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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第35回に関しての武将ジャパンの記事について-4

『武将ジャパン』大河コラムその4です。しかしよくこれだけ長々と書きますね。


一連の報道には、心身ともに疲弊しきっています。
しかし、いつかこういう日は来るだろうとは思っていました。何かが危ういだろうと。
去年の『鎌倉殿の13人』では、古参の腐女子、BL好きだという視聴者が、源実朝と北条泰時の描写に「萌えない」という感想をつけていました。
こうした声が、男性の同性愛描写がすべて自分が萌えるためのサービスだと考えているのかと思ったら、気分が暗くなってしまったのです。

このパラグラフ、「ドラマ鑑賞者との共犯関係」なる小見出しがついていましたが、いくら何でもこの書き方はないでしょうね。
そして武者さんは
「BL好きだという視聴者が、源実朝と北条泰時の描写に「萌えない」という感想をつけていた」
のが面白くないのでしょうが、ドラマの観方というのは人さまざまであり、特にこういうことに口を挟むものかと思います。自分と違うなら違うで、スルーしていればいいのではと思いますが。

で、そのあとも
「描写として秀逸かどうか……ではなく「自分が萌えるかどうか」「自分が好きかどうか」で決めてしまう」
などとありますが、大河の評価を自分が好きかどうかで決めつけ、あまつさえ好きな作品を嫌いな作品の叩き棒にしたがる武者さんに、こういうことを言ってほしくないなと思います。

誰だってそういう部分はあると思いますが、行き過ぎてはまずいでしょう。

では、どういう部分を「行き過ぎ」と判断するのでしょうか。

そして『あまちゃん』はAKBビジネスを無毒化し、ロンダリングしているだの、吉本興業ロンダリングの朝ドラ『わろてんか』のように、作品自体の出来が悪ければ悩まずに済むからまだマシだの。しかも、
「私がもう一度『あまちゃん』が好きだと言えるようになるのは、そのあたりがハッキリとしてから。好みと人倫は分けて考えなければならないと思います」
なのだそうですが、この人本当は『あまちゃん』を好きではないのだろうなと思います。本当に好きであれば、あのアイドルグループビジネスの描写にしても、それはそれと割り切って観ることができるでしょうから。

ネットニュースについては、PV(閲覧数)を稼げればいいのか。描写として適切かどうかよりも、「萌える」かそうでないか、そこに注目する記事が増えています。
その弊害を思うと、そろそろ見直すべきではないかと感じていたところです。

こう言っては何ですが、PV数を言うのであればこのコラムも同じようなものではないでしょうか。

事務所。ファンダム。劣情。そんなものにつけ込むばかりでよいのかと。
ジャニーズ問題で顕在化された感はありますが、朝ドラや大河ドラマのニュースは、近年、どんどん下劣になっているとは思っていました。
たとえば2018年朝ドラ『まんぷく』では、憲兵拷問を受ける俳優に劣情を抱いて盛り上がっているSNS投稿がありました。
この事件はモデルとなった人物も深刻な負傷をしています。憲兵の拷問では落命した方もいます。
そういう悲劇であるにもかかわらず、それをソフトポルノめいた演出にし、萌えるだのなんだの言い募ることはあまりに無神経ではありませんか?

まず「ニュース」が下劣と書きながら、なぜここで「SNS投稿」を出してくるのか。この両者は異なると思います。
恐らく萬平が冤罪で拷問となったシーンのことなのでしょう。しかしあれが「ソフトポルノ」だったでしょうか。あれはあくまでも拷問だったと思います。
中にはそういう投稿をした人もいるでしょう。しかしそれが視聴者の総意であるかとは、ちょっと言えないのではないかと思うのですが。

朝ドラではなく大河に話を戻しましょう。
『どうする家康』はなぜ失敗したのか?
私なりの分析であれば、『青天を衝け』が成功したことを一因にあげます。
あのドラマは、最新の研究成果をアリバイ的に取り入れただけで、悪質な捏造や歪曲も多い。VFXや小道具の作りも拙い。
それでも受けたのは、SNSでいかにも盛り上がりそうな小ネタの使い方がうまかったこと。
イケメンラッシュ。勝ち組である。そういった小技のうまさがあるのでしょう。

まだ終わってもいない大河が失敗だ何だと書くのも、ちょっと無神経ではないでしょか。
そして『青天を衝け』が成功したとし、
「SNSでいかにも盛り上がりそうな小ネタの使い方がうまかったこと」
さらにイケメンラッシュだったと書いているのですが、ストーリーの展開も、徳川家康の登場などの要因も無視されているなと思います。そして例によって「悪質な捏造や歪曲」(関東大震災絡みでしょうか)、「VFXや小道具の作りも拙い」(と武者さんは観たいのでしょうね、ならばどういうのが拙くないか例を挙げてほしいです)などなど。

その小ネタの一例がこちらです。
◆「青天を衝け」大河名物!?吉沢亮のふんどし姿に反響 「大河恒例の裸」「大河のふんどしタイム」(→link)
「大河恒例」だのなんだの書かれていますが、記事にもあるように『麒麟がくる』ではやりません。
そもそもこの場面はおかしかった。必然性もないうえに、役柄はまだほんの子どもです。
子どもがうっかりして下着姿になることに萌えただの興奮しただの、演者が成人であっても、そういうラッキースケベ狙いはあまりに下劣で嫌でたまりませんでした。

大河にはそれぞれの描写方法があり、別にこういう方法があればあったでいいと思います。
武者さんが褒めていた頃の『いだてん』なんてもっときわどいシーンもありました。また『真田丸』の石田三成が水垢離をするところ、あれも同じようなSNSの反響がありましたが、それには突っ込まないのですか?

このドラマでは、安政の大獄で処刑される橋本左内が、どういうわけか松平春嶽と共に半裸で蒸し風呂に入るような、わけのわからないサービスシーンもありました。
非業の死を遂げた人物をお色気要員に使うデリカシーのなさに嫌気がさしたものです。

それですが、『八重の桜』で覚馬と尚之助の入浴シーンもありましたね。こちらも、尚之助の晩年は幸せとは言えないものもありましたが、それもデリカシーがないということになるのでしょうか。

そして「全てのお色気が悪いわけではありません」として、

『鎌倉殿の13人』で八田知家や三浦義村が、堂々と脱いでいる様は、それこそ運慶の金剛力士像のようで素晴らしかった。
頼朝の前で身をくねらせる北条政子。琵琶を奏でる実衣。あざとさ満点で歩いてくる源仲章。
彼らは自分自身の持つ艶かしい力を意識的に使っていて、それは素晴らしかった。

とありますが、嫌いな大河であれば思い切り叩いているのではと思います。先日も書きましたが、武者さんのダブスタにしか見えません。そして

「そういう自覚した上での色気ならわかります。けれどもああいう覗き見的なお色気描写はどうなのでしょう」

「自覚した色気」と「覗き見的な描写」の線引きをどのようにするのですか?
具体例を挙げてください。

それに何よりも『まんぷく』『青天を衝け』のようなあざとい描写に、演じる俳優は納得できていたのでしょうか。

俳優さんが台本を読んで納得しないと、ああいうシーンは収録できないと思うのですけどね。

そしてこの色気だのセクシーだのの文章が延々と、しかも正直言って、武者さんの愚痴のようにしか思えない文章が延々と続くのでここでは省きます。本当にコラムを書ける人であれば、要点だけを絞り込むものだと思います。
またジャニーズの差別意識だのハラスメントだの。そして今度は、ファンを槍玉にあげた記事を例に挙げています。武者さんにしてみれば我が意を得たりといったところでしょうが、そういうのはこの大河と直接関係ないのだから、別のコラムでやって貰えませんか。しかもこの一連の問題、黙っていたマスコミも悪いという声も出ているようです。

そのうえでまた『青天を衝け』叩きが続きます。『どうする家康』もそうですが、この『青天』叩きもしばらく続きそうですね。しかも大河コラムなのに、例によって後半部分はすべて持論展開。『武将ジャパン』はなぜ何も言わないのでしょうか。

そして

過ちては改むるに憚ること勿れ。『論語』「学而」
間違って修正することを、他人や周囲の目を気にしすぎてためらってはいけないよ

正しくは
「過ちを犯したことに気づいたら、体裁や体面などにとらわれず、ただちに改めるべき」
の意味ですね。

そしてすさまじいのが

「ともかく、NHKは悪質極まりないドラマを、問題点がわかっていながら放映した。人倫にもとることを堂々とやってのけた。それでもマスメディアは誉めていた。
そういう甘っちょろい態度が大河制作班をつけあがらせたのではないかと、私は考えています」

などとあることです。
これは『青天を衝け』への中傷ではないでしょうか。何よりも、自分が嫌いな作品だといわばタガが外れてしまうのか、悪質極まりないだの、人倫にももとることだの堂々と言ってしまう、その方が異常に感じられてしまいます。

『どうする家康』のクオリティは、もう問うべきものですらないとも思います。
徳川家康をダシに使った主演俳優のプロモーションビデオでしかない。
ジャニーズの広告降板をみていると、それを嘆くSNS投稿も当然目につきます。
推しが宣伝しているから買ったのに――そんな嘆きの声です。

ではそのSNS投稿というのを見せて貰えませんか。当然スクショなり何なり取っているのでしょうから。
それも『どうする家康』をきちんと批評している人が、こういうことを言うのならまだしも(と言うか、そういう人は一方的に決めつけないと思いますが)、普段出演者からスタッフから散々に言っている武者さんがこう言っても、ああまたかとしか正直思えないのです。

そして急にマルティン・ルターが出て来て何事かと思ったら、ジャニーズ免罪符だのなんだの。しかも推しの広告商品に金を落とすことが、免罪符そっくりらしい。免罪符、所謂贖宥状は現世の罪の赦しを、お金を払うことによって得て、天国に行けるというシステムであって、推しの広告商品にお金を払うのとは意味するものが違いませんか?

あとルター(ルーテル)派ですが、昨年武者さんが何かの如く言ったカトリックの聖人の一部は、この教派でも崇敬されていますね。

その後も『平清盛』と『どうする家康』の磯CP叩きだの、それと強引にジャニーズを絡める姿勢だの、しかも毎回同じようなことを書いているようにしか見えないし、何よりも武者さんの自己満足にしか見えないのでこれもパスします。
最後にこの部分だけ挙げておきます。

「推し活」そのものも曲がり角に来ている
つらつらと書いてきまして、最後にもうひとつ。
近年「推し活」が盛んになってきています。
けれども、いったん立ち止まった方が良いのかもしれません。

「つらつらと書く」は言葉本来の意味だと、よく考えて書くという意味になりますが、どうも「よく考えて」書いている印象があまりなく、今まで書いて来たもろもろのことを、引っ張り出しているようにしか見えないのです。

そして
「前段で書いたように、推しの広告する商品にお金を落とすことを生きがいにしている人はいます。
それがあなたの寿命を縮めると指摘したら、あなたは笑い飛ばせますか?」
とあり、推し活はファーストフードや喫煙のようなものであると決めつけ、あまつさえ
「タバコ会社は莫大な金を払い、カーレーシングチームのスポンサーになり、タバコはかっこいいと宣伝しました。
そうして毒を吸わせることに成功していたのです」

タバコに含まれるニコチンは毒と言うより、依存性の高い物質と言った方がいいでしょう。
国立精神・神経医療研究センターの記事がわかりやすいので置いておきます。

喫煙と睡眠
https://www.ncnp.go.jp/hospital/guide/sleep-column23.html


推し活とは、健康や人倫を犠牲にしてまで為すべきものではないでしょう。
歴史上の人物による推し活はいいですよ。対象が亡くなっていると安心です。
新史料の発見により外道な側面があらわになる。題材にした作品がとんでもないことになる。
そういうリスクがないわけでもありませんが、それでも広告代理店臭さが薄いだけまだマシです。

「健康や人倫を犠牲にしてまで為すべきものではない」
それは武者さんの、特に嫌いな対象への推しに対しての考えでしょう。
しかし自分が好きな対象に対して、同じことを考えるでしょうか。
とどのつまり推し活がよくない云々より、
「私が嫌いなものを褒めないでくれ」
これに尽きるような気がします。

**********

ここで少し付け加えておきます。
この前のパラグラフで、『どうする家康』関連での推し活について触れていることを考えても、やはり
「嫌いなものを褒めるな」
これに行きつきそうですね。また本文では、タバコ関連の記述の後に
「いくら推しが宣伝しているからって、キャンペーン期間中、毎日ずっと同じファストフードを食べ続けたら、体には悪影響があるかもしれません。そう立ち止まることも大事なのでは?」
などとありますが、例えが極端だなと思いますね。
武者さんにしてみれば、嫌いなものを推す人々は愚かな存在に見えて仕方ないのでしょうか。推し活での商品購入はドーピングみたいなものだとも書いていますし。
こういうのが、ちょっと行き過ぎな感もあるファンダム嫌いにもつながっているのでしょう。

**********

それと「対象が亡くなっていると安心です」これもないかと思います。
また歴史関係にしても、大河のを含め関連イベントなどには代理店が絡んではいるでしょう。そして好きな大河の場合は、そういうイベントに率先して足を運ぶのですね。

