のことですかとしらを切る百舌彦。まひろが礼を述べるも百舌彦は戸惑いつつ、自分が来た理由を悟られないように、ほっつき歩いてたら乙丸に会ったと言い訳をします」

資金が高くついても構わないと命令を下すわけですが、その資金源は倫子でしょう?
そりゃ百舌彦も、まひろの様子を見たくないわけだわ。

この書き方どうかなと思いますが。
道長が倫子に隠れてまひろの看病までしながら、倫子の財を政につぎこんでいるのが嫌なのですか?でもその倫子の気持ちを、百舌彦は知っているのでしょうか。

それとあの場で顔見知りが倒れたら、放っておくわけには行かないでしょう。よりによって相手がまひろであったわけですが。でも、ドラマだからそれはありえますね。

ギターの情熱的な調べが響いています。今年は劇伴がドラマチックで美しい。

嫌いな作品だと
「BGMが素っ頓狂」
「ピアノがピロピロ」
好きな作品だと
「ドラマチック」

今年も嫌いな作品であれば
「家族のシーンでギターがうるさい、平安時代に合っていない」
と言いそうですね、武者さん。

伊周は家に帰ると子が泣いていてうるさいと言っていますが……彼もまた子ができるとよりつかなくなるダメ夫でした。

「ダメ夫」かどうかはともかく、この子について何も書かれていません。恐らく幼い頃の藤原通雅でしょう。後に、色々とトラブルを起こすことになります。

なお、太政大臣とは藤原為光のことです。
故人であり、太政大臣の娘だろうと、父が亡くなれば困窮してしまう。
(中略)
とはいえ、ここで「三の君」とありました。他に姉妹もいることを覚えておきましょう。

その「他の姉妹」についてここで書いて貰えないでしょうか。
この場合一の君が藤原義懐の妻、そして二の君が花山天皇の女御忯子です。そしてその妹の三の君がこの姫で、寝殿の上とも呼ばれていました。

それとこの中略部分ですが、
「こういう姫君は、貴公子がちょっと手出しするには、ガードが緩くて身分が高くてお買い得。そんな半額シールが貼られた惣菜のような扱い」
もうちょっといい比喩の仕方はありませんか。武者さん昨年もそうでしたが、何だか表現が安っぽく見えます。

斉信の恋する姿が見られるのは清少納言のおかげであり、『枕草子』はやはり偉大だと思います。
清少納言がリア充アピールをした結果、その相手は名を刻んだのです。
全くたいしたファムファタルですね。

「ファムファタル」は魔性の女という見方をされていますが、元々は「運命の女性」の意味です。それにしても清少納言は、後世の人間に、自分の恋愛をアピールしたがったのかどうか。

道隆が「長徳」に改元すると強引に言い出しました。
自らの不安を覆したいのでしょうか。表向きは疫病からの復興かもしれませんが、晴明とのやりとりの後にこんなことを言い出すと、手遅れ感に満ち溢れますね。

これは改元の中でも、凶事の影響を断ち切るための災異改元であり、「疫病からの復興」より「疫病退散」などの方が意味としては正しいかと思われます(災害などであれば、復興でしょうが)。
そう言えば能登地震からもう4か月ですね。

これほど博識な実資の意見が通らず、日記でその嘆きをたどるほかなく、横暴が通ってしまうところが日本史政治の闇でしょうか。

摂関政治とは、帝の外戚が力を持つのだから当然通るでしょう。その前には実資は無力でした。また日本史政治とありますが、日本に於ける政治史の方がいいのではないかと思います。

詮子を怒らせた上に、権力を与えてしまうとは迂闊としか言いようがない。この失態は、もはや取り戻せません。
こういうことを朝ドラのタイトルにもなった『韓非子』の「虎に翼」といいます。
帝王の母は雌虎のように獰猛になることもしばしばあるのに、よりにもよって権力という翼まで与えてしまうとは――そんな虎と対峙する定子があまりに気の毒です。

道隆が迂闊というのはわかりますが、ここで朝ドラですが。それは朝ドラのnoteで書いた方がいいのではないでしょうか。
そして「帝王の母は雌虎のように獰猛」で思い出すのが、『どうする家康』で、寅年寅の日寅の刻に生まれた家康を披露するに当たって、「がお~」と於大が吠える真似をしてみせた、あのシーンですね。実際於大も当初は情に囚われることなく、瀬名と子供たちは忘れるようにと当時の元康に言っていました。

ただし、定子も無策ではありません。
道隆の生きているうちに、伊周に内覧を許すよう、帝にとりはからうと提案します。
(中略)
二十年間空位であったのがネックとなりそうですが、帝を動かせばよいと定子は前のめりです。
伊周もこれには感心し、男であれば敵わないと漏らします。伊周が過保護に育てられたせいかもしれません。

