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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『光る君へ』第15回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-1

第15回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。
まず本文へ行く前に。

以前から思っていたのですが、本来の更新日とコメントの日付が異なっていることがたまにあります。実は私は、今回このコラムには16日に初めてアクセスしました。すると、4月16日の更新となっています。
通常このコラムは月曜日にアップされるわけで、コメントも15日付になっています。ということは、15日に一旦アップされたうえで、修正または加筆が行われたのでしょうか。


では本題に行きます。

さらには一条天皇の母である藤原詮子を、職御曹司(しきみぞうし)へと出します。

職御曹司について何も書かれていませんが、中務(なかつかさ)省に属する、中宮職(しき)の建物のことで、元々はすべての后妃に関する事務を取り仕切っていましたが、その後皇太后、皇后、中宮の並立により、それぞれ専門職が置かれるようになりました。

定子も一時期、ここを仮の御所としています。『枕草子』第87段に「職の御曹司におはします頃、西の廂にて」とありますね。

藤原道兼が家にやってきて居座っているとか。三日前に腹を空かせて現れ、何か食わせて欲しいと言ってきたとのこと。公任が以前「尽くす」と言っていた言質を取られたようです。
夕餉と酒を出したら酔い潰れ、家から出て行かなくなかったようで、まるで野良犬です。

まず、公任によれば道兼が来たのは「五日前」ですね。
そして「まるで野良犬」という表現はちょっとないかと。自暴自棄になって、傍目にはかなりみじめな有り様となっているのは確かですが。

繁子が道兼の屋敷から出て行ったように思えましたが、道兼が追い出されていたのでしょうか。だとすれば婿取り婚の恐ろしさを痛感させられます。

まず前回、この当時は婿を取れば新婚夫婦の屋敷になり、親たちは別に住む習慣があったことについて書いています。そして、たけたけさんのnote記事にも、道兼が粟田殿を作っていたことが書かれています。

第一、繁子と尊子に出て行かれた後もあの屋敷に道兼はいて、その近くにネズミがいたわけですから、しばらくはあのままあそこにいたと考えるべきでは。

この道兼が実に面白い。服装がだらけきっているのです。
当時の衣装を分解した状態で見られるというのは貴重な機会でもあります。構造を知っていると映像にも反映できて、「光る君絵」を描く方たちも助かるはず。

「当時の衣装を分解した状態で見られる」
ちょっとよく意味が分からないのですが…衣装を分解するというと、すべてほどいて布にするような印象を受けますが。
そして「光る君絵」て何ですか?

この場面は、脚本家の大石静さんが、玉置玲央さんの魅力を全部出し切るという気合を込めて書き、それに演じる側も演じさせる側も全力で応じた感があります。
これほどまでに切なく侘しく、意地悪な堕落があるものでしょうか。

「応じた感があります」ですか。こういうのは、脚本サイドや演じる側のコメントがあって成り立つものだと思います。個人の感想を述べたいのなら、個人のブログなりサイトなりでやってほしいのですが。
ちなみに『功名が辻』でも、一国一城の主になりそこねた一豊が、出仕を拒んで引きこもっていたため、母の法秀尼が訪ねて来て一豊を叱り、死になさいと言うシーンがありますね。あれにちょっと似ているような気がします。

「心配じゃ、心配じゃ、心配じゃ、心配じゃ……」
四回も繰り返しているのは「天譴論」(てんけんろん)を踏まえてもいるのでしょう。
中国由来の思想で、為政者が堕落すると、それを罰するために天意が禍を起こすという考え方です。

ここで『天譴論』なのかと思っていたら、どうやらその次で『青天を衝け』叩きをやりたいからのようで、関連ページのリンクが貼られていました。
あと「施政者が堕落する」と言うより「王道にそむく」という考えでしょうね。

すると、涙で前が見えないと感動しながら、“いと”が酒を取りに向かいます。酒などあったのかと為時が驚いていると、この時のために作っていたようです。余った穀物を醸していたのですね。
酒というのは案外簡単に作れます。現代人がそう思えないのは酒造が法律で規制されているからでしょう。

ここで酒造りの話ですか。
そして「余った穀物を醸していたのですね」とありますが、ドラマではそういうシーンは出て来ないのですけど。

このとき、まひろは心でこう考えていました。
不出来だった弟が、この家の望みの綱となった。男であったらなんて、考えても虚しいだけ――。
その思いが琵琶に乗ってしまったのでしょうか。
(中略)
この憂いは、決して過去のものではありません。
◆「このままでは東大は地盤沈下する!」副学長が語る、男だらけの東大を変えるために必要なこと 男性8割、私立中高一貫校出身多数の均質空間で、多様な研究は望めない(→link)
なぜ、男ばかりが高等教育を受けられるの?
今もまひろのように悩む人はいることでしょう。
(中略)
今もまひろのように嘆く人がいる――そう突きつけてくる今年の大河ドラマは、かなり画期的なことに挑んでいます。

平安時代の大学寮と、今の大学を単純比較して語るべきものでしょうか。
あの当時は男性は官職についてしかるべき女性に婿入りし、女性は家屋敷や財産を親から受け継ぐシステムになっていました。大学寮が男性のための官吏養成機関になるのも、当然のことと言えるでしょう。あと「男であったら」云々は、惟規の「姉上が男だったら」を踏まえているでしょうね。
そして今の大学の件、武者さんは男女比率にこだわっているようですが、それを合わせるのが本当に平等になるのか、その点にも突っ込んでほしいものです。

成長した帝が笛を吹いています。
笛を吹く美男はアジア時代劇の華。
長い指の塩野瑛久さんは、アジア時代劇日本代表枠に入れると思える麗しさがあります。
日本の時代劇は、もっと笛を吹く場面を積極的に入れるべきでは?

貴方また「アジア時代劇」「日本代表枠」ですか。
雅びやかで心和む風景だとでも書いてほしいものですが。
そして
「日本の時代劇は、もっと笛を吹く場面を積極的に入れるべきでは?」
昨年、於愛が笛を吹いていましたがそれは無視ですか?

そして『おんな城主 直虎』でも、亀之丞が笛を吹いていましたね。

中宮の務めは皇子を産むこと。とはいえ、帝しか目に入らないようではいけない。後宮の長として全ての心を惹きつけ、中宮として輝き、それにより摂政の政治をも輝かせねばならない。

貴子の定子への言葉ですが、「中宮として輝き」とは言っていません。この場合寧ろ「後宮の長」として輝き、ここに集う女房たちをまとめ上げるように言っているかと思われます。
貴子も女房達の噂を、あるいは薄々感づいているのでしょう。

ききょうは祖父・清原深養父(きよはら の ふかやぶ)も、父・清原元輔も、天才肌の歌人として有名です。
代理の女房として働くことはききょう様の志だとまひろが祝うと、ききょうも「そうなの!」と素直に喜ぶ。

ここ「代理の」とあるから、誰かの代役としての女房務めなのかと一瞬思ったのですが、どうも「内裏」のようですね。報酬が発生しているコラムである以上、誰か校正できないのかと思います。個人ブログではないのですから。

人生が停滞しているまひろです。
こういう大河ドラマ主人公はいないわけでもありません。
『麒麟がくる』の明智光秀も、不惑すぎて花開いた遅咲きの人生で、前半生は不明点が多いものでした。
そこをどう盛り立てていくのか。まさしく創作の味わいでしょう。

これもまひろと光秀とでは、時代背景から何からまるで違います。

まひろ、つまり紫式部は藤原為時の娘で、夫宣孝と死に別れた後宮仕えをするようになったことが知られています。ですから前半生はかなり創作が入っています。
しかし光秀は斎藤道三が討ち死にして牢人となり、朝倉義景に仕える何年かの間、何をしていたかが知られていないというわけでしょう。一説によれば、その間鍼灸医として働いていたと言われています。同じ創作を入れるにしても、この両者はかなり異なっていると思いますが。

そして大河の場合、どんな人物でも創作は入っています。その生涯がよく知られている人物しかりです。前半生あるいはその一部が不明な人物のみ、創作を入れているわけではありません。

飲み物-マグに注がれたビール
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[ 2024/04/17 03:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第13回「進むべき道」あらすじと感想-1

第13回前半部分です。


永祚2(990)年正月5日、兼家は他の蔵人たちと帝(一条天皇)に拝謁する。その4年前の政変劇で兼家は摂政に就任し、息子たちを昇進させて政権中枢に置いていた。この日帝は元服し、兼家は加冠役を務める。これにより、彼は政権の頂点を極め、その座はゆるぎないものとなった。

藤原道隆と高階貴子の子、伊周と定子も成長していた。定子は兄の恋文を見つけたと両親に知らせるが、伊周はいたずら書きだと言い、道隆は文を盗み見た定子に過ちがあると諭す。恋心とは秘めたるもので、人に見せるものではないと道隆。もうよろしいのですと言う伊周。そこへ弟の隆家が、兄と姉の喧嘩を知らせに来るが、もう仲直りしたぞと道隆は笑う。

この文は伊周と定子が争った時破れてしまったが、自分も読みたかったと貴子。ちっともときめかないとからかう定子に、最高の出来であったぞと言う伊周。実際伊周は漢詩、和歌、笛そして弓に秀でていた。そんな兄に、文の相手に婿入りするのかと定子は尋ねる。それはまだ早いと貴子。兄上を手放したくないのねと大人びた口調の定子は、入内が決まっていた。そんな妹に浮かれるなと伊周は注意する。

一条天皇元服から20日後、定子は入内した。道隆の家系である中関白家の、絶頂期の始まりだった。しかし男女のことはまだ早く、定子はお上の好きな物をお教えください、私も好きになりますと話題を振る。帝の答えは
「母上、つばき餅、松虫」
だった。しかし定子は虫は苦手であると打ち明ける。その頃道兼は酒を飲みながら、娘の尊子(たかこ)に、大きくなったら入内するのだぞと言い聞かせていた。

妻の繁子はまだ7歳だと言うが、入内させるために学ばせるのなら、早いに越したことはないと道兼は主張する。自身の栄達も大事だが、尊子の幸せも考えてほしいと言う繁子。しかし道兼は入内ほどの誉れはない、まだ幼い帝と定子の間に、数年は子はできまい、しかも皇子かどうかはわからない、その時こそ尊子の出番だと反論する。尊子はそんな父を恐れ、母の陰に隠れるのだった。

まひろとさわは市を訪れる。まひろは針を買おうとし、対価としてカブを一つ渡すが嫌そうな顔をされる。さわはアユの干魚をのぞいて美味しそうと言うが、買えないものは見ないようにしているとまひろ。そんなまひろにさわは、今度家の干魚を持ってくると言うが、そんなことはしないでくれ、またお父上とお母上に叱られるとさわを制する。その時向こうの方で騒ぐような声がする。

荒くれた男たちが、3人の子供たちに縄をつけて連れて行こうとしていた。売った覚えはないと抗議する母親に、彼らは証文を見せる。染物師の許に預けるという意味ではないのかと言う母親に、1人布1反で売ると書いてあると1人の男は言い、母親は抵抗するも強引に連れて行こうとする。そこへまひろとさわがやって来る。母親はまひろに子供を連れ戻してくれと懇願するが、ゴロゴロ生まれてくる子供なんか、要らねえ親もいるとその男は嘲るように言う。

子を売らなければ食えない親もいる、俺はそんな親を助けてやったんだと男は得意げにまひろに証文を見せる。預けると書かれているのではないかと言う母親。まひろは子供たちの後を追おうとするが、男は容赦なくまひろを地面にたたきつけ、乙丸を転がす。家に帰ってさわに傷の手当てをして貰うまひろは、子供が売られてしまったことを残念がり、文字さえ読めればああはならなかったと言う。

するとまひろは、文字を教えたいと言い出す。一人二人に教えても、今日のような不幸は救えないとさわは言うが、まひろは一人二人でも教えたいと思っていた。そして月を見ながら、道長に
「自分の生まれて来た意味を探してまいります」
と言ったのを思い出していた。また道長には上から政を改めてくれ、自分は民を一人でも二人でも救うと心の内で囁く。

まひろは外で乙丸と一芝居打つことにする。まずまひろが名前を尋ね、乙丸だと言われて、棒で地面に名前を書くのである。をとまると書いた文字に喜んでみせる乙丸だが、周囲の大人は驚いたような顔をする。しかしそれを珍し気に見る子供がいたため、まひろはその子に文字を教える。結局まひろはその子を家に連れて来て、2人で文字を読むのであった。

しかし為時は失職して4年が過ぎており、いとは、家が窮しているのに、姫様がまた何の足しにもならないことをおやりだと為時に直訴する。そしてその頃、国司の横暴をあげつらう上訴が多くなり、参議たちは陣定の席で、訴状を読むだけでも大変だった。そのように国司は、勝手に民に重税を課して私腹を肥やすのかと雅信は驚く。そして道隆は、その前年に尾張国の民により、国司を変更したばかりであることを持ち出す。

強く申せば通るとなれば、民はいちいち文句を言うことになる、他の国でも同様のことが起こるのは阻まねばならないと、この訴えを却下する。しかし道長はそれに異を唱える。民が遠方より都に来て上訴するのは、切実な思いがあるからであり、詳しく審議するべきと考え、民なくば我々の暮らしもないと語気を強める。実資はそれにうなずき、雅信もお考えをと兼家に迫るが、その時兼家は我に返ったような顔で、おお道兼かと言う。

さらに兼家は、橋の修繕は急ぎ行えと場違いなことを言い、居合わせた者たちは唖然とする。しかも当の兼家は、わしは今何か申したかとも言ったため、道兼は父が正気を失う前に、後継を指名して貰わねばならないと道隆に持ちかける。父上にはまだまだ働いていただかねばと言う道隆に、本心とは思えぬきれいごとをと道兼。わしはお前とは違うと道隆は弟を戒める。

それを陰で聞いていた道長に実資が近づき、こう囁く。
「精進、精進」
道隆は屋敷に戻り、貴子に、父が内裏で正気を失ったこと、この夏は越えられないであろうこと、もしもの時は自分が摂政になることを打ち明ける。そして貴子にも、忙しくなるから心づもりをしておけと言うが、心づもりはとうにできていると貴子は答える。

明日そうなっても心配ございませんよと貴子は言い、流石殿が見込んだ妻でございましょうと笑う。一方道兼は公任を呼び、自分がいなければ今日の父はないと言う。それは亡き父(頼忠)からも聞いていると公任。なのになぜ兄が内大臣で、自分が権大納言なのかわからぬと言い、公任も同意する。そして公任は、兼家が一番頼りにしているのは実は道兼であると頼忠が言っていたことを話す。

兼家は今は嫡男である道隆の顔を立てているが、後継は道兼になるだろうといったことを公任は口にし、道兼もそうでなければならぬとうなずく。心配はいらないのではと言い添える公任に、道兼は、俺が摂政か関白になればお前を取り立てる、お前はもう後ろ盾がいないのだから俺を頼れと言い、公任は礼を述べる。そしてその公任は蔵人頭であり、帝にも兼家にも近いため、道兼は兼家の様子を伝えるようにと命じ、承知する公任に、俺に尽くせと道兼は言う。

道長と倫子の間には、一の姫である彰子が生まれていた。倫子がこの年齢の時にはよく喋ったが、この彰子は言葉が遅いと倫子の母、穆子は言う。殿に似たのだろうかと倫子。道長もそうだったのかと訊く穆子に、ぼんやりして父や兄に叱られていたと倫子は答える。それは倫子を笑わそうとしている、あんな凛々しいお方がぼんやりしていたわけはないと穆子は笑うが、そこへ道長が戻って来る。

