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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『鎌倉殿の13人』第47回「ある朝敵、ある演説」あらすじと感想-2

第47回後半部分です。


三寅の着袴が行われている頃、京では義時の呪詛が行われていた。ここまで大々的に呪詛をすれば鎌倉にも届くはずと兼子は言い、御家人が義時から離れて行く音が聞こえるようじゃと上皇。機は熟したと、上皇は胤義に京都守護、伊賀光季を討ち取らせるように秀康に命じ、これを義時追討の狼煙とする、皆にそう伝えよと言う。

秀康は胤義に、鎌倉では北条に比肩しうる三浦が朝廷と手を結べば、必ず義時を討てると持ちかける。すぐに兄に伝えると胤義。承久3(1221)年5月15日、宴の最中の京都守護の光季は、官軍の攻撃を受けて絶命する。そして義村の許へ、胤義からの書状が送られてくる。義時追討の密命に従わなければ、朝廷の軍が鎌倉に攻めてくることになる。焦ると命取りだと、義村は館にいた宗政に言うが、その時家人が何やら耳打ちする。

押松という男が上皇からの贈り物を届けに来ていたのだが、義村はその顔に見覚えがあった。かつて頼家に蹴鞠を教えていた平康頼だったのである。18年ぶりに鎌倉を訪れた押松は、あの後上皇に拾われて今に至っていると言い、もったいぶった態度で、品物の中に隠していた院宣を取り出し、旗印となさいませと渡す。そして19日、義時は上皇の挙兵を知る。既に京都守護の館が落ちたらしいと広元。義時は危機感をつのらせる。

義村は院宣を宗政に見せ、兵を揃えるように言うが、宗政にも実は届いていた。押松は他にも名のある御家人のところを回るらしい。義村は宗政が自分に黙っていたこと、自分よりも先に院宣を受け取っていたことに腹を立てる。そして今度は義時からの呼び出しがかかる。朝廷の兵が鎌倉まで攻めてくるのかと政子は問う。京都守護を討ったということは、鎌倉への宣戦布告も同然であり、かつての後白河法皇の平家追討同様、有力な御家人に院宣を送っているはずだった。

そこで義村は院宣を義時と政子に見せ、自分は鎌倉につくと言う。それを見た宗政は、自分にも届いたとやはり院宣を見せる。しかし広元は他にも院宣を受け取った御家人がいると言い、時房は皆が義村の忠義を尽くすとは限らないと言う。義村は院宣を届けた者が館にいる、取り調べましょうと出て行くが、義時は押し黙っていた。

しかし義村も様子見を決め込むつもりで、俺に任せろと宗政に言う。押松は、鎌倉はいいなあと三浦館で飯をかき込んでいたところをいきなり連れて行かれる。一方のえは戻って来た義時に兄のことを尋ねるが、後にしてくれと義時は言い、同行していた朝時も今は困ると言う。怒りをぶちまけるのえ。祖父の行政も、婿殿はこうなることが分かっていたのかと叫ぶ。のえは夫を許せなかった。

義時の目の前には、有力御家人に宛てられた院宣が並べられていた。そして朝時に、時房と泰時を呼びに行かせる。院宣の中には時房宛てのもあった。北条の分断工作だ、上皇相手に一戦交えるしかないと泰時。官軍と戦うかと訊く義時に、鎌倉を守るためと泰時は言う。今までもそうだが、それは義時の考えとは正反対だった。時房は記念に貰ってもいいかと言うが、義時はかぶりを振る。戦はしないつもりかと尋ねる泰時に、院宣をよく見ろと義時。

その院宣は鎌倉に攻め込むというものではなく、あくまでも義時追討が目的だった。義時は泰時に、お前が跡を継いでくれるのは何よりの喜びだ、安心して北条を、鎌倉を任せられると言う。自分1人のために鎌倉を灰にすることはできないと義時は言い、時房には泰時の力になるようにと言い、朝時にも同じことを伝える。そしてすぐに御家人を集めるように言うが、泰時は、鎌倉のために命を捨てるおつもりかと尋ねる。戦を避けるには他に手がないと義時。

義時は政子に会うと部屋を出るが。外にはのえがいたが義時は無視し、のえは顔をしかめて涙を流す。義時は政子と実衣に上洛を伝える。上皇が自分を憎んでいるのなら、自分が京に行けば済むと言うが、政子はそれを否定する。斬首されると懸念する政子に、行ってみなければわからないと義時。1人で格好つけているようで気持ち悪いと実衣は言い、政子は承服できないと言うが、これは執権としての最後の役目であると義時は明言する。

鎌倉を守るために他に手立てはない、頼朝から引き継いてここまで来た、多少手荒なこともしたが後悔はしていないと義時は言うが、多少ではないと突っ込む実衣。自分を憎む御家人たちも多く、よい頃合いかもと義時は言い、後は泰時に託すことにしていた。これから御家人たちと話すと席を立つ義時に政子は、もう一度よく考えるように言う。

しかし義時は言う。伊豆の片田舎の小豪族の次男坊、その名を上皇様が口にされ、どころか討伐のため兵を差し向けようとされる。平清盛、源義経、源頼朝と並んだと義時は続け、面白き人生でございましたと政子に言う。格好良すぎと言う実衣に、このままでは終わらせないと政子。そして政子は広元と何やら文書をまとめる。

義時が御家人に決意を述べようとした時、彼女は葡萄(えび)色の頭巾を着けて現れ、そして鎌倉の頂点にいるのは自分だと言い、声明文を読み始める。しかし頼朝の恩は山よりも高く海よりも高く、海よりもというくだりで政子は言葉を詰まらせ、事実を話す。上皇が狙っているのは鎌倉ではなく、義時の首であること、首を出せば兵を収めると院宣にあること、そして義時が首を差し出そうとしたことを話し始める。

義時が止めようとするが、政子は口を挟まないようにと言い、義時は皆のために犠牲になろうとした、憎む者も多いが生真面目である、鎌倉始まって以来の危機を前に、西の言いなりになるか、坂東武者の世を作るか、答えは決まっていると政子。

上皇を惑わす奸賊を討ち、源氏三代の遺跡を守り抜く。頼朝の恩に今こそ応えるようにと政子は言い、戦を避けるために首を差し出すと向こうは思っているが、そんな卑怯者はここにはいないと言い、上皇方に付きたい者がいれば付くがよいと言う。泰時はそのような者はいないと言い、一致団結を呼びかけて御家人たちは声を上げた。


最後の方が長かったので、少し端折っています。あのシーン、かなり違うとは思いますが、幕末大河の大政奉還をちょっと思い出しました。さて上皇方は三浦に手を回します。例によって状況が自分を利するか否か、それに長けたこの人物は、北条に忠義を誓いつつも様子見を決め込みます。個人的にはこの人の計算高さが、半分ほどでも泰時にあれば、面白い人物になったとは思うのですが…。

そしてこの院宣、8人の御家人に送られていました。この何通もの院宣を、元「平知康」の押松が届けているところを見て思い出すのが、『真田丸』で明智光秀の使者が、国衆に加勢しろと光秀の書状を何通も持って現れるシーンです。尤もあの使者は温泉にでも行けと昌幸に言われ、光秀が信長を討ったことが、国衆たちに知れ渡ることになります。

しかし正直言って思うのですが、史実が描かれていない部分があり、そのためせっかくの承久の乱でありながら、どこか緊迫感を欠いたように見えてしまいます。これについては次の投稿で書きたいと思います。

それとのえ。元々夫の地位目当てなところがありましたが、今回の兄が襲撃された件で、何とも言えない憎しみを夫に抱いているようです。仮に義時が暗殺と言う描き方になった場合、彼女が恨みをぶつけたとしてもおかしくありません。

それから元知康の押松が義村に会うシーン、『きのう何食べた?』の第3回(コールスローとチキンのトマト煮の回)で、富永家で史朗と小日向が初めて会うシーンをついつい連想してしまいました。富永さんが押松の矢柴さん、そして小日向大策が義村の山本さんで、史朗が西島秀俊さんでしたね。

飲み物-トディ
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[ 2022/12/13 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 78その2

『武将ジャパン』、大河コラム後半部分の記述に関する疑問点です。なお当初貼っていなかったリンクを貼り、何か所かを修正しています。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第40回「罠と罠」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/10/24/171613


三浦義村と胤義のシーンですが、

1.そういう計算高いところが胤義は嫌なのだろうし、義村はそんな反発にはもう慣れきっていて、意見をぶつけられるのも鬱陶しいのではないでしょうか。
(中略)
なぜ、そんな連中と付き合わねばならんのか、人生とはそんなものか、と、達観しそうな義村は孤独かもしれません。
感情の赴くままに生きるなんて彼にはできないのでしょう。

「義村は孤独かもしれません」とか「感情の赴くままに生きるなんて彼にはできないのでしょう」とありますが、このシーンに何か関係があるのでしょうか。それとその前に、義村は義盛と会って俺たちの鎌倉を作ろうなどと言っており、その直後に「ひげおやじは挙兵する」などと義時に密告しているわけで、その様子を胤義は目にしています。

そして当の義時は泰時と一緒にいました。胤義、泰時はどちらも一本気なところがあり、案の定胤義も泰時も兄や父のやり方に異を唱えている(泰時は政子に直訴している)、この両者の共通点をここでは楽しむべきなのかも知れません。

2.和田を庇うのですが、あの男はそうでなくても周囲には担ぎ上げる人物がいる。そしてまた宗時の言葉を言い訳として持ち出します。
北条が坂東武者の頂点に立つことが目的だ、と。

「宗時の言葉を言い訳として持ち出します」
言い訳も何も、この言葉こそが義時の原動力になったことは間違いないでしょう。北条の世を作るためには、旧知の御家人であろうと犠牲になるべき時は犠牲になって貰う必要があったわけです。

3.さらに、姉上は政治に関わらないで欲しいと続けると、政子もキッパリと「どの口がそんなことを言うのか!」と反論します。
そもそも政に関われと言ったのは義時です。支えると言ったのだから、義時も勝手なことをするな!

