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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第36回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第36回の『武将ジャパン』大河コラム関連その5です。尚、taketak39460607さんのnote記事のご紹介は、この次の大河関連投稿になります。

5ページ目、例によってファンダムやジェンダー論関連の持論展開が目立ちます。そして以前も登場した屈原の
「衆人皆酔えるに我独り醒めたり」(衆酔独醒)

衆人皆酔えるに、我独り醒めたり。屈原『漁夫辞』
みんなハッシュタグで無茶苦茶盛り上がっているけど、自分はそういう性格じゃないんだよね。

まず意味から行きましょう。
「多くの人は酔っているのに、私ひとりだけが醒めている。それ故に罪となり、遠い地に流されたのだ」
「自分はそういう性格ではない」とはちょっと違うような気もしますが…。

そしてファンダムとハッシュタグについて、

中高年以上は放映時間に大河を一斉に見ることが習慣としてあり、大手掲示板で実況書き込みをする人も多かった。その若い頃の習慣が抜けず、リアルタイムで投稿することで承認欲求を満たすことができるのです。そりゃ楽しいとは思いますよ。考えに考えて投稿してもろくに「いいね」も「リポスト」もされないのに、ハッシュタグつけてドラマのことを語ったらそれがドッとつく。中毒性もあるでしょう。

ハッシュタグをつけての投稿は、(武者さんがあまり好きでないであろう)中高年以上の、おじさんやおばさんのものなのでしょうか。またその人たちの投稿は、本当に承認欲求を満たすためのものなのでしょうか。そしてそれは、中毒性があると言い切れるものなのでしょうか。

確かに同じドラマを観ている同志で、やり取りをするのは楽しいものであり、その意味でハッシュタグは有効な手段です。しかしその人たちは年齢的にまだ若いかも知れないし、先行放送あるいは再放送を観ているかも知れないし、承認欲求よりもそのやり取り自体が楽しいからという動機からやっているとも思われるのですが、なぜこう断言してしまえるのでしょうね。武者さんのネガティブなファンダム観が窺えます。

その一例としての『ちむどんどん』(大河コラムのはずなのですけどね)反省会タグに関して。

◆ちむどんどん、イライラしても「見てしまう」視聴者達 一体なぜ?識者が推し量る「制作側の意図」(→link)
ハマって見ているならまだしも、つっこんで見ることが中毒性になってしまうですね。
(中略)
『ちむどんどん』についていえば、反省会タグに夢中になっていたと思われる方と実際に話したことがあります。
その方は、反省会タグで猛威を振るっていた“ある誤認”を元に批判してきたため、それに対し論拠を示しつつ、否定しました。そのときの相手の不機嫌な顔は今でも思い出せます。
どうやら「いいね」や「リポスト」に溺れていると、自分に確固たる自信が湧いてくるようで。

私もこの朝ドラの反省会タグは何度か目にしたし、中にはもっともであると思われるものもありました。武者さんの場合、好きな作品への反省会タグというだけで、敵視しているふしがないでしょうか。ならば見なければ済む話です。それとこの場合の「ある誤認」とは具体的に何なのでしょうか。

しかも、

私の指摘に対して「この番組の識者である我が意に背く気か!」とイラつく様子なのです。
しかし、だからといって論拠立てての反論はしてこない。

失礼ですが、何やらブーメランのように見えてしまうのですが。
その指摘が何であるのか、そして相手がどのようなことを言ったのか、よくわからないので何とも言えませんが、実際『ちむどんどん』にはその当時存在しなかった物、法律上適用されなかったこと(沖縄の農産物を本土で売れないといった)が適用されたかのような描写も出て来ており、それを指摘した人も当然いるわけでしょう。

今にして思えば「ちむどんどん」はアンチが強いだけで、そこまで悪くなかったのだと思います。
その次の『舞いあがれ!』は本タグもアンチタグもあそこまで盛り上がっていない。
ただひたすらつまらない、突っ込む価値がないと思われたドラマは、無言の離脱視聴者が増え、ただ単に数字が落ちるだけです。

既に上の方で述べていますが、疑問に思える点も沢山ありましたよ。
そして『舞いあがれ!』は叩くのですね。私はこの朝ドラは、そこまで投稿をチェックしたわけではありませんが、前作に比べると、突っ込まれる要素が少なかったのではと思えます。無論人によって好き好きはあったでしょうが。

SNSを見ると『どうする家康』も、反省会投稿そのものが減っています。「いいね」や「リポスト」がそうそうつかないんでしょう。数字や関連商品の落ち込みぶりと一致します。
今も稼働中の「反省会」は、滝行に挑むようなストイックな心境だと思いますね。

これで不思議なのが、武者さんは「いいね」や「リポスト」目当てで投稿するのが嫌だと言っているわけです。ならば、そういう投稿が少ないのは寧ろファンダムが健全に回っているわけであり、評価するべきことだと思うのですが、今度は皆が無関心だからという方向に持って行きたいのでしょうか。

そして「牝鶏晨す」、要はめんどりが鳴いて朝を知らせることから、女が権勢を振るうことのたとえで、国や家が衰える前兆とみなされるわけですが、これも時代遅れだとしたうえで

かつて、倫理、教育、道徳、人権、生真面目さを冷笑する態度こそがかっこいいとみなす風潮がありました。
(中略)
クールな本音をネットに書き込む自分たちこそが情報強者で特別だという特権意識が広まっていったのです。
そういう世代が、今ではそれなりの発言権を持つようになり、今、いろいろと弊害が出てきています。
典型的な逆張り冷笑欲求として、草を生やしながら女性蔑視をキメたいというものがあります。

その次にエコーチェンバーが出て来ますが、これはあまり詳しく書かれていません。
そして順番が前後しますが、この後にも

今年の大河ドラマを熱心に擁護している方たちの中にも、一部過激な方たちがいます。
ドラマを批判するSNSの反省会タグまで乗り込んできて、批判的なファンを攻撃していくのです。
彼らを見ていると、大河ドラマの出来がよいかどうかより、誰かを叩いたり、仲間同士で承認欲求を満たすことが大事なように思えてきます。

自分と仲間が推すと決めた大河は意地でも褒める。そこを抜け出そうものなら里を抜けた忍者のように叩かれる。
そんなギスギスした村社会のシステムが見えてきたように思え、興味深い。

先ほどブーメランだとちょっと書きましたが、これらの記述も似たようなものだと思います。
「大河ドラマの出来がよいかどうかより、誰かを叩くのが目的」
「自分と仲間が推すと決めた大河は意地でも褒める」
今までの武者さんのこのコラムを見る限り、この2つはかなり顕著な傾向となって現れているのではないでしょうか。しかも、それが年を追うごとに過激化している印象を受けます。

そして
「倫理、教育、道徳、人権、生真面目さを冷笑する態度こそがかっこいいとみなす風潮がありました」
とあります。武者さんはそうでないということなのでしょうか。
しかし嫌いな大河だと、出演者や制作スタッフが真面目に取り組んでいる作品を冷笑し、また登場人物を、かつてビッグモーターのCMに出ていたものの、イメージダウンになるので自ら降板した俳優さんを未だに「ビッグモーター」呼ばわりし、また近眼設定の登場人物をそうでないと一方的に決めつけ、こちらもまたレーシック呼ばわりしているわけです
正直こういった点では、武者さんも「逆張り冷笑欲求」と言えるのではないでしょうか。

現にこういう記述も出て来ます。

『どうする家康』は、こうした状況と非常に似通っている。
側室オーディションだけで一回使う。
マザーセナ信仰で何もかもばっちりだ。
バカな女をおちょくる女叩き要素も小ネタとして入れてくる。
団子売りだの大政所だの、ババアはちゃんとコケにしてくる。
『麒麟がくる』の”駒ちゃん“みたいな生意気な女はいないし!
ああ、なんて甘い世界なんだ!
そういうノスタルジーには合致しますよね。同じ脚本家の『レジェンド&バタフライ』もそうでした。

「側室オーディション」「マザーセナ信仰」「バカな女をおちょくる」「ババアはちゃんとコケにしてくる」
非常におちょくっている印象がありますし、このバカな女とかババアをコケにするというのを平気で出してくるのが、言っては何ですが、武者さんは本当は女性蔑視なのだと考えざるを得なくなります。
第一、団子屋の婆さんとか大政所の気持ちを読み取れていませんし。

で、これも『どうする家康』関連で、このような諺を引き合いに出しています。

櫝(はこ)を買いて珠(たま)を還(かえ)す。『韓非子』
ブランドのわかる箱だけ欲しいんです。中身はどうでもいいし。

この意味ですが、
「 外見の立派さに惑わされ、中身の本当の価値に気が付かないこと」です。
何か微妙に意味がずれていないでしょうか。

そしてこれに関連することで、

もしも『どうする家康』が民放ドラマや映画だったら。
あるいは女性主人公や女性脚本家であったら。
もっと徹底的にボロボロに叩かれていたかもしれない。
つまり、「男性向き大河」という“ラベル”に『どうする家康』の真価はあり、それを褒め、自己と一致させることが、自我の一部になっているのかもしれません。瓶の中身がまずかろうがどうでもいいと。

