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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第45回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第45回に関する『武将ジャパン』大河コラムその3です。


三浦按針がやっと和服を着ました。
「どうだ! お前が前回文句つけてたけど、ちゃんと和服になったぞ!」
そんな風に言われそうですが、これだけ時間が経過していたらそうなるでしょう。

時間が経過したと言うより、三浦按針という武士になって所領を与えられたからではないでしょうか。

むしろこれだけ時間経過しながら、まだ時計の話というのは一体何なのか。
そう思っていたら、もうどうしようもないことを言い出しました。
大筒をここで三浦按針に調達させたいってよ。三浦が「あれは威力が大きい」と心配そうな表情ですが、問題はそこですかね。
あの時点で発注して、大坂の陣に間に合うのか? どういうルートで、誰に依頼するのか?

まず時計の話は慶長17(1612)年です。
そして大筒は、大坂の陣で使われています。これは慶長19(1614)年です。イギリス(イングランド)から購入していますが、2年あれば届くのではないでしょうか。

尚これに関しては、大砲がイングランドで大量生産できるようになったという背景があります。こちらを置いておきます。

徳川家康が購入し、大阪冬の陣に使用した、カルバリン砲について知りたい。
(レファレンス協同データベース)

そして
「当時はまだAmazonショッピングはできませんからね」
Amazonで兵器を扱っているのでしょうかね。
武者さんらしいというか、ご本人は相当イケていると思っているのかも知れませんが。

そもそも関ヶ原の時点で大砲はありました。BBC『ウォリアーズ』ではそうちゃんと描かれていたものです。

何も『ウォリアーズ』を引き合いに出さなくても、関ケ原の石田三成隊の大砲で、黒田、細川といった東軍諸将は苦しめられているはすですが。
そしてまた他作品PRですか。まあこれは後に置いておくとして。

文禄・慶長の役でも、明軍のフランキ砲が猛威を振るっている。明は瓦解が急激だったせいか日本では過小評価されがちだけれども、軍隊としては十分精強です。
そこを踏まえて、家康がドヤ顔で「すごいこと思いついた!」的に表現されても、悲しくなるばかりです。

大坂の陣で家康が購入したのはカルバリン砲とセーカー砲で、フランキ砲よりも高性能です。
家康がなぜカルバリン砲に決めたのか(三浦按針が助言したとも言われている)はともかく、高性能の大砲を入手できたkとが、徳川を利したとは言えそうです。

では、なぜこんなお粗末な展開になるのか?
というと、本作の制作者が必要最低限しかやらないからでしょう。
大筒を撃ち込まれて茶々が絶望する話の前フリとしてしか意識していないため、せっかくの大筒も活かせないでいる。

お粗末とか必要最低限とか言う前に、自分でちゃんと調べたらどうですか。
尚、以前『葵 徳川三代』関連投稿で使った画像ですが、もう一度置いておきます。

葵徳川三代アバン1 


葵徳川三代アバン3

葵徳川三代アバン2

時計の仕組みを知りたい――そんなことを突然、アリバイ的に言い出す家康がどうしようもありません。
本当に、物事に没頭する好奇心旺盛な人物は、周囲の空気など気にせず、後先考えずに分解します。やらかします。朝ドラ『らんまん』でも、そんな描写がありました。
人生経験の浅い幼少期に「人と違う適性が出てくる」ことは、『麒麟がくる』でもきちんと表現できておりました。
松平竹千代のころから家康は沈着冷静だった。織田信長は幼少期から母の大切なものを破壊して、周囲から「うつけ」とされた。

家康は時計好きだったとは言われますが、特にこの時計はリーフデ号の救助のお礼として、スペイン国王フェリペ3世から贈られたものです。

家康公の時計
(久能山東照宮)

そういう時計をいきなり分解するものでしょうか。
そしてこの時点では、家康は大坂の出方を意識せざるを得ない状態であり、分解して中身を調べる暇などないはずです。なぜこのような例を引っ張り出してくるのか、理解に苦しみます。

幼少期から今に至るまで変わらない家康の個性ですか。女のことばかりを考える下劣さですかね。

これまた随分失礼な話かと思いますね。
ちょっと問題ではないでしょうか。

今川氏真が出てきて「家康は木彫りが好きだもんな」というのもよくわかりません。
このドラマは複数名がやたらと木彫りをしていますよね。むしろブームじゃないかと思うほど木彫り。なんでも木彫り。