そしてこのパラグラフの最初の部分ですが、

推し活は自分が解き放たれたようで楽しい!
それはそうですが、同時に思考停止の危険性もあるでしょう

武者さんが嫌いな大河をすべてネガティブに捉え、好きな作品を叩き棒にしたがるのも、ある意味思考停止ではないかと思います。

で、またみなさまの声。この間のイングランド戦の超ラグトークについて送っておこうかなと思います。

飲み物-ブランデーグラスのビール
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[ 2023/09/23 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第34回の『武将ジャパン』コラムに関するnote記事

では今週もtaketak39460607さんのnote記事のご紹介です。それと先日の分を、少し直しています。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第34回~
https://note.com/taketak39460607/n/n985f1579f90b

そして石川教正の出奔がナレーションで説明されますが、いつもの素っ頓狂な調子のため、とても劇中に入り込めません。

アバンの前回のおさらいの部分です。これに対しては、「一度でもきちんと作中まともに理解しながら『どうする家康』の物語を見た事があるなら提示してください」という文章で始まり、『いつもの素っ頓狂な調子』とはどの部分のナレーションでどうおかしいのか、具体的に言ってくださいと書かれており、その前の「説明セリフ」共々、きちんと聞いていないので理解できていないのではとありますが、同感です。

いつものことですが、嫌いな作品の場合は何かと言えば説明セリフだなんだと、ネガティブなことを書く武者さんは、それがどのように「説明的」であるのかを訊かれて、きちんと指摘できるのでしょうか。

あと「是天下人也」に関する逸話が紹介されています。

享禄3年(1530年)に家康公の祖父・松平清康公が建立した曹洞宗の寺院・龍海院。通称名は『是字寺』と言います。
松平清康公が岡崎城主の頃、元旦の初夢に「是」の字を左手に握る夢を見たそうです。
その夢を龍渓院と言う岡崎の寺院の住職・模外禅師に尋ねたところ、『是の字を分けると日の下の人となる。是の字を握るは天下を取ることなり。遅くとも、清康公の三代後までには必ず天下人が現れるであろう。』と仰いました。
清康公は大変喜び模外禅師を初代として龍海院を建立したのだそうです。
石川さんがこの話を踏まえたかは分かりませんが、彼がわざと自身を悪者に仕立て出奔したのなら悪意のある書置きではなかったと思います。

そして酒井忠次が、得意技を封じられると調子が落ちる云々。

えびすくいおじさんの目が虚です。
得意技を封じられると調子が落ちてしまうのですかね?

これに関しても、「石川さん出奔の後の家臣一同を集めた徳川家の今後の方針を決める評定の場、えびすくい踊りを踊るような場面かどうか考えてみましょう」
「仮に大事な会議のプレゼンの場で『あれ~?部長いつもの宴会芸は踊らないんですか~ぁ??』と煽るようなものです。
貴方の言う事がいかに場違いか分かる発言です」
とあります。私もこれに関しては、この人は単なる「海老すくい」芸人ではないと書いていますが、故意になのかどうなのか、話の流れを無視するようなことを書いていますね。

それから北野武監督作『首』について書いている点でも、
「レビューが書きたいのなら他所でじっくりと語るか大河レビューをお辞めになった方がよろしいかと思います」
と言われていますし、それ以外にもビッグモーターの件で、佐藤さんを中傷している点に触れられています。

次に天正大地震ですが、

ナマズがヌメヌメして地震を示すアニメがいささか無神経ではありませんか。
なぜ、こんなほっこりアニメで描かれるのか……
というか、本作は常に先人への敬意が欠けているように感じます。
江戸時代のナマズ絵は確かにユニークです。
そういう絵へのオマージュを感じさせない絵柄が辛い。

これに関しては被災地域がかなり広く、統治機構が統一されていないため、震源域、マグニチュードがはっきりせず、推定となっている点がまず挙げられています。そしてこの当時、鯰が大地震を起こすという俗説は広まっており、また災いは施政者の悪政や不道徳が原因であり、社会の大敗や腐敗・堕落への天の懲罰であり、政治の是非、吉兆を占うものであったことも指摘されています。

そして鯰絵ですが、
「地震除けのお守りでもあり、鯰絵に描かれた鯰が震える事で破壊すると同時に新しい世の中を創造する救済者・世直し思想のモチーフとして描かれた」、つまり戦国時代末期の統治者不在による政情不安、そして新関白である秀吉公による政基盤の不安定さが表現されていると書かれています。

いつも思うのですが、なぜ武者さんがこういうことをきちんと説明しないのでしょうね。アニメで描かれるのは先人へのオマージュが足りないなどと書くのではなく、先人がなぜ鯰絵を描いたのかを、まず解説するべきではないかと思われます。

また徳川家も炊き出しをすればいいという記述もありましたが、徳川家の特に浜松城は特に被害も無かった、被害が特にないのになぜ浜松で炊き出しをしなければならないのかと反論されています。
(尚地震関連で『いだてん』や『青天を衝け』の関東大震災の描写についても、武者さんの記述への反論がなされています)

そして押し花の件。

しかも押し花から築山の香りってどういうことですか?
築山で咲く香の強い花ってどんな種類なのでしょう。
木犀の花を見ながら宴をしたとか?
梅ならわかる気がする。
しかしこれはそうでもないし、なんなんだろう?
押し花ではなく、香木では駄目だったのですかね。
当時は香道が嗜みとしてあり、貴婦人が自分の家に伝わるお香を焚いた。それを嗅ぐと「ああ、あの人の香りだわ」となる。
そんな演出ではいけませんか?

これに対してtaketak39460607さんは、岡崎大河ドラマ館のインフォメーションによると、築山でひときわ目を引いた紅色の花のトンネルは紅色の山躑躅であり、紫に見える花は山躑躅と思われること、他に箱に入っていたのは桜と沈丁花と撫子かなと思うと解釈しています。そして、この当時金木犀がまだなかった点にも触れています。

さらに
「『正信念佛偈』の下から出てきた押し花を見て『あの築山をここに閉じ込めようとしたのではないか』と推測した於愛さん。『武田に内通』した罪を背負い自害した信康さまや瀬名さまに手を合わせるために阿弥陀様と共に石川さんが作った築山の花の押し花。花であることに意味があるのです」
とあります。つまり香道では意味がないわけです。
(尚先日書いていますが、香りの強い花は沈丁花ではないかというのは、このtaketak39460607さんの意見です)

また、香道が広く武士の間に普及したのは、江戸時代以降と言われています。

その他にも切り取り勝手判断が多いことへの言及、ネットで「『他人の好きなもの』に土足でズカズカ踏み込んできて『もはや敗戦処理感!』『ハッシュタグは低視聴率の逃げ道!』『タグをつけて盛り上がってるのは中高年なのよ!』『ネットはオワコン!』と殴りつけていく」のは荒らしであるといったことなども指摘されています。

またこの部分

友達との会話中や授業中に「はい論破」「それってあなたの感想ですよね」などと言って、相手を言い負かそうとする子が増えているという。
物事の本質をつくとか、芯を探っていくような作業を怠り、表層的に相手を負かせようとする。
そして目先の勝利で優越感に浸る。
子どもならまだしも、大人がそれでは絶望します。

これに関しては
「『どうする家康はすべてが逆張り!お子様の思いつき!ハイ論破!!!ハイ私の勝利!』ですか?「『瀬名と不仲じゃない』『石川教正とハートフルな別れ』『旭姫がわざと明るく嫁いできた』がどのように史料の逆張りをしているのか、史料を提示したうえで『こういうところが史料と違うがどういう考えでこうなりましたか?』と提示・議論するのがレビュアーでは?」
「そうでないと相手は納得できないし、表層的に相手を負かせようとし目先の勝利で優越感に浸る子どもと同じです」
とあります。

武者さんが自らの疑問や問題点を提示する際に、史料、あるいは具体例をきちんと挙げることはあまりないのですが、仮にも歴史系ライターがそれはないだろうと思いますね。またこの史料に関して言えば、例の「森乱」の表記を巡って、平山優氏の新説にこのように抗議していますが、

たとえば「森蘭丸」を「森乱」と表記した。
その一点突破でもって新説採用だとはしゃぎ、ドラマがおかしいと批判する層に対してマウント取ったりする。
しかし、森蘭丸についてはもっと深く考える必要性があるのでは?
(中略)
一次史料ばかり収集して、読みこなしても、それだけでは足りない。
関連する研究文献をきちんと読み込んでいなければ、研究者ですら思い違いを免れない。

taketak39460607さんの記事では、『信長公記』のこの記述が引用されています。

『四月十八日 塩河伯耆守へ銀子百枚遣はされ候、御使森乱、中西権兵衛相副へ下され、過分忝きの由候なり(天正7年(1579年))』
『正月廿六日、森乱御使にて、濃州岐阜御土蔵に、先年、鳥目一万六干貫入れおかれ侯(天正8年(1580年))』
また
「本能寺の変の討ち死にした小姓衆の名前の中でも『森亂(乱)・森力・森坊』とあります」とも書かれています。

これも本来なら武者さんが、『信長公記』にはこういう表記があるから、どちらが正しいのだろうという問題提起をしてもいいかと思うのですが、そういった追及がこのコラムにはあまり見られないのですね。それに関しては、
「平山先生に叱られた事で史学者を認めたくないだけでは」
と書かれています。

他にも旭姫の輿入れや家康の態度などに関する武者さんの記述に、色々とtaketak39460607さんの指摘がなされています。
あと本多忠勝関連の記述で、3行程度で1つのパラグラフとなっている点にも「もう少しまとめて感想が書けませんかね?」とありますし、筆の持ち方がおかしいとする記述にも反論されています。筆の持ち方には2通りあるのですが、そのうちの単鉤法(かなや細かい字を書く時の、鉛筆を持つような持ち方)を家康も、そして『らんまん』の主人公万太郎も用いているとあり、画像が添えられています。

この3行ほどでパラグラフを作るのもそうですが、小見出しに何やら揶揄するかのように、やたらに「どうする」を入れているため、過去の小見出しとダブっているのではと思うことがあります。せめて1ページに小見出しは3つ程度にして、「どうする」ばかり入れるのでなく、一目で何を書いているかがわかるようにするべきでしょう。

それと筆の持ち方、武者さんが好きな『らんまん』の主人公も同じ持ち方をしているわけで、最初からこんなこと書かなければいいのにと思ってしまいますね。

飲み物-ジョッキに入ったビール
[ 2023/09/10 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第34回に関しての武将ジャパンの記事について-1

第34回の『武将ジャパン』大河コラムその1です。

のっけから
「木村多江さんが美しい。
されど妙な衣装のせいで気が散ってしまう。そして石川数正の出奔がナレーションで説明されますが、いつもの素っ頓狂な調子のため、とても劇中に入り込めません」
で、
「落ち着いたトーンで、一気に物語の世界へ引き込んでくれた前作『鎌倉殿の13人』から1年足らずで、どうしてこうなった」
「どうしてこうなった」ではなく、武者さんが最初から今年の大河を、ネガティブ視線で見ているからではないでしょうか?

三河岡崎城では、井伊直政がキンキン声で怒っています。
腹の底から声を出す発生法を、誰か指導しないのでしょうか。
これは家康もそうで、ボソボソ低い声で喋ればいいというものではないでしょう。
シリアス=ボソボソ口調
という風に思っていそうですが、そんなわけはありません。

直政は、家康を侮辱しているとも取れる数正の書置きに怒っているだけで、別にキンキン声でもありませんし、家康がその直政を諭す様子もちゃんと聞き取れますが…。

そして
「特にセリフが長い家康と秀吉の滑舌が悪く、中身を正確に把握しようと思えば字幕が必須です」
ならば最初から字幕を出して観てください。言っては何ですが、武者さんセリフの聞き違いと思われるところが時々ありますから、その方がいいと思いますね。
あと秀吉の滑舌ですが、私はこの人の会話は寧ろはっきり聞こえます。

いかにもわざとらしいクセの強い声と演技の本多正信。
常に皮肉っぽい調子ですと、いざという時に効果が薄れてしまいませんか。
これでは正信の賢さより、イキリ厨二病に見えてしまい辛い。本当にあんな人物が家康の知恵袋になり得たとは思えません。
扇子で直政を指す仕草もかなり挑発的です。
直政が本当にキレやすいキャラクターだったら、バカにされたと感じて取っ組み合いになっても不思議じゃないでしょう。

そもそも武者さんは、最初からドラマを観る気がないのでは?そう思われても不思議じゃないでしょう。
ここのシーンは石川数正が出奔してしまい、皆が頭を抱え、それでも家康が戦の準備をと言って、軍を武田式に改めようとしているところです。そういう流れには何も触れず、やれ誰それがわざとらしいだの挑発的だの、この内容を少しでも捉えていたら、なぜそのようになるのか理解できるかと思いますけどね。

どうしちゃったの、えびすくい担当者!
えびすくいおじさんの目が虚です。
得意技を封じられると調子が落ちてしまうのですかね?