「帝を動かせばよい」のではなく、定子は父上に帝にお願いしていただき、自分も帝に強くお願いすると言っています。そして「男であればかなわない」、この大河の主人公まひろが父為時から言われたことを、この場で伊周もまた口にしていると言えるでしょう。

道隆は道兼を呼び出し、近づかせると、衣を掴んで頼みます。
(中略)
兄として弟の情けにすがるしかない道隆は、政治的な根回しが不得意な様子。
父・兼家ゆずりの策略は、妹である詮子の方が上でしょう。
詮子といい、定子といい、男性よりも女性が政治力に長けている描写が続きます。

まず当初は「近づかせて」いましたが、最終的には道隆自身が道兼に近づいています。
そして道隆は病が重くなっているおり、仲たがいしている弟にでもすがりたいほど弱気にもなっていますし、また詮子の場合は女院で帝の母という立場も利用してのことでしょう。

2010年代世界的大ヒットドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』には対照的な戦いがあります。
五人の王が戦う「五王の戦い」と、二人の女王が最終決戦に挑む「女王の戦い」です。
権力をめぐる争いは、女性同士だからといって優しいはずもないと示す意義がありました。

ここでまた『ゲーム・オブ・スローンズ』。
PRしてくれと頼まれているのですか。ならば冒頭にその旨を明記してください。
そして関連付けたいのなら、その「女王の戦い」の内容を詳しく書いてください。でなければ比較にならないと思います。

中世の人はやたらと「すぐ死ぬ」と語っていますが、実感を伴っていたのでしょう。

何度も書きますが、「中世」ではなく「古代」です。そしてその「すぐ死ぬ」とういう表現は、何に登場したものか、出典を書いてください。

疫病に触れたまひろも、いま生きていることが不思議なくらいだと言います。

その前に、たねもその両親も疫病で亡くなったことを話していますが、その部分が飛ばされています。

まひろって、やはりズレているというかどこか変人ですね。自分のことを言いたいなら、真っ先に語ってもおかしくない話だと思います。説明するのが面倒なのかもしれない。

「自分のことを言いたい」のではなく、さわの話を聞いているというのがこのシーンでしょう。しかもさわは兄弟を疫病で亡くしており、まひろがそれに答える形で、たねとその両親のことを話しています。

しかる後に、私も罹ってしまって危うくと言いかけ、その後生きていることも不思議だと言っているわけですから、さわもまひろが一命をとりとめたのは理解できたでしょう。しかしまひろは、自分を助けてくれた相手のことは口にしていません。言いたくなかったのか、相手に迷惑がかかると思ったのかは不明です。

それにさわだったら、絶対に、大納言様に一晩中看病されて救われた話にうっとりしますよ。まあ、これはモテ自慢になりそうで禁句ですかね。
(中略)
倫子や明子のドロドロぶりが何かと話題にのぼりますが、このうち一番罪深いのはしれっと黙っているまひろのような気がします。

武者さんてこの書き方多いですね。大体「モテ自慢」をするようなキャラは嫌いなのではないですか。なのにこのように書く辺り、この大河もまひろも本当は好きではないのだなと思いますし。まひろが変人扱いなのも、自分の思った通りに動いてくれないからではないかと勘繰りたくなります。

そして倫子や明子は「ドロドロ」でしょうか。倫子はまひろの存在に気づきつつも今は黙っているし、明子は妾妻ながら、道長に「心を持って行かれて」いるわけですが。

印刷が普及して、わざわざ『源氏物語』を筆写する人は減ったとは思います。
けれども、SNSでこのドラマの感想をつぶやき、ファンアートを投稿することも、伝統的と言えるのかもしれません。
何かを見て、自分の頭でそのことを考え、書き出す。世の中がどれだけ変わろうが、人の気持ちには変わらないものもあるでしょう。

「SNSでこのドラマの感想をつぶやき、ファンアートを投稿することも、伝統的と言えるのかもしれません」
武者さんて、好きな(かどうかはわからないが、自分で肯定すると決め打ちした)大河に対しては随分ものわかりがいいですね。
それを言うのなら、貴方が嫌いな大河の視聴者の投稿、ファンアートもまた
「何かを見て、自分の頭でそのことを考え、書(描)き出す」
ものなのですが。