木彫りのように手先で細かいことをやることが好き、つまり時計のように、細かい部品で動く道具が好きとなるわけですが、この場合は寧ろ、木彫りで兎を作っていた頃の自分を知るのは宗誾(氏真)だけになったと、時の移ろいを身をもってかんじているのでしょう。

連歌もねえ、
能もねえ、
読経もねえ、
書道もねえ、
趣味といったら木彫りだけ!
オラこんな大河嫌だ!
思わずそう歌ってしまいたくなるほど、木彫りまみれの本作。

だったら、以上の5点が登場する大河を観ればいい話です。
それこそ毎回のように言っていますが、観たくなければ観なくていいですよ。その代わりお仕事がなくなりますけどね。

石川数正も仏像を掘っていたし、マザーセナの木彫りウサギは、慈愛の国教団の重要な収入源である聖遺物じみていた。
これで家康の個性と言われてもなぁ。

宗誾の登場シーンを観ていたはずなのに、何もわかっていないのでしょうか。
あの戦無き世は、そもそも王道を唱える今川義元の言葉であり、瀬名も今川家つながりである以上、義元のその言葉に何らかの影響を受けていたのでしょう。彼女は別にカルト教祖でも何でもないわけです。

というか、武者さんがこの大河を叩きたくてたまらないから、勝手にそう決めつけているだけの話です。一方で自身は特定のメディアにご執心のようで、せっかくの大河コラムを進んでゴシップまみれにしていますね。

で、このすぐ後にこういうのが出て来ます。

今さら王道と覇王でどうする
結局このドラマの「王道」って「今川氏真が今から言い出したこと」扱いで気が遠くなります。

まず、氏真でなく義元が言ったことではないでしょうか。
この中で氏真(宗誾)は
「戦なき世を作り、我が父の目指した王道の治世」
と言っています。

それで不満ならば、せめてプロらしく
「義元は王道の治世を目指しており、元康に王道と覇道の違いを尋ねていました。ちなみにこれは元々は孟子が提唱したものです」
くらいに書いておけばいいと思います。

にもかかわらず気が遠くなるだの何だの、ならばこの大河が終わるまでそのままでいてくれないでしょうか。

『青天を衝け』では孟子の言葉や、一部の儒教思想そのものを「渋沢栄一が思いついちゃった教えだよ」扱いしていて絶望したことを思い出しました。
『麒麟がくる』では出典を明かしていたのに。
漢籍由来の概念を、引用も出典もなしにやらかし、自分たちが思いついたように言い出すのは、恥辱としか言いようがありません。

『青天を衝け』の場合、第何回かがちょっと不明ですが、仮に栄一が儒学で学んだことを口にしても、その当時の人が、それを栄一の言葉だと信じ込むでしょうか。
そして『麒麟がくる』では出典云々。どの回で出典は何であったか、そこまで書くべきでしょうね。

最終盤まで人物設定すらブレブレじゃないですか。そんな最低限のことすら真っ当に表現できていない。
誤魔化そうと番宣だのSNS対策だのやらかそうが、無駄なものは無駄です。

人物設定がぶれていると言うより(別にぶれていませんが)、武者さんが無理やり叩こうとして、どこかおかしくなっていないでしょうか。
そして
「誤魔化そうと番宣だのSNS対策だのやらかそうが、無駄なものは無駄です」
これはNHKがやっていることで、貴方とは直接関係ありません。放っておけばいいのではないのですか。

脳内で諸葛孔明が「恥ずかしいとは思いませんか?」と煽ってきます。私はもう、血反吐を吐いて倒れそうだ。
思えばこのドラマって「中華料理は和食に分類されるんですよ!」と言い出しちゃった陰謀論者みたいなノリがずっとある。

血反吐を吐いて倒れそうなら、どうぞそうしてください。別に共感はしませんが。
そして「中華が和食に分類される」のは陰謀論なのでしょうか??