穆子はその場を立ち去る。道長は浮かぬ顔をしていた。どうしたのか尋ねる倫子に、父がおかしいと道長は言い、物の怪にでも憑かれたのであろうか、話の最中にわけの分からぬことを言い出されたと続ける。摂政様も人の子だと言うことではありませんか、我が父は摂政様よりも年長、このごろすっかり老いたと言う倫子。あれは老いなのかと道長。


4年経つと大分状況が変わって来ます。一条天皇や藤原伊周、定子の成長はもちろんですが、兼家の老いあり、頼忠の死あり、そして道長と倫子の間には娘が生まれます。そんな中、まひろとさわ、そして為時といとは4年前とさほど変わらない生活でした。しかも無収入のため家は貧乏で、まひろは買えない物は市で見ないようにする始末です。さわが実家の干魚を持ってくるという者の、お父上とお母上に叱られるとまひろが言っており、以前トラブルがあったようです。

そのまひろは、子供を売られそうになっている女を目にします。証文と言っていたことが違うようで、結局その子たちは1人につき布1反で売られてしまったようです。尚この当時の識字率は低いと言われており、江戸時代になると一般レベルの識字率が上がります。そして民のためになることならと、まひろは子供に文字を教えようとしますが、あのシーンも尋常小学校の安東はな先生を何となく思い出します。

子供を売るという点では、『どうする家康』の阿月もそうでしたし、また戦国時代には乱取りがあり、瀬名の身代わりにされかけた女も、恐らくそれで売られたものと思われます。彼女の場合は故郷に帰るように言われたものの、『おんな城主 直虎』では、虎松の身代わりとなるための少年を探すシーンもありました。

そして兼家の老いに伴い、息子たち同士の争い、特に道隆と道兼の後継者争いが表面化して来ます。道兼も、花山天皇退位で活躍したのは事実ですが、これに味を占めたのか、兄道隆同様に娘の入内を目論み、さらに道兼を頼るように言われた公任を味方につけようとします。しかもその公任に、父兼家の様子を報告しろと間者のようなことをやらせる辺り、かつて為時を間者にした当の兼家とそっくりです。

あと尾張国の国司云々、所謂尾張国解文かと思われます。藤原元命(もとなが)の悪政を直訴したものですが、この元命が、花山天皇時代の官人下ろしに巻き込まれたと取る見方もあります。

それから先日の庚申信仰関連で。
福岡市早良区の猿田彦神社では、このような猿の面が売られています。猿と、災厄が「去る」を掛け合わせており、福岡の家で、玄関先にこの面があるのを見かけたりもします。一番最後の写真によると、次は4月26日が庚申のようですね。

(fukuoka360アカウントより)

[ 2024/04/01 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

第9回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

今週もたけたけさんのnote記事からいくつかご紹介します。いつも通り、ダークブルーの文字が武者さんのコラムの引用部分です。


大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第9回~

多少順番が前後します、まず私も関連投稿で書いていますが、武者さんのミスに関して。

私も漢籍関係で間違ったことを書き、ご指摘を受け修正しました。
全くもって情けないと思うとともに、独学孤陋とはこのことかと痛感しています。
マウントを取ったり勝ち誇るのではなく、様々な意見を聞いて学ばねばならない。

まずこれに関してたけたけさんは、こう書いています。
「商業アフィリエイトブログなのだから、原稿を間違ったまま校閲せずそのまま記事として出してしまうのは如何なものかと思います。
白居易の詩の引用であるのに李白と間違える。
漢籍マウントをドヤ顔でやって書き散らしてよく見たら間違いがあるという典型例でした」

さらにその後の
「学びがない大河ドラマはやはり間違っている」に対しては、自分のやらかしを棚に上げ大河批判でしょうと反論されており、また
「マウントを取ったり勝ち誇るのではなく」
というのも、自分を棚にあげた嫌味の様に見えるとあります。
そして「私に意見や説教した!マウント取り!マンスプレイニング!」ではなく、今回の平安時代の宗教観に見られるように、当時の貴族の日記などもある訳だから、史料を読み込んでレビューを書いてほしいともあります。

実際思うのですが、武者さんの場合真面目にレビューを書くと言うよりは、

さほど調べもせずに間違ったことを書く
自分が学ばない(と言っていいでしょう)割に、自分の嫌いな作品は学ばないと叩く(自分の思い通りに描かれていないだけだと思いますが)
その一方で意見やミスに指摘があると面白くない

こう考えざるを得ないのです。

まひろならば「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」(『史記』より/小鳥には雄大な鳥の気概はわからない・小人物には英雄の大志は理解できないという意味)と理解しようとしたかもしれません。

ここのところ、武者さんとしては、直秀が大志を抱いていて、あわよくば貴族たちに取って代わろうとしていると考えたいのかも知れません。しかし実際はそうではありません。
で、たけたけさんによれば

権力者である平安貴族やそれに従属している武士団を過小評価したがっており、直秀のような義賊的な人物を絶対的な英雄として持ち上げることで、『志を理解できない貴族には分からない』と言いたいのでしょうが、直秀は『藤原を嘲笑いながらなぜ興味を持つのか』と疑問を投げかける道長卿に対し、『よく知れば、より嘲笑えるからな』と答えています。

直秀たち散楽一座は物取りはしても貴族を討ち、彼らに取って代わりたいわけではなく、虐げられた人々に対して何にでも化けられる芸人として一時でも救いになりたいと思っているのだと思います。

とあり、要は貧しい人々に対して盗品を恵み、散楽という風刺劇で、日頃の憂さを忘れられるようにしたかったのでしょうと結論づけられています。

武者さん、どうも直秀を革命家か何かのように見ているかと思われます。実際はそうではないのですけどね。私はこのコラムの関連投稿で
「世を変えると言うよりは、こんな面倒臭いことのない地に、山を越えて行きたいという思いの方が強かったかと思いますが」
と書いています。

私の家に入り込んだ連中を捕まえたってコト? 
仇討ち? キャー! と、なってもおかしくないかなと。
まひろだけひきつった顔をしております。

ここでは、まず
「毎度の事なのでいい加減姫君の名前も覚えませんか」
とありますね。
(自分が興味がない「陽キャ」な人物の名前は覚えたくないのでしょうか)

そして、盗賊が入った時、道長が「獅子奮迅」の働きをしたことで、しをりと茅子ははしゃぎますが、倫子はそうではなく、何か思案顔であること、そして盗賊の方に話題を切り替えること、さらにまひろが、その倫子の様子に気がかかるものがあったようだと説明されています。

さらに道長にしてみれば、盗賊を捕縛した時点で、彼らが土御門殿に入ったのと同じ盗賊であることもわからず、また散楽一座とも結びついているわけはないともあります。当然ながら、直秀が土御門殿での盗難事件で討たれたことへの復讐として、東三条殿に入ったという発想はないはずで、ここで道長がわかっているのは、土御門殿の時の盗賊の首領を矢で射たこと、そして直秀の傷から、自分が射たのは直秀自身であるようだということだけだと述べられています。

武者さん、あらすじを書くのであれば、物語の展開を押さえるためにも、その前の録画をもう一度チェックしてほしいですね。

時代がくだり、源義経が朝廷から検非違使に任じられています。
武士にそういう大盤振る舞いをするから、墓穴をほったのでは?と思えてくる話ですね。

まずまひろが乙丸と共に、散楽一座の住処に行った際、放免たちが来て取り押さえてしまうことが書かれており、その後で検非違使やその他の役人について解説されていますので、そこの部分をご紹介しておきます。

検非違使とは律令制下の令外官で「非」法や「違」法を「検」察する天皇の「使」者を意味し、平安京における軍事・警察の組織として作られた検非違使庁の役人です。

源義経公が任官した『検非違使尉(少尉)』は四等官の判官(尉)に相当し、定員は不定で、衛門尉が兼務していました。
10世紀後半頃から源氏や平氏などの武士がなることが多く、義経公の力を認めた後白河院が検非違使尉に推挙しますが、これは鎌倉幕府の御家人である義経公が鎌倉殿である頼朝公の許しを得ていない任官でした。

今回の様な犯罪の場合、検非違使庁の実行部隊長である『看督長(かどのおさ)』と『火長(かちょう)』が実際に犯罪者を探索・追捕し、拷問や獄守、流人の護送や死体や穢れの清めなどを担当する釈放された囚人であり下級刑吏の『放免』を使役し実務に当たります。

実は私はあらすじと感想で、この火長が道長と話しているにもかかわらず、惟仲が話していると書いていましたので、訂正しています。

ごろ寝しながら、だらしない読み方ですね。
当時の所作は厳密ではなく、時代がくだると書見台も出てきます。
むろん、意識の高い藤原公任あたりであれば、もっとちゃんとした姿勢で読んでいると推察できます。
勉強嫌いを公言する惟規はこんなものなのでしょう。書見台・見台は、書物を読んだり見たりするために用いる台の事です。

これに関しては、書几(しょき)と呼ばれるものがあったこと、正倉院にも収められていること、形状としては肘木の両端に巻物(書物)を載せ、添木に紙面を挟んで読むとあります(出典:平凡社改訂新版 世界大百科事典)。
また書見台の定型化は室町時代頃とも書かれています。
そして、公任や斉信、行成たちも書見台は使っていないと、たけたけさんの記事では画像付きで説明されています。

書見台というのは、本が巻物でなく製本されるようになって初めて登場したとも言えそうです。このコラムの関連投稿で、『軍師官兵衛』の書見台の画像を貼っていますが、あの頃には既に使われていたのでしょう。そしてこの惟規の読み方、この姿勢の方が燭台が近く、明るいからと言えなくもないでしょう。

それから為時が詩を朗読しているシーンですが、
「好きな漢籍且つ中国語発音で漢文を読んでいるのになんの説明もないのですね」
とたけたけさんに言われていますね、武者さん。

仲尼昔夢周公久  聖智莫言時代過
仲尼、昔、周公を夢みること久しく、言ふ莫かれ、時代、過ぎたりと。
意訳:仲尼(孔子)は昔、周公の素晴らしさに憧れ、長い間、夢にみてきた。
聖智(知恵者)よ、「良き時代は去った」と言うなよ。
『本朝麗藻』
そしてこの詩は、悲しみに暮れる帝に、あなたの時代は終わっていないと、励ましている意味であるらしいと書かれています。

北宋から輸入した最高級の青磁です。
このドラマでは右大臣家や皇族周辺にはこれみよがしに北宋の磁器が置かれています。

ここの部分、「これみよがしに」はないだろうと私は書いていますが、たけたけさんも
「北宋などとの交易による唐物の購入の背景があるのに、『右大臣家や皇族周辺にはこれみよがしに北宋の磁器が置かれている』とは」
と、ちょっと驚いているようです。

尚福岡城内の鴻臚館の出土品についての説明があります。

『鴻臚』という言葉は外交使節の来訪を告げる声を意味し、筑紫、難波、平安京に置かれ、北宋や高麗などの外国商人らの検問・接待・交易などに用いられました。
そのうち筑紫の鴻臚館跡は福岡城の敷地内に遺構が見つかっている唯一の鴻臚館です。

商船の到着が大宰府に通達されると大宰府から朝廷へ急使が向かいます。
そして朝廷から唐物使(からものつかい)という役人が派遣され、経巻や仏像仏具、薬品や香料など宮中や貴族から依頼された商品を優先的に買い上げ、残った商品を地方豪族や有力寺社が購入しました。

1997年の平和台球場閉鎖に伴い、1999年から始まった本格的な発掘調査によって木簡や瓦類が出土。他にも越州窯青磁・長沙窯磁器・荊窯白磁・新羅高麗産の陶器・イスラム圏の青釉陶器・ペルシアガラスが出土しています。
この様な北宋などとの交易による唐物の購入の背景があるのに、『右大臣家や皇族周辺にはこれみよがしに北宋の磁器が置かれている』とは。

それにしても実資も、複雑な心境でしょうね。
美女を見繕うなんて女衒じゃあるまいし、やってられんわ!

女衒とは、女性を遊女屋などに斡旋する業者のことで、悪徳の商売とされており、しかもこの時代には存在しないとたけたけさんは述べています。
そして
「ポリコレ・ジェンダー批判を展開するために本来なら平安時代に存在しない『女衒』という職業を持ち出し、時代背景に合わない事を言っている事になります」
ともあります。

さらに

『側室はポリコレ違反!ジェンダーが!』なんて考えでいたら無嗣改易になるなどお家の大事に関わります。
長々と側室・妾に関してやる大河が嫌ならば、黒田官兵衛公の様に側室を一切持たなかった方もいますが、側室がいないから『軍師官兵衛』はOKという事でもありませんよね。

これも関連投稿に書いてはいますが、

『真田丸』の信繁の最初の妻、梅は側室
その『真田丸』で信繁の兄、信幸(之)の妻こうは最初は正室だが、後に稲姫が輿入れしたため側室となる
『おんな城主 直虎』では、井伊直親の正室しのに子がなかなかできず、側室を巡って次郎法師(直虎)としのが対峙する
『鎌倉殿の13人』でも、亀の前をはじめ愛人や妾、側室は出て来るし、頼家は安達景盛の妻を奪おうとしていた

こういうのは武者さん的にはOKなのでしょうか。
また主人公に側室がいないにもかかわらず、『軍師官兵衛』や『天地人』をほめてはいませんし。

それにしても、道兼は帝の前で上半身を脱いでいるところがなんとも言えません。
耽美です。
東洋の伝統として、同性同士だろうと、異性相手であろうと、とてもロマンチックな目線を送り、記録するということがあります。

これに関しては、道兼が父兼家から暴力をふるわれていたことに、帝が同情したということで、同性愛のようなロマンチックな関係ではないと、たけたけさんは指摘しています。
そしてこれは大いにうなずけますが、このようにも書かれています。

これが嫌いな作品なら『俳優をわざわざ脱がせるな』と俳優を侮辱し、『視聴者や週刊誌は毎回大河にエロを期待している』『エロは俺たちのもんだ! 女向けエロはゆるさん、けしからん!』と言うのではないですか。

さらに

商用ブログであるにもかかわらず、全く卑猥要素の無い所で、個人の性癖について延々と語って収益を得る何見氏の頭の中は、エロシーンしかないのでしょうか?

