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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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白内障と料理長、そしてヒロインたちの失敗

『どうする家康』第44回で、本多忠勝が書状を読みづらそうにするシーンが出て来ます。あらすじと感想では、老人性白内障かと書いていますが、一口に白内障と言っても様々なようです。外傷によるものや糖尿病によるもの、さらにアトピー性皮膚炎が原因というケースもあるようですし、それ以外に薬剤によって起こることもあります。

白内障と言えば、個人的に『ダウントン・アビー』を思い出します。以前もちょっと書いてはいるのですが、グランサム伯爵家のパットモア料理長がこれにかかり、お客に出すローストチキンを取り落として、猫に持って行かれそうになったり、イチゴに砂糖と間違えて塩をふりかけ、そのまま出したりしています。

この砂糖と塩を間違える件、その前に『若草物語』が登場しており、どうもこれが伏線のようでした。と言うのもこの物語で、4人姉妹の次女ジョーが、やはりイチゴをお客に出す時、添えるクリームに砂糖ではなく塩を入れてしまう場面があるためです。

もちろんジョーの方は目が悪いわけではなく、間違えたというのが正しいのですが、これと似た場面が『赤毛のアン』に登場します。この時は、アンが風邪でにおいがわからず、バニラエッセンスと間違えて、痛み止めの薬をケーキに入れてしまう場面が登場します。もちろんぱっと見にはわからないため、お客である牧師夫妻にそれが勧められます。

しかしお客の反応がおかしいため、間違えて薬を入れたことが判明します。他にもダイアナに間違えて果実酒を飲ませて酔わせたりもしたこともあります。また時に彼女の想像癖が災いすることもあり、パイをオーブンに入れたまま黒こげにしてしまうなどとというのもありました。

ちなみにこの時のアンの想像なるものが
「私は魔法をかけられたお姫様で、寂しい塔へ閉じ込められているところへ、ハンサムな騎士(ナイト)が真っ黒な駿馬に乗って救い出しに来てくれるのよ」
(松本侑子訳、文春文庫)
この当時(19世紀後半-作品中でヴィクトリア女王がカナダの君主であることから)らしいファンタジーと言うべきなのでしょうか。この後でも、アーサー王物語をベースにしたテニスンの詩が登場したりしていますね。


飲み物-冬のティータイム
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[ 2023/11/27 00:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『決戦!関ケ原Ⅱ 大名たちの野望』

では11月11日に放送された『決戦!関ケ原Ⅱ 大名たちの野望』(2023年2月4日放送分の再放送)について。俳優の高橋英樹さんがゲスト出演していましたが、今年の正月時代劇で家康を演じていましたね。番組そのものは『どうする家康』関ケ原回の予習番組としても、また歴史関連SPとしても楽しめました。

まず最初に、関ケ原前に日本中を飛び交った500通の書状、その分析と動きの可視化が行われ、その後毛利輝元の動きが紹介されます。この人は海路大坂に向かっていますが、会津征伐準備を進めていた家康が、即座に大坂に向かえないようにする目的もありました。西の毛利、東の徳川という構図のもと、毛利のもとに大名たちが集結し、これが後の西軍となって行きます。

再びデータ関係。東軍諸将の書状に比べると西軍諸将のはその半分ちょっと、しかも石田三成のは13通しかないわけですが、やはり敗者の側の文書が残る確率は低いようです。下手に持っていると、何を疑われるかもわからないわけですし。

そして毛利。ここで石見銀山と船についての解説。船はやはり毛利水軍もありますからね。そして「北の関ケ原」、イエズス会の宣教師によってバチカンにもたらされた文書も、このことに言及しています。この時家康の会津攻めにより、上杉方は情報面で孤立した状態に置かれていました。しかしそこへ朗報が届きます。

三成挙兵の知らせでした。この情報伝達を可能にしたのは真田昌幸で、飛脚を守るために軍勢をつけたわけです。しかもその三成の書状には、上杉の江戸攻めについて書かれています。要は
東北連合軍VS徳川
の構図が出来上がるわけで、ここでシブサワ・コウ氏が登場し、その様子をシミュレートしたゲームの登場です。

東北連合軍はいい形で攻めるものの、最終的に家康の勝利となります。仮にこの江戸攻め、そして上方から来た石田軍が挟み打ちにしていれば、かなり日本史は変わっただろうと思わされます。そしてその一方で、会津に向かっていた家康は、小山で三成挙兵の知らせを受けます。