女性主人公や女性脚本家ならもっと叩かれていたとありますが、それを言うなら武者さんは、女性主人公や女性脚本家の大河を過去に叩いたこともあるので、これは如何なものかと思います。「女性だから叩かれる」という発想は、大河に於ける女性の地位を自分で貶めているようなものではないでしょうか。

また私としては、『どうする家康』は少なくとも、過去の、特に20年くらい前までの男性向き大河(の定義がどのようなものか、やや不明ですが)とは別物のように思います。武者さんにしてみれば、おじさんまたはおばさん向け大河でミソジニーと言いたいのかもしれませんが。

それからネスレ元社長の高岡氏の記事についてです。

こちらの記事が話題になっていたので、読まれた方も多いでしょうか。
◆【独自】《ジャニーズCM打ち切り問題》元ネスレ社長独占告白! 看板商品のCMに退所後の香取慎吾さんを起用...「タレントには罪がない」という理由(→link)
元ネスレ社長の見解が述べられています。
ジャニーズ起用の危うさとともに、ネスレは東京オリンピックスポンサーにもならなかったと指摘されています。
どうにも危ういと感じていた。その感覚を重んじたことが今になって急激に評価されています。

この記事ですが、一部切り取り報道をされているようにも見えます。
こちらの記事(アエラドットコム)では、元社長である高岡氏のこういうコメントが紹介されているので、その部分を挙げておきます。

https://news.yahoo.co.jp/articles
/44265f0bb26f042aa68b969b1aa2a32358419634?page=3

今、市場調査したら、ほとんどの人は、ジャニーズのタレントが広告に出ている商品は買わないって言うでしょう。でも、それはうそです。買うとは言いづらいから、買わないって答える人が多いだけで、回答結果と実際の購入行動が一致するとは限らない。それを理解したうえで判断するのがマーケティングのプロであり、企業としての正しい姿勢だと思います。

みなさん、ジャニーズの企業体質を変えろって言いますけど、加害者本人がいない今、何をどう変えるべきだと思っているのでしょうか。社名を変えれば、体質は変わるんですか? トンチンカンすぎて、グローバルでは笑われますよ。

隠蔽(いんぺい)体質を責めるつもりなら、取引企業やメディアも、性加害の実態を知らないふりして、あるいは知ろうとしないで、一生懸命ジャニーズにお金を投じてきたわけなんだから同罪でしょう?


武者さんはこの記事のことを、ご存知なかったのでしょうか。

あとまたメールフォームのリンクがありますね。
まあ私は、武者さんが望むような意見は送らないとは思いますが。


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[ 2023/10/01 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第29回に関しての武将ジャパンの記事について-4

『どうする家康』武将ジャパンコラムその4です。


「うまいことやれたんや!」
「わしを誰やと思っとるんや!」
死の間際、なぜ明智光秀は突然、関西弁になったのでしょう?

まず、「関西弁」だと現代ドラマを思い出してしまいます。上方言葉ではいけないのでしょうか。
しかもこの「関西弁」はおかしい、光秀には現在の岐阜の言葉を喋らせるべきとありますが、光秀自身どこの出身かははっきりせず、近江説もあります。また美濃であるにせよ、美濃の中でも方言は様々ですし、地域によっては関西の言葉の影響を受けていることもあるようです。

光秀役の方は、『麒麟がくる』は見ていないとインタビューで語っていました。明智光秀のことも調べていないと。そうでしょうね、見ているなり、調べていたら、気づいたことでしょうから。
史実に基づく役作りをするのではなく、ともかくゲスであればいいと演じる側も、演じさせる側も振り切っていたのでしょう。

過去の作品を観たりしたのかという問いに、酒向芳さんはこう話していますね。

ないですね。私は元々あまり見ないので、長谷川さんがやられていたのも見ていません。かえって見ない方がいいというのもあります。不勉強と言われるかもしれませんが、明智光秀についていろいろ調べるということもしません。調べて頭でっかちになって、それに沿ってやろうとすると、自分がどこかに行ってしまいます。与えられた脚本の中で想像してやるだけですね
https://www.sponichi.co.jp/entertainment
/news/2023/07/16/kiji/20230716s00041000465000c.html

また別に、子孫の方で歴史研究をされている明智憲三郎氏のコメントですが、光秀の旧態依然とした描き方は残念としつつも、こう語られています。写真雑誌ですが一応。

明智の末裔というより、研究して本まで出している身としては、歴史をどう解釈して世に出してくれるか、その点を注目していますからね。
そういう意味では、3年前の『麒麟~』は、正直言えば、あまりうれしくはなかった。ドラマのトーンとして、光秀を英雄的に描き、一般的な光秀の人物像をある程度変えてくれたという意味では感謝していますが、話の中身としてはそれほど新しいことはなかったですから。
(中略)
一方『どうする家康』は、何も期待せずに見ていたぶん、甲相駿三国不戦同盟や乱丸が出たことによって、評価は高くなりました。本能寺の変の旧態依然とした描き方は残念でしたが。
https://smart-flash.jp/entame/246187/1/1/

NHKのドラマはお国言葉指導が入ります。
朝ドラ『らんまん』は、主人公の出身地である高知だけでなく、薩摩ことばもフル回転で指導されています。
東京で巡査に道を聞いたら、薩摩ことばが返ってくる場面もあって、さすがだなぁと思いました。
警視庁ができたばかりの明治初期は、初代大警視・川路利良のスカウトにより、薩摩出身の警察官が多かったのです。そこまで反映しているのです。
薩摩ことばは近年の大河でもおかしかったのに、朝ドラは素晴らしい。
セリフだけ読めば標準語なのに、イントネーションが薩摩ことばとか、薩摩訛りの英語とか、今期の朝ドラは気合が違う!

その近年の大河(西郷どん、青天を衝け)はどちらも武者さんが好きでない大河であり、きちんと観ていたのか、薩摩言葉をちゃんと聞いていたのかどうか疑問に思われます。『西郷どん』なんて、ちゃんと川路利良まで出て来ているのですけどね。

それに比べて大河と来たら……。
本作脚本家は映画『レジェンド&バタフライ』でも妙でした。
例年の大河ならば脚本段階で修正が入りそうな歴史考証でも、そのまま放置されています。一例がイチジク。今回も出てきましたが、伝来前です。

『レジェンド&バタフライ』のどこが妙だったのか、それをきちんと書いてください。でないと結局同じ脚本家で叩きたいからだとしか思えません。
そしてイチジク、実は当時の「イチジク」について、調べた方がいますが、イヌビワがイチジクと呼ばれており、またその実も食用になることから、イヌビワの可能性もあります。しかし武者さんが好きな『おんな城主 直虎』でもイチジクは登場しますが、その時は何も言及していなかったと思うのですが。

『鎌倉殿の13人』では、当時の日本に存在しない野菜が出てきたために台詞を修正したと三谷幸喜さんが振り返っていました。
今年は、そうした最低限のミスすら直さない。

それを言うのであれば、武者さんがほめていた『ちむどんどん』でも、当時日本に持ち込むことができなかった、沖縄の野菜がそのまま入って来ていたりしていますが。

本当に史上最低の明智光秀でした。
農民に刺されて死ぬとかダッサwww それだとつまんねーから家康のせいってことにしとこwww
そんな風にでも考えたのかもしれませんが、このドラマは登場人物がスマホで連絡を取り合っているとしか思えません。
伊賀越えでも生死がかかるほど苦労するのに、指示をホイホイだせるわけがないでしょう。

なぜ光秀が死ぬのが家康のせいになるのですか。実際小栗栖で農民の竹槍にかかったとも、切腹したとも言われてはいますが。そして
「伊賀越えでも生死がかかるほど苦労するのに」
まるで武者さん自身が伊賀越えをしたかのようですね。
尚制作陣は実際に伊賀越えに挑んだ模様です。
そして
「指示をホイホイ出せるわけがない」
とありますが、そこまでホイホイ出していますか?半蔵が自分の経験に基づいて指示してはいますが。

このドラマは、ヤンキー漫画と都内詐欺師の行動範囲で作っているので、落武者狩りについても甘く見ているのではありませんか。

「このドラマは、ヤンキー漫画と都内詐欺師の行動範囲で作っている」
好きな大河をこう言われた時の武者さんの反応が見たいです。

本作は、大河というより民放感覚なのでしょう。
民放時代劇はNHKへの対抗意識を燃やしていた。その矛先は、これまでは『おんな城主直虎』と『麒麟がくる』でした。
今後は『真田丸』になります。
前述の通り、このドラマは「あの『真田丸』より過酷な伊賀越え!」という触れ込みをスポーツ紙に持ち込んでいたようですからね。

『どうする家康』は大河ドラマであって、民放時代劇ではありませんよ。第一今民放時代劇というものが、SP的なものを除いて存在しうるものでしょうか。
そして
「その矛先は、これまでは『おんな城主直虎』と『麒麟がくる』でした」
ではその裏付けを出してください。あと『真田丸』への対抗意識の裏付けも。
第一家康が主人公の大河の伊賀越えですから、当然『真田丸』のそれとは違うのですけど、武者さんにしてみれば『真田丸』を超えるのが許せないとなるのでしょうね。