漢籍知識が盤石な『麒麟がくる』から、わずか数年でなぜこんなことになってしまうのか。

大河は1年単位で変わります。当然スタッフも変わるわけですから、その年によって違いが出るのは当たり前でしょう。ただ単に特定の作品にしがみついていたいのなら、それに特化したコラムを作って、その中で満足していてください。

説明セリフか、主演俳優が「俺がんばってます!」とアピールするプロモビデオでしかない。
だから敬語の使い方もおかしいし、何も心に響かない。古典の引用なんてするわけもない。誤魔化すようにピアノもやたらと重なる。
いわばコスパ重視で、いかに真面目にやらずに、テキトーに誤魔化すかばかりを追い求めているようだ。
子どもの教育に有害どころか、大人の精神までおかしくします。

1つ前でも書いていますが、武者さんがドラマをきちんと観ようとせず、ただ単に叩くためなら、他の場所でやってくれませんか。大河コラムは貴方の日記帳でも個人ブログでもありません。

この年齢になって、ドスのきいた声で、見下ろすように王道と覇道の話をする。
これしか漢籍教養が身についていないって、絶望しかありません。林羅山を出して『貞観政要』すらやりませんからね。
なぜ林羅山を出したのか……理解に苦しみます。

林羅山を出したのは、あらすじと感想にも書いていますが、方広寺の梵鐘の銘に関してでしょう。これで羅山は、「国家安康」を呪詛であるとしています。

大坂冬の陣のきっかけとなった「方広寺鐘銘事件」とは?|豊臣と徳川の決裂を決定づけた出来事【日本史事件録】
(serai.jp)

また『貞観政要』ですが、これを江戸で家康に講義したのは藤原惺窩です。

(相国寺)

大坂城には稽古場すらないのか?
秀頼はなぜ、母と妻の前で武術稽古をするのでしょう。
「やっぱりイケメンが部活するとさー、女子が騒ぐじゃないw」
高校時代を思い出しつつニヤニヤする、そんなくだらない妄想のためでしょうか。

すみません、どこからそのような発想が出てくるのでしょうか?
何かと言えばジェンダーだポリコレだと言う武者さんの、つまりこれが本音と捉えていいのでしょうか・

それに総大将が武芸を習ってドヤ顔というのも恥ずかしい。
徳川家康は柳生石舟斎を呼びだし、「無刀取り」の境地に感服しました。そしてその子である宗矩を召し抱えています。
剣の腕前の中に、精神性を見出した――それのみならず柳生は監視役としても有能だった。
それが武芸を用いるべき用途であり、こんなモテモテしか考えられないとすれば絶望的です。

秀頼はこの時まだ総大将ではないし、ドヤ顔でもありませんが。
そしてこれ秀頼の武芸なのですが、なぜここで家康を引き合いに出すのでしょうか。柳生氏の新陰流は将軍家の剣術なのですけど。(あと疋田新陰流というのもあります)

本当に幼稚で頭が痛くなる。

どこが幼稚なのか知りませんが、本当に頭が痛ければ、まずこんな文章は書けませんね。第一、書こうという気にもなりません。


飲み物ーホットワイン
[ 2023/12/01 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第45回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第45回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。


「どうしたっていうんだよ衣装は!」なる小見出しから始まり、またこの間と同じような、『大奥』の美術部トップ(チーフディレクター?)の大原拓氏に、代表作として『麒麟がくる』とあって納得したとの由。結局自分が好きな作品に関することしか書かないのですね。

私はこの方、『軍師官兵衛』のディレクターもやっていたとこの前書いています。武者さんが同じことばかり書くので、もう一度、大原氏は官兵衛のディレクターでもあったと書いておきます。

そしてまた『首』がどうのこうの。衣装は黒澤和子さんで、
「この方も『麒麟がくる』と同じです」
とありますが、『西郷どん』、『青天を衝け』も黒澤さんです。これが大河コラムなら、それもちゃんと書きましょう。

それに引き換え今年はなぜこんなことになってしまったのか。
『麒麟がくる』は担当者のステップアップとして機能しているのに……。
特別なことは必要ないでしょう。『麒麟がくる』まで戻すだけで十分。来年以降、そうなることを願い、今年はもう忘れるしかありませんね。

こんな風に書くと、今年も大原氏が関わっているかのようですね。もちろん違いますが。
そしてどういう意味でこう書きたいのかわかりませんが、『麒麟がくる』まで戻したら、『青天を衝け』もそうですが、武者さんが好きな『鎌倉殿の13人』もなかったことになりませんか?

