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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第36回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第36回の『武将ジャパン』大河コラム関連その3です。

薄いペールカラーだらけの女性の衣装が本当にひどい。
ここまで魅力を感じない和装をよく作れるなと思います。
稲世代はビビッドな色合いにしたようですが、安っぽい色でセンスがない。
加齢と共に彩度や明度を落とすとか、そういう気遣いもありません。

武者さんペールカラーと言ったりパステルカラーと言ってみたりしていますが、淡色という言葉使いませんか?そして衣装が淡色というのは、何も今回に限ったことではありません。
こちら『真田丸』の画像ですが

真田丸三人

向かって右のきり以外は、女性は淡色の小袖を着ています。
『おんな城主 直虎』の瀬名(向かって右)しかりです。

おんな城主直虎幽閉の瀬名と次郎
(いずれも各作品公式サイトより)

それと
「加齢と共に彩度や明度を落とすとか、そういう気遣いもありません」
とありますが、この回で「加齢」を強調しなければならないほどの、年配の女性が出て来たでしょうか。

今回のサブタイトルにもなっている愛の日記の“質感”に違和感があります。
厚い紙を束ね、現代人が想像しそうな日記の和紙バージョンと言いましょうか。
ああいう紙は、当時はまだかなり高級だし、綴じ方にも疑念が募ります。

紙は中世は紙座がありましたが、その後特権が失われて行きました。この時代だと徳川家御用達の商人もいたかも知れません。紙は恐らく、美濃和紙か越前和紙ではないかと思われます。
そして綴じ方に武者さんは疑念が募るようですが、あれは四つ目綴じで、和綴じの中でも最もポピュラーなものではないでしょうか。

そして
「本の持ち方も、現代人なんですよね」
本でなくて日記でしょうね。そしてああいう持ち方が現代人と言うのであれば、どのような持ち方があの時代的なのか、明記して貰えないでしょうか。他の戦国大河でも、ああいう持ち方は出て来るのですが。

日記を読み返しながら「ハァハァ」……って、こんなわざとらしい「ハァハァ」はホラーギャグ漫画『彼岸島』を彷彿とさせます。
思えば、わざとらしい胸の押さえ方も酷かったなぁ。

実際胸痛がある時は、息切れがあるとか心拍数が速いといった症状を伴うようです。特に循環器系疾患によくみられる症状ですが、それ以外にも、様々な疾患の自覚症状という例が多いです。
済生会のサイトにあるので、URLだけ置いておきます。

胸痛|済生会
https://www.saiseikai.or.jp/medical/symptom/chestpain/

どうでもいいカルト巫女とレーシックお愛で話を引っ張り、言いたいことは「愛があれば幸せだ」ってか?
ほんと、くだらない。
結局、本作は恋バナとか好き嫌いの話ばかりですよね。
そういうのはマクドナルドで夕食を食べる家族のコマーシャルならば、美談でしょう。

「愛があれば幸せだ」などとは言っていませんけどね。
千代も於愛も、ここに至るまでの道のりは平坦なものではなかったわけですし、於愛はまた千代の処遇について苦慮しているわけですが、それがなぜ恋バナとか好き嫌いになるのでしょうね。ましてやマクドナルドと何か関係がありますか?

さらにこれは大河ドラマなのに勘違いしているとか、現実逃避とか、スタッフは歴史にも社会にも倫理にも興味がなく、恋バナぐらいしかアイデアが湧いてこないから、そのあたりをネチネチと描くとか。
別に勘違いも現実逃避もしていません(側室やかつての忍びの女の生き様が描かれている)ね。またスタッフが歴史にも社会にも倫理にも興味がないなどとありますが、先日も書いたように、馬場信春まで出しておきながら教来石に言及しない武者さんの方が、歴史に興味がないと思われても仕方ないでしょう。

と言うか武者さん、このシーンきちんと観ていないのではないか、どうもそう考えてしまいたくなりますね。それぞれの筋、きちんと追えていないようですし、これは大雑把に見れば恋バナだからそうしておこうと、そのように考えたようにも見えます。

そしてどうも苦笑したくなるのですが、「なんなんだよ真田の忍」なる小見出しで以下のようなパラグラフがあります。

急に「真田の忍」が連呼されています。
そんなに「真田の忍です!」とわかる誰かがウロウロしているもんですか?
コンピュータウイルスか何かと勘違いしていません?
このドラマはもう手遅れですが、隠密ってそこにいるかどうかもわからないから隠密なんでしょうよ。
なぜ、こんな低レベルすぎるセキュリティ意識なのでしょう。

やはりここ、ちゃんと観ていないのでしょうね。
ここで真田の忍び呼ばわりされているのは千代のことですよ。それを強調しているのが本多忠勝で、だから真田に娘はやれないと息巻いているわけですよね、本当は別に理由があるようですが、ともかくそのように主張しているわけです。

この家康はいつまでたっても薬研の使い方がおかしい。なぜなのか。

おかしいおかしいと言いながら、どこがおかしいのかを指摘していませんね。
第31回でもそうでした。ここで武者さんは

「思い出したように家康の薬作りが出てきました。
趣味というわりに薬研の使い方も雑。説得力がまるでありません」
と書いており、私はそれに対して

「尚この薬研を使った動画をいくつか見ましたが、特にあの使い方は間違っていないと思います」
と書いています。youtubeで「薬研 使い方」とか「薬研 漢方薬」などで検索すればヒットするはずです。
 
あと『軍師官兵衛』の家康も、ああいう薬研の使い方をしています。

そして於愛が亡くなったとナレで説明されていることに対し
「フラグを立てまくって、最期を飛ばすんですか」
別に病死と断定されたわけじゃないから、フラグとは言えないでしょう。実際の彼女の死には複数の説があり、何かトラブルに巻き込まれた、あるいは殺されたとなっています。

そして小田原攻め。

「なぜ秀吉が北条へプレッシャーをかけているのか?」
そう問うたら
「まったくわからん!」
と『真田丸』の真田昌幸に即レスされそうです。
とにかく北条に関する説明が不足していて、口ポカーンとなっている視聴者も多そうです。

一言で言えば、臣従しないからですね。
OP後のシーンを観ていたら、家康が関東を攻めよと言われていたり、おふうが榊原康政と共に夫北条氏直を説得したり、しかし北条氏政は渋っていたりしているわけで、これは秀吉の上洛要請に応じようとしていないなというのが、見て取れるのではないかと思うのですが。

そして「どうするビッグモーター秀長の説明セリフ」なる小見出しで、

豊臣秀長は、なぜ兄のことを家康にペラペラしゃべるのか。
そんなに悪い兄とわかっていていろいろ勧めているのか。あの中古車販売業社員が街路樹に除草剤を撒いていたような気分なんですかね。

これも3行で1パラグラフ。しかもまた「ビッグモーター」呼ばわりで、佐藤さんは解約しているのに、秀長の態度をあの会社の不祥事になぞらえるというのは、正直言ってちょっとたちが悪くないですか。
無論秀吉のことを話すのは、今は家康と寧々くらいしか、秀吉に直言できないからですね。

秀吉がこれみよがしに弓の練習をするのがちょっと理解できません。
「弓馬の道」という言葉通り、武士にとって弓は確かに特別です。
しかし戦術革命もあり『鎌倉殿の13人』の頃と比べてその重要性は下がっています。
秀吉の年代と身分で、こうも強い弓を射るのも、しっくりこないんですよね。
そもそも、あんまりちゃんと弓術を指導していないように思える。『鎌倉殿の13人』ほどハッキリと手元を見せていない。

これに関しては、このサイトを置いておきます。

公益財団法人 全日本弓道連盟
https://www.kyudo.jp/howto/history.html

このサイトにはこのように書かれています。

「織田と豊臣の16世紀、鉄砲の伝来により戦闘具としての弓の時代は終焉。弓術の目的は心身鍛練となることで、技法が次第に精妙になっていきます。
その一つが通し矢。起源は12世紀平安時代末期の保元の乱の頃で、16世紀末安土桃山時代に盛んになりました」

この通し矢は、三十三間堂が特に有名ですね。
そして秀吉はこの中では、弓や槍などの武術があまりうまくないという設定になっているようです。だからわざと「下手に行う」指導がなされているのでしょう。

そしてムロツヨシさんが民放ドラマに出演するという記事で、
「大河ドラマで三英傑級を演じるとなれば、さまざまな鍛錬のため他のスケジュールは空けることが慣習でした。
それが今年はそうでもないようですね」
「今年の秀吉は時代劇の所作一つとっても、いちいちおかしいように感じます。役に入り込めないうえに、鍛錬の時間も作っていないのでしょうか」
などと書かれていますが、1つ前にも書いているように、秀吉は武術はあまりうまくなく、その代わり謀略に長け、しかも際限ない野望を抱いているという設定である以上、鍛錬とか所作よりは寧ろ、ムロさん自身の欲にまみれた演技の方が求められているのではないでしょうか。
寧ろ武術は岡田准一さん、松本潤さんの方が時間を割いていると言えるかもしれません。

そして茶々が醜いとか、史上最低の浅井三姉妹などと、登場人物どころか出演者を貶めるようなことがまた書かれています。

遊び半分で火縄銃を使う茶々。
だから火災対策はどうしたんですか?
銃の構え方もおかしい……って、秀吉の側室がそんな真面目に構えてもおかしいですかね。

火災対策と言われても、弾を弓矢の的に当てただけです。建物を燃やしたりするのではありませんが。
そしてあのシーンは、伯父信長が文字通り、矢継ぎ早に的に矢を当てていたのと何やらダブるものがありますね。

お市との差異を出すため、べっとりとした厚化粧もとにかく悪趣味に見えます。

秀吉のセリフ、
「おなごがきれ~いなべべ着ておしろい塗って、あめえもん食って笑っとる」
を踏まえていますね。ここでは「あめえもん食って」ではなく「鉄砲撃って」でしょうか。

この茶々も「私が総大将じゃ!」とか大坂城でカッコつけるのでしょうか。もしかしたら母と同じく、信長譲りの南蛮甲冑でも着るかもしれません。燃え盛る北ノ庄から甲冑をなんとか持ち出したんでしょうね。

まだ放送されてもいないシーンをあれこれ詮索しなくていいのでは?
第一武者さん、大坂の陣はナレで終わるなどとも以前書いていたようですが、ここに来て急に具体的なことを考え始めるということは、何だかんだ言って、北川さんの茶々に期待しているということでしょうか。


飲み物-ウィルトシャービール

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[ 2023/09/29 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第35回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第35回の『武将ジャパン』大河コラムその2です。


本作はきちんとキャラクターを描いてこなかった。
こんな終盤にもなって、秀吉が徳川家臣団のメンバーを説明セリフで語るって異常ですよ。
歴史に興味がないという脚本家だけに、自身も忘れていて、コピペでもしているのでは?と思わせるほどです。

まず何を言っているか不明です。「秀吉が徳川家臣団のメンバーを説明セリフで語る」て、具体的にどのシーンのことでしょうか。そしてそれが「歴史に興味がない」と何か関係あるのでしょうか。取りあえず、何かネガティブなことを書こうとして、適当なことを書いているようにしか見えないのですが…。
そしてこれも3行で1パラグラフ。こういうのも実に適当だなと思ってしまいます。

それと『どうする家康』の場合、「終盤」は、関ケ原が終わってから後ではないでしょうか。後半の核になる部分に入って来てはいますが、まだ江戸の町を作る段階でもありませんし。

秀吉とねねの衣装コンセプトはなんとなくわかった。
質素な三河武士(どいつもこいつもアイスクリームフレーバーですが)とは異なり、ともかくド派手にしたいのでしょう。
しかし、だからといって夫婦揃って同じコンセプトのペアルック状態とは何事でしょう。
林家ペー&パー子じゃないんだから。
◆林家ペー&パー子オフィシャルサイト(→link)

どうする家康第35回秀吉と寧々2

ペアルックてこれですか?(『どうする家康』公式サイトより)
同じには見えませんけどね。関白殿下の方がどちらかといえば派手目でしょうか。
2人とも贅を尽くした着物を着ているなとは思います。大政所しかりです。