酒井忠次は単なる「海老すくい」芸人ではありませんよ。
数正の不在をも重臣としてきちんと埋め、家康にはきちんと言うべきことを言う。
逆に「海老すくい」の時のような、はしゃいだ目をしていてはおかしくありませんか。寧ろこの忠次、左衛門は常に真剣な数正とは違い、時にあの「海老すくい」で場を盛り上げるからこそ、数正とは違った魅力があるのも事実ですが。

残念ですが、もちろん演じる大森南朋さんには罪がない。それどころか北野武監督『首』の公開が間近に迫っております!
大森さんの真骨頂でしたら予告編からにじみ出ています。

大河に直接関係ない作品であれば、他のコラムでやっていただけないでしょうか。
それでなくても、特に後の方のページでは関係ないことを引っ張って来て、強引に大河そのものと絡めようとする傾向がかなり見られますが、あまりいいとは言えない、と言うよりよくないことだと思いますが。

1分24秒ぐらいに登場する羽柴秀長。
非常に風格があり、理想的な秀吉の弟が見られそうです。
もう、ビッグモーターの影がチラつかないだけで、その戦国の世界にスンナリと入っていけそうな……映画の公開日を指折り数えています。

この羽柴秀長、先ほどの映画の中で大森さんが演じているらしいのですが、直接関係ないものを、なぜ大河レビュー(一応)と混ぜこぜにしたがるのでしょうね。そんなに楽しみなら、その映画の方のコラムに没頭していただきたい。
そしてここでまた「ビッグモーター」。
書いていることがことごとく嫌味にしかなっていませんね。

視力抜群、レーシックお愛がゆるかわ仏様を持ち込みます。
数正が作ったというもので、その出来栄えが……小道具スタッフもあまり気合が入っていないのでしょうか。
『麒麟がくる』の平蜘蛛や『鎌倉殿の13人』の仏像と落差が惨たらしい。
しかしフィギュア作り……もとい木彫りの像が好きなドラマじゃのう!
他にアイテムを思いつかないんでしょうか。

ここがまた5行しかないのに1パラグラフ。
そしてまた「レーシック」。まあ後ほど、於愛は近眼だとわかる描写が出てくるのですが、それはお構いなしなのでしょうか。
そして木彫りの仏像、素人である数正が作ったものらしいなと思いますが、ここでまた麒麟と鎌倉殿を叩き棒。
思うのですが、こんなことしたら叩き棒にしている作品のイメージが悪くなりそうですね。第一『鎌倉殿』の仏像と一口に言っても、仏像はかなり出て来ますが、そのうちのどれですか?いや仏像ならまだしも、平蜘蛛と数正手作りの仏像を、なぜ比較するのでしょうね?このへんが実に不思議で、腑に落ちないのですけど。

家康が暗い室内で何かを並べています。
するとそこへ数正の姿が。
ピアノがピロピロと流れ、数正が家康の首に刃を突きつける。で、秀吉が「殺せ」と言う。
もうしつこいばかりの夢オチには、げんなりするばかりです。
本作は、何度こうした展開を用いるのでしょう。

何かて、あの名前を書いた兵棋みたいなものでしょうか。
数正、ひいては秀吉が現れるのは、いざ戦になった時の徳川方の不利を示すものであり、それを夢に見るほど家康が思いつめていたという意味では、別に不自然な展開ではありません。さらにその後に、戦をと思っていた秀吉の出鼻をくじくような天正地震が起こるわけですね。

三方ヶ原で死んだとか、本能寺は家康が起こすとか、史実からしてあまりにチャチな「そんなわけないでしょ……」と脱力するような話を引っ張るんですよね。

家康は三方ヶ原で死んでいないし、本能寺の変も引き起こしていませんよ。
三方ヶ原では家康の甲冑をつけた夏目広次が身代わりになったし、本能寺も実現があまりに難しかったし、何よりも光秀が先に来てしまいましたし。
勝手に決めつけないでください。

天正13年(1586年)11月29日に発生した天正大地震。
ナマズがヌメヌメして地震を示すアニメがいささか無神経ではありませんか。
なぜ、こんなほっこりアニメで描かれるのか……というか、本作は常に先人への敬意が欠けているように感じます。
江戸時代のナマズ絵は確かにユニークです。そういう絵へのオマージュを感じさせない絵柄が辛い。
(中略)
なにより大地震は日本人にとって切っても切れない悲劇の歴史のはずなのに、そのショックよりも注目されるのがあの変な仏像とか、まるでリアリティが感じられないのです。

武者さん必ず出してくるだろうなと思いました。
『舞いあがれ!』でも阪神淡路大震災が出て来ない(舞台となる東大阪はそこまで被害がなかった)と書くのみならず、東日本大震災も描かれないことが不満だったようです。距離的に遠く直接の被害がない、しかも登場人物がその時東北地方にいたとか、そういう設定でもないのに、なぜそこまでこだわるのでしょうか。
他にも地震の悲惨さを描いた作品はあるのですから、そちらの方を紹介しては如何でしょうか。

天正大地震はマグニチュード8.0前後と推定される凄まじいほどの揺れです。
しかも直下型地震。
◆岐阜県:天正地震(→link)
濃尾地震と並ぶ過去最大規模の大地震なのに、注目すべきは数正フィギュアの話とは……。
こうした描き方から浮かび上がってくることがあります。
本作が大事にしているのは、家康と半径数メートルの出来事。
今回は数正がテーマにされているのであり、民なんてどうでもいい。
本当に家康の良さを見せるのであれば、被災者に炊き出しを提案するとかできたはずです。

天正地震はM7.8、震度7と推定されています。リンクを引っ張って来るだけではなく、本文で震度もきちんと書いてください。ちなみに震度7は東日本大震災の揺れに匹敵します。

そして
「今回は数正がテーマにされているのであり、民なんてどうでもいい」
康は領内各地を見回ってくると於愛に言っていますが、それは無視なのでしょうか?こういうところがきちんと観ていないなと思われる所以です。

『麒麟がくる』の足利義昭は、貧民救済が実現できるなら将軍になってもよいと考えていた。それを忘れ、戦をした己を恥じて、駒の前で己の首を絞めていました。
『どうする家康』には、人を救うための葛藤がまるでない。だからこそ、偽善的なドラマに見えるのです。

自分が望むように描かれていないと、何でも妄想に偽善的ですね。
一方秀吉の方は、犠牲者が多いことを秀長が悲痛な口調で伝えています。武者さんが何かと揶揄したがる秀長ですが、この言葉はきちんと聞いておくべきでした。
そして寧々は
「もはや戦どころではないわ。民を救うのが先でごぜえますでしょ」
と言っています。
一体貴方は何を観ていたのですか?そう言いたくもなりますね。

でこの後『いだてん』や『青天を衝け』の関東大震災の描写が出て来ますが、ここでは省きます。
そして

自分たちの都合のいいように震災を描くのは、あまりに悪質であると思います。

自分の都合のいいようにドラマを観て叩くのもまた、悪質であると思いますが。

飲み物-マグに注がれたビール
[ 2023/09/06 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第33回の『武将ジャパン』コラムそしてコメントに関するnote記事

今回もtaketak39460607さんのnote記事からいくつかご紹介します。尚今回から、私のこのコラム関連投稿でやっているように、武者さんの記述はダークブルーにしています。その方が、あるいはわかりやすいかと思われますので。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第33回~
https://note.com/taketak39460607/n/n94fd6d0d523b

まず佐藤隆太さんが演じる羽柴秀長の登場シーン関連。

なのになぜ、こうも胡散臭いのか。
秀長がキビキビと説明するたび、こう思ってしまいます。
「この爽やかな笑顔でビッグモーターを勧めて……」
あのテレビCMの件で佐藤さんをどうこう非難する気は皆無ですが、どうしたって頭から離すことはできない。

これに対してtaketak39460607さんは、
「過去にCM起用されていたというだけで佐藤さんには罪がないのに、現在は企業の不祥事や事件が発覚したため所属事務所主導で契約解除になって無関係になっているものを『呪い』『大河出演が特級呪物』『お国言葉はどうにも発声に違和感』と称していること」
「ゴシップ記事のリンクを貼りいつまでも犯罪者のように言い立てていること」
に触れ、貴方は名誉棄損で訴えられてもおかしくないと述べています。また佐藤さんの所属事務所(ケイファクトリー)によると、7月21日付けでビックモーターとの契約は解除されている旨も書き添えられています。

衣装といえば、井伊直政のサイズが合っていないのでは?
着用されている役者さんも和装の所作に不慣れなようで、肘まで見えそうなほど前腕部が見えているのは厳しいものがあります。
あの手の和装で前腕部をむき出しにするのは行儀が悪い。
『鎌倉殿の13人』の八田知家ほど筋肉質であれば、出したくて仕方ないのだろうとは思えますが、この直政は小枝のように細い。
『おんな城主 直虎』時の直政・菅田将暉さんは身長があるせいか、そこまで華奢な印象ではありませんでした。

こちらに関しては
「井伊直政の肩衣袴は『天地人』石田三成公役で小栗旬さんが着用されていたものを使っているのでしょう。着丈や肩幅が違うのだから、丈を詰めたり仕立て直したりしても肩が落ちてしまうのは仕方のない事だと思います」
とあり、
『前腕部をむき出しにするのは行儀が悪い』と言いますが、直政が着物をたくし上げて襷掛けにしていたのは穴掘り普請の真っ最中で袖が邪魔になるのに『行儀が悪い』とは?」
と書かれています。また、「わざわざ長身や筋肉質の俳優さんを比較に出して『小枝のように細い』と容姿を論い、小柄で華奢な板垣さんを何週にもわたって侮辱し続けるのは、やって悪い事の一線を越えているのではないでしょうか」ともありますね。

私は板垣さんが着ているのは、『おんな城主直虎』で山県昌景を演じた山本龍二さんと同じものではないかと、それぞれの画像を『どうする家康』あらすじと感想の投稿に入れています。そう言えば小栗旬さんの三成もこういう衣装でした。で、小栗さん184センチ、山本さん180センチ、板垣さん164センチですから、かなり身長差はありますね。
(ただ山本さんは、肩衣の下の小袖は違う物を着ています) 

そして、たすき掛けをしているのは工事の最中であること、板垣さんの身体的特徴を貶めるような物言いをする点には同感です。私も自分の投稿に書いていますが、人を性別とか人種などで侮蔑するのと似たようなものでしょう。

そしてOPの後の、石川数正が足を洗うシーン関連です。

例えば今回の石川教正。
岡崎に戻って、玄関で妻の鍋がお茶を差し出すシーンがありました。
疲れたらまず水分を補給する――
現代人の感覚で言えば、何らおかしくない行動ですが、歴史的に見れば不正解となる。
この時代、家に帰ったらまず足を洗います。

taketak39460607さんいわく、
「さも敵の首を獲ったように『ブッブー!不正解でーす!』とマナー警察を気取っていますが、玄関の土間で足を洗う為に湯を使う事と水を所望する事の順番など些末では?」
そして
「画像を見ると上り框に座る石川さんは草鞋を脱いでおり、傍らには水桶が置いてあるのですが」
とありますし、この和睦交渉は暑い時期なので、まず水を所望してもよいのではとあります。

あれは、どう見ても玄関先に腰を下ろして足を洗うシーンなのですけどね。
他にも『平清盛』の、日常的に入浴する習慣がない時代的背景を無視して、顔が汚れているという批判、寧々が挨拶することへの批判、徳川がなぜ真田に負けたのかへの見方などにも、指摘や反論がなされています。ではあと3つほど。

秀吉が関白になる場面ですが、公卿が軽いですね。
口調がペラペラの薄さです。

この記述に関しても、
「帝の勅命を伝える勅使役の公卿が『内大臣を関白にすべし』と伝え、秀吉公が恭しくこれを承ります。勅使は天皇の代理としての資格を以ってを宣旨を伝達するので、勅使を迎える者が勅使よりも上位の官位であっても、敬意を払う事とされたので勅使が上座、拝領する秀吉公が下座に座しています」
と書かれています。

勅使は秀吉に伝えるべきことを伝えているだけで、秀吉と話をしに来ているのではありませんし。ところで私はこの部分で、「公卿が軽い」とは何ぞやと思ってしまったのですが、この公卿は勅使のことですね。失礼いたしました。

それから第2回で既に登場している「浄土」に関して。

この世を浄土にするというのも、唐突に思えます。

これに関しては、
「今川義元公の説いた「王道と覇道」もこの世を浄土にする(『厭離穢土欣求浄土』)も2話から語られているので唐突ではありません」
「大樹寺で敵に包囲され、先祖の墓前で自害しようとした時、登誉上人の受け売りをした小平太さんから、普通は『現実の世の中は、穢れた世界であるからこの世を厭い離れ、次生において清浄な仏の国土に生まれることを願い求めること』だが、『あの世に行けではなく、穢れたこの世をこそ浄土にすることをめざせ』との独自解釈で教えられ、自害をとどまりました」
とあり、そしてもちろん
「以来『厭離穢土欣求浄土』は徳川家の旗印として使われています」
とも書かれています。