ともありますね。
(何見氏=武者さん)

それから独学孤陋に関してですが、

人と接することなく学んでいると、意見が偏ってしまう。
現代ならばエコーチェンバーか。

『独学孤陋』は人と接せず独学して見識が偏る事。『エコーチェンバー』は価値観の似た者同士での交流で特定の意見や思想が増幅される事。独りと価値観の似た者の交流かある状態では違うと思います。

と書かれています。偏屈になるのと、周囲が同じ意見ばかりで考えが先鋭化するのは違いますね。
(その先鋭化された考えがさらにこじれ、偏屈になるというのはありうるかも知れませんが)

藤原為時がたどたどしい中国語を話す一方、越前には中国語の発音がバッチリできる朱仁聡と周明が漂着。

たけたけさんによれば、この為時の、一見拙い中国語の漢詩朗読『仲尼昔夢周公久  聖智莫言時代過仲尼』は為時自身の漢詩の一部で、悲嘆に暮れる花山帝を慰めるために作ったと思われるとまずあり、子の詩は漢詩集『本朝麗藻』に収められていること、そして、お経の理解や漢詩で韻を踏む必要があり、中国語読みが行われていたこともあるせいか、敢えて中国語読みをしたのでは無いかということが示唆されています。

これで思い出すのが、『どうする家康』唐入りでの茶々のセリフです。
彼女は名護屋城で、西笑承兌に習ったと言って、私は茶々であると明国語で喋るシーンが出て来ます。これに関して武者さんは、

中国語としても違和感がありました。「私の名前は茶々である」ならば「我的名“字”是茶茶(字幕では“字”が“子”)」よりも、「我叫茶茶」の方が自然でしょう。
これで講師を指導につけたと言われても、どういうことなのかと困惑するばかり。
スタッフロールには名前が出ている時代考証の意見も、制作陣はどこまでそれを反映させているのか、疑問が湧いてきます。

と書いていますが、それに対して私はこう書いています。
「この場合の茶々はもちろんネイティブではなく、中国語(明国語)を日常的に使う人でもありません。漢籍の知識はある西笑和尚からこれこれこういうものだと教えられ、得意になって使っているわけで、どうしても日本人が考えた、直訳的な明国語に当然なるでしょう。それがおかしいとは思いません」

で今回も、せっかく為時が中国音で読んでいるのに「たどたどしい」。元々は日本人で日本語を読み書きしている以上、それは当然とも言えるかと思いますが。
そして
「越前には中国語の発音がバッチリできる朱仁聡と周明が漂着」
宋人設定なのだから当たり前でしょう。こういうところが、ドラマに対する思いが感じられないのですね。

朱仁聡を演じる浩歌さんは中国語がペラペラです。
そして周明は、松下洸平さんです。

ここでもう一度、『どうする家康』に登場して貰います。たけたけさん曰く

ところで何見氏は『どうする家康』作中で瀬名さまの内通を誘うため穴山梅雪(信君)公が唐人(明国人)医師・滅敬と偽った時には、その衣装がおかしいと叩いていたのですが。
あれは明国人医師に見えるっぽい変装という設定で中国人ではありませんでした。
ネイティブの俳優さんを採用しなければいけないと、嫌いな作品ならば叩きかねない何見氏なのですが、ここではダブルスタンダードでしょうか。

これも私は関連投稿で、嫌いな作品なら、ネイティブでない松下さんのキャスティングは、許せないと言うだろうなと書いています。そもそも滅敬の場合は、偽明国人であることは分かっているわけですから、わざわざ衣装にクレームをつける筋合いもないのですけどね。

あと稗史の人物が正史側の鏡を果たすと武者さんが書いている件、女性でありながら男性と同じ様に走る事を夢見て、戦国時代に、恩人であるお市の方のために、浅井氏の裏切りを知らせに小谷城から金ケ崎まで走った阿月、女性の運動がまだ憚られた大正時代、ランナーを志し後輩育成に力を注いだシマなどは評価しないとnoteにはあります。

私は後者の方は観ていませんが、阿月などその典型だと思うし、そして遠州の人々の代弁者となった団子屋の老婆、米を巡って家康と対立することになった一向宗徒たちもしかりでしょう。

飲み物-暖炉とウイスキー
[ 2024/03/09 03:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第9回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第9回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。


花山天皇の側近である藤原義懐と藤原惟成が登場。
蔵人頭の藤原実資に向かって「天皇におなごを見繕え」と要求してきました。
すでに寵姫はいるものの、もっともっと注ぎ込んで、皇子をあげねばならない。このままでは政もダメになってしまうと凄いことを言い出しました。

×「天皇におなごを見繕え」
〇「帝のおそばに女子を送り込め」
ちゃんと字幕を出して観てほしいですね。
そして寵姫というか、他にも姚子(ようこ)、諟子(ただこ)、婉子(つやこ)という女御たちがいるわけですが、彼女たちとの間にもお子ができそうにもない、さらに女子を、でないと政にもさしさわりが出ると言っているのですね、義懐は。

それにしても実資も、複雑な心境でしょうね。
美女を見繕うなんて女衒じゃあるまいし、やってられんわ!
そうやって苛立つロバート秋山さんの演技がいつも素晴らしい。
彼が怒るおかげで、かえって歴史の持つバカバカしさが露になったようにも思えます。
歴史上には「俺に好きな女の子見繕って」と言い出す奴もいれば、あてがう女を探し回った側近もいます。
たとえば平岡円四郎が、徳川慶喜の女を斡旋していたなんて、そんな情報は知らなくてもいいですよね。

まず「美女」とは義懐も実資も言っていません。
ルッキズムにこだわる武者さんの本音と見るべきなのでしょうか、これは。
そして女衒というのは、女性を売春宿に斡旋する業者のことを言います。この場合は女御の候補を捜せと言われているのであり、女性を売り飛ばすのとはわけが違うのですが。また実資が苛立つのは、まず新しい女子を抱けば帝のお気持ちも変わると義懐が言い、それは不敬であろうと立ち上がっているわけです。

そしてその後怠慢と言われ、さらに惟成が仲介しようとしてうまく行かず。実資はさらに怒りをあらわにします。で、義懐などでなく、自分を公卿にしていればとなるわけです。
それがなぜ「歴史の持つバカバカしさ」になるのでしょうか。
さらに
「歴史上には『俺に好きな女の子見繕って』と言い出す奴もいれば、あてがう女を探し回った側近もいます」
具体的にどういう人物でしょうか。その人物は歴史上で、どのような役割を果たしたのでしょうか、あるいは果たさなかったのでしょうか。

「たとえば平岡円四郎が、徳川慶喜の女を斡旋していたなんて、そんな情報は知らなくてもいいですよね」
武者さんは以前、『青天を衝け』で円四郎の未亡人やすが、女衒であるなどと書いていましたがその間違いですか?ちなみにやすは、栄一に後妻として芸者見習いの兼子を紹介しています。これももちろん女衒ではありません。

そんなことをじっくり長々とやることではない。側室だのお手付きだの、そういうことに一週使うような大河ドラマは不要であると、私は主張したい。

側室や側女というのは、歴史上の人物に影響を与えた部分もあり、そういうのを描くのもまた歴史ドラマの醍醐味と言えるわけですが、
「そういうことに一週使うような大河ドラマは不要であると、私は主張したい」
どの大河か大体見当はつきますが、嫌いなドラマだから言えることですね。
『真田丸』でも『おんな城主 直虎』でも側室(信繁の最初の妻梅は側室)の描写に1週あるいはそれ以上使っています。あるいは側室というより妾、愛人ではありますが、『鎌倉殿の13人』の亀の前にも何週か使っていましたよね。こういう大河も、すべて不要なのですね。

そして君主制ですね。
血統で選ぶとなると、人間相手にブリーダーのような発想をする羽目になります。もうこの時代、それは辞めたいという気持ちが当然のことながら出てきて、強くなっています。
イギリスのハリー王子は、自伝のタイトルが『スペア』です。どうせ俺は兄のスペアだという嘆きはあまりに生々しくて、世界に衝撃を与えました。
『光る君へ』の面白いところは、千年以上前の話なのに、今にも通じる問題提起をしっかりできるところだと思います。

ブリーダーですか、何だか日本の皇室にもイギリスの王室にも、随分失礼な言い方ですね。
だったら別のコラムで、こういうのは要りませんと書けばいいだけの話では?
そして摂関政治時代の帝と、今のイギリス王室とを比較するのも無理がないでしょうか。この帝(花山天皇)の描写は、今にも通じる問題提起と言うより、なぜ藤原兼家、そしてその子の道長が羽振りを利かせるようになったのか、それは帝を退位させて懐仁親王を即位させたからだというのを、史実を踏まえたうえで描いているからだと思いますが。

尚武者さん、以前『鎌倉殿の13人』のコラムでこのようなことを書いていました。
「例えばイギリス王室では王位継承順位が数百人単位で決められています。あの王室が盤石とされるのは、それだけ後継者が多いからなんですね」
ちょっと矛盾していないでしょうか。

実資だって、それはわかっています。わかっているならもう言わない、とたしなめる桐子。
日記に書けばいい、日記、日記、日記! と煽ってきます。
「日記には書かぬ! 恥ずかしくて書かぬ」
でた!
書かぬとか言っているくせに『小右記』に残っているパターンだ。これがあと何度見られるのか。癖になります。中毒性があります。

はっきり言って、中毒性を引き起こすほどのものでしょうか。面白い描き方だなとは思いますが。
なぜ面白いかと言うと、これもあらすじと感想に書いていますが、当時の日記に何でも書き記すというのを強調した描写になっているからです。無論ぼやく夫と窘める妻という、ちょっとボケとツッコミ的な乗りもあるにはありますが。

そして兼家の仮病についてですが、

帝には譲位してもらわねばならない。そして東宮が即位しなければならないのに、帝は思いのほかしぶとい。そう訴える兼家。
すると晴明はこう言います。
「策はございます」
「なんと!」
「私の秘策、お買いになりますか?」
「買おう」
「されば……」

ここですが、兼家は自分には策がないと言ったため、ならば私の秘策を買いますかと晴明が持ち出したわけですね。そのうえで、このまま仮病を使うようにと晴明は言ったのです。

かくして商談成立となりましたが、実際の安倍晴明を考えれば納得のいく流れです。陰陽師は官位が低く、おとなしくしていたらそんなにお金持ちになれない。
占いをして、依頼者の気にいるように返せば、ありがたい結果だとお礼をもらえる。
占いというのは、相手の望む通りに結果を出すことが大事なのです。

ここで前にもご紹介しましたが、安倍晴明という人について、公式サイトにあるので貼っておきます。

をしへて! 倉本一宏さん ~伝説の陰陽師・安倍晴明は、実際にはどのような人?
(『光る君へ』公式サイト)

当時の彼らの占いは、例えば式盤(ちょくばん)と器具を使い、そこで得られた情報を中国の古典などと照らし合わせて結果を導き出すような手法があるのですが、それを素人が見てもよくわからないんですね。そして相手が望むようなことを察してそれを言えば、依頼主は喜びます。実際の安倍晴明という人物は、そういうことにも長(た)けていた、とても優秀な官僚だったと思います。

武者さんも、このくらい書いてみてはどうかと言いたくなります。あと出世は遅かったものの才能は認められていたようです。無論、この世渡りのうまさも関連しているのでしょうが。ユースケ・サンタマリアさんもこうコメントしています。

「光る君へ」での安倍晴明はそういう感じとは真逆の“ビジネスマン”として描きたいとのことで、いいなと思いました。

これまた『鎌倉殿の13人』と比較してみましょう。
精神が弱った源頼朝に対し、不吉な色を告げてしまった阿野全成は晴明に劣ります。バカ真面目に答えを出すのではなく、ラッキーカラーでも告げて、心を元気にさせた方がよかったのかもしれません。

この時は私も書いていますが、全成は頼朝からどうすればよいかと訊かれて、かなり口から出まかせを言っています。そうでないと引き下がらないからで、実衣は呆れていましたね。バカ真面目とはちょっと違うのではないでしょうか。

詮子に対しては、左大臣の源などなんの力もない、味方せねば東宮は即位できないとさらに脅しをかけています。
安倍晴明と藤原兼家、なんて嫌なコンビなのでしょう。

実際問題、源雅信はここでは特に力があるようには見えないし、また権力欲もさほどにある人物ではありません。寧ろ詮子が勝手にそのようなことをしないよう、釘をさしたと取るべきでしょう。

「安倍晴明と藤原兼家、なんて嫌なコンビなのでしょう」
また「なんて…なのでしょう」ですか。寧ろ私はこの回、この2人のやり取りが一番面白いと思いました。こういう黒幕的人物がいるからこそ、メインの2人(まひろと道長)がクローズアップされるのではないでしょうかね。

で、何でも晴明が諸葛孔明で、兼家が(仮病で相手を油断させる)司馬仲達だそうです。

そしてその後、ここは適当にピックアップしておきますが、

道兼は(中略)酷いことだと同情を見せつつ、人の心を無視してあてがう義懐らの姿勢に憤る。
この瞬間、花山天皇の中に何かが芽生えたのでしょう。道兼は帝の忯子への思いを理解します。義懐とは正反対です。

それにしても、道兼は帝の前で上半身を脱いでいるところがなんとも言えません。
耽美です。
東洋の伝統として、同性同士だろうと、異性相手であろうと、とてもロマンチックな目線を送り、記録するということがあります。

藤原道長がまひろを思いつつ詠んだ白居易の詩にせよ、同性の友人である元慎を思い浮かべながら詠んだ作品です。
東洋以外の研究者は「これはもう、この二人は恋人だったのではないか?」としばしば論争を起こすものの、決着しないとか。

日本は伝統的に同性愛への忌避はない。『源氏物語』でも光源氏は空蝉と接近するために、その弟と性的関係を持っているともされます。
(中略)
道兼があえて脱いでいることは、何かを誘導しているとみなしてもおかしくはありません。そこは自由にできると。

そしてここでちょっと持ち出したいのが、今週はお休みの藤原斉信ですね。
(中略)
李延年のように斉信も、もっと頑張って、帝に「ね、私って妹そっくりでしょ?」とでも迫ればよかったんじゃないですかね。アピール不足だったのでは?
斉信には道兼みたいに脱ぐほどのガッツはなかったということなのでしょう。

まず道兼ですが、あれは帝の気を引くための演技に見えますね。兄弟の前ではほくそ笑んでいますし。

そしてこの一連の記述に関して、一応書いておこうと思います。
貴方、昨年の『どうする家康』で、BLについてあれこれ書きまくっていましたよね?
こういう感じで。

このずれた恋愛感は、男同士にも及んでいます。
信長と家康のBLといい、家康と三成の星の下でのBLといい。
あんな瞬きもしない星の下で語り合ったくらいで、一体なんなのですか?
馬鹿げたシチュエーションでも、それらしく演じることのできる三成が哀れ……。
男同士の争いですら、BLバッドエンドでしか描けないとは、どこまでも陳腐な脚本です。

今、ブロマンスが見たい本物の若者は、『陳情令』や『魔道祖師』を見ていると思いますよ。

去年の『鎌倉殿の13人』では、古参の腐女子、BL好きだという視聴者が、源実朝と北条泰時の描写に「萌えない」という感想をつけていました。
こうした声が、男性の同性愛描写がすべて自分が萌えるためのサービスだと考えているのかと思ったら、気分が暗くなってしまったのです。

これは一体何だったのでしょうね。嫌いな大河のBL描写は、NGと言いたいわけですね要は。
まだまだありますけど、長くなりそうなのでこのへんで。

しかし
「男性の同性愛描写がすべて自分が萌えるためのサービスだと考えているのかと思ったら、気分が暗くなってしまったのです」
などと書く一方で、
「道兼が敢えて脱いでいる」
「日本は伝統的に同性愛への忌避はない」
「斉信もアピールすべき」
ですか。こと『光る君へ』に関しては、同性愛を描いてほしい、自分が萌えたいからと言いたげですね武者さんは。矛盾しまくりです。


飲み物-琥珀のエール
[ 2024/03/07 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第48回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第48回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。


竹千代が出てくるときの照明とBGMが酷い。
松平信康に尋ねられると、当人は後継ぎだそうで、なんでも家康そっくりなんだとか。
それはろくでもない奴ですね。

瀬名が「初めてお会いした頃の誰かさんにそっくり」と言っていますね。
そして、存外神でも狸でもないことを見抜かれているかも知れないとも言っています。大した奴ではないかと思いますね。

そして先日書いた、子役の使い回しができないから駄作呼ばわりに始まり、
「もう、この時点で柳生十兵衛を呼んできて欲しい。竹千代相手に剣術指導をビシバシとして欲しい」
だから、家光より年下で小姓の十兵衛が、どうやって剣術指南をするのですか?この場合指導するのは、貴方が大坂の陣で人を斬ったと書いた、柳生宗矩ですよ。確かこの時が、彼が人を斬った最初で最後の例とされています。

で、「マザーセナ」(しつこい)が褒める臭いセリフ(前出の『存外見抜かれている』)を言うだの、ラストシーンまで所作があやふや(どのシーンの所作ですか?)だの。そして竹千代の絵が「マザーセナ教団名物である白ウサギ」だの。特定の作品をこき下ろして自己満足というのも、寂しいものだなと思いますがそれはともかく。

しかし、死にかけた神のもとに孫も自由に出入りできるんですね。

自由に出入りしていませんよ。御簾の下からそっと差し入れただけでしょう。恐らく、おじじ様は具合が悪いから、静かにしているようにとでも福に言われたのでしょう。

そんなゆるい警備だから『柳生一族の陰謀』ラストで、十兵衛が家光を生首にできるんですよ!
これは夢じゃ、夢でござーーーーーるーーーーーー!
すみません、錯乱してしまいました。ほんとうにこんな大河、夢だったらどれだけよかったか。

貴方実際の十兵衛について書きたいのですか、『柳生一族の陰謀』について書きたいのですか。どっちなの?
「ほんとうにこんな大河、夢だったらどれだけよかったか」
お金を貰っているコラムで、自分の主観だけでものを言わないこと。
あとこれは昭和50年代の作品ですが、そういう時代て武者さん嫌いじゃないのですか?