この前に政子は「もう十分ではないですか」と言っています。義時にしてみればまだ十分ではないわけで、それが姉弟の考えに齟齬が生じる所以とも言えますし、それとこの場合義盛を庇うことが「政」であったかどうかは、何とも言えないところです。まあ、義時も姉を利用している感はありますが。

そして政子が義村を呼びつけるシーンですが、

4.「どちらに味方するつもりか?」
そう義村に尋ね、小四郎とは固い絆で結ばれている、といった返事を引き出しますが、政子もそう単純ではありません。
「弟と違って私はすぐに人を信じないの」
本音はどこにあるのか。少しずつ義村との距離を詰めようとする政子です。
義時と義村のことを「刎頸の友」と紹介する記述を見かけたりしますが、そんな麗しい仲でもないでしょう。そして政子もそう感じているのでしょう。

政子も義時が和田を滅ぼしたいのはわかっているようで、ならば三浦はどうしたいのかを尋ね、戦を避ける作戦に出たかと思われます。恐らくはこれが本音でしょう。寧ろこれが前提にあるからこそ、義村を義時側に引き寄せることで和田の孤立を図ろうとしたと取れます。しかし義村は、再度同じことを訊かれ、そう言われて向こうと答えるばかはいないと、この人らしい含みを残した答え方をするわけです。

そしてこの部分
「義時と義村のことを「刎頸の友」と紹介する記述を見かけたりしますが、そんな麗しい仲でもないでしょう」
第31回「諦めの悪い男」で、比企能員が追いつめられ、自分に何かあれば三浦も立つと言うシーンで、隣室に控えていた義村が「三浦を見くびるな、北条とは二代にわたって刎頸の交わりよ」と語るところがあるので、それを踏まえているのではないかと思うのですが…。割と最近の回なのですが、もう忘れてしまったのでしょうか。


鎌倉殿の13人義村

5.義村は、前回悔しがっていた様を思い出すと、自分をなるべく高く売りつけたい、値札をつけたい欲求が理解できます。価値があると示したい。
その機会を掴んで安売りしない気概が満ちていた。これぞ山本耕史さんだ

「値札をつけたい欲求」「安売りしない気概が満ちていた」て、要は何を言いたいのでしょうね。自分には価値がある、甘く見て貰っては困る、ここぞとばかりに自分を高く売り込みたいとでも書きたいのでしょうか。そして「これぞ山本耕史さんだ」というのも意味不明。山本さんは俳優さんだから、どんな役でも演じます。何度も出して恐縮ですが、『きのう何食べた?』の、ジルベールに目じりを下げる「大ちゃん」と義村ではまるで別人です。

6.「私は尼御台ですよ」と言われ、思わずウンウンと頷きたくなる、そんな迫力を出し切った。小池栄子さんが鳳凰のようだ。
政子には野心も権力欲もない。ただただ器が大きすぎて相手がひれ伏してしまう。
そういう聡明さや気量、人徳がある人物、そんな尼御台がここにいます。
(中略)
費用対効果もあり、大河はもっとこういう場面づくしでもいい。この技法を突き詰めて欲しい。
そのためには脚本と、演者と、演出の実力が必要ですが、今回は全部揃っていた!

またしても小池栄子さんの政子は素晴らしい!ですね。
小池さんが政子を好演しているのは理解できます。最近メークも老けた感じになり、それなりの貫禄も漂うようになっています。しかしこれはドラマのレビューであり、小池さんを褒めるのであれば、せめて数行程度にとどめてほしいものです。そして最後の行
「そのためには脚本と、演者と、演出の実力が必要ですが、今回は全部揃っていた!」
こんなこと書くと、逆に安っぽいイメージになる気がするのですが。

7.すると朝時が戻ってきていました。なんでも初がこっそり呼び戻したとか。
初は彼女なりにきな臭さを察知し、呼び戻していたようです。本作は女性の知性が出ています。

前にも書きましたが、初が義村の娘だからその辺は抜け目ないのではないでしょうか。好きな作品なら何でもかんでも「女性がよく描かれている」なのですね、わかりやすいというか。あと「女性の知性」て性の字がだぶっていますね、「初が相変わらず冴えている」くらいでいいのでは。泰時はやけ酒をあおっていますが。

8.源実朝が千世を連れて永福寺にいます。
二人きりで花を愛でることができないと詫びる実朝。
歩き巫女のもとへ向かいます。

「二人きりで花を愛でることができないと詫びる実朝」は、そういう身分だから仕方ないわけで、千世もそう言っていますね。あと「歩き巫女のもとへ向かいます」は唐突過ぎないでしょうか。まず実朝が「あれを」と天幕を指さし、さらに、ここに顔なじみが来ているからと引き合わせることにしたわけでしょう。

9.北条家に伝わる一戦一敗の秘策――と、それは女装でした。女性用の衣服に身をまとった和田義盛が御所へ。
いきりたつ義盛に対し、実朝は「死なせたくない」と訴えます。

「女性用の衣服」という表現、どうにかなりませんか。被衣と袿と書いてほしいです。武者さん、直垂のことも単に「服」とだけ書いていますね。

10.義盛の手を取り、いつまでもそばにいて欲しいと伝え、小四郎も鎌倉を思ってのことであり今度は二度と行きすぎた真似はしないよう釘を刺します。
「ウリン!」
「またうまい鹿汁を食べさせてくれ」
そう言われ、号泣する義盛です。

後述しますが、2人の言うなればちょっと特別な関係を、こういう会話で表現しているようにも見えます。しかし義盛は、実朝を「ウリン」呼ばわりするのがやはり様になっていますね。

11.「和田殿が好きなくせに」
「おい!」
「和田殿が嫌いな方なんていませんよ」
鋭い時房、彼は本当に鋭い。
義盛のように愛嬌満点なタイプは好かれるし、時政にも愛嬌があった。そして時房にもありますが、それがない奴もいるわけで……。

この前に時房は、「戦にならずによかったです」と言っていますが、義時としてはいずれ和田とは戦になると思っていたでしょうし、それゆえちょっと浮かない表情をしているように見えます。そして時房が
「あのお人を嫌いな人なんていませんよ」
と言うシーン、ここで時房は真顔になっており、兄を牽制しているように見えます。それを考えると、単に戦にならずによかったからとか、義盛は皆から好かれるといった次元だけの会話ではなさそうに思えるのですが。

それと義盛にしても時政にしても、昔ながらの坂東武者ゆえ、ちょっと「抜けた」部分もあり、それが彼らの愛すべき点でもあったわけですが、しかしそれだからこそと言うべきでしょうか、彼らに政権運営や秩序の確立はできませんでした。

その後ですが、「今年の大河は地域を振興させている」なる見出しがあり、ニュース記事(リンクは貼りません)が紹介されています。記事の見出しは以下の通りです。

◆<鎌倉殿の13人>「木曽義仲挙兵武者行列」に青木崇高、木村昴、町田悠宇ら参戦 前回の10倍の人出 口上に観衆鳥肌(→link)
青木崇高さんの木曽義仲。
額に矢を受けて死ぬというショッキングな最期でしたが、おおらかで素朴なキャラクターの義仲は非常に魅力的でした。
コロナ禍の影響があったとはいえ、前回比で10倍もの参加者を集めたのは素晴らしいですね。
近所であれば行きたかった……。

とあるのですが、どんな大河も地元ではやはり盛り上がります。
それを言うなら『風林火山』で上杉謙信を演じたGacktさんも、地元の祭りに引っ張りだこでしたし、『真田丸』の上田市の武者行列しかりでしょう。

あと実朝の描写に関してなのでしょう。
「しかし、時代は変わりました。
そもそも大河での同性愛描写は腐女子を自称する皆様が楽しむためのコンテンツではないでしょう。
ブロマンスやBLが売りのドラマは他にいくらでもあります」
とありますが、大河の描写をどう楽しむかは、その人次第だと思うのですが。

時代は変わった。それは2012年『平清盛』との比較でわかります。
『草燃える』やこの作品での藤原頼長を挙げ、同性愛描写なんて昔からあったとする意見もありました。
同性愛を扱ったかどうかではなく、描き方とその受け止め方が変わった――そこが大事ではありませんか。