ここで小山評定が行われるわけですが、家康にしてみれば、豊臣恩顧の大名の支持を取り付けられるか不安ではあります。そこで、淀殿や奉行衆からの、三成討つべしと書かれた書状を見せ、大義名分は我らにありと主張するわけですね。ここで福島正則が三成を討ち果たせと言い、ここに東軍が出来上がるに至ります。しかしながら時を置かずして、今度は五奉行により、家康が謀反人に仕立てられたことを知らせる書状(内府ちかひの条々)が届きます。

この小山評定後会津征伐は中断され、福島正則らは既にこの時西へと向かっていました。しかし家康への弾劾状は、当然各大名にも送付されていることになり、何らかの形で家康が謀反人認定されたことを、東軍の武将たちも知ることになります。福島正則も、もちろんその1人でした。しかしながら、小山評定で自分が三成を討つと言い出した手前、かなり悩んでもいたようです。

そして江戸城では、家康が寸暇を惜しんで書状をしたためます。特に「内府ちかひの条々」を受け取った直後は書状の数が増えており、ここでデータによる可視化です。特にこの時期の家康の書状には、心情に訴えかける言葉、忠節、懇意、感悦などが使われ、また彼自身が公儀でなくなった(三成にその座を奪われた)ことから、土地や恩賞などの言葉が消えているのが特徴的です。ところで「内府ちかひの条々」、福岡市博物館所蔵とありましたが、筑紫広門宛のものでしょうか。

内府ちかひの条々
(福岡市博物館)

家康は特に、福島正則を警戒していました。そして福島正則もまた、家康がなかなか西へやって来ないことに苛立ちを隠せず、また三成は彼ら東軍への処罰を開始し、このままでは正則は改易も免れない事態となります。その時家康の使者、村越直吉がやって来て、皆が出陣できないゆえ出陣できぬと言い、一同を怒らせてしまうのですが、この場を取りなしたのが黒田長政でした。

長政は早くから徳川についており、敵を前にしながら動かないので不安視していると言い、その後岐阜城攻めが行われます。この岐阜城攻めは1日で片がつき、家康も9月1日には出陣して西へと向かいます。

ここで福島正則についての解説。尚この時、正則と長政が兜を交換したことで、2人がそれぞれ交換した兜をかぶっている様子は、なかなかほほえましいものがありました。そして長政は、諸侯を如何に徳川方につけるのかが彼の役目でした。そのため必ずしも徳川一辺倒でない正則を、家康は何とかして戦に向かわせる必要があったわけで、この清須城で長政はその役目を果たしたことになります。

しかしながらこのままだと、正則たちだけで三成と戦うことになり、徳川の出番がなくなるのを恐れた家康は、慌てて出陣したとも言われています。今度は家康は、東軍を何とか抑えておく必要にかられたことになります。こうして家康が西を目指している間、奥州で異変が起きます。三成からの情報が上杉方にもたらされなくなったのですが、これは昌幸の嫡男、信幸が徳川につき、第二次上田合戦が行われたのと関係していました。

上杉方は最上をまず攻めることにします。しかしそこで番狂わせが起きます。味方であった伊達政宗が裏切ったのです。政宗は東海道経由で家康からの書状を受け取っており、しかも利にさとい政宗に恩賞をちらつかせたのでした。結局これにより、東北連合軍も江戸攻めの計画は破綻します。そして岐阜城を奪われた三成ですがまだ諦めておらず、家康との決戦に備えて、陣城である玉城を改修させます。

その玉城に三成は、豊臣秀頼または毛利輝元を迎え入れる予定でした。豊臣恩顧の大名が多い東軍に対し、三成は秀頼を迎え入れることで、勝利を決定づけたかったのです。また松尾山城も東軍を迎え討つには大きな意味がありました。ここには小早川秀秋が着陣します。この秀秋は豊臣一門でありながら、自分が玉城に入れないことに対し、三成に不満を持っていたようです。

ここで秀秋について。はじめから寝返る気満々のようですが、自分はこのままでは大名にとどまるだけで大した出世も見込めず、ならば東軍について勝ち馬に乗った方がいいと思ったのでしょう。そして関ケ原の本戦となるわけですが、この時欧州でも北陸でも、上田城でも大津城でも、四国や九州でも東西の勢力による争いが起こっていました。また丹後では細川幽斎が籠城し、嫡男忠興は岐阜城攻め、その家臣松井康之は九州で黒田と連帯していました。

関ケ原の戦い。かつては大坂へ向かおうとする東軍を阻止するため、この地での戦いになったとされていました。しかしその後、松尾山城の小早川を西軍に引き戻す狙いがあるという説に変わっています。この時毛利の別動隊である吉川広家は南宮山にいて、東軍を阻止する役目でした。それが、秀頼が出陣するまでの時間稼ぎになるはずだったのですが、彼も長政から密書を受け取り、不戦の密約を交わしていました。