そしてペー師匠とパー子さんはあれがひとつの芸風ではありますが、この関白夫妻はそれとは違いますね。

それから、松本潤さんの家康がよほど気に入らないようで。

冒頭で、本作は演技過剰だと指摘しましたが、主演の家康も際立っています。
いちいち「俺、かっこいいです! この角度を見て! この口の歪め方どうよ?」といわんばかりの表情。イントネーションをつけすぎた台詞回し。
一体なんなんでしょう。
彼は顔の作り方が幼い。演技をするどころではなく、セリフを覚えるだけで精一杯だと伝わってくるのですが。
大河の主演に演技力を求めることは高望みなのでしょうか。
話題性と事務所の力だけに頼ってよいものでしょうか。

「一体なんなんでしょう」「頼ってよいものでしょうか」
例によって如何にも問題提起していますといった口ぶり(武者語録と言うべきでしょうか)ですが、要は自分が気に入らないから、やたらに問題視したいのだろうなと思ってしまいます。

そして
「彼は顔の作り方が幼い」
「演技をするどころではなく、セリフを覚えるだけで精一杯だと伝わってくるのですが」
「大河の主演に演技力を求めることは高望みなのでしょうか」
俳優さんの外見を云々し(ちなみに作り方ではなく『作り』かと)
「セリフを覚えるだけで精一杯」「演技力を求めることは高望みなのでしょうか」
と、特におかしな演技をしているわけでもない相手に、自分が嫌いだというだけで誹謗中傷のしまくり。問題だなと思います。

これじゃ、武者さん自身に対して「一体なんなんでしょう」と言いたくなってしまいますよ。

しかしなぜこんな文章を書かせますかね。まず分別というものが感じられないし、そしてもちろん出演者への敬意もまるで感じられません。

あと事務所関連で思い出しましたが、経団連の十倉会長が、ジャニーズのタレントの活躍の場を奪うのは如何なものかとコメントしたようですね。

『麒麟がくる』のキャストとスタッフで、本能寺の後を見たかった――ふとそう思ったら、心から切なくなりました。
あの作品は、本能寺で終わるように作られている。
その先は蛇足になる。
だから、そういうことは考えたくないのに、どうしても考えてしまう。

だったら『麒麟がくる』だけ観て、その思い出にどっぷりつかっていた方がいいのではありませんか。これを書くのは何度目だろうかと思いますね。逆に私、武者さんに『どうする家康』もう観てほしくないのですけど。

第一本能寺後はもう光秀はいないことになっているのだから、その後は作れないでしょう。主人公の最後の見せ場である山崎の戦いは結局描いていないわけですし。ならばあそこで終わるしかなかったわけですが、一体何を言いたいのですか。

仲と井伊直政の絡みは、序盤だけで終わらず、しつこく繰り返される。
不愉快でしかありません。
このドラマはLGBTQを雑に出したり、たまに意識高いセリフをいうくせに、こういう「ババアはイケメンが好きw」みたいなミソジニーを堂々と垂れ流す。
趣味は差別、特技は逆張りみたいなドラマです。

武者さんのルッキズムとミソジニーの方が、よほどしつこく感じられるのですが。
どこをどうすれば
「ババアはイケメンが好きw」
なんて出て来ますかね。こういうことを勝手に想像する武者さんの人間性が問われるような気がします。

そしてなぜこれが差別になるのでしょうか。
あらすじと感想でも書きましたが、仲は愛すべき息子であったであろう秀吉が、最早得体の知れない存在になってしまい、その代わりを直政に求めていたように思われます。
「不愉快に思われる」なら余計に観ない方がいいのに、なぜか毎週観ては5ページもある文章をアップしていますね。

稲のだらしなく舐め腐った態度は、一体なんなのか。脚本家の趣味でしょうか?
このドラマから感じることは、武家の誇りがあるような女性のことを「ダサいしうぜえw」と捉えているということです。
武士の誇りがある明治生まれの女性というのは、昭和の時代はいました。アジア・太平洋戦争の敗北まで、日本人は武士の精神が掲げられていましたからね。
本作脚本家の世代は、祖母世代にそういう女性がいたはずです。

嫌いな人物が出てきたらなんでも「脚本家の趣味」。
出演者のみならず、脚本家もすべて否定しまくっていますね。
そして急に出て来た「武家の誇りがあるような女性」(『ような』が不可解、武家の誇りがある女性でいいでしょう)とは何ですか。

さらに、唐突に明治生まれの女性が出て来たと思ったら、これも脚本家叩きですか。ならばリアルに武士が存在した時代は、武士も武家の女性も皆それ以上に、誇りも覚悟もあったと思いますよ。あるいは今でも、そういう考えを受け継いでいる人はいないとは言えないでしょう。

しかしここの部分、何だか、書き方がもたついているように見えますね。

「脚本家の祖母世代には、明治生まれで武家の気質を受け継いだ女性もまだいて、周囲にそういう人がいたかも知れないのに、稲の描写を見る限り、武家の女性を貶めて描いているように見える。武家育ちである稲は、もう少し気高くあったのではないか」

こうとでも書いておけばいいのでは。

それなのになぜ、彼女たちをコケにするようなスタンスになってしまうのか。
「そんなクソババアみてえな女いらねえしw せっかくのかわいこちゃんはギャルにしちゃえwww」とでも言いたげ。
しょうもない逆張りしかできないんですかね。

しょうもない逆張り、ですか。
では武者さん、貴方は瀬名と於愛、2人とも武家の女性ですが、彼女たちを何と呼んだでしょうか?
瀬名はカルト教団のマザー、於愛は近眼設定は嘘でちゃんと見えているからレーシック於愛。そう呼んで蔑んでいませんでしたっけ。
そういう人に「武家の誇りがあるような女性」を云々されてもなあ、と思います。

秀吉のお膝元にやってきて、周囲には誰がいるかもわからない。
そんな緊迫感に包まれたはずの敷地内で、廊下でダラダラ話す徳川家臣団。
直後に、石田三成に出会うから、くだらなさここに極まれり、というところです。
彼らはどんなセキュリティ意識を持っているのか。
三成との出会いにせよ、偶然に頼らないと展開できないのでしょうか。

緊迫感に包まれたのは秀長の屋敷に着いた時、その後一連の儀式も終わって、すっかり打ち解けたのがこのシーンです。
そしてこういうシーンで偶然誰かに会うのが「くだらない」らしい。大河の出会いの半分ほどはこの偶然ではないでしょうか。八重が尚之助に出会うのも、直虎が龍雲丸に出会うのも、はたまた光秀が駒に出会うのもそうではありませんか。
そしてセキュリティ意識も何も、同じ屋敷の中にいるわけだし、しかも三成は賊でも何でもないのですが。
ならば武者さんは、どのような出会いをお望みだったのでしょうか。

石田三成はなぜ西洋の星座の話をするのでしょう。
もしかして脚本家は西洋占星術ぐらいしか知らないのでは?
朝のテレビ番組で流される星占いコーナーじゃないんだから。
「獅子座の今日の運勢は最悪! まさかと思っていたことが現実に……」

三成が話しているのは「星座」についてであり、「星占い」についてではありません。
武者さんがちゃんと観ていないなと思われる所以です。なのに繰り返しますが、5ページもある文章を毎週アップしていますね。但しその半分は、大河と特に関係ないものと言っていいのですが。

東洋にも星座はあります。北斗七星は誰でもご存知でしょう。
当時、星座といえば中国由来の星宿があり、それならば気にする武将もいると思います。本来の軍師には必須の教養でしょう。

やっぱり観ていないのでしょうか。家康が「厠と兎」の話をしていましたけど、どうせ家康のセリフだからと飛ばしましたか。
要は西洋のうさぎ座の一部が、中国では厠であることを意味しているのですけどね。そしてこの星座は、二十八宿の1つの参宿の一部と考えられており、このうちの4星が厠を表すとされていました。

衣装がチョコミン党員みたいな、見た瞬間にガッカリしたくなるミントグリーンときた。さっさと関ヶ原に散って欲しい石田三成を初めて見ました。

『麒麟がくる』の三渕さんの直垂のグリーンも、同じような色使いではなかったのでしょうか。

どうせ星を使うなら『北斗の拳』でもネタにすればいいのに。
ドラマ自体に「死兆星」が見えていますよ。
死兆星(しちょうせい)とは! アルコルのことである。北斗七星の横に寄り添うように光る四等星。死の運命を持つものの上に輝く不吉な星だ!

アルコルと言えば、視力検査に使われた星でもありますね。そして『怪盗ルパン』にも、文章のそれぞれの頭文字を取ってつなげるとこのアルコル(アルコア)になり、それが財宝の隠し場所を意味するというあらすじのがありました。
別に『北斗の拳』だけに出て来るわけではありません。

ようやく家具が増えたことは評価できるようで、時間がないことは伝わってきます。

日本語としておかしくないですか?
ようやく家具が増えて来たことは評価できますが、時間がないことが伝わってきます
とでも言いたいのですか。

大型プリンタで印刷して貼り付けるとか。
ポスターカラーで雑に描くとか。
そういう手抜きをしていませんか?

戦も一段落して、浜松城の城主ともなれば当然持ち物は増えるでしょう。
しかし大型プリンタだのポスターカラーだの、比喩が正直言って何だか安っぽいなと思います。そう言えば最近「ホームセンター」は鳴りを潜めたのでしょうか。

レーシックで完治したはずが、近目(近眼)が進んだそうです。
これまで何事も問題なく普通に見えていたのに、急にどうしたのでしょうか。
再手術となれば危険ですからご注意ください。
“家康の尻をぶっ叩きたい”だけのために近眼を言い訳にしてはいけませんよ。

これも何だか安っぽい印象があるのですね。
於愛は近眼設定じゃない、見えてるじゃないか、レーシックしたんだろうと無理やり感のある決めつけ。
おまけに
「再手術となれば危険ですからご注意ください」
余計なおせっかいです、私手術なんかしていないのにと言う於愛の声が聞こえてきそうです。
彼女は夫である家康も散々に言われて気の毒な話です。

レーシックお愛と家康の慈悲を施す態度がイヤだなぁ。
しかもここで団子に石を入れた老婆が出てくるのも意味わかりません。
殿様に嫌がらせしたなんて、黙っていればバレるわけがない。こっそり受け取って去ればいいだけですよね。
なぜ、わざわざ自己申告する?

「イヤなら観るな」
慈悲の心に触れて、かつての悪行をカミングアウトしようとしたのでしょうね。あのお婆さんも、心の中では後悔かつ反省していたのでしょう。

そんなバカげた行為をさせてまで、家康の器量が大きくなったとでも言いたいのですか。
このしょうもない場面で「伏線回収!」という提灯記事が出たらどうしましょ。もう脱力するしかありませんよ。

家康の器量は、間違いなく大きくなっていますし、彼らが噂したことは、実は本当であると言うこと自体成長しています。
別に伏線回収なら、それで構いません。脱力したいのなら、悪いけど勝手に脱力していてください。


飲み物-マグに注がれたビール
[ 2023/09/21 00:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』関ケ原そして大坂の陣関連キャスト発表

9月15日は関ケ原の戦い、その当日にドラマの終盤に活躍するキャストが出そろいました。

毛利輝元-吹越満
上杉景勝ー津田寛治
宇喜多秀家-栁俊太郎
小早川秀秋-嘉島陸
直江兼続-TAKAHIRO
片桐且元-川島潤哉
金地院崇伝-田山涼成
林羅山-哲夫(笑い飯)
本多正純-井上祐貴
江-マイコ
大野治長-玉山鉄二
(敬称略)

【第12弾】天下人への道を突き進む家康に、立ちはだかる厚き“壁” 後を継ぐ者たち
(NHK公式サイト)

吹越さん、『軍師官兵衛』の足利義昭と『おんな城主 直虎』の小野政直を思い出しますが、今回は西軍の総大将ですか。そして津田さん、今回は上杉景勝ですね。こちらは『西郷どん』の松平春嶽、そして『青天を衝け』の武田耕雲斎を思い出します。玉山さんは前に出演した戦国大河が『天地人』で、上杉景勝と御館の乱で対立する役でした。