『草燃える』は『鎌倉殿』とほぼ同じ時代設定で、藤原頼長は出て来ません。

『平清盛』の感想や反応記事を読んでいると、結構な割合で同性愛をネタにして笑いを取りに行くものが見掛けられます。
この時代は、同性愛で笑いを取りに行くネタが鉄板。
(中略)
改めて考えてみると、著作権違反と同性愛差別を共有し笑いにするという、あまりに酷い話です。
オンラインやんちゃ自慢の類に思えます。
そんな癖はもう必要ない。私はそう思います。
前回の実朝描写に関する意見交換でも、差別用語を用いながらのものがしばしば見られました。
そういうことはもう終わりにしてよいはず。
見る側の意識も変えることが大切ではないでしょうか。

武者さんは嫌いであっても、ネット上には様々な意見があり、こういう風潮を好む人もいるわけですし、それを武者さん一人で終わりにしようというのもどうかと思います。嫌いならば、距離を置けばいいのではないでしょうか。そういう人たちから迷惑行為を受けているのであればまた別ですが。そして具体的に「差別用語」とは何なのでしょうね。
どうも『平清盛』への嫌悪感(と言うか、恐らくは藤本有紀氏が『カムカムエヴリバディ』を書いたことも関係している)と、藤原頼長の男色への反応とがごっちゃになっているように見えます。

あと頼長は、自身の日記である『台記』で男色について触れていますし、その相手の中には藤原氏のそうそうたる人物もいました。

今回の実朝描写が秀逸だったのは、あくまで「多様性の尊重として丁寧に描かれたからではないか?」と思います。
イロモノ扱いでもない。
サービスでもない。
ただ、人が人を愛することを丁寧に描いた。
だからこそ斬新なのです。

「多様性の尊重」云々と言うより、実朝に跡継ぎができなかったのは、こういう事情もあったからと言うのを、前述したように会話で表現したと言うのが正しいのではないでしょうか。特に斬新と言えるかどうかはわかりません。ただ武者さんが「多様性」に結びつけたがっているのは確かなようです。

あと今回はまた、武者さん自身の自己主張ともでも言うべき記述が多いのですが、それはまた機会があれば書こうと思います。


飲み物-テーブル上のマグのビール
[ 2022/10/28 01:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第40回「罠と罠」あらすじと感想-2

第40回後半部分です。ところで25日にこの大河がクランクアップを迎えています。


泰時は、自分は誰とも敵対関係にならず、皆で安寧の世を築いてみせると言う。口で言うのはたやすいと義時。そして尚も父上は間違っていると言う息子に、義時は謹慎を申し付ける。そこへ義村が弟胤義人とやって来てこう言う。
「もう一押しだ。ひげおやじは間違いなく挙兵するぞ」

胤義は義村に義時の味方と言いつつ、和田につこうとしていると指摘し、大人になったなと義村に言われる。その義村はそうやって俺は生きて来た、上総、梶原、比企、畠山幾人が死んだ、三浦はまだ生き残っている、そういうことだと去って行く義村。一方泰時は政子に、義盛がこのまま行けば必ず兵を挙げる、父がそれを機に和田を滅ぼすつもりだから父を戒めてほしい、それができるのは尼御台だけと直訴する。しかし泰時の背後には義時が立っており、一喝する。
「謹慎しろと命じたはずだ」

政子は和田殿は武芸には優れていても利にさとくなく、北条の敵になるような野心はないと言うが、周りが担ぎ上げると義時。そしてこうも言う。
「申し上げたではないですか、兄上の望まれた世が目の前まで来ている、坂東武者のてっぺんに北条が立つ日が」
政子はもう十分だと言うが、姉上は関わらないでいただきたいと義時。政子は、政に関われと言ったのはあなただ、私を支える立場ではなかったのか、一人で勝手なことをしないと叱責とも取れる言葉をぶつける。

義時は言う。
「姉上に叱られたのはいつ以来でしょう」
政子も自らの非を認め、義時は承知した、尼御台の仰せだから和田殿をこれ以上けしかけないと答える。もう誰も死なせたくないと言う政子に、それは私も同じですと義時も答える。しかし義時は広元に、尼御台にはいずれわかってもらうと言い、また、和田を焚き付けるいい方法を思いついたようだった。

一方政子は義村に、義時は和田殿を滅ぼすつもりでいると話す。尼御台のお考えはと訊かれ、悔しいがいまやあの人を止めることは誰にもできないと言い、義村も同意する。戦になった場合は三浦は北条につくことになり、和田は孤立することになるため、戦を諦めるだろうと政子は考え、その見返りに義時の許可なく義村を宿老にする。そして泰時は謹慎になったことを初に伝えるが、そこへ義時に追い出された朝時が現れる。鎌倉がきな臭いこともあり、初が呼び戻したのだった。父上も子供に手を焼くお方だと泰時は言い、酒をあおる。

実朝と千世はアジサイを楽しむ。本当は2人きりになりたいが、立場上そうもいかなかった。そして実朝は片隅の天幕を指さし、顔なじみが来ていると言う。例の歩き巫女だった。しかし彼女が実朝の袖に振れたため、時元が戒めようとして鎌倉殿と口にしてしまう。実朝は御台所だと千世を紹介し、千世におばばは人の目に見えない物が見えると言う。おばばは仲はよく相手を敬っているが寂しい、幸せが3で寂しさが7だが、寂しさが10よりはいい、肘が顎につくかねと言い、千世は袖を顔に充てようとするが実朝が止める。

おばばは大戦が始まって鎌倉が火の海になり、たくさんの血が流れ、みんな死に、由比ヶ浜に髭面の首が並ぶと予言する。そこへ盛綱が来て、急ぎ御所へ戻るようにと言う。義時は胤長の屋敷を没収し、本来の慣例である同族への引き渡しも行われなかった。そんなことをすれば義盛が怒るに決まっていると実朝は言うが、義時は寧ろそれが狙いであった。戦には大義名分が必要だったからである。向こうが挙兵すればすなわち謀反となり、鎮圧軍を出すことができるのである。

実朝は止めようとするが、義時は以後出歩かぬように言って去り、和田が兵を集めているから、兵の支度をと時房に命じる義時。実朝は政子に義盛を死なせたくないと訴える。政子は三浦がこちらに付くから戦にならないと言うものの、実朝は、義盛は一人になっても戦う男であると言い、本人に挑発に乗らぬよう伝えようとする。しかしここに呼べば捕らえられてしまうため、政子は秘策を使う。

その秘策とは女装だった。やがて被衣をかぶった大柄な「女」が御所にやって来て、実朝に、ここまでコケにされては武士の名折れで、後には引けないと言う。お前を死なせたくないと言う実朝に、自分は死なないと義盛、歩き巫女がそう言ったのだと実朝は言うが、義盛によれば、おばばは近頃死ぬとしか言わなくなっていた。実朝は義盛の手を取り、いつまでもそばにいてくれと言う。

小四郎も鎌倉を思ってのこと、二度と行き過ぎた真似をせぬよう自分が目を光らせると実朝は言い、義盛は久々に実朝をウリンと呼ぶ、実朝はまたうまい鹿汁を食べさせてくれと言う。実朝は和田義盛は鎌倉一の忠臣であることはわかっていると言い、やがて義時も呼ばれる。実朝は2人の前で、北条と和田が手を取り合ってこその鎌倉と言い、自分に免じて此度は矛を収めて貰えないかと言う。義時は、和田殿は歴戦の強者、戦わずにすめばこれ以上のことはないと言い、実朝は義盛にこれからも御家人たちの要として力を貸すように求める。

久々に会えたから双六でもどうだと言われ、乗り気になる義盛。立ち上がろうとする義時に、政子は残るように言う。これで和田殿が挙兵することはなくなったが、わかっている、貴方は和田を滅ぼしてしまいたいと言い、鎌倉のためと答える義時に、聞き飽きたと政子。戦をせずに鎌倉を栄えさせてみよと政子は言うが、姉上は甘過ぎると義時。しかし政子は、こんなやり方でなくてもまとめて行けるはずと譲らず、その後廊下に出た義時に義盛が話しかける。
「考えてみれば、皆死んじまったな、昔からいるのは俺と平六くらいだ」

時の流れを感じると答える義時。今の鎌倉殿は賢いし、度胸もあるし、何よりここが温かいと胸の辺りを指す義盛。ようやく俺たちは望みの鎌倉殿を手に入れたのかも知れない、政はお前に任せる、力がいる時は俺に言え、これからも支え合って行こうぜと義盛は言うが、義時はどこか他人行儀だった。義盛はウリンが待ってる、行って来るとその場を後にし、義時は浮かない表情をする。

和田館では、義盛が北条に嵌められたと思った息子たちが、戦支度を始めており、ものものしい雰囲気だった。そこには義村と胤義、そして知家と宗政の姿もあった。義村はこの乱は失敗すると至って冷静に言う。なぜかと理由を訊かれて義村はこう答える。
「俺が向こうにつくからだ、挙兵したら寝返ることになっている」
「この先も鎌倉で生きていたいなら和田には手を貸すな」
そんなことは知る由もない義盛の息子たちは、義村や知家に声をかけ、これより手筈通り大江の館を襲っておとりとすると指示を出す。

