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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 73その2

『武将ジャパン』、大河コラム第36回関連記事、前半部分への疑問点です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第36回「武士の鑑」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/09/19/170929


1.そのころ戦場では、義盛の不意打ちがあっさりと見破られていました。
なぜわかったのか?
義盛は慌てふためいていますが、やはり兵法書理解の差でしょう。
進軍の際にズンズン歩いて鳥がバタバタと飛び去っていたら、一目瞭然でバレてしまいます。そもそも重忠は高所に陣取っています。
義時はまっすぐ来る相手に備え、守りを固めていました。

兵法書がどうこうと言うより、義盛は脇から攻めると口にしており、重忠もまたそれを見抜いていた以上当然かと思います。現に戦場で重忠は、敵軍に和田がいないと言っていますね。それとここでは鳥が飛び立つシーンなどはありません。

2.周囲に武士や郎党が集まると、あの計算高い義村ですら、こう宣言します。
「手を出すな! 誰も手を出してはならぬ!」
総大将同士が組み合って戦うなんて、それこそ兵法書通りじゃない。
それでもあの義村すら天意に呑まれたように見守るしかない。

武者さんとにかく兵法書にこだわりたいのは分かりましたが、この場合は昔から共に戦って来た戦友同士が敵味方となったことで、いわく言い難い何かにかられたからと思われます。

3.この二人の勝敗は何が分けたのだろう?
天命の差でしょうか。この場面はかなりおかしいように思える。なぜ重忠はとどめを刺さないのか?
私は天命ということにしたい。
重忠を見る義盛も、泰時も、義村も、何かに打たれたような顔になっている。
もう重忠は人ではない何かになったのかもしれない。
こんなにボロボロなのに荘厳です。

そもそも重忠は戦をしに行ったわけでもなく、また坂東武者の潔さにこだわっている以上、自分が有利になった状況下であっても、相手を討つのをよしとしなかったからではないでしょうか。

4.誇り高く、己の命より名を守った重忠。そんな巨大な星からすれば、保身に走る時政はなんと小さく醜いことか。
大江広元も、執権殿は強引すぎたと振り返っています。
御家人たちのほとんどは畠山に罪がなかったと語り、八田知家も同意。

先日も書きましたが、時政には時政の考えがあってのことです(りくの考えと言うべきかも知れません)。但し、そのやり方はあまりうまくなかったと言えるでしょう。仮に時政がりくほどの策謀家であれば、もう少し重忠をうまくあしらい、自分達の評価も落とさずに済んだ可能性もあります。無論この場合、別の形でトラブルが発生することもまたありますが。

5.「畠山殿を惜しむ者たちの怒りを、誰か他のものに向けては?」
またまた広元が恐ろしい提案をしてきました。
罪を誰かに押し付けよ、とのことですが、では誰に?
「重成に?」
時政が義時にそう言われてギョッとしています。

重成の場合、史実では最初からこれに加担していたと言われてもいるわけで、処刑されるのもやむなしではありました。ただ三谷さんの脚本では欲に目がくらみ、最終的に濡れ衣を着せられたという設定となっていますが。そして広元の「恐ろしい提案」ですが、取りあえず時政の面目を保ち、ことを極力穏便に解決するには、これしかなかったのではないでしょうか。

6.「わしはな、皆の喜ぶ顔を見ていると、心が和むんじゃ」
そうしみじみと語る時政は、やはり天命が理解できておりませんね。
時政はりくの言いなりだ。悪女とそれに翻弄される男、いわばマクベス夫妻のように思える。
時政とりくの老成できないバカップル。いたずらに歳っただけで、成熟はしていない。
この手の組み合わせは悪女論で語られがちですが、堕落させた女と堕落する男、悪いのはどちらなのか?
時政は優しい。気のいい頼り甲斐のある男。
その本質は不変のまま、しかし低い方へと流されました。

この『鎌倉殿』に於けるマクベスについて、別のコメントでも目にしたことがありますが、ちょっとそれはどうかなと思ってはいます。あとバカップル呼ばわりは、武者さんがりくを嫌いと言うこともあるかと思います。もっと客観的に見れば、それぞれの立場があることくらいはわかるでしょう。

その一方で、
「この手の組み合わせは悪女論で語られがちですが、堕落させた女と堕落する男、悪いのはどちらなのか?」
とあり、女性であるりくを一方的に責め立てるのは、やはり気が進まないようでもあるわけで、寧ろこういうことに対する武者さんの心理を知るうえで、興味深くもあります(これは小檜山氏名義の朝ドラ評も同じ)。
あと以前も書いていますが、りくを演じる宮沢りえさんが、三谷さんはりくをこれまでの悪女と同様には書きたくないと言っていたと、そうガイドブックでコメントしています。

それと本質的に時政は坂東武者で、御家人は昔からの仲間であり、幕府の中枢は身内であるため、そこが見方の甘さにつながったとも言えるでしょう。

ところで時政の「和む」という言い方について

「『和む』という時政の言葉も、サイコパスでもなんでもなく、普通の人間がやらかしがちなよくある過ちでしょう。ダメ大河でもありがちで、具体例を挙げますと、2019年『いだてん』でこんなシーンがありました」

とあって、『いだてん』と『青天を衝け』に対する批判というか誹謗中傷と言うべきものが長々と書かれているのですが、例によって例の如くなのでここでは省略します。

7.所領の分配を尼御台に任せると言い、広元もこれには納得です。
別に恋愛感情ではなく、このあまりに尊い何か特別な存在に心酔しています。
広元は色気がある方ではない。
比企能員が設定した宴で美女たちのお酌を受けていてもムスッとしていた。
そんな広元が甘ったるくなるとすれば、それは尊敬できる相手だからです。

と言うより、広元はそもそも比企能員のような武者に馴染めていないし、政子に対しては、頼朝の未亡人という意味で尊敬はしていても一線を超えることなく、寧ろ時政にぶつけるとすれば、彼女ほどの地位でないと難しいと読んだからではないでしょうか。しかし「甘ったるくなる」と言う表現もどうかと思います、「女性に寛容な態度を取る」とでも書いてほしいものです。

8.政子本人は断ろうとしますが、それでも広元は、尼御台から御家人に所領を与えてやって欲しいと粘る。
自分が口を出せば政(まつりごと)が混乱すると警戒していました。彼女は頼朝の言いつけを心に留めている。なんと貞淑で素晴らしい女性なのでしょうか。

りくがあまり好きでない(しかし女性であることで否定はできない)ものの、政子は大好きと言っていい武者さんらしさがここでも現れていますね。無論彼女も、かつては夫のすることにあれこれ言っていたわけで、尼となってから、いくらかは卓越した物の見方をするようにはなりました。

9.「そのさき、あなたが執権になるのですか?」
「私がなれば、そのためになったと思われます」
「私が引き受けるしかなさそうですね」
「鎌倉殿が十分に成長なさるまでの間です」
政子にそう言う義時。この対話は重要だと思います。
姉も、弟も、どちらも権力が欲しいわけでもない。

どうでしょうね。義時の場合は、いずれ自分が執権にと考えていて、取りあえず冷却期間を置いたようにも見えますし、この人が権力を握ったら握ったで、色々な事態が出来することになるのですが。

あと

10.幼主が成長するまで母が政治を行うことを、東洋史では【垂簾聴政(すいれんちょうせい・御簾の向こうで政治を聞いている)】と称します」

たぶんこれを出してくるだろうなと思いました。ただし必ずしも幼帝の母親というわけでもなく、当時の皇后や皇太后が政を行っていたと言うべきでしょう。かの西太后も、そうだと言われています。