あと「演技プランが全て壊れている」などとありますが、人物をちゃんと観ていないだけだと思います。人物像をひとつひとつ理論的に語るのが面倒くさい、どっちみち嫌いな大河、ならば「演技プランが壊れている」で済ましてしまえば、何となくわかったように見える、そうしてしまえといった印象を受けてしまうのですが。

秀吉の遺児である豊臣秀頼――それが成長して徳川にとって“脅威”となった。それを示すのが、あの屋内ダンスと、この説明セリフだけなのでしょうか。

秀頼と家康が会見するところを観ているはずですけどね。
それよりも第44回で既に家康は、関ケ原はまだ終わっておらぬと言っています。誰かが秀頼を担いで、戦乱の世に戻るというのを警戒していると思いますが。

せっかく前回、空気を読めない真田信繁が軍事教練していたじゃないですか。例えばあれを警戒材料として出してもいい。

真田信繁がああやっているのを、家康は目の当たりにしていたでしょうか。ただ牢人があぶれており、彼らは食いぶちとして戦を求めていること、そして大坂では牢人たちに施しをしていることを伝え聞いてはいましたね。

『大奥』シーズン2の井伊直弼の警戒心比較してしまうと、絶望的な差があります。彼は先手を打ち、危険な芽を強引に摘んでいこうとしていました。

条約の締結関連と思われますが、それと家康の大坂の陣とを、同列に論じられますか?それ以前に家康が大坂を警戒しているのを、どうも武者さんは理解できていないように思われます。

徳川家康は、朱子学を統治に生かそうとした。それが『麒麟がくる』では生きていたものです。
しかし『どうする家康』にそんなものを求めても無駄でしたね……。
この世界観には先人への敬意も、親への思いも何もありません。
父の本多正信を辱めるようなことを大声で平然という息子の本多正純。
あれは何の冗談でしょうか?

武者さんに、『どうする家康』で何が描かれているか、それを尋ねても無駄でしょうね…。
この時の正信は、豊臣は公家であることにしてしまえ、公家ならば城だの武力だの、持つ必要はないと例の調子で述べるわけで、そんな父に対し正純は、こんな屁理屈ばかり才があると不満そうなわけですね。
その息子に対して、おほめにあずかりましてととぼけた様子で答えているわけです、
別に正信は辱められていませんが?

愚かの極みとはこのことで、父を嗜めるにしても他にやりようがあるでしょうよ。我が子にすら孝行を教えられないくせに、アリバイとして朱子学を持ち出す本多正信は、一体何を考えているのか。

また「窘める」が「嗜める」になっています。これは好むとか親しむの意味で、注意する意味ではないのですが。武者さん、昨年のこのコラムで何度かこの表現を使っていましたが、また復活したのでしょうか。
あと、江戸時代が始まったばかりのこの時期、そういった思想が行き渡っていたでしょうか。そして林羅山を連れて来たのは、方広寺の梵鐘の銘関連ではないかと思います。

この大河ドラマは、史実云々で批判されるわけじゃない。
幼稚で底が浅く、大河どころか、せいぜいが子ども用ビニールプール程度の浅薄さだからでしょう。

子供用のビニールプールて…例え方が何とも言えませんね。閂や草履をホームセンターのそれに例えるのとあまり変わらないかと(などと言ったら、ホームセンターに悪いかも)。
しかし「史実云々で批判されるわけじゃない」とあることは、つまり史実はちゃんとしていると認めたということなのでしょうか。

その後に
「本作の感覚は、親への態度がせいぜい昭和後期の中高生程度で止まっています」
昭和後期の中高生は、すべて親に対して反抗的で生意気だったということでしょうか。
ちなみにその後に
「でた! 嫁姑バトル」
などとあり、「そのくせ価値観は古いんですよね」などとあります。
何だか、こういうことで鬼の首を取ったかのように喜ぶ方が、正直言って価値観が古く感じられるのですが。

そしてこれ、嫁姑バトル、つまり姑が嫁の粗探しをすると言うよりは、もうちょっと政治的と言うか、家康は秀頼の代わりをしていただけであり、その約束を破るなら戦も仕方ないと述べているわけで、つまるところ千姫、ひいては家康を牽制しているわけです。