義村も、共に北条を倒そうぞと声を上げるが、その前に巴は起請文を書かせようとする。義村は、信じて貰えないのなら手を引くと言うが、和田勢が太刀を一斉に抜いたのを見て口を開く、
「いいだろう、書こう」
その後義村はしたためた起請文を灰にし、巴が酒を注いだものを飲む。知家も同様だった。寝返る手はなくなったと言い、義村は「小四郎、すまん」と言って他の者と出て行く。

時房は義時に、戦にならずによかったというが、和田を滅ぼす口実を失ったのは事実だった。時房は和田殿が好きなくせに、あのお方を嫌いな人なんていませんよと言い、御所の守りを解かせると言って出て行く。その後義時はトウを呼び、和田の館にいる義村に引き揚げるように伝えよと命じる。建暦3(1213)年5月2日、和田合戦勃発。しかし義時は双六に興じる。


いよいよ和田合戦の勃発です。元々胤長が処刑されたのが一因とされていますが、ここでは出てこなかったようです。無論義時は胤長の屋敷を没収するという強硬な手段に出て、義盛を焚き付けようとしたのですが、その目論見はうまく行きませんでした。しかし義時は、和田を生かしておくと泰時の時代が危うくなる、つまり鎌倉殿の時代は終わり、得宗の時代となることは必然と思っていました。政子に
「坂東武者のてっぺんに北条が立つ日が目前」
と言ったのも、それを考えれば当然と言えるほどです。

その政子、「弟と違って私はすぐに人を信じない」と言っていますが、これは寧ろ逆かと思われます。結局彼女は、戦を避けるため北条につくのを前提に、義村を宿老にしてしまうことになります。無論その前に、彼女は再三どちらにつくのかを尋ねているわけで、2度目に聞かれた時の義村のセリフが
「そう言われて向こうと答えるバカはいない」
と、如何にもこの人らしくはあります。

それでも和田潰しを目論む義時ですが、実朝と政子が間に入ったことで、ことがうまく運ばず、かと言って元の状態に戻れるわけでもなく、何ともぎくしゃくした雰囲気ではあります。実朝が義盛を忠臣と呼び、彼に全幅の信頼を寄せるシーンは、単なる主従を超えたものが感じられます。多少話が逸れますが、男性同士の恋愛に於いては、所謂ガタイのいい人物が好まれると言われています。『きのう何食べた?』もそうでしたがそれを言えば、義盛などはかなりもてるタイプのようにも見えます。尚『きのう何食べた?』の方は「三浦義村」、つまり山本耕史さん演じる小日向大策が、主人公の1人史朗の理想のタイプでしたが。

一方で歩き巫女がまた登場します。しかし彼女は和田館から永福寺に居場所を移しており、実朝はそれを知っていて出かけえたようです。この時おばばはまた何やら意味ありげなことを言います。パペットホームズにも似たような表現が出て来たようにも感じられますが、それはさておくとして。一方で鎌倉が火の海になると言うのは、もう少し含みを持たせた言い方でもよかったかと思います。

そして義村。起請文を灰にして酒や水に溶かして飲むのは、所謂「一味神水」ですね。『風林火山』の甲相駿三国同盟にもこれが出て来ました。約束を破ると神罰を受けることになると言われていますが、さて義村はどのような行動に出るでしょうか。それはそうと、トウは義村のものになったはずなのに、まだ義時の命令に従って動いているようです。


飲み物-ホットラム
[ 2022/10/26 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『ちむどんどん』第25週感想-1

第121回の気になった点です。

  • 暢子の手紙朗読だけで終わるアバン
  • 野菜に泥がついていない
  • 健彦は5歳のはずなのにもう小学生なの?
  • 夜中に三線を弾く和彦
  • 暢子「食堂をやりたい」
  • 「みんな」が誰であるのか特定できない暢子
  • 和彦の大工云々のセリフはレストランにつなげるためのもの
  • 建物作るなら設計図がないと駄目だし、新しく建てるための手続きも描かれていないのに、ただ暢子が望めば成功するだけだからこのドラマは面白くない
  • なぜ地元で食べられるのにわざわざ店を出すの?
  • いきなり房子に抱きつく野良着姿の暢子
  • 流石に風景がきれい

いよいよ最終週に入った『ちむどんどん』ですが、率直に言ってやっつけ仕事と言った感があります。冒頭で暢子が手紙を朗読するだけで1年間が終わってしまっていますが、本当はその間に何が起こり、それぞれの人生がどう変わったかを、2週間ほどかけて描いてこそのものでしょう。

何よりも暢子が収穫する野菜に泥がついていないのですが、あの畑はどうなっているのでしょうか。それに健彦はまだ5歳(就学前)のはずなのに、ランドセルを背負っているということは、もう小学生なのでしょうか。あとサーターアンダギーは、ジュースか何かと一緒に食べた方がいいのでは。またこういうののお金は、おばあが立て替えているのでしょうか。

歌子、豆腐屋の仕事は体力使うらしいけど大丈夫なのかと思います。そして賢秀ニーニー、「赤ちゃんみたいなパパ」などと言われつつも結構幸せそうです。この両方のシーンを観て思うのですが、比嘉家の暢子以外の兄弟姉妹とその伴侶は、そこそこお似合いなのに、なぜか暢子と和彦は未だに夫婦と言った印象をあまり受けないのです。やはり暢子は矢作がお似合いだったのではと思います。

しかもその和彦、夜中に三線を、しかも子供が寝ている部屋からカーテン一枚隔てた場所で弾いてしまうのですね。マイペースで仕事をしているらしいのですが、どのくらいの報酬を貰えているのでしょうか。暢子は自給自足でお金をあまり使わないと言っていても、野菜を育てるための肥料や農薬も要るでしょうし、服や靴、光熱費に加えて、健彦はこれから成長して行くわけですから、ある程度のお金は蓄えておく必要があるのではないでしょうか。

そして暢子がやっている「地元野菜と郷土料理の勉強会」なるものですが、個人的に、こういうのがどうも「やってます」アピールに見えてしまいます。ならばこのテーブルの上の料理を、暢子自身が作っているのも見せてほしいのですが、そういうシーンはなし。説得力不足ですね。そして農業をしたくて、矢作に店を譲って(これもどういう過程を経たのか不明)やんばるに戻って来て、また「店をやりたい」ですか。

何でもおばあが「こういうのを食べられる店がない」と言ったのがきっかけのようですが、「もっとみんなに食べてほしい」と言いつつ、その「みんな」を特定できていないようです。こういうのは、ビジネスの基本ではないのでしょうか。第一こういう料理は店で食べなくても、地元の人たちは家で食べているかと思います。店を出すのであれば、地元にない料理を出す店を検討してしかるべきで、そこでイタリアンの経験が生きるはず…なのですが。ちなみに、矢作は沖縄料理とイタリアンをうまくコラボさせているようです。

その後和彦が珍しく仕事をしていて、この辺りは大工として出稼ぎに行った人が多いと言い出しますが、要はこれも暢子の、実家を改造したレストラン計画を導き出すためのものでした。で暢子、まあかなり「ちむどんどん」しているようで、大乗り気になるのですが、結局のところ素人の大工仕事で建てるわけで、ちゃんとした設計図もなく、木材も近所から皆が貰って来たようなもので、この増築計画大丈夫なのかと言いたくなります。

そして房子がやんばるにやって来ます。暑い中、和服をきちんと来てバスから降り、日傘をさして歩いて行く房子に、畑仕事帰りの暢子がいきなり抱きつくのですが、そういう格好の時に、和服を着た相手に飛びつくでしょうか。そうでなくてもこのドラマ、人と人が身体を触れ合うシーン多いなと思いますね。そして荷物をまもるちゃんが持ってくれるのはいいのですが、あれは誰かと訊かれて「まもるちゃんです」。いや、そのまもるちゃんがどういう人かを房子は知りたいのですが。

しかし海と空、そして木々の緑はきれいです、寧ろこちらの方に関心が行きます。

ところで最後の週ということで、今まで特に気になった点を挙げて行きます。

ちむどんどんバースデーケーキ


まずこのケーキですが、とても一流レストランのケーキには見えません。西郷父娘がフォンターナに来店した時のもので、一応イタリア語で「誕生日おめでとう」と書かれてはいるのですが、市販のスポンジケーキを使って、小学生かせめて中学生くらいの、お菓子作りに慣れていない子が、家族のためにデコレーションを頑張ったように見えます。他の料理にも言えますが、このフォンターナの料理、高級レストランの割に今一つな感じもしました。あれなら、『きのう何食べた?』で史朗がクリスマスに作るラザニアの方が、美味しそうに見えましたね。

結局フォンターナでのイタリアン修業も、暢子と房子を引き合わせ、なおかつ暢子に房子の過去を伝えるためのものだったように見えます。沖縄料理店をやるのであれば、最初からあまゆで働いた方がずっとよかったでしょう。そしてこのあまゆも、三郎とか和彦との関係を持たせるためだったようです。純粋に料理をテーマにし、一流の料理人を目指す主人公であれば、沖縄のどこかの料理店で働かせてももよかったし、その後東京に出すということもできたでしょう。

しかし主人公は料理人のはずなのに、料理のキャリアを積むにつれて、料理するシーンが少なくなってしまいましたね。本当は、逆ではないでしょうか。それと黒島結菜さん、やはりもう少し包丁捌きや料理の基本をマスターして、役作りをしてほしかったです。