11.7月8日――尼御台の決めた恩賞の沙汰を二階堂行政が読み上げています。
動揺したりくが「執権殿をさしおいて政子がしゃしゃりでるとは!」と怒り、政子が口出しすると政(まつりごと)が混乱すると責めている。自分だって散々引っ掻き回していることは全く無視。
時政は怒り、脇息を蹴り飛ばします。
りくも驚くほど、時政は激怒しているのでした。

はっきり言って、政子と義時の密談など、りくは知る由もありません、政に関わらないと言った政子が権力欲を出して、ああいう場に出てきていると思ったでしょうし、しかも執権たる自分の夫を差し置いてとなるわけですから、怒りをぶちまけたとしても無理はありません。しかし
「政子が口出しすると政(まつりごと)が混乱すると責めている。自分だって散々引っ掻き回していることは全く無視」
とありますが、政が混乱するとは言っていません。りくが言っているのは
「なぜ政子がしゃしゃり出るのです」
「政に関わらないはずではなかったのですか」
であり、なおかつ父である執権殿(時政)を差し置いたことで憤懣やるかたないわけです。
それと
「自分だって散々引っ掻き回している」
と書くのなら、どこをどう引っ掻き回しているのか具体的に書いてほしいですね。


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[ 2022/09/24 01:15 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 71その1

『武将ジャパン』大河コラムへの疑問点前半部分です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第34回「理想の結婚」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)


1.泰時はめんどくさい性格です。『鬼滅の刃』の炭治郎と同系統ですね。
『麒麟がくる』の光秀もそうでした。彼も放送時に空気が読めないだの、態度が悪いだの、言われていたものです。
現代で言えば、接待カラオケができないタイプと申しましょうか。坂口健太郎さんの端正な個性にもピッタリ。

なぜここで『鬼滅の刃』だの『麒麟がくる』だの出て来るのでしょうね。お気に入りだから無理やり出して来ている感もありますし、泰時と光秀は人間性がいくらか異なるとは思いますが。
それと「端正な個性」と言うでしょうか。「端正な振る舞い」とか「端正なたたずまい」などとは言いますが。

2.癒し系であり、ネタバレしますと、彼は物語の最後まで滅亡or失脚をしません。
時房ファンの皆さまご安心ください。

承久の乱にも参加して、義時が亡くなった後も生きるのですから当然のことと思われます。

3.三代目鎌倉殿・源実朝――。
実朝の隣には、実衣がいて頭を下げています。乳母はそれほどまでに実権を握っているのですね。

「乳母はそれほどまでに実権を握っているのですね」
非常に今更感があります。武者さんは比企尼や能員の妻道を、どのように見ていたのでしょうか。

4.薙刀のような長柄武器は実践的で、中国ではむしろこちらが主流になりました。

このドラマの舞台は中国ではなく、鎌倉時代初期の日本です。
薙刀は平安時代から用いられていましたが、大型化したのは鎌倉時代末期、南北朝の頃だと言われていますね。弁慶が持っていたのも、薙刀とされています。

5.しかし語りばかりで退屈なのか、実朝も居眠りをしてしまいます。扇をパンと打ちつけ、実朝を起こす広元。

個人的には、薙刀と弓矢の稽古の後で体力を使ったのかと思いますが…。

そして
「漢籍教養の豊かな人ですので、ここで『論語』「衛霊公」でも。
子曰く、無為にして治まる者は、其れ舜か。夫れ何をか為すや。己を恭しくし、正しく南面するのみ、と。
【意訳】孔子は言った。何もせずともうまく天下を治めたのは舜か。何をなされたのだろうか? 謙虚な態度で、君主として正々堂々振る舞っていたのだ」
などとありますが、別に出さなくてもいいとは思います。武者さん自身はこれを書きたくてたまらないのかも知れませんが。

6.とても綺麗な和紙ですね。当時は貴重な和紙をこれほど大量に入手することは、彼女が若い頃にはできなかったのでしょう。紙の質が格段に上がっています。

例の和歌を書き写した冊子のことですが、彼女(政子)が若い頃にと言うより、今は尼御台という地位があるからこそ、こういう高価な紙をふんだんに使えるのではないでしょうか。それ以前から、それこそ武者さんが好きな大陸・半島由来の紙は存在していたはずですが、それらを日常的に使う人々はかなり限定されていたでしょうから。

7.今度の裁きは俺がうまくやるとノリノリ。相手が泣き寝入りするようなことはしねえ、安心して待ってろってよ。
なんなんでしょう、この清々しいまでの贈収賄は。ダメだという理念が1ミリもねぇ!
殺人や暴力への罪悪感がない坂東武者です。
当然ながら、贈収賄ぐらいでは全く良心も痛まない、絶望的なまでに道義心がない連中が楽しそうに生きています。
娘婿の平賀朝雅にしても「舅殿を頼りにしている」とホクホク顔。
りくと時政の愛息子である北条政範が勧めるままに、何ら遠慮もなく土産を受け取っています。

贈収賄と書かれていますが、その当時と今の概念とでは同一視はできないのではないでしょうか。その後の時代でも、このようなことは続きますし、そもそも付け届けと、「殺人や暴力が好きな坂東武者」とはどのような関連性があるのでしょうか。それを言うなら、義時の「不正」を責め立てる泰時も「坂東武者」なのですが。

それから朝雅が「何ら遠慮もなく土産を受け取っている」と言うよりは、「御家人たちが時政に献上した土産の中から、好きな物を持ち出している」でしょうね。

8.にしても、この場面はどうでしょうか。
政範は決して悪い少年ではありません。親のすることに疑念はない。
しかしこれが泰時なら「間違っている! 下劣です!」と訴えているのでは?
彼は自然と、贈収賄が悪であり、裁判をそんなことで変えるなんてありえないという結論に達するでしょう。

1つ前にも書いていますが、その当時と今とではこのような付け届けそのものの概念も違いますし、それを裁く法もまだありませんでした。半ば公然と行われていても、そのような時代であったとこの場合は取るべきでしょう。

そしてこの泰時のキャラ設定が少々鬱陶しく感じられるようになったのは、あらすじと感想でも書いています。今が6月くらいであれば、あるいは視聴を止めたかも知れませんが、あと10回ちょっとなので最後まで観ようとは思います。それとこの作品は三谷大河の中でも、一番現代に寄せているようにも思われ、部分的に現代ドラマのような印象があります。

9.そんな時政の前に、畠山重忠と足立遠元――武蔵の御家人が座っていました。
「比企がいなくなって武蔵が空いちまった」
そう告げる時政は、続けて俺がもらうと宣言します。

これは前にもこのコラム関連で書いていますが、北条は畠山や三浦と比べると小勢力であり、武蔵が欲しかったとしても特に不自然ではありません。

10.かつて平家方に茄子を届けていた時政が、鮎を届けられて喜ぶようになっている。堕落とはまさにこのことでしょう。

届けることの意味が違うかと思います。国衙に野菜を持って行って散々に扱われたのは、あくまでも挨拶のための訪問であり、しかも飢饉で食べる物がない時期でした。この鮎の場合は、別に数が少ないのを無理して送り届けたわけでもなさそうですし、何よりも訴訟の判決を自らに有利にするためで、単純に比較はできないと思います。