つまり毛利の勢力は徳川の抑止力とはならず、東西入り乱れての決戦が始まります。そして大坂城の輝元は、この戦が長引くであろうと予測し、その間に西国を抑える目論見でした。そして秀秋は毛利勢の寝返りを知り、大谷吉継隊目指して進撃を開始するわけです。その後三成は処刑されるに至りますが、家康は奥州にもこのことを知らせ、収束を促します。そして上杉は敗北し、領地を米沢30万石、かつての4分の1に減らされます。

毛利輝元は大坂城を去り、また毛利家も領地を大幅に減封されて、長門と周防の2国のみになります。そしてこれは、打倒家康を狙った三成と、西国制覇に集中した輝元の意識のずれが招いた敗戦だったとも言えます。最後の高橋さんの意見ではありませんが、関ケ原が1日で終わらなかったらまた乱世に戻ったと言えなくもなく、その意味でも家康は早めにこの戦を終わらせたいと思ってはいたでしょう。

ところでこの番組、所謂再現ドラマで家康を演じていたのが宍戸開さん、三成を演じていたのが石黒英雄さんでした。石黒さんは、『軍師官兵衛』で福島正則を演じていましたね。


飲み物-ポーターとクルミ
[ 2023/11/17 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『三銃士』アトスとグリモーの酒宴

気温が下がって来ていますね。体調にお気をつけください。

実は『葵 徳川三代』の関ケ原について書こうかと思ったのですが、前回の『どうする家康』での、岐阜城攻め後の福島正則の飲みっぷりを見て、『三銃士』でワインを樽から直に飲む箇所を思い出したため、今回はそれについてです。とは言え実はその本が今手元になく、フリーで読めるサイトからのものです(江口清訳)。

「けがをしているのか?」と、彼(注・ダルタニャン)はたずねた。「おれがかい? いや、どこもしておらん。ただ、ひどく酔っぱらっている。それだけさ。これだけ精だして酔っぱらったやつはおるまいな。おい、亭主、よかったぞ! おれだけで、百五十本は飲んだにちがいない」「ああ、情けない!」と亭主は叫んだ。「これでご家来がその半分も飲んでいたら、いよいよ身代限りだ」「グリモーは、たしなみのいい従僕だ。あいつは主人と同じものには、けっして手をつけん。樽《たる》からじかに飲んでいた。おや、あいつ、栓《せん》をしめ忘れたらしいぞ。聞こえるだろう? 酒が流れだしている」 ダルタニャンは、声をあげて笑った。

要は、王妃の首飾りを取り戻しにイングランドに向かう途中、三銃士+ダルタニャンの4人が、喧嘩を売られたとか負傷したとかで1人また1人と落伍して行き、最後にダルタニャンと残ったアトスも、居酒屋で撃ち合いになり、最終的にダルタニャンと従卒のプランシェだけが、取り戻しに向かうわけです。

で、2人が無事に役目を果たした後、仲間たちに会いに行くことになります。しかしこの中でも一番真面目そうで、しかも威厳を感じさせるアトスが撃ち合いのあった宿屋の酒倉に立てこもり、しかも従卒のグリモーを武装させて連れて来いと言い出します。そして連れてきたら連れて来たで2人とも酒倉に立てこもってしまい、上記の引用部分のような展開になってしまうわけで、アトスの意外な一面を感じさせるものです。そしてここでグリモーが、樽から直接ワインを飲んでいるという描写があるのですが、小さいサイズの樽なのか、大きなサイズの樽に直に口をつけて飲んでいるのかは不明です。

しかも食料は差し入れさせるわ、酒蔵に主人や従業員が入ろうとしたらピストルをぶっ放すと言われるわで、酒倉には食料があるのに取りに行けず、商売上がったりとなっていたわけです。そして最終的にダルタニャンまで、このアトスとグリモー主従の「酒宴」に加わることになり、今度はアトスは、今度は自分の妻だった女性について冷静に語り始めるわけで、一体どうやって気持ちを切り替えているのか不思議なものです。

これに関して、結構彼らのやっていることが「クズ」だと書かれたnote記事があって、確かにうなずけるものがありました。恐らくこの当時、彼らはおおっぴらに飲みもするし、愛人にしてくれている貴婦人から小遣いを貰って、賭け事に使うということもあったでしょうから、今の基準からは外れるものの、そう珍しくはなかったのかもしれません。
(日本でも戦国時代などはそうでしょうし)