そして「鯉、心の底からどうでもいい」なる見出しで、

名前も覚えたくないどうでもいい家臣Aと Bが若君御祝言の日だと言い出す。
目覚めたら若返っていたという作りが、転生もの漫画のようでいかにも安っぽい。

家臣A-鳥居元忠、Bー平岩親吉
目覚めたらではありません。これ自体が寧ろ夢なのでしょう。

そしてどうでもいい鯉の話になる。

だったらスルーすればいいのに、やけに詳しく書いていますね。で、ことのいきさつが書かれていて、鯉が消えてしまって

「もう腐った鯉を口に詰めて始末したくなる連中だ! くそたわけが!
まさか、本作の光秀を肯定的に思い出してしまうなんて一生の不覚です」

肯定的に思い出しているのではなく、わざわざ名前を出そうとしていませんか?
そして
「制作者たちは、こんな話が本気で面白いとでも思っているんですかね」
「実際に、鯉を食べた家臣をかばった逸話はあるそうです。それを素直に流せばよいのに、古臭いセンスで長引かせる」

どこが古臭いのがわかりませんが、鯉の話は『岩淵夜話』第十五話に登場し、それは鈴木久三郎が鯉を食べたという設定になっています。

岩淵夜話 -徳川家康説話集ー

というか、武者さん自分で調べてはどうですか?本当に何も調べない人だなと思いますね。

そしてこれを基にしたのは、確か1983年の『徳川家康』にあったのでは。しかし、恐らくそれを素直に流せば、また武者さんがあれこれ言いそうな気がします。

どうにも三谷幸喜さんや宮藤官九郎さんと同世代の男性脚本家には、何か思い違いをしているのではないかと思えることがあります。
(中略)
穴埋めにダラダラと台詞を書かれたところで、誰の胸にも全く響きません。

それを言うのなら、三谷さんや宮藤氏(『いだてん』の後半、かなり批判していたと思いますが)の作品だけ観ていればいい話です。古沢氏のファンもいるわけだし、何度も書きますが、大河は、武者さんだけのために作っているのではありません。何か勘違いしていませんか?それも、武者さんが制作から何からすべて請け負えば別ですが、口だけ出しているに過ぎないのではないでしょうか?

こんなくだらないことを放送するための最終回延長でしょうか?
延長する意義が全くない。
ただ若い松潤フェイスを見せつけて流したいだけに思えます。

三河以来の家臣が総出であったこと、これが何を意味しているのでしょうか。まあ、家臣の名前すら覚えようとせず、AとかBとか書くようであればちょっと理解し難いかも知れませんね。

要するに教祖・家康を讃えたいらしい。
家臣団が蘇ってどんちゃん騒ぎ。
一体このドラマはなんだったのか?
結局、アイドルのプロモビデオだったんですかね。セットもVFXも、衣装も改めてひどいと思う。
テンポも悪い。

「家臣団が蘇って」
それは違うでしょう。あれは家康の恐らく夢で、その中に岡崎時代の自分や家臣たちが登場するわけですから。『おんな城主 直虎』で、最期を迎えたおとわの前に、子供の頃の亀之丞や鶴丸、龍雲丸が出て来るのとちょっと似ています。

「一体このドラマはなんだったのか?」
大河ドラマです。

「結局、アイドルのプロモビデオだったんですかね。セットもVFXも、衣装も改めてひどいと思う」
貴方この間も同じようなこと言っていましたね。そして「改めてひどい」てどうひどいのですか?

長い原作をテキパキとつなげた『大奥』の後に本作を見るのは、ただただ苦行。

これで3度めかな、『どうする家康』には原作がありませんから、それを持ち出しても適切な比較対象にはなりませんよ。

ひどいBGMを背景に、かっこつけた家康が死ぬ。
妙に光があたった状態で死ぬ。
そしてえびすくい。
しつけーーーーー!

まだあの時点で死んだかどうか定かではありませんが、それが間近であるとは言えますね。
そして『えびすくい』、これほどこの大河を象徴する音楽というか踊りも、他にないかと思います。最終回でもう一度出て来るかなと思っていたら、エンディングがこれでしたね。

そういえば、同じ古沢さん脚本の映画「レジェンド&バタフライ」も1月27日から公開される。
木村拓哉“信長”と岡田准一“信長”を見比べてみるのも一興かもしれない。
綾瀬はるか“濃姫”に対して、「どうする家康」の濃姫は誰なのかしらん。
映画もドラマも最低の信長でした。
本作に濃姫は出てこないどころか、自称男勝りの阿茶で似たようなキャラで使い回しされています。

濃姫と阿茶局、全然違うと思いますけどね。
そして最低の信長とは何をもってそう決めつけるのでしょうね。
演じた俳優さんが、どちらもジャニーズ(当時)だったからでしょうか。

『麒麟がくる』の染谷信長のあとは『首』の加瀬信長で上書きされました。
思えば“えびすくい”の時点で、このドラマは終わっていたのです。
「なんてよき光景でしょう」
マザーセナがそう言います。
遠くに何らかのタワーのような塔とビル群が見える。
つくづく最低のお遊びでした。

また『首』ですか、他作品のPRはもういいですよ。PRやめて元の2ページに戻して貰えませんか。
そして
「えびすくい”の時点で、このドラマは終わっていた」
『えびすくい』は今まで10回以上出て来て、それぞれ登場した時期は異なりますが、どの時期を言っているのでしょうか。そして後の江戸、ひいては今の東京が出てくるのが何か悪いですか?家康は江戸を作った人物ですよ。

結局のところ、今年の大河は国王になる夢を抱いたタレントのために、その野心をお膳立てした茶番だったのでしょう。
◆松本潤の大きすぎる夢に山田裕貴も大爆笑。「国王になりたい。通貨は“潤”でしょ!」(→link)

面白いと思いますけどね。というか、松本さんがジョークで言っているのもわからないとは…。

もはや耐えきれず、『首』の予告編を見直しました。
「さっさと死ねよ」
「どうせお前、死ぬけどな」
そう口にする秀吉に同意します。
本作の口直しには北野映画『首』が最適です。駄作はとっとと記憶から焼き消し、次へ向かいましょう。

だから『首』のPRならほかでやってください。はっきり言ってうざいです。そしてもしアフィリエイトなら、ちゃんとその旨を明記してください。
貴方はこれを駄作と思っていて早く記憶から消したいのかも知れませんが、この大河が好きで忘れたくないという人もいるのです。余計なお世話だと言う人だっているでしょう。その割に、来年以降この作品を何かにつけて叩きそうな予感もしていますけどね。

またしつこく『三国志』の話をします。
諸葛亮が頑張っている後半は、くどくて面白くないと思えることが増えてしまいます。
(中略)
しかし、似たようなことを七度やられてもくどいのです。
なぜ、この話をするのか?
というと、結局このドラマは同じ話を使いまわしていると気づきました。
今川氏真。
武田勝頼。
織田信長。
豊臣秀吉。
石田三成。
そして茶々と豊臣秀頼。
全員が、だいたい家康とわかりあっている設定です。

私は武者さんが、同じようなネタ(マザーセナだのレーシックお愛だの筆の持ち方だの)を何度も持ち出してくる方がくどいです。そして主君が同じ人物だった場合、似たような展開になる例は他にもありました。戦国大河の多くはそうでしょう。

しかし、武田勝頼はそれほど家康とわかりあっていましたか?信玄つながりではありましたが、信長や秀吉との関係とはまた違っていたかと思います。

で、家康は悪くないのに、相手が何かやらかして自滅するように滅びる。そういう同じことの繰り返しよ。
なぜそうなるかというと、それしかパターンがないのでしょうね。
信じあって愛し合っているのに、戦になるなんて……それだけです。それしかありません。

家康は悪くないのにではなく、家康が同盟を結んだ、あるいは仕えることになった相手が一代の野心家で、彼らが倒れた時に後継者がおらず、あるいは三法師のように後継者を他人が決めてしまい、そこで何をすべきかを迫られる展開ですね。で、この上でも書いていますが、戦国大河というのはこのパターンが多いわけです。ただ家康の場合、今回のように若く微力な存在としては描かれないことが多く、それが視聴者によって見方が分かれるところでしょう。

それなのに、どうして大河を引き受けたのでしょうか?

逆に、こういう家康を描くのも新鮮であること、また松本潤さんのキャラを生かすには、こういう形の方がいいと思ってのことではないでしょうか。何も大河は、特定のパターンで描かなければならないという決まりはありません。
私も当初は心配でしたが、今は観てよかったと思っています。

今年の大河ドラマは何かに忖度しているのか?と思うほど、庇う記事が多い。
◆NHK大河「どうする家康」コア層に響いた画期的な演出 戦なき世へ邁進 北川景子と松本潤の最期で完結する「人間ドラマ」(→link)
◆ 茶々の心を闇から光へと戻すには十分な言葉(→link)
◆ 『どうする家康』効果的だった北川景子の一人二役 市と茶々を演じたことで伝わった武将たちの長く濃密な歴史(→link)

まず忖度という言葉ですが、本当は斟酌でしょうけどね。
そして庇う記事と言いますが、メディアにもよるものの、どの大河も概ね肯定的であるものが多いです。これは昨年も、『麒麟がくる』でもそうでした。武者さんにしてみれば、嫌いな大河が肯定的に見られるのが嫌なのだろうと思いますが、そして何度も言いますが、大河は貴方のためだけにあるのではありません。

この記事をあわせて読むと、本作の「心」とは結局、色恋沙汰だけなのだとわかります。
どうやら歴史好き(言外に退屈で堅苦しい隠キャと貶めたい欲求が滲んでいます)は嫌うが、人の心を読み取れる陽キャで、心優しく、センスがあって、イケてるドラマ通は見抜ける。
そういうファンの心をくすぐる記事を生産しているとわかります。

「色恋沙汰だけ」というのも妙なものです。うち2つは茶々の心の動きについて主に触れているし、最初の鈴木氏の記事は、視聴のされ方について述べたものです。どこが色恋なのでしょうか。そして、歴史好きがこの大河を楽しんでいない、記事を読んでいないという根拠はあるのでしょうか。

何よりも、すぐ色恋だと決めつけるところが、ドラマをきちんと観ているように見えない所以なのですが。

知識や教養、時事問題では、何か価値のあることは言えない。
そのくせドラマの見当違いな感想、ゴシップの類、どこぞで仕入れた下劣なネタをしゃべりまくることで、自分は世間ずれしていて賢いと主張したいタイプ。
本作は、そういう層をピンポイントに狙ったということでしょうか?

「そのくせドラマの見当違いな感想、ゴシップの類、どこぞで仕入れた下劣なネタをしゃべりまくることで、自分は世間ずれしていて賢いと主張したいタイプ」
すみません、これも何だかブーメランに見えて仕方ないのですけど。

『大奥』最終回を見ていて『どうする家康』は、なんてくだらないのかと改めて呆れてしまいました。
『大奥』では、激務の果てに夭折した家茂を思い、御台である和宮が嘆きます。
国も徳川もどうでもいい。綺麗な服を着て、カステラを食べて、お茶でも飲んでいたらそれでよかったのにと。
この言葉が胸に響くのは、和宮も、彼女にとって最愛の存在である家茂も、それができないとわかっているから。

私は『大奥』はよく知りませんが、亡き母の思いを受け継いだ茶々も、きれいな服を着て、秀頼の母親として大坂城にいれば、それなりの地位は保てたはずです。しかしお市の思いを受け継いだ茶々は、それだけで収まる人物ではありませんでした。

和宮は嫌だという気持ちを封じてでも、世のために、徳川のために、危険を承知で西郷隆盛を説得する場に乗り込んでゆきます。
人の心に感動するというのは、そんな誠実で、責任感があり、美しいものと出逢った時ではありませんか?

茶々も世のためという言葉を使っていますよ。
ただ彼女の場合は、偽の天下人である家康を滅ぼし、豊臣の世を再興することでした。それが破滅につながって行くわけですが、これもまた己の心に忠実で、夫秀吉と子秀頼のためであり、その行為は見方によっては美しかったでしょう。
それと茶々を演じた北川景子さん、この
「『どうする家康』効果的だった北川景子の一人二役 市と茶々を演じたことで伝わった武将たちの長く濃密な歴史」
にありますが、『西郷どん』では篤姫役でした。そしてその篤姫が西郷隆盛を説得するシーンがありましたね。

それがこの『どうする家康』では、ただひたすら下卑ていて汚らしい感情ばかりが目につく。ニタニタしながら相手を見下し、マウントを取る時ばかりにリアリティがある。

どこが下卑ていて、どこが汚らしいのかまるで具体性がありません。
そして何かにつけて『大奥』がどうのこうの、叩き棒にされる『大奥』も気の毒ですが、時代背景も舞台も異なる『どうする家康』と単純比較して、あれがいいこれがいいと言っても、どうしようもないと思うのですけど。結局貴方のこの大河への評価は、何かを叩き棒にして貶めること、それを確信させられる1年でした。


飲み物-ワインと暖炉の火
[ 2023/12/22 22:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第46回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第46回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。また文春関連情報だのミソジニーだの、正直言って大河そのものと直接関係なさそうな記述もあるのでかなり端折ります。


NHKの情報流出事件と、アンチフェミニズムやミソジニーを結び付ける、如何にも武者さん好みの話題から大河周辺へと持って行きたいようです。ご本人は大河周辺にミソジニーが漂うと書いていますが、とどのつまり、自分の好きな女性主人公大河や女性キャラを叩くなというものです。

私は、かなり前から大河周辺に漂うミソジニーが気になっていました。
女性主人公。女性脚本家。こうした要素が揃う大河ドラマのアンチ活動は、熾烈さを増します。
確かに『江』や『花燃ゆ』は駄作であり、作品自体を擁護しようがないのは仕方ないと思います。
ただ、男性主人公あるいは男性脚本家でもここまで叩かれただろうか?という疑念もあります。

とまずあり、

『八重の桜』『おんな城主 直虎』のバッシングは過剰にも思えました。
『麒麟がくる』の駒叩きも、典型的なミソジニーだと思えました。
ちゃん付けで呼んだり、彼女の医学知識を無視したり、はたまた将軍義昭の愛人だと誤認した上で広めたり。
現実世界で女性政治家や研究者が浴びせられるものに近い悪口がSNSで撒き散らされ、ネットニュースにまで発展する様は危惧を覚えるものでした。