11.それにしても今年の大河は本当に教育上良いと思います。子供ではなく、大人の教育です。
ここ数年の駄作大河では美化してやりがちな悪弊があった。
それは「職務上の権利を振りかざすこと」であり、自分の贔屓する相手にだけ情けを掛けることを美談扱いするシーンが多々ありました。
(中略)
感動、美談に仕立て上げ、倫理観の欠如した大河ドラマなど、誰が見たいのでしょう。
その点、今年は愛嬌のある北条時政が、最低最悪の贈収賄を強行し、それが悪しき様で描かれていて実に気持ちがいい。
すべて感情で動くのは危険である。今年はその弊害を描いてくれて、実に爽快です。

よくこんなこと書けるなと正直言って思います(苦笑)。この中略の部分には、いずれも『西郷どん』、『いだてん』、そして『青天を衝け』に対してネガティブなことが書かれていますが、この指摘がまず変です。

『西郷どん』では、
「西郷隆盛が権力を使ったうえで、我が子に海外留学させることを美談扱いしていた。税金を流用して自分の贔屓する学校に金を回すことをよいことのように扱っていた」
とありますが、隆盛が菊次郎を海外留学させるのはその前からの考えであり、しかも東京滞在時の隆盛は長屋住まいでした。それと「贔屓する学校」とは私学校のことでしょうか。これは税金と言うよりは、明治維新に功労があった人々に贈られる賞典禄によって作られています。
『いだてん』に関しては観ていないので何とも言えませんが、『青天を衝け』の場合は、
「『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一が明治以降に大商人として成功できたのも、長州閥とのテロリスト人脈で結ばれていたから。ビジネスにおいて適切な競争原理が働いていない」
なのだそうです。「長州閥とのテロリスト人脈」などという表現もどうかと思いますし、「ビジネスにおいて適切な競争原理が働いていない」にしても栄一のビジネスは多岐にわたっており、具体的にどのような部分で競争原理が働いていないか、それを指摘してほしいものです。

それとここでは「主人公の父」の時政が、武者さんが叩いている大河の「主人公」と比較されており、それもまた妙なものです。義時が付け届けを貰ってにんまりしているのなら、まだわかりますが。今までも書いていますが比較対象がおかしいです。

12.そんな政子を無視するかのように、りくと実衣は軽やかに宣言。結果として女性三人が賛同したことになりますが、むろん真意には大きな差があります。
りくと実衣はステータスに目が眩んでいる。
政子は過去の過ちから学ぼうとしている。

実朝の結婚話ですが、りくは京育ちですから当然でしょうし、実衣も、乳母である以上同意は当然のことでしょう。そして何よりも政子が本当に同意するか否かより、この場合は形式上であっても
「尼御台の決断」
が、皆欲しかったのではないでしょうか。

政略結婚の典型ではありますが、この当時の高位の人々などこのようなものでしょう。

あと過去のあやまちと言うのは大姫のことでしょうが、大姫のキャラ設定(私は正直馴染めませんでした)と実朝のそれとはまた違うし、将軍の娘が入内するのと、公家の姫君が輿入れするのもまたいくらか異なるかとは思います。


飲み物-ポーターとクルミ
[ 2022/09/07 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 60

『武将ジャパン』大河コラム続きです。

広元は現実的です。
熊谷直実の子・直家が「父が宣告して亡くなる時期なので上洛したい」と申し出たところ、「人間ごときに死ぬ時期なんてわかるわけないでしょ」と却下しております。
(ここで論語の『子は怪力乱神を語らず』『未だ生を知らず、焉(いず)くんぞ死を知らん』つまり君子は道理に背いたことはしない、「生すら分からないのに死がわかるわけない」を引用)
こういう漢籍をバッチリこなした大江広元が、こんな呪詛を信じるとは思えません。
話を合わせたのは彼なりの処世か、それとも……?

正直な話、どう見ても広元が頼朝を煽った感がありますね。
それに範頼に感しては、養父が公家であったせいで京との結びつきがあり、公家のトラブルにも関わっていたようです。上記のような理由で、範頼を遠ざけなければならないという事情が生じ、この大河では、広元自身が範頼の呪詛としたのではないでしょうか。あと鎌倉は自分が守るというのも、事実であるかは疑わしいともされているようです。

範頼の最期は梶原景時の軍勢に攻められて自害とされますが、本作では善児が始末しました。
いい加減、警戒されてもおかしくないでしょうし、善児は修善寺のある伊豆の出身でしょう。そこは深く考えても仕方ない。ある意味、善児こそ一騎当千の気がします。

「いい加減、警戒されてもおかしくないでしょうし、善児は修善寺のある伊豆の出身でしょう。そこは深く考えても仕方ない。ある意味、善児こそ一騎当千の気がします」
この意味が少々わかりづらいのですが、
「修善寺は伊豆にあり、善児は伊豆の人と思われるため範頼も警戒するべきだったでしょう。無論その点ばかりを考えても仕方ない。この場合善児こそが、向かうところ敵なしなのではないでしょうか」
とでも書きたいのでしょうか。
しかし範頼はこの場合、自分が誅殺されると考えていたのかどうか不明です。さらに善児は誰かの命令がないと動けず、その意味で天下無双というわけでもないでしょう。ただ少女を助けようとして、初めて彼自身の意志が働いたとは言えそうです。

そして今回のMVPなのですが

MVP:源範頼と大姫 ついでに三浦義村

とあります。退場者だからMVPというのもあるでしょうが、範頼はともかく、私なら、大姫でなく巴または丹後局の方を選ぶかと思います。また「ついでに」三浦義村というのは気の毒ですね。

何も知らず、真っ直ぐに生きているときが、頼朝と政子にとっての幸せの頂点だったのだろうと。
しかし、二人とも変わってしまい、そのためどんどん恐ろしい結末へ向かってゆきます。

これ、前にも同じような記述があって、その時書いたかとは思いますが、何らかの形で天下を取ろうとなれば、まず「真っ直ぐな」生き方は無理でしょう。生き様も変わってしまうし、人々の考えにも翻弄されるし、様々なしがらみを目の当たりにすることにもなるわけですから。

範頼はかわいそうなんですよ。
人生そのものもそうなのだけれども、義経顕彰系のフィクションの中で、対比のため必要以上にダメなお兄さん扱いをされてきた。
そのせいで地味で役に立たない人とすら思われている。
そういうところを否定すべくマッチョにするのではなく、ただただ真面目で温厚で、こういうリーダーがいたらきっと最高だと思わせてくれた。
素晴らしい範頼でした。

上の方でも書いていますが、範頼は養父が公家で、公家間のトラブルに関わったり、他にも御家人関係でトラブルもあったという説もあり、労多くして功少なし的な人物であったとも考えられます。その意味で苦労人ともいえますし、無論迫田さんでもよかったのですが、もう少し暗めの設定で、最期は頼朝を呪うような死に方でもよかったかと思われます。
尚「義経顕彰系のフィクションの中で、対比のため必要以上にダメなお兄さん扱いをされ」たのは『平家物語』、あるいは『源平盛衰記』とされています。しかし武者さん、『源平盛衰記』の文覚伝説は信じているのですね。

南沙良さんの大姫。暗くなくて明るい笑顔も見せるのに、常に底に穴が開いているようで。悲しいけれど、それだけではない素敵な大姫でした。

流石に武者さんも、大姫に関してはあまり書いていません。実際ちょっととらえどころがない人物に見えます。このキャラ設定その他に関してもまた書く予定ですが、「悲しいけれど、それだけではない」て具体的にどういうことなのかなと思います。「悲しいだけの人生ではない」ということなのでしょうか。

