第44回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。
このページでは例によってと言うべきか、『大奥』と『麒麟がくる』を叩き棒にしまくっています。ワンパターンだなと思うと同時に、叩き棒にされているドラマに失礼だと思いますけどね…武者さんがこれらの作品を本当に好きなのか、疑ってしまう所以です。
千姫がわざとらしく走ってきて、江が追いかけてくる。
いったい乳母はどうしたんですか。こんな大事な存在を放置して、一体なんなんでしょうか。
まず「わざとらしく」走って来るも何も、あの年頃の女の子としては普通に走っていると思いますが。逆に「わざとらしくない」走り方とは、具体的にどういう走り方なのかと思います。この「わざとらしい」も、嫌いな作品を叩くうえで武者さんはよく使いますね。
そしてこういうところまで乳母が来るでしょうか。千姫は、身内である「おじじ様」の所へ行こうとしているのです。たとえばどこか危険な所へ行こうとしているのであれば、監視役としての乳母は必要でしょうが。
家族関係の描き方がせいぜい昭和なんですよね。
乳幼児死亡率や危険性もふまえていない。本作の作り手は根本的に育児への関心がないのでしょう。
高齢者への敬意もないし、精神状態が中高生程度で止まった妄想ばかりにも思えてきます。
これもちょっと意味不明ですが、まず
「本作の作り手は根本的に育児への関心がないのでしょう」
こう書くからには、武者さんは育児経験がおありなのでしょうか。ならば、自身の育児経験と照らし合わせて、何がどのように違うのかを説明してほしいです。
そして乳幼児死亡率だの危険性だの書かれていますが、1つ前に書いているように、千姫は特に危険な所へ行こうとしているのではないし、また重篤な病気に罹っているわけでもありません。
それから高齢者への敬意ですが、これは先日分の於大に関してでしょう。あの時家康は、お前にはつらいことも言ったと後悔する於大に、体を労わるようにと薬湯を煎じて飲ませています。一体、どこが「敬意がない」のでしょうか。
何よりもここで唐突に
「家族関係の描き方がせいぜい昭和」
「精神状態が中高生程度で止まった妄想」
などと出て来ます。
「せいぜい昭和」とは、昭和の頃の大河で子供や高齢者を虐待する作品でもあったのでしょうか。ならばどの作品か教えてほしいものです。
あと「精神状態が中高生程度」、さっぱり意味がわかりません。叩こうとしてあれもこれも詰め込んだ結果、よくわけがわからない文章になっていませんか。
千姫があそこまで怯えているのは、嫁ぎ先が嫌だからのようです。しかも、江が子どもの前でペラペラと語っていたようなんですね。
秀頼の母である茶々は、江の姉です。まだ幼い江を庇ったことだってあった、そんな大事な姉です。
その姉の悪口を我が子に吹き込むって、性格が歪んでいませんか?
ここで千姫の言葉をもう一度。
「母上がいつも茶々お姉様は怖い怖いと、何を考えているかわからぬと」
恐らくは、子供の頃から気が強い姉の茶々を見て育ったこと、そして今も豊臣家の女あるじとして振舞っていることを考えれば、彼女に取っては及ばない相手でもあり、そのため恐ろしい人であることよ程度は言ったかも知れないでしょう。それを耳にした千姫が、話を膨らませて解釈した可能性はあります。
そしてお江は、初(後の常高院)が同行してくれることもちゃんと話していますね。ただ千姫はおじじ様の側にいたいようです。
思えばこのドラマはそんな家族ばかりでした。市も娘の前で「本当は家康さんが好きだったの」とかペラペラ喋っていた設定でしたもんね。
歴史人物への敬意が全く感じられないのです。
「本当は家康さんが好きだったの」
なんて言っていませんけどね。
第30回で母上はよう昔話をしてくださいましたと茶々が言い、その昔話の内容とは、胴をつけて泳ぐ稽古をしていて、溺れた自分を竹千代が助けてくれたことだったわけです。
「歴史人物への敬意が全く感じられないのです」
ブーメランですか?