今後ずっと「あの『真田丸』を超えた!」と最終回までやられる悪寒がしてならず、近いうちにこんな提灯記事も出ることでしょう。
「あの『真田丸』の秀頼を超えた!? ****が演じるイケメン豊臣秀頼に“今度こそ徳川に勝てる”とネット大歓喜!」
『真田丸』の秀頼をうっかり踏んづけてしまえば、『鎌倉殿の13人』を愛する全国の武衛もキレるかもしれませんね。
なんせ『真田丸』の秀頼は、畠山重忠を好演した中川大志さんです。

提灯記事(好きな大河なら評価されていると書くのでしょう)云々は武者さんの妄想と言うべきかと。
ちなみに今回の秀頼も決定していますし、『真田丸』の秀頼とはまた違った雰囲気になるでしょう。武者さんの中川さん推しはともかく、彼が演じた秀頼がすべてではありません。

そしてこうも書かれていますが、

今年の大河を語るうえで、他の大河を持ち出すべきではないという意見はよく見かけます。
しかし、ネットニュースではあえて過去作品を超えるという触れ込みを出してくる。
公式すら連想させるそもそも同じ枠ならば比較は当然のことでしょう。

「過去と比べる」のと、「自分が好きな過去の作品の通りにしなさい」とでは、明らかに違うと思われます。

国民的番組である大河ドラマ。
その出来や中身がどうであろうと、褒めるニュースが出てくるのは、メディアの売上面から考えて自然なことです。
しかし、視聴率も低迷していて、内容がつまらないとなると、書く方も苦しく、定番の逃げ道へとシフトします。
それが「ドラマ通ならわかる!」というスタンスですね。
◆【どうする家康】切なすぎる永遠の別れ、家康が信長を討てなかった理由とは(→link)
◆『どうする家康』「本能寺の変」で描かれた“信長”岡田准一と“家康”松本潤の濃密な絆(→link)
よくもまぁ掘り起こせるもんだなぁ……とばかりに褒められたものですが、そんな無理くりな説明が必要なほどにわかりづらいドラマは、良いドラマと言えるのか。

まずこの2つですが、
「ドラマ通ならわかる!」
などという表現は出て来ません。いずれも第28回、あるいは直近の何回かがなぜああいう展開になったのか、その部分を、客観的に述べていると思われます。特に最初の記事は例のお市とのシーンが引き合いに出されてもいます。武者さんがやけに煽るような文章を書いたシーンですが、こちらの方の文章はかなりまともです。
と言うか、武者さんもプロのライターなら、せめてこのくらいの記事を書いてみてはどうかと言いたくなるのですが。

そして、

以下のPRtimes記事は筆者名に注目です。
◆松本潤主演のNHK大河ドラマ「どうする家康」のノベライズ第3弾! 『どうする家康 三』が7月25日発売(→link)
ノベライズ筆者と一致します。この方は磯Pが手がけた『なつぞら』のノベライズも担当し、『どうする家康』脚本家のインタビューも手がけています。
皆まで申しませんが、公共放送の関連書籍としてあるべき姿なのですかね。

このPRtimesですが、商品紹介ですね。
「ノベライズ筆者と一致します」とありますが、ノベライゼーションの紹介だから当然です。
そして木俣氏がノベライゼーションを担当しているなら、インタビューを担当してもそこまでおかしくはないと思います。なのに『なつぞら』のノベライズの担当まで出して来るということは、磯氏の作品に木俣氏が絡み過ぎている、公共放送としてけしからんと言いたいのでしょうか。

NHKは公共放送です。
今年の大河は、その建前すら危うくしている。
例えば、私は“ひらパー”の広告が大好きです。シャレが効いていて、さすが大阪だと唸ってしまう。
しかし、NHK大河ドラマでこういうことをするのは、タガが外れているとしか思えません。
◆岡田准一の「どうする家康」告知動画、ひらパー反応「呼んだ?」(→link)
といっても、これならまだマシかも。
民放ドラマにすら縋る宣伝戦略には呆れるばかりです。
◆【どうする家康】家康が伊賀の忍者に襲われる NHK「99.9%脱出不可能」(→link)
「99.9%」とは、TBS系列「日曜劇場」枠で放送された『99.9-刑事専門弁護士-』に乗っかっているのは明白ですね。

ひらパー、前も「園長(そのなが)」をやっていたし、その程度なら問題視するべきでしょうか。
そして民放ドラマの方ですが
「今年の大河は、その建前すら危うくしている」
とありますが、『真田丸』と『半沢直樹』をリンクさせた記事もあります。

堺雅人が“組織で働く人々”の共感を呼ぶワケ 『真田丸』最終回で『半沢直樹』ブーム再来か?
https://realsound.jp/movie/2016/11/post-3233.html

この記事、古沢氏の『リーガル・ハイ』とも絡めていますね。

その後で、

やはりジャニーズ主役で大ゴケするわけにはいかないということでしょうか。

とあり、例によってジャニーズ関連でまたリンクが貼られていますが、今回は省略します。
しかし今回の秀頼はHiHi Jetsの作間さんですからね。武者さんがまた何か言いそうです。武者さんが一番よくないと思われるのは、ここの事務所の所属だからというだけで、主演の俳優さんを容疑者であるかのように言い、そしてドラマ自体にも(よく観ることもなしに)けちをつけていることです。尚ドラマに関して言えば、好きな作品であってもきちんと観ているとは思えません。

そして最早恒例となったメールフォームのリンク、また次回も楽しみですと書いて送ることにしましょう。


飲み物-ビールと夕日2
[ 2023/08/05 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『武将ジャパン』関連と平原氏のnote等々まとめてご紹介

まずtaketak39460607さんの『武将ジャパン』大河コラム関連noteで、武者さんが14日にアップした「信長を殺す」関連記事への突っ込みが入っていますので、URLを置いています。あと加筆と優先順位の変更を行っています。尚引用部分は、

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』~番外(記事スクショあり)
https://note.com/taketak39460607/n/n1a826bb398e4

この中でtaketak39460607さんは、武者さんの

いくらフィクションと言えど、物語にあり得ない状況を持ち込むのは歴史作品のタブー

『麒麟がくる』の徳川家康は徹頭徹尾、幼少期からドライであり、冷徹そのものでした

冷酷で理解し難い家康像だった『麒麟がくる』と逆を進むがごとく、例えば「なぜ戦うのか?」と問われても理由を答えることができません。愛妻である瀬名の陰謀が発覚した際、自害して始末をつけると語る彼女を前に、「天下や国なんてどうでもいいから二人きりで暮らしたい」と訴えていた。一人の男、時代ものらしく呼ぶとすれば「匹夫」ならばそれでよいでしょう。

などという問題提起、もとい武者さんの個人的な『どうする家康』観を論破しています。そして、何かと『麒麟がくる』を叩き棒にしたがる武者さんに、正当な『麒麟がくる』思い出語りレビューをしてはどうかと忠告してもいます。

あと

今年の『どうする家康』にも、小豆袋を擬人化した阿月のような人物がいます。
しかし彼女は、出番が少ないところから急に現れ、自身が死に至るまで戦場を走り抜け、画面を独占するような唐突さがあり、ウケ狙いの範疇にしか思えないのが辛いところでした

これに関しても、彼女がお市に仕える前に人買いに売られたことに触れ、小豆袋をその当時の庶民の姿と重ね合わせた描き方であると指摘されており、
「史実と違う・自分が考えた歴史と違うというと二言目には『ウケ狙いw』ですが、『この史料とは違うけど実際のところはどうだろう、歴史に書かれないところはどうだったのか』という想像力はないんですか?」
と注意されてもいます。
私も武者さんの、自分が描いてほしいシーンと異なる描写をウケ狙い呼ばわりするのは抵抗があります。そもそもこの「ウケ狙い」、妙に茶化したような雰囲気がありますし。

また

黒幕説はスマホがあれば可能である

などともありますが、これも大河レビューでなく、空想歴史小説とすればいい話とあっさり言われてしまっています。本当にこの武者さんはレビューと、個人的感想をごっちゃにしまくっている感があります。

またこの中で、民放ドラマでヒットを手がけた脚本家が前面に押し出されているとあります。『リーガル・ハイ』のことでしょう。そして民放ドラマのような切り口で、プラスどころかマイナスになってしまったと思えると書かれ、以下のような点が指摘されています。

・シンガーソングライターが歌いながら戦場を駆け抜ける
・役者の境遇を人物設定に落とし込み、史実よりも重視される
・過去大河ドラマネタを使い回し、 SNSでの受けを露骨に狙う
・唐突なラブコメじみたシーン。性暴力や遺体損壊を入れる

無論こういう点も、過去の作品を精査し、似たような事例がなかったか例を挙げてほしいと指摘されています。
それに過去ネタ使いまわしと言っても、史料が同じだと似てくるところはありますね。そしてまた「遺体損壊」。これも当時は寧ろ当たり前のはずですね。

それから、シンガーソングライター(鳥居強右衛門を演じた岡崎体育さんと思われます)が歌いながら戦場を駆け抜けるシーンなどありません。あのシーンの歌は、BGMとして流れているだけです。

それと家康の「信長を殺す」というセリフはガイドブックにはない、数字狙いだなどと書かれています。ご存知の方も多いでしょうが、ガイドブックは、その時のあらすじやセリフが逐一載っているわけではありませんし、シーンやセリフによっては、明記されていないこともあるのですが。