そしてその次に、
「人間関係の把握がせいぜい昭和後期か平成前期です」
ここでまた昭和後期、そして平成前期。結局これを書きたいと言うか、昭和と平成の前期はダメだと、何かにつけて叫んでいないと気が済まないのでしょうか。

そして今度は加藤清正。

「猫に負けそうな『せいしょこさん』でどうする」
などとあり、加藤清正もどうにかならかったんですかとあります。

まずこの「せいしょこさん」、清正公は地元肥後熊本で領民に慕われ、このように呼ばれて信仰の対象にもなっています。尚「せいしょこ」とは、「清正公」の音読みです。で、武者さんがこの大河が好きだとか、この人物が好きでこう呼ぶのならまだしも、そうでもないのに、いきなりこういう呼び方をしてほしくありません。何やら小馬鹿にしている感もあります。

そして
「声の出し方が弱い。高すぎるし、腹から出していない。
日本史に残る猛将がどうしてこんな情けないことになったのやら」
何なら、武者さんが指導をしては如何でしょうか。
そしてエキストラも棒読みだなどと書かれています。
いつもそうですが、あれがよくないこれがおかしいと言う割には、具体的な改善策が示されたためしがどれほどあったのかと思います。
そして「二人のプリンス」について。

二条城の会見――これを「二人のプリンス」ってどういうことでしょうか?
英語のプリンスを踏まえると、両者ともに一致しない。
秀頼を見る家康の目の陰険さだけは、妙にリアリティがあるからどうしたものか。
歴史的な文脈を無視して、若いイケメンに嫉妬する、もはや若くはないイケメンという構図は、ある意味斬新かもしれません。
女性同士はしばしばそんなしょうもない描かれ方をされてきましたから。

これそうなのですか?
私は秀忠と秀頼、そして年齢を重ねた家康と宗誾(氏真)と思っていました。
そしてこの会見ですが、秀頼を何とかまつり上げて公家とし、自身は武家の棟梁を主張しようと思った家康に対し、秀頼がそれを読んで、逆に家康を立てて自分がへりくだったわけですね。
「若いイケメンに嫉妬する、もはや若くはないイケメン」とはどのような観方をすれば出てくるのでしょう。

そして「もはや若くはない」と言っている以上、武者さんも家康の加齢については認めているのですね。今まで散々年齢を重ねているように見えないと言っていましたが。

あとプリンスはもちろん比喩的表現ですが、秀頼は太閤殿下の遺児だから、この表現に一番近いかと思います。

いきなり上座だのなんだの言われて思ったこと全部ぶちまけられても、何が何やら。

「思ったこと全部ぶちまける」とはどういうことでしょうか。正信は具体的な策を示しているのではないでしょうか。

このドラマの欠点は数え出したらキリがありませんが、テンポの悪さもあると思えます。
中身がないうえにテンポが悪く、時間稼ぎをいつもしているようで、ともかく退屈になってしまう。

「数え出したらキリがない」
武者さんはほぼすべてのシーンやセリフを欠点と捉えているわけですから、それはキリがないでしょうね。

二条城の会見をこんなに長々とやる必要があったのですかね。さっぱり理解できません。

会見そのものは6分足らずで特に長々とやっているとは思いません。
早く終わってくれないかと思うから、長く感じるのではないでしょうか。

それにしても、秀頼の顔色が悪い。覇気がない。
毒でも盛られたのでしょうか?
覚えたセリフを棒読みしているだけのようにも感じてしまう。

「どうした秀頼」なる見出しでたった3行、しかも特筆すべきこととも思えず。
時々こういうパラグラフがありますが、一体何を書きたいのかさっぱりわかりません。これなら前のパラグラフに付け足せばいい話です。

あの忍者気取りの真田信繁は笑うところなのか?
左手に六文銭を握りしめて
「俺、いかにも怪しいです!」
という目つきはないでしょうよ。

あの信繁が「忍者」に見えますか?彼は忍びなのですか?
ではなくて、ただ単に変装しているだけでしょう。
そもそも山伏の格好というのは変装でよく使われますし。

そしてまた『麒麟がくる』だの『首』だの引き合いに出していますが、ここでは省きます。こういう具合に、やたら他作品を出してくるというのもかなり違和感がありますね。
それ関連