思えばあのマザーセナからして両親が死んだ後もケロッとしていましたし、そのマザーセナのことすら家康は忘却の彼方。
あれだけベタベタといちゃついておきながら、仏壇の前で手を合わせる場面すらありません。
打掛で走ってくる江の所作にしても、『大奥』と比較するとあまりに厳しい。
茶々の打掛の翻し方も、全く美しくないんですよね。輝元をひっぱたくし、メイクはギトギトだし、これのどこが貴婦人なのでしょう。
また「マザーセナ」ですか。
そしてこれ、忘却の彼方ではないのですね。於大とのシーンの中で、この瀬名のことを示唆するようなセリフがありますし。
それから仏壇と言いますが、全国的に仏壇が普及したのは江戸時代ですよ。これは檀家制度とも関係がありますが。寧ろ貴方が何かにつけて揶揄する、石川数正の押し花と正信念仏偈に、瀬名への思いが込められていたとは言えます。
また茶々は身分が高いからこそ、輝元を打ち据えることができたのですが。
そして所作が『大奥』と比べてひどいと言うのなら、画像を貼るなりして比較できるようにしてください。
秀頼と千姫の婚礼描写も、『大奥』の家定・胤篤と比べたら、ただの手抜きにしか見えません。
時代劇ファンの皆様は『100カメ 大奥』もご覧になられたかもしれませんが、「神は細部に宿る」とはまさにこのことで、本作と比較して驚くばかりだったでしょう。
「秀頼と千姫の婚礼描写」
そんなシーンありましたか?
慶長9(1604)年に秀頼の背丈を測った時、既に千姫と結婚していたというシーンならありますが。
要は、千姫が大坂に行くのを嫌がるも家康に窘められる→秀頼と結婚して背丈を測る場に立ち会う→秀忠が千姫のことを真っ先に家康に尋ねて叱られる。
こういう流れでしょう。
それと私100カメ観ていないから何とも言えません。
『大奥』にできて『どうする家康』にできない、そんな言い訳は通用しないはずです。
元々描かれる時代も人々も違うから、一概に比較はできないと思うのですけどね。
家康って、他社への親切な接し方が女性相手だといつも同じ。
キザでスカしたイケメンプリンスしかありません。
年上の母親相手だと「ババアかw」となるし、茶々は悪役なので「このバカ女がw」と感じさせます。
年下かつ好感度を見せなければいけないとなると、「俺に惚れんなよ」スイッチが入る。
「他社」は他者のことだと思いますが、完全に武者さんの主観でしかありません。
要はこれも、家康はこのように見られてほしいという、武者さん自身の「願望」なのでしょう。
しかし、千姫相手にそのスイッチを入れてしまうと、とてつもなく恐ろしいことになります。
この二人の場面は、祖父と孫娘には見えない。不気味な下心のあるおじさんと少女に見えてしまいました。
怖すぎます。
どこをどう見たらそのように見えるのか、皆目不明です。
私の場合、家康が千姫に取ってちょっと甘いおじいさんであること、千姫もこのおじじ様を頼っていたいということはわかりますが。
関ヶ原本戦の描写は、どう逆立ちしたって本線がBBC『ウォリアーズ』の圧勝であることは予想通りでした。
まぁ覆せるわけもないし、そこは最初から諦めていました。
しかし、親子の情愛の描き方まで完全敗北とはどうしたことでしょうか。
『ウォリアーズ』では、秀忠遅参のあと、家康は我が子・信康の死を思い出し、秀忠を助命する決意を固めます。そこには揺るぎない親子愛がありました。
この『ウォリアーズ』もここのところかなり紹介されていますが、何か紹介しなければならない理由でもあるのでしょうか。それにこのコラムで内容をきちんと説明するわけでもなく、どのような方法で見られるかも明記されていません。
第一武者さんが一方的に圧勝だ親子愛だと言っても、こちらは全然観ていないのですけど。
あとこの作品、別に関ケ原だけを採り上げているのではないのですけどね。
一方でこちらはどうか。
秀忠をネチネチネチネチ責める家康は、圧倒的なパワハラ感があって胸が苦しくなりました。
老母にも冷たい。息子には横暴。孫には気持ち悪い。
一体この家康は何を表現したいのか。彼が日本の近世を構築するなんて、冗談でも止めて欲しい。