そして最後の方のこれなのですが。

そんな不誠実なドラマのもとには綺麗な花も咲かないし、美味しい実もならない。
騙されて近づくと造花がつけてあって、実はただのハリボテ。
しかも蜂の巣が仕掛けてあって、逃げ惑う羽目になる。
それを「斬新だ!」「シン・桃李成蹊だ!」「ただの桃とスモモじゃつまらないでしょw」と木の周りにいる連中がニヤニヤと笑いながら見ている。
せっせと小道をわざとらしく作り、そんな罠のある木に近づけようとするものもいる。
「この素晴らしい木がわからないなんてバカw 怠慢だw」と嘲笑う者までいる始末です。

taketak39460607さんは
「貴方の言っている事が全く分かりません。
「斬新だ!」「シン・桃李成蹊だ!」「ただの桃とスモモじゃつまらないでしょw」「この素晴らしい木がわからないなんてバカw 怠慢だw」と誰がどこで言いましたか?」
「そもそも沼田問題絡みで羽柴と接触した真田昌幸公が信州の地の物で旬だからとスモモを齧り、それを裏で糸を引いていると示唆するように秀吉公が口にしていた場面があっただけで、誰も『シン・桃李成蹊』などと考察していないのですから」
と反論しています。
さらに
「貴方が脚本家を嫌うのは結構ですが、家康公の紆余曲折・重き荷を背負った人生まで捻じ曲げ、誰も言ってもいないのに『徳川軍の罵詈雑言に対する秀吉公の反論は作り手の自己批判』「この素晴らしい木がわからないなんてバカw 怠慢だw」と嘲笑う者までいるとあらぬ妄想で憤慨し、持論を展開するのは歴史系ライターとして不誠実で、貴方の嫌いな秀長公の言うように信用を無くします」
という指摘もなされています。

私もこれは何ぞやと思いましたし、そもそも武者さんの言う「シン・〇〇」自体本人の勝手な思い込みにしか見えませんが、それをここまでこじらせるものでしょうか。

その他、「大事な客の前で食べたものを吐き出す」ことに武者さんが触れていますが、
「あのスモモの種は秀長公の方に向けて吐き出したわけではありません、貴方はスモモの種も吐き出さずに食べるのですか?バラ科植物の種子には毒性があるので食べられません」
と反論されていますし、白鳥玉季さん演じる茶々に対して武者さんがゲスエロ欲求などと書くのに対し、母お市の遺言を受けて、秀吉を利用すると覚悟を決めた、その覚悟をうまく演じていたと書かれています。

それと今回、このコラムのコメントに関しても書かれているので、そのうちの1つをご紹介しておきます。
「うっかりここまで観てしまったが、本能寺の変のあたりまでだったので、岡田准一主演「織田信長」と割り切る事にしました」とあるのですが、これに対して、
「ドラマを見ていないのに貴方はコメントを書き込みに来て同調しているのですか?
レビューに迎合して同調コメントを残す前にきちんと歴史事件の流れを調べたりドラマ内容を見たりしてからコメントするとツッコまれない内容のあるコメントができると思います」
とありますね。
実際普通観ていなければ、そこで終わりにするのではないかと思います。

ちなみに私はこのブログでも書いているように、『いだてん』の視聴を途中でやめていますが、その後は自分では感想も書かなくなりました。無論他の方のサイトやブログのコメント欄で、その後の展開について書くこともしていません(観ていないから書けません)。視聴を止めるとは、そういうものだと思います。

飲み物-テーブル上のアイスカフェラテ
[ 2023/09/03 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第33回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第33回『武将ジャパン』大河コラムその3です。
それから30日の福岡城関連投稿で、阿部進之介さんの名前の漢字を間違えていたので、訂正しています。


本作の制作者は、開き直っているんだと思います。
歴史的な意義を壊すことが「シン・」とつけることだと誤解し、だからこそ暴走した。
たとえば来週の旭姫もそう。
彼女と家康の結婚は、年齢的に名目的な儀式であり、実際の夫婦関係は無かったと見なされる。
それが歴史的見解の「常識」であり、自然な見方でもありましょう。
しかし、それだと「シン・」にはなりません。だからこそベタベタとした展開になったりするのでは?

先日も書いていますが、制作サイドは「シン・大河」などと言っていないと思いますが――『麒麟がくる』の時に「大河新時代」と言ってはいましたが。
それと次回のをまだ観てもいないのに、
「ベタベタとした展開になったりするのは、そうでないと「シン・」にならないから」
などと書くのは、武者さんの勝手な決めつけ以外の何物でもありません。
ちなみに次回の予告について先日書いていますが、ベタベタした展開のシーンなどはありませんでした。

こうした認識の持って行き方は“斬新”などではなく、むしろ“手抜き”でしょう。単に逆を取っただけ。

仮に今までの展開を、その真逆にするにしても、それがすなわち「手抜き」になるのでしょうか。

思えば初動から間違っていました。
家康をナイーブなプリンスと定義していますが、そもそも「プリンス」をどう見ていたのか?
昭和平成の学園ドラマなら金持ちの息子とか、上品なイケメンいうことになりますかね。
しかし、歴史用語として考えた場合の「プリンス」は、日本であれば皇族に該当するはず。
もうこの時点で誤用が甚だしい。

「○○界のプリンス」などという表現は、特にPRの意味で使われますし、その意味で家康がナイーブなプリンスというのは少しもおかしくありません。プリンスではありませんが、ハンカチ王子なんて言葉もありましたね。
ところで豊臣秀頼も「豊臣家の若きプリンス」という触れ込みですが、武者さんそれにも何か言いそうですね。以前、『真田丸』の中川大志さんも同じような触れ込みであったかと思いますが、ただそれに対しては何も言わなかったかと思います。

徳川家康をプリンスとして定義する時点で、信頼感が地に落ちていた本作。

強引ですね。この時点で信頼感が地に落ちていたのであれば、武者さんがあれもよくないこれも駄目と書いていたのは、一体何だったのでしょう。
「家康をプリンスなどとしている、だからこの大河はダメ」
この一言で済んだのではないでしょうか?

これは何も視聴者だけでなく、演じる側もそうなっているようで、今週やたらと長かった石川数正のラストシーンは、アドリブだそうです。
◆ 松重豊、「どうする家康」石川数正のラストシーンに言及「本来書かれていなかったセリフをアドリブで言った」(→link)
思い入れのある人物のセリフをアドリブにするというのは、通常ならばまず考えられないでしょう。
脚本が役者さんに信じられていないか。
あるいは、よほど中身がなかったか。

この記事ですが、松重さんのコメントによると

「出奔した後の最後のセリフも本来書かれていなかったセリフをアドリブで言ったんです」と告白。
(中略)
「松本潤家康とどういう別れ方をしたかなって2人で一生懸命シュミレーションした結果が33・34回の放送回だと思います」と具体的な出奔シーンの時期についても言及していた。

「出奔した後の最後のセリフ」
「33・34回の放送回」
とあるのを見る限り、このセリフは第33回ではなく、第34回に家康が上洛し、出奔した後の数正と会って、その時数正がこの言葉を放つのではないかと思われます。何よりも第33回では、家康は「出奔後の数正」と話す機会はありませんでしたから。

そして中島亜梨沙さんのSNSでの
「(劇中での)台詞は台詞ですので苦情は受け付けておりません!」
に関して、
「なぜ、そんなことをSNSでわざわざ但し書きしているのか、
誰かから「おかしい」と言われることを想定していないと、そんなこと発表しませんよね」
とありますが、あの中で中島さん演じるひよは、板垣さん演じる虎松を悪童呼ばわりするため、
「気にしないでくださいね」
という意味で板垣さんのファンに送ったメッセージとも取れます。

しかし武者さんは、収録現場の人間関係がギスギスしているに違いないと思っていたいようです。

そんなギスギスした不幸な関係は、ドラマの描写にも反映されているようで、先週の放送で、秀吉が吐いたセリフが注目されていました。
◆NHK大河「どうする家康」ムロ秀吉の悪口に対するアンサーが話題に 視聴者「全てのSNSユーザーが胸に留めたい」「正論かましてきた」(→link)
徳川軍に罵詈雑言の看板を掲げられた秀吉が、「人の悪口を言うやつはどうしようもない」という趣旨の発言をしたものですね。

この秀吉のセリフを、私のように批判を記す不届者へのカウンターと捉えた意見は多かったようです。
しかし、だとしたら非常に妙なことになる。
秀吉の発言が向けられたのは、あくまで「徳川軍」です。
罵詈雑言の看板を立てた徳川軍に対し、秀吉が「どうしようもない連中だ」と罵り返したわけで、もしも秀吉の発言が肯定的に捉えられるなら、表向きは徳川軍の連中がどうしようもないということになる。
SNSでのアンチを叩きたいあまり、主人公側をぶん殴るとは、あまりに筋が悪い。

ドラマはドラマ、現実は現実とここは分けて考えるべきでしょう。
実際秀吉のセリフは、自分への悪口雑言を書き連ねて、自分を怒らせようとした徳川に向けられています。そして視聴者の中には、ネット上で発言をする際の自分への戒めとしようと思った人もいるでしょう。
しかし結局徳川の目論見は失敗に終わるわけですし、確かにこの時の徳川の考えはやや浅はかであったとも言えます。
とは言うものの、
「SNSでのアンチを叩きたいあまり、主人公側をぶん殴るとは、あまりに筋が悪い」
は、武者さんの僻目ではないのでしょうか?

おまけに、

そして、今まで散々秀吉を貶めるような描写をしてきたドラマの制作者も、批判される側になるでしょう。
作り手の自己批判だったのでしょうか?

だからドラマはドラマ、現実は現実です。ただ視聴者の中には、このセリフが刺さった人もいるでしょうし、そこから先はその人の考え次第でしょう。
図星だったのかも知れませんが、ここまで言う必要もないかと思います。スルーしとけばいい話です。
武者さんて割と冗談を真に受けるようなタイプなのでしょうか。
それにしても「主人公側をぶん殴るとは筋が悪い」
いや、貴方の大河評はいつも、主人公側をぶん殴るに等しいことをやっているように見えますが。

でこの後榊原康政を演じる杉野遥亮さん、茶々を演じる白鳥玉季さんについての記述がありますが、これはまた機会があれば別途取り上げます。特に白鳥さんについては、武者さんが持論を持ち込んで延々と書いていますので。

◆『どうする家康』が放送開始以来の大ピンチ…「BL展開」しか逃げ道がない「ヤバすぎる事情」(→link)
 「山田(本多)が上半身裸となって槍の稽古をする、杉野(榊原)が家臣と相撲を取る、といった演出プランがあると聞きます。松本家康の相手役になるのは、おそらく板垣(井伊)でしょう。美男子の井伊が、風呂場でふんどし一丁になって家康の背中を流すというシーンが今後の見せ場になるそうです」
一言だけ言うなら「しょーもな!」でしょう。
こんな安っぽいBL展開でしか数字を狙えないドラマとは一体なんなのか。

現代ビジネスの記事ですね。
しかし忠勝が上半身裸で槍の稽古をするのは、もう既に出て来ているはずですが。
あと相撲を取るシーン、武者さん『西郷どん』でも何かのように叩いていましたが、相撲で褌一丁なのは当たり前ですし、こういう男性の裸のシーン即ちBLに結びつくのでしょうか。
では『真田丸』で石田三成が水垢離をするシーンがありましたが、あれもBLなのでしょうか。
それと先日『秀吉』絡みで書きましたが、あの時は秀吉と家臣が褌姿で走っていました。この論理だと、それもBLになるのですね。

確かに『鎌倉殿の13人』で若い層を取り込んだという分析結果もありましたが、今年はもう今さら頑張ったところで無理。
ここから制作陣を入れ替えたって、とても挽回できるものではないでしょう。

この大河は実際若い層を取り込んではいると思います。またSNSとの親和性も高そうです。
にもかかわらず
「今年はもう今さら頑張ったところで無理」
「ここから制作陣を入れ替えたって、とても挽回できるものではないでしょう」
なのだそうですが、何が無理で、何を挽回できないのかはっきりさせてほしいですね。
世帯視聴率ですか?それとも固定視聴層の復帰ですか?