ただ真面目人間風のアトスをここでキャラ変させてしまう辺り、これは作者(デュマ・ペール)の意図的なものでもあったのでしょうか。

飲み物-ワインと樽2
[ 2023/11/13 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

兎についてあれやこれやと

『どうする家康』もいよいよ関ケ原回です。白兎も年齢を重ねて逞しくなり、狸に豹変したかと思われるほど、腹芸もそつなくこなすようになりました。しかしその一方で、やはり時折は白兎の部分が顔をのぞかせてもいるようです。

しかし信長に竹千代を白兎と呼ばせたのは、やはり今年が卯年だからでしょうか。そう言えば「2023年は黒ウサギの年」などというのをネット上で目にしたことがありますが、私にしてみれば今年は「白兎の年」ですねやはり。

ところで、その黒兎について。

欧米社会の一部では黒猫はよく思われませんが、黒兎はそうでもなさそうです。しかしたとえば『ウォーターシップ・ダウンのうさぎ(ウサギ)たち』(2006年の翻訳改訂版後は『ウサギ』表記)などでは、死神のような存在と言える「インレの黒ウサギ」が登場します。このインレ、『ガンダム』のシリーズ(A.O.Z Re-Boot ガンダム・インレ-くろうさぎのみた夢-)に兵器として出て来ます。

それから黒兎は、悪い子を罰する存在でもあります。言うことを聞かない子の所へ、黒兎が4匹やって来て、子供を箱の中に押し込めて連れ去ると言うものです。

こちらは、西洋魔術博物館様のツイッター(X)投稿をお借りしています。4匹の黒兎が黒い箱を担いでいます。

FireShot Capture 519 - Xユーザーの西洋魔術博物館さん[ブラックラビッツ」

これを見て、思い当たる方もいるかも知れません。

ずばり『ピノキオの冒険』です。妖精(仙女)に助けられたピノキオは、薬を飲むように言われたものの苦いからと渋り、飲もうとしません。するとこの黒兎4匹が棺を持って現れ、ピノキオをそれに入れて連れ去ろうとします。慌てて薬を飲んだため事なきを得ますが、それに非常に似たものがあります。

尚、これは『ピノキオの冒険』の原作にのみ登場する場面です。ディズニーの『ピノキオ』にはこの兎たちは登場しません――と言うより、ディズニーは他のアニメ作品もそうですが、かなり改変されている、あるいは原作を基にした一種のパスティーシュと呼ぶべきでしょう。

ところで兎と一口に言っても、大きく分けて2種類の兎がいます。1つはラビットでアナウサギと呼ばれ、日本には野生種はおらず飼育種のみです。上記の黒兎もラビットです。この種は巣を作って、子供を育てます。また生まれたての子は毛が生えていません。体型は丸みを帯びてむっちりしており、可愛らしいイメージです。スヌーピーのモデルとなったビーグル犬が狩りをするのは、このラビットですが、スヌーピーは兎狩りには何ら興味はなさそうです。

もう1つはヘア、ノウサギで日本にも野生種が住んでおり、北海道に住む種はユキウサギと呼ばれます。こちらは巣を作らないため天敵が多く、子供は生まれたばかりでもう目が見えて、走ることができます。走ることに特化した後ろ脚が長い体型で、体もアナウサギより大きいです。

それからアニメでバッグス・バニーというキャラクターがいます。『ルーニー・テューンズ』のキャラクターで、バニーは「ウサちゃん」的なニュアンスです。そしてこのバッグス・バニー自身はその外見から、またデビュー作のタイトルが"A Wild Hare"(邦題『野生のバニー』)なので、恐らくノウサギと思われます。


飲み物-温かいカフェオレ
[ 2023/11/11 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

ハロウィンそして宗教改革記念日

毎年この時期、同じようなネタで同じような投稿をしています。
ハロウィンですが、そもそもはドルイド教の祭り(サウィン祭)が起源とされています。11月1日が正月に当たり、その前夜は収穫祭となるのですが、その日には死者の霊や魔物などが現世に現れると信じられていました。ハロウィンにつきもののコスプレは、悪霊を追い出すためともされています。また魔女や幽霊のコスプレをした子供たちは、家々を回って
「トリック・オア・トリート」
を叫び、お菓子を貰う習慣ができあがりました。『ピーナツ』のカボチャ大王が現れるのもこの日です。