そして『武将ジャパン』大河コラム関連でご紹介した記事に関して再度。武者さんは叩くためにリンクを貼ったのでしょうが、記事中には、もっともと思われる箇所があります。

有村架純が演じた「瀬名」の最期に涙が止まらない…大河ドラマ『どうする家康』に秘められた「裏のテーマ」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/bdf50ff837d14e9fdbf0f65728267a6fe6ffb8fc?page=1

この中で、過去の大河が「悪人」とされた人物を、「善人」または「正義の人」という見方に持って行っており、悪女とされていた瀬名自身の見方も、今回大きく変わっています。ただこの記事の4ページ目で
「だから、秀吉は、あそこまで悪い人に描かれているのだ。彼はいわば「覇道」そのものを体現した存在だからだ」
とある点については、現時点では何とも言えません。

それと武者さんがこれを嫌がるのは、瀬名が「仁の世界」を提案したからと書かれていることもありそうです。武者さんにしてみれば「仁」がふさわしいのは『麒麟がくる』の明智光秀とか、『鎌倉殿の13人』の北条政子といった人々であり、このコラム的には「カルト」の親玉的な瀬名に対して、およそ使ってほしくない言葉だからでしょう。

それからこちらですが、

松本潤、『どうする家康』家康役で“憂い”の魅力発揮 思慮深さのある役で放つ輝きと説得力 | マイナビニュース
https://news.mynavi.jp/article/20230708-ieyasu/

この中にはこうあります。
「けれど、『どうする家康』は、そうではない物語(私注・登場人物が目覚ましい活躍をする物語)を模索している。なにかをやろうとして失敗した物語をあえて描く。傍から見たら笑われそうな、とるに足らない計画を思いついた結果、案の定、失敗してしまったという悲劇の物語なのである。
(中略)
「もしも◯◯が◯◯だったら」という物語を作るなら、オリジナルキャラでやるべきかもしれないが、日本一有名そうな家康だから面白い。多少、オリジナルで描いたって、家康が誰もなし得なかった太平の世を作る偉人であることは知れ渡っている。(中略)何も知らない子供たちがこのドラマを見て、歴史を間違って学ぶなんてことはない」

少し前に私は、史実や記録がある人の方が改変しやすいと書いたことがありますが、やはり、大雑把でいいから何をしたかがわかっている人の方が、アレンジも可能ではあるでしょう。知名度があまりない人物で創作をかなり入れると、どうもその創作のイメージが結びつくため、周囲の比較的有名な人物を、ある程度きちんと描く必要が出て来そうです。

そして平原学氏のnoteが久々に更新されていたので、こちらもURLを貼っておきます。

【どうする家康】史実とか史実じゃないとかもうどうでもいい。今作の家康と家臣団の結末をただ追いたい。第23~25回レビュー
https://note.com/barusan/n/n7b399a0d5b20

それからこれは古沢氏の『リーガル・ハイ』関連の、弁護士ドットコムの記事です。

『「リーガルハイ」弁護士が選ぶドラマ1位に!脚本家・古沢良太氏インタビュー<完全版>』 - 弁護士ドットコムタイムズ
https://www.bengo4.com/times/articles/328/

この記事自体は、『どうする家康』の制作発表が行われた後のものであり、

「ターゲットが狭くても、深く刺さるものにしよう」
「現実って、正義と正義がぶつかっているから面倒くさいわけじゃないですか」
「「リーガルハイ」のときに発見したのは、『裁判で勝ったから幸せ、負けたから不幸』ではないということでしょうか。大事なのは、裁判の後、どう次の人生を踏み出し、歩んでいくか」

などというコメントは、この大河にも当てはまるかと思われます。

しかし武者さん、以前『ちむどんどん』で三郎の妻多江に関して、反省会界隈でかわいそうと言っていたのでしょう。
「なんか多江をかわいそうだのなんだの言っていた界隈も知っておりますが、何が幸せでそうでないか決めるのはあなたたちではないでしょう」
などと朝ドラnoteに書いていますが、好きな作品をとやかく言われるのには反発する割には、嫌いな作品だと、ドラマ本編をきちんと観ているようでもないのに、自分であれこれ決めつけまくってやしないかと思います。


飲み物-サイダー
[ 2023/07/17 00:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

朝ドラの構成に関して思ったことをいくつか

今は朝ドラを観ていませんが、昨年の今頃は『ちむどんどん』であれこれ書いていたことを思い出します。あの展開も、せめて

当時は沖縄の農作物を本土に持ち込めなかった
沖縄から東京までの飛行時間と便数

などは考えてほしかったし、暢子がまずあまゆで働き、その後、レストランにスカウトされるという流れでよかったのではないかと、今も思っています。

しかもこの場合、愛と矢作が比較的まともな人物であり、そのため彼らの考えや行動を中心に観てしまうことが多く、そうやって観る限り、主人公サイドであるはずの暢子や比嘉家の人々の行動に、やはり疑問を持たざるを得ませんでした。何か、主人公がひたむきにと言うか、自分のやりたいことを極めるために、こつこつ仕事をすると言う感じの朝ドラではありませんでしたね。

武者さんというか小檜山氏は、『舞いあがれ!』の脚本は支離滅裂などと書いていましたが、個人的には朝ドラあるあるもあったにせよ、『舞いあがれ!』の方が楽しめました。

何と言っても小檜山氏が、舞の子供時代と、そして舞がパイロットになった後のリーマンショックで入社が延期になり、実家の工場で働くことになった時の2回にわたり、舞が他人の家庭行事を横取りしたとか、あるいは他人を追い出して仕事を自分のものにしたとか書いているようです。これではミスリードです。

嫌いなものなら何でも書いていいと考えているのでしょう、今年の大河のコラムでも同じようなことをやっていますから。ただこれが関係者の人格攻撃になっているのはやはりまずいし、ましてプロのライターがそれをやっているのなら、何をかいわんやです。


飲み物-アイスコーヒー5
[ 2023/07/15 01:45 ] 朝ドラ | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第26回に関しての武将ジャパンの記事について-4

『武将ジャパン』大河コラム関連その4です。毎度のことですが、後半部分は最早持説展開ですね。


殿は変わられた。豹変した。それはわかりました。
で、それを補うように、家臣がズラズラ全員でやってきて、説明セリフを語らせるのは何なのでしょう。
説明することでした表現できないと考えているようですし、このときの家臣たちのだらけきった所作も緊張感を削いでいる。
一糸乱れぬ有様でやってきて、一斉に座り、頭を下げるような気品があれば説得力がある。
でもこの家臣団は、居酒屋にやってきたチンピラ仲間にしか見えない。
すみませーん、生ビール持ってきて〜。とか言い出しても違和感がないんです。

最初このシーンがどこなのかと思っていたら、最後のお気持ちを伺いたいというあれですか。
しかし「説明セリフ」とは何でしょうね、「信長を殺す」と「天下を取る」と、信頼のおける彼らの前で打ち明けただけだと思いますが。それに
「一糸乱れぬ有様でやってきて、一斉に座り」
などとありますが、別にここは宮中でも、将軍の御所でもありませんが。しかもやって来たのは、万千代を除けば三河の頃からついて来てくれている者ばかりで、そこまで緊張を強いるような状況ではないはずです。ただ主君が織田の犬に成り下がっているようで、納得が行かないから説明を求めたのでしょう。
そして「生ビール」云々、嫌いな大河ではいささか低俗な比喩をしたがりますね。

本能寺まで46日――そんなカウントダウンが出ました。
サイコパス系家康と、本能寺黒幕説が組み合わさったかのような展開。
本能寺の黒幕説が流行した時代はとうに過ぎ去り、むしろ古臭いセンスになりつつあるのですが、まさかこのまま突き進むのですかね。

カウントダウン、『龍馬伝』の「暗殺まで〇〇日」を思い出します。それはともかく、
「サイコパス系家康」
昨年義経がサイコパスと呼ばれた時は嫌がっていたのに、嫌いな大河だと平気でこう呼びますね。そして本能寺黒幕説といより、彼もまた天下を狙っている1人であり、ゆえに信長は、この男から狙われるかも知れないという可能性でしかないのですが。寧ろこの大河では秀吉の方が、腹の底で何を考えているかわからないところがあります。

であとは、また「マザーセナ(救世主)」だのカルトだの。ともかく武者さんがカルトが好きだというのはわかりました。しかし本題ではないので省きます。
そしてその次にBBCとの比較があり、NHKはBBCから何を見習えばいいのかとしたうえで

BBCとNHKを比較すると、商業展開への厳密性が挙げられます。
BBC以外が販売しているものとのタイアップにはかなり厳しい。企業の宣伝にもルールがある。NHKはその点どうなのでしょうか。
前回の朝ドラ『舞いあがれ』は、脚本家が自作した短歌を、作中で天才歌人設定の人物が詠むという設定でした。
劇中の編集者は、その歌を褒めちぎる。自分の作品をこうも褒め、天才の歌は売れて売れて仕方ない、そう描くってすごいことだと思いました。
で、その歌集が今度発売されるとか。朝ドラ効果もあり、なかなか好調なんだそうですよ。
それはそれで結構なことと言ってもよいのでしょうか。
脚本家は、ドラマを使った自作自演方式で和歌を褒めるよりも、支離滅裂だった脚本をもっとまともにできなかったのかと言いたくもなりますが、話はそこでもなく。
これは宣伝に朝ドラを使っているのでは?
NHKの倫理観は?