「秀忠をネチネチネチネチ責める」
言っては何ですが、私にしてみれば武者さんこそが、オンエアされてもいないシーンを持ち出したり、好きな作品を叩き棒にしたりして、この大河を
「ネチネチネチネチ責めて」いるようにしか見えません。
老母にはちゃんと薬湯を煎じていますし、孫は可愛いのでしょうね。
そういう家康なら、日本の近世を構築しても納得が行きます。
家康メインの水色羽織はなんなんですかね。
年齢を踏まえて欲しい。
しかも配色センスが濁っていて、東洋の伝統色とは異なり、とにかくセンスが感じられない。
武者さん、以前日本の伝統色と書いていましたが、東洋の伝統色にシフトしていますね。
そして水色の羽織ですが、あれは藍の薄いやつで、れっきとした伝統色のはずです。
そして年齢を踏まえてほしいとありますが、『葵 徳川三代』の家康は、晩年でも白を着ていますし、
(『葵 徳川三代』より)
年齢を重ねたから、薄い色を着ていけないという決まりはないでしょう。
まして家康公のような人の場合、着衣が残っているから、それを参考にして作ることもあります。
人物デザインの創作現場から vol.10 ~ 辻ヶ花への道 ~
(『どうする家康』公式サイト)
ただ武者さん、公式サイトを見ているようには見えないのですね。
そして『大奥』の場合、
美を作り上げるためにここまで気を使うのか。
見ているだけでうっとりしてしまうような凝り方で、カメラで映るとどうなるか、きっちり妥協のない現場の様子が映し出されていました。
ただただ圧倒される。
『大奥』を見ていると、幕末の錦絵が動き出したのではないかと思えます。
原作はモノクロが基本ですので、色彩感覚はドラマで作り上げていくしかない。そうする過程で、当時の色彩感覚や美意識を再現しようとしていることが伝わってきました。
まあこの人の場合要は表裏一体で、好きなものにはこれでもかと賛辞を送る一方で、嫌いなものには、その反動としてあることないことつき交ぜて叩きまくるわけですね。
無論『どうする家康』もまた、当時の色彩感覚や美意識が再現されているわけですが、武者さんにはそれが見えていないのだろうと思われます。
その美術部トップは『麒麟がくる』と同じ大原拓さんとのこと。
◆「麒麟がくる」チーフ監督が語る“カラフル大河”の裏側 衣装はサッカー代表も参考に 光秀はフランス?(→link)
納得です。あの作品は衣装に五行説を取り入れていて、とにかく画面そのものが美しかった。
その大原拓氏、美術部トップというかチーフディレクターでしょうか。
そして五行説(五行思想)なら、『どうする家康』衣装デザインの柘植氏がこれに言及しています。武者さんが好きな作品だけではないということです。
古代中国で生まれた自然哲学の思想で、万物を形づくっているのは5種類の元素「木・火・土・金・水」だという考え方だそうです。それぞれに「青(緑)・赤・黄・白・黒(紫)」の5色が当てられているんですね。五色幕など日本文化にも影響の片りんがあります。今回は、特に五行思想にのっとって色彩構成をしているわけではありませんが、家康と彼を取り囲む戦国大名たちに対して、カラーチャートを作って色を振り分けて分類しようとすると、自然とその5色が意識されているかのように見えるので不思議です。
人物デザインの創作現場から vol.1 ~ 家康ブルーに込めた思い ~
(『どうする家康』公式サイト)
「衣装が色鮮やかすぎる」とクレームが入りましたが、再現性へのこだわりが理解されないか、ピーキー過ぎたのでしょう。
センスが尖り過ぎていただけで、序盤に修正するとすぐに批判は止んでいます。
実際放送開始から1か月ほど経っても、「今回の大河ドラマの衣装は、昭和に登場した化学染料の色」というコメントもありましたし、10月頃まではあれはおかしいという指摘もありましたね。そして身分が高い人ならまだしも、庶民レベルであの色遣いはちょっと抵抗がありました。
そして武者さん、「ピーキー」て、他人のこと言えないと思いますよ。
これ「限られたワードや事象に対して、過剰に反応し、テンションが高くなる」意味ですよね?