飲み物-テーブル上のアイスカフェラテ
[ 2022/09/27 00:45 ] 朝ドラ | TB(-) | CM(0)

『ちむどんどん』第21週感想-5とNHK受信料の在り方

第105回の気になる点です。放送もあと4週間になりましたね。

  • なぜか智や和彦まで駆り出される厨房(和彦はともかく、智は…?)
  • 和彦の記事をろくに見もせずたい焼きを食べる暢子
  • やはり矢作の方が店主みたいだし、寧ろ暢子と矢作が夫婦でやっている店の方がしっくり来そう
  • 紙芝居と人形だけで子供たちが食べるようになるか?
  • 子供の手紙「どろんこになって働くおばあ」
  • ちむどんどんの広告がフリーペーパーの記事みたい
  • ラフテーとラフテー乗せそばの組み合わせ?
  • 弁当のほうがおいしかったと重子に言われ、向きになる暢子

ちむどんどんは開店早々大盛況で、和彦や智まで厨房で働きます。和彦はわからなくもないのですが、智は別に仕事があるのではないでしょうか。それはともかくとしても、雑誌に載った和彦の記事はざっと読んだだけで、たい焼きをほおばる暢子ですが、せっかくの記事なのだからもう少し目を通してあげればいいのに。それとたい焼きは歌子の分はないのでしょうか。歌子はたい焼きが嫌いなの?しかしたい焼きと言えば、どうしても思い出すのが『カムカムエヴリバディ』の回転焼きですね。

相変わらず忙しい厨房で、矢作が休めよと声をかけてくれているのだから、暢子もそこはちょっとお礼を言った方がいいかと思います。配膳までやってくれてるし。そして今回に限ったことではありませんが、どうも矢作の方が店主としてふさわしいし、寧ろ矢作と暢子が夫婦で、沖縄料理店をやっていると言った方がしっくり来そうです。

一方山原です。良子の給食改革に、優子も協力することになります。給食のおばさんの格好をして、紙芝居と腕人形と言うかソックパペットで、地元で採れた野菜を食べることは大事だと子供たちに教え、その日は子供たちは給食を残さなくなりますが、どうも無理があるように思えます。子供たちが大人を気遣ってあげているようにも見えます。

しかもある子供が、ゴーヤが嫌いだったけど、雨の中どろんこになってゴーヤを収穫するおばあを見て、給食のゴーヤを残せなかったと、手紙に書いたのを良子が読むシーンがあります。ただゴーヤとはつる性の植物で、上の方になっているのを採るものです。いくら雨とはいえ、どろんこになるようなことがあるのでしょうか。寧ろこれは、芋の収穫の方ではないかと思うのですが。

そして「ちむどんどん」の広告を見て喜ぶ暢子と歌子ですが、雑誌と言うよりは、何だかフリーペーパーの記事みたいだなと思いました。ちなみに歌子のヘアスタイルですが、ああいう感じでまとめた方がいいですね。

そして重子と波子もやって来ます。しかし重子は、暢子が以前連日持って来ていた弁当の方がおいしかったと言います。暢子は、東京の人向けに味をアレンジしたと向きになります。しかしせっかく味についてアドバイスしてくれているわけだし、暢子もプロなのだから、そこはきちんと聞いておいた方がいいのではないでしょうか。

ところでラフテーとラフテー載せそば。ちょっと重くないでしょうか。20代の男性である和彦であれば食べられるでしょうが、重子と波子に取ってはどうでしょうか。余談になりますが、『きのう何食べた?』で、賢二が風邪を引いた史朗の為に食事を作るのを思い出します。この時も卵入り鶏雑炊と卵焼き(+ほうれん草の白和え)のダブル卵状態でした。しかし食べてみるとそう悪くなく、何よりも賢二が病人でも食べられるように、あまり上手ではないものの、楽しみながらも一生懸命作っていた姿に好感が持てました。

しかしここは商店街なのですが、その関係者の人たちに暢子は挨拶をしたのでしょうか。そういうシーンが描かれないのが気になります。そして2か月後、段々目新しさもなくなり、店は赤字転落となります。暢子のお腹も大きくなりました。あのくらいで胎動ならまだわかりますし、寧ろこの頃になって赤ちゃんが動くのを感じつつ、この子のために頑張らねばと暢子が思う設定にした方がよかったのでは。

それからNHKの会長が、この『ちむどんどん』への批判に関して、ドラマということでご理解をとコメントしています。しかしこの朝ドラは、ドラマとしての構成が第一おかしい(週が変わると設定が変わる)し、受信料で作っているのなら、もう少し真面目にできないかと思う人も多いでしょう。

その受信料ですが、視聴者という言葉を使わず、契約者としてはどうかとツイしている方がいました。イギリスのBBCの場合は、受信料はライセンス・フィーで、ライセンスを持つことでBBCを受信できるわけで、観たくなければ、あるいはお金を払いたくなければ止めることもできますし、さらに受信料廃止も検討されています。

NHKもそのくらいシビアな環境に身を置いてみてはどうでしょうか。国民から受信料を強制徴収して、自分達は高額収入を得、大河も朝ドラも好きなだけ作り続けて来たNHKも、そろそろ正念場ではないでしょうか。

そしてこれもある方のツイですが、『ちむどんどん』への批判で盛り上がっている人を目にしたということです。ツイートという方法を採らなくても(あるいは知らなくても)、批判したい人はいるわけです。かつてはそれしか方法がなかったわけです。

今はネット、特にSNSの出現で意見が共有され、批判の声がより多くの目に触れるようになっていますが、もちろん昔も大河や朝ドラに批判的な人は存在したはずです。ただその声を届ける方法は手紙や電話などで、特に第三者の目に触れる形で意見を述べるのは、恐らく新聞や雑誌の投書欄に限定されていたでしょう。それを思うとやはり今の時代、意見をシェアできるのはありがたいことです。


飲み物-アイスコーヒー5
[ 2022/09/03 01:45 ] 朝ドラ | TB(-) | CM(0)

『ちむどんどん』第17週感想-1

今日も様々な話題が登場していましたが、その前にこの画像に関して。以前、暢子がスプーンで味見をしている点に違和感を覚えたことがあります。彼女はこの時あまゆにいたわけですが、お客に出す料理ならばこれはないだろうと思います。

ちむどんどん暢子の味見

一方で『きのう何食べた?』の史朗の味見です。彼はプロの料理人ではありませんが、夕食にミネストローネを作っているシーンでも、右手にお玉を持ち、小皿に料理を取って味見しています。

きのう何食べた?史朗の味見

なぜ、暢子のあのシーンを流したのでしょうね。何だか不潔に思えます。

さて本題です。気になった点と、疑問点です。
  • 田良島デスク「若者はいつも自分の力で障害を乗り越える」
  • 同じく田良島デスク「和彦君のように意志が強く誠実な若者」
  • フォンターナに一番遅く出勤する暢子
  • 売上金と権利書を持って行かれたと言うが、売上金は銀行の夜間金庫に預けないのだろうか。権利書も本来は房子が持っているべきもの
  • なのに警察に届けず、三郎に一任したがる房子
  • 結婚の許しもないのに、琉装の衣装を試着する暢子
  • 青柳家にまだ弁当を届けている暢子
  • 矢作絡みで反社と思しき人物がやって来るが、名義変更もしていないのに、これを返済に充てるから買い取ってくれと権利書を見せるリーダー格の男

それから小檜山氏のツイにこうあります。

朝ドラ反省会というかアンチの意味がわからないのは、意見が合わないならそれでいいとならずに、褒めている側を調伏させようと脅迫じみた接触をしてくるところかも。

別にアンチというか、反省会タグの人たちは、褒めている側を脅迫などしていませんが。
あと調伏とありますが、これは降伏の間違いでしょうか。
そもそも小檜山氏=武者さんは、この朝ドラも大河も、本当に好きなのでしょうか。それとも前作が嫌いだったから、好きということにしているのでしょうか。ちょっとよくわかりません。

あと大河では証文と米の返済の帳消しが出て来ましたが、こちらでは権利書が出て来るのですね。それにしても、本当に米がなくて借りた分も返せない人と、借金をすべて踏み倒す賢秀ニーニーは対照的です。

[ 2022/08/02 01:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『ちむどんどん』第16週感想-2

『ちむどんどん』、先日も投稿していますが、何とも不可解なシーンが多いですね。今日の気づいた点と疑問点です。

  • 頼まれもしないのに、重子に弁当を作って持って行く暢子
  • 重子の許可を得ずに弁当を食べる家政婦の波子
  • 母親の喫茶店行きを知っているのに教えない和彦
  • 母親に一言謝りもしない和彦
  • 父親も女性軽視だった?
  • あまゆに重子を一方的に招待する暢子
  • なぜフォンターナにまず招待しない?
  • そのフォンターナの厨房が最近少しも描かれない

まず暢子。弁当を作って持って行くと言っても、相手に取ってはいい迷惑でしょう。無駄にやる気があるとしか見えませんね。第一フォンターナでは、スタッフが足りない中仕込みもしなければならないのに、なぜ弁当を作り、持って行くだけの時間があるのか不思議です。