まずNHKの番組関連タイアップですが、かつて『おんな城主 直虎』絡みで、「鶴の唄」という曲が発売されたと思います。武者さんはそれに批判らしきものをしたのでしょうか。
そして『舞いあがれ!』の「天才歌人」設定なる人物、主人公の舞の幼馴染で後に結婚する貴司ですが、この人物は自作の短歌が褒められはするものの、段々商業ベースに乗せられて自分の理想とかけ離れるようになり、ひどく悩むようになります。ところがそういった説明が、武者さんのコラムではすべて省かれていて、これは如何なものでしょうか。単に天才と呼ばれて喜ぶタイプの人物ではありません。
それと「支離滅裂だった脚本」とありますが、支離滅裂だったでしょうか。「かささぎ」の実用化までが、ちょっと駆け足だったとは思いますが。それを言うなら『ちむどんどん』の方が、私としては疑問に思えました。
あるいは『舞いあがれ!』のスピンオフが制作されるのが、面白くないのでしょうか。

ここ10年の朝ドラは企業宣伝のようなテーマも多く、なし崩し的になっているとは思いますが、それにしてもNHKは弛緩しきっているのでは?
もしもジャニーズへの追及を阻んでいるのは大河主演俳優への忖度ゆえにだとすれば、 NHKはいま地雷の上にいるわけです。本能寺よりこちらの方が気になります。
BBCは視聴者の目線も厳しく、時代考証で間違えようものならば、国の恥だと徹底的に叩かれます。
NHKはそういうところからして脇が甘い。そんな弛緩ぶりを許しているのは、視聴者やマスコミにも原因ありだと私は思います。

で結局武者さんは何を言いたいのでしょうか。
NHKの商業戦略がよくないのですか?
ジャニーズ問題をNHKが追求しないのは、大河主演俳優への忖度だから気に入らないのですか?
何だかNHK叩きついでに、ジャニーズを絡めているように見えて仕方ないのですが。

そしてBBCの歴史ドラマをいくつか挙げ、
「BBCは視聴者の目線も厳しく、時代考証で間違えようものならば、国の恥だと徹底的に叩かれます」
ならばその具体的根拠を挙げていただけないでしょうか。
そもそも「時代考証で間違える」とは何ですか?史料というのは著名人であるほどいくつもあり、どれを採用するかはその番組次第です。間違えているいないではなく、ベースにする史料次第で描き方が違ってくるとか、同じ史料でも主人公が誰であるかで描き方が違うというのはあるでしょうが。
言っては何ですが、平山優氏に注意されたこともあって、この大河の考証は間違っていると主張したいのかと、つい思ってしまいます。

あとジャニーズの例の問題を広めたのは、最初はBBCでしたね。武者さんがBBCに関して騒ぐのはその意味では理解できます。

天下の興亡は匹夫も責め有り。顧炎武『日知録』
今年の大河を手放しで褒めることは、どういう意味があるのか。

まずこの「天下の興亡は匹夫も責め有り」
国家の興亡は政治に携わる人物だけでなく、一般人にも責任があるという意味ですが、それとNHKとの結び付け方が、強引すぎるかと思います。

NHKを甘やかしていいのか?
と、私は考えてしまいます。
歴史知識よりも芸能界裏話が重視され、大河という国民的コンテンツをどう思っているのか。そんな報道姿勢は歴史に対する侮辱だと思ってしまいます。
公平性という点でもうひとつ疑問を。
NHKの大河ドラマと朝ドラはノベライズされることがしばしばあります。
そのノベライズ担当者が、自分が手がけたドラマを絶賛する連載を持っていることが多い。今年の大河もそうです。
ノベライズされない作品や、その担当者が連載で褒めない場合、酷評が増える傾向があります。
これは果たして公共放送としてあるべき姿なのか? 公正と言えるのか?
ステマどころかダイマ(ダイレクトマーケティング)ですよね。

「NHKを甘やかしていいのか?」
お言葉ですが、報酬を貰っているにもかかわらず、大河コラムで無関係なことを書き、あまつさえ、果たしてドラマ本編をきちんと観ているかどうか、疑問に感じられる記述があり、しかもあらすじの説明は「おじさん構文(もどき)」で済ませている武者さんの方が、よほど甘やかされていないでしょうか?
しかもここ、

「歴史知識よりも芸能界裏話が重視され、大河という国民的コンテンツをどう思っているのか。そんな報道姿勢は歴史に対する侮辱だと思ってしまいます」

何だかとにかく自分が書きたいことを詰め込んだ、そのように見えますし、大げさでわかりづらいです。
加えて
「NHKの大河ドラマと朝ドラはノベライズされることがしばしばあります。
そのノベライズ担当者が、自分が手がけたドラマを絶賛する連載を持っていることが多い。今年の大河もそうです。
ノベライズされない作品や、その担当者が連載で褒めない場合、酷評が増える傾向があります。これは果たして公共放送としてあるべき姿なのか? 公正と言えるのか?」
ではその例をきちんと挙げていただけないでしょうか。
「増える傾向がある」と書いているのであれば、数字もチェックしておられるのでしょうから。

そして
「ステマどころかダイマ」
武者さんがやけにBBCの番組を引っ張ってくるのも、ちょっとそんな感じがするのですが。

でこの後ですが、松本潤さんを評価する記事をけなし、
「私には、あれ(私注・BSのCM)は犯罪隠蔽と加担を平然とする公共放送の姿勢に見える」
とあるのは、さて如何なものでしょう。これでは松本さんが犯罪者で、NHKがそれを隠蔽しかつ加担していると見えますが、これは誹謗中傷に取られかねないのではないでしょうか。

さらにその後、今度は武者さんの「ジャニーズは犯罪者」説を支持する記事の紹介が並んでいますが、タイトルだけ挙げておきます。

「嵐が過ぎ去るのを待つ」でいいのか ジャニーズ問題とテレビ局(→link)
 資生堂 キムタク“資生堂CM起用案”が性加害問題で消えた

その一方で、

松潤主演NHK『どうする家康』は「シン・大河」になる? 大ヒット大河ドラマ“勝利の方程式”とは | 2023年の論点
【山下達郎全コメント】「私の姿勢を忖度と解釈するなら構わない。そういう方々に私の音楽は不要でしょう」

当然ながらこういう記事には批判的ですね。先ほど紹介しましたが、武者さんはNHK批判で
「歴史知識よりも芸能界裏話が重視され」
と書いていますが、寧ろ武者さんの方が歴史系ライターであるはずなのに、こういう芸能界裏話を重視しているように思います。ゆえに歴史知識がどうこうと言っても、付け足しのように見えてしまうのです。


飲み物-グラスに注がれたエール
[ 2023/07/15 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

武将ジャパン記事番外編&『舞いあがれ!』記事に関して

前のを長々と書いていますので(それでもかなり端折りましたが)、こちらは短めにーと言ってもそこそこ長めですが。
まず先日もご紹介した、『武将ジャパン』大河コラムのこの部分、

インフルエンサーがヘイトを繰り返す陰謀論者であったために、その人も朝から晩まで罵倒と陰謀論を呟く人になっていました。
ドラマを褒めるにせよ、貶すにせよ、ヘイトや陰謀論という毒が混ざると危険です。
「お前が言うんじゃねえよ!」
はい、そんな声が聞こえた気がします。
それはそうですね。なるべくエビデンスを得つつ、慎重にいきたいと思います……が、同時に大事なのが自分の頭で考えることでしょう。
私の言うことにガンガン脳内で反論してください。そうすればインフルエンサーやクソレビュアーに影響されることもありません。
思考を鍛えていきましょう。

「エビデンスを得つつ、慎重にいきたいと思います」
以下の部分ですが、先日書いた以外にも、この場合のエビデンス(証拠、根拠)はそもそも何のエビデンスで、自分の頭で考えるとは何を自分の頭で考えるのか。このコラムにありがちですが、主語がはっきりしていないので、何とも捉えようがありません。
それとこの場合、インフルエンサーが陰謀論者で、クソレビュアーというのは武者さん自身のことでしょうから(自分でそう言っています)、これでは武者さんも陰謀論者と同じ穴の貉のように取れますし、言っては何ですが、やけになっているように思えてしまいます。

それとつながりがあるのかどうかはともかく。
taketak39460607さんのツイに、武者さん、朝ドラですから小檜山さんの方ですが、そのnote記事のスクショが貼ってあり、なぜかここに来て『舞いあがれ!』に、東日本大震災のことが出て来ないと書かれているそうです。

阪神淡路大震災を関西舞台にしてすっ飛ばすなんて不義理だと思いましたが、今度は東日本大震災を飛ばしましたか。『おかえりモネ』のあとにこれですか。
『ちむどんどん』は沖縄の出来事を飛ばしているという批判はありました。暢子が上京していたという設定もあるのでしょう。しかし、暢子の親世代の沖縄戦もちゃんと扱った。誠意ある描写をした。
それと比較したらこの不誠実極まりないドラマはなんだ?