となっています。
要は女性主人公や女性脚本家は叩かれる、自分が嫌いな作品は駄作だから仕方ない、でも自分の嫌いな作品を叩くのは許せないといういつもの論調ですね。別にこれ、女性脚本家とは関係ないかと思います。
まずどんな作品にも賛否両論はあります。好きな作品を叩くのはけしからん、嫌いな作品は駄作だからという線引きをする前に、もう少し本質的な部分からの見方をしてはどうでしょうか。

たとえば『花燃ゆ』の場合は、これは女性というより複数の脚本家体制、そして主人公の生き方の変化に伴って脚本家を変えたことなどが、ドラマとしての一貫性を欠いた印象があると思います。当初の主人公の設定は、後の方では大分変わっていました。
そして
『八重の桜』『おんな城主 直虎』のバッシング
については、具体的にどう叩かれたのかが書かれていないため、何とも言いようがありません。
さらに女性主人公、女性脚本家では『功名が辻』や『篤姫』もあるのですが、これらの作品については何も触れられていません。

あと武者さんが特にこだわる『麒麟がくる』の駒の描写。私は以前書いたことがありますが、将軍家にも様々な女性がいるし、彼女たちとの確執があってあの地位を築いたのであれば、それはそれで納得できます。実際将軍義昭には側室もいたでしょうから。しかしどうもそのようには見えないのです。

まして医学知識云々とあります。将軍義昭の侍医であると、以前武者さんは書いたこともあります。しかしやはり将軍家の侍医ともなれば法印などの称号を持つ人物であり、こう言っては何ですが、東庵の弟子であったとはいえ、彼女がそういう人物と互角に振舞うのはかなり難しかったと思われます。要は武者さんは駒を、フェミニズムの象徴的存在として理想化したいのでしょう。

しかし大河の視聴者の見方は様々であり、彼女の描かれ方に疑問を持つ人もいるわけで、そういう見方を自分の見方だけで断罪してしまえるものでしょうか。

そしてまたファンダム関連。そんなにファンダムの一部意見が嫌なら、ミュートするなり何なりして見なければいいだけの話です。

そして大河ドラマファンダムに充溢しているミソジニーは危ういと思ったものです。
華流ドラマはじめ海外ドラマ界隈は、そういう傾向はここまで極端ではありません。
アンチフェミニズム関連の炎上事件は多く、いつか大河も大々的に巻き込まれるのではないか?と懸念しています。
そんな懸念は当たってもらわなくて結構。来年と再来年はそうならないと今の段階では思いますが……。

「来年と再来年はそうならないと今の段階では思いますが」
もっと言えば、来年とか再来年は褒めると決めたら、今年は叩いたようなことでもスルーする、あるいは許容するのではないかと思われます。実際その可能性は高いのではないでしょうか。今までそういう例をいくつか見て来たので、悪いけどそう疑わざるを得ません。

そして
「大河ドラマのネットリテラシーは大丈夫なのでしょうか?
『青天を衝け』の公式SNSもなんだか危なっかしい投稿ぶりだと思っておりました」
結局「危なっかしい」と思うのは嫌いな大河限定なのですね。

SNSを活用しなければ理解できないというドラマ作りは、本来は禁じ手でしょう。

今は公式のみならず、出演者もSNSを利用しており、それから生まれる情報もあります。今回囲碁指導の田尻悠人氏も自身の投稿で、ドラマの中の囲碁シーンを解説していますので投稿をお借りしています。こういうのはSNSあってこそのものであり、視聴者の理解が深まるという意味ではプラス要因でしょう。

https://twitter.com/tajiriyuto/status/1731833381975982539

どうする家康囲碁シーン

そしてネットリテラシーがどうこうとありますが、武者さんの場合、要はファンダムが嫌いだというのが主な理由のようですから、先日も書きましたが、それは自分自身で身を処するべきです。自分はネット上の意見が嫌いだから、NHKはどうにかしろと言うように取れますが、それはちょっと乱暴ではないでしょうか。

そして

裏話が暴露されるような投稿が放置されれば、情報漏洩につながりかねません。
作り手が無知でインプット不足なのに、新説をつまみ食いして「最新研究を取り入れました」とマウントをとる。そして批判する連中をコケにする。

まず裏話云々、あくまでも推測ですが、小手伸也さんのアドリブ関連投稿を指しているように取れます。脚本がダメだからアドリブが入るのだと武者さんは思っていたのでしょうが、小手さん自身の説明により、それが否定されました。
そして2番目、平山優氏の「森乱」説に関してですね。実際一次史料では森乱とか乱法師などとしかないらしいのですが、武者さんが森蘭丸だと主張して論破された件です。それがよほど気に入らないのでしょう。
だからと言って、ここで不満をぶつけるのはお門違いではないかと思います。

そろそろ『どうする家康』の総括に取り掛かる時期かもしれません。

大坂の陣がまだ終わっていません。
そして総括すると言っても、武者さんがこの大河をきちんと観たようには、残念ながらとても思えないのです。ひたすらネガティブに突っ込んで、好きな作品を叩き棒にするのみならず、登場人物の所作を自己流解釈しておかしいと言い、所作指導がなっていないと叩いた、そういうイメージしかないのです、実際のところ。
たとえばこういうのも、よく観ていればブレていないのはわかるのですけどね。

「慈愛の国」だの「王道」だのなんだの言っていたと思ったら、「地獄を背負う」だのなんだの極端にブレる。

まず慈愛の国と言うより戦無き世でしょう。それと王道の政とを実現するためには地獄を背負わなければならない、世を平らかにするためには、平らかにするための戦をしなければならないということなのですが。
まあ叩くためには手段を選ばずが今年の武者さんの流儀なのでしょう。

来年こそは大河ドラマを楽しみたい、真っ当な歴史作品を見たい――本記事をここまでお読みいただけた方は、そんな悲痛な思いでいるかもしれません。

お言葉ですが、今年のを楽しんでいますので、悲痛な思いにはなっていません。来年に関しては何とも言えませんが、面白く観られたらいいなとは思っています。

ただし、いくらドラマが楽しくても、SNSなどに目を向ければ、ご自身と対立する意見もありましょう。そこでどうすべきか?
無理に理解しようとしない。
妥協しない。
差別はゆるさない。
相手のペースや屁理屈に乗らない。
数に頼りすぎない。
反論するなら、データ理詰めで。
要するに、相手が喧嘩をふっかけてきたときのみ策なり兵法なりは用いられるべきであり、そうでないなら避けるに越したことはありません。

武者さんこう書いていますが、今まで武者さん自身はどうだったのでしょうか。
「差別はゆるさない」などとありますが、武者さんは今年の大河で、一部の登場人物に対して、散々外見で判断するようなことを書いています。それから「データ理詰めで」も、このコラムを見る限り、およそデータや史料を基にするというより、自己判断のみですべてを見ているかのような記述が見られるのですが。
あと杜甫の「前出塞九首其六」が引用されていますが、ここでは省きます。

来年の大河ドラマで、ハッシュタグ荒らしなどが起きなければよいですが、結局は個々人で上手に楽しむしかないということですね。

何度も言いますが、ファンダムからもう身を引く方がいいのではと思われます。ファンダムが必ずしも武者さんの思い通りになるわけではありません。ただ、好きな大河なら黙認するのではないかと思いますが。

さすがに今年のような状況はもう起きないのでは?とは思います……。

今年は、本当にひどいです…武者さんの大河叩きが。

そしてまたメールフォームのリンクが貼られています。今後このコラムが続くのなら、ずっとこの路線で行くのでしょうか。


飲み物-ボトルとコルクとワイン
[ 2023/12/09 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第45回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第45回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。


「どうしたっていうんだよ衣装は!」なる小見出しから始まり、またこの間と同じような、『大奥』の美術部トップ(チーフディレクター?)の大原拓氏に、代表作として『麒麟がくる』とあって納得したとの由。結局自分が好きな作品に関することしか書かないのですね。

私はこの方、『軍師官兵衛』のディレクターもやっていたとこの前書いています。武者さんが同じことばかり書くので、もう一度、大原氏は官兵衛のディレクターでもあったと書いておきます。

そしてまた『首』がどうのこうの。衣装は黒澤和子さんで、
「この方も『麒麟がくる』と同じです」
とありますが、『西郷どん』、『青天を衝け』も黒澤さんです。これが大河コラムなら、それもちゃんと書きましょう。

それに引き換え今年はなぜこんなことになってしまったのか。
『麒麟がくる』は担当者のステップアップとして機能しているのに……。
特別なことは必要ないでしょう。『麒麟がくる』まで戻すだけで十分。来年以降、そうなることを願い、今年はもう忘れるしかありませんね。

こんな風に書くと、今年も大原氏が関わっているかのようですね。もちろん違いますが。
そしてどういう意味でこう書きたいのかわかりませんが、『麒麟がくる』まで戻したら、『青天を衝け』もそうですが、武者さんが好きな『鎌倉殿の13人』もなかったことになりませんか?

あと「演技プランが全て壊れている」などとありますが、人物をちゃんと観ていないだけだと思います。人物像をひとつひとつ理論的に語るのが面倒くさい、どっちみち嫌いな大河、ならば「演技プランが壊れている」で済ましてしまえば、何となくわかったように見える、そうしてしまえといった印象を受けてしまうのですが。

秀吉の遺児である豊臣秀頼――それが成長して徳川にとって“脅威”となった。それを示すのが、あの屋内ダンスと、この説明セリフだけなのでしょうか。

秀頼と家康が会見するところを観ているはずですけどね。
それよりも第44回で既に家康は、関ケ原はまだ終わっておらぬと言っています。誰かが秀頼を担いで、戦乱の世に戻るというのを警戒していると思いますが。

せっかく前回、空気を読めない真田信繁が軍事教練していたじゃないですか。例えばあれを警戒材料として出してもいい。

真田信繁がああやっているのを、家康は目の当たりにしていたでしょうか。ただ牢人があぶれており、彼らは食いぶちとして戦を求めていること、そして大坂では牢人たちに施しをしていることを伝え聞いてはいましたね。

『大奥』シーズン2の井伊直弼の警戒心比較してしまうと、絶望的な差があります。彼は先手を打ち、危険な芽を強引に摘んでいこうとしていました。

条約の締結関連と思われますが、それと家康の大坂の陣とを、同列に論じられますか?それ以前に家康が大坂を警戒しているのを、どうも武者さんは理解できていないように思われます。

徳川家康は、朱子学を統治に生かそうとした。それが『麒麟がくる』では生きていたものです。
しかし『どうする家康』にそんなものを求めても無駄でしたね……。
この世界観には先人への敬意も、親への思いも何もありません。
父の本多正信を辱めるようなことを大声で平然という息子の本多正純。
あれは何の冗談でしょうか?

武者さんに、『どうする家康』で何が描かれているか、それを尋ねても無駄でしょうね…。
この時の正信は、豊臣は公家であることにしてしまえ、公家ならば城だの武力だの、持つ必要はないと例の調子で述べるわけで、そんな父に対し正純は、こんな屁理屈ばかり才があると不満そうなわけですね。
その息子に対して、おほめにあずかりましてととぼけた様子で答えているわけです、
別に正信は辱められていませんが?

愚かの極みとはこのことで、父を嗜めるにしても他にやりようがあるでしょうよ。我が子にすら孝行を教えられないくせに、アリバイとして朱子学を持ち出す本多正信は、一体何を考えているのか。

また「窘める」が「嗜める」になっています。これは好むとか親しむの意味で、注意する意味ではないのですが。武者さん、昨年のこのコラムで何度かこの表現を使っていましたが、また復活したのでしょうか。
あと、江戸時代が始まったばかりのこの時期、そういった思想が行き渡っていたでしょうか。そして林羅山を連れて来たのは、方広寺の梵鐘の銘関連ではないかと思います。

この大河ドラマは、史実云々で批判されるわけじゃない。
幼稚で底が浅く、大河どころか、せいぜいが子ども用ビニールプール程度の浅薄さだからでしょう。

子供用のビニールプールて…例え方が何とも言えませんね。閂や草履をホームセンターのそれに例えるのとあまり変わらないかと(などと言ったら、ホームセンターに悪いかも)。
しかし「史実云々で批判されるわけじゃない」とあることは、つまり史実はちゃんとしていると認めたということなのでしょうか。

その後に
「本作の感覚は、親への態度がせいぜい昭和後期の中高生程度で止まっています」
昭和後期の中高生は、すべて親に対して反抗的で生意気だったということでしょうか。
ちなみにその後に
「でた! 嫁姑バトル」
などとあり、「そのくせ価値観は古いんですよね」などとあります。
何だか、こういうことで鬼の首を取ったかのように喜ぶ方が、正直言って価値観が古く感じられるのですが。

そしてこれ、嫁姑バトル、つまり姑が嫁の粗探しをすると言うよりは、もうちょっと政治的と言うか、家康は秀頼の代わりをしていただけであり、その約束を破るなら戦も仕方ないと述べているわけで、つまるところ千姫、ひいては家康を牽制しているわけです。

そしてその次に、
「人間関係の把握がせいぜい昭和後期か平成前期です」
ここでまた昭和後期、そして平成前期。結局これを書きたいと言うか、昭和と平成の前期はダメだと、何かにつけて叫んでいないと気が済まないのでしょうか。

そして今度は加藤清正。

「猫に負けそうな『せいしょこさん』でどうする」
などとあり、加藤清正もどうにかならかったんですかとあります。

まずこの「せいしょこさん」、清正公は地元肥後熊本で領民に慕われ、このように呼ばれて信仰の対象にもなっています。尚「せいしょこ」とは、「清正公」の音読みです。で、武者さんがこの大河が好きだとか、この人物が好きでこう呼ぶのならまだしも、そうでもないのに、いきなりこういう呼び方をしてほしくありません。何やら小馬鹿にしている感もあります。

そして
「声の出し方が弱い。高すぎるし、腹から出していない。
日本史に残る猛将がどうしてこんな情けないことになったのやら」
何なら、武者さんが指導をしては如何でしょうか。
そしてエキストラも棒読みだなどと書かれています。
いつもそうですが、あれがよくないこれがおかしいと言う割には、具体的な改善策が示されたためしがどれほどあったのかと思います。
そして「二人のプリンス」について。

二条城の会見――これを「二人のプリンス」ってどういうことでしょうか?
英語のプリンスを踏まえると、両者ともに一致しない。
秀頼を見る家康の目の陰険さだけは、妙にリアリティがあるからどうしたものか。
歴史的な文脈を無視して、若いイケメンに嫉妬する、もはや若くはないイケメンという構図は、ある意味斬新かもしれません。
女性同士はしばしばそんなしょうもない描かれ方をされてきましたから。

これそうなのですか?
私は秀忠と秀頼、そして年齢を重ねた家康と宗誾(氏真)と思っていました。
そしてこの会見ですが、秀頼を何とかまつり上げて公家とし、自身は武家の棟梁を主張しようと思った家康に対し、秀頼がそれを読んで、逆に家康を立てて自分がへりくだったわけですね。
「若いイケメンに嫉妬する、もはや若くはないイケメン」とはどのような観方をすれば出てくるのでしょう。

そして「もはや若くはない」と言っている以上、武者さんも家康の加齢については認めているのですね。今まで散々年齢を重ねているように見えないと言っていましたが。

あとプリンスはもちろん比喩的表現ですが、秀頼は太閤殿下の遺児だから、この表現に一番近いかと思います。

いきなり上座だのなんだの言われて思ったこと全部ぶちまけられても、何が何やら。

「思ったこと全部ぶちまける」とはどういうことでしょうか。正信は具体的な策を示しているのではないでしょうか。

このドラマの欠点は数え出したらキリがありませんが、テンポの悪さもあると思えます。
中身がないうえにテンポが悪く、時間稼ぎをいつもしているようで、ともかく退屈になってしまう。