彼は『真田丸』の真田昌幸も思い出します。
昌幸は真田を守る一点集中で生きている。
でも天下は武田、豊臣、徳川と回る。
回る中で自分だけ回らないでいたら理解されず「表裏比興」と言われてしまったのです。

武者さんは以前『いだてん』のコラムで、感情移入ばかりを求めるなとして、「例えば『真田丸』の真田昌幸とかに感情移入できましたか?」などと書いていたことがありました。無論私はできましたが。なのにここに来て、
「昌幸は真田を守る一点集中で生きている」
などと肯定的評価に戻っていますね。

あと「彼」とは三浦義村ですから、
「彼は『真田丸』の真田昌幸を思い起こさせます」でしょうね。

でその後ですが、相変わらず京都=悪と決めつけ、例によって例の如く漢籍マウント、そして『麒麟がくる』を上げて『青天を衝け』を叩きまくるといった具合です。『鎌倉殿の13人』のコラムで、なぜ他の大河の上げ下げをやるのか不明です。ともあれ、その中からおかしいと思われる点のみ挙げておきます。

今回のこの「レビュー」の在り方については、また日を改めて書く予定です。しかしやはりどう見ても、感情丸出しというか向きになっているようにしか見えないし、炎上させるにしても、はっきり言ってレベルが今一つだとは思います。運営もなぜこういう原稿を書かせるのでしょうね。

阿野全成の描写は興味深く、陰陽師の役割も兼ねています。
中国でこういう術を行うものは方士。そんな中国由来のシャーマニズムが日本にも取り入れられてゆく。仏僧もこなす。
まだ鎌倉仏教として洗練される前ですので、全成や文覚はもっと原始的な術を使うのです。

まず全成、そして文覚は真言宗(密教)の寺院で修行しています。そして所謂鎌倉仏教と呼ばれるものは浄土宗の系統、日蓮宗あるいは禅宗が中心となっています。真言宗がこれらの鎌倉仏教になったのではなく、新興勢力として出て来たのですから違って当然でしょう。そして真言宗とは別に、真言律宗がこの時代に起こっています。また武者さんは以前、鎌倉時代は護摩を焚くのは廃れたなどと書いていたかと思いますが、元寇の時には護摩法要が行われています。

『麒麟がくる』では、斎藤道三が我が子・斎藤義龍と明智光秀を比べ、光秀がいかに早く四書五経を読みこなしたか語りました。
武士が幼い頃から学校で漢籍を学ぶようになっていたのです。

この当時すべてが学校に行ったわけではなく(足利学校などはありましたが)、家庭、あるいは寺院などで学ぶという方法が主流だったのではないでしょうか。これに関しては
戦国大河考3
で、『天地人』の雲洞庵のシーンを引用して書いています。

文武の区別が曖昧な日本で文官でありながらも戦も強い「軍師」となると、これがなかなか難しい。
『三國志』のようなフィクションにあこがれた作家が智将=軍師としたのですが、前述の通り武士は文官ではありません。
『軍師官兵衛』は?
黒田官兵衛は武士なので、中国の定義でいくと該当しません。敢えてあげるとすれば、仏僧である太原雪斎あたりでしょう。

これも、日本は儒教国家でないのだから当然です。儒教国家なら武士が政権を担当することなどまずないでしょう。


飲み物-アイスラテとエスプレッソキューブ
[ 2022/06/24 01:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第23回「狩りと獲物」あらすじと感想-1

『鎌倉殿の13人』第23回「狩りと獲物」前半部分です。


義時は弟の時連が差し出した、御家人たちの宿舎の割り当て図を見ながら、梶原と和田は離すようにと指示を出していた。そして、ちょっと2人になりたいと言う。時連が、自分と2人になりたいのかと不思議そうにしていると、義時は、父上と2人になりたいのだと言い、その後時政に、曾我の兄弟のことで景時が動いていると伝える。

しかし時政は隠された意図を知らず、ただの敵討ちだと思っていた。そんな父に義時は、あれは敵討ちに見せかけた謀反であり、父上は利用されたのだと警告する。

巻狩りに出発する日、万寿は女性たちに見送られて御所を出る。頼朝は万寿の初陣と位置づけ、獲物を山の神に捧げ、次なる鎌倉殿であることを示すと明言する。

巻狩りとは鹿や猪を仕留める大規模な狩りを意味するが、同時に大軍事演習でもあった、集まった御家人たちは獲物を仕留めたり、あるいは逃げられたりで、義盛は猪を追いかけ回していた。しかし万寿は獲物を仕留められず気を落とし、手の豆を見た頼朝がやめるように促しても心残りのようだった。

一方三浦義村は義時に
「万寿様は矢の勢いが足りねえんだよ」
とずばりと言う。そこへ金剛と鶴丸が、獲物の鹿を持って現れる。金剛と万寿は頼朝に報告に行くつもりだったが、2人はそれを制する。

頼朝の宿舎の準備に余念のない時政のもとへ、義時が畠山重忠を伴って現れる。時政は曾我兄弟につけた家人たちを呼び戻したがっていたが、重忠は狩りそのものを中止できないのかと問う。しかし頼朝がそれを許すはずもなかった。仮に企てを知ったところで、源氏の威信に傷がつくため、取りやめになさらぬと時政。結局は守りを固めるしかなかった。

その夜工藤祐経は、明日万寿様が獲物を仕留められなければ、お主の手落ちだと言う。水辺に近い場所で動物たちを待てばいいと義時は言うが、重忠は、警戒させないためにももう少し散らばった方がいいのではないかと意見する。そこへ比企能員が比奈を連れて現れる。

能員は時政に酌をしながら、狩りが無事に終わることを願っており、時政もそれは同じだった。そして場を離れ、それぞれの布陣を考えている義時に比奈が話しかける。頼朝の酌をするはずだったが、放っておきましょうと気にも留めなかった。そして比奈は鹿は群れで動くから、1匹いれば何匹もいると思った方がいいと忠告を与える。北陸道暮らしが長かった比奈はこの手のことに熟知していた。

夜道で鹿の糞があることから、その辺りに鹿が多いと比奈は言うが、その時猪を見つけてしまう。逃げようと言う義時に、走れば追いかけて来るから駄目だ、ゆっくり後ろ向きに下がるように言い、やがて猪が勢いづいたところで2人は走り、重なるようにして草むらに倒れ込んだ。

翌日万寿は鹿を狙うが、御家人たちが寄って来てあれこれ指図をする。重忠が人が多いと鹿がおびえて逃げ出すと言うが、お前だって来てるじゃないかと義盛。頼朝が皆を解散させ、安達盛長は場所を変えるよう提案するが、万寿は金剛に矢を渡し、やってみてくれと言う。金剛は見事鴨を射抜くが、周囲の視線に何やら気まずそうだった。

逃げるようにその場を去った万寿に景時が近づき、矢を射るばかりが巻狩りではない、戦に作法はないと九郎義経殿に教わったと話しかける。そして毒餌を撒くように勧めるが、万寿は矢で仕留めないと意味がないと言って立ち去る。盛長と能員は万寿に獲物を仕留めさせるべく、時政に「動かぬ鹿」を翌日の昼までに用意させようとする。盛長は、この件は頼朝の耳に入ってはおらぬと言うが、実は盛長と能員の背後で、頼朝が弓を触っていた。