『きのう何食べた?』シーズン2の第3話では、シロさんとケンジがコスプレ?をして小日向さんとジルベールを訪れます。この時のご馳走がなかなか豪華なのですが(原作第18巻に登場)、小日向さんの警官スタイル、そしてジルベールの狼コスプレが如何にもといった感じです。
ところでこの『きのう何食べた?』11月3日深夜放送分に、及川光博さんが、シロさんの元カレの役で登場です。ミッチーファンの方には、見逃せないエピソードかも知れません。

ところでこのハロウィンの翌日は諸聖人の日(万聖節)です。その前日にマルティン・ルターが95ヶ条の論題を送付することになるのですが、これが1517年のことです。この日の讃美歌『神はわがやぐら』、今でも懐かしく思い出します。
その後カトリックと、新興勢力プロテスタント諸派が対立を深めることになり、先日の『どうする家康』のウィリアム・アダムスの言葉にあるように、宗教の違いが国家間の対立に発展し、結果的にイングランド王国が覇権を握るようになります。尚この頃はエリザベス1世の統治の末期で、その後スコットランドのスチュアート家の支配となり、この両国は同君連合となります。

ハロウィン3
[ 2023/11/01 00:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『葵 徳川三代』の関ケ原1

『葵 徳川三代』について少し。

まずこの画像です。

葵徳川三代甲冑

関が原の戦い開戦時、黒田長政・後藤又兵衛主従がのろしが上がったのを目にしているシーンですが、この又兵衛の甲冑、何か既視感がないでしょうか。『どうする家康』で井伊万千代が着ているあの甲冑と同じものですね。

どうする家康万千代の甲冑

いずれも録画より。

もちろん、『おんな城主 直虎』の亥之助、後の朝之もこれと同じ物を着ています。
(画像がなくてすみません)

しかしこの大河の戦闘シーンは、本当に経費をかけているなとは思いましたし、またハイビジョン化でいつもより予算が増えたことも、この映像を生み出すのに大いに貢献したと言えるでしょう。
残念ながら今となっては、この再現は色々な点で難しいとは思いますが。
あと「大坂」を「おおざか」と発音したり、「御意」がよく使われたりもしていました。中村梅雀さん演じる水戸光圀がナビゲーター、所謂助さん格さんを女優さんが演じているなど、如何にもジェームス三木氏の脚本らしい部分もありましたし。

またキャストも豪華でした。
家康の津川雅彦さん、三成の江守徹さんをはじめ、これぞ大河と思わせる俳優さんたちが勢ぞろいでした。この時の三成は、夫人つながりで真田昌幸と縁続きということになっていました。
関ケ原での
「推参(差し出がましい)黒田、不忠者細川」
のセリフもまた印象的ではありました。この大河では三成の重臣島左近がこの黒田・細川連合軍と戦い、左近は黒田の鉄砲隊の射撃により絶命するという設定でした。尚後に三成が捕らえられ、着の身着のままで縄をかけられて家康の前に引き出された時、その「推参者」黒田長政は三成に陣羽織を着せかけていましたが、福島正則は、三成を如何にも憎々しげに見ていましたね。この人は先陣を切る予定だったにもかかわらず、井伊直政に押し切られてしまってもいました。

この時の如何にも猪武者的な福島正則、演じていたのが蟹江敬三さんで、他にもいくつもの大河出演があるものの、私としてはどうも『あまちゃん』の忠兵衛さん、アキちゃんのおじいさんを思い出します。

そして島津義久を演じていたのが、麿赤兒さんでした。ご存知の方も多いでしょうが、大森南朋さんのお父様です。三成の要請にもかかわらず、ここを動くわけには行かないと言い、最後に所謂島津の退き口が登場します。この三成や西軍の武将が、あちこちに動くように説得に赴くものの、既に調略済というケースも多く、何やら報われない雰囲気がありました。

この『葵 徳川三代』については、今後も書けたらと思っています。

飲み物-ワインとワイングラス
[ 2023/10/21 05:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

ラグビーあれこれ-ワールドカップ絡みで少し その2

ワールドカップ関連です。
まず日本関連の試合、地上波の視聴率について。

【ラグビー】日本がチリに快勝発進 19・7%の高視聴率、瞬間最高は22・4%
https://www.nikkansports.com/sports/rugby/
wc2023/news/202309110000305.html
【ラグビーW杯】日本-イングランド 早朝生中継の視聴率は6・3%
https://www.sanspo.com/
article/20230919-3NPZVWJAMZDB5KSZXWSKWZKI54/?outputType=theme_rugby_wc2023
【ラグビーW杯】サモア戦視聴率7・9% 祝日早朝のイングランド戦を上回る
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/tokyosports/sports/tokyosports-278270?utm_source=dnews&utm_medium=article&utm_campaign=contentsmatch1