なのだそうですが。
まず阪神淡路大震災、一番ダメージが大きかったのは兵庫県で、『舞いあがれ!』の舞台である東大阪市では震度4ほどで、神戸辺りに比べると被害は小さかったとされています。そして東日本大震災ですが、taketak39460607さんも書いていますが、東大阪市にどのくらいの影響があったのでしょうか。それを調べずに書いているのですか。

あと『おかえりモネ』のあとにとありますが、その後の朝ドラは『カムカムエヴリバディ』であって、『舞いあがれ!』ではありませんよ。

それから『ちむどんどん』、好きな作品には優しいですね。沖縄戦のことがもう少しあっていいかと思ったのですが、「沖縄戦もちゃんと扱った」となっています。和彦が取材した嘉手苅さんのこと(結局記事にはならなかったのでしょうか)と大城さんのことですね。

しかしそれを言うのなら、『舞いあがれ!』にはリーマンショック、日本の航空機開発などが登場していますし、平成期の東大阪の町工場を描くうえで不可欠なものであるはずです。その辺はどう評価しているのでしょうか?

あとこの『舞いあがれ!』のスピンオフがラジオドラマ化されるようです。

飲み物-グラスのアイスティー
[ 2023/07/09 01:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第24回に関しての武将ジャパンの記事について-4

では『武将ジャパン』関連その4です、多少長めになります。


武田勝頼が悪いことにしたい――それはわかりましたが、そもそも、こんな無謀で非現実的な策を放置した徳川家康も悪いでしょう。将たる者は責任を伴います。
(中略)
家康といい、瀬名といい、キョトンとした顔で「知らなかったんですぅ」「悪気はなかったんだもん」と言い張れば免罪されると考えているようだ。

武者さんドラマ本編をちゃんと観たのでしょうか。
勝頼はこの場合悪役ではなく、本人なりの事情があってこの取り決めを破棄するに至ったわけですし、家康は別に放置したわけではなく、家臣たちからも疑問を持たれながらも、何とかこれを死守しようとしていたわけです。それが勝頼の翻意により、窮地に陥ってしまうことになりますが。
それと「知らなかったです」も何も、瀬名は全ての責任はすべて自分が背負う覚悟と言っていますよね?

このだらけきった幼稚な主人公たちと、本作の制作スタッフの顔が重なってくる。
どんな作品になろうと、誰も責任を取る必要がないから、こんな弛緩しきった状況になっているのでしょう。

ここでまた登場人物と制作スタッフ叩き。
「誰も責任を取る必要がないから弛緩する」
何か非常に既視感があるのですが。

本作については見えてきたものがあります。
「十年以内の戦国大河で描いたイベントは、すっ飛ばす」
推察ではあるのですが、。
そして合戦や謀略がつまんねーwww となった。
『麒麟がくる』の漢籍なんてどうでもいい、むしろ嫌い。
漢文なんて授業でいらねーwww と思っていそう。
(中略)
金ヶ崎すら「なんやかんや」で済ませた。

「十年以内の戦国大河で描いたイベントは、すっ飛ばす」
どのように考えたらこのような発想になるのかわかりません。と言うか、これが外れたらどうなるのでしょうね。武者さんちゃんと責任を取るのでしょうか。
「作り手は『真田丸』『おんな城主 直虎』『麒麟がくる』は勉強として見たのでしょう」
あの、『軍師官兵衛』も10年以内の戦国大河ですけど。
そして
「金ヶ崎すら「なんやかんや」で済ませた」
「なんやかんや」でしょうか?
浅井長政の裏切りがあり、家康も裏切るべきかどうか迷い、さらに信長との対立、阿月の疾走、そして彼女は人買いに買われたという中世らしさまで盛り込んでいましたが。ところでここで、家康と秀吉がしんがりを務めたことになってはいますが、これに関しては異説もあります。

そうなると以下のようなイベントもカットの嵐でしょう。
・本能寺の変
・伊賀越え
・天正壬午の乱
・大坂の陣
関ヶ原は、近年やってないからこそ、やる。

どう思うかは武者さんの勝手ですが、本能寺の変は、5月4日に本證寺でトークイベントが行われた際、磯プロデューサーが
「実は昨日『本能寺の変』を撮影した」
と話しています。

こうなると真田昌幸はどうするのか?
なんか悪そうなギラつき顔をしつつ、昼間から女中といちゃついたり、遺体を蹴り飛ばしたりする。
そしてやたらと「戦国の怪物だあ!」と周囲がアタフタ騒ぐ。
そういう“謎の存在”として済ませるのでは?
真田幸村も出てきた瞬間に消えそうです。
そのぶん淀の方の最期をねっとりと描きそうで……このドラマは美女の惨殺が好きですからね。
だとすれば『鎌倉殿の13人』の上総広常が上書きされる心配もないかな。

これも武者さんの妄想にしか見えませんが、違った時はどうするのでしょう?瀬名のようにちゃんと責めを負う覚悟ですか?それに「レビュー」とは今後の予想をする場なのでしょうか。多少はあってもいいかと思いますが、あれもこれもと決めつける必要もないと思いますが。
それと
「このドラマは美女の惨殺が好き」
「美女が惨殺される」シーン、そんなに多いですか?

それから制作サイドが、「これまで大河で描いたことがない圧倒的なスケール感で描く」と語った記事について。記事本文はこうなっています。

金ヶ崎の戦い、姉川の合戦、そして三方ヶ原の戦いは、これまで大河で描いたことがない圧倒的なスケール感で家康と信玄の直接対決を描きます。
その後も大賀弥四郎事件、長篠設楽原の戦い、築山事件、武田討伐、本能寺の変、伊賀越えと歴史イベントが目白押し。戦国時代のど真ん中を家康とその家臣たちは駆け抜けていきます。

一体このドラマのどこに圧倒的なスケール感があったのか?
「言うだけならタダ」とばかりに視聴者を煽るだけ煽って、ナレーションで終わったり、CG馬の集団で視聴者をガッカリさせたり。事前に、壮大な触れ込みを平気で出す作品をもはや信じることなどできないでしょう。

あの姉川の川べりの布陣や兵の数の多さ、そしてその兵が次々に倒れて行くシーンから何を読み取ったのでしょうか。大賀(大岡)弥四郎の岡崎クーデターもそのきっかけと、首謀者たちの主張が描かれていましたし、設楽原の戦いは言わずもがなでしょう。
以前平原学氏のnoteに、この大河では戦を華麗に描くのではなく、寧ろ犠牲となる者に焦点を当てているといったことが書かれていましたが、そういう視点で見る限り、かなり観る側にインパクトを与えたのではないでしょうか。

ところで先日、このコラムで瀬名の構想と、ロシアの内戦を絡めた箇所があるのをご紹介していますが、あれなら、この大岡弥四郎の件と内戦を絡める方がまだ納得できます。

本作は、つくづく少年漫画雑誌のラブコメ枠感覚だと思ってしまいます。
バトル漫画はそういうのが得意な作家に任せて、俺らはパンチラとラッキースケベだけでいいんだよ! うるせー奴らには、もっと別の角度からパンチラを見せてやんよwww
こういう頑健なメンタリティだからこそ、今年の大河となっているのでしょう。

「俺らはパンチラとラッキースケベだけでいいんだよ」
「うるせー奴らには、もっと別の角度からパンチラを見せてやんよwww」
何でしょうねこれ。
昔から嫌いな大河には侮辱とも取れるような言葉を平気で投げつけ、そして今年はそれが特に激しいように思われますが、しかしよくこんなこと書きますね。武者さんがおじさん構文好きなのも納得です。

なんでもこの瀬名はジャンヌ・ダルクを意識しているとか。どこに共通点があるのでしょうか。

で、『八重の桜』の八重はジャンヌ・ダルクだが瀬名は違うとかなんとか。瀬名は戦にこそ加わらないものの、そしてその計画そのものは戦国の世では惰弱なものであっても、権力者としての男性の中で、自分の思いを通した人物としてこの大河では描かれており、それがジャンヌにどこか共通するものがあるからでしょう。

本作の戦争・軍事描写は、どうしてこうも薄っぺらいのか?
『麒麟がくる』では、何気ない場面でも、戦争で不自由になった人々が物乞いになっている姿が映っていました。
そういう社会に残る傷が、生々しい戦争の傷跡を映し出すものです。
散々文句を言われていた駒だって、戦災孤児です。
あの駒を“ファンタジー”だのなんだの報道したメディアは一体何だったのか。
ヌクヌクと生きてきた“戦争を知らない子どもたち”の成れの果てが、面倒くさいし見たくないと罵倒したくなる“ウザい存在”だの“ノイズ”だったんですかね。

「どうしてこうも薄っぺらいのか」これも武者さんが使いたがる表現ですね。
で、例によって『麒麟がくる』では、物乞いの人々が戦の傷跡を映し出すとありますが、では、三河一向一揆の回で人々が寺内に集まる、あれも戦で生活に窮した人々を描いていないでしょうか。しかも武者さんはその点に言及するどころか、カルト呼ばわりしていますが。
そして何かにつけて「駒」。もう駒も迷惑しているのではないかと思われます。
しかも駒が薬屋で終わっていれば、それでよかったでしょう。それが将軍の側女になったり、大名屋敷に出入りしたようになるのが不自然に感じられたわけです。