八田知家が金剛が仕留めた鹿に細工を施し、「動かぬ鹿」に仕立て上げて万寿に狙わせる。万寿が放った矢はその鹿から外れるが、知家、そして鶴丸が協力して、あたかも万寿が仕留めたように見せかける。しかし金剛は、能員の言葉の不自然さに気づいていた。無論頼朝もこの件を耳に入れてしまっていたが、如何にも息子の功を喜ぶかのように振舞っていた。

自分で倒した獲物を見に行こうとして止められ、万寿は何かすっきりしない思いだった。そして金剛に、父が手を回して細工をしたと打ち明け、いつか弓の達人になりたいと洩らし、空中に矢を放つ。その矢は皮肉なことに、能員の脚に命中していた。

その夜矢口祝い、つまり武家の子が初めて獲物を仕留めた時に、山の神に餅を捧げる儀式が行われ、万寿は3色の餅を一口ずつかじった。御家人たちにも餅が振舞われ、義時と金剛の所に工藤祐経がやって来る。挨拶をする金剛に祐経は、目元が八重に似ていると指摘し、義時は、鎌倉殿の覚えがめでたくてよかったですねと、さりげなく祐経に言う。

その祐経はこれからは京へ行くことも多くなる、自分のように京暮らしが長い男は、そばに置いておいた方がいいと自画自賛だった。さらに祐経は、比奈について義時に尋ねる。

鎌倉では脚を痛めて戻って来た能員が、万寿の鹿の話を大げさに吹聴する。しかし政子は、そのようなことは源氏の嫡流なら当たり前であると冷ややかに言い、大姫も鵺を射落としたわけではないとそっけなかった。能員はしょげかえり、全成が嬉しくないわけではないと取り繕うも、実衣ははしゃぎすぎだと言い、道は痛む脚で帰って来たのにと不満そうだった。しかしその政子は万寿が帰って来たら、うんとほめてやるつもりだった。


富士の巻狩り、そして曾我兄弟の仇討ちの回ですが、その前にもう一つの「企み」があったようです。獲物をなかなか取れない万寿に対し、周囲の大人たちがとある策を講じるのですが、どうもバレバレでしたね。しかし万寿は、本当に獲物を仕留められませんね。義村と義時が、獲物を持って報告に行こうとする金剛を止めたのもむべなるかなです。

それにしても坂口健太郎さんの金剛登場シーンですが
「成長著しい」
と字幕が出るものの、元服して泰時になってから出て来た方がふさわしかったような気がします。水干より直垂のイメージですし、無論万寿も、そして鶴丸も急に成長してしまっていますね。鶴丸は、北条家の家人にでもなっているのでしょうか。

その万寿を送り出す際に、実衣が熊の毛皮をと言っていますが、熊の毛皮と言えば、『真田丸』の昌幸の献上品を思い出します。あと大姫が、あやめた獣たちの怨念を持って帰ってこないでくれと言いますが、全成は邪気は自分が払うとフォローします。この時代はそう珍しくもなかったとは思われるものの、大姫はやはり霊的な世界に囚われている感があります。鵺についても話していましたね、この当時ですから、無論源頼政が射止めたとされていたのでしょう。それにしても政子の後を大姫が歩くと、何だか政子の侍女のように見えてしまいます。

一方で比奈。急に現れたかと思ったら、動物たちに詳しい設定になっていたりして、ちょっと都合よすぎやしないかと思ってしまうのですが…。あと絵図に「御所」と横書き、それも左から右への横書きになっていますが、この当時こういう書き方はあったのでしょうか。明治時代になると、アルファベットの影響もあって、左からの横書きもあったらしいということを、『いだてん』のあらすじで書いてはいます(結局6回しか観ませんでしたが)。

それにしても時政と能員、狩りがつつがなく行ってほしいと話していますが、「その後」のことをわかっていますよね2人とも。あと頼朝の行縢は、アザラシの皮のように見えます。奥州攻めで鎌倉軍が持って帰って来たのでしょうか。

あとこの回ですが、ちょっと『大岡越前』と連動しているのではないか、そう思ってしまいます。たまたま似たようなシーンがあるためなのですが、脚本をはじめスタッフも出演者ももちろん別々です。これについてはまた詳しく。


飲み物-マグとビール
[ 2022/06/13 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

NHKの大河本に思うこと

先日書店に立ち寄った時、大河ドラマのガイドブックが出ていないかどうか探してみました。生憎少しばかり早かったのですが、その代わりと言うべきか、『プレイバックNHK大河ドラマ』なるムックが数冊ありました。

この本は昨年の11月に発売されたもので、立ち読みでぱらぱらとめくってみた限りでは、高橋英樹さんとさだまさしさんの対談とか、テーマ・時代別の深堀りなどもありますが、正直言ってそこまで新鮮さは感じられず、過去のガイドブックや『ステラ』の記事の焼き直しのように見えました(楽しんで読んでいる方がおられたらすみません)。

無論過去作の主演の俳優さんのインタビューもあります。こちらは2000年代の大河と『いだてん』のみで、あとストーリーと名場面のダイジェストも、『平清盛』以降となっています。そもそもが2011年に出た『NHK大河ドラマ大全 50作品徹底ガイド完全保存版 』の続編といった位置づけのため、こうなっているようです。

個人的には、2000年代の大河を中心に持って来るのは必ずしも悪いとは言いません。寧ろ何十年も前の作品ばかりを持って来られるよりもいいと思います。

ただ、何かしらNHKの自己満足といった印象が感じられます。しかし言うまでもなく、大河というコンテンツは受信料によって支えられています。ならば受信料を払っている視聴者の声も、もう少し反映されていいかと思います。無論人気投票などではなく、舞台となった土地の声とか、視聴者の評価や批判も入れるとか、そういうのはありではないでしょうか。

それからこの本は「教養・文化シリーズ」ムックとなっています。但し私としては、大河というのは教養または文化というよりは、娯楽であると思います。『歴史探偵』とか、もっと言えば『ダーウィンが来た!』の方がよほど教養・文化であるかとも思います。

NHKは大河は教養だと言いたいのかもしれません。しかし基本的にはドラマであり、ドラマだからこそ創作も許されるわけです。大河の立ち位置が今一つあやふやで、史実に沿うかそうでないかという論争が毎年のように引き起こされるのは、NHKのこういう姿勢も一因なのかも知れません。

ちなみに大河のガイドブック後編は、5月27日発売予定(首都圏)ですが、地方だともう少し日数がかかることがあるので、ネット利用の方が、次の放送に間に合うでしょう。


飲み物-アイスコーヒー2
[ 2022/05/22 23:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

2024年大河発表と英仏両国の受信料廃止に思うこと

まだ投稿していませんでしたので、一応。

《大河ドラマ第63作》制作決定!
主演・吉高由里子 作・大石 静
大河ドラマ 光る君へ
(NHK ONLINE)

正直な話、大河のテーマという実感があまり湧いて来ません。言い方が適切かどうかはわかりませんが、『いだてん』の制作発表を目にした時を思い出します。古代を扱うのなら、いっそ奈良時代くらいというやり方もあったかも。

1年物でなく、2クール程度でやるのなら面白いかなとは思いますが。

それからBBCが受信料(ライセンス・フィー)を凍結する一方で、フランスも受信料に当たるテレビ税が廃止されるようです。一般メディアの記事が見つからないので、この記事を置いておきます。

フランスで公共放送受信料の撤廃へ、マクロン大統領が選挙時の公約果たす BBCに続き...狭まる“NHK包囲網”
https://sakisiru.jp/27604
(SAKISIRU)