そして昨年、「伝統的」であるはずのファンアートを武者さんがどのように書いていたか、ここでご紹介しておきます。

このドラマ(注・どうする家康)はネットに特化しているという評価が一部であるようです。
それは大河ドラマのファンダムが大きいだけのこと。
偏った意見だろうと、ハッシュタグをつけた投稿はそれなりに多く、ゆえにトレンドも取る。
ファンアートが投稿されると、その絵師のファンが喜んで、RTといいねを繰り返す。
お互いWin-Winだからそれを繰り返す。なんなら作中にない描写を二次創作して、それがウケる。
そういうエコーチェンバーを構成しているだけのことでしょう。

今年のも
ハッシュタグをつけた投稿はそれなりに多く、ゆえにトレンドも取る
ファンアートが投稿されると、その絵師のファンが喜んで、RTといいねを繰り返す
お互いWin-Winだからそれを繰り返す
という点ではそう変わらないのではないでしょうか。


飲み物-ブロンドのエール
[ 2024/05/02 02:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(-)

『光る君へ』第17回「うつろい」あらすじと感想-2

第17回後半部分です。


正暦6(995)年正月、道隆は疫病で傾く世の流れを止めようと、帝に改元を進言する。道隆が考えた新元号は長徳だった。そして2月、陣定で藤原実資は「チョートク、チョートク」とつぶやき、平惟仲はどなたがお決めになったのかと言う。そこへ源重信が、関白に決まっておろうと口を挟む。さらに藤原顕光はチョートクの何が悪いのかと実資に尋ねる。実資はなおもチョートクとつぶやいた後、チョードクと口にする。

実資のそばにいた道綱は、顕光にチョードク、長い毒ですよと説明し、惟仲は、疫病は長引くでありましょうと補足する。実資は、帝が道隆の進言を受け入れるのが不服そうで、まだお若いのに心配だと明言する。また顕光は、道隆は最早物事の是非の見分けもつかないのかと言い、重信は御病もこの改元で悪化してしまうやもと言う。その会話を帝は耳にしていた。それとも知らず実資は帝は未熟だと言い、俊賢は我々でお支えしましょうと実資に忠告する。

しかしいくらお支えしても、断をくだすのは帝である、心配であると繰り返す。長徳という世になればいも多くなろうという言葉を耳にし、帝はその場を去る。そして定子は、父が病に倒れてから1人でいると心細いと帝に洩らし、帝は会いたければ二条第に行ってもいいと定子に告げる。朕がよいと言えばよいと言われた定子は、お上のそばを離れるのは嫌だ、父を見舞う間でも離れるのは嫌であると言う。

兄を呼んで父の様子を訊いてみると言う定子に帝は、定子は朕が守る故好きにいたせと桜のつぼみの枝を渡す。一方詮子は、道長から道隆が、飲水の病であろうと薬師が言っていたと知らされる。詮子はこう口にする。
「浮かれ過ぎたから、罰が当たったのね」
そしてお若い頃は優しかったのにと言い、次の関白は道兼兄上であるべきと道兼に向かって言い放つ。驚く道兼に、それがまっとうな順番だと詮子。

そのために詮子は、道長に道兼を連れて来るように頼んだのだった。詮子はさらにずけずけと、昔から道兼は好きではないが、あの出過ぎ者の伊周に関白になられるのはもっと嫌だと言い、道兼を後押しするつもりだった。女院様にお助けいただく身になろうとは、不思議な気がすると道兼。これで道兼は道長にまた借りを作ったことになった。そして道長は、帝にお話しいただけますねと詮子に依頼するが、詮子は内裏で定子に「首根っこをつかまれている」帝を見たくないと言う。

ならばどのようにしてと尋ねる道長。詮子は他の公卿を取り込むことにする。大納言も中納言も参議も、公卿は皆伊周が嫌いだから、そこへひと押しすればうまく行くと詮子。一方定子は、内々に先例を調べさせたと言って、道隆が存命の内に、伊周に帝から内覧の許可を得るようにと言う。この内覧は帝への奏上、または帝からの宣下の文書に事前に目を通すことができる職で、関白に準ずるものであった。

直近の例は20年前のことであったが、それには構わずやってしまえばいいと定子は言う。道隆からも帝に頼み込ませ、自分からも帝に強くお願いしておくと言う定子に伊周は、男であったら自分などかなわないと言う。あの女院様から我が身を守り、帝をお守りしているうちに強くなったと定子は言い、内覧となれば関白も同然だから、共に力を尽くそうと兄を鼓舞する。

道兼が道隆に火急の用とのことで呼ばれる。道隆は気分が悪そうで、道兼を呼び寄せようとするものの、ついに自分から道兼に近寄り、手探りで道兼の手を握ると、もし自分が倒れても、未だ懐妊せぬ中宮定子、貴子、伊周、隆家をも支えてやってくれと頼む。酷なことをしないでくれ、伊周を、我が家を頼むと懇願する。そして桜が咲く頃、写しを作るまひろをさわが久々に訪れる。