そしてまた中国ドラマとアニメのリンク。

◆中国ドラマ「陳情令」配信4周年記念の切手セット販売、五大世家シーリングスタンプも(→link)
◆アニメ第2シリーズ「天官賜福 貮」字幕版&吹替版で放送決定! PV第1弾が公開&新キャストに子安武人(→link)

関係ない話ですが、このアニメに出演している日笠陽子さん、『はたらく細胞BLACK』の白血球ですね。

先ほどの記事で名前が出てきた松坂桃李さん。
実は彼の「桃李」とは、桃李成蹊を由来としていて、成蹊大学の由来でもあります。
桃李もの言はざれど、下自ら蹊(みち)を成す。『史記』
桃やスモモは何も言わない。しかしその下には、その花と実を求めた人が集い、自然と小道ができるものだ。つまり、優れた徳や誠意の持ち主のもとには、宣伝などせずともそれを求める人が集まってくる。

「先ほどの記事」などと書かず、杉野さん関連の記事であること、杉野さんが松坂さんと同じトップコート所属であることをちゃんと書いてください。
しかし松坂桃李さんを出してくるなら、出演大河もちゃんと書けばいいのに。ただ武者さんは『軍師官兵衛』も『いだてん』も好きじゃないから、書きたくないのでしょうね。

で、好きな『八重の桜』絡みのこのニュースには嬉しそうです。

大河ドラマもそうだと示すニュースがありました。
◆綾瀬はるかさん、今年も特別ゲストに 9月23日の会津藩公行列 福島県会津若松市 福島民報(→link)
もう十年間ですよ。
彼女を呼ぶ会津の期待や信頼感と、綾瀬はるかさんの誠意が今なお合致していて、
「さすけねぇか」
と呼びかける綾瀬はるかさんはすっかり名物です。

その一方で、家康の出演者が信玄公祭りに出ないと書いています。実はこちらの信玄公の方は、ちゃんとした理由があるからなのですが、それを書いていませんね。

『どうする家康』でも、まだ祭りのゲストに出演者が参加することがあるようですが、その一方で一切関わらない祭りもあります。
その代表例が、信玄公祭りでしょう。
◆第50回信玄公祭り 信玄公役が決定しました!(→link)
以前にも触れましたが、信玄公を務めるのは阿部寛さんでも眞栄田郷敦さんでもなく、『大奥』で徳川吉宗を演じた冨永愛さん。
意思決定の経緯は不明ながら、ともかく結果は結果。
なぜ大河ドラマが回避されたのか。あらためて考えていて浮かんできたのが脚本家の得意とする描写手法です。

これに関してですが、男性ばかりでなく女性も入れようということになり、富永さんに白羽の矢が立ったようです。

長崎幸太郎知事は「(祭りは)県の新しい姿を見せていく大きな機会」と述べ、女性活躍推進に力を入れる姿勢を示していく方針だ。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC069XC0W3A600C2000000/
(日本経済新聞)

ちなみに今年は、山本勘助も女性が演じるようで、信玄公だけではなさそうですね。

第50回信玄公祭り 山本勘助役が決定しました!
https://www.yamanashi-kankou.jp/shingenko-fes/50th_kansuke-kettei.html

武者さんは女性参画は好きでしょうから、こういうのはちゃんと紹介してはどうでしょうか。
あと今年の場合、信玄公は主役ではないということもあるでしょうね。それを考えれば、主人公を演じた綾瀬さんが会津関連イベントを10年間務めるというのはわからなくもありません。

そして、この後ですが、

『どうする家康』にせよ『コンフィデンスマン』などにせよ、この脚本家については
「二転三転する展開で視聴者が軽妙に騙される」
といった趣旨の文言が必ずのようについて回ります。

とあり、

徳川家康はむしろ誠実さが売り物です。
むろん誇張や美化もあるでしょうが、裏切られることの多かった織田信長に対し、一度もそんな素振りを見せていないのが家康。
秀吉だって、死を前にして、家康に秀頼を託しています。
実際の内面はともかく、誠意ある人物に思われていたのでしょう。
そういう人を主人公にして、どうして、軽妙に騙すのが得意な脚本家に依頼したのか?

この家康自身は寧ろ誠実で、だからこそ最初は悩みもし、その中でしたたかさを身に着けては行きますが、本質的な部分は第33回時点であってもそう変わっていないでしょう。そして古沢氏は、そういう家康の成長と変わらない部分とをきちんと描いているかと思います。ただドラマそのものは、この人らしい二転三転した展開、最初から時系列に沿って描かない展開は多めではあるでしょう。

そんな不誠実なドラマのもとには綺麗な花も咲かないし、美味しい実もならない。
騙されて近づくと造花がつけてあって、実はただのハリボテ。しかも蜂の巣が仕掛けてあって、逃げ惑う羽目になる。
それを「斬新だ!」「シン・桃李成蹊だ!」「ただの桃とスモモじゃつまらないでしょw」と木の周りにいる連中がニヤニヤと笑いながら見ている。

一体何を言いたいのですか、武者さんは?何か変な夢でも見たのですか?
先ほどの桃李成蹊になぞらえたいのでしょうが、この蜂の巣とは何ですか。何かの暗喩ですか。
そしてまた「シン・」だの「つまらないでしょ」だの、すべて武者さんの妄想でしかありません。
同じ揶揄するにしても、もう少しまともな方法はないかと思ってしまいます。
こんなことで引き合いに出される松坂桃李さんが気の毒になります。官兵衛の長政好きなのに…。

それと先ほどの大河絡みで書きましたが、松重さんに加えて松坂さんも綾瀬さんも出して来たのなら、ここで『いだてん』の話を…とは、なりませんかやはり。

「この素晴らしい木がわからないなんてバカw 怠慢だw」と嘲笑う者までいる始末です。

バカとまでは言いませんが、武者さんが『どうする家康』を、大河レビュアーであるにもかかわらず、少しも理解していないのは、残念ながら事実でしょう。

2013年と2023年の大河ドラマの違いとは、誠意の問題だと思います。
信頼関係を無茶苦茶に破壊しておいて、この後どうするつもりなのか。

どこが「誠意の問題」なのでしょうか。
今年のスタッフは誠意がないと言わんばかりですね。
そして「信頼関係を破壊」、この信頼関係とは具体的に何なのでしょうか。

皆さんの意見はNHKへ直接送りましょう。
◆NHK みなさまの声(→link)

ではまた支持の声と、それからラグビー中継に関して一言送っておきましょう。

飲み物-ワインと樽2
[ 2023/09/01 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第32回に関しての武将ジャパンの記事について-4

『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。尚taketak39460607さんのnote関連は、次の次になることをお断りしておきます。


義元に学び、信長に鍛えられ、信玄の兵法を習得する――前半はそういう流れだったとドラマ内で歴史修正が行われました。
いつ、そんな学びや鍛錬があったでしょう?
側室オーディションをして、蒸し風呂で侍女に迫られ、ついにはマザーセナの妄想にラリラリトリップしていたではありませんか。
戦場では「いやじゃーいやじゃー」とピエピエ泣き叫ぶ。
何をもってして学びといい、鍛えられていたのか。
結局、本人の申告であれば、見ている方はそれを呑み込めということなのでしょう。
作り手があの情けない姿を「気弱なプリンス」だと認識しているあたりからして、まったくもって意味がわかりません。

「歴史修正が行われました」
歴史修正でも何でもなく、最初から観ていたらわかることです。

家康は王道を今川義元から学び、非情さを織田信長から学び、
「戦は勝ってから始めるもの」
を、武田信玄から学んでいます。
それを見逃しているのでしょうか。いやそもそもきちんと観ていないのでしょうか。
そして「戦は勝ってから」云々、『孫子』由来のはずですが、武者さんがそれに何も触れようとしないのはなぜなのか、知りたいところです。

しかし
「側室オーディションをして、蒸し風呂で侍女に迫られ、ついにはマザーセナの妄想にラリラリトリップしていたではありませんか」
今更ですが、すごい表現ですね。好きな大河では絶対に出て来ないでしょうね。

例えば主演の方はそろそろ40代に入ります。
いくら美形だろうと、不惑を過ぎたらシリアスか、ダークな演技ができなければ埋没するだけ。
『麒麟がくる』の長谷川博己さん、『鎌倉殿の13人』の小栗旬さんなどは、そのステップを大河で駆け上がってゆきました。よいドラマには背中を押す力があります。

まず「主演の方」、松本潤さんとちゃんと書きましょう。
で松本さんが
「不惑を過ぎたらシリアスか、ダークな演技ができなければ埋没するだけ」
なのだそうですが、この手の演技ができないと決めつけているのもどうかと思います。
そしてまた例によって、好きな大河の主役なら
「そのステップを大河で駆け上がってゆきました。よいドラマには背中を押す力があります」
なのだそうです。別に武者さんが好きな大河のみに限った話ではなく、座長として1年間大河の主役を任されたら、どんな俳優さんでも一応は成長するものだと思いますが。

真田昌幸は家康より4歳下。劇中では、まだ不惑前の壮年期です。
それなのにこの貫禄は何ごとか?
と、思ったら役者の親ネタですか。
◆真田昌幸役・佐藤浩市さんの扮装写真公開にオールドファンが涙する理由【どうする家康満喫リポート】秘話発信編(→link)

で、1981年に佐藤さんの父三國連太郎さんが、大型時代劇『関ケ原』で扮した本多正信にそっくりとあるのですが、

いやいやいや、1981年って、もはや40年以上も前のことですよ。
そんな古いことを覚えている層だけに取り入ってどうするつもりなのか。
って、まぁ、仕方ないですね……。
今年はもうドラマとして終わっている。だとすれば、こんな風に
「あれは佐藤浩市さんの父である三國連太郎に似せているんですよw 歴史ファンならそのくらい常識でしょw」
周囲にマウントするぐらいしか役割がないのでは?

実際より老けさせているのは、『真田丸』の昌幸でも同じでしょう。
また真田昌幸ではありませんが、『龍馬伝』の山内容堂公、近藤正臣さんが演じた白髪の殿様は、実際はあの時30代です。

そしてこの出典元のサライ、私も過去に引用したことがありますが、主に年配の人が対象なので、このような書き方にもなるでしょう。

毎回衣装にダメ出ししていて、我ながら疲れますが……。
秀吉の陣羽織が、どうしてもカーペットのように見えてしまう。
実は以前も似たようなことがありました。
『花燃ゆ』で、ヒロインの美和が鹿鳴館舞踏会にあわせて仕立てたドレスが、カーテンに見えたのです。
あのときは『八重の桜』で大山捨松が着用したドレスを着回した、津田梅子の方がよいとしみじみと思いました。

前にも書いていますが、秀吉の陣羽織は絨毯がもとになっています。
『花燃ゆ』の美和のドレスは確かにカーテン、私には緞帳のように見えましたが、私が気になったのはその点ではありません。
武者さんは「ヒロインの美和が鹿鳴館舞踏会にあわせて仕立てたドレス」と書いています。
しかしあれは美和が仕えていた銀姫のおさがりであり、美和自身がオーダーしたわけではありません。そしてあの手のドレスは、その人の体型に合わせて仕立てないと、なかなかフィットしないと思われますが、美和は特に直したようでもないのに、あのドレスがぴったりしていた。寧ろ不思議なのはその点でした。

そして津田梅子にしても、『八重の桜』のドレスを着ているからいいと褒めているのではないか、そのような気もして来ます。

まっとうな衣装デザイナーはいないのか……。
と、思ったらいました!大河ではおなじみの黒澤和子さんが映画『リボルバー・リリー』を手掛けております。
◆映画『リボルバー・リリー』綾瀬はるかが身にまとう衣裳は黒澤和子率いるデザインチームが担当(→link)
『八重の桜』の八重と尚之助を演じた綾瀬はるかさんと長谷川博己さんが出るなんて、これまた素晴らしい。

綾瀬さんと長谷川さんがそんなに好きなら、『いだてん』と『まんぷく』ももう少し評価してあげてはどうですか?
ちなみに黒澤さんは幕末物の衣装ならいいと思います。

『八重の桜』の評価点として、川崎尚之助の汚名を晴らしたこともあげられます。
(中略)
新説を無意味に取り入れればよいのではなく、そこまでしてこそ良い大河。
『どうする家康』では「森蘭丸でなくて森乱です!」なんて大仰にいうものだから、さぞかし暴れるのかと思ったら、気がつけば消えていましたからね。
アリバイとして新説を取り入れたなんて言われても意味がありません。

どの大河でも、新説を無意味に採り入れることなどそうないかと思います。
そして『森乱』は何度も書きますが、史料に準拠してのものです。
どこがアリバイなのでしょう。
平山優氏を敵視したいがために言っているようにしか見えませんが。そして名前が「乱」なのと、暴れるシーンが出て来るのはまた別でしょう。お兄さんの鬼武蔵の方が暴れています。

ムロツヨシさんは「自分は好かれない」と語っております。
◆「どうする家康」ムロツヨシ怪演がネット話題“大河史上最恐”秀吉の魅力は「野心」「好かれないピエロ」(→link)
あの秀吉なら仕方ない……とは思いますが、では、誰が好かれているのか?
去年の和田義盛や畠山重忠、あるいは上総広常なんて、主役を食う勢いで支持されていました。
他にも挙げたらキリがないですが、では今年は?
ムロツヨシさんが心配せずとも、誰も好かれていないように見受けます。
立ち位置的に石川数正の人気が高いようにも思えますが、どちらかというと「グルメの人だ♪」という印象から来ているようにも見えるし……。
もはやドラマに出番があることそのものが呪い。
「あの武将は出て欲しくない」というリストを私は脳内に作りました。

ここで注目されるべきは、ムロさん自身の発言です。
武者さんの書き方だと、如何にも周囲から嫌われて人気がないように見えますが、実はさにあらずです。
ここでムロさんは
「カッコいいですけど、その道化っぷりはあまり皆から好かれないピエロで…それがまた面白いなと思っています」
と話しており、つまるところ、本人がそれを楽しみながら演じているわけですね。なお、岡田准一さんも同じようなことを言っており、ドラマにおけるその特異なキャラが評価されているわけで、誉め言葉と受け取るべきでしょう。

「立ち位置的に石川数正の人気が高いようにも思えますが、どちらかというと「グルメの人だ♪」という印象から来ているようにも見えるし……」
その裏付けを見せてください。

「もはやドラマに出番があることそのものが呪い。
「あの武将は出て欲しくない」というリストを私は脳内に作りました」
武者さんがどのように考えようが自由ですが、自分の思い通りに行かなかったからと言って、このコラムでそれを愚痴るのはやめた方がいいと思います。

時間帯が近い民放ドラマの勢いと比べると一層際立つ。
◆ 【VIVANT】第5話視聴率14・2%で番組最高更新!「テント」のリーダー判明、前回から0・8P増(→link)
もはや絶望的な状況です。

それを言うなら、2013年の『半沢直樹』と『八重の桜』、2017年の『陸王』と『おんな城主 直虎』、いずれも日曜劇場の方が高視聴率でした。第一、同じ日に何度も放送があり、土曜日に再放送がある大河と、放送は1回のみの1クールの日曜劇場とを比較するべきなのでしょうか。