川島潤哉さん、昨年は中原親能の役でしたね。そして田山涼成さんは『徳川慶喜』以来25年ぶりの大河出演です。と言うか、『きのう何食べた?』のシロさんのお父さんのイメージがどうも強いです。後ほど投稿しますが、あのシリーズ、10月から第2シーズンが放送予定です。

そして笑い飯の哲夫さん、『山河燃ゆ』以来の大河ウォッチャーのようです。今回は晴れてその大河に出演です。

今回発表されたキャストは会津攻め、関ケ原から江戸幕府の成立、さらに方広寺鐘銘事件、大坂の陣に至るまでの人々です。10月以降に登場となりそうです。

それにしても、8月発表のキャスト全員の扮装写真を、早く見たいのですが。

飲み物-カクテルとオイルランプ
[ 2023/09/16 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第34回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第34回の『武将ジャパン』大河コラムその3です。


まず於大の発言は支離滅裂ということで、

「おなごは駆け引きの道具ではない!」
とは、一体どうしたことでしょう。先週、男子だろうと人質に出していたばかりですし、於大自身の息子も人質に出されていた。
於大の息子ですから家康の弟でもあり、その救出劇にはやたらと時間をかけ、武田家を人質虐待も辞さないような描き方でした。

まず「男子だろうと人質に出していた」
於義伊のことなら、ちゃんとそれとわかるように書いてください。

旭の場合は夫がいたのに別れさせられ、その夫も行方知れずであることを聞かされています。輿入れで人質になる、あるいは子供のうちに人質に取るのとは事情が違います。そして家康の弟勝俊に関しては、勝俊自身が、勝頼の方がもっと手荒い仕打ちを受けていたと語っています。

また於義伊や勝俊以前に、家康自身が
「母上らしくない物言いですな。ご自身こそさんざんそのような目に…」
と言っており、それに対して於大が
「だからこそ、せめてないがしろにされる者を思いやれる心だけは失うなと申しておる」
と諭しているのですが。

そして「どうする偶然頼り」とかで、

於大の会話が終わった後、わざとらしく戸を全開にして号泣している旭を見かけるシーンはなんなんですかね。
「人質の話題を出したら“たまたま”秀長が旭を連れてくるタイミングとあった」
「旭のかわいそうな境遇を聞いたあと、“たまたま”号泣する旭を目撃した」
「家事をこなしていたら“たまたま”男たちが大事な話をしているところが見えた」
何度も申しますが、こんな偶然頼りが連発する展開を、作り手はおかしいと思わないのでしょうか。

偶然ではなく、旭の部屋は最初から廊下とを仕切る戸が開けられています。だから大久保忠世も様子を見に行けたのでしょう。

そして
「家事をこなしていたら“たまたま”男たちが大事な話をしているところが見えた」
て何ですか?この回にそんなシーンはありませんよ。
恐らく、於愛が仏像と押し花が入った箱を持ってくるシーンのことでしょうが、あの時は「家事をこなしている」のではなく、最初からそのことを話そうと思って、評定中と知りつつ足を踏み入れていますね。

昔、時代ものを読み始めたとき、章末や巻末についている注釈を噛み締めるように覚えていたことを思い出しました。
こんな言い回しもあるのか……と感動を覚えたものです。
その感動を大河ドラマにより取り戻せたのが『麒麟がくる』でした。あの作品はそもそもが「麒麟」の意味を解釈させることで思考を鍛えてくれる喜びがあった。
漢籍の引用はいつも的確で、学ぶ喜びを取り戻してくれたものです。

だったら何度も言っていますが、今年のはやめて『麒麟がくる』や『真田丸』などを観ていた方が、よほど精神面でもいいのではありませんか。しかも今年のをあまりちゃんと観ているようにも見えないのに、スタッフや出演者への中傷とも取れる文章を書き続ける理由は何ですか?

ひるがえって本作の語句の薄っぺらさはいかがなものでしょう。
「誰にも何も奪わせぬ!」
「戦なき世を作る!」
「マザーセナと信康に誓った!」
どうしてこうなりましたか。心だの、夢だの、何だか怪しげなセミナーみたいなことばかりネチネチ言い合ってなんなのか。

「誰にも何も奪わせぬ!」
「戦なき世を作る!」
が薄っぺらいですか?決心はしたけど、なかなか思い通りに行かなかっただけでしょう。
それから家康は
「マザーセナと信康に誓った!」
なんて言っていませんよね。

「何だか怪しげなセミナーみたいなことばかりネチネチ言い合ってなんなのか」
武者さんもいつまでも「マザーセナ」だ何だと、同じことばかりネチネチ言っているように見えますよ。

レーシックお愛が、数正フィギュアから押し花を取り出す場面もズッコケました。
押し花は築山に手を合わせていた証だってさ。
植物は『らんまん』小道具さんの技術を使ったほうが……とは思いますが、彼らはまともな朝ドラ制作に忙しくてそんな暇ありませんね。
それにしても、なぜここまでカルト臭を漂わせたいのか。
大河ドラマを見ているのに、カルト追及に定評のある鈴木エイト氏の著作を読み返したくなる。

好きな大河だったら、ここでほめそやすところでしょうね。
そして瀬名が築山を去る時、石川数正がいる。主君の妻がいた築山を思わせるものを持ち帰ったとて、何の不思議もないと思いますが、なぜそれがカルトになるのでしょうか。

そして武者さん、この大河は亡くなった人を弔わないなどと前に書いていましたが、この数正は瀬名をちゃんと弔っていますね。

しかも押し花から築山の香りってどういうことですか?
築山で咲く香の強い花ってどんな種類なのでしょう。
木犀の花を見ながら宴をしたとか?
梅ならわかる気がする。しかしこれはそうでもないし、なんなんだろう?
押し花ではなく、香木では駄目だったのですかね。

まずこの当時モクセイ(キンモクセイ)はまだ日本にありません。入って来たのは江戸時代です。
そして香木なども、ごく一部の人々に限られていたでしょう。家康が当時そこまでの権力者だったでしょうか。何か蘭奢待に囚われてやしないでしょうか。
この当時香りが強い花と言えば、クチナシまたは沈丁花であり、恐らく沈丁花ではないかという意見を目にしました。

当時は香道が嗜みとしてあり、貴婦人が自分の家に伝わるお香を焚いた。それを嗅ぐと「ああ、あの人の香りだわ」となる。そんな演出ではいけませんか?
『麒麟がくる』や『鎌倉殿の13人』では、香木がうまく使われていたんですけどね。
香りが残っているかどうかもわからない枯草を前に、思い思いに叫ぶ連中は完ッ全に教団員ですわ。

で、またここで叩き棒。懲りませんね。1つ前でも書いていますが、この当時家康はまだ権力者と言うより五か国を領有する大名であり、秀吉の臣下となるべきかどうか悩んでいる最中です。秀吉が香を焚くのであればまだ納得ですが。

ピロピロしたピアノも教団感をアップさせ、LEDウォールもなんか怪しげになっている。
で、「あほたわけー!」と絶叫。これはもう、教団の呪文ですよね。
全てが、カルト臭い。まったく、私の受信料は、お布施じゃないんですよ!
まさか吸ってはいけない系の植物ではないですよね?

そして
「香りが残っているかどうかもわからない枯草を前に、思い思いに叫ぶ連中は完ッ全に教団員ですわ」
「で、「あほたわけー!」と絶叫。これはもう、教団の呪文ですよね」
「まさか吸ってはいけない系の植物ではないですよね?」
スタッフのみならず、出演者にも非常に失礼なことを書いているという自覚はありますか?

無論、あそこで数正のせいじゃ、数正のあほたわけとなぜ口々に叫んだのか、その辺りの掘り下げも一切なし。武者さんらしいと言えば、それまでですが。

でその後も
「マザーセナカルト集会」
とかで、妄想とも取れる文章が延々と続きますので省略します。

あと

それにしても旭の泣き方が、法悦を味わうカルトじみているというか……。
こんな風に背中を丸めて「オオオオ」と泣くなんて、横光三国志の馬超くらいかと思っていましたよ。あの馬超は親を殺されたあとなのでまだしも、こちらは何なのか。

この時の旭の気持ちを理解していないようですね。
表面では明るく振舞っているけれど、相当複雑な思いを抱えていて、1人の時にこらえきれなくなったのでしょう。
まして母親までが来ることになってしまっていますし。

それと背中を丸めたり、床や地面に伏せるようにして泣くのは、他の大河でも見かけます。登場人物が嗚咽するような時に、そういう姿勢を取っていますね。

本作の家康は毎回嘘をついてばかりです。
自分のことばかり大事で、自分が納得してスッキリしたら上洛するってよ。
ただし「関白を操り浄土とする!」って、いやいや、なんですか、この負け惜しみは。
毎度毎度、その場しのぎのくだらない大嘘のせいで、どんどん家康がダメになっていく……。

家康がやりたいと思いつつもできずにいて、散々悩んでいるのを武者さんは観ていないようですね。
この当時40代と言えばそれなりに年配であり、やろうと思ったことを諦めなければならないこともあったはずで、関白に従いつつ、自分の思いをも託して行こうと思ったのではないでしょうか。

本多正信あたりが、もしもこんな風に言ったらどうしましょうか。
「朝鮮出兵は天下の愚策! されど、それにより豊臣の力は削がれまするぞ。あの兵力でコチラを潰しにきたら到底勝てませぬからなあ」
思えば、瀬名を救うためだけに領民を身代わりに殺そうとした家臣団ですからね。
民の命なんて石ころ程度ですし、ましてや海の向こうの命なんて気にしないでしょう。

「瀬名を救うためだけに領民を身代わりに殺そうとした家臣団」
て、あの佐鳴湖畔での身代わりのことですか?この人が本当に領民であると言えますか?と言うのも、乱取りなどで連れて行かれた人たちが、こういう目的で買われるケースもあったらしいので。
それを言うのなら『おんな城主 直虎』で、虎松の身代わりになった子供がいましたが、これも「石ころ程度」の命だったことになりますね。

それと唐入りがまだ描かれてもいないのに、勝手に想像しないてください。それよりもまず、直近で放送された分をちゃんと観て、そのことについて書いて貰えないでしょうか。
でまた所作の話。

秀吉が目をギラつかせて、いつも精一杯「サイコパスです! やばいです!」と演技しているのはわかりました。
しかし、時代ものの基本的な所作ができていないため、むしろカワイイと思えるほど。
たとえばラスト近くの書状を読む場面、ちまちまと広げていました。
時代劇ならば、書状をばさっ!と一振りして広げて読む所作が定番です。

なぜあれをちまちま広げていたのか。
まずあれは普通の書簡に使う半切紙ではなく、正式な書状に使う全紙のように見えます。だから一振りせず両手で開いたのではないでしょうか。
そして秀吉が期待を込めて、手紙を少しずつ読んで行って、半分ほど読んだところで「上洛」の文字を見つけ、嬉しそうに笑みを洩らす。そういう演出効果もまたあるでしょう。

筆は鉛筆持ちするわ、書状はちまちまと広げるわ、本当にどうしようもありません。

武者さん、この筆の持ち方ネタ、もう3度目ですよ。
しかも大河の中では、筆をちゃんと持っているのに、何でこうしつこく書きますかね。朝ドラで勝手にストーリーを作って繰り返しているのと同じです。
こちらが「本当にどうしようもありません」と言いたくなります。

本作から感じられるのは天下人の覚悟とか背負った業とか、敵対した者への慈悲や、領民たちへの慈しみなどではありません。
過去作品の描写に対して逆張りをかまし、冷めた目で冷笑ぶる。

「天下人の覚悟とか背負った業とか、敵対した者への慈悲や、領民たちへの慈しみ」
今までを見ても、その殆どが描かれていると思います。ただ天下人にまだなっていないので、それは今後と言ったところでしょう。
そして
「過去作品の描写に対して逆張りをかまし、冷めた目で冷笑ぶる」
でもないのですね、実は。