かつての非礼を詫びるさわを、まひろは中に入れる。息災でしたかと尋ねるまひろに、さわは自分は何があっても病にならないが、兄弟を疫病で亡くしたと言う。悔やみを述べるまひろに、あまりに儚く、人に許された年月は短いことを知ったとさわは言い、まひろはたねとその両親がやはり疫病で死んだこと、自分も罹ってしまったことを話す。今生きていることも不思議な気がすると言うまひろの手をさわは取り、再びお目にかかれて本当に嬉しいと口にする。

生きていてくださって本当に嬉しいとさわ。まひろもお目にかかれて嬉しいと答えるが、さわは改めて石山寺からの帰り道のこと、文を突き返したことを詫びる。そしてまひろの文は、すべて書き写して持っていると、さわは文箱から文を取り出す。まひろの文を写すことで、まひろに追いつきたいとさわは思っていたのである。そんなことできっこないのにと言うさわは、私の友はまひろ様だけだ、色んなことがあってそれがよくわかったと打ち明ける。

そして末永く友でいてくれと懇願し、2人は笑顔を見せる。その夜まひろは改めて、自分の文がさわの心に影響を与えたこと、書くことの意味について考えていた。一方道長は、夜空の半月を見ていた。その半月のもと、まひろは何かを書き始めていた。何を書きたいのかはわからないが、筆を執らずにいはいられなかった。

道隆は参内し、病の自分に代わってすべての政務を、内大臣伊周に委ねることの許可を帝に奏上する。要は、伊周への内覧の宣旨を賜りたいということだった。帝はしばらく考えて、後ほど宣旨を下すと答える。しかし道隆は、今お約束いただかねば安んじで養生もできませぬと帝の即断を促し、今ここで宣旨をお下しくだされとまで言う。しかし帝は下がるように命じる。

これについて、蔵人頭はどう思うかと尋ねられ、俊賢は、すぐに関白のお申し出をお受けにならない帝は、まことにご相違名であると答える。無下に断るわけにも行かないが、言いなりになるのもどうかと思うと帝は口にし、伊周を嫌ってはおらぬがまだ若すぎると洩らす。そして道隆は定子と女房達の所へ出向き、皇子を産めと定子に言う。ききょうをはじめ女房達は即座に御簾を下ろす。

驚く定子に、道隆はお前は帝の唯一無二の后、他の姫の入内も拒んでいるのに何をやっているとあからさまに言い、帝はまだお若いと言う定子に、とっくに元服されておる、わしが関白になったのも帝を一人前と認めたからだと不満そうだった。ついに定子はそれなりにつとめている、毎夜のお召しにお応えしていると言うが、足りない足りないと道隆は繰り返し、皇子ができれば、帝は我が一族の真の味方となる、皇子がないゆえ帝のお心が揺れると定子を責める。

道隆は何かに取りつかれたように、皇子を産めと繰り返す。やがて桜が葉桜となり、帝は道隆の病の間に限るという条件付きで、伊周に内覧を許した。そして3月20日、大納言朝光(顕光の弟)が亡くなったことを道綱が話し、もう皆さんご存知ですと道長が答えると、疫病らしいね怖いことだ~と道綱は声を張り上げる。この間の陣定の時は、まだ罹っておらなんだと思いたい、罹ればあっという間らしいと公卿たちは噂し合う。

我らはもう屋敷から出ない方がいいのではという声も出るが、それでは政はできないと実資は言う。そして、疫病が内裏に入り込んだのは関白様の横暴のせいと言い、長徳などという元号にし、息子を内覧に据えた積悪の所業許し難しとも言う。聞こえたら大変だと注意する道綱に、間違ったことは申しておらぬと実資。しかも伊周に明日はないとまで言い切る。

その伊周が陣定に姿を現すが、公卿たちの反応は冷ややかだった。そして最早足取りもおぼつかなくなった道隆は、帝の御前まで進むと勝手に御簾を上げ、伊周を関白にお定めくださいと直訴する。止めようとする俊賢。道隆は伊周を関白にと言うのみで、その場から連れ出される。そして山吹が咲く頃、貴子に看病されながら、道隆はまだ死ねない、伊周はどうしたと言い、貴子は夫の言葉にひとつひとつ答える。

やがて2人はそれぞれが出会った時の話を始める。そして道長は、妻が詠んだこの歌を口にする。
「忘れじの行く末までは難ければ 今日を限りの命ともがな」
あの歌で、貴子を妻にすると決めた道隆。長徳元年4月10日、その道隆は、43歳で世を去った。