そして大河は駄目だと決めつけ、華流時代劇のPR。

イケメンとイケメン同士を描く時代劇――。
『どうする家康』がやろうとして全くできなかったことを達成した華流時代劇『陳情令』が、ついに地上波に登場です。

ということで、やけにこのシリーズのPRをしまくっています。このコラムへの報酬は、この華流時代劇のPRへの報酬ではないのか、そのように思われてしまいます。

それからこのデイリー新潮の記事ですが、

◆ 【どうする家康】存在感のない家康、所作も作法も軽んじられ…岩盤支持層に不人気な原因は多数あった(→link)

逆に今年の場合、大河の岩盤支持層以外の層に受け入れられているようです。これは鈴木祐司氏が分析しています。
あと所作作法というのは、家康が信雄を呼び捨てにしたシーンのことですね。
それとヤフコメの意見についても書かれていますが、あそこは、どの大河でも厳しいコメントが載るので有名です。実際見たことがありますが、今年に限った話ではありません。

今年の大河を庇う人は過去の大河とばかり比べています。
VOD全盛期のいま考えるべきことはそんな狭い視野ではなく、他国の歴史劇、特に東洋史とライバル関係になったと認識を改めねばなりません。

「過去の大河とどの点を、どのように比べているのか」
それがないから説得力に欠けてしまうのですが。

でまた『陳情令』関連の記述が続き、

大河ドラマは、なぜ特別なものとして存続してきたか?
今は19世紀を迎えた徳川幕府のようなものです。
破綻しつつあるし、満足しているわけでもない。しかし、それ以外にどんな支配者がいるのか、知識がないからわからない。
それが今までの、VODがない2010年あたりまでの大河でした。
状況は激変しました。
黒船来航後の世界です。
筆もまともに持てない役者の時代劇なんて、淘汰されて終わってしまう。

それまでも大河は、たとえば近代三部作や90年代前半の放送フォーマット変更などでうまく行かず、元に戻しており、その状態が今まで続いて来ています。今後しばらくはこのフォーマット、そして幕末までを重視する姿勢で行くでしょう。
そして何かとVODを強調していますが、そのVODで大河を観ている人もいるわけで、この両者は対立概念ではないと思います。

そして
「筆もまともに持てない役者の時代劇なんて、淘汰されて終わってしまう」
これを言いたくてたまらないのでしょうか。家康も秀吉も、筆の持ち方はおかしくありません。

もはや一刻の猶予もない状況を迎えています。
(中略)
国家昏乱して、忠臣有り。『老子』
ファンダムが乱れてくると、“信者”が悪目立ちようになる。

武者さんは一刻の猶予もない、だから早く今年のを終わらせろと考えていたいのでしょうか。私はそうは思いませんが。
「国家昏乱して、忠臣有り」
これは老子『大道廃有仁義』の一部ですが、国家が乱れてくると、忠臣の存在が目立つようになるという意味で、ファンダムの「信者」とは多少意味合いが異なるかと思います。

で、

今回の第32回放送は、秀吉の言葉「俺のアンチはゲスだ」と喚くところが出色の出来でした。
あのセリフは、ドラマに批判を繰り返す私のような不届き者へのメッセージにも思えました。
考えすぎでしょうか?

「俺のアンチはゲスだ」
とは凄まじい解釈ですね。ではもう一度挙げておきます。
「所詮、人の悪口書いて面白がっとるようなやつは、己の品性こそが下劣なんだと白状しとるようなもんだわ」
つまり、「俺のアンチ」ではなく、「誰にせよ人の悪口で面白がるやつ」のことです。
しかし不届き者という自覚があるなら、もう少し書き方を改めては如何でしょうか。

公式ガイドブックのあらすじには、まるでなかった意味合いの言葉が加えられたら、そう感じるほうが自然でしょう。
もしも意図的に加筆されたものだとしたら、残念でしかありません。
ドラマで本当に描きたいことはそこなのか。
一時的な感情に委ねて、そんな台詞を入れていたとしたら、視聴者に対して失礼ではないか。
と、じっくり考えていると、やはり私の邪推にも思えてきますが、現場の士気が低下して役者さんから覇気が奪われていたとしたら残念でしかありません。

これも最初の方で書いていますが、ガイドブックのあらすじはあくまでもあらすじであり、台本ではありません。従って、ドラマ本編で出て来たセリフが、逐一書かれているわけではないのです。
にもかかわらず
「まるでなかった意味合いの言葉が加えられたら」
「意図的に加筆されたら」
と、ガイドブックそのものが台本であり、しかも改悪されることをまるで期待しているかのようです。
しかも
「一時的な感情に委ねて、そんな台詞を入れていたとしたら、視聴者に対して失礼ではないか」
ドラマの制作は、果たして一時的な感情に委ねられているものでしょうか?

「と、じっくり考えていると、やはり私の邪推にも思えてきますが」
はっきり言います。
武者さんの邪推にしか受け取れません。

そしてまた心理がどうこう、『孫子』がどうこうとありますが、ここでは省きます。そんなに『孫子』に言及したいのなら、三方ヶ原での信玄公のセリフを、もう一度かみしめてみてください。

SNSで誰かを攻撃するよりも、本作を「支持する」「支持しない」旨をNHKに送ったほうが有用ではありませんか。
◆NHK みなさまの声(→link)

では今回も「支持する」メールを送らせていただきます。



飲み物-おしゃれなグラスのビール
[ 2023/08/27 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第31回に関しての武将ジャパンの記事について-1

第31回の『武将ジャパン』大河コラムについてです。
ところで13日に、このコラムの筆者である武者さんが
「『どうする家康』こんな後半戦は絶対イヤだ!36の悪寒をリストアップ 」
などという記事を書いています。なぜ36もあるのかと思ったら、何のことはない、今までのコラムに登場したネタの使い回しと言っていいものでした。

しかも視聴率が9.4パーセントと一桁になったことに触れ、裏にスポーツ中継もないのになどと書いていますが、この13日の放送で、再び二桁に戻していますね。
こういうのを書くくらいなら、ちゃんと14日付けでコラムを書いてほしいものです(今回のこのコラムは15日にアップ)。それともお盆休みだったのでしょうか。

それとのっけから最後の部分で恐縮ですが、

「失敗した。反省点もある」と表明すると、ファンダムから裏切り者扱いされて叩かれかねない。
ゆえに何があろうと「これは傑作です。あなたならわかりますよね!」と強気で突っ張り続けるしかありません。
そんな方には『真田丸』の真田昌幸の切り替えでも引用しましょう。

朝令暮改の何が悪い!
より良い案が浮かんだのに、己の体面のために前の案に固執するとは愚か者のすることじゃ!

とやけに『真田丸』の真田昌幸を引き合いに出していますが、かつて『いだてん』コラムで、武者さんはこんなことを書いていました。

武将ジャパン『いだてん』真田昌幸関連

『いだてん』に感情移入できないのが、視聴率が取れないことという民放関係者のコメントのようですが、ここで武者さんは

感情移入できないことが最悪、だそうです。
じゃあ逆に聞きますけどね。
例えば『真田丸』の真田昌幸とかに感情移入できましたか?
「昌幸はやっぱり最高だな!ああいうふうに謀略で敵が悔しがると最高!」
って人、周囲にいたら?
逃げたくなるやろ。

何だかんだ言いつつこの時は昌幸を叩き、『いだてん』に好意を持っていたのだなと思います。
今とは逆ですね。今は大河叩きというか、ここではファンダム叩きで昌幸を持って来ています。そう言えば、次回辺りで昌幸が登場しそうですね。

前置きが長くなりましたが、本題に入ります。


家康の「秀吉を倒す!」宣言も、とにかく虚しい。
かつては信長に対してもそう断言していましたし、この後も結局は秀吉の妹・旭姫をマザーセナ以来空白だった正室にしますしね。
マザーセナを教祖として崇めているようでいながら、性的なことは別。
旭姫がその対象となるかどうか不明ですが、カルトとしての生々しさだけはリアリティのあるドラマです。

小牧・長久手の戦いを知っていたら、こういうことは書かないかと思いますね。
信長は寧ろ向こうから討ちに来いと言われて悩んでいますが、謀反寸前で思いとどまっています。しかし今度の家康に迷いはありません。
それと「マザーセナ」呼ばわりもうやめませんか、と言っても、彼女の考えをカルト視していたい武者さんですから、そういう姿勢が如何に痛いと見られていてもやめないのでしょう。
「フルタイムのラグビーウォッチャー」中尾氏が、90年代の神戸製鋼をコウベ真理教呼ばわりしたように。
こういう人たちは何か相通じるものがあります。

あと旭姫を最終的に正室に迎える(と言うか、秀吉が送り込んでくる)件で
「マザーセナを教祖として崇めているようでいながら、性的なことは別」
まるで家康が自分の意志で正室にしたようですね。武者さんこの間も同じようなこと書いていましたが、ネタ不足なのでしょうか。

秀吉に挨拶をするため、順番待ちをする人々。
僧衣やら貴族やら、なんだかそれっぽい人々が並んでいますが、天下人への挨拶を頼む場面としてはあまりにフランクすぎやしませんか。
『麒麟がくる』の場合、高位の人物に会うとなれば結構な手間暇がかかることがわかりました。
駒や東庵は名のある人物とホイホイ会えたではないか、という反論は別の話。
彼らは特殊技能持ちだからこそのルートがありました。

では斎藤道三の家来である無位無官の光秀が、将軍義輝と差しで会えたのはなぜだとお考えでしょうか?
それとこの時秀吉は、正式にはまだ天下人ではなく(ナレでも天下人への階段を駆け上がっておりましたとあり)、柴田勝家に勝利して、織田家の家臣ナンバーワンの位置を確立したと言うべきでしょう。そしてこの場合も、それなりの手間暇はかかっていると思います。
それと特殊技能持ちと言うのは、医学のことと思われますが、当時は高位の人物を診る医師は僧形が基本でしたが(曲直瀬道三などもそう)、東庵は結局僧形にはなりませんでしたね。

そして
「天下人への挨拶を頼む場面としてはあまりにフランクすぎやしませんか」
あの人たちは列を作って待っているだけですが、どこがどうフランクすぎるのですか?そして彼らもまた、順列があってのことでしょう。

髭ヅラ秀長の説明セリフもしんどい。どうしたってビッグモーターのCMイメージが先行してしまい、興が削がれます。
まぁ、こればかりは不運としか言いようがありませんね。ドラマが現実を超えられなかった。

武者さんが勝手にそう思っているだけで、佐藤隆太さんに失礼ですね。
そしてまた「説明セリフ」(苦笑)。
それにあの時は、家康の家臣である数正を並ばせるわけには行かないと言っているだけです。これがしんどく感じられるのなら、観るのをやめた方がいいですよ。

このドラマは差別への意識が薄いことも欠点。
秀吉と秀長、死を目前とした明智光秀がお国言葉になります。
大河でお国言葉を使うことそのものが悪いのではありません。貶める手段として用いることが問題です。
今時この認識なのかと驚きました。
この描写だと、お国言葉を使う人間を貶めているニュアンスがあると思われかねない。
(中略)
しかし、2020年代にもなってこの感覚とは、愕然としてしまいます。脚本家が同じ映画『レジェンド&バタフライ』も同じようなお国言葉の使い方をしていました。

何やら既視感のある文章がまた出て来ましたね。
しかも
「秀吉と秀長、死を目前とした明智光秀がお国言葉になります」
秀吉は最初から尾張言葉です。秀長もそうでしょう。
そして光秀の場合、「死を目前とした」よりは、信長という重しが取れてあのような言葉遣いになったと言うべきでしょうし、それがなぜ
「差別」だの「貶める」だのになるのでしょうか。
それを言うのなら、『真田丸』の寧(北政所)でも、なか(大政所)でも尾張言葉を使っていましたが、あれも差別なのでしょうか。特になかを演じた女優さんは名古屋の方なので、板についていたなと思います。
そしてまた『レジェンド&バタフライ』叩き。

秀吉の下劣さが止まらない。品位が何もない。
役者の問題ではなく、脚本はじめ作り手が権威や身分秩序を理解できていないせいでしょう。
『鎌倉殿の13人』はこの点高度でした。

また『鎌倉殿』を叩き棒。で、これに出ていた歌舞伎の俳優さんはよかった、坂東彌十郎さんは敢えてちょっと崩していた云々。私も彌十郎さんの時政は好きでしたが、今回の場合、
「権威とか身分秩序を理解できていない」
わけではなく、今回の秀吉はこのキャラで行こうと決めたからではないでしょうか。
ムロさん自身「自分の考えがバレないようにピエロになる、アホになる」と動画で言っていますが。
(『どうする家康』公式サイト)

秀吉が書状を書く場面。
今回も筆の持ち方がおかしい。
そもそも秀吉は出世したのだから祐筆を使えばよいのでは?
さすがに大河スタッフが祐筆を知らないとはあり得ないでしょうが、こうした描写があるから、どうしても出世した感じが出てこない。
秀吉が信雄にグイグイ迫るところも、どうにもくだらない。
一喝するなり、睨みつけるなり、できないのでしょうか。

「祐筆を使えばよい」
あの秀吉、文書に花押を書いているように見えますが、それでも祐筆を使えですか。
そして文章でなく花押のみなら、多少斜めにしていても納得です。
そしてこの信雄がグイグイ迫るのは、尾張、伊勢、伊賀の3国のみお治めくだされと秀長に言われ、器不足だと言わんばかりの姿勢を秀吉が見せたこととも、もちろん関係しているでしょう。