常にそんなシーンが目立ちますが、少しだけ例を挙げておきますと……。
・瀬名と不仲じゃないことにすれば面白い!→逆張り
・石川数正とハートフルな別れにすればおもしろい!→逆張り
・旭姫がわざと明るく嫁いできたら面白い!→逆張り
お子様の思いつきのような精神性と申しましょうか。
なんだかこちらの記事と妙にリンクしてしまいました。
◆「はい論破」と言う子への対応は 共感誘う対話の練習を(→link)
友達との会話中や授業中に「はい論破」「それってあなたの感想ですよね」などと言って、相手を言い負かそうとする子が増えているという。
物事の本質をつくとか、芯を探っていくような作業を怠り、表層的に相手を負かせようとする。そして目先の勝利で優越感に浸る。
子どもならまだしも、大人がそれでは絶望します。今回の展開は、大人の逆張り防止啓発教材に使えそう。

まず過去の逆張りに見えるのは、戦国時代の東海地方を描いた作品は多く、従ってドラマに使う史料も同じものになりがちだからです。もちろん新説も出て来ていますし、必ずしも同じ史料ばかりではないにせよ、やはりどこか似て来る。そして誰が主人公であるか、その主人公をどう描くかによって、過去の作品の同じ登場人物とは違った描かれ方になることがあり、それが見方によっては「逆張り」に見えてしまう。こういうところでしょうか。

そして
「「はい論破」「それってあなたの感想ですよね」などと言って、相手を言い負かそうとする子が増えているという」
「物事の本質をつくとか、芯を探っていくような作業を怠り、表層的に相手を負かせようとする。そして目先の勝利で優越感に浸る」
すごくブーメランに見えてしまうのですけど…。

まさしく逆張りとその尻拭いの回です。
あれだけ「マザーセナ以来の正室はいない」だのなんだの言いながら、秀吉の妹を正室にしたらヤバいなっ!
と、その帳尻合わせのために、怪しい草の臭いだのなんだの、わけのわからぬ薬物中毒じみた不気味な場面になったわけです。
もはやマザーセナは悪夢の発生源です。

どこからこういう発想が出て来るのかまるでわかりません。
武者さんはどのような観方をしているのでしょうか。

で、今度はデイリー新潮とか、ちょっとゴシップ系の記事ですが、

こんなニュースが目立つようになったのも、
◆「どうする家康」の史実乖離がヒドすぎる ワースト5を専門家が解説「家康夫婦は不仲だったのに…」「研究で否定されている見解ばかり」 (→link)
◆松本潤『どうする家康』、コア視聴率『VIVANT』の「3分の1以下」ボロボロ実態!!大河ファン“総スカン”の元凶は「有村架純の扱い」(→link)
◆ 【どうする家康】「やっと大河らしくなってきた」松重豊の重厚演技に視聴者納得「ギャグなくていい」「瀬名と信長いなければ当たり」(→link)

武者さんは最初の頃、好きの反対は無関心であると書き、記事そのものが少なくなったと指摘していました。しかしこういう記事がまだまだ存在するということは、どのような形であれ関心を持たれているとも取れます。

くだらない逆張りにエネルギーを使った結果でしょう。
演じた役者さんがあまりに気の毒です。

その役者さんの身体的特徴を叩いたり、演じ方を叩いたりしているのは、ほかならぬ武者さん自身です。

飲み物-ウィルトシャービール
[ 2023/09/08 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『軍師官兵衛』を観ていて気付いたこと

最近『おんな城主 直虎』のDVDレンタルができず、代わりと言っては何ですが『軍師官兵衛』を観ています。元々信長の小姓の万見仙千代登場回を観るつもりで、何度目かの視聴を始めたのですが、『どうする家康』の時代と重複しているせいもあってやはり親近感があります。無論、両方に出ている俳優さんもいます。

ではここで、『どうする家康』にも出演している俳優さんを挙げておきます(敬称略、出演予定含む)

      軍師官兵衛     どうする家康
岡田准一  黒田官兵衛     織田信長
飯田基祐  井手友氏      松平広忠
酒向芳   生駒親正      明智光秀
忍成修吾  小西行長      大谷吉継
阿部進之介 加藤清正      黒田長政

岡田さんは言うに及ばずですが、今年の明智光秀を演じた酒向芳さん、実はこの大河に出演しているのですね。

戦国大河に限って言えば、他にも柴田勝家を演じた近藤芳正さんが『真田丸』と『風林火山』に出演していたり、竹中半兵衛を演じた谷原章介さんが『風林火山』に出ていたり、井上九郎右衛門を演じた高橋一生さんが、やはり『風林火山』と『おんな城主 直虎』に出ていたりと、戦国大河に重複して出演している人は多いです。

何と言っても竹中直人さんが、『秀吉』とこれとで同じ秀吉役です。同じ役と言えば、『真田丸』と家康とで福島正則を演じる深水三章さんもしかりでしょう。

あと熊之助を演じた今井悠貴さんですが、この人は『西郷どん』で隆盛と愛加那の息子、菊次郎を演じています。この両者は
  • 影響力の大きな父を持ち
  • 糸という女性との接点があり
  • 戦に出ることなく亡くなる、または戦で大変な目に遭う
という共通点があります。

父親に限っては言うまでもありませんが、糸という女性、熊之助の場合は兄嫁(長政の妻)が糸で、この人が熊之介が家出同然に朝鮮半島まで行くのを見過ごし、後に息子を産むことができなかったこともあって、自分を責めるようになります。また菊次郎の場合は隆盛の妻、つまり母親が糸でした。ちなみに『西郷どん』で、菊次郎の実の母、愛加那を演じた二階堂ふみさんは、『軍師官兵衛』で茶々を演じています。
また熊之助は、朝鮮へ行く船が沈没して亡くなり、菊次郎は右脚を失います。またこの時菊次郎の叔父、隆盛の末弟である小兵衛が戦死しています。

ところで『どうする家康』、10日の放送はラグビーワールドカップの放送でお休みですが、次回予告は
「あらすじ、相関図、略年譜をご紹介します」
との由。
完結編の登場人物の扮装写真が、そろそろアップされるのかも知れません。

それから先日、この『軍師官兵衛』の「太閤の野望」を第41回としていましたが、第42回ですので訂正しています。


飲み物-アイスコーヒーブラック
[ 2023/09/07 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

第33回の『武将ジャパン』コラムそしてコメントに関するnote記事

今回もtaketak39460607さんのnote記事からいくつかご紹介します。尚今回から、私のこのコラム関連投稿でやっているように、武者さんの記述はダークブルーにしています。その方が、あるいはわかりやすいかと思われますので。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第33回~
https://note.com/taketak39460607/n/n94fd6d0d523b

まず佐藤隆太さんが演じる羽柴秀長の登場シーン関連。

なのになぜ、こうも胡散臭いのか。
秀長がキビキビと説明するたび、こう思ってしまいます。
「この爽やかな笑顔でビッグモーターを勧めて……」
あのテレビCMの件で佐藤さんをどうこう非難する気は皆無ですが、どうしたって頭から離すことはできない。

これに対してtaketak39460607さんは、
「過去にCM起用されていたというだけで佐藤さんには罪がないのに、現在は企業の不祥事や事件が発覚したため所属事務所主導で契約解除になって無関係になっているものを『呪い』『大河出演が特級呪物』『お国言葉はどうにも発声に違和感』と称していること」
「ゴシップ記事のリンクを貼りいつまでも犯罪者のように言い立てていること」
に触れ、貴方は名誉棄損で訴えられてもおかしくないと述べています。また佐藤さんの所属事務所(ケイファクトリー)によると、7月21日付けでビックモーターとの契約は解除されている旨も書き添えられています。

衣装といえば、井伊直政のサイズが合っていないのでは?
着用されている役者さんも和装の所作に不慣れなようで、肘まで見えそうなほど前腕部が見えているのは厳しいものがあります。
あの手の和装で前腕部をむき出しにするのは行儀が悪い。
『鎌倉殿の13人』の八田知家ほど筋肉質であれば、出したくて仕方ないのだろうとは思えますが、この直政は小枝のように細い。
『おんな城主 直虎』時の直政・菅田将暉さんは身長があるせいか、そこまで華奢な印象ではありませんでした。

こちらに関しては
「井伊直政の肩衣袴は『天地人』石田三成公役で小栗旬さんが着用されていたものを使っているのでしょう。着丈や肩幅が違うのだから、丈を詰めたり仕立て直したりしても肩が落ちてしまうのは仕方のない事だと思います」
とあり、
『前腕部をむき出しにするのは行儀が悪い』と言いますが、直政が着物をたくし上げて襷掛けにしていたのは穴掘り普請の真っ最中で袖が邪魔になるのに『行儀が悪い』とは?」
と書かれています。また、「わざわざ長身や筋肉質の俳優さんを比較に出して『小枝のように細い』と容姿を論い、小柄で華奢な板垣さんを何週にもわたって侮辱し続けるのは、やって悪い事の一線を越えているのではないでしょうか」ともありますね。

私は板垣さんが着ているのは、『おんな城主直虎』で山県昌景を演じた山本龍二さんと同じものではないかと、それぞれの画像を『どうする家康』あらすじと感想の投稿に入れています。そう言えば小栗旬さんの三成もこういう衣装でした。で、小栗さん184センチ、山本さん180センチ、板垣さん164センチですから、かなり身長差はありますね。
(ただ山本さんは、肩衣の下の小袖は違う物を着ています) 

そして、たすき掛けをしているのは工事の最中であること、板垣さんの身体的特徴を貶めるような物言いをする点には同感です。私も自分の投稿に書いていますが、人を性別とか人種などで侮蔑するのと似たようなものでしょう。

そしてOPの後の、石川数正が足を洗うシーン関連です。

例えば今回の石川教正。
岡崎に戻って、玄関で妻の鍋がお茶を差し出すシーンがありました。
疲れたらまず水分を補給する――
現代人の感覚で言えば、何らおかしくない行動ですが、歴史的に見れば不正解となる。
この時代、家に帰ったらまず足を洗います。

taketak39460607さんいわく、
「さも敵の首を獲ったように『ブッブー!不正解でーす!』とマナー警察を気取っていますが、玄関の土間で足を洗う為に湯を使う事と水を所望する事の順番など些末では?」
そして
「画像を見ると上り框に座る石川さんは草鞋を脱いでおり、傍らには水桶が置いてあるのですが」
とありますし、この和睦交渉は暑い時期なので、まず水を所望してもよいのではとあります。

あれは、どう見ても玄関先に腰を下ろして足を洗うシーンなのですけどね。
他にも『平清盛』の、日常的に入浴する習慣がない時代的背景を無視して、顔が汚れているという批判、寧々が挨拶することへの批判、徳川がなぜ真田に負けたのかへの見方などにも、指摘や反論がなされています。ではあと3つほど。

秀吉が関白になる場面ですが、公卿が軽いですね。
口調がペラペラの薄さです。

この記述に関しても、
「帝の勅命を伝える勅使役の公卿が『内大臣を関白にすべし』と伝え、秀吉公が恭しくこれを承ります。勅使は天皇の代理としての資格を以ってを宣旨を伝達するので、勅使を迎える者が勅使よりも上位の官位であっても、敬意を払う事とされたので勅使が上座、拝領する秀吉公が下座に座しています」
と書かれています。

勅使は秀吉に伝えるべきことを伝えているだけで、秀吉と話をしに来ているのではありませんし。ところで私はこの部分で、「公卿が軽い」とは何ぞやと思ってしまったのですが、この公卿は勅使のことですね。失礼いたしました。

それから第2回で既に登場している「浄土」に関して。

この世を浄土にするというのも、唐突に思えます。

これに関しては、
「今川義元公の説いた「王道と覇道」もこの世を浄土にする(『厭離穢土欣求浄土』)も2話から語られているので唐突ではありません」
「大樹寺で敵に包囲され、先祖の墓前で自害しようとした時、登誉上人の受け売りをした小平太さんから、普通は『現実の世の中は、穢れた世界であるからこの世を厭い離れ、次生において清浄な仏の国土に生まれることを願い求めること』だが、『あの世に行けではなく、穢れたこの世をこそ浄土にすることをめざせ』との独自解釈で教えられ、自害をとどまりました」
とあり、そしてもちろん
「以来『厭離穢土欣求浄土』は徳川家の旗印として使われています」
とも書かれています。