しかも「絶対においしいと思います」て…そういう時はせめて「お口に合えば」とか「お口汚し」とかいう言葉を使うものでしょう-まあそういう言葉が使えるような人であれば、こういう強引なことはやらないと思いますが。それと波子さん、いくら奥様が食べないからと言って、黙って2人分食べるのもどうかと思います。

そして和彦ですが、喫茶店に入ってきているのだから、重子が朝外食しているのを知らないわけはないでしょう。ただそれを暢子に教えると、あの店に弁当を持って入って来て押し付けることになりそうだから、敢えて黙っていたのでしょうか。確かにああいう店でそのようなことをされると、店側も迷惑でしょう。

また和彦が重子と言い合いのようになっていますが、あのような会話も、雰囲気重視の店ならあまりやらない方がいいでしょうね。それと、母さんの子供に生まれたことを後悔しているという和彦のセリフ、あれは一言詫びるべきかと思います。

あと和彦のお父さんも、お母さんとはしっくり行っていなかったようですね。どちらにもそれぞれ問題はあったかも知れません。しかしそれをきちんと話し合ったようには見えないし、お父さんもちょっと身勝手だったかと思います。和彦は、そういうお父さんを反面教師にできているのでしょうか。また母さんと話したいと言いつつ、あまゆに来てくれと言うのはちょっと疑問です。

なぜ疑問なのか。重子は夫との確執もあって、沖縄にいい思いを抱いていないのに、沖縄料理というのはやはり気が進まないでしょう。暢子にしてみれば、みんなで美味しいものを食べようと考えているのでしょうが、それは暢子個人の考えであり、寧ろ重子は1人で外で朝食をするところから見ても、知らない人たちと群れるのを好まないタイプのようです。こういうのも、和彦が本来忠告するべきでしょう。

重子が承諾してもいないのに、なぜ暢子が意気揚々としているのか不明です。今までもそうですが、暢子はいつも相手の立場に立たず、自分の要求を飲ませることこそが「幸せ」だと思っているふしがあります。あるいはこれは、比嘉家の人すべてに言えるのかも知れません。

どなたかのツイにありましたが、なぜここでフォンターナに招待しないのでしょう。フォンターナならイタリア料理(創作イタリアン?)だし、一応は高級レストランだし、暢子が自分で作った料理を提供できるのですが。しかし最近フォンターナの厨房のシーンが出て来ませんね。本来は主人公がフォンターナで仕事に打ち込みつつ、結婚へむけて着々と準備を重ねているのを描くべきであって、弁当の押しかけ宅配?などは要らないとは思います。

それと最後の不審な音ですが、あれはやはりニーニーです。先週金曜日の予告で、料理をつまみ食いし、暢子が慌てて走り寄るシーンがありましたので。

しかし暢子、あまり料理が上手になっているようにも見えません、残念ながら。この回でも、実際に料理するシーンが殆どありません。『天皇の料理番』の佐藤健さんは、料理学校に通っていたからプロレベルのうまさで、如何にも料理人を演じるにふさわしかったですし、『きのう何食べた?』の史朗も暢子よりはよほど手際がよく、包丁の使い方も自然です。別にこの史朗はプロの料理人ではなく、同居している賢二と2人分の食事を毎日作る弁護士ですが、史朗を演じる西島秀俊さんは、このドラマを機会に料理を始めたとのこと(きのう何食べた?シロさんの簡単レシピP29)。



飲み物-アイスティーバック白2







[ 2022/07/28 00:15 ] 朝ドラ | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第28回「名刀の主」あらすじと感想-2

第28回後半部分です。


頼家は近習たちをうるさいと怒鳴りつけ、景時は困ったお人よと口にしつつ廊下を去って行く。そして景時は義時に、謀反は思い描いただけで既に謀反と、朝光を死罪にする考えを明らかにする。その旨を訴状にして鎌倉殿に見せると言うが、広元がそれに待ったをかける。

安達殿の一件が尾を引いているのかと尋ねる義時。景時はあれ以来頼家が御家人の信用を損ね、厳しく当たらなければ鎌倉は割れると言い、義時は、その見せしめのために朝光が利用されると悟る。さらに景時は、御家人への見せしめは頼朝様の頃からのならいであると言い、不満を持つ者を一掃するにはよい機会であるとも言う。

実衣は、朝光を助けるよう三浦義村に懇願するが、これは朝光一人の問題ではなかった。実際景時の手の者が鎌倉のあちこちに潜んでおり、義盛も、朝光以外に取り締まりを受けた者を何人も知っていると口を挟む。そして義時は13人衆でない義村に、景時のところへ行って、御家人たちの気持ちを伝えるように頼む。しかしそれでは弱いと見た義村は、人数を集めて訴状に名を連ね、鎌倉殿に処分を訴えることを勧める。

これで署名が集まるかと実衣は心配するが、義村は裏に回ると言う。重忠もその役を買って出るが、お前は裏に回るには見栄えがよすぎると言われて引っ込まざるを得なかった。義時は4~5人程度の署名で十分だと考えていた。義村は時政にまず署名を依頼する。りくの、これを機会に梶原を引きずり降ろしましょうとの言葉に、時政は自分も、御家人で一番のような顔をする梶原には頭に来ていたと乗り気だった。

さらにりくは、時政が署名することで他の御家人たちの重しになると言い、一番最後の部分に署名するように勧める。比企能員も梶原をよく思っていなかったが、時政が最後に書いたのを訝る。義村は、最初を比企殿にお譲りしたのだと言い、能員は最初の部分に署名をする。そして当の景時には、広家が、侍所で大変な騒ぎになっていると知らせを持ち込んできた。義村は、どうだ集まっただろうと得意げだった。

大ごとにするなと言ったではないかと義時は言うが、義村は思ったよりも、梶原のおっさん嫌われていたようだと勝ち誇ったように言い、さらに千葉常胤は、梶原と一戦交えることまで考えていた。戦はないと義時は言うが、義村は如才なく、加わってくれたことへの礼を述べる。常胤は、危うくお迎えの支度を始めるところであった、またもや誉ある戦をせぬかと声がかかれば、乗らない手はないと自信ありげに話す。

そこへ義盛が皆書き終わった、八幡宮へ誓いを立てに行こうと言う。集まった数は67にも上り、義時が多すぎると不満を洩らしたところ、そこへ土肥実平が現れて、泰平の世になったのになぜまたいがみ合う、頼朝様がお喜びになるとお思いかと憤る。すると義盛が、いいんだぜ、一緒に土肥実平殿への訴状をこしらえてもと凄んだため、実平はこの先鎌倉はどうなると言いつつ、引き下がるしかなかった。その時一同は、庭を隔てた廊下に景時がいるのを見つける。

義村は署名を時政に見せ、明日広元に預け、鎌倉殿に披露して貰うことを伝える。するとその時りくが小刀で、最後の時政の署名を切り取ってしまう。義盛が大声を上げるが、りくは夫は関わらなかったこにさせて貰うと紙片を破り、火鉢にくべてしまう。もし鎌倉殿と景時が結託したら、名を連ねた御家人たちは根こそぎやっつけられると言い、時政は、なぜ最後に署名させたのかの意味を理解する。義村は小柄で訴状を割こうとするが、りくがすばやく訴状を引っ込める。義村は言う。
「あんた、やるな」

比奈は食事中の義時に、なぜ景時がそこまで嫌われているのか尋ねる。あまり心を開く人物ではないので、誤解もされやすいと答える義時。比奈は夫の身を案じる。肝に銘じておくと義時。比奈は頼時にも、鎌倉殿の側を離れないように、父に不都合なことがあったら知らせるようにと言い聞かせる。坂東武者は内輪の争いが好きだと言う比奈。義時はこれで終わりにしたいと言うものの、比奈は新たな始まりでなければいいがと心配げだった。

しかし頼家はまだ訴状を見ていなかった。これはあくまでも最終手段であり、事を穏便に済ませる方法がないか考えておると広元は答える。梶原がそんなに怖いかと義盛は尋ねるが、恐れているのではなく、不憫に思っていると広元は答える。しかし義盛は、これだけの御家人の声を封じ込めるつもりか、渡すか渡さないかここで返答せいと襟をつかむ義盛の手を、広元はつかみ返す。

政子の部屋にいる景時に、鎌倉殿のご沙汰があると義時が呼びに行く。しかし政子はその必要はない、自分が頼家と話すと言う。それには及ばないと景時は言うが、政子は、貴方は欲得で動く人物ではないと頼朝から聞いており、おかしなことになると取り返しがつかないと注意する。景時は、鎌倉殿は賢いお方、某を手放すようなことは決してございませぬと答える。

頼家は2通の訴状を文官と御家人たちに見せる。1つは景時の結城朝光に関する訴状、もう1つはその景時自身への書状だった。康信は朝光の謀反の疑いはないと見ていいようだと述べ、景時も疑いが晴れれば、これに越したことはないと言う。頼家はそれを引き裂き、今度は景時への訴状を手に取る。まず能員が景時のやり方は目に余ると言い、時政も確固たる処分を要請する。