チリ戦はもちろんですが、このイングランド戦の6.3パーセント、サモア戦の7.9パーセントは、日本時間午前4時キックオフとしては高めの数字です。サモア戦なんて平日(金曜日)の早朝ですからね。

そして10月8日のアルゼンチン戦、こちらは日テレで午後7時45分からで、決勝トーナメント入りを賭けた試合となります。これは大河関連投稿でも書いています。またこの試合により、『どうする家康』の世帯視聴率はいくらか影響を受けるかも知れません。

さて日本の課題ですが、外国出身選手がいるとは言え、高さがあまりない分ハイパントの処理に弱い点は修正されてしかるべきかと思われます。またフィジカル面で来られたらどうするか、もちろんそれも考えられているし、ディフェンスに穴を開けないように念を入れる必要もあるでしょう。

それでもひところに比べると、ディフェンスの精度はかなり上がって来ているとは思いますが、相手も本気になってくる以上、用心に越したことはありません。そして何よりも、
「どちらが勝ちたいか」
これが大きいかと思います。

ところでアルゼンチンの評価に関してですが、チリ戦の大量得点だけで評価しているマスコミがあるようです。これは如何なものかと思います。あの試合、それぞれのチームのモチベーションはかなり違っていた(アルゼンチンはこれに勝てば、決勝トーナメント入りが見込めると考えていた)でしょうし、またチリのディフェンスはかなりほころびもありました。ただ時間帯によっては、そこそこうまく機能している時もあり、その時はかなり締まった印象を与えはしましたが。

またこの試合に向けて、試合解説者がコメントを求められています。
「とにかく勝つということですね。点を多く積み上げて勝ってほしい。セットプレイ、スクラム。あとはハイボールの攻防ですね。高く受けたボールをしっかりレメキ選手や松島選手がキャッチして、日本の攻撃につなげたいですよね。サモア戦も回数は少なかったですが、クリーンキャッチていうのが少なかったので、アルゼンチンはそこを狙ってくると思いますので」、そこを大事にできたらと思います」
(山村亮氏、フィジー-ジョージア戦スタジオ解説、NHK総合 尚ハイボールとはハイパントとも言い、高く蹴り上げられたボールのことです)

「こういう頑張っているチーム(ポルトガル)を見るとかつての日本を思い出すんですよね。今は、もう堂々とワールドカップで勝つことも当たり前で、ベスト8というのが1つ最低ラインになってくるような国になっていますので、ジャパンもね。そう考えると日本がベスト8、アルゼンチンに勝てばベスト8に行けるというのがなんか当たり前になってきていますけど、ちょっと思い出すと夢のような今の状態ですよね」
「最終節まで決勝トーナメントに行ける可能性がある状態。勝ったら自力で行けるという状態に今、日本ラグビーがあるっていうのが本当に感慨深い」
(栗原徹氏、豪州-ポルトガル戦解説、日テレ)

あと南アがトンガ戦とルーマニア戦で、このチーム本来のダークグリーンのジャージーを着ていますが、やはりこれが一番「らしさ」を感じさせます。(リボック選手)

南アリボック選手

それからフィジーとジョージアが熱戦を繰り広げた日、フィジー代表のテュイソバ選手の、7歳の息子さんが、病気で亡くなられたとの由。お悔み申し上げます。

また豪州の若手を多く起用した編成に批判が出ていますが、実際2019年大会でも、フランスは今大会を見据えて若手を多く起用していました。しかしフランスはベスト8まで勝ち上がり、豪州は予選リーグ敗退か否かといった状態、しかもランキングが下のフィジーに負けている状態なので、その辺りが矢面に立たされる一因となってはいるでしょう。

それと前出フィジーとジョージアの試合、実況のNHKの冨坂アナウンサーはラグビー経験者なのでしょうか。裏を狙えばなどと言った、如何にも経験者らしい表現が、随所に聞かれますので。

後になりましたが、チームに帯同している西シェフのX(ツイッター)アカウントのリンクを貼っておきます。ラーメンあり、補食のにんにくチャーハンありと様々ですね。

尚ここの投稿にある補食ですが、トレーニング後のエネルギー補給のため、あるいは筋肉がダメージを受けた場合のリカバリーなどの目的で、通常の食事以外に摂る食事のことを言います。それからマッチデー、試合当日のメニューはカレーのようです。
西芳照氏アカウント

長々と書いて参りました。このワールドカップ以外に、朝ドラも録画していますし、『きのう何食べた?』も始まるので予約を入れておくことになります。朝ドラですが、主人公の鈴子ちゃんがよく熱を出していたというのに、『舞いあがれ!』の舞ちゃんを思い出します。