そして最後の方のこれなのですが。

そんな不誠実なドラマのもとには綺麗な花も咲かないし、美味しい実もならない。
騙されて近づくと造花がつけてあって、実はただのハリボテ。
しかも蜂の巣が仕掛けてあって、逃げ惑う羽目になる。
それを「斬新だ!」「シン・桃李成蹊だ!」「ただの桃とスモモじゃつまらないでしょw」と木の周りにいる連中がニヤニヤと笑いながら見ている。
せっせと小道をわざとらしく作り、そんな罠のある木に近づけようとするものもいる。
「この素晴らしい木がわからないなんてバカw 怠慢だw」と嘲笑う者までいる始末です。

taketak39460607さんは
「貴方の言っている事が全く分かりません。
「斬新だ!」「シン・桃李成蹊だ!」「ただの桃とスモモじゃつまらないでしょw」「この素晴らしい木がわからないなんてバカw 怠慢だw」と誰がどこで言いましたか?」
「そもそも沼田問題絡みで羽柴と接触した真田昌幸公が信州の地の物で旬だからとスモモを齧り、それを裏で糸を引いていると示唆するように秀吉公が口にしていた場面があっただけで、誰も『シン・桃李成蹊』などと考察していないのですから」
と反論しています。
さらに
「貴方が脚本家を嫌うのは結構ですが、家康公の紆余曲折・重き荷を背負った人生まで捻じ曲げ、誰も言ってもいないのに『徳川軍の罵詈雑言に対する秀吉公の反論は作り手の自己批判』「この素晴らしい木がわからないなんてバカw 怠慢だw」と嘲笑う者までいるとあらぬ妄想で憤慨し、持論を展開するのは歴史系ライターとして不誠実で、貴方の嫌いな秀長公の言うように信用を無くします」
という指摘もなされています。

私もこれは何ぞやと思いましたし、そもそも武者さんの言う「シン・〇〇」自体本人の勝手な思い込みにしか見えませんが、それをここまでこじらせるものでしょうか。

その他、「大事な客の前で食べたものを吐き出す」ことに武者さんが触れていますが、
「あのスモモの種は秀長公の方に向けて吐き出したわけではありません、貴方はスモモの種も吐き出さずに食べるのですか?バラ科植物の種子には毒性があるので食べられません」
と反論されていますし、白鳥玉季さん演じる茶々に対して武者さんがゲスエロ欲求などと書くのに対し、母お市の遺言を受けて、秀吉を利用すると覚悟を決めた、その覚悟をうまく演じていたと書かれています。

それと今回、このコラムのコメントに関しても書かれているので、そのうちの1つをご紹介しておきます。
「うっかりここまで観てしまったが、本能寺の変のあたりまでだったので、岡田准一主演「織田信長」と割り切る事にしました」とあるのですが、これに対して、
「ドラマを見ていないのに貴方はコメントを書き込みに来て同調しているのですか?
レビューに迎合して同調コメントを残す前にきちんと歴史事件の流れを調べたりドラマ内容を見たりしてからコメントするとツッコまれない内容のあるコメントができると思います」
とありますね。
実際普通観ていなければ、そこで終わりにするのではないかと思います。

ちなみに私はこのブログでも書いているように、『いだてん』の視聴を途中でやめていますが、その後は自分では感想も書かなくなりました。無論他の方のサイトやブログのコメント欄で、その後の展開について書くこともしていません(観ていないから書けません)。視聴を止めるとは、そういうものだと思います。

飲み物-テーブル上のアイスカフェラテ
[ 2023/09/03 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第32回に関しての武将ジャパンの記事について-4

『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。尚taketak39460607さんのnote関連は、次の次になることをお断りしておきます。


義元に学び、信長に鍛えられ、信玄の兵法を習得する――前半はそういう流れだったとドラマ内で歴史修正が行われました。
いつ、そんな学びや鍛錬があったでしょう?
側室オーディションをして、蒸し風呂で侍女に迫られ、ついにはマザーセナの妄想にラリラリトリップしていたではありませんか。
戦場では「いやじゃーいやじゃー」とピエピエ泣き叫ぶ。
何をもってして学びといい、鍛えられていたのか。
結局、本人の申告であれば、見ている方はそれを呑み込めということなのでしょう。
作り手があの情けない姿を「気弱なプリンス」だと認識しているあたりからして、まったくもって意味がわかりません。

「歴史修正が行われました」
歴史修正でも何でもなく、最初から観ていたらわかることです。

家康は王道を今川義元から学び、非情さを織田信長から学び、
「戦は勝ってから始めるもの」
を、武田信玄から学んでいます。
それを見逃しているのでしょうか。いやそもそもきちんと観ていないのでしょうか。
そして「戦は勝ってから」云々、『孫子』由来のはずですが、武者さんがそれに何も触れようとしないのはなぜなのか、知りたいところです。

しかし
「側室オーディションをして、蒸し風呂で侍女に迫られ、ついにはマザーセナの妄想にラリラリトリップしていたではありませんか」
今更ですが、すごい表現ですね。好きな大河では絶対に出て来ないでしょうね。

例えば主演の方はそろそろ40代に入ります。
いくら美形だろうと、不惑を過ぎたらシリアスか、ダークな演技ができなければ埋没するだけ。
『麒麟がくる』の長谷川博己さん、『鎌倉殿の13人』の小栗旬さんなどは、そのステップを大河で駆け上がってゆきました。よいドラマには背中を押す力があります。

まず「主演の方」、松本潤さんとちゃんと書きましょう。
で松本さんが
「不惑を過ぎたらシリアスか、ダークな演技ができなければ埋没するだけ」
なのだそうですが、この手の演技ができないと決めつけているのもどうかと思います。
そしてまた例によって、好きな大河の主役なら
「そのステップを大河で駆け上がってゆきました。よいドラマには背中を押す力があります」
なのだそうです。別に武者さんが好きな大河のみに限った話ではなく、座長として1年間大河の主役を任されたら、どんな俳優さんでも一応は成長するものだと思いますが。

真田昌幸は家康より4歳下。劇中では、まだ不惑前の壮年期です。
それなのにこの貫禄は何ごとか?
と、思ったら役者の親ネタですか。
◆真田昌幸役・佐藤浩市さんの扮装写真公開にオールドファンが涙する理由【どうする家康満喫リポート】秘話発信編(→link)

で、1981年に佐藤さんの父三國連太郎さんが、大型時代劇『関ケ原』で扮した本多正信にそっくりとあるのですが、

いやいやいや、1981年って、もはや40年以上も前のことですよ。
そんな古いことを覚えている層だけに取り入ってどうするつもりなのか。
って、まぁ、仕方ないですね……。
今年はもうドラマとして終わっている。だとすれば、こんな風に
「あれは佐藤浩市さんの父である三國連太郎に似せているんですよw 歴史ファンならそのくらい常識でしょw」
周囲にマウントするぐらいしか役割がないのでは?

実際より老けさせているのは、『真田丸』の昌幸でも同じでしょう。
また真田昌幸ではありませんが、『龍馬伝』の山内容堂公、近藤正臣さんが演じた白髪の殿様は、実際はあの時30代です。

そしてこの出典元のサライ、私も過去に引用したことがありますが、主に年配の人が対象なので、このような書き方にもなるでしょう。

毎回衣装にダメ出ししていて、我ながら疲れますが……。
秀吉の陣羽織が、どうしてもカーペットのように見えてしまう。
実は以前も似たようなことがありました。
『花燃ゆ』で、ヒロインの美和が鹿鳴館舞踏会にあわせて仕立てたドレスが、カーテンに見えたのです。
あのときは『八重の桜』で大山捨松が着用したドレスを着回した、津田梅子の方がよいとしみじみと思いました。

前にも書いていますが、秀吉の陣羽織は絨毯がもとになっています。
『花燃ゆ』の美和のドレスは確かにカーテン、私には緞帳のように見えましたが、私が気になったのはその点ではありません。
武者さんは「ヒロインの美和が鹿鳴館舞踏会にあわせて仕立てたドレス」と書いています。
しかしあれは美和が仕えていた銀姫のおさがりであり、美和自身がオーダーしたわけではありません。そしてあの手のドレスは、その人の体型に合わせて仕立てないと、なかなかフィットしないと思われますが、美和は特に直したようでもないのに、あのドレスがぴったりしていた。寧ろ不思議なのはその点でした。

そして津田梅子にしても、『八重の桜』のドレスを着ているからいいと褒めているのではないか、そのような気もして来ます。

まっとうな衣装デザイナーはいないのか……。
と、思ったらいました!大河ではおなじみの黒澤和子さんが映画『リボルバー・リリー』を手掛けております。
◆映画『リボルバー・リリー』綾瀬はるかが身にまとう衣裳は黒澤和子率いるデザインチームが担当(→link)
『八重の桜』の八重と尚之助を演じた綾瀬はるかさんと長谷川博己さんが出るなんて、これまた素晴らしい。

綾瀬さんと長谷川さんがそんなに好きなら、『いだてん』と『まんぷく』ももう少し評価してあげてはどうですか?
ちなみに黒澤さんは幕末物の衣装ならいいと思います。

『八重の桜』の評価点として、川崎尚之助の汚名を晴らしたこともあげられます。
(中略)
新説を無意味に取り入れればよいのではなく、そこまでしてこそ良い大河。
『どうする家康』では「森蘭丸でなくて森乱です!」なんて大仰にいうものだから、さぞかし暴れるのかと思ったら、気がつけば消えていましたからね。
アリバイとして新説を取り入れたなんて言われても意味がありません。

どの大河でも、新説を無意味に採り入れることなどそうないかと思います。
そして『森乱』は何度も書きますが、史料に準拠してのものです。
どこがアリバイなのでしょう。
平山優氏を敵視したいがために言っているようにしか見えませんが。そして名前が「乱」なのと、暴れるシーンが出て来るのはまた別でしょう。お兄さんの鬼武蔵の方が暴れています。

ムロツヨシさんは「自分は好かれない」と語っております。
◆「どうする家康」ムロツヨシ怪演がネット話題“大河史上最恐”秀吉の魅力は「野心」「好かれないピエロ」(→link)
あの秀吉なら仕方ない……とは思いますが、では、誰が好かれているのか?
去年の和田義盛や畠山重忠、あるいは上総広常なんて、主役を食う勢いで支持されていました。
他にも挙げたらキリがないですが、では今年は?
ムロツヨシさんが心配せずとも、誰も好かれていないように見受けます。
立ち位置的に石川数正の人気が高いようにも思えますが、どちらかというと「グルメの人だ♪」という印象から来ているようにも見えるし……。
もはやドラマに出番があることそのものが呪い。
「あの武将は出て欲しくない」というリストを私は脳内に作りました。

ここで注目されるべきは、ムロさん自身の発言です。
武者さんの書き方だと、如何にも周囲から嫌われて人気がないように見えますが、実はさにあらずです。
ここでムロさんは
「カッコいいですけど、その道化っぷりはあまり皆から好かれないピエロで…それがまた面白いなと思っています」
と話しており、つまるところ、本人がそれを楽しみながら演じているわけですね。なお、岡田准一さんも同じようなことを言っており、ドラマにおけるその特異なキャラが評価されているわけで、誉め言葉と受け取るべきでしょう。

「立ち位置的に石川数正の人気が高いようにも思えますが、どちらかというと「グルメの人だ♪」という印象から来ているようにも見えるし……」
その裏付けを見せてください。

「もはやドラマに出番があることそのものが呪い。
「あの武将は出て欲しくない」というリストを私は脳内に作りました」
武者さんがどのように考えようが自由ですが、自分の思い通りに行かなかったからと言って、このコラムでそれを愚痴るのはやめた方がいいと思います。

時間帯が近い民放ドラマの勢いと比べると一層際立つ。
◆ 【VIVANT】第5話視聴率14・2%で番組最高更新!「テント」のリーダー判明、前回から0・8P増(→link)
もはや絶望的な状況です。

それを言うなら、2013年の『半沢直樹』と『八重の桜』、2017年の『陸王』と『おんな城主 直虎』、いずれも日曜劇場の方が高視聴率でした。第一、同じ日に何度も放送があり、土曜日に再放送がある大河と、放送は1回のみの1クールの日曜劇場とを比較するべきなのでしょうか。