昨年の朝ドラ『ちむどんどん』の不評理由について、識者は「本土の視聴者は沖縄戦なんてどうでもいいから」と解説していました。
そんな沖縄人の忘れられない傷よりも、本土住民がキュンキュンしたい恋バナをやれってことでしょう。
どこまで傲慢なのか。こういう軽薄な傲慢さを信じ込んだ手法を信じた大河が、この惨状なのでしょう。

どうも強引に戦国大河と『ちむどんどん』を結び付けていませんか。この2つは別物ですし、またその中で描かれている戦争もまた別物です。そして「どこまで傲慢なのか」また「どこまで~なのか」ですね。そこまで言うのなら、その識者の方と意見の交換をしてみては如何でしょうか。

そう言えば『ちむどんどん』の後の『舞いあがれ!』、この中で五島の少年、一太の弟が生まれた記念にばらもん凧を揚げる際、一太が舞にその役を譲ったにもかかわらず、舞が横取りしたように書いていた武者(小檜山)さん、あれは改めるべきではないかと思います。

で、その後また駒叩きがどうのこうの。戦争体験者の体験談をバカにしてイキる青少年がどうのこうの。彼らの幼稚なメンタリティが痛々しい。こういうのは、別のコラムなり何なりでやって貰えませんか。それよりドラマ本編をきちんと観て、あらすじもこのスペースを使ってきちんと書いてほしいのですけど。

その後過去の大河が再評価されているとして、

『八重の桜』についてもう少し。
あの作品は今、再評価が進んでいます。
長谷川博己さんに小栗旬さんという、ここ十年で大河主演を二人も出した作品となっています。

小栗さんは元々大河にはよく出ていたから、いずれ主演の話は来るだろうとは思ってはいました。
そしてその小栗さんの背中を押したのは、『西郷どん』で主演した鈴木亮平さんなのですが、嫌いな作品だからそれについてはやはり書きませんか。そして長谷川さんも、大河の前に朝ドラでも主演しています。これも『麒麟がくる』の制作発表後に発表されて話題になりましたが、こちらも嫌いな『まんぷく』だから書かないのでしょうか。

『麒麟がくる』も再評価が進んでいます。
少しでも褒めると、やたらとすっとんできて駒を罵倒する人はいますが、現実に評価は高い。
こうした良作のみならず、『江 姫たちの戦国』や『花燃ゆ』ですら、再評価されているようです。

別に『麒麟がくる』の再評価すなわち駒の再評価とはならないかと思いますが。でそれはともかく、
「現実に評価は高い」
なら、それを裏付ける記事のリンクでも貼ってほしいものです。
そして『江』と『花燃ゆ』「ですら」とありますが、この2つが好きと言う人もいることをお忘れなく。プロのライターとして、特定の作品を貶めることは本来あってはならないことですが、どうも武者さんの場合はそれと真逆のように見えます。

そして、

『江 姫たちの戦国』には、キラキラした感覚はあったんですよね。それこそ女の子ならば憧れる、綺麗なプリンセスワールドがあった。
『花燃ゆ』の文だって、おにぎり握って、家庭菜園で花を育てて、鹿鳴館でダンスすれば満足。セレブ主婦で満足しているのだから、無害と言えばそう。

うーむ、家康の浴衣の説明ではなく、こういうのをアリバイと言うのではないでしょうか-全然評価していませんし。あと文の場合は家庭菜園ではなく、自給自足のための畑ですね。

ところでこの武将ジャパンのコラム、第21回関連で、瀬名より『花燃ゆ』の文の方がマシと書かれていました。
これを見て私は、こうなると過去に悪く書いた大河もマシだと言い出すのではと書いていますが、実際そうなっていますね。無論ちゃんと評価しているようには見えませんが、そうまでしてこの大河を叩きたいのでしょうか。


飲み物-カクテルブルー
[ 2023/07/01 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第23回に関しての武将ジャパンの記事について-2

では第23回関連の『武将ジャパン』の大河コラム、そしてそれへのtaketak39460607さんの反論その2です。


そもそもイチジクは日本渡来前でオーパーツ状態では? 『らんまん』で植物考証は手一杯だとか?

中国には8世紀にインド、またはペルシャから伝わり、イエズス会のポルトガル人宣教師によるとポルトガル航路で無花果の株が運ばれ伝来したとある。それに近い時期なら、南蛮の輸入物があってもおかしくないのでは?

尚これに関しては、1590年に伝来という説があります。私もこの時代にあったかどうかと書いていますが、その当時生のイチジクでなく、干しイチジクであるのなら、あるいは宣教師経由で伝わった可能性もあるでしょう。しかしそれで思い出すのですが、昨年の『ちむどんどん』で、その当時なかったはずのペットボトル醤油が登場していたことがありました。

こんなくだらないラブコメ描写のために、いろいろ犠牲にしているわけです。しかもやりたかったことが「尻叩き」ってさぁ……。

そもそも於愛が極度の近眼であるため、家康はいつもつまみ食いに来る井伊万千代と間違われて尻を叩かれた。

そして『平清盛』の欠点を悪化させて引き継いでいるとあり、

例えば、(『平清盛』では)目上の人に会うような場面でも、服や顔を汚していた。いくら当時の人だろうと、大事な人と会う時は顔くらい洗いませんかね? というリアリティの欠如があったものです。

現代の水道と違ってたくさん湯水が使えない、平安時代は陰陽道最優先だから、決まった日にしか湯浴をしなかったのだが。

裁縫を舐めているのでしょうか。その道の担当者もいるでしょうよ。だいたい戦国時代に、この地位にいた女性たちが、自ら縫い物をしたり、食材をもらって喜んだり、そればかりしているのですか?

普段少人数で庵に住んでいれば近所の人も来るし自分で繕い物やらないと誰がやってくれるの?

縫い物と言えば『おんな城主 直虎』でも、栽培した綿から作られた綿布のへりを、女性たちがかがっていたことがありますね。

このドラマは、戦国時代の年表に昭和のホームドラマが強引にねじ込まれています。“専業主婦”なんて立場は、歴史的に見ても日本では20世紀の一時期のもの。

『21世紀の日本に専業主婦が全くいない』と思っている時点で主婦をなめているし、貴方普段外に出た事ないでしょ。

それにしても……『源氏物語』の重要性すら知らない製作陣に大河を作る資格があるのでしょうか。

大事なのは『源氏物語』が「スイーツw が好きそうなロリコンが主役の恋バナでしょw」(コラム本文からの引用)ってところではなく、於愛が『六条御息所の別れ』瀬名が『藤壺との逢瀬』を好きな場面に選んだ意図では?

実際私もそう思ったのですが、なぜわざわざ瀬名と於愛がこの箇所を口にしたのか、武者さんは気づかなかったのでしょうか。

大河ドラマはいつから昭和おっさんセラピータイムになったんですか?作り手がそういうムラムラを発散したいなら、戦国武将を美少女化したアプリでも遊べばいいじゃないですか。

要するに貴方が一番『昭和おっさんセラピータイム』やストレス発散で、女性にそういう役割を押し付けたいんですね?

「ムラムラを発散」などと言う書き方もどうかなと思います。

狂気を表現するなら、陳腐なセリフなどに頼らず、これぐらいやってください。で、信康は、悲鳴を聞きながら酒でもカーッと飲んじゃいましょう。

信康の乱暴不行状については『松平記』『三河後風土記』に記録があり、その逸話を基に非道な行いを描いているんだけど。

「これぐらいやってください」というのは、映画『仁義なき戦い』で、千葉真一さん(真栄田郷敦さんのお父様ですね)が、敵組織の組員を木に吊るして銃の的にするシーンのようです。しかし史料に書かれているものであり、何も、映画を参考にする必要はないはずなのですが。

そして穴山信君の変装について。

明人の衣装くらい調べようがなかったんですか。なんなんですか、このコスプレ。やる気が全く感じられません。見ていて苛立ちばかりが募ります。

『三河後風土記』では甲州浪人医師減敬(滅敬)と密会、『岡崎東泉記』では出入りしていた西慶という唐人医で、出自はっきりしない人なんだが。

そしてtaketak39460607さんはこうも書いています。

一般人の往来が大きく制限されていた戦国時代でも自由な移動が可能で、全国どこを訪れていても怪しまれずに周囲に溶け込めた商人・放下師・僧侶・虚無僧・猿楽師・山伏・一般人などで医師をチョイスしただけだろうし、それっぽい格好で厳密な格好しなくても人目はごまかせたんでしょうに。

要は穴山信君本人だとわからなければ、王道の山伏でも多少なんちゃって明国人でも、それはそれでよかったでしょう。特に瀬名の薬草つながりということもあり、ああいう格好にしたのも納得できます。

あとこの武者さんのドラマ評で、「業界人のセンスに乗れるか乗れないか、そこが問題なのでしょう」と前置きしたうえで以下のような文章が続きますが、それに関しても反論されています。また別の方も、それは違うといった意味のツイをしています。

私はドラマ批判で人を傷つけてしまう。特にドラマ通を自認する層には蛇蝎の如く嫌われている。けれども自分に正直に生きたいのです。

貴方が嫌われるのは『業界人のセンスに乗れるか乗れないか』じゃなく、楽しんでいるファンの中に土足で踏み込んで、自分の不愉快をまき散らして侮辱していくから


武者さんのこれが、個人のサイトやブログであればまだそれでも許容範囲でしょう。好き嫌いを主張するのは個人の自由ですし、意思表示でもあります。しかしどう見ても歴史ポータルサイトのコラムで、しかもプロのライターとして、こういうのを書いていたらまずいでしょう、この手のコラムに求められるべき客観性が何も見られないわけですから。