飲み物-グラスに入った黒ビール
[ 2023/10/05 00:30 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

「福岡藩初代藩主 黒田長政」その3

まず、ラグビーワールドカップ関連は次の投稿になります。あと、『どうする家康』のキャストの扮装写真も少しずつ発表されているので、こちらもじきご紹介したいと思います。

ところで先日の、福岡城・鴻臚館公式サイトの記事「福岡藩初代藩主 黒田長政」に関して。
今年の旧暦9月15日が10月21日となっていること、また長政公上洛は、徳川秀忠の将軍宣下絡みとあるが、家光だろうといったことを、一応指摘していました。
その後当該記事を見たところ、この2つが訂正されており、間違いがあったことのお詫びがありました。またタイトルが
「福岡藩初代藩主 黒田長政(2)」
に変更されています。これはどうやら、少し前に同じタイトルの記事があったからのようで、そちらは(1)となっています。ではその(1)の記事を、今回はご紹介しておきます。リンクがちょっとうまくつながらないようなので、取りあえず短縮したのを置いています。


今年の3月、「福岡城さくらまつり」の頃にアップされています。長政公の経歴と、福岡城が建てられたいきさつについて書かれていますが、ここで天守閣についての記述があります。記事からそのまま抜粋します。

長政といえばこの逸話は外せません。これまで福岡城には天守閣はなかったと考えられてきました。というのも正保3年(1646)に描かれた福岡城の絵図『福博惣絵図』には天守閣はなかったことなどから、官兵衛・長政親子は幕府に遠慮して建てなかったというのが定説でした。ところが近年、元和3年(1620)に小倉藩主の細川忠興が三男・忠利に宛てた手紙に、「長政が幕府に配慮し、天守などを取り壊すと語った」という記述が発見されて、存在説が浮上。実際に造ったものの、十数年で取り壊したのでは?と議論を呼んでいます。みなさんはあったのか、なかったのか、どちらだと思いますか?!

福岡城天守閣イメージ画像2

これは記事からお借りしたイメージ画像ですが、天守閣があったとすればこのような構造だとされています。
なかなか立派ですね。

個人的には、天守閣あるいはそれに類する建物は、あったのではないかと思っています。

大天守台のほかに中・小それぞれの天守台があり、周辺の発掘調査で、天守台に何らかの建物があったことは有力視されています。問題はそれが天守であったかどうかということでしょう。また私としては、天守閣を再建(あるいは新設)してもいいのではないかと考えています。

もちろん今の時代に天守閣を作るとすれば、内部は博物館やホールなどの多目的施設となるのでしょうが、敢えて往時のお城らしさを残すという方法もあるかも知れません。

ところで天守閣と言えば、この福岡藩と並んで採り上げているお隣の小倉藩。ここは昭和30年代に天守閣が再建されましたが、その時も紆余曲折あったと言われています。これについては、またそのうちに。


飲み物-アイスコーヒーとストロー
[ 2023/09/20 03:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

戦国大河と衣装と書見台

今週は放送がお休みだったこともあり、いささか大河成分不足といった感もありますので、ここでいくつか衣装のご紹介です。実は『軍師官兵衛』を観ていて、他の戦国大河に登場したのと同じ衣装と思われるもの、あるいは似通った文様などがありましたので、その一部の画像を置いておきます。

ます『軍師官兵衛』の茶々が着ている、藍の地に柄が入った打掛ですが、『麒麟がくる』で信長の母土田御前が、これと同じではないかと思われる打掛を着ています。しかし茶々の場合かなり派手目な衣装が多く、この打掛は寧ろ控えめであると言えそうです。

軍師官兵衛茶々   麒麟がくる土田御前

それから上の画像、『どうする家康』の第35回で登場すると思われる、家康と三成のツーショットです。この家康の羽織に、絞りの模様があしらわれていますが、下の『軍師官兵衛』のワンシーン、中津城で加藤清正(左)と差しで飲む長政の着物にも、似たような模様が見られます。

尚このシーンですが、この時清正を演じていた阿部進之介さんが『どうする家康』で黒田長政を演じるため、2人の黒田長政が向かい合っている感があります。

どうする家康第35回家康と三成2   軍師官兵衛加藤清正と長政

それからこの向かって左、於愛が評定の最中に入って来て、石川数正の仏像と押し花を見せているところです。この時の彦(鳥居元忠)の緑の裃(肩衣袴)と、右側の福島正則が着ている裃、どうも同じに見えます。