違うシーンで似たような描写が繰り返されます、もちろん意図してのことでしょう。
文箱から文書を取り出す定子と、文箱からまひろの文の写しを取り出すさわ
陣定で長徳=長毒と駄洒落めいた?ことを言いたげな実資と、次の陣定で疫病は怖いことだと声を張り上げる道綱
その陣定の話題の疫病と、さわの話題に出て来る疫病
公卿たちの本音の会話を陰で耳にする帝と、伊周が来て今度は本音を隠す公卿たち
チョートクを繰り返す実資とまだ足りない、皇子を産めを繰り返す道隆

さらにその道隆が、最早余命いくばくもないという焦りからか、定子に対しても、およそ関白らしからぬ態度で本音をぶつけるわけですが、定子を訪ねた時は女房達が御簾を下げ、逆に帝に直訴する時は、非礼にも御簾を自分で上げています。その一方でまひろの家では、さわが人に与えられた時間はわずかだといったことを話しています。そして道長のいまわの際の歌、儀同三司母(高階貴子)の「忘れじの…」(小倉百人一首第54番)ですが、父兼家も死の前に、こちらは妾妻の寧子の「嘆きつつ…」を口にしていましたね。

一方で、次の関白の座を巡って、兄弟姉妹が二つに分かれます。道隆の家族と、女院詮子、道兼と道長です。何やら花山院退位の時を思わせます。詮子は定子と伊周をはっきり敵視しており、定子の方は詮子を警戒しています。そして道隆は道兼を呼び、自分の家を、伊周を頼むと情に訴えてもいます。このシーンで思い出すのが、豊臣秀吉に最期が迫り、秀頼のことを気にする描写です。

『真田丸』では秀頼を頼むと言い、『どうする家康』では
「どんな形でもええ、ひでえことだけはのう?しねえでやってくれ」
と、秀吉は家康に哀願しています。しかも道隆も秀吉も関白(秀吉の場合は太閤も経験)という権力者です。まだ若い息子を残して行く不安とも取れますが、ただし道隆の場合は、秀吉ほどの苦労人ではなく、親から譲られた地位に乗っかったところもあり、そのため人心把握の術に疎かったとも取れます。

この道隆の病が重くなり、やがて世を去るまでに桜のつぼみが開き、葉桜になり、そして山吹が咲くようになっていました。山吹は、かつて土御門殿の牛車を飾った花でもありましたが、土御門殿に婿入りした道長の世が来る暗示でもあるのでしょうか。この長徳年間は実資が予言した通り長徳の変が起こり、伊周と隆家は流罪となってしまいます。


飲み物-グラスに入ったビール
[ 2024/04/30 04:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第16回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-3

第16回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。
前回の薬に関する記述の続きです。

中でも朝鮮人参栽培は重要です。
先日、日本の漢方は中国の技術を盗んだものだという意見が現地にはあると、中国の方から聞きました。
酷い言い分だ!……と反論したいようで、一理あるとも思えました。
朝鮮人参を含む栄養ドリンクは今日でも高級ですよね。ましてや昔は最高級品です。
しかも朝鮮や中国からの輸入頼りです。吉宗時代となると輸入による金銀流出が深刻な問題でした。
輸入頼りの高級薬剤を国産にしたら大幅な財政改善が見込めます。

その「中国の方」とはどういう方でしょうか。また「マックの女子高生」と同じようなパターンになっていませんか。
そして輸入による金銀流出ですが、なぜか人参以外の商品についての記述がありません。
この当時生糸や絹織物、そして砂糖もまた国産化できるようになっていたため、それらの商品の輸入量も減少しているはずです。

江戸時代に吹き荒れた貨幣資源の海外流失の危機とは⁉
(歴史人)

一方でキリスト教関連以外の洋書を解禁し、これが蘭学の急成長を招いています。

そして、輸出する側としては目玉商品の人参を売りたいわけですが、吉宗は国産化したいため、

そこで朝鮮と交易する対馬藩が、こっそり朝鮮人参の種を盗んだという説もありまして

と書かれています。いつも思うのですが、こういうのの出典がまるでありませんね。
これに関しては、奥医師の林良喜が朝鮮薬材の調査を対馬藩に命じ、享保6(1721)年に人参の生の根が届けられ、その後も苗や種が届けられるようになります。
詳細については下記のサイトをごらんください。

徳川八代将軍・吉宗は薬として朝鮮人参の栽培を苦肉の策で実験・栽培に成功
(美濃国岩村城の歴史と関連武将たち)

またこの当時、人参が栽培されていたのは会津、信濃そして出雲のみでした。

高麗人参の歴史
このあたりは来年の『べらぼう』にも関わりかねない話ですので、予習しておくとよいかもしれませんね。脚本の森下佳子さんは医療描写が盤石ですので、是非とも見たいところです。