そして大河は駄目だと決めつけ、華流時代劇のPR。

イケメンとイケメン同士を描く時代劇――。
『どうする家康』がやろうとして全くできなかったことを達成した華流時代劇『陳情令』が、ついに地上波に登場です。

ということで、やけにこのシリーズのPRをしまくっています。このコラムへの報酬は、この華流時代劇のPRへの報酬ではないのか、そのように思われてしまいます。

それからこのデイリー新潮の記事ですが、

◆ 【どうする家康】存在感のない家康、所作も作法も軽んじられ…岩盤支持層に不人気な原因は多数あった(→link)

逆に今年の場合、大河の岩盤支持層以外の層に受け入れられているようです。これは鈴木祐司氏が分析しています。
あと所作作法というのは、家康が信雄を呼び捨てにしたシーンのことですね。
それとヤフコメの意見についても書かれていますが、あそこは、どの大河でも厳しいコメントが載るので有名です。実際見たことがありますが、今年に限った話ではありません。

今年の大河を庇う人は過去の大河とばかり比べています。
VOD全盛期のいま考えるべきことはそんな狭い視野ではなく、他国の歴史劇、特に東洋史とライバル関係になったと認識を改めねばなりません。

「過去の大河とどの点を、どのように比べているのか」
それがないから説得力に欠けてしまうのですが。

でまた『陳情令』関連の記述が続き、

大河ドラマは、なぜ特別なものとして存続してきたか?
今は19世紀を迎えた徳川幕府のようなものです。
破綻しつつあるし、満足しているわけでもない。しかし、それ以外にどんな支配者がいるのか、知識がないからわからない。
それが今までの、VODがない2010年あたりまでの大河でした。
状況は激変しました。
黒船来航後の世界です。
筆もまともに持てない役者の時代劇なんて、淘汰されて終わってしまう。

それまでも大河は、たとえば近代三部作や90年代前半の放送フォーマット変更などでうまく行かず、元に戻しており、その状態が今まで続いて来ています。今後しばらくはこのフォーマット、そして幕末までを重視する姿勢で行くでしょう。
そして何かとVODを強調していますが、そのVODで大河を観ている人もいるわけで、この両者は対立概念ではないと思います。

そして
「筆もまともに持てない役者の時代劇なんて、淘汰されて終わってしまう」
これを言いたくてたまらないのでしょうか。家康も秀吉も、筆の持ち方はおかしくありません。

もはや一刻の猶予もない状況を迎えています。
(中略)
国家昏乱して、忠臣有り。『老子』
ファンダムが乱れてくると、“信者”が悪目立ちようになる。

武者さんは一刻の猶予もない、だから早く今年のを終わらせろと考えていたいのでしょうか。私はそうは思いませんが。
「国家昏乱して、忠臣有り」
これは老子『大道廃有仁義』の一部ですが、国家が乱れてくると、忠臣の存在が目立つようになるという意味で、ファンダムの「信者」とは多少意味合いが異なるかと思います。

で、

今回の第32回放送は、秀吉の言葉「俺のアンチはゲスだ」と喚くところが出色の出来でした。
あのセリフは、ドラマに批判を繰り返す私のような不届き者へのメッセージにも思えました。
考えすぎでしょうか?

「俺のアンチはゲスだ」
とは凄まじい解釈ですね。ではもう一度挙げておきます。
「所詮、人の悪口書いて面白がっとるようなやつは、己の品性こそが下劣なんだと白状しとるようなもんだわ」
つまり、「俺のアンチ」ではなく、「誰にせよ人の悪口で面白がるやつ」のことです。
しかし不届き者という自覚があるなら、もう少し書き方を改めては如何でしょうか。

公式ガイドブックのあらすじには、まるでなかった意味合いの言葉が加えられたら、そう感じるほうが自然でしょう。
もしも意図的に加筆されたものだとしたら、残念でしかありません。
ドラマで本当に描きたいことはそこなのか。
一時的な感情に委ねて、そんな台詞を入れていたとしたら、視聴者に対して失礼ではないか。
と、じっくり考えていると、やはり私の邪推にも思えてきますが、現場の士気が低下して役者さんから覇気が奪われていたとしたら残念でしかありません。

これも最初の方で書いていますが、ガイドブックのあらすじはあくまでもあらすじであり、台本ではありません。従って、ドラマ本編で出て来たセリフが、逐一書かれているわけではないのです。
にもかかわらず
「まるでなかった意味合いの言葉が加えられたら」
「意図的に加筆されたら」
と、ガイドブックそのものが台本であり、しかも改悪されることをまるで期待しているかのようです。
しかも
「一時的な感情に委ねて、そんな台詞を入れていたとしたら、視聴者に対して失礼ではないか」
ドラマの制作は、果たして一時的な感情に委ねられているものでしょうか?

「と、じっくり考えていると、やはり私の邪推にも思えてきますが」
はっきり言います。
武者さんの邪推にしか受け取れません。

そしてまた心理がどうこう、『孫子』がどうこうとありますが、ここでは省きます。そんなに『孫子』に言及したいのなら、三方ヶ原での信玄公のセリフを、もう一度かみしめてみてください。

SNSで誰かを攻撃するよりも、本作を「支持する」「支持しない」旨をNHKに送ったほうが有用ではありませんか。
◆NHK みなさまの声(→link)

では今回も「支持する」メールを送らせていただきます。



飲み物-おしゃれなグラスのビール
[ 2023/08/27 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第32回に関しての武将ジャパンの記事について-3

『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。


夜間戦闘の場面が、でかいライトで照らしているのが見え見え。
スモークも、霧とか土埃ではなく、炊いていることが見え見え。
なぜこれほどまで安っぽい作りなのか。
本作の合戦は、やたらと暗いことが多く、晴れていることがまずない。
あのお粗末VFX馬がいなくなったと思ったら、今度は迫力不足の殺陣と戦場が前に出てきました。

夜間戦闘はある程度照明を当てないと、暗くて何が起こっているのか、とてもわからないかと思うのですが。
そしてスモークですが、武者さんは実際の霧とか土埃を使った方がいいと思いますか?ほしい時に霧や靄が必要になるから、人工のを使っているのではないでしょうか?それが安っぽいのですか。
そして
「本作の合戦は、やたらと暗いことが多く、晴れていることがまずない」
暗いとは思いません。季節的に梅雨であるなどで曇っていることはあるかと思います。また戦が行われる地域によっては、その土地特有の気候条件で曇っていることもあるでしょう。
そして「あのお粗末VFX馬がいなくなったと思ったら、今度は迫力不足の殺陣と戦場が前に出てきました」
CGの馬のことでしょうか。しかし急に話が飛びますね。

井伊直政が母ひよを思い出す場面は一体なんなのか?
メイクをさせる意味がわかりませんし、直政の母を出すというのもなんだか違和感。
直政の父で、彼女の夫・井伊直親を失ったあと再婚していますので、役名も「井伊ひよ」で良いのですかね。
井伊家再興を願う女性であれば、むしろ井伊直虎があの場にいた方がよかったのでは?
『おんな城主 直虎』の主役ですから、それなりに盛り上がったことでしょう。

直政が赤備えの甲冑を身に着けて出て行く時に、母ひよの
「徳川様を天下一のお殿様になされ」
と言われたことを思い出し、その時が来たと思っているわけでしょう。
あとメイク、これは小姓として使って貰うことを示唆していると思われます。
石田三成も元は秀吉の小姓でした。

そして「井伊直虎があの場にいた方がよかった」
それは『おんな城主 直虎』での描写の話です。
また「井伊ひよ」ですが、録画をチェックした限り、OPのクレジットも字幕も「ひよ」としか表記されていないのですが…。

衣装もどうなのか。井伊家再興という割にいい着物を着ているようで、説得力が感じられません。

この当時の小袖や打掛は、あのくらい派手な文様もありました。
ご参考までに

染織祭衣装 安土桃山時代
https://senshokubunka-kyoto.jp/maturi/index01.html
(公益社団法人 京都染織文化協会)

また能衣装を意識しているようにも取れます。

そして顔だけはきれいだからと言うひよのセリフについて。

このドラマの制作者はルッキズムがひどく、悪口でも身体的特徴を出す。井伊直政の長所も、この言い方では顔だけのようだ。
なぜ、こんな描き方になってしまうのでしょう。
もしかしたら作り手は、井伊直政本人の事績や逸話をかいつまんで拾っているため「顔がいいだけ」と言わせてしまうのでは?
直政の魅力を作り手が把握していなければ、視聴者に伝わるはずもない。「顔だけ」なんて描写は、あまりにも杜撰です。

それを言うならば、先日も書きましたが、武者さんはこの直政は線が細いといったことをやけに主張しています。
「悪口でも身体的特徴を出す」
のは、武者さんにも当てはまりそうな気がします。
そしてこの大河では直政は頭が切れること(だから小姓ながら軍議に加わろうとした)、屈強の武田の武士たちを相手にケガをしながら、それでも彼らをまとめようとしたことなども描かれていますが、武者さんはそういう描写をどう評価したでしょうか。

そしてまたジャニーズ関連のニュースを引き合いに出して、

◆ いまだジャニーズ性加害問題は解決しない中…「24時間テレビ」のポスターが物議を醸しているワケ(→link)
母の口から幼い我が子に「美貌でのしあがりなよ」なんて言わせるとは、非常に挑戦的なスタンスですね。

なぜこの時代の小姓としての近侍と、性加害を一緒にするのでしょうね。
前にもこんなことがありましたが。

そして「どうするBGM」なるタイトルで

このドラマのBGMは自己主張が激しすぎる。
わざとらしくバイオリンを響かせるのはやめましょう。興をそがれます。
劇を盛り上げるのではなく、自分の世界観を押し付けようとしてくるようで、どうにも耐え難い。

「劇を盛り上げるのではなく、自分の世界観を押し付けようとしてくるようで、どうにも耐え難い」
ではどういうBGMならいいのですか?
何よりもこの3行で1つのパラグラフというのも、何だかわびしくありませんか。

ガンプラのメタリックカラーを混ぜたようにテカテカした笠。
直政陣羽織の紐の違和感。
これが「シン・大河」の赤備えなんでしょうか?
井伊の赤備に、これほどヘイトが溜まったのは、幕末以来でしょう。

まずこの赤備えですが、
ドラマの中ではこうなっています。
(『どうする家康』公式サイトより)

どうする家康32井伊の赤備え2

そしてこちらは彦根城博物館の画像をお借りしています。

朱漆塗仏二枚胴具足 - 彦根城博物館

照明の有無なども影響しているとは思いますが、ぱっと見、そう違っているようには見えませんが。

あと直政のボタン止めの陣羽織は、家康や他の家臣たちも同じですね。彼1人が浮いているわけではありません。

幕末の井伊家は、井伊直弼が桜田門外の変で討たれて以来、統制を失っていました。
京都守護も本来は井伊家の役目でしたが、それが不可能となり、会津藩松平家に京都守護職が回ってきました。

まず京都守護と言えば、通常鎌倉時代の役職のことです。また井伊家は幕府から京の守護を任されてはいましたが、この京都守護職が定められた文久の改革では、直弼の圧政を糾弾される格好になり、減封されていますね。そのことをちゃんと書いてください。

そんな無茶苦茶な状態だったのに、格式高いと威張っていた井伊家、その赤備えは時代錯誤の象徴となった。
まさにこの大河の井伊家は、幕末そのもの。
プライドだけ高くて見掛け倒しで、中身は空っぽです。

何だか、無理やり直政の時代と直弼後の井伊家を結び付けたがっているようにしか思えません。

戦場で本多忠勝が、
「かすり傷ひとつ負ったことがない!!!」
って、自らドヤ顔でなんやねん。
子供のマンガでも見せられているようで、本当にこの作品はリアリティを感じさせてくれないな!
実際にどこで誰がそんなことを言ったのか。問題はそこではなく、戦場で、のんきにそんな台詞を吐いている間に矢玉が飛んできたらどうするんだ。

それに対して、工事現場では榊原康政が
「傷を負ったことに気づいとらんだけだろう」
と答えていますね。
このやり取りだと多少はリアリティが感じられるのではありませんか。それでも忠勝にしてみれば、傷一つ負ったことがないとは最高の自己PRだったわけですが。
それから
「矢玉が飛んできたらどうするんだ」
忠勝軍に攻め入っているのは、槍を持った兵たちですが…。