そう言えば板垣李光人さん演じる井伊直政の裃も、『おんな城主 直虎』の山県昌景、そして『天地人』の石田三成が着ていたものですね。

どうする家康第34回於愛と家臣たち2  軍師官兵衛福島正則

尚この正則の登場シーンは、長政が黒田家の家督を継ぐことが決まり、秀吉に目通りした後におね(北政所)に挨拶に来た時のものです。この時長政は、守るものは黒田家と大坂のお方様、つまりおねであると言っており、正則もそれに同調しています。

それからこちらは、他の戦国大河の衣装と同じというのではありませんが(無論他の作品とダブっている可能性もありますが)、長政の、この青灰色の小袖が結構好きなので上げています。ただしこれ、宇都宮鎮房を殺めた時の服装なのですね。

軍師官兵衛長政青灰色着物

そしてこちら、官兵衛が書見台を使っています。
『武将ジャパン』大河コラムでは、『どうする家康』で家康が本を手に持って読むたび、書見台を使っていないと指摘し、しかも大河以外の作品を引き合いに出しています。
しかし大河で、こういうふうに書見台を使っているのもあるのですから、今後はこれを引き合いに出せばどうかと思います。

ただ武者さん、この『軍師官兵衛』も好きではないのですね。好きでない作品でも意に沿うシーンはあるかと思うのですが。

軍師官兵衛書見台

画像は『軍師官兵衛』『麒麟がくる』それぞれのDVD及び録画、『どうする家康』公式サイトより。

[ 2023/09/15 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

「福岡藩初代藩主 黒田長政」その2

「福岡藩初代藩主 黒田長政」続きです。
https://fukuokajyo.com/post
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福岡藩主となった後長政公は、大坂夏の陣に出陣します。この頃既に48歳でした。しかもかつての豊臣恩顧の大名たちの中には、改易や転封となる者もいたため、なかなか安心はできなかったことでしょう。
(尚この時、家臣でもあった後藤又兵衛が出奔しています)

尚このパラグラフの後で、福岡城の現在の天守台の画像があります。天守閣不在は徳川に遠慮してのことかとあり、実際そうであったとも言われています。現在福岡城は徐々にかつての姿に復元されつつありますが、天守閣の史料については調査中とされています。

さて元和9(1623)年、徳川三代将軍家光(記事中には秀忠とありますが、家光です)の将軍宣下に伴い、京に滞在していた長政公ですが、この年の8月に病で亡くなります。享年56でした。死の2日前に家臣に遺言を残し、これに関しては

関ケ原の戦いの時の黒田家の功績を詳細に伝え、この功績をもって厚情を賜れるよう対処すること
またこの内容を自分の子(2代目忠之など)には伝えず、家臣の嫡子のみに密かに伝えること

として、藩に何か起こった際の対処策としていたことが窺えます。

父官兵衛が羽柴秀吉に取り立てられ、また常にその父の背中を見ていた人物でもあり、さらに自らも若い時から戦に加わる日々を送っていたこともあって、この家を存続させることの使命感を感じ取っていたのは、想像に難くありません。その後黒田家は明治維新まで筑前の地を統治し続けます。

辞世の歌は「この程は うき世の旅にまよいきて いまこそ帰れ安楽のそら」です。これを見るに、プレッシャーはかなり大きかったのではないかと察せられます。

ところでこの記事によると、来月10月21日は関ケ原合戦の日とあるのですが、今年の旧暦9月15日は10月29日の日曜日であり、だからこそこの日の『どうする家康』は関ケ原放送日ではないかと思ったのですが…もう一度調べ直してみます。

そして「黒漆塗桃形大水牛脇立兜」と「金襴軍袍(亀甲地文牡丹唐草金襴)」が紹介されています。兜は重文ということもあり、その形のユニークさからご存知の方も多いでしょうが、金襴軍袍については意外と知られていないと思われます。南蛮風を意識したデザインのもので、こちらに画像のリンクを置いておきます。

(福岡市美術館)

「戦で使用していた兜と陣羽織を見ると…案外に目立ちたがりの側面もあったのかな?と感じます」
とあります。と言うか、その当時はどの大名や武将も、こういう側面があったのかも知れません。
ただ、秀吉のペルシャ絨毯陣羽織にはかないませんが。

尚「黒漆塗桃形大水牛脇立兜」は、9月15日から福岡市博物館で開催される
「特別展 黒田長政没後400年 黒田侯爵家の名品 知られざる黒田家「家宝」の近代史」
にて展示されています。

(この項終わり)

飲み物-コニャック
[ 2023/09/15 01:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)
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まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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