これ『光る君へ』のコラムですよね。
しかも来年の大河が医療関連ならともかくそうではないし、さらにまだ放送されてもいないのに、今からあれこれ推測して書くのもどうかと思います。それも個人のサイトやブログならまだわかりますが。

しかし、平安時代ですと、この葛根湯すら手に入らない。
それこそ健康マニアで上級貴族の藤原実資クラスの人物が、太宰府に来ている唐人医経由で手に入れるといった手段しか考えられません。

葛根湯は『傷寒論』や『金匱要略』に記されていますね。ただこの大河の時代は、医療を受けられる人はまだ限られていました。
そして「健康マニアで上級貴族の藤原実資クラス」藤原実資がなぜ健康マニアなのか、この間も書いていましたが、出典を引用して説明して貰えませんか。あと「太宰府」でなく「大宰府」です。
尚私はこの反対のミスをやっていますので、直しています。

「都の様子は俺が見てくる。汚れ仕事は俺の役目だ」
そう言い切る道兼よ……嗚呼、こんなに格好いい男だったのかと惚れ惚れしてしまいそうです。人生の苦さや転落も知ったからこその悟りがある。まさか道兼に心を打たれる日が来るとは。

伊周から、叔父上は何かよきことをなさったのか、このまま何もなさらないのも悪くはないと言われたこともあり、自らリスクの大きい役目を引き受けたようにも取れますね。

かくして道兼は悲田院にきますが、道長もついてきていました。
「私は死ぬ気がしない」と強気です。
「相変わらず間抜けな奴だ」道兼はそう言いながら、兄弟で中を見回ります。

道長は廊下で道兼とすれ違った時、自分も悲田院を見て来ると言っています。ついて来たのではなく、別々に来ていて、あそこで出くわしたのでしょう。

道長はまひろの看病をしながら、心の声で語りかけます。
生まれてきた意味は見つかったのか?――逝くな、戻ってこい。
確かにこれはソウルメイトとしか言いようがない。
ものすごく甘ったるいようで苦い。
道綱の言葉で、まひろのことを思い出してしまった。
そしてよりにもよってこう再会するとは。
(中略)
そんな相手が消えてしまわないように看病する道長の姿も、看病されるまひろの姿も、神々しさすら感じさせます。

武者さん、好きな大河だとこのように書くのでしょうが、嫌いな大河だとセリフがクサいだの、あんな別れ方をしておきながら、道長がこのようなことを言う神経が理解し難いだの言いそうですね。
実際『どうする家康』ではそう書いていましたし。

彼女は小麻呂を抱いています。私は退場したのかと思っておりました。長寿猫ですね。

あれが小麻呂であるなら、再登場するまでにかなり間が空いていますね。
そして倫子が笑みを洩らすシーン、赤染衛門共々廊下に立っているわけですが、ここで昨年の武者さんの登場人物叩きの文章を置いておきます。

このドラマは、誰かがボーッと立ちっぱなしの場面があまりに多い。
男女問わず、ただ突っ立っている姿ばかりです。
和装で座るとなると、所作指導が重要です。打掛ともなるとますます大変。
だからといって、立たせっぱなしとはあまりに情けない話だ。

まひろは、道長の声が「まひろ、まひろ」と呼ぶ声が心に響いてきて、目を覚ましたのでした。

あれ道長でなく、為時の声に聞こえたのですが。

そしてまた『麒麟がくる』で、駒の薬を売っていた少年が殺されるのが批判されたが、乱世の厳しさを表す秀逸な場面で思ったとか、東庵や駒の民を救う姿勢も理解されず、バカだのファンタジーだの罵倒されていたと書かれています。

好きな大河が批判されるとむきになりますね。その一方で、楽しんでいる人がいるにも関わらず、嫌いな大河なら批判を通り越して叩きまくりです。武者さん、矛盾していると思いませんか。
それも駒があのまま薬屋でいたのであれば、それはそれで筋が通っていたとは思いますが。

もしもNHK大河チームがそんな声を真剣に受け止めていたら、たねや、たねを救おうとするまひろはなかったことでしょう。そうならなくてよかったと思います。

あちらは戦国こちらは平安、駒は薬屋でまひろは下級貴族の娘、もちろん医療経験はなし。かなり違うと思います。そして駒の薬を売りに行った少年と、たねもまた置かれた環境は同じではないでしょう。
なぜ単純比較してしまうのでしょうね。

歴史は史書に名を残す人物だけが紡いできたものではありません。
たねのように幼くして命を落とし、字も書けない人は消えてしまいます。
そんな消えた存在に光を当て、歴史を学ぶ意義を再確認させてくれるたねは重要でした。