義時は、景時は鎌倉を守りたい一心であったと言うが、義盛が異論を唱える。そして景時は、恥じ入るところはただの一転もないと言い、それを聞いた頼家はしばしの沈黙の後、父は御家人たちをまとめるために上総の介広常を斬った、お前を許せばこの66人の御家人が黙ってはいるまいと述べる。そして頼家は景時にこう告げる。
「役目を解き、謹慎を申しつける」

このことは京にも知らされた。頼朝が死んで、早速仲たがいが始まったかと後鳥羽上皇は言い、それほど有能かと土御門通に尋ねる。通親はかねてより誼があり、頼朝に気に入られ、鎌倉では最も力のある御家人であると答える。上皇は、それほどの男なら手中に置きとうなったと言い、探りを入れさせる。その後景時の館には義時が趣き、残念であると言うと、景時は盆栽に手を入れながら、自分の間違いは己の過信にある、鎌倉殿と御家人、どちらも意のままに操れると思い込んだがどちらからも疎まれたと話す。

義時は復帰できるよう動いていると言うが、景時は、捨てる神あれば拾う神ありと、義時に上皇からの文を見せる。京へ来るように、通親が伝えたのだった。鎌倉にいても先は見えたと言う景時に、義時はいてもらわねば困ると言い、何かを諦めたかのようなそぶりを見せる景時に、行ってはなりませぬと再度念を押す。景時は涙を流す。

実衣は琵琶を傍らにおき、憂鬱そうな表情を浮かべていた。そして矢場では義村が朝光に、しばらく姿を隠せ、全てはこちらの思い通りに運んだと言い、さらに例のことは他言無用で、実衣殿に相談を持ちかけたのは、あくまでもおぬしの一存とも言って報酬を渡す。朝光はそんなに梶原殿が難いかと尋ねるが、義村は別にと答え、ただ、景時にいられると何かと話が進まないと答えてそこを去る。

そして頼家は、わが手の者から聞いたと言って、京から誘いがあったそうだなと景時に尋ねる。わしに伝えなかったということは、その気があると考えて間違いないなと言い、結構でございますと言う景時に、「忠臣は二君に仕えず」を頼家は引用する。お前は自分が忠臣でないことを認めた、そして忠義を誓わぬ者はこの鎌倉に入らぬと言い、奥州外ヶ浜への流罪を申し渡す。

正治2年正月。景時は太刀を抜き、邸内の竹を伐る。その頃義時は、あることを聞きつけて比企館に出向いた。せつが一幡を助けてくれと言い、能員は穏便に、鎌倉殿の耳には入れるなと念を押す。奥には武装した景時とその家人がいて、一幡を連れ出そうとしていたのである。景時は、我らはこれより京へ向かい、向こうに着いたら一幡様は送り返すと言うが、京へ無事にたどり着けるように自分が手配すると義時は言う。

しかし景時は、そなたを信じるわけには行かぬと言う、上皇からの誘いの件、鎌倉殿に流したのはそなたであろうと言い、義時はうなずいて、京に行けば鎌倉殿は決して貴方を許さない、討ち取ろうとして朝廷との争いの火種となると言い、鎌倉を守るのが自分の役目であると答える。ひけらかすものではないなと景時、破り捨てるべきだったと義時。景時は、刀は斬りようによって名刀にもなまくらにもなり、なまくらで終わりとうはなかったと囁くように言う。

一幡はせつの手に戻り、頼家の近習たちが景時に刀を向けるが、景時はこれより外ヶ浜へ参ると言い、義時は景時を通すように家人たちに命じる。景時は義時に、そなたは広常の前でこう申した、我らは坂東武者のために立ち上がったのだ、源氏は飾りに過ぎぬと。その言葉に義時はうなずく。景時は己の道を突き進めと言い、置き土産として善児を義時に譲った。

景時が出て行った後で、義時は頼時に兵を調えるように言う。必ず西へ向かうであろう景時を、東海道で討ち取るつもりだった。義時は、景時が武士らしく華々しく戦死しようとしていることを見抜いていたのである。外は雪が舞っていた。


景時の厳しいとも取れるやり方(源平合戦の頃からそうですが)に、御家人が反発します。そこで、13人に加わっていない義村が動くことになります。重忠は自分もと言いますが、お前は見栄えがするからと外されます。しかし義村は、こういう仕事は単独でやるべきであり、しかも自分でなければできないということを熟知しているようです-重忠はその点愚直なところもありますし。そして景時に対する市場に、多くの御家人の署名を集めさせます。

しかし義村よりもうわての人物がいました。それは他ならぬりくでした。りくはまず、夫時政に訴状の最後の部分に署名させます。それをきっかけに多くの御家人が署名をし、その数67人にもなります。いくら何でもやり過ぎだと義時は思うものの、義村は得意げです。そしてこれには、千葉義胤も名を連ねます。この人は昔ながらの坂東武者で、無論合議などには向かない、義村の言う「じいさん」でしたが、その「じいさん」も大いに役に立てたわけです。

しかも一応署名が集まったところで、りくは最後の部分を切り取り、燃やしてしまいます。頼家と景時が同盟でもすれば、署名した御家人が危うくなると思った彼女は、敢えて夫に最後に署名させ、最終的にその部分を切り取るという手段に出たのです。これには義村も一本取られた格好になります。しかし義村とりく、『きのう何食べた?』SPの小日向さんとまみちゃんを思い出します。

政子は景時は人格者と信じており、景時も頼家は、自分に何もすまいと踏んでいたわけですが、ことは思いがけない方向に向かいます。頼家は景時の役目を解き、謹慎を申し付けたのです。景時は己の考えの甘さを思い知らされますが、ことはそれだけでは終わりませんでした。後鳥羽上皇が景時に声をかけており、しかも屋敷に来ていた義時にそのことを喋ってしまいます。これはちょっと脇が甘かったと言わざるを得ません。義時は頼家に近い人物であり、このことを伝えたとしても無理からぬ話です。

そして最後のシーン、比企館に景時が乗り込み、一幡を人質にしようとします。しかしこれも、景時が流罪になるのであればと一芝居打ったように思われます。義時が、景時は武士らしく華々しく戦死したがっていると見たのはこのためでしょう。

飲み物-ビールと夕日2
[ 2022/07/26 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『麒麟がくる』と『ちむどんどん』

まず先日分の投稿、ちょっとわかりづらいと思われる箇所を直しています。

『鎌倉殿の13人』がお休みということもあり、久々に録画していた『麒麟がくる』の未視聴分を観てみました。しかしやはり、実際に視聴した分と大差はありませんでした。この大河、明智光秀が主人公のため、信長に仕えるよりも前から描かれていて、その意味では期待していたのですが、やはり

衣装の色遣い
和歌や漢籍がやけに出て来る
駒がいつもどこかのシーンに登場する

こういう点に加え、演出や殺陣、ストーリーの展開なども今一つ馴染めませんでした。

あと片岡鶴太郎さんの摂津晴門を見ると、やはり『ちむどんどん』の平良三郎がダブりますし、滝藤賢一さんの足利義昭に、今年の『鎌倉殿の13人』の、大泉洋さん演じる源頼朝が重なってしまいます-ちょっと雰囲気が似ていますので。

『麒麟がくる』に関しては、また機会があったら書きたいと思います。

ところで『ちむどんどん』と言えば、いくら話題の多い月曜日とはいえ、今回も疑問に思う点、これは如何かと思う点がいくつかありました。

  • 晴海が保育園に行くようになり、歌子がまた病気をするようになる
  • 沖縄角力大会のポスターを見て、和彦が、智が過去に優勝したと言い出す。しかし角力で優勝したのであれば、今まで1度くらいはあまゆで話題になるのではないだろうか
  • フォンターナで、年に1度のお客の来店と、必ず出す料理のことを誰も暢子に伝えていないため、暢子が別の料理を作っている。また暢子も、毎年来ている客であるはずなのに、全然知らない様子である
  • お客がそこそこ入っているのに、また料理人が3人も辞めたのに、フォンターナの厨房があまり忙しそうでなく、二ツ橋は暢子と立ち話をしている
  • 暢子が作っているケーキが、どう見ても素人、それもお菓子作りの初心者レベル
  • 年に1度のお客、西郷家の父と娘が食事をするのはいいが、ケーキを持って来た時点で父親が娘に再婚話を持ち出す。娘は受け入れられずに店を出て行き、父親が後を追いかける
  • 暢子がそのことを、あまゆで和彦、愛、そして智に話す
  • 和彦と愛が結婚式場の下見に行くと言うが、愛の父親が既に予約していたのではないだろうか

特にフォンターナのシーンですが、なぜ年に1度のお客のことを、ストーブ前を任されている暢子に言わないのかが不思議です。そして暢子も、毎年来ているお客ならいくらか知っているはずなのに、たまたまその日が休みとかでずっといなかったのでしょうか。

このためせっかく作っていた料理が、無駄になってしまったと思われます。他の作品をそう観ているわけではありませんが、この朝ドラはやけに食材を無駄にするシーンが多いような気がします。そう言えば脚本担当の羽原氏、『マッサン』の脚本も手掛けていたようですが、この両者はあまりにも違いすぎますね。