この忠勝は、衣装合わせもおかしいのか、兜のサイズすら合っていないように見えます。
鎧を身につけているにせよ、それが軽いとわかる動きをするのはどうしたものか。
今年の大河は武器甲冑の重さを考慮しているとは思えません。

ではこのシーンをご覧ください。兜のサイズが合っていないでしょうか。
また鎧が軽いとわかる動きをしているでしょうか。

"第32回「小牧長久手の激闘」より <【徳川四天王】天下無双・本多忠勝> | 動画 
(『どうする家康』公式サイト)

それにしても、蜻蛉切にトンボが止まっても切れず、普通に飛んでいく場面は、一体何がしたかったのでしょう。
蜻蛉切は、止まったトンボが切れるほどの切れ味だからこその名前。
「実際には切れるはずないよね!」って?
だとしたら、戦国ファンのロマンを小馬鹿にしているようで、いたたまれない気持ちになってしまいます。

蜻蛉切の名は諸説あり、単に刃先に泊まった蜻蛉が切れただけではなく、忠勝が槍を振り回したら、空を舞う何匹もの蜻蛉を切り落とす、そのくらい槍に秀でているという説もあります。それに従えば、特におかしな話ではありません。そもそも蜻蛉をあそこで飛ばしたのは、敢えてあのようにしているとも取れますし。

勝利の後で、エイエイオーと叫ぶところすら声がヘロヘロに聞こえてしまう。
さらにはピロピロBGMのせいか、昔のRPGで敵を倒した後のポーズを見ているよう。
負けた後の秀吉も全くなってない。
悔しがる以外にすることはいくらでもあるでしょうよ。

ヘロヘロだのピロピロだの、それは武者さんがそう思っているわけでしょう。
また秀吉ですが、要は池田・森の言うとおりに中入りを行った結果、あのようになったのですから、悔しがるのも当然ではあります。だからこそ死人に口なしで、すべての責任を池田勝入になすりつけたわけですが。

このドラマは戦後処理が全くありません。
まず、大量に発生した死体を早急に埋葬だけでもする必要がある。疫病が発生しかねません。
戦果を確認した上で、信賞必罰をあきらかにした論功行賞も必須。
戦死した一族の後継者を決めるとか。遺族の補償とか。ともかくやることが山積みのはすなのに、このドラマでははしゃいでラリラリすることしか頭にない。

「大量に発生した死体を早急に埋葬だけでもする必要がある。疫病が発生しかねません」
では今までの大河で、実際にそれを行った作品を挙げていただけないでしょうか。

「戦果を確認した上で、信賞必罰をあきらかにした論功行賞も必須」
まだひとつの戦いを制しただけで(これは石川数正もそう言っています)、すべてが終わったわけではありません。
これは
「戦死した一族の後継者を決めるとか。遺族の補償とか」
も同じではないかと思われます。
またこの時代、当主が戦死すればその嫡子が後を継いだわけですし、また森長可の場合は後継者の末弟が幼なかったのですが、最終的に秀吉がその子を後継者に指名しています。

『麒麟がくる』の光秀はノリが悪く、みながはしゃいでいるような場所でも正論を口走ってしまった。
『鎌倉殿の13人』の義時も真面目。みなが酒を飲んでいるとき、木簡を数えているような青年でした。
そういう真面目でしっかりした人間を「陰キャww」と嘲笑っているパリピ勢が、本作の支持層なのでしょうか。

結局また麒麟と鎌倉殿が叩き棒ですね。
しかしこの回の終盤、石川数正は今後を懸念していますし、家康も恐らくは数正の気持ちを理解してはいると思われます。一番能天気なのは、織田信雄ではないかと思いますね。


飲み物-ブランデーグラスのビール
[ 2023/08/25 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第32回「小牧長久手の激闘」あらすじと感想-1

今回も井伊直政の衣装から。今回の赤備え関連で『おんな城主 直虎』との比較です。
(『どうする家康』録画及び『おんな城主 直虎』公式サイトより)

どうする家康井伊直政赤備え 直虎50直政

この両方を比較する限りでは、兜の造りが違っており、また陣羽織の色も違っています。あと直政が母ひよと向かい合っているシーンがありますが、『おんな城主 直虎』ではしのという名前でした。

それと先日の、taketak39460607さんのnote関連記事、部分的にいくらか手直ししています。

では前半部分のあらすじです。

天正12(1584)年3月、家康と秀吉は天下を巡って直接対決となり、家康が陣を構えた小牧山城では工事が行われていた。小牧山から秀吉の陣がある楽田城までは、1里半(約6キロ)しか離れておらず、しかも大軍勢がひしめきあい、数日間にらみ合いが続いていた。織田信雄は大軍勢の相手にどうやって勝つのかを家康に尋ねる。

代わって石川数正が、相手は兵に食わせるだけでも精一杯で長引けば焦りも出る、そのうえで和議をと言うものの、本多忠勝や井伊直政、榊原康政など、比較的年齢が若い家臣たちは反対し、相手と戦うことを望む。忠勝に至っては、二度と和議など口に出さないで貰いたいと言う始末だった。

数正はそうではないと弁明しようとするが、あれだけの大軍勢をまとめているゆえ、無駄な動きはしないと家康。しかしにらみ合いにも限度があるため、本多正信は秀吉の悪口を書き連ね、その辺りに立札を立てる方法を提案する。これに康政が乗る。康政は字がうまいため、他の者が口にした悪口を書きしるすことになり、若い家臣たちは思いつくまま秀吉の悪口を言い立てる。

悪口を書き記した板切れを、池田勝入と森長可がは秀吉陣に運び込んでくる。康政の名で書かれたその悪口を、読んでみるよう秀長に命じる秀吉。ためらう秀長に代わり、勝入が内容を読み上げる。秀吉は野人の子なりから始まる罵詈雑言を聞いた秀吉は、嘘泣きのような泣き声をあげながら、榊原は筆が立つのうと言いつつ、このような文でわしを怒らせられるかと今度は笑い出す。

秀吉は板切れを地面に打ち付けて言う。
「わしゃあ~、まっと、まっと、まっとひでえことばっか言われ続けて来たんだで?」
それに比べると、この分はかわいいものだと板切れを放り投げ、兵たちに踏むように言い、さらにこうも言う。
「所詮、人の悪口書いて面白がっとるようなやつは、己の品性こそが下劣なんだと白状しとるようなもんだわ」

秀長もそれに同意し、信用を失うのは徳川の方だと言う。秀吉は明言する。
「この卑しき野人の子に、家康はひざまずくんだわ」
それでよいぞ筑前、起こったら相手の思うつぼ、お主にはわしがついとると勝入。2人は笑い声を立てるが、森長可、加藤虎之助(清正)、福島正則は厳しい顔をしていた。

勝入と長可が去った後、秀吉は笑いを引っ込め、勝入は面白がっとるようだと言ってさらにこう言う。
「腹ん中じゃ、まんだ自分が上だと思っとる」
一方徳川陣では、そろそろ秀吉方が動き出すのではないか、どの方角から攻めて来るのかが話し合われ、家康は正信に、お主が秀吉ならどう攻めるのか尋ねる。

正信は地図の上の石を落とし、こう答える。
「ここを攻めますかな」
その場にいた者たちの表情に緊張が走る。そして工事中の人夫たちに、康政から工事の変更が言い渡される。その様子は秀吉の陣からも窺い知れた。

また堀を掘っていると言う清正、そして正則は、尚も守りを固めるとは気の小さいやつらよと見下していた。そこへ勝入が長可とやって来て、策があると言い出す。池田軍を三河にやって岡崎城攻めに向かわせるのである。岡崎城は守りが薄く、家康は籠城をやめ、追いかけるに違いなかった。そこを秀吉本隊とで挟み撃ちにするのだった。

つまり「中入り」だった。要は軍の一部を使って、相手が思いもよらない場所を攻撃するのである。しかし秀吉によれば、肝心の本軍の塀を減らしてしまうため、上策とは言い難かった。しかし勝入はここは従っておけ、自分のおかげで織田家臣たちがお主について来ていることを、忘れんで貰いたいと言うが、秀吉は、そういう言い方はせん方がよいぞと囁き、そのうえで、一晩考えさせてちょうと大声を出す。

しくじるわけにはいかん戦だでと秀吉。秀長は悔しいがええ策だと兄に言うが、秀吉はこの策はとっくに考えており、ひそかに始めようとしていたのである。しかも勝入の様子からして、己の手柄とするため、兵に言いふらしているように見えるのを懸念していた。

小牧山城では尚も工事が続いていた。康政や直政ら家臣も泥だらけになりながら、現場の指揮に当たる。そのような中、正信だけは仕事をさぼって握り飯を食べており、その様子を見咎めた直政の前で、慌てて仕事をしているふりをしていた。

直政は殿のお命を狙ったのはまことかと尋ね、正信は、それで追放されたと答える。なぜ追放で済んだのかと訊く直政だが、正信ははぐらかす。直政は自分も家康の命を狙ったと話すが、聞いたこともないのう、鷹狩りの帰り道で殿に見いだされたと聞いておったがと正信。

直政はバカな小僧だった頃と言い、しかしこの件はなかったことにしてくださっていると話す。殿はなぜ我々のような者を許し、信じてくださるのかと言う直政に、憎んだり恨んだりするのが苦手なんじゃろ、変わった男よと正信。しかし直政は、戦なき世を作るのはそういうお方だ、ご恩に報いて見せると現場に戻り、正信にも仕事をするように言う。

このひと掘りがドッコイドッコイと、直政の掛け声に合わせて皆が歌う中、正信は相変わらず握り飯をほおばっていた。そして図面を目にする康政は、正信が「ここを攻めますかな」と石を落とした時、家康が、秀吉に気づかれずに中入り勢を叩けばよいと言ったのを思い出していた。しかしそのためには向こうから丸見えにならないよう、掘を作り替えるようにと家康は言い、それで康政は図面の一部を変更したのである。


榊原康政の「十万石の檄文」が登場します。野人云々と思い切ったことを書いており、これに秀吉が怒り、康政の首を取った者に10万石の領地を与えると言ったとまで言われています。

しかしこの大河の秀吉は、無論本気で怒ることはありませんでした。まず最初は、榊原は筆が立つのうと泣きまねのようなことをしてみますが、これはまだ序章でした。

そしてその後、このようなことで自分が怒るかと一笑に付し、自分はもっとひどいことを言われていたと言ったその直後
「所詮、人の悪口書いて面白がっとるようなやつは、己の品性こそが下劣なんだと白状しとるようなもんだわ」
と真っ当なことを言う辺り、やはりこの人物は道化師的側面と正気を使い分けているように見えます。

同じことが、池田勝入とのやり取りからも窺えます。中入りの件にしても、勝入としては自分の立場の方が上だから従っておけ、織田家の家臣と秀吉の橋渡し役であると恩を着せたかったのでしょう。しかもこの中入りに関しては、既に家康の知るところとなっていました。

正信が石を落とすところ、あの地図のはるか東の方で、三河を示していたと言えます。だからこそ三河を守るためにも、徳川軍は人知れず城を出る必要があり、そのための工程の変更だったわけです。秀吉方からすれば、いつまで工事をやっているのかと少なからず思ったでしょうが、それは実は秀吉軍の裏をかくためでもありました。

そして数正と忠勝、康政そして直政たちの意見の違い。この辺りも、数正の出奔につながっているのでしょう。その直政と正信ですが、家康を殺そうとしたにしても、2人の動機はかなり異なっています。しかもなぜああいうことをカミングアウトして、ご恩に報いたいと言うのか、それには自分が一番新参者という思いもあるいはあるでしょうか。

尚この記事,、これも「十万石の檄文」について書かれていますが、後の方で

小牧長久手の激闘。榊原小平太筆「野人の子」と秀吉を誹謗中傷する立札で、あなたは家康派? 秀吉派?【どうする家康 満喫リポート】32
本作は信長と家康のBL要素が話題になりましたが、どうせやるなら「家康と小平太」「家康と万千代」の方がリアリティあったような気もしています。

とあります。いやこの場合、信長と家康だから面白いと思うのですが…。特に、「家康と万千代」では当たり前過ぎるかと。

ところで「鷹狩の帰りに見いだされた」、何か秀吉と石田三成のようですね。

飲み物-パブのビール1
[ 2023/08/21 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第31回に関しての武将ジャパンの記事について-3

『武将ジャパン』大河コラムその3です。また『らんまん』を叩き棒にしていますね。


日本を二分する――こういうセリフで小手先だけのスケール感を出したいのでしょうが、かえって逆効果でしょうよ。
九州や奥羽がまだ残っているのに、気が早すぎるのでは?
しかもサブタイトルが、往年の名画を安直に真似た「史上最大の決戦!」です。だとしたら、関ヶ原の戦いや大坂の陣はどういう扱いとなるのでしょう?