「たねのように幼くして命を落とし、字も書けない人は消えてしまいます。
そんな消えた存在に光を当て、歴史を学ぶ意義を再確認させてくれるたねは重要でした」
とありますが、
「この当時の庶民はたねのように字も書けず、幼くして命を落とす人も多いものでした。
そういう歴史の陰に埋もれた人々を、掘り起こしてくれたのは重要でした」
とでも書いてほしいのですが…。
ちなみに庶民が表舞台に出て来るのは中世後半、室町時代の頃からですね。

しかし武者さん、これもまた嫌いな作品なら、オリキャラなんて所詮使い捨てだと叩くのかも知れません。

道隆に代表される中関白家は、庶民のことなど目に入らない。
関係ないと考えている。
そういう人々が優美に過ごす前半が光だとすれば、たねが命を落とす後半は影でした。
疫病に苦しむ庶民を描くことは、何もまひろと道長がロマンチックな再会を果たすだけの意味があるわけではありません。

こういう書き方をすること自体
「まひろと道長がロマンチックな再会を果たすための演出としての疫病」
と考えているように見えて仕方ないのですが。

そして「影」の部分は何も疫病だけではありません。
放火もまたしかりでしょう。そして公任、斉信そして行成が道長に出し抜かれるのではないかといった話をするところ、倫子が道長の心に誰かがいると感づく辺り、さらに道隆の病と死も、今後様々な形で影を落としそうですね。

当時の社会矛盾。
清少納言と紫式部の対比。
思想を持つ者と、そうではない者。
そんな対比を際立たせたのです。

社会矛盾と言うか道隆の傲慢と言えるかと。さらに清少納言(ききょう)と紫式部(まひろ)の対比も、2人はまだ同じ条件下にいるわけではありませんから、この場合比較になるでしょうか。
そして「思想を持つ者」とありますが、それはどのような思想で、この大河にどういう影響を及ぼすと考えるのか、それあをはっきりさせてほしいものです。

しかし昨年の叩き方があまりにひどかったせいか、今年のを見ると
「嫌いな作品だったら、武者さんはどう書くか」
何かにつけてそれを考えるようになっていますね。


飲み物-グラスに注がれたエール
[ 2024/04/26 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第16回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第16回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。
実は今回は4ページと、いつもより1ページ少ないのですが、武者さんがドラマと直接関係のないことを延々と書いており、少々突っ込みたいので、いつも通り3回に分けて投稿します。


それにしても、井浦新さんは改めて凄まじい方だと思いました。
若い頃はまるで春の日差しのように、穏やかで暖かい貴公子ぶり。それが段々と野心を夏の太陽のように輝かせ、ここでは秋のように翳ってゆく。
人の一生を春夏秋冬のように演じ分ける。素晴らしいではないですか。

それは井浦さんの道隆に限らないかと思います。
大河の主な登場人物は、皆ぞれぞれの生き方をしており、道隆のように、最初は穏やかであったり、あるいは弱弱しくもある人物が、年齢と経験を積んでタフになるというのは多いものです。そして自分の理想を具現化して行くわけですが、この道隆のように、どこか満たされないまま生涯を終えることもあるわけです。
昨年の家康も、一昨年の義時もまたしかりでしょう。

『貞観政要』が出ましたね。
『鎌倉殿の13人』では北条泰時が読んでいたこの漢籍。
帝が政治の指針として持ち出すことで、先ほどの「香炉峰の雪」の場面に別の意味合いが浮かぶようにも思えてきます。

ここのところですが、なぜ「香炉峰の雪」に別の意味合いかと言うと、白居易があの詩を作った時には、左遷されて江州にいたからという背景があったとあり、

彼は官僚であり、どうすればよい政治ができるか考えていて、それが作品にも反映されている。

なのだそうですが、あの詩で白居易は、寧ろこの地方での生活を楽しんでいるように見えます。実際江州への左遷後は政治的な行動を慎み、さらに年齢を重ねてからは、事実上の引退生活にも入っています。この江州時代に所謂閑適詩と呼ばれるものが多く作られ、日本で愛された白居易の詩は、この閑適詩とも言われています。
「どうすればよい政治ができるか」とは多少違うかと思いますが。

白楽天:漢詩の注釈と解説
(漢詩と中国文化)

そんな作者の意図を無視して、ただのアクセサリのように用いる、ファッション的漢籍教養はいかがなものか?
上っ面だけ理解して、教養をひけらかし、一体何なのか?
そんな苦いものがジワジワと浮かんでくるようにも思えます。