NHKもいい加減考えてはどうかと思います。そもそも英仏両国が凍結または廃止するか否かに関わらず、現行の受信料制度は問題ありです。
その場合スクランブルをかけて課金するか、大河の場合スポンサーをつけるかになるでしょう。但しスポンサーがついても1年物は難しいだろうし、数字が悪ければ当然撤退するでしょう。言い換えれば、今まで受信料頼みでやって来たNHKの目を覚ますには、スポンサー導入はいいチャンスであるかとは思いますが。


飲み物-ローズヒップティー

[ 2022/05/16 23:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

小檜山氏のツイと壇ノ浦合戦回

毎度のように小檜山氏、すなわち武者さんのツイートを持ち出してすみません。きりがないのでそろそろ区切りをつけたいと思ってはいます。

で、今回はこちらのツイです。
「そうそう。で、八重松陰が大河主演で、花燃松陰が逮捕と…」
こちらは他の方へのリプで、『八重の桜』の出演者関連でスレッドが形成されています。無論小檜山氏のことですから、好きな作品の登場人物は褒め、嫌いな作品の登場人物はけなしています。

それはともかく、この「大河主演の八重松陰」ですが、八重と主演作品、つまり『鎌倉殿の13人』の間にもうひとつ出演した大河があります。『西郷どん』です。こちらでは坂本龍馬を演じていましたが、小檜山氏は嫌いな作品だからだんまりのようですね。実際あの時の龍馬のイメージが、今の髪を下ろした時の小栗さんにどことなく重なるのですが。

そして何よりも、先日放送された『プロフェッショナル 仕事の流儀』で、小栗さんは主演に関して「断る理由がない」と語ったうえで、大河主演に関してこう述べています。
「(『西郷どん』の)鈴木亮平くんは、とにかく自分の人間力というものが、ものすごく大きくなる参加だと思うという話はしていた」
「背負うものも大きく、常に自分の人間力を試されているような気がする現場だったって話をしていた」
鈴木さんの言葉も、小栗さんが主演のオファーを受けるその一因となったようです。

そして「花燃松陰」が逮捕などとありますが、小檜山氏がほめていた『いだてん』前半部分でも、コカインで逮捕された出演者がいましたし、そして何よりも、『麒麟がくる』で当初帰蝶を演じる予定だった女優さんも、麻薬所持で逮捕されていますね。この辺りはどう考えているのでしょうか。

しかしツイでは、嫌いな作品叩き(特に『青天を衝け』と『カムカムエヴリバディ』)が凄まじいです。それも、叩く理由が正鵠を得ているのならまだしも、とにかく嫌いだから叩きたいといった雰囲気です。そう言えば以前歴史改竄した大河は嫌いだと言っていましたが、恐らく歴史を改変(改竄ではなく)していない大河などまずないでしょう。

ところで『鎌倉殿の13人』、明日は壇ノ浦の戦いです。いよいよ義経が平家を追い詰めて滅亡させるわけですが、これを巡って義経と景時が対立することになるのでしょうか。この両者を「アマデウスとサリエリ」になぞらえた記事がありました。個人的にはホームズとモリアーティ、特に(ちょっと生意気な)パペットホームズのホームズと、モリアーティ教頭のイメージもあります。

しかし平家を追い詰めるのはともかく、なぜ平家がそこまで追い詰められたか、平家の権力によって彼らはどのような不利益を被ったのか、そういった描写がやはり弱いような気がします。先日の投稿で触れた義高の脱出と逃走、さらには上総広常謀殺に先立つ御家人蜂起などに、尺を割くなとまでは言いませんが、やはりその尺の一部で他に描くべきものはあるでしょう。平家に関する様々なこともまたしかりです。

飲み物ーアイスカフェオレ

[ 2022/05/08 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

過去美化バイアス3-昔との比較のデメリット

「昭和の日」だからと言うわけではありませんが。以前、昭和の大河は本当によかったのかという投稿をしたことがあります。大河に限らずTV番組というのは、放送時点での社会情勢や世論を反映しやすくもあり、そのため昔人気があった作品を今観ても、何となく今一つだなと思うことはあります。

特に昭和後期から末期の大河、このブログでヴィンテージ大河という表現を何度かしていますが、確かにその当時は受けたし、視聴率も高かったでしょう。しかし、今そういう大河を作ろうと思ってももう作れないでしょうし、またその当時と同じものを作る必要が、本当にあるのかと思ってもいます。

しかしやはり昔はよかった、今のはよくないという意見もあるようです。しかしこれは何度も書いていますが、所謂過去美化バイアスもあるかとは思います。昔の映像作品は殊更に今のと比較するのではなく、その時代のものとして楽しむべきでしょう。こう言っては何ですが、昔の作品を今の作品の叩き棒にするべきではないと思うので。

そもそも同じテーマや主人公でも、昔と今とでは内容がかなり異なってもいますし、それぞれの時代を考えれば、描き方が変わるのもある意味致し方ないとも言えます。昔は可能だった表現方法も、今はできないということもあります。それに人気のある作品でも放送当時は、今年の大河はあまり面白くないと周囲が言っているのを耳にしたこともあります。

面白くなかった大河も年月を経て、過去のものとなるにつれて、段々懐かしさを覚えるようにもなって行くのでしょう。その一方で、時を経ても面白くない作品というのも確かに存在します。私の場合、特に女性主人公大河や『いだてん』は、何か演出が奇を衒いすぎている、やたらに創作が多いなどの理由で馴染めませんでした。しかし人によってはそれに面白さを感じることもあるわけで、その辺りの線引きは難しいところでもあります。

実際好きな大河であっても、他の大河ブログにお邪魔したら、あまり評判がよくなかったということもあります。正に人の考えは様々で、その人はそういう考えなのだと割り切るしかないでしょう。他人の記事に対して、自分ならこう思うと言う程度ならまだしも、頭ごなしに否定するのは避けるべきだと思うので。そしてそのような場合であったとしても、別の記事では意見が合うこともあるのです。

飲み物-琥珀のエール
[ 2022/04/29 23:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第15回「足固めの儀式」あらすじと感想-2

第15回「足固めの儀式」後半です。


岡崎義実は三浦義澄と共に、政子に直訴する。義実は石橋山の戦いで息子を亡くし、そのためにも鎌倉殿である頼朝の役に立ちたいが、頼朝はこちらを見てくれないと嘆く。政子も同じ戦で兄宗時を失っていたため義実に同情し、頼朝に言えないことは自分に言うようにと2人に言葉をかける。

一方頼朝は乱に参加した者たちの一覧に目を通し、その数の多さに驚く。それも武功のある者たちばかりで、義時は寛大な処置をと願い、政子も同様の願いを出していた。さらに義時は、平家を倒した暁には、その所領を御家人たちに分配するようにと提案する。頼朝はそれに同意する。

しかし広元は、全く咎めがないというのもおかしな話であると言い、御家人のうちの誰かを見せしめとして罪を負わせるよう求める。義時と盛長は反対するが、次は皆で殺し合いになるやもしれぬ、そのためにも見せしめをと広元は主張する。誰に決めるかは頼朝次第だが、広元はあの男しかいないと言う。それは上総広常だった。義時は、広元の案で広常と通じたのは、結局このためだったと悟る。広元は言う。
「最も頼りになる者は、最も恐ろしい」

無論頼朝もこのことを知っており、いつか広常を誅するつもりでいたのである。その矢先にこの事件が持ち上がり、そして広常を真っ先に事件に加担させ、責任を負わせることを考えたのは頼朝だった。義時はこれには納得できなかったが、ならば死んでもいいと思う者の名を挙げてみよと頼朝は言う。頼朝はこれを念頭に置いたからこそ、その前夜に広常に別れを言い、礼を尽くしたのである。