「数え出したらキリがない」
武者さんはほぼすべてのシーンやセリフを欠点と捉えているわけですから、それはキリがないでしょうね。

二条城の会見をこんなに長々とやる必要があったのですかね。さっぱり理解できません。

会見そのものは6分足らずで特に長々とやっているとは思いません。
早く終わってくれないかと思うから、長く感じるのではないでしょうか。

それにしても、秀頼の顔色が悪い。覇気がない。
毒でも盛られたのでしょうか?
覚えたセリフを棒読みしているだけのようにも感じてしまう。

「どうした秀頼」なる見出しでたった3行、しかも特筆すべきこととも思えず。
時々こういうパラグラフがありますが、一体何を書きたいのかさっぱりわかりません。これなら前のパラグラフに付け足せばいい話です。

あの忍者気取りの真田信繁は笑うところなのか?
左手に六文銭を握りしめて
「俺、いかにも怪しいです!」
という目つきはないでしょうよ。

あの信繁が「忍者」に見えますか?彼は忍びなのですか?
ではなくて、ただ単に変装しているだけでしょう。
そもそも山伏の格好というのは変装でよく使われますし。

そしてまた『麒麟がくる』だの『首』だの引き合いに出していますが、ここでは省きます。こういう具合に、やたら他作品を出してくるというのもかなり違和感がありますね。
それ関連で服部半蔵。

それが『どうする家康』の場合、こうですからね。
「あの服部半蔵が、実は忍術がヘタでヘタレだったらおもしろくない?ww」
何も面白くありません。『どうする家康』はメンタリティがいじめっ子なんですよ。

半蔵は自分は忍びでなく武士であるとはっきり言っています、忍びに求められる術を心得ているのは寧ろ大鼠です。
今まで何を観て来たのかと何度も言いたくなりますが、あるいは何も観ておらず何も覚えていないのでしょうか。言っちゃ何ですが、それでよく、この大河のコラムを書こうという気になるなとは思います。

「あいつさあ、スゴイと言うわりにヘタレなんだよw」
標的にひとつでも些細な間違いを見つけると、延々とネチネチ小馬鹿にしてニヤついている。そういう精神性がこの作品には充溢しています。

ブーメランですか?

あと、この『首』の家康に関してだけ書いておきます。演じているのは小林薫さんです。

小林薫さんの家康はむろん素晴らしい。出てきたと思ったら即死する家康影武者だって、大河よりよほど家康らしい立ち居振る舞いでした。

その小林さんは『青天を衝け』で主人公の父親を演じていますね。先ほども書きましたが、同じ俳優さんが出ている大河作品なら、好き嫌い関係なく書いてほしいのですが、それをこのコラムに求めるのは無理なのでしょうか。

秀頼と千姫が猫と戯れる場面はいいと思います。猫がかわいいことは確かです。
ただし、『おんな城主 直虎』と『大奥』には遠く及ばない……。
このドラマのよいところは、あの猫だけかもしれません。

正しくは秀頼が猫を抱いて、千姫がその猫の絵を描いているわけですね。
で、それでも自分が好きな作品には及ばないと言っている。いやしくもプロのライターなら、それぞれの作品の持ち味があると取るべきかと思いますが。あと『直虎』の猫と言えば、主人公と同じ年数かそれ以上生きましたね。

そしてそんなに猫がいいのなら、大河でなく「世界ネコ歩き」でも観てそのレビューを書いては如何でしょうか。
あと武者さんが叩く作品を好きな人もいることをお忘れなく。


飲み物-ワインのデキャンタとグラス
[ 2023/11/30 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第43回の『どうする家康』武将ジャパンコラムに関するnote記事

全国的に荒れた天気だったようです。風が強く、冬並みの気温に下がった所も多かったのではないでしょうか。しかし天候とは気まぐれなもので、来週はまた気温が上がる地域もあるようなので、体調管理にお気をつけください。
さて、今週もtaketak39460607さんのnote記事からいくつかご紹介です。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第43回~
https://note.com/taketak39460607/n/n49022feb6278

尚いつものように、武者さんのコラムの引用部分はダークブルーです。

干し柿エピソードが無いってことは文春砲の記事は否定できず?

このnoteではまず干し柿関連の逸話は、『明良洪範』という逸話集によるものとあります。そして文春記事で、柿のエピソードが削られたのが、松本潤さんの意向によるものとあって、あたかも事実のように吹聴していることに関して、関係者に裏を取ったのかとありますね。

三成公が京都の町を引廻されている最中に水が飲みたくなったので、警護の者に伝えたところ、水がなかったので干し柿を差出された。
三成公は「痰の毒であるから食べない」と言って断った。
「間もなく首を刎ねられる人が毒を断つのはおかしい」と笑われたが、三成公は「そなた達小物には分からないだろうが、大義を思う者は、首をはねられる瞬間まで命を大事にするものだ、それは何とかして本望を達したいと思うから」であると答えた。
『明良洪範』

そしてカットされた理由について、taketak39460607さんも、
「捕縛された三成さんと家康さまとの大津城での対面(9月23日)を重視したのではないでしょうか」
と指摘しています。
そして大谷吉継が柿を手土産に持参した件は、横浜一庵という武士から柿100個が送られた際の礼状に、「拙者好物御存知候(私の好物をよくご存知ですね)」と書いている逸話が紹介されています。ちなみにこの横浜一庵という人物は、豊臣秀長の家臣であったと伝わっています。

また柿伝説は他の文献にもありますが、実際これは創作または俗説とみなされているようです。元々三成は柿好きであったとも言われており、『真田丸』では柿が送られて来たからと細川忠興にあげたところ、逆に怒らせてしまっていました。

そして慶長5年(1600年)9月14日へ。
「関ヶ原の戦いは取捨選択が大事」とは申し上げましたが、本作はあまりにもすっ飛ばしすぎたため、何の感慨もないままオープニングに入ります。
オープニングテーマも、アニメも、何も心に響かない。

この点に関しても、本作がすっ飛ばし過ぎたのではなく、武者さんが誹謗中傷のための視聴に終始しており、内容をろくに観ていないのではないかと指摘されています。そして調べればすぐわかる歴史的事項にケチをつけ、歴史系レビュアーを名乗りながら、何の解説も加えていないから、心に響かないのではないかともあります。
そして、実際には以下のようなことが描かれていたことが挙げられています。

  • 上杉景勝公による国元での動きとそれを詰問する徳川方、それに反発する直江状と上杉征伐。
  • 真田昌幸公・信繁公親子の西軍入りと稲さんによる沼田城入城拒否。
  • 東軍の北上の隙を突いた西軍の挙兵と『内府違いの条々』の流布。
  • 大坂の東軍諸将の妻子が人質に取られる
  • 東軍による小山評定と西上。
  • 第二次上田合戦
  • 伏見城落城
  • 福島正則公が岐阜城を攻め落とし西軍のいる大垣城に迫り、秀忠さまの本隊が着く前に戦が始まる恐れがある。(福島・黒田の協力確実)
  • 真田の策にはまった秀忠さまの大遅刻決定
  • 西軍が真田の足止めを知り『大きな蜘蛛の巣』を張り決戦は関ケ原と決める。
  • 東軍も西軍の動きを見て関ヶ原で雌雄を決する策に乗る
  • 関ケ原合戦(43話)
  • また関ヶ原本戦に至るまでの東軍・西軍の動きは第42話で紹介。

武者さん、こういうのを確かに目にしているはずなのですけどね。私も関連投稿で書いていますが、第41回及び42回のコラムにしても、ちゃんと観た人の書き方ではありませんね。

そして今回特に気になった、板垣李光人さん演じる井伊直政を叩く記述。

あんなヒョロヒョロした体で甲冑を着られるか!
失望感を通り越し、絶望感ばかりが募る井伊直政。
腕も白く細いヒョロ政に、本物の島津が突撃したら瞬時に擦りおろしてしまうでしょう。
赤鬼どころか、とにかく弱々しい。
たった一言のセリフですら腹から声が出ておらず、どうしてここまで酷いのか……と、唖然とするしかありません。
(中略)

ここでは『たった一言のセリフ』とはどこの場面のどんなセリフなのか、具体的に提示してほしいとあり、出陣前に一人称が「おいら」に戻ったことを言っているのであれば、直政が相槌を打つ家康に礼を述べたシーンになるが、家康の前であり、特に腹から声を出す必要もないことと書かれています。

そして『あんなヒョロヒョロした体』『失望感を通り越し、絶望感ばかり』『腕も白く細いヒョロ政』の記述に関して。
線の細さが嫌というのは個人の好みの問題で、それを盾に板垣さんの容姿を『腕も白く細い』『失望』『絶望』などと侮辱するのは、人の価値を外見だけで測る差別的な考え方だという指摘があります。尚板垣さん自身は、赤備えの甲冑についてこうコメントしていると、『スポニチアネックス』の記事が引用されています。

実際に鮮やかな陣羽織と真っ赤な甲冑を着用し、武田の残党を率いて声を上げるシーンは、これまでの直政の人生を思うと感慨深かったですし、僕自身の高揚感も重なったように思います。でも、甲冑はかなり重みもあるので、撮影で1日中着用していると地面に沈んでいくような感覚になりました(笑)。

本作は甲冑の重さや、制限される関節の動きを度外視しています。
甲冑をつけていては絶対にできないような動きをしてしまう。
甲冑の防御性能すらわかっていないのか、着ているところに刀身をぶつけにいく間抜けさも健在。
そんなことしたら刀が折れるだけですよ!

これに関しても『甲冑の重さや、制限される関節の動きを度外視した甲冑をつけていては絶対にできないような動き』とはどんな動きであるのか、具体的にどういう場面のどんな動きであるかと疑問が呈されています。そして実用的な当世具足の重量は15~20キロであること(金陀美具足は11キロらしい)、雑兵や足軽のような武装ならもっと軽いこと、そして動きやすいことについて触れられています。その一方で、西洋のフルプレートアーマーのように全身を覆うものではなく、装甲の薄い首まわり、脇や太腿は、組み打ちすることで狙えることなどが書かれており、そのための方法としては、相手を押し倒す方法、長槍で上から叩く方法(槍衾を作る)、刀の打撃を槍の柄で止める、近接戦で敵の急所である首筋の頸動脈などがあると説明されています。

またこちらのサイトも紹介されています。

具足櫓 (http://gusokuyagura.o.oo7.jp/omosa.html)
日本武士と西洋騎士の鎧・甲冑の防御力と重量と動きやすさ (stonewashersjournal.com)

2番目のサイトは、私も武将ジャパン関連投稿でご紹介しています。

そしてまたも干し柿関連の文春記事に関して。

死を前にしても三成の毅然とした態度を表すエピソード――干し柿の話は、後世の創作とかなんとか、そういう問題ではありません。
10月の週刊文春に掲載されていた文春砲の中身が正しいかどうか。
この干し柿が一つの審査基準となっていたのです。
(中略)
文春砲曰く「松本潤さんがやりたがらなかった」とのことで、それを親友の七之助さんは承諾した、というものです。
干し柿エピソードは三成の意志の強さが表される見せ場の一つであり、役者としては演じたい場面でしょう。
ゆえに私は注目していました。
もしも干し柿のエピソードが出たら、文春砲はデマということになりかねない。
結果、干し柿は……出ていません。

これについても例の干し柿関連逸話は創作であり、三成と家康の大津城での対面が重視されたのではないかとあります。さらにドラマの制作は脚本が絶対ではなく、現場でのアドリブ提案や日程の都合などで変化することもあり、当の出演者も、自身の意見としてアドリブを入れたり、構成を変えるなどの裏話についての記述があります。
(小手伸也さんがその代表格でしょう)

にもかかわらず、『干し柿が一つの審査基準』『文春に「松本潤さんがやりたがらなかった」と載っていたから』『役者としては演じたいに違いないのに』とあり、本来は「干し柿エピなかったね」で済むのに、史料の精査もなく週刊誌記事のみを論拠としている武者さんの姿勢に、これまた疑問が呈されていますね。
「一視聴者の貴方の妄想や我がままで勝手に変えられるわけではないですし、制作側の意向が反映されるのは当たり前です」

そして井伊直政の天突脇立兜に関して、

ペンキを塗ったばかりのような赤い兜に、天井の白い照明が点々と反映していて、スタジオ撮影だなって丸わかり。

と武者さんは書いているわけですが、taketak39460607さんの記事では、この兜が登場した『おんな城主直虎』、『西郷どん』(こちらでは、赤備えの前に井伊直弼が座っています)の画像もあり、「ペンキを塗ったばかりとは」と呆れられていますね。赤備えが始めて登場した時も、武者さんは似たようなことを書いていたかと思います。

また白く見えるのは、兜の元々の光沢か光の反射の具合もあるのではないでしょうか。

さらに、松本さんが写真集を出版し、展覧会を開催するのがお気に召さない件。

ソロ写真集を出し、展覧会を開催する今年の主演とは大違いでは?

松本潤さんの写真集は書籍説明に
『松本潤個人としては初の写真集。主演を務める大河ドラマ『どうする家康』の撮影が開
始されて間もない、松本39歳の誕生日から、2023年10月26日のクランクアップまでの、約1年2か月間にわたる日々の記録。』
とあること、初となる展覧会『JUN MATSUMOTO EXHIBITION「PERSPECTIVE ‐時をつなぐ眼差し‐」』は、松本さん自身が選んだ、6人のクリエイターとのコラボレーションでを通して、松本さんが得た”言葉と視点”を体感する展覧会であることが説明されています。
そしてこれは大河ドラマを楽しんでくれたファンや視聴者のためのものであること、このイベントを楽しみたい人が申し込めばいいこと、それを踏み込んできてネチネチと論って叩き続ける方が迷惑だと書かれています。同感です。

あとこの武者さんのコラムには、『青天を衝け』の殺陣について「あれも酷かった、水戸藩士が薩摩ジゲン流特有の猿叫をしたり」という記述があることを、私の関連投稿でご紹介しています。しかし武者さんは、どうも薩摩藩士が襲撃に参加したことを知っているようです。実はこのnoteで以下のコラムが紹介されているのですが、

桜田門外の変と意外な事実~井伊の首を取ったのは薩摩藩士だった - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) - 3ページ
https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2023/03/02/110050/3

薩摩藩士有村次左衛門が、井伊直弼の襲撃に加わっていたことがはっきりと書かれています。しかもこれは今年の3月の記事ですから、第43回コラム執筆当時は、当然わかっていたはずなのですが。

飲み物-ワインと暖炉の火
[ 2023/11/19 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第42回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第42回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。

過ちて改めざる是を過ちと謂う。『論語』
「それはおかしいぞ」と指摘されても開き直って「でもでもだって!」と態度を改めないことこそ、まさしく過ちなんだよな。

この意味ですが
「間違うのは仕方ないが、即座に改めれば間違いではない。しかし改めなけば大きな過失となる」
こういうことではないかと思います。
そしてこの諺、武者さんに取ってかなり大きなブーメランになっていないでしょうか。

2023年は、大河ドラマの歴史にとって、決して消せない大きな汚点となるでしょう。
ただ単に出来が悪いとか、視聴率が低いとか、そういうことじゃない。

「単に出来が悪いとか、視聴率が低いとか、そういうことじゃない」
などとありますが、今までのこのコラムを見る限りでは、あそこが悪いここがよくないとか、視聴率の低さに言及するような記述がかなり目立ちます。
「そういうことじゃない」
とは、「どういうことじゃない」のでしょうか。