こんなに怖くない秀吉は前代未聞です。

図らずも武者さん、この秀吉のキャラの一部だけを言い当てましたね。
実際は「怖くなさそうでいて、実は怖い」のですが。

本作は、豊臣秀次とその妻妾の死も簡単にすっ飛ばしそうですね。いや、若い美女を殺すことは好きなようだから、じっくり描くかもしれません。

この作品の場合、そこまで秀次事件は関係なさそうです。寧ろ江戸の町をどう作るかの方が重要でしょう。
それと
「若い美女を殺すことは好きなようだから、じっくり描くかもしれません」
武者さんは叩きネタにしたいから、じっくり描いて欲しいのですね。

秀吉の下劣さは、どうしようもない衣装にも一因がありそうです。
この作品は全体的にカラーパレットがおかしい。
『中国の伝統色』(→link)という本には、色の説明に歴史劇の衣装で使われていたということがしばしば言及されていました。
あざやかな使い方で素晴らしいといったことが書かれている。
そういう色の意味合いや使われる意味を考える楽しみ方が今年の大河ドラマにはありません。

ここは中国ではなく日本です。

そして色の意味合いを考える楽しみがないのは、武者さんがこの大河の衣装の色合いを理解しようとしていないからではないでしょうか。公式サイトの柘植氏のコラムも恐らく読んでいないようだし、なぜこの色でなぜこのデザインか、最初から知りたくないのではありませんか?そう言いたくもなります。
あと日本の伝統色はちゃんと踏まえていると思いますね。
一応これを置いておきます。

日本人の美の心!日本の色【伝統色のいろは】

それと柘植氏の衣装デザイン関連で。大久保忠世の衣装を紅と私は書いていましたが、茜(インド茜による染色)が正しいので直しておきたいと思います。
(2023年8月16日一部加筆)

飲み物-ビールと夕日2
[ 2023/08/16 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第30回の『武将ジャパン』コラムに関するnote記事と方言と地元の英雄

ではtaketak39460607さんのnote記事からいくつか。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第30回~
https://note.com/taketak39460607/n/n628353550ec7

まず茶々が「大人の考えた駒」であることに関して、こちらのnoteでは、まだ幼い浅井三姉妹が、母であるお市の昔語りを聞きたがって何が悪いのかと反論されています。
さらに『麒麟がくる』の竹千代のように、大人が思うような振る舞いをしない子供を武者さんは至上としているが、子供は皆同じではなく、また初は家康が父だったかも知れないと言っているが、長女の茶々は父長政を覚えており、浅井長政以外に父はいないと口にした点なども指摘されています。

しかし武者さんは、どうも茶々が大人の考えた駒であってほしいのでしょう。そしてその後さらにファム・ファタールなど、性犯罪だのと書いていますが、話があまりにも飛躍しすぎですね。

それから月代について。
武者さんが「全員が月代を剃った結果、明らかに似合っていない人がいて、見ているだけで悲しくなってきます。結髪も役者の頭の形や輪郭を考えずにまとめて処理しているのでしょうね」としている件で、私は
「剃らなければ剃らないで文句を言い、剃れば剃ったで文句を言う」
と書いていますが、taketak39460607さんの考えも以下の通りです。

「月代を剃っていなければ『もしゃもしゃ頭に妙ちくりんな衣装で説得力がない』、月代を剃れば『明らかに似合っていない』『個人差に対してなんら配慮がされていない』貴方はどうしてほしいのですか?」
あとこちらのnoteでは、カツラや特殊メイク担当の方の画像つきツイートも紹介されているので、
「役者の頭の形や輪郭を考えて処理している」のが一目でわかります。

それから武者さんの
「例えば、秀吉の強さがまったく見えてきません。大軍を稼働させるために必要で重要な兵站も、外交も、行軍速度も、鮮やかな攻め方も何も描かれていない。兵站に才知を見せていた石田三成を活躍させる伏線すらない」
という記述ですが、私はならば『軍師官兵衛』を観た方がいいと書いています。そしてこちらのnoteでも、このように書かれています。

「『どうする家康』は家康さまとその家臣が本題なのだから、脚本演出が『神君伊賀越え』をメインに据えてそのころ他陣営は何をしていたかという脇に『中国大返し』と『山崎の合戦』があるのは仕方のない事だと思います。
『中国大返し』が見たいのなら『軍師官兵衛』をご覧ください」
さらに「兵站に才知を見せていた石田三成を活躍させる伏線すらない」という点に関しても、中国大返しで御座所と兵站の設備を整えたのは官兵衛であることが明記されています。

武者さん、主語がはっきりしないことがあるのでわかりづらいのですが、この場合の石田三成の兵站云々は、いつの合戦の話なのでしょうか。この中国大返しで彼も兵站の手配に関与したと言うのであれば、それがわかる史料をなぜ出さないのでしょう。

尚『軍師官兵衛』に関して言えば、秀吉の生涯の描写にかなり尺を取っており、従ってここ10年の大河では、彼が何をやったのかが一番詳しく描かれています。

そして度々登場するこの手の記述
「このドラマは、顔をアップにして、役者の演技力に頼り、長くて中身のない台詞を読ませますね」
これに関しても、

「信長の妹として織田の血脈として恥じない死にざまを選び三姉妹を逃がし勝家さんと殉じるつもりのお市さまと、母の思いを継ぎ浅井の娘として『母の無念は茶々が晴らします』と決意する茶々さまの母子の別れをよく『長くて中身のない』と言えますね」
と反論されています。

実はこれ、瀬名と亀姫の別れも同じことが言えます。この時も武者さんは

「そなたは笑顔が似合うぞ」と瀬名が亀に言うのもくだらない。

と書いており、私はこれに対して
「嫁入り前に別れを惜しんで、涙を流す娘にこう言うのが『くだらない』のでしょうか」
と書いていますが、親子の心情をもう少し理解できないものかと思いますね。
それのみならず「おじさんの脳内にだけ棲息する中学生女子同士のお別れシチュエーション」などと書いていますし。

それから秀吉からの砂金の件に関して、
「砂金は技術なしに取れるので、早くから流通していますが、銀はそうではない。戦国時代は銀が採掘できるようになり、資金源として俄然注目を浴びました。特に明で重宝され、秀吉が攻めた毛利も銀山が有名です」
と武者さんは書いています。

しかしtaketak39460607さんは、
本能寺の変後備中高松城攻めでの一時休戦と講和が成っただけで、その後も美作と伊予では羽柴方との戦闘を継続しており、毛利輝元が、双方から味方するよう誘いを受けても静観していたこと、つまり秀吉への臣従はまだ先であること、石見銀山を使えるようになったのはその後であることを指摘しています。

尚これに関してですが、13日放送の『どうする家康』で、秀吉への献上品として黄金のみならず銀も見えています。毛利氏の服属の年ですが、あれは石見銀山のものなのでしょうか。


それから先日の方言そして地元の英雄関連でもう少し。

東北を舞台にした作品関連で、武者さんは『八重の桜』での綾瀬はるかさんは褒め、『レジェンド&バタフライ』の綾瀬さんは、古沢氏が脚本ということもあり、綾瀬さんの無駄遣いと書いています。

しかし綾瀬さんが出演したもう一つの大河、『いだてん』の場合は、嫌いなせいか最早完全に無視していますね。武者さん、当初は『いだてん』を褒めていたのですけどね。当然ながらこの大河の方言に関しても何ら言及がありません。

あの『いだてん』で綾瀬さん演じるスヤは、
「会いたかばってん会われんたい」
という歌を口ずさんでいます。所謂肥筑方言(福岡県の筑前・筑後地方、佐賀県、長崎県そして熊本県で話される方言)で、九州弁というとこれを思い浮かべる人も多いかも知れません。

しかし嫌いな作品だと、とことん無視するのが武者さんではあります。そしてもちろんこれも方言ですが、『青天を衝け』の「ぐるぐるすらい」などにも触れようとしません。

ところで私も東北を舞台にした大河は観たいと思います。特に戦国大河での上杉、伊達、最上といった大名たちの駆け引きなどは観たいと思いますが、それと同様に大友、島津、立花の諸大名が登場する九州の戦国大河、あるいは長曾我部氏を主人公とした、四国の戦国大河なども観たいものです。地域によってそれぞれのカラーがあるし、また誰を主人公にするかによって三英傑の立ち位置も変わり、それはそれで魅力と言えるでしょう。


飲み物-冷えた生ビール
[ 2023/08/14 00:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第26回に関しての武将ジャパンの記事について-2

先日投稿分(含ピーナツ)で意味が通りにくいと思われる箇所がありましたので、一部手直ししています。

それから武者さん関連ですが、冒頭で
「頭部の毛を剃り、家康が月代にしています」
とありますが、
「家康が月代を剃らせています」
では駄目なのでしょうか。これ以外にも、何か言い回しがくどいと思われる記述が、過去の分を含めて見られるのですが、こういうのは武将ジャパン側がチェックしないのでしょうか。

それから勝頼関連。「諏訪」について詳しく書けばいいのではと先日書いています。そして『真田丸』の勝頼とは比較できないとも書いている点ですが、『真田丸』の場合は小山田信茂に裏切られ、天目山で自害する設定なので、2回ほどしか登場していません。今回のように三方ヶ原あり、高天神城あり、さらに築山事件ありの勝頼ではないのです。言うなれば今回の方が、勝頼の権力欲やダーティな部分も描かれているわけで、その意味で単純比較はできません。

あと武者さん、第25回は寺島しのぶさんのナレがなかったのにまた復活したと書いていましたが、そもそもこのナレは、後世の家康を神君とあがめる人々の代弁であると思われます。そのため、瀬名と信康を自害させたということは、神君のイメージからして好ましくない(だから後世は瀬名は悪女とされた)から、わざとナレを外したと考えられるのですが。

そして武者さんが殺虫剤みたいだと書いていた万千代の鎧、フォロワーさんのツイートとtaketak39460607さんのnoteで指摘されていましたが、『おんな城主 直虎』で万千代の家来、万福(後の小野朝之)が着ていた鎧のようです。しかし武者さん、直虎は好きだったと思いますが-忘れたのでしょうか?

そしてもうひとつ万千代関連。江戸時代の小姓のように刀を立てて持つのではなく、担ぐようにしていますが、戦国時代はあれが当たり前だったとの由。

さて『武将ジャパン』大河コラム関連その2です。

歌舞伎役者と大河ドラマといえば、大変な事件がありました。
とはいえ、私は歌舞伎役者を大河に出すことには反対しません。むしろ安心できます。
彼らは和装所作がともかくうまい。現場にいれば、それだけ底上げがなされます。
(中略)
しかし、本作の茶屋四郎次郎は一体……。
存在を忘れたのかと思うほど出番が少なかった。
そして今年は他の役者の所作が甘いから、彼だけ浮いてしまう。むしろ大仰な動きを笑い物にしているようにすら見えます。
歌舞伎役者としての技量や経験より、『いだてん』のヒャーヒャー叫んでいた姿と、大河主演というブランド、製作者のリベンジ欲求枠に思えてきます。

「存在を忘れたのかと思うほど出番が少なかった」
彼は家康の家臣ではないから、そう出番は多くありません。そして
「他の役者の所作が甘い」
何だか失礼ですね。そして四郎次郎の大仰な動きですが、第13回で登場してコンフェイトを頼まれた時からああいう感じです。逆にあのキャラにブレがなかったなとは思いますが。

そして
「歌舞伎役者としての技量や経験より、『いだてん』のヒャーヒャー叫んでいた姿と、大河主演というブランド、製作者のリベンジ欲求枠に思えてきます」
これまた失礼なことを。第一「リベンジ欲求枠」て何ですか。『いだてん』に出ていた人は、松重豊さんも立川談春さんもこの枠なのですか?

今年は日本の伝統芸能が嫌いなんでしょうか。
人をガチャのカードみたいに扱う。そういう良識の無さも滲んできて、いたたまれない気持ちになります。

「良識の無さも滲んできて、いたたまれない」
失礼ですが、私はこのコラムを読むと、これに似た気持ちになると言っておきます。

富士山へ向かう途中、小冊子を動かす、なんだかわからないアニメが入りました。
あの微笑ましいタッチは何なのでしょう。
『あまちゃん』の鉄拳さんとは違いますよ。
あれがウケるww とか思っているんだとしたら、もう絶望的にセンスがない。

あの小冊子は於愛と四郎次郎が一緒に作ったガイドブックで、旅程や行く先をわかりやすくするためのものですね。信長のもてなしは難しいから、これは役に立つと家康は思ったわけで、それを一部アニメ化し、信長一行の道中を説明しているわけです。センスがないと言うのなら、武者さんはどうすればいいと思っているのでしょうか。
そしてアニメ関連でまた中国時代劇との比較。だったらそっちを観ていたらどうでしょうか、

所作といえば、このドラマは目下の人間が平気で尻を目上の相手に向けたり、立ちっぱなしで見下したりするんですよね。
基本ができていない。

『麒麟がくる』でも光秀が、お尻をぶってくださいと牧に背中を向けていたと思いますが…。そもそも目下の人間が尻を見せたり、立ちっぱなしで見下したりするのはどのシーンですか?