そして美しさはますます磨きがかかってゆきました。
役者の美貌だけではなく、それをさらに輝かせる工夫が随所にあり、あの美は、大原さんがいてこそなのかと納得。
眼福とは、まさに彼の作り上げた映像を見ているときのためにある言葉でしょう。
ちなみに大原氏は、武者さんが嫌いな『軍師官兵衛』でもディレクターを務めていますが、もちろん『軍師官兵衛』の映像も、貴方に取っては眼福なのですね?
岡田准一さんの素襖姿を置いておきます。
(『軍師官兵衛』より)
『どうする家康』の衣装や美術とは、比べることすら失礼かもしれません。本作の合戦シーンでは「兜に照明が入り込んでそのまま流す」なんてことがまかり通っていて、美醜以前の問題と思えます。
「兜に照明が入り込んでいる」の裏付けをお願いします。
衣装のことについて私が意見を申し上げていると、こんな反論も見られました。
「武者は『どうする家康』の衣装を貶すが、『麒麟がくる』だって批判されていたのに、そうしなかった! ダブルスタンダードだ!」
ダブルスタンダードも何も、その発想すら思い浮かびませんでした。
『麒麟がくる』は癖が強いだけで、ずっと美しいと私は感動していました。それが伝わらなかったようで残念です。
「その発想すら思い浮かびませんでした」
自分を守るための否定という心理関係の言葉を、ちょっと思い出しました。
そして
「癖が強いだけ」
先ほども「センスが尖り過ぎていた」とありましたが、そういう部分に抵抗を覚える人もいるでしょう。
そして好きな作品はほめにほめまくるのに、ここからまた『どうする家康』叩き。
つまるところこのコラムの場合、ほめるのも叩くのも、何かおおげさなのですね。
美術へのこだわりが全く感じられない本作。
大坂城でパリピしている場面が入りました。
成長期の秀頼すら同じ、茶々も同じ着物です。『大奥』の貧乏公家より粗末な暮らしでは?
茶々は金と黒がメインの打掛が多いのですが、その時々で違う柄のを羽織っています。そして秀頼が着ている、緑の絹の亀甲文様が入った水干は、幼い頃のとは違いますね。
宴だと言いますが、酒を飲むだけで食卓も映りません。作る手間すら惜しんだのか、あるいはスケジュールが厳しくてスタッフが対応しきれなかったか。
嫌いな作品だと悪い方向に取りたがりますね。
あれは年始の挨拶に訪れた大名たちが、余興として飲みくらべをやっているわけでしょう。そもそもこの当時「食卓」はなくて「膳」ではないかと思いますが。
でこの時に勝った福島正則が褒美を受け取っているわけですが、このシーン、正則が豊臣家にも忠誠を誓っていたことを裏付けてもいます。そして何よりもこれは、かつて茶々が正月に「(家康がいる)西の丸が賑やか」と言ったこと、あれを踏まえているかと思われます。
「打倒家康!」
そんな『戦国BASARA』シリーズじみた掛け声をあげながら、九度山で特訓する真田信繁(真田幸村)って何を考えているのでしょうか。
あれほどまでに家康へ敵意を燃やして叫んでしまったら、周囲にバレバレ。
さっさと真田信之に対して「弟は何を考えてるの? 軍事訓練しているって報告が上がってきているけど」と問い合わせればよいだけの話ですよね。
あの、如何にも武田家式の鍛錬方法ですね。
ただし、あれが家康の想像の範囲内なのか、実際にそうなのかはこの時点では定かではありません。
そして信之に問い合わせるより、こういう流人の目付け役のような人物はいるでしょうから、そちらに訊いた方が早いのではないでしょうか。
真田信之と本多忠勝の必死の助命嘆願を平気で足蹴りにしてしまう信繁。
本作の作り手は『真田丸』すら無視するようで、見ているだけで脳みそが溶けそうです。
まず、こちらでは助命嘆願のシーンはありません。
そして、『真田丸』と必ずしも同じ描き方をしなければならないものでもありません。
自分が好きな作品を叩き棒にするのはもうやめませんか。
さらにまた「脳みそが溶けそう」
この間は脳みそが削られるでした、色々と大変なことで。