それとあのケーキ、高級レストランのケーキにしては、はっきり言って安っぽいですし、このレストランの料理も、正直今一つな感があります。あれなら『きのう何食べた?』で、史朗が作る夕食の方がおいしそうです。

そして父と娘が、再婚を巡って対立するシーンですが、娘のめぐみはぱっと見中学生くらいですから、まだ再婚をすんなり受け入れられる年齢ではないでしょう。大学生くらいになればまた別ですが。

しかしこのお父さんも、わざわざ誕生日を祝っているレストランで、このような話題を切り出さなくてもいいでしょう。家で、機会を見て話せば済むことではないのでしょうか。それとこういうお客のプライベートなことを、あまゆで喋ってしまう暢子も、ちょっとどうかとは思います。

ところでこのめぐみを演じている新井美羽さん、『おんな城主 直虎』で少女時代のおとわ/次郎法師を演じていましたね。

飲み物-アイスコーヒー
[ 2022/07/12 00:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 52

『武将ジャパン』大河コラムへの疑問点です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第22回「義時の生きる道」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

1.亀騒動のとき怒って伊豆に引っ込んだのは時政でした。今度は義時が引っ込んでしまい、それを頼朝自ら引っ張り出しに来ています。
重要性が上がったのか、それとも義弟への愛ゆえか。

2.この流れは実に日本史らしい、独自で特有な会話です。
どのあたりが?というと、主に以下のような部分。
(注・中国の諸王朝には易姓革命があり、外戚排除があるという記述。長くなるのでここでは省略)

3.兼実は有能で、策略もあり、そして人間らしいと思える。
麻呂眉に白塗りで高笑いをする。そんな『柳生一族の陰謀』に出てきた烏丸少将文麿のようなテンプレ公家描写ではありません。

4.ちょっと違和感があるのは、大江広元もその場にいたことでしょう。義盛に「田舎者と飲んで楽しいのか」と聞かれると、珍しく心底嬉しそうに語り始めます。頭の固い都の連中を見限って鎌倉に来た。それがこうしてリベンジを果たすように上洛できた。坂東の勇者のおかげだとホクホク顔です。
広元は学業が優秀でしたが、身分が悲しいことに低かった。

5.そして義盛は、小四郎の再婚相手を勝手に探しているときた。なんなんだよ……。
いや、それよりツッコミたいのは義村のこのセリフでしょう。
「女子を失った深い穴を埋めるのは、女子しかない」
おいおーい。川に入って鶴丸だけ助けて、八重を忘れて一息ついていた義村。
考えようによっては、義村の迂闊さが八重の死に繋がったと言える。この人は用意周到なようで雑なところもありますから。

1、亀騒動の時と八重の死ではそもそもの意味が違いますね。あの時は時政が御家人との橋渡し役をしていたのにいなくなり、頼朝も困ったわけですが、今回はその必然性があまりない。結局法皇との会話にあるように、大軍を引き連れて行くという目的で、義時にも白羽の矢が立ったと思われます。
あと「重要性が上がった」とありますが、重要性なら「増した」ではないでしょうか。

2、法皇と頼朝の会話ですが、この会話そのものに秘められた双方の駆け引きについて、特に「武士どもはおとなしくさせなければならない」と言う頼朝の言葉について、もう少し言及してほしいものです。それから朝廷が与える誉れと、大姫の入内はセットになっているはずなのですが、それには触れず、中国諸王朝との違いばかり書かれているのはどうかと。結局中国関連のことを書きたかったのでしょうか。

3、「麻呂眉に白塗りで高笑い」は、後世の武士が主力になった時代の、無力だがプライドは高い公家のステレオタイプでしょう。この時代まだそういうものはないはずです。ただし『平清盛』で、お歯黒をつけた、如何にもなお公家さんはいたかと思います。

4、確かに下級貴族である広元は、鎌倉に来て本領発揮をしていますが、坂東武者への挨拶は、あらすじと感想でも書いたように、広元なりの処世術であるかと思われます。

5、義盛はああいう性格で、しかも酒が入っていること、八重がいなくなって義時が浮かぬ表情でいることなどから、義時にいい女がいないかとなるのも無理からぬことです。そして三浦義村。このことは小檜山氏のツイートにもありましたが
「おいおーい。川に入って鶴丸だけ助けて、八重を忘れて一息ついていた義村」
ここのシーン、まず鶴丸を連れて岸に戻り、様子を見ていたところで(当然八重も後から来ていると思っていた)、金剛が母を呼ぶ声に気づき、振り向いたら八重がいなくなっていたわけです。義村が意図的に殺したわけでもなく、事故であったとしか考えようがないのですが。
(尚この『女子を失った深い穴』のセリフ、やはり『きのう何食べた?』を思い出します。第14巻で、タブチくんと彼女が、パウンド型でフィナンシェを作る回の冒頭に登場します)

6.確かに、御家人って危ういですよね。不満があるからって、すぐに謀反だの何だの、そんなに目立つ不穏な動きは控えればいいのに。
「鎌倉殿に不満がある会」には三浦義澄、千葉常胤、土肥実平、岡崎義実……という上の世代が集まっていました。
上洛は金がかかるし、メリットもわからん!

7.下の世代は上洛のメリットを理解していて頼朝の飲み会不在を愚痴っているけれども、上の世代はそうでもない。その辺、頼朝がきっちり説明すべきでしょう。

8.このドラマは時代考証がシッカリと練り込まれていますが、創作ですので表現上の強調はあります。
上の世代が、史実よりも教養が低く、荒っぽくされているのもその一例。
実際には、ここまで上洛が理解できていなかったとは言い切れません。ドラマはあくまでドラマです。

9.特に本作は【東と西】あるいは【武家と朝廷】という対立の構図が強調されます。
序盤における北条宗時の台詞や、オープニングで武士と天皇(朝廷)が対峙するようなイメージからも見て取れますね。
華夷変態――朝廷と武家の力が入れ替わる――そんなテーマが根底にあると思えます。

10.赤ん坊を抱く阿野全成。隣には妻の実衣(阿波局)が居て、兄の義時がまだ引きずっていると話しています。義時は育児に追われて大変。

6、ここで法皇との会話の中での頼朝の
「武士どもは別、あの者どもをおとなしくさせねばなりませぬ」
という言葉が生きて来るのではないでしょうか。特に年配の世代は、昔の平家支配の頃は坂東の豪族であったことから、こういう都との付き合いその他に馴染めず、頼朝との関係に齟齬が生じているかと思われます。

7、「下の世代は上洛のメリットを理解していて頼朝の飲み会不在を愚痴っているけれども、上の世代はそうでもない」
ただこの上の世代は、それを受け入れるには年を取り過ぎた感もありますね。

8、「このドラマは時代考証がシッカリと練り込まれていますが」
どこにどのように練り込まれているのか、それをまず具体的に書いてほしいです。
「創作ですので表現上の強調はあります」
「ドラマはあくまでドラマです」
何だか武者さん、はじめの頃は坂東武者は荒っぽくて野蛮などと書いていたと思いますが、ここに来て多少変わって来たように思います。そして上の世代が教養が低く荒っぽいという点、上の方で書いていますが、彼らは若い時に坂東の一武者として過ごし、幕府というシステムに組み込まれにくい、あるいは組み込まれるには年齢を重ね過ぎてもいるとは思われますが、そういう点をいくらか誇張している感はあります。

9、これ、OPの最後の部分だけを見て判断していないでしょうか。
このタイトルバックに関しては、ニッコームックのガイドブック後編、40ページから41ページにかけて、制作担当の高野善政氏による「タイトルバックの世界観」という解説記事がありますが、それによると承久の乱だけでなく、13人の合議衆や壇ノ浦の戦い、鎌倉の街並み、蹴鞠なども盛り込まれているわけで、実際に見てみると確かにそうなっています。ですから単に朝廷と武家との対立だけがテーマではないし、蹴鞠には公家だけでなく、頼家や実朝も参加しているという設定です。
ちなみに壇ノ浦のイルカや八艘飛び、義時を救ったとされる白い犬も隠しアイテムとして登場します。

10、京から戻って来ているというのを明記してほしいなと思います。実衣のセリフに
「京から戻っても、結局御所には行かずじまいですって」
とあります。義時は京で畠山重忠から、年配の御家人たちが頼朝をよく思っていないというのを聞かされ、あるいはそれも浮かない表情の一因となっているのではないでしょうか。無論実衣はそれを知らないから、兄上はやはり八重のことが忘れられないと言い、全成も、忙しくすることで気を紛らわせていると考えているようですが。

11.五郎の田邊和也さん、十郎の田中俊介さん。
どちらも精悍で、声もしっかりしていて、古いタイプの坂東武者感があります。これからが生きづらくなる性質に思えるのです。

12.ここで忠常がやっぱり無理だと脱落してゆきました。金剛は餅をつまむなと叱られつつ、食べています。

11、ここは逆ですね、十郎が田邊さんで、五郎が田中さんです。公式サイトにアップされているのですから、チェックしてほしいです。

12、このシーン、金剛は餅を食べていません。つまむな、持って行って食べなさいと義時に叱られた後、持って行ったかも知れませんが、食べるシーンは出て来ません。寧ろ食べているのは義時と政子ですね。

飲み物-レッドビール2

[ 2022/06/08 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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