すみません、凄いブーメランに見えてしまうのですが、武者さん。

そして

紫式部は『紫式部日記』で清少納言の教養なぞ上っ面だけだと批判しました。

とありますが、今はまだまひろが宮仕えをし、紫式部と呼ばれる前の段階が描かれていますので、この当時『紫式部日記』はまだ存在していません。先日の越前の雪もそうでしたが、なぜその時点で経験していない、あるいは存在しないものを、わざわざ引き合いに出すのでしょうか。

また平安時代に大人気だった『長恨歌』の背景となる玄宗皇帝の楊貴妃への熱愛の危険性だの、安禄山の危険性だの、それをどれだけ考えているのかなどという主張が出て来ますが、それとこの大河とどう関係があるのですか。

とどのつまり、ファッション的漢籍教養がよくない、その裏にある思想や危険性を読み解かなければならないと言いたいのでしょうが、そういうのは大河以外のコラムでやってください。よほど書きたいのかも知れませんが、作品中で明らかにそういう描写が登場したのならいざ知らず、大河コラムでやるべきことではありません。

女性の政治権限については抑えるどころか、むしろ女院という強化をしてしまう中関白家。
さらに後世では、武官の危険性をふまえていないからこそ、武士の台頭につながってゆく。
――漢籍の思想を政治に生かせるようになってゆくのは、もっと時代がくだってからのようです。

確かに詮子、あるいは彰子のような人物は政治的影響力もあったでしょうが、その後の女院はそうでない人物、また多くの荘園を持ち、文化や芸能を保護した人物もいました。

院政期の女性と文化・芸能
(京都女子大学)

そして武官と武士は別のものですよ。
さらに、漢籍の思想が政治に入って行くのは江戸時代以降です。

「そのような考えで内大臣が務まるとも思わぬ」
道兼が手厳しく言うも、反対に伊周は「叔父上は何かよいことをなさったのか、このまま何もなさらないのも悪くない」と煽り返してくる。
以前の道兼ならば「花山院出家の謀略は俺あってのことだ!」とでも言いそうですが、自暴自棄となった時期を経て、彼もようやく成熟したのでしょう。

自暴自棄で公任邸に入りびたり、弟の道長に諫められてその後右大臣とまでなっています。変わらざるを得なかったでしょう。

そして薬師が入ってきて、冷たく言い放ちます。
「生きている者は手をあげよ、死んだ者は運び出す」

あれ薬師ですか?役人あるいは放免のような人々ではないかと思います(死者という『穢れ』に触れるのだから放免でしょうか)。そもそも薬師は足りていないのに、あのようなこと、しかも手荒なことをさせるでしょうか。

放火犯は自分たちに悪意を持つ貴族の仕業だと思っている。
疫病対策をしないことに怒った庶民が犯人である可能性については、想像すらできていない様子。

庶民が犯人である可能性というのは、今回は登場していません。
第一庶民が、内裏のそのような場所まで入れるでしょうか。内部事情をよく知る者の犯行でしょう。

そして疫病対策について『麒麟がくる』、さらには『大奥』が引き合いに出されており、

そのため吉宗は、各地で薬草栽培を奨励し、簡単な薬ならば民衆が自ら調合できるようにしたのです。

徳川吉宗は小石川養生所を作り、さらに各地で薬草を探させ、御薬園で栽培させたのではないでしょうか。
下記サイトによればこうあります。

小石川植物園前史
(日本植物研究の歴史 小石川植物園300年の歩み)

吉宗はお庭番で本草にも詳しい植村左平次を国内各地に派遣して薬草の探索を行なわせ、これを吹上庭で栽培するなど、薬効のある植物の探索に積極的に取り組んでいた。

あとこの前のページに貝原益軒が出て来ますが、彼も本草学者(儒学者でもあります)として有名で、『養生訓』を著しています。

現代人からすれば素朴なようで、当時とすれば画期的です。
病気になったらなす術なく、死を待つか、祈祷でもするしかない状態と比較すれば、薬草を煎じて飲むだけでも大幅な進歩と言えるでしょう。
病は気からと言います。気力が尽きたら命も縮む。ほったらかしにされるのではなく、薬を口にできるだけで助かる命はあるのです。

ドラマ本編を観ていると、たねの両親が薬草を貰いに悲田院に行ったとあります。そして武者さんも
「“とと”と“かか”が帰ってこないのだとか。
聞けば、昨日、悲田院に行ったそうです。熱があり、薬草をもらいに行ったのだとか」
と書いています。

つまりこの場合
「病気になったらなす術なく、死を待つか、祈祷でもするしかない状態」
ではなく、薬草は存在していたものの、悲田院で貰えなかったのか、あるいは貰ったけど効かなかったのかのどちらかでしょう。


飲み物-パブのアンバーエール2
[ 2024/04/25 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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