そしてこの後に
「NHKは大河ドラマや朝ドラをあまりに安売りしていて」
とあり、こういう記事のリンクが貼られています。

◆ 趣里や蒼井優の名演技に頼り過ぎ…朝ドラ「ブギウギ」に足りないものは何か(→link)
笠置シヅ子さんをモデルとした朝ドラ『ブギウギ』について指摘されていて、概ね同意します。
この朝ドラは脚本の問題だけでもなく、小道具、衣装、セットの作り、方言指導がお粗末で、やる気が全く感じられません。

デイリー新潮の記事ですね。
で、もちろんこの朝ドラに好意的な記事もあるし、本当はその両方に目を通して分析を行うべきなのですが、武者さんはどうもそういう見方はしないうようです。
そして
「脚本の問題だけでもなく、小道具、衣装、セットの作り、方言指導がお粗末で、やる気が全く感じられません」
何のことはない、『どうする家康』に向けている言葉を朝ドラにも向けているだけに過ぎません。
嫌いな作品なら十把一絡げということでしょうか。

そして大河コラムのはずなのに

なぜ朝ドラは、しつこく、しつこく、本当にしつこく、日本の芸能史をロンダリングするような気持ち悪いことを繰り返すのか?
この10年に限っても、
『あまちゃん』
『わろてんか』
『エール』
『おちょやん』
『ブギウギ』
……って、さすがに異常ではありませんか。

あの、「しつこく、しつこく、本当にしつこく」という書き方の方がしつこく感じられるのですが。
私もこれらのすべてを観たわけでない、と言うか観ていない方が実は多いのですが、こういった作品のどこが
「ロンダリング」
なのか、それをちゃんと説明してしかるべきでしょう。

確かに『あまちゃん』や『おちょやん』のような傑作もありますが、いい加減やりすぎなだけでなく、歴史修正も蔓延っています。

「傑作」としていながらやりすぎとか、歴史修正が蔓延っているとか、何を基準にしてどう言いたいのでしょうか。こういう点をはっきりさせないから、コラム自体に信用がおけなくなるのではないのですか?
そしてこういうのは、小檜山さん名義のnoteの方でやってください、朝ドラはあちらの方のはずですよね。

現在、イスラエルの歌手が兵士に向かってガザ攻撃を楽しむ動画がネットで出回っています。
戦争を煽り面白がるなんて最低だと思いますよね。
しかし、日本にもそういう歌謡関係者はいました。そういう人物を朝ドラはロンダリングして扱っています。

とかで、『エール』、『わろてんか』に関してのリンクがやけに貼られています。こういうのはコラム中で記述してしかるべきかと思います。
しかも何度も言うようですが、大河コラムでなくて朝ドラのnoteでやってください。ここは大河ドラマについて書くコラムであり、嫌いな朝ドラをアピールする場ではないと思います。

それと攻撃を楽しむ動画云々ですが、
「イスラエルの歌手が兵士に向かってガザ攻撃を楽しむ動画」
と言うのがちょっとわかりづらいのですが…。それに近いニュース記事を探したところ、
「兵士たちのもとを訪れたイスラエル人アーティストが、攻撃されたガザの人々をバカにして楽しむ動画を投稿」
とあります。これで正しいのでしょうか。

あと戦争中は、やはり戦意を高揚させるものが喜ばれたのは確かなようです。

そして、

『わろてんか』という吉本興業を徹底美化した朝ドラもありました。
どうしてそこまでプッシュするのか?

などとあり、

『どうする家康』も林羅山役が吉本所属ですね。

などとありますが、『わろてんか』のキャスティングと直接関係があるのでしょうか。
それを言うならNHKに出演している吉本所属の人なんて多いものでしょう。
『麒麟がくる』で二条晴良を演じた小藪千豊さんも、『おんな城主 直虎』で岩松という検地奉行を演じていた木村祐一さんも吉本ですが?そして、この『直虎』で小野政次を演じていた高橋一生さんは、『わろてんか』に出演していましたが。

『ブギウギ』についていえば、もうこういう報道が出てきています。
◆【ブギウギ】草なぎ剛が来週登場 服部良一さんモデル役にジャニーズ問題で「皮肉」の声も(→link)
少女歌劇団も、宝塚いじめ問題が報道されている最中に、よりにもよって今これをやるのかと愕然としてしまう。
たまたまではありません。
芸能界がそういう時限爆弾を放置しているのに、それを忘れて呑気にドラマにするから爆発するのです。

言っては何ですが、武者さんは、嫌いな作品が炎上するのを望んでいるように見えてしまいます。
だから大河だと文春絶対になるし、この記事も東スポWEBですが、こういうゴシップ的な記事を探して来て、自説補強にしているような印象しか受けないのです。

と、こういう指摘をすると、必ずのように
「でも! 私は毎朝楽しんでいます!」
「私はウキウキしながら見ているのに、それが悪いというのですか?」
という反論が出たりします。
無知で無邪気ではしゃいでいいのは子供の間だけ。社会的影響や倫理を考えず、毎朝楽しでいるからって理屈はあまりにも幼稚です。
誰がこのドラマを楽しんでいるのか?
大河についても同様のことが言えます。
私の記事だけでなく、他メディアで『どうする家康』への問題が指摘されていても、
「でも! 私は毎週楽しんでいます!」
とか
「つまらなければ見なければいい!」
といった幼稚な意見があがってくる。

「楽しで」は「楽しんで」でしょうね。
ともあれ最初から見て行きましょう。

「『でも! 私は毎朝楽しんでいます!』
『私はウキウキしながら見ているのに、それが悪いというのですか?』
という反論が出たりします。
無知で無邪気ではしゃいでいいのは子供の間だけ。社会的影響や倫理を考えず、毎朝楽しでいるからって理屈はあまりにも幼稚です」
まず朝ドラというのは娯楽番組です。
楽しんで観ても、ウキウキしながら観ても別に構わないのではないのですか?朝ドラを観ることが、一日の原動力となる人もいるでしょう。無論シリアスな目線で観てもいいのですが、要は楽しみ方は人それぞれであり、自分と違う観方をしているからと言って、それに文句を言う筋合いはないかと思います。
とどのつまり、自分と同じような問題意識(と言うか、多分に好き嫌いに基づいているかと思いますが)を持たない観方が嫌なのだろうなとは思いますが、武者さんの主張は、それぞれの楽しみ方をしている人たちに対して、家に土足で上がり込み、自分が思うような観方をしろと強要しているようなものではないでしょうか。

そして大河、これも朝ドラと同じです。
人それぞれの観方があり、自分の観方を他人に強いるものではないでしょう。それをやらないから、ネット上のタグに一々神経をとがらせることになるのではないでしょうか。
それから
「つまらなければ見なければいい!」
武者さんに言わせれば「幼稚」と言うことですが、きわめて正論だと思います。嫌なら無理して観ることはありません。
私自身あまり観る気が起きず、とうとう一度もリアルタイムで観なかった大河があります。あとでDVDで観ましたが、リアルタイムで無理に観ても精神衛生上よくないと思われる時は、観ないのもひとつの手です。
その代わり、楽しんで観ている人たちにとやかく言わないことでしょう。

以前武者さんは、『どうする家康』は若者が多く観ているという意見に対し、何らデータも裏付けも示さずに、そんなことはない、彼らは動画でも観ているということを書いていた覚えがあります。結局それなのです。データと裏付けはともかくとしても、嫌なら大河の放送時間は、自分の好きな動画でも観ていた方がいいのではないでしょうか。

では一体、どんな層がそうした意見をSNSや記事コメントに記すのか。私なりに考えてみました。
◆ 「どうする家康」官兵衛息子・黒田長政“一の谷形兜”ネット話題!薄型テレビ?ソーラーパネル?「首が…」(→link)
兜の正面につける飾りを前立(まえたて・まえだて)と言い、それぞれ意味があります。
死と隣り合わせである戦国武将の覚悟が表現されているわけですが、それをなぜ「薄型テレビ」などと笑われなければならないのか。
あまりにも程度の低いコメントで記事まで作られてしまう幼稚さに情けなくなってきます。

「あまりにも程度の低いコメント」なのだそうですが、私としてはこれらの意見、なるほどと思いました。
と言うか、戦国とか関ケ原に興味があっても、所謂変わり兜にあまり関心がなければ反応はこういうものでしょう。
ちなみに、このシーンですね。

どうする家康第40回七将2
(『どうする家康』公式サイトより)

私も先日福岡市博物館で実物を見て来ましたが、変わり兜の中でも形の独自性という点では、加藤清正公の長烏帽子形兜(画像向かって左端)同様、他の追随を許さぬものがあります。当初、これは本当に兜なのかと思ったりもしましたし。鉄板と見られても(正しくは銀箔を圧した檜板ですが)、はたまた「薄型テレビ」などと見られても、それはそれで関心を惹いているということですから。
寧ろ地元の人間としては、こういう形で黒田長政という人物を知り、さらに兜以外にも様々なことを知ってくれると嬉しいなとは思います。

ちょっと余談ですが、2019年のラグビーのワールドカップ、または今年の大会でもそうですが、ニワカでいいから、ファンになってラグビーを見てほしいと言われていたことがあります。結局それと似たようなものかも知れません。始めはさほど知らなくても、継続して関心を持つことで、知識の幅が広がることもあるわけですし、最初は皆ニワカですので。

話が戻りますが、武者さんはここで
「兜の正面につける飾りを前立(まえたて・まえだて)と言い、それぞれ意味があります」
と書いています。無論それは事実ではありますが、こういう部分でだけ、もっと言えばネットの声に対して上から目線な姿勢を取る時だけ、歴史的なことを書かれてもなと思います。
このコラム全体でどれだけ歴史的考察がなされているか、ドラマの描写に沿って文章が書かれているか、正直言って、ちょっと疑わしく感じられますので。

何よりも「だから黒田は何なんだよ」なる見出しで、

「福島と黒田が一緒に戦うよ!」って、
だから、彼らは何者なの?
NHKの日曜20時に流すドラマとして、その説明はカットしても皆がわかっているのが当然なんでしょうか。
本当に視聴者の知識に頼りすぎな作品です。

などと武者さんは書いています。複数回にわたっての武断派武将の描写があるのにこう書くのは、彼らに関心がないのだなと思われても仕方ないのですが、その一方で、長政公の兜に対してのネットの意見に対しては反応するのですね。
しかしそこまで知識を披露するのなら、一の谷兜そのものについてもっと書いていただきたいですね。

そしてこの後、長くなるので部分的に省きますが、要はこの大河を観ている層には史料とか史実などわからないだろうと言う、かなり一方的な見方のようです。

とはいえ「どんな層の人物が楽しんでいるのか」という答えは浮かんできそうです。
◆どうする家康:「あれ? TAKAHIRO先生」 直江兼続役に視聴者驚き めっちゃ長い“直江状”発動に「キターー」(→link)
直江状を読み上げることすらなくとも、「キターーー」と20年以上前のトレンドを振り翳しながら、演者に反応する。
全部がそうとは言えませんが、そういう層が盛り上がりの中心にいるんでしょう。
要するに歴史なんてどうでもよく、陰キャやヲタクの趣味でしょwとでも思っていそうな方たちです。

「要するに歴史なんてどうでもよく、陰キャやヲタクの趣味でしょwとでも思っていそうな方たちです」
何だかこれもブーメラン臭く感じられます。

そしてこの後も、

来年の大河ドラマ『光る君へ』には、日記をせっせと書いていた貴族が大勢登場することでしょう。
平安時代についてのことは、衣食住から行事、人間関係までよくわかります。
では同時代の坂東はどうか?
というと、これがわかりにくい。識字率の差が際立っているためです。
遺跡を発掘して、たくさん貝は出てくる。大きな家の跡もある。それがいつしか消え、ここにいたであろう某氏はどこへ行ったのか?
というと大仰な謎でもなく、単に記録する習慣がなかったために、わからなくなったのです。資料の意義はこういうところにあらわれると。

だそうです。
そしてこうも書かれています。

そんな基本的な歴史知識の無い人が、そういうことを気にしない人に向けてコスプレドラマ『どうする家康』を作った。
歴史に興味がないことを脚本家が明言している時点で、どうかしてます。

『レジェンド&バタフライ』のサイトによれば、別に古沢氏は歴史に興味がないのではなく、
「僕はそもそも今残っている歴史はフィクションだと思っているところがあります。いま残っている歴史は、勝者が都合のいいように語り継いだものですから、どう解釈しても自由だと思っているんです」
と言っているだけですが。

そして史料(資料でなくこちらの方かと)を重視するのであれば、平山優氏が
「森蘭丸でなく、森乱(または乱法師)」
と語っているのも当然重視されてしかるべきですが、武者さんは森蘭丸だと主張していますよね。それはなぜでしょうか。

さらに

歴史に興味もないのに徳川家康と“大河ドラマ”という名声だけは欲しがった。
そしてそれを無邪気に全面的に受け入れて楽しんでいる。
そんな層にはつきあいきれません。
互いの趣味が違うなら棲み分けていればいい。
それだけなのに、なぜかこちらを馬鹿にしてマウントをとってくるから厄介です。

「互いの趣味が違うなら棲み分けていればいい。
それだけなのに、なぜかこちらを馬鹿にしてマウントをとってくるから厄介です」
これもかなり大きなブーメランに見えるのですが。

善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責(もと)めず。『孫子』「勢篇」

これもちゃんと意味を書いてくださいね。
戦上手は、個々人の能力や働きに過度に期待せず、組織全体の勢いを重視するということです。
個人技よりチームプレイと置き換えられるでしょうか。

で『ちむどんどん』は駄作ではなく、ネット上で作られた勢いに乗せられた人が多かったとか何とか。そして仲間由紀恵さんをはじめ、『大奥』には『ちむどんどん』の出演者が他にも出ているとあり、

むしろ『ちむどんどん』あっての『大奥』だと、スタッフのインタビューで明かされました。
◆「大奥」“サイコパス”治済に仲間由紀恵を起用した理由 底知れぬ闇を段階を経て表現(→link)

私自身、駄作とか傑作などという分け方はあまりしませんが、『ちむどんどん』にはちょっと馴染めないものがありました(飯豊まりえさんの愛、井之脇海さんの矢作はよかったと思います)。

そしてこの記事を見てみましたが、「『ちむどんどん』あっての『大奥』」というのはどこにも出て来ません。
『ちむどんどん』絡みでは、主に仲間さんとスタッフの関係について書かれていると言うべきでしょう。
「そもそも、僕(注・藤並英樹CP)は仲間由紀恵さんが俳優として大好きで『ちむどんどん』でもご一緒しまして、彼女のお芝居の奥深さや、キャラクターの表現がすごく達者で、面白い方だなと思っているので」
「『ちむどんどん』の優しいお母さん像とはまた百八十度違う、恐怖というか冷徹さみたいなもの、内面が分からない闇のようなものを表現していただく。『ちむどんどん』とのギャップも含めて、きっと面白くなるんじゃないかと」
「治済は非道なキャラクターではあるが、仲間自身は「ちむどんどん」のスタッフ(演出の木村隆文、プロデューサーの松田恭典)も多かったこともあって、「非常にいい雰囲気の中でお芝居を作っていけたと思う」と藤並」

しかしやはり思うのですが、自分が好きな作品の場合はつい好意的に見てしまいますね。
無論それが悪いとは言いません。ただ武者さんも『大奥』が推しであるように(だろうとは思いますが)、『どうする家康』や『ブギウギ』を好きな人もいるわけで、その人たちが当該作品を好意的に見るのは、自然なことではあるでしょう。