広元は翌日御家人たちを集め、その前で斬るという方法を持ち出す。同じ見せしめにするなら効き目が大きい方がいいという理由からだが、義時は一人これに反対し続ける。そんな義時に頼朝は、広常は御家人は使い捨ての駒だと言った、奴も本望であろうと言って立ち去る。

義時は三浦館に行って、義村にこのことを話す。義村は鎌倉殿は恐ろしい、俺は前からわかっていたと言いつつ鏃を研いでいた。義時は広常の許へ行き、逃げて貰おうとするが、義村はあいつが死ぬことで皆が助かると冷ややかに言い放つ。そして義時に対し、お前はわかっている、なぜここへ来たか、自分が止めることで、広常を救わなくても済む口実が欲しかったからだと付け加える。義村はさらに義時に、いい意味で頼朝に似て来たとも言った。

頼朝は景時を呼び寄せ、自分はお前を信じているが、広元が、お前が御家人たちの方に寝返ったのではないかと疑っていると伝える。景時はそうでないことを証明するためにも、広常を殺す必要があった。

御所にやって来た広常の前に善児が現れ、行く手をふさごうとしたため広常は怒鳴りつける。御家人たちが集まるのを不思議に思った実衣だが、政子は、頼朝から今度のことは水に流すという言葉をいただくためだと伝える。実衣は、全成の身が危うくなったのに甘すぎると不機嫌だった。しかし政子は、一々誰かに罪を負わせるのにはうんざりしていた。

景時の子景季が双六を持って現れる。景時は広常暗殺について悩んでおり、賽の目に聞くしかないと言う。そして義時も御所に入った。御家人たちは政子の噂をしており、当の広常は待たされることに苛立っていた。その広常に景時は双六の勝負を持ちかけ、義時もその様子を見つめる。またこの勝負のことは頼朝に報告されていた。

双六の最中に景時は駒をひとつ投げ捨て、広常がそれに気を取られた隙に、景季が刀を渡す。実は善児が広常と出くわした時、広常の刀を奪っていたのだった。景時は背中を斬りつけ、そこにいた者たちに広常が謀反人であると告げる。

広常は武衛と呼びつつ頼朝に近寄るが、頼朝も最早彼を助けることはなかった、また義時は広常に近づこうとするが、来ればお前も斬ると頼朝が制する。

やがて広常は止めを刺され、息絶える。頼朝はここに成敗を宣言し、残党を討ってその所領を分け与え、さらに西の平家の所領を狙うように一同に告げる。義時はいたたまれない気持ちだったが、頼朝は自分に逆らう者は何人も許さぬと高らかに宣言した。

広常の館の明け渡しは終わり、鎧の中から文が見つかった。子供の字のような拙い筆跡のその文は、広常が上洛するのに備えて稽古した字で書いたものだった。明神のために田、社を作り、流鏑馬を行う。これはすべて鎌倉殿の大願成就と東国の太平のためである。義時がそう読み上げるのを頼朝は聞いていたが、やがて紙を丸め、謀反人じゃと言って立ち去る。

時を同じくして産気づいた八重は、男児を生んでいた。義時は勢いよく泣く我が子を両手に抱く。この子が、後の北条泰時である。


スケープゴートにされた広常は、それとは知らされずに御所に向かいます。当然「武衛」に会い、今回の騒ぎのことについての見解を聞けると思っていたのでしょう。しかし実際は、その自分が殺されることで、この騒動に幕が下ろされることになるのですが…。それにしても、あれは善児が刀を奪っているようにしか見えないのですが、気づかなかったのでしょうか。しかしあちこちで善児が登場です。もう、義高を殺すのが善児であっても驚きません。

さて双六での勝負です。ここは『吾妻鏡』を踏まえています。ところで使い捨ての駒という広常の言葉通り、景時が駒を放り、それに注意を向けた広常の隙を狙うかのように、景時が奪っておいた刀で斬りかかります。この相手のを使って殺めるというのも、恐らくこの景時しか考えつかないかも知れません。他にいるとすれば三浦義村でしょうか、しかしその義村も広常が死ねば皆が助かるとあっさりしたものです。実際義時も、あの言葉でいささか迷いが断ち切れたようです。

それにしても賽の目が「4」と「3」というのに、『いだてん』前半の主人公、金栗四三を連想してしまいます。獅童さんもあれに出ていましたし。また個人的な考えですが、裏切りに遭って処刑というシーン、この放送当日は実は復活祭でした。無論、イエスもユダの裏切りに遭っています。

ともあれ景時は名誉を回復します。しかし回復したらしたで、今度は義経の下につくという、胃が痛むような日々が待っているのですが…。しかし頼朝も、本当はどこかやり切れなかったのではないでしょうか。広常があの、子供の字かと思うようなたどたどしい筆跡で、あたかも若者のように、これからすべきことをしたためていたわけですから。

こう見ると、この広常誅殺の真の黒幕は広元であったといえます。無論頼朝も、すきあらばその機会を窺っていたでしょうが、このタイミングでこれをやれと忠告したことが、その後の源氏、平家、御家人たちの運命に少なからず影響したといえます。

ところで政子と実衣の会話で、実衣が処罰がないのが甘すぎると言っていますが、どうも彼女の方が現実を見ているようです。旦那さんが危なくなりかけていますからなおさらでしょう。しかし文覚はどこへ消えたのでしょうか。

飲み物-グラスに入ったビール
[ 2022/04/21 01:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 23

『武将ジャパン』続き、コラム4ページ目です。


長くなるので部分的にピックアップしていますが、ここで武者さんは

ウソも何も、史料に残っていなければ創作するしかありません。
それがドラマや映画です。
心理的動機を想像して肉付けするのが、歴史フィクションの醍醐味です。

と言っており、

『麒麟がくる』は、明智光秀が織田信長を討った理由が特定できないからこそ、そこを掘り下げることができた。
動機なんて当人の心理で表には出ない、わからないブラックボックスなのに、そこを「ありえない」で切り捨てたら、歴史フィクションなんて存在できなくなります。

と、またも『麒麟がくる』を引き合いに出しているうえで、このようにも書いています。

歴史フィクションは創作が許されています。
それは当たり前のことで、フィクションの中身が悪質であると問題視されます。

しかし悪質か否かは、一体誰が決めるのでしょうか。こういうのの受け止め方は人様々ではないのでしょうか。

そしてその「創作部分の改悪」の例として、『いだてん』の、現代への忖度や関東大震災の描写が挙げられていますが、私は『いだてん』の当該シーンを観ていないのでこれは何とも言えません。ただ、田畑政治がヒトラーに嫌悪感を露わにしたのは、現代人への忖度、アリバイと武者さんは書いているものの、実際に田畑は、後にその嫌悪感を書き記しているというツイートでの指摘を見たことがあります。
それから『軍師官兵衛』ですが、

『軍師官兵衛』では、かなりあやふやなカトリック描写がありました。
実在した仏教徒をカトリックにするような、無神経な描写です。
宗教はデリケートですから丁寧に取り扱わねばなりません。
『八重の桜』では、同志社大学がチェックを入れて盤石の体制を整えていたのですが。

具体的にどの回で、実在した仏教徒とは誰のことなのでしょうか。それをまずはっきりさせないとどうしようもありません。そして「宗教はデリケート」などと書かれていますが、武者さんはこの1つ前の週のコラムで

冷静に考えてみれば、聖書もアーサー王伝説も無茶苦茶暴力的じゃなかったっけ? 今どき英雄建国神話もないよねハハッ!