日本の霊峰・富士山が、まるで銭湯でした。
いや、銭湯には風情があるが、これはただの手抜きでは……。
富士山の前の水面がゆれていないって、あれはもう完全に絵ですよね。

逆さ富士の場合、水面が揺れているとあれだけくっきり映らないと思います。

万千代のモテ描写が、昭和平成のレトロ感覚で辛い。
ボンクラで性格の悪さが滲み、自分のことを「おいら」と呼ぶこいつが、なぜモテるのか意味不明です。
(中略)
といってもこれは彼一人の問題でもなく、スイカバーの精霊・大久保忠世もそうです。
天下国家に肉薄できる立場にいながら、考えることは女、モテ、女……なんてくだらない連中なのでしょう。

まず万千代ですが、長篠の戦いの前で軍議に口を出して叱られています。しかしなかなか穿ったことを言っており、岡崎クーデターでの働きも家康にほめられており、少々生意気ですが別にぼんくらではないでしょう。そしてこの万千代も忠世も、考えることは女だのモテるだの、そんなことばかりですか。忠世もこの回では、信長を供応するための陣頭指揮を執っていますが。

それと毎回のように「昭和平成レトロ」とありますが、昭和と平成を合わせると100年近くにもなりますよ。その中のどの時代のことを武者さんは言いたいのでしょうか。

またもや「えびすくい」が出てきましたね。
家康の所作からして脱力してしまいますが、笛が下手なはずの愛がピーピー吹いているのはどういうことでしょう。
彼女は当初、2~3メートル先の人物も判明できないほどキツい近眼設定でしたが、それもいつしか無くなってるし。
そんな本作の場当たり展開は今回も健在で、本業でもない茶屋に鼓を打たせてよいものでしょうか。
彼は部外者です。ただでさえ商人は複数の勢力と交流する人間であり、いつ織田や徳川の反勢力と接触していたってわからないではありませんか。

何度も書いていますが、三河の人々の気持ちを表す歌であり踊りではあるでしょう。
ちなみに音頭化されることが決まったようです。

それから
「笛の下手なはずの愛」
この前の回で家康の背後で笛を吹いており、音を外さなくなっていたから、上達したなと私は思ったものですが…。それと於愛が「近眼でなくなった」と思われるシーンはどこですか。

あと茶屋四郎次郎の鼓ですが、この人は京の豪商となっており、そこそこの人物との付き合いもあるため、ああいうのも一通り習得しておく必要があるでしょう。それに元々は三河の侍で松平家に仕えており、武芸の才がなくて商人になったため、ある程度信頼はおけるのでは。

それにしても愛はなんなのか。
秀忠がまだ幼いはずですよね。
このドラマは乳母を出さず、戦国時代に「三歳児神話」を持ち込んだマザーコンプレックスっぷりが持ち味だったはずなのに、愛は育児放棄ですか?

瀬名のことでしょうか。氏真に監禁され、侍女もいなくなった以上、自分で子供の面倒を見なければならなくなっただけの話です。三歳児神話も何もありません。そして於愛は今や男児を産んだ側室である以上、家康の妻として、こういう場合陣頭指揮に立たなければならないのではないでしょうか。


飲み物-アイスティーバック白2
[ 2023/07/13 00:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第25回に関しての武将ジャパンの記事について-4

『武将ジャパン』大河コラム関連その4です。


『どうする家康』は「シン・大河」だのなんだのぶちあげ、若者向けとされています。
そんなことにエビデンスはなく、ふわっとした宣伝戦略でそうなっているだけ。
一方、それを否定するエビデンスはありました。
◆【どうする家康】瀬名の描く理想国、多くの布石打った脚本が前代未聞の展開に(→link)
注目は「ウルトラC」なんて言葉を使った以下の部分です。
■ 固定概念から完全にフリーダムな物語へ
(前略)史実の疑問への思わぬ回答や布石を、これでもかと詰め込みながらも「あー、そういうことか!」と納得させるという、ウルトラCの脚本にうなる人も多かった。
ウルトラCとは、1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックで生まれた言葉です。ほぼ60年前ですね。
果たしてそんな古い言葉が、本物の若者の心に響くものなのか?

まずこの出典ですが、関西の京阪神エルマガジンですね。なぜスポーツ紙だけでなく、わざわざこういうのを持ち出したのかは不明ですが、1970年代末の創刊で、比較的年齢の高い層も読んでいるであろうことを考えれば、そこまで不自然には思えません。
何よりもこのメディアは「『どうする家康』が若者向け」というのを大々的に打ち出しているでしょうか?でなければ、こういう年配の人たちになじみ深い言葉を使っても納得できます。

それとオリンピックがどうこう、『いだてん』関連だから攻撃したいのかなと思ってしまいます。普通に考えれば、ちょっと古い言葉だけと年齢層が高い人たちがターゲットかな、くらいで済まされると思います。

『いだてん』もそうでしたが、若者向けだの斬新だの、必要以上に強調する大河はむしろ胡散臭い。1964年東京オリンピックにノスタルジーを感じる層は、もう若くはありません。
(中略)
大河と朝ドラは、40代から50代に忖度すると好評になる。
『舞いあがれ』が典型例で、「大学はサークル活動のために行くの! 講義中は居眠りでしょw」というヒロインの価値観は、劇中のヒロイン設定より十年以上ずれていました。

『いだてん』がどのようであったのか、あまり観ていないのでわかりませんが、若者ターゲットというのは、別に1964年のオリンピックにノスタルジーを感じる感じないかは関係ないのではないでしょうか。
そして『舞いあがれ』の舞ですが、武者さん以前にもnoteの朝ドラ記事で、同じようなことを書いていたかと思います。居眠りしたのは、なにわバードマンのスワン号のパイロットに選ばれ、減量とトレーニングに追われていたのが原因なのですが、その辺をすっ飛ばしていますね。

◆『どうする家康』 なぜ瀬名は「策謀家」として殺されねばならないのか その真の意味(→link)
まるで、蘇秦か張儀か鬼谷子か……って、失礼なのでやめていただけませんか。
中国の英雄にあまりに失礼です。
瀬名が近いのはむしろ三国志作品で序盤の張角あたりでしょうよ。
いや、張角だってもっと立派ですが、フィクションだとカルト教祖扱いにされるという意味です。
千代のバンダナを黄色くすれば、まさしく黄巾党ですね。

「中国の英雄にあまりに失礼です」
武者さんも、漢籍を引っ張り出してくる割に、時々解釈が違っているのがありますが、これも失礼ではないでしょうか。そしてまた「カルト」、本当にカルト好きですね。

◆「どうする家康」17年前からのロングパス伏線…瀬名「命を懸ける時」ネット悲痛「遺言という名の呪い」(→link)
NHKとジャニーズ忖度に余念がない大手スポーツ紙は、本当に毎回懲りずにしつこいですが、またもや「伏線」ですわ。
『カムカムエヴリバディ』以来ネットニュースが大好きな「伏線」に、「ネット悲痛」と入れて若者アピールにぬかりはありません。

そしてまた「ジャニーズ忖度」、こちらの方が毎回しつこく感じられるのですが。しかも犯罪に関わったことのない俳優さんが悪者であるかのように一々書いてこれも失礼。
そして伏線がどうのこうの。好きな作品なら伏線を嬉しそうに使う武者さんも、嫌いな作品だと否定しまくりですね。

「でもさ〜、ほら、役者のイメージってあるでしょw あの役者さんを悪役にできないからああなっているのw」
こんな擁護もあるようですが、俳優という職業をどう思っているのか。
イギリスの俳優が一度は演じて欲しい役は、シェイクスピアの『リチャード三世』タイトルロールです。
最低最悪の悪役として有名なのです。
しかし、そんな悪役だからこそ、演じることで新境地に挑みたい。
韓国の場合、実力派俳優は憎々しいほどの悪役や、どうしようもない役を演じることがステータスシンボルになっています。
にもかかわらず、陳腐な擁護をしている時点で、役者という職業への敬意は感じられませんし、それが日本の芸能界のお約束だとすれば、危機的だと思います。

その「役者のイメージ」が誰に向けられているのかは不明ですが、悪役を演じるのにステータスがあれば、当然それを演じることに誇りが持てるでしょう。歌舞伎の悪役などもそうかと思います。
何よりも第24回で、この大河では十分に悪役と言える、寺島進さん演じる水野信元をチンピラだ何だと書いていながら、悪役こそ最高と言い出すのがちょっと不可解なのですが。

私が最も気になるのは、今川氏真役と武田勝頼役が十分悪党として描かれているという点です。
演じる方はまだ若く、時代劇との相性もよく、実力もある。
将来大河の看板を背負って立つ有望な役者だと思います。
そういう二人、これから伸びゆく逸材に泥を塗りたくっておきながら、どうして「役者のイメージが大事!」と言えるのか。私には理解できません。

悪役をほめながら、この大河で悪党だと言われるのが嫌とは、話が矛盾しているのですが。しかもその出典がないようですが、どの記事なのでしょうか。
個人的には勝頼の方が、悪党というか陰のある役で、それをうまく演じていると思います。氏真はプライドの塊だったような人物が、憑き物が落ちたような感じになっているイメージです。

所詮はドラマなんだから、傑作と褒める人がいても、駄作と貶す人がいてもいい。こんな意見もありますよね。
しかし、私はそうは思えません。
ドラマの感想をSNSに書く
RTといいねがつく、フォロワーも増える!
目立つために過激な投稿や、トリビア、芸能通らしいこと言うようになる
肥大化する自我
これの何が悪いか?って、自分の頭で考えることを放棄して、まずはネットウケばかり気にするようになります。
「インフルエンサー」の語ったことは、事実として間違っていても拡散してゆくもの。
そのインフルエンサーがどうにもおかしくなっていくというのは、水源に毒を撒くようなものでしょう。
さらには、目の前にいる大事な誰かより、ネットの反応を重視するようになります。

エンタメは賛否両論あるし、またSNSとはそういうものではないかと思います。嫌なら距離を置けばいいだけの話です。
そこまで皆が皆「インフルエンサー」のイエスマンなのでしょうか。無論影響力の大きな人を中心に、コミュニティが出来上がるのは事実でしょうが、逆もまた真ではないかと思いますが。
そしてそのインフルエンサーがおかしくなるという証拠は何でしょうか。
「さらには、目の前にいる大事な誰かより、ネットの反応を重視するようになります」
ならばその人とは距離を置いた方がいいと思いますよ。

しかし「水源に毒を撒く」という言い方が凄いですね。

私の友人は、ドラマのネット評に浸かりすぎた結果、だんだんと精神が悪化してゆきました。あれほどファン心理を熱く語る割には、私が好きなドラマを悪様に罵倒しだしました。
しかも実は一度も見ていない。
会社で同僚が悪口を言っていることを聞き、真実だと思いこみ「こんな非常識な作品は叩かれて当然でしょw」と得意げに語っていました。
訂正するのも面倒なので、放置していたら悪化するばかり。

自分と未来は変えられるけど、過去と他人は変えられません。

インフルエンサーがヘイトを繰り返す陰謀論者であったために、その人も朝から晩まで罵倒と陰謀論を呟く人になっていました。
ドラマを褒めるにせよ、貶すにせよ、ヘイトや陰謀論という毒が混ざると危険です。
「お前が言うんじゃねえよ!」
はい、そんな声が聞こえた気がします。
それはそうですね。なるべくエビデンスを得つつ、慎重にいきたいと思います……が、同時に大事なのが自分の頭で考えることでしょう。
私の言うことにガンガン脳内で反論してください。そうすればインフルエンサーやクソレビュアーに影響されることもありません。
思考を鍛えていきましょう。

言っては何ですが、何だか武者さんのこの言葉の方が陰謀論に見えてしまうのですが。
そして自分の頭で考えろと書くわりに、ネット上の意見に影響されているように見えるし、エビデンスを得るも何も、ドラマ本編関連も史実関係も、ちょっと首をひねるような記述が多いのも事実ではあるのですが…。
そしてこの次が、例によってファンダムがどうのこうの。これ大河関連コラムですよね。本来大河に何が描かれ、どういうメッセージがあるのかに割かれるべきスペースに、SNSの陰謀論がどうのこうの。そんなにSNSについて書きたいのなら、他の記事でやっていただけないでしょうか?

あと

孫子曰く、「上兵は謀を伐つ」。最善の策は謀略を見抜くことだという。

とあり、その後ファンダムについて長々と書かれた挙句、

「大掛かりな詐欺行動」なんて、古参の大河ファン、歴史ファンからすれば、むしろ自家薬籠中のものではありませんか。むしろ基本でしょうよ。
それなのに「民放でこんなにウケた古沢神すらわからない、頭の固いクソレビュアー乙ww」というスタンスでしょうか。
そんな騙し合いなんて、それこそ『孫子』を読んでいればわかる。それを踏まえた上で、「こんな雑な策で騙せるわけがない!」とこちらはシラけているわけです。

「自家薬籠中のもの」より「おなじみのもの」程度で意味が通じるかと思いますが。
取りあえず武者さんの孫子好きはわかりますが、武田信玄の「戦は勝ってから始めるもの」が孫子由来であったことに、何も言及していなかった気がします。こういうところでやたらに出すのではなく、あの信玄のセリフがあった回で、それとなく孫子について語る方が、ファンダムだなんだに付随させて「大河レビュー」のスペースを埋めるより、よほどかっこいいのではないかと思います。

飲み物-ジョッキのビール
[ 2023/07/08 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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