しかしこの『大奥』もそうですが、なぜ大河でもないのにこのコラムでPRまがいのことをやるのか、ならば『大奥』プロパーのコラムでも作って、そちらで書いてほしいところです。そしてこういう他作品をやたら引き合いに出して5ページを使うのなら、大河メインだけにして2ページか3ページでいいのではないでしょうか。
それでも『いだてん』までは2ページだったのですけどね。あれで十分だと思います。

そしてその後、また例によって『どうする家康』への誹謗中傷とも取れかねない悪口(と言っていいでしょう)だらけ。
さらに今週も「兵法」とかで漢語の解説があるので、この箇所だけ置いておきます。

調虎離山
兵法の時間です。
今日は「調虎離山」。 兵法三十六計の第十五計にあたります。
敵を本拠地から誘い出し、味方に有利な地形で戦うこと。『パリピ孔明』でも出てきました。

この意味ですが、
「敵を有利な本拠地から追い出し、自分たちに取って有利な態勢で戦う」
ことだと思います。

『葵 徳川三代』で野戦が得意な家康が、三成率いる西軍を大垣城から関ケ原におびき出すべく、家康が佐和山城を攻めようとしているという、嘘の噂を広めさせるところがありましたね。あれもこの調虎離山と言えるでしょうか。

あとまた松本さん関連の記事のリンクばかり貼られていますが、ここでは割愛します。
一応これだけ置いておきます。武者さん的には面白くないようで、

◆松本潤初の展覧会で岡田准一コラボ「今回の展示のためにカメラマンとして」大河ドラマ共演(→link)
特定の芸能事務所による大河ジャックは公共放送としていかがなものなのか。

タイトルにもあるように、松本さんの展覧会であって大河ジャックではありません。
そして岡田さんは近々独立予定のようです。

その後また例によってメールフォームのリンクがあります。
いよいよ終盤にかかる大河に、激励メールを送ってみるといいかも知れません。
(2023年11月12日一部加筆修正)


飲み物-テーブルのホットワイン
[ 2023/11/11 21:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第42回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第42回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。その2は1つ下↓になります。

いきなり「だから千代は何歳ですか?」とあって、

初登場時は家康を坊や扱いしていたでしょう。
もう70近くともおかしくないってば!
本当に、このドラマは美少女戦士もどきが戦う&死ぬ様を描きたくて仕方ないんですね。

それこの間も書いていましたよね?
で私は基本的に年齢不詳で、三河一向一揆時点で20代前半から半ばくらいと設定すると、50代くらいかと思います。

今週は稲だけでなく千代。
可愛い女の子が武装してムフフ♪ 
そういうことは戦国武将を美少女にしたR18ゲームでよいのではありませんか?
それにしても、千代はしみじみとしょーもなかった……。

また武者さんの妄想タイム、そう言いたくなりますね。
そして「可愛い女の子が武装してムフフ♪ 」こういう表現をすること自体、昭和平成のおじさん臭いのですが、武者さんの中の人てどんな人なのでしょう。一応、言葉遣いは女性ですが。

「私もようやく死場所を得た」って、そんなイキイキハキハキ語って口角上げて笑って、なんなのでしょう。
デパートの店員じゃないんだから。死を覚悟した場面なのに、どの角度で口角をあげるかしか考えていないように見えます。元忠がちゃんと演じているだけに、無惨さが目立ちます。

口角が上がっているのは、千代を演じる古川琴音さんの口角が元々上がっているからではないですか。
そしてこの時は、夫である元忠に礼を述べているわけですよね。
そういう時であれば、顔を上げて少しでもにこやかに話そうとしてもおかしくないでしょう。

そして
「口角上げて笑って…デパートの店員じゃないんだから」
以前ファーストフードと書いていませんでしたっけ。今度はデパートですか。
それと前回「昭和のDV男」などと叩いていた鳥居元忠を、今度は千代を下げるために持ち上げているのですか?

結局、千代は、本作のくだらなさを煮詰めたかのような人物像でした。
武田が滅んで、穴山梅雪も討たれたのにノコノコ生き延びて、敵に拾われて、やっとここで恋愛脳ごと散る。
大河に出てくる架空女性人物でワースト候補だと思います。

「敵に拾われて」ではなく、家康が探させていて、元忠が匿っているのがわかったわけですね。千代は、甲斐の教来石のはずれにいたことになっています。しかし家康に千代を引き渡せば、また忍びの仕事をさせられるか処断されるかだと考えて、元忠がそのまま家に住まわせていたことになり、これがもとで、千代は真田の忍びであると言う忠勝と衝突します。

しかし元忠は殿の命であっても従えないこともあると言い、その時既に正室がいなかったこともあって、千代と再婚します。無論これに至るまでには、千代の戸惑いや家康の言葉、於愛の助言などもあるのですが、それがどうも武者さんの目には「くだらなさ」と映るようです。

忍者役のはずなのに、殺陣がどうしようもない。甲冑を着た相手に、小刀で切り付けて何がしたいのか。
撃たれて倒れる演技も、どんな指導をされたのでしょう。撃たれてからも眼力が強いまま、ダーリンの足を引っ張るようにしがみついている。
どう映れば可愛く見えるか? いちいちインスタ映えを狙っているような雰囲気でした。

また「どうしようもない」
どういう風にどうしようもないのか、何も書かれず。
「私がどうしようもないと思ったから、どうしようもないのよ!」と言いたげな感じですね。それにこの時点では忍びではなく、「忍び経験がある」元忠の妻ですけどね。

そして甲冑を着た相手に対する殺陣ですが、元忠も千代も、相手の顔面や頸動脈を狙っています。こういうのも、25分辺りを観ればわかることです。そして武者さん、本能寺の変の信長の殺陣も、同じようなことを書いていましたが、あの時の信長も、相手の甲冑を着けていない部分を狙っていましたね。

またアクション指導は諸鍜治裕太氏、そして武術指導は松本真治氏で、どちらもかなりベテランです。松本氏は『真田丸』にも出演していますね。それと眼力が強いのは、これも古川さんは元々ではないでしょうか。
あと「ダーリンの足を引っ張るようにしがみついている」
足を引っ張るのではなく、肩にしがみついているように見えますが? 

このドラマは筆をもつ手元を映すべきではないでしょう。
三成はまともでしたが、多くはペンみたいな持ち方しかできていない。
「家康ちゃんが頑張って書状を書いてるんだい!」と、言われたところで、祐筆はいないのか疑問ですし、あのお粗末な筆の持ち方では何もかも台無しです。
『大奥』の前田公輝さんや玉置玲央さんと比較すると、その落差は歴然でしょう。
大河主演でありながら筆の持ち方すら指導されていないのは、さすがに驚きます。

ここのところですが、先日その1でご紹介したJapaaanの記事そっくりなのですが、偶然の一致でしょうか。
第一祐筆任せじゃ間に合わないから、家康自ら筆を執って書状をしたためているわけでしょう。
そして筆の持ち方、家康と三成のを貼っておきますね。

どうする家康筆 どうする家康石田三成筆
(『どうする家康』録画映像より)

どちらも単鉤法(人差し指だけを筆にかける持ち方)のように見えます。この筆の持ち方に関しては、taketak39460607さんのnoteでも以前解説がありましたが、単鉤法と双鉤法(人差し指と中指を筆にかける持ち方)があります。ご参考までに。

書道の姿勢と道具|Kids Web Japan

あと書道指導は書家の金敷駸房氏ですね。大河の書道指導でもあります。
武者さんが好きな『真田丸』、『おんな城主 直虎』、『麒麟がくる』しかりです。

書状を左から右へ読んでいるように目線を動かしている場面もありました。

それどこのシーンですか?
この回で家康が書状に目を通すのは阿茶局の手紙を読む時ですが、そうなってはいませんよ。

現代劇でのカッコつけ方しか学んでいないのでしょうか……と、いったことを書くと「所作指導はクレジットされています」という反論もあります。でも、実際そう見えなければ意味がないじゃないですか。

「実際そう見えなければ意味がないじゃないですか」
ここまで言いますかね。
まるで武者さんが言うこと、見ることはすべて正しいかのようです。

何度も言うようですが、所作に疑問があるのなら、指導の花柳寿楽氏に言ってみてはどうですか。
ちなみにこの方も『麒麟がくる』の所作を担当していますし、島井宗室役で出演もしています。

さらに「今年はありえないほど酷い所作が本当に多い」
私に言わせれば「今年はあり得ないほど酷い出演者叩きが本当に多い」となりますが。

そしてまた文春砲がどうのこうの。
板垣李光人さんの
「(松本さんは)役の解釈やキャラクターのつけ方だけではなく、ちゃんと見え方までこだわった上で芝居をされるんですね」
というコメントに
「アイドルコンサートの延長で大河ドラマを演出できるはずがない」だそうです。随分上から目線だなと思います。

板垣さんはこれに続けて
「ステージングを考えながら芝居をされるんです。それはやっぱりこれまでたくさんのステージを経験されて、演出もされてきた松本さんだからできること」
とコメントしていて、ステージの経験を活かしたうえで、演技をしていることを話していると思うのですが。

その他にも山田裕貴さんが松本さんを褒めた記事のリンクを貼って、
「今年は、共演者が主演を褒める、ぬるま湯の持ち上げ記事がやたらと多い」
とありますが、共演者が主演を褒める、あるいは労わるというのは、毎年のことだと思いますが。

恐らく今年の大河で主演が褒められることは、武者さんに取っては腹立たしいことなのでしょう。
その結果文春絶対の姿勢になっているし、
「文春砲の疑惑が払拭されない限り、「演出に余計な口出しする主演俳優」疑惑は晴れません」などと書いてもいます。
しかし特定のメディアを絶対視する人が、作品中の人物の発想とそれに共感する人々を「マザーセナ」だの、カルトだの言うのも如何なものかと思います。

鳥居元忠に伏見城の守備を命じ、何かあったら死守せよ、と言っておいて、いざ死んだらギャーギャー大騒ぎ。
ドラマでの「御涙頂戴」要素として元忠を殺したようにしか思えません。
伏見城を防衛する戦略的な説明なんて一切ない。
地理関係の解説も出てこない。家康は涙ひとつこぼさず、
カッコつけたセリフをいうだけ。

「いざ死んだらギャーギャー大騒ぎ」そんなシーン、ありませんけど?
この時書状を書いていた家康は、守綱から報告を受けてわかったと言い、敵を討とうと言う守綱を落ち着けと諭していますし、その守綱は忠勝からは、今は誰がどちらにつくのかを見極める時と注意されてもいます。

「伏見城を防衛する戦略的な説明」
鳥居元忠が主人公であれば、それもありでしょう。しかし主人公は家康であり、伏見城を落として東へ向かおうとする三成と、家康が衝突するのがいわば見せ場です。ただ元忠は秀吉が作った堅牢な城であることを前回口にしていますし、その中で松の丸の守りが弱いことを、左近が指摘してはいますね。
それと地理関係の解説ですが、19分ごろに右下の方に地図が出ていますよ。

なんだか喜怒哀楽の感覚が歪んでいませんか?
マザーセナの死以来、「哀」すら消えています。
かえって偽善っぷりが浮き彫りにされて、人間のいやらしさだけを煮詰めたように感じます。
そんなしょうもないドラマを補うためか、悪目立ちするピアノがどうにも不快です。あの旋律はいったい何なんですかね。

悲しいけれど、今は悲しむこともできないわけですね。それは偽善とは違いますね。
それとピアノは「悪目立ち」しますか?
要は武者さんの癇に障るのでしょうから、字幕だけで観てはどうですか。

小早川秀秋は優柔不断ということでもなく、布陣からして東軍につく意図は最初からあったとも指摘されますよね。
この辺の描写はBBC『ウォリアーズ』が秀逸でした。
(中略)
あの作品での「秀秋の裏切り」は伏見を攻めたこと。
ずっと東軍についていたはずが、偽装のためにか、伏見を攻めたことがスリリングな要素としてありました。
千代の臭い芝居を描いている場合じゃないんです。

すみません、私観ていないのでその辺りのことは知りません。
そしてなぜ他の作品をやたらとPRしてこの大河を下げるのか、それもちょっとわかりません。
今までの戦国というか、関ケ原を描いた大河でも、小早川秀秋の調略は描かれていましたね。
そしてそこまで言うのなら、秀秋がなぜ西軍についたのか、東軍につく意図は最初からあったのかどうか、もととなる史料を出して説明されてはどうでしょうか。
いずれにしてもこの大河でそれを描けば、またそれはそれで武者さんは何か言いそうな気がしますが。

そして「だから黒田は何なんだよ」なる見出しで、

「福島と黒田が一緒に戦うよ!」って、
だから、彼らは何者なの?
NHKの日曜20時に流すドラマとして、その説明はカットしても皆がわかっているのが当然なんでしょうか。
本当に視聴者の知識に頼りすぎな作品です。

何なんだよとは何でしょうね。
何とも伝法な言葉遣いだなと思いますね。

朝鮮から帰って来た時の黒田長政と加藤清正の、三成に対する態度
三成が籠った伏見城に福島、黒田、加藤をはじめとする七将が押し掛けたこと
小山評定での2人の姿勢

これらをすべて見て、彼らが、一体どのようなスタンスでいるのかわかりませんか。
ならばどの大河の登場人物も、それぞれの経歴から始めなければならなくなりますね。

登場人物については、公式サイトやSNSで発表されています。
豊臣恩顧の一部の人物、黒田さん藤堂さん辺りは、今現在画像付きでなくクリックできませんが、関ケ原後に更新でしょうか。それとキャスト発表はこちらにもありますけどね。(一応豊臣勢です)

そしてまたこの記事を出して来ています。

繰り返しますが、以下の記事、ドラマの紹介文なんかでは
◆『どうする家康』ファン感謝祭が開催決定 松本潤、松山ケンイチ、杉野遥亮ら登場(→link)
未だに「黒田官兵衛」の文字があるんですよ。
今作が初大河となる松本は、誰もが知る偉人・徳川家康を演じる。国を失い、父を亡くし、母と離れ、心に傷を抱えた孤独な少年・竹千代は、今川家の人質として、ひっそりと生涯を終えると思っていた。しかし、三河(みかわ)武士の熱意に動かされ、弱小国の主(あるじ)として生きる運命を受け入れ、織田信長、武田信玄という化け物が割拠する乱世に飛び込む。そして豊臣秀吉、黒田官兵衛、真田昌幸、石田三成と次々と現れる強者(つわもの)たちと対峙し、死ぬか生きるか大ピンチをいくつも乗り越えていく。

何だかしつこいなと思いますけどね。
既に放送が終わっているのならともかく、どのような形で登場するのかまだわからないでしょう。こういうのは最終回まで観て、登場しなかった時点で初めて言って貰えないでしょうか。

この手の記事は、NHKから画像とテキストのソースが渡されて、作成されるのが普通です。修正された方が……と、思ったのですが、配信元のニュースは、他のメディアへも流されていますので(その検索結果はこちら→link)、今さら対応できないのかもしれません。

この感謝祭に関して言えば、出演者の画像はちゃんと配信されています。それと配信元のニュースですが、今後登場するかも知れないのに、修正を云々する必要もないでしょう。繰り返すようですが、いつどのような形で出て来るのか、まだわかりませんので。

まさかとは思いますが、小栗さんてひょっとして官兵衛の役でしょうか。ただ最終回登場ですからね。大坂の陣は、既に黒田長政の時代ですし。

飲み物-コニャック
[ 2023/11/10 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
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aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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