飲み物-アイリッシュコーヒー2
[ 2023/06/22 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第20回に関しての武将ジャパンの記事について-2

では『武将ジャパン』大河コラム関連の続きです。今回もtaketak39460607さんのツイートのスクショの記述に関してです。

戦国時代なのに、瀬名と亀が並んで眠って、親子愛を確認ってどうしたことでしょう。
母と娘に妄想を膨らませる、本作制作陣の嗜好が痛々しい。

どこをどう観たらこのようになるのでしょうね。
これも当該ツイにあるように、弥四郎たちが謀反を企てたので、一時的に避難しただけでしょう。亀姫が慣れない場所で眠れないなどと言っていますし。尤もその後すぐ寝入ってしまいましたが。そして彼女たちの身代わりに、榊原康政と井伊直政が別室で布団の中に潜んでいたのですね。勝手に色々妄想しているのは武者さんの方ではないでしょうか。

そしてこちらですが、

本当に自分たちが画期的なことをしていると言いたいのであれば、先行作品に一礼するくらいの謙虚さは欲しい。そんな度量を求めてはいけませんかね。
そりゃあ、先行作品や真面目な相手に対し、冷笑を繰り返すことは、ラクで気持ちがよいでしょうよ・
「このドラマを、面白くないとか視聴率低いとか言う奴は情弱バカwこのドラマは革新的、SNSと親和性が高いww深堀りできるww解像度の低い考察しかできないクズは黙ってろw」
そうやって冷たく笑い飛ばしている間は「自分は他人よりすごいんだww」というマウンティング幻想に満ちています。気持ちいい。
とはいえ、所詮は麻薬の類であり、何も成長はなく、せいぜい仲間内のエコーチェンバーで結束が強まるだけ。
結果、残されるのは逆張り冷笑が得意な人だけです。

これも当該ツイで指摘されていますが、正に特大ブーメランに見えますね。大河ではありませんが、昨年『ちむどんどん』で、これと反対のことを言っていたように思うのですが。
(ツイでは『そうやって』以下一部を引用)

そして先行作品に一礼しろだの、先行作品に冷笑しているだの、具体的に何を言いたいのでしょうね。自分が好きな作品と違うから面白くないつまらない、そう言いたいだけのように見えるのですけど。そもそもこの先行作品とは何ですか?同じ戦国大河の『麒麟がくる』ですか。主人公が違うから、描き方も当然違うと思いますけどね。少し前に、1つの作品の世界観が、同じ時代の、別の作品に反映されるとは限らないと書いたことがありますが、正にそれでしょう。

そして『麒麟がくる』関連で。
この箇所はまず「沐猴にして冠す」(見かけは立派だが、心が卑しいことの例え)とあり、その下に「あいつらってさ。サルにスーツを着せたみたいなもんだね」
とあります。

『麒麟がくる』では、明代の高啓の「尋胡隠君」が印象的に使われていました。
(中略)
『麒麟がくる』は漢詩が登場する貴重な大河です。
背伸びしたところで、『どうする家康』の語彙力や教養、知識では足元にすら及ばない。
無理に時代ものらしくしようとして、子どもが背伸びしたようなセリフになっていますが、使い方がおかしい。せめて添削するか、脚本協力者を起用して欲しいと切に願うところです。

そしてツイートでは、いくら漢籍知識をつけたところで、使いどころを間違え、他人を蔑んで『スーツを着た猿』と侮辱するようでは、教養の持ち腐れであると指摘されていますが、大いにうなずけます。

実際昨年の『鎌倉殿の13人』のコラム関連でも、武者さんの漢籍の引用は何度かおかしな点、勘違いしていないかと思われる点がありました。そういうミスをしないようになってから、漢詩を云々してほしいものです。そして何やら漢詩が登場するしないが大河の評価基準になっているようです、それも武者さんらしくはあるのですが。

しかし
「背伸びしたところで、『どうする家康』の語彙力や教養、知識では足元にすら及ばない」
これはないでしょうね。この語彙力とか教養、知識とは具体的に何ですか。それから子供が背伸びしたようなセリフとはどのセリフなのでしょうか。しかも「淡色」と書いてしかるべきところを、やたら「ペールカラー」を連発した武者さんに、こんなこと言われてもねえ…と正直思います。

そしてその後、本場中国の時代劇では漢詩を用いないことがないほどなどと書かれていますが、それは当たり前ではないでしょうか。さらにその後に
「戦いの惨禍を詠んだ詩にメロディをつけて重ねてくるような、繊細かつ高度な演出が味わえます」
そう言えば武者さん、「高度」という表現も好きですね。好きな作品ならやたらに高度だと礼賛しまくっている感があります。

しかし上記の『麒麟がくる』関連の記述と言い、漢詩への言及と言い、言っては何ですが、推し依存のように見えてしまいます。何度も言いますが、これが個人ならまだしも、報酬を貰って記事を書く人のやることとはとても思えず。

飲み物-ボトルとコルクとワイン
[ 2023/06/01 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『ちむどんどん』に改めて思うこと

先日朝ドラを書かなくなったと書いていましたが、実は今回は朝ドラについてです。とは言っても今放送中のは観ていませんので、1年前に放送された『ちむどんどん』について。反省会で有名になった感がありますし、私も反省会タグのツイを何度か見たことはありますが、ツイートの内容によっては、ちょっと行き過ぎではと思うこともありました。

無論その一方で、この描写はちょっとどうかなと思われるところももちろんありました。たとえば時代考証がおかしい(1972年にはないペットボトル入りの醤油が登場したり、あの時代には不可能だった沖縄からの農作物を智が仕入れているとか)、沖縄から東京まですぐに行けてしまう、暢子が料理人なのに帽子の中に髪をまとめていないといったシーン等々。

それに加え、歌子が仮病を使って智を暢子の結婚式に連れて行くというのも、私としてはあまりいただけませんでした。まあ時と場合に応じて、所謂史実は多少動かしてもやむを得ないかとも思いますが、それ以外に犯罪や反社会勢力の登場が多いのがまた違和感がありました。

元々朝ドラというのはそういった描写は少ないか、逆に主人公とかその関係者などが事件に巻き込まれ、苦労しつつも成長して行くという展開が多いかと思われるのですが、この朝ドラの場合、特に賢秀ニーニーがあれこれ騒ぎを起こしまくっては、家族に迷惑をかけ、しかもあまり反省していないというパターンが多かったですね。

実はこれを観始めたのは、そのニーニーがバーガーショップで暴れ、暢子と優子がサーターアンダギーを持って謝りに行った時からでした。その後家族はしばらくニーニーに振り回されることになるわけですが、今度は暢子が料理人になりたいと単身東京へ行ってしまいます。しかもたまたま軒先で雨宿りをしていたところ、沖縄にルーツを持つその家の主人三郎と出会い、フォンターナを紹介して貰っています。

朝ドラあるあるなのかも知れませんが、何かとんとん拍子に行き過ぎな感もありました。また暢子も自己主張が強く、フォンターナのオーナーに対決を挑んだりもしていましたね。ああいう設定もちょっとやり過ぎではと思われたし、また暢子が料理をする時の手際があまりよくないのが残念でした。黒島結菜さんには、もう少し料理を練習してほしかったなとも思います。

料理に関しては、愛の方が手際がよかったですね。そしてこの愛とか、矢作が登場するシーンは面白く感じられたし、寧ろ彼らに出会うことで暢子が成長して行く姿を見たかったなとも思います。その意味でも矢作の食い逃げはなくてよかったでしょう。フォンターナを辞めた彼が、沖縄料理店の求人を見て面接に行くという設定でよかったし、こういうところにも犯罪を絡めるのが気になりました。

他にも良子が娘を連れて実家に戻るところとか、入札で決まるはずの給食の業者を自分で決めるのとかも、単に良子の我儘のように見えました。ああいうのも夫婦の関係とか食育がテーマなのだから、描き方を工夫すれば納得できたかとは思います。また和彦の母親の家へ暢子が弁当を連日持って行くとか、ニーニーと良子が押しかけて行くシーンですが、そこまで暢子や兄姉が真剣に結婚を考えているのなら、これももう少し描き方を工夫できないかと思ったものです。

ちなみに小檜山青氏はこれを絶賛していました。確かに小檜山氏が好きそうなヒロインではあります。あと私は全く観ていませんが、『半分、青い』という朝ドラも褒めていましたね。私はその後の『まんぷく』を観ていましたが、これが日清食品の創業者を描いていたのが気に入らなかったようで、散々に叩いていたのを今も覚えています。

そして本来は、台湾出身の安藤百福氏がインスタントラーメンを考えたのに、なぜ日本人にするのかといったことも書いていました。しかしこのドラマではそうなっているわけで、ならばNHKにメールを送るなりして、制作サイドがどのような考えでこの作品を作ったのかを問い合わせるべきだったでしょう。

飲み物-テーブル上のアイスカフェラテ
[ 2023/05/13 01:00 ] 朝ドラ | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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