などと書いています。私もこれに関して
「キリスト教を信仰している人の前で、あまり聖書をディスらない方がいいかと思われます。本気で怒らせてしまいかねません」
と書いているのですが、この辺がどうも矛盾していないでしょうか。
それと『八重の桜』(個人的には好きな大河です)への同志社大学のチェック、これは前にも出て来たことがありますが、そこまで言うのなら、どの資料を基にしているのかその辺も明記してほしいものです。

そして『西郷どん』の奄美大島でのシーン。

『西郷どん』では、島妻・愛加那とのロマンスを甘ったるく描きました。
薩摩藩と奄美大島の関係は搾取する側とされる側であり、島妻制度はその象徴。
それを甘ったるく描かれるとさすがに抵抗感があります。
白人奴隷主人男性と黒人奴隷女性のロマンスを甘ったるく描く――というドラマをアメリカで作ったらどうなるのか。そんな想像を喚起されて空恐ろしくなりました。

これはその前にも、西郷吉之助と愛加那(とぅま)の関係でこう書かれています。

男が上、女が下という構造。それはロマンでもなく、搾取だったのでは?
そういう目線が出てきたからこそ、もう美化できない。典型例がディズニーでも取り上げられたポカホンタス伝説です。大河ですと『西郷どん』における西郷隆盛と愛加那がそうでした。

しかし『西郷どん』の吉之助の場合、藩の事情によって奄美大島に流されたのであり、アニメの『ポカホンタス』のジョン・ラトクリフのような征服欲はなかったし、しかも大島の人たちに戦いを挑んだりもしていません。ただ島の習慣に最初は馴染めず、しかも自分の計画が破綻して自暴自棄になっており、とぅまに辛く当たってはいます。
そしてその後、薩摩藩と大島の関係を知らされるに至り、自らも考えを改め、とぅまと打ち解けてからは、島の人々に寄り添うようになり、結婚するに及んだわけです。別に甘ったるくもなく、ごく普通の夫婦生活ですし、互いに農作業をしたりもしています。

さらに
「資料がしっかり残っているにも関わらず、偏った利用をする」
と指摘する一方で、

平安末期から鎌倉時代の『鎌倉殿の13人』ですと、資料不足があってこういう問題は発生しにくいのかもしれません。

と書いてもいます。これはつまり、『鎌倉殿』は資料がないから、どう描いてもいいという意味にも取れてしまいます。しかし私としては、『鎌倉殿』は基本的に『吾妻鏡』ベースであり、その意味で資料不足であると断言はできません-平家の描写の場合は『玉葉』などを使ってもいいかとは思いますが。
そして

問題は近代史以降です。
幕末史は大量の証言が出てきます。

とありさらにその後

『徳川慶喜公伝』なんて刊行された時点で「嘘ばかりだ!」と論争になったのに、それをそのまま使う『青天を衝け』は悪質の範疇に入るでしょう。

あるいは

日米開戦の理由で日本側の問題を消し「アメリカが日系人を迫害するからだ」と誘導していました。

などともあります。しかし『徳川慶喜公伝』は栄一たちが作ったものである以上、少なくとも出さないわけには行きませんし、ならばその論争がどのようなものであるかを、このコラム上でもっとはっきりさせてほしいです。また日米開戦云々も、栄一はその時まで生きていたわけではありません。日露戦争後、日本人移民への風当たりが強くなったのは事実でしょうが。
その他にこういう記述もあります。

『青天を衝け』では、池田屋に遅れて到着した土方歳三が、無双して大活躍!という場面がありました。
創作ありの歴史ドラマだとしても、フィクションの域を完全に逸脱しています。
池田屋は活躍度で報奨金も出ているし、そんなもの嘘だと即座にバレるもの。
あの土方が、近藤勇や永倉新八の活躍を掠め取る悪夢でしかありません。

そもそもあの池田屋事件はダイジェスト的(『青天を衝け』では天狗党の方を重視)であり、土方が後になって駆け付けた方の描写がメインになっています。これはその後の、篤太夫(栄一)と土方の出会いの伏線という意味もあるでしょう。またその天狗党関連ですが

『青天を衝け』では、天狗党の処刑を慶喜が止めたのに、田沼意尊が独断で行ったように描きました。

天狗党鎮圧の総責任者は、田沼意尊なのですが…。
そして

これまた『鎌倉殿の13人』の場合だ、こんな展開になるようなものです。
「本当は優しいお兄ちゃんの頼朝は、義経を殺したくなんかなかったの! でも梶原景時が勝手に殺しちゃって……ひどいよ!」
こんなことされたら許せませんよね。
万が一こんな風に描かれたら「兄に討たれた義経」の悲劇の特性も台無しにしちゃってます。

「こんなことされたら許せない」
「兄に討たれた義経」の悲劇の特性も台無し
とありますが、義経が壇ノ浦まであのキャラで行くのであれば、頼朝に討たれたとしても、それはそれでやむを得ないのではないかとさえ思ってしまいます。

さらに

上記に挙げた作品は「お前の嫌いな大河ばっかりじゃないか!」と突っ込まれたら、その通りです。
嫌いな理由が、悪質な歴史改ざんをしているからなのです。

ということで、ともかく武者さんとしては、
「改変した結果が許せない」
「(特に近代絡みで)歴史を改竄している」
と言いたいのでしょう。

しかし以前から、ずべてとは言わずとも折に触れてこのコラムを見て来た身としては
「主人公または主演が好きでない」
「自分が思った通りに描かれていない」
というのが、主な理由なのではないかとも思えます。特に嫌いな大河は序盤から批判していますが、それらの大河がすべて、第1回から歴史改竄をしているわけでもないでしょう。何回か観ていて、特定の回で改竄されているから嫌いになったと言うのであればわかりますが(実際『いだてん』はこのパターンでした)。それを考えると歴史改竄とは別に、他に何らかの理由があって、最初から叩いているようにしか見えません。
しかし前出の『軍師官兵衛』のあやふやなカトリック描写なるものは、歴史改竄と果たしていえるのでしょうか。

それから後の方で

私は『47 RONIN』だろうが『グレート・ウォール』だろうが愛せます。
確かにトンデモ映画ですが、悪質ではありませんからね。

前にも書きましたが、その悪質か否かを決めるのは一体誰なのでしょうか。
そもそも「レビュー」を書く以上、好きか嫌いかを前面に押し出すべきなのでしょうか。歴史改竄をしているのならしているで、その点は批判し、それ以外の部分は評価すればいいだけの話ではないでしょうか。

例に挙げた作品が近代以降に集中しているのは、資料の残存状況や国際問題への影響等を踏まえた結果です。

それを言うのなら天狗党の処刑問題、あるいは池田屋での土方の活躍は、国際関係にどのくらい影響するのでしょうか。
それと近代以降云々とありますが、『麒麟がくる』の本能寺の後のシーン、あれも人によっては歴史改竄と受け止められるのではないでしょうか。

その点、近代史を扱う朝ドラにも、中々ひどい改悪がありますが、このあたりで終わりにしておきます。

これもツイートで見たことがありますが、どう考えても大した問題ではない(ドラマの中の時代であれば当たり前)のに、大騒ぎしている感がありますね。
(この項終わり)

飲み物-暖炉の前のウイスキー
[ 2022/03/07 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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