「九州や奥羽がまだ残っている」
この場合の戦いとは、信長や秀吉に臣従した地域と、信雄や家康の領国の戦いを意味しています。これらの殆どは今の東海、北陸、近畿そして中国地方で、まだ九州、四国や奥羽(東北)はその版図に組み入れられていませんでした。

「往年の名画を安直に真似た『史上最大の決戦!』」
『おんな城主 直虎』のサブタイも、過去の映像作品の捩りが多かったのですが。
そしてこの場合、信雄+家康と秀吉軍の対決だからでしょう。関ケ原はそれぞれ味方の大名を従えており、大坂の陣に至っては、家康+諸大名VS豊臣+牢人という構図でしたから。

このドラマは、本当におにぎりを握る女が好きだな!
「勝て勝て勝て!」って言いながら握るのは何なのでしょう。
『花燃ゆ』のリベンジでもしたいのか。誰かの趣味なのか。

当時はおにぎりは兵糧である以上、勝つことを念じながら、家康の側室である於愛が音頭を取って握ってもおかしくはないでしょう。また『花燃ゆ』の場合、ワカメがおにぎりに混ぜられていましたが、戦国時代の場合はもちろんそれはなく、玄米を炊いて握ったものでした。

兵糧をあんなふうに作って見せる意味がわかりません。昭和レトロなラブコメですか。

また「昭和レトロ」(苦笑)
武者さんは観ていないかも知れませんが、『功名が辻』で一豊の妻の千代が、侍女たちと一緒におにぎりを作り、長浜城に駐留する軍勢に振舞う描写がありましたね。

『らんまん』を見ていて気づきました。
書状を手に取り、さっと振ることで広げる。そんな時代劇お馴染みの所作ができています。そして気づきました。『どうする家康』では、そんな綺麗な所作を見たことがないことを。
そのことに気づくと、どうにも小道具の扱いもおかしくて気になって仕方ありません。

まず、『らんまん』は時代劇でありませんね。
ただ今よりもはるかに前の時代であり、昔の人はそういういう所作をしていたということでしょう。
そして
「『どうする家康』では、そんな綺麗な所作を見たことがない」
いつも思うのですが、具体的にどのようなシーンなのか、はっきり書いて貰えないでしょうか。武者さんの文章はそれが抜け落ちていることがあまりにも多いので。
筆の扱いについてははっきりそうと書いていましたが、あれもそうおかしなものではありませんでした。家康はちゃんと筆を立てて書いていましたし、お市自害を聞いた時は、筆を落としたのではなく放り出していたように見えたので、あの所作でも特に問題ないと思います。

思い出したように家康の薬作りが出てきました。
趣味というわりに薬研の使い方も雑。説得力がまるでありません。

そして家康の薬作り、というか薬湯を煎じるため薬草を粉末状にする薬研の使い方が雑とかなんとか。
では武者さんは薬研を使ったことがあるのでしょうか。どこが雑なのでしょうか。
尚この薬研を使った動画をいくつか見ましたが、特にあの使い方は間違っていないと思います。

それと「趣味というわりに」とありますが、この時家康は薬作りが趣味と言っているでしょうか?

太鼓の打ち方がおかしい。
軍勢ごとにルールがあって、もっときっちり打つもの。
やる気がないのか、そうした調子は一切感じられず、ポコポコ打つせいで迫力にも欠けている。
発声も声が裏返るので、本当に稚拙です。
大河ドラマをパロディにしたコントの類にしか見えません。

「軍勢ごとにルールがあって、もっときっちり打つもの」
これがまた何の具体例もないのですね。
ここまで言うのならばそのルールとやらを、ここでちゃんと明記してください。
「酒井の太鼓」について言いたいのでしょうか。ならばその太鼓についてだけ書いてほしいものです。

「酒井の太鼓」の記述 鶴岡市に保管された家臣の日記から発見
(NHK ONLINE)

そして
「発声も声が裏返るので、本当に稚拙です」
これもどのシーンで、誰の発声が裏返っているかが不明。
単に武者さんがそう思いたいからではないのでしょうか。

今週はやっとおもしろくなった。落ち着いた。
そんな感想もありそうですが、果たしてそうでしょうか?
(中略)
実在した女性がでしゃばって目立ったり。回想シーンまみれにしたり。いちゃいちゃする場面の比率は減りました。
そのぶんアリバイじみた描写が増えて相対的にマシに見える。それだけです。
どうにもちぐはぐで、それまであったむちゃくちゃな個性が薄くなったような気がします。

「実在した女性がでしゃばって目立ったり」
誰とは言いませんが、オリキャラの女性が目立つのはいいのでしょうか。

「いちゃいちゃする場面の比率は減りました」
ああいうのをいちゃいちゃすると思うのなら、武者さんの女性観はやはり偏っているなと思います。

「そのぶんアリバイじみた描写が増えて相対的にマシに見える」
「どうにもちぐはぐで、それまであったむちゃくちゃな個性が薄くなったような気がします」
またですか。武者さんは具体的にどれがアリバイじみているとか、誰の個性がむちゃくちゃなのか全く書かないのですね。
「あれが悪い、これがよくない」に終始しているだけだから、単なる自己満足にしか見えないし、もっと言えば、ドラマ本編そのものをちゃんと観ているようにも見えないわけです。

今まではおしつけがましかった。
「今までにない展開だろ?」
「俺たちってマジですげーだろ、イケてるだろ!」
「これぞシン・大河なんだよ!」
そういう自慢げな姿勢があった。それがどうにも落ち着いてきている。
それが良いのかどうか?
残ったのは歴史番組用の再現ドラマと、ラブコメじみた場面、そして説明セリフだけです。

今までは挑発的でしたよね?
「史実なんて誰も見たことないしww あなた別にその時代に生きてませんよねw 見てませんよね、だったらこういう展開がないとは言い切れないでしょwww」
「瀬名が悪役とかもう古いしw 森蘭丸でなくて森乱w 新説取り入れましたwww」
そういう思考停止の呪詛を振り翳し、どんな無茶振りで通してきた。
それがなんだかおとなしくなっちゃって。

「今まではおしつけがましかった」「今までは挑発的でしたよね?」
「それがどうにも落ち着いてきている」「それが良いのかどうか?」
「それがなんだかおとなしくなっちゃって」

この間の登場人物の月代を思い出します。
あの時も剃れ剃れと言わんばかりで、いざみんなが月代姿になったら、似合わないだのなんだの。
そしてこちらでも
「今まではおしつけがましかったと文句を言い、それが落ち着いたら落ち着いたで文句を言う」
単なる身勝手でしかありません。

あと「森乱」は史料に則った表記なのですが、それがなぜ思考停止になるのでしょうか。
平山氏に注意されたのがよほど面白くないのかと、勘ぐりたくもなりますね。
自分の思い通りに描かれないと、何でもかんでも史実無視のようで、この人本当に「歴史系ライター」なのかと疑ってしまいます。

歴史パートにせよ、戦国時代の合戦というよりも、現代劇の詐欺師ミーティングのような場面に過ぎません。
少し真面目にしたぶん、かえって基礎力が脆弱なのが露になった。それが現状でしょう。

結局何を言いたいのでしょうか。
「日本語でおk」というネットスラングがありましたが、あれを思い出してしまいます。
あと武者さん「詐欺師」も好きですね。本多正信にもこの表現しょっちゅう使っていますね。

本能寺も伊賀越えという歴史イベントも終わった。
マザーセナ、千代、女大鼠といった妄想ヒロイン大行進も終わった。
何も見どころがない。ものの見事に何も無い。きれいに中身がなくなり、積極的な不快感が薄くなった程度の話ですね。
豪華キャストと思える池田恒興と森長可が登場しても、何もワクワクは湧いてきません。
もう、盛り上がりも何もないんですね。

これから小牧・長久手の戦い、小田原攻め、江戸入りそして関ケ原…まだまだイベントは続きます。
そのためのキャストも発表されていますし、そして千代や大鼠は今後も出て来ないとも限りません。
武者さんが嫌なら観なくても構いませんが、その代わりこのコラムももう書かないでください。

このドラマは脚本がみっちり詰まっていない。スカスカのものを現場で手を入れて、どうにか形にしている。
だからこそ毎週のようにアドリブで補ったと語る裏話が披露されるのでしょう。
逆に、脚本を褒める出演者の声はほとんど聞こえてこない。今となって褒めているのは磯Pくらいではありませんか。
◆松重豊、「どうする家康」石川数正のラストシーンに言及「本来書かれていなかったセリフをアドリブで言った」(→link)

武者さんが好きな『麒麟がくる』でもアドリブはありましたが、好きな作品だと敢えてそれに触れないか、あるいは肯定的な見方をし、嫌いな作品だと積極的に叩いているように見えますね。
それと
「脚本を褒める出演者の声はほとんど聞こえてこない」
ひところ鳴りを潜めていましたが、また脚本を褒める褒めないで判断する癖が出て来たようです。
要は、一旦捨てた方法をまた使ってでも叩きたいということでしょうか。

ではガイドブック後編での出演者のコメントをいくつか。武者さんが叩いている築山事件に関してです。

松本潤さん
「さらには謎の多い『築山事件』。家康、瀬名、信康。この3人の関係性については諸説ありますが、古沢良太さんの脚本はきっとこうだったと思わせる筋書きだったので、僕自身そう信じています」

有村架純さん
「今作では、瀬名がたくらんだと言われている『築山事件』が出て来ます。初めて台本を読んだときは涙が出てきて自分でも驚きました。脚本の古沢良太さんも『書くのが苦しかった』とおっしゃっていたそうです。『潔く散るべし』という戦国時代の価値観の中で『やっぱり生きたい』という気持ちが表現されていたような気がします」

松重豊さん
「ドラマで描かれる『築山事件』部分の脚本を読んだとき、古沢良太さんの発想に感服しました。涙なしでは読めず、こんな物語があっていいと思いました」

視聴率では二桁を割ったり戻したりという体たらくで、それでも提灯記事は増えるのか、増えないのか?

「二桁を割ったり戻したりという体たらく」
これだと何度も割ったり戻したりしているようですが、スポーツ中継が裏に来ていなくて二桁を割ったのは、今までのところ第30回のみですよ。

そして
「超絶技巧記事が出ました」
などとあるのですが、つまるところ、同じ系列のメディアでも訴求対象によって書き方を変えているわけで、
「これぞできるプロの仕事だと思います」
などとあります。
こんなこと書くより、武者さん自身がきちんと「プロの仕事」をやるべきかと思いますね。

で、別の女性週刊誌の松本さん関連記事では、
「心底どうでもいい」
どうでもいいのにわざわざリンクを貼るのですね。タイトルだけ置いておきます。
「松本潤『どうする家康』の“制作スタッフと撮影打ち上げ”を主催、ムロツヨシは頻繁に参加も家康の正室・瀬名役の有村架純は「あえて誘わない」」

あと

惻隠の心は仁の端なり。『孟子』公孫丑章句上篇
哀れみや情けを持つことこそ、仁の基本です。

と、例によって漢籍引用ですが、いつもながらあっさりしているなと思います。惻隠の情とは、他人の不幸を憐れんで痛ましく思う心のことではないでしょうか。もう少し詳しく書いてください。
で、その後に茶々関連の持論展開。これまた例によって例の如くなので、パスしようかと思います。


飲み物-緑とグラスビール
[ 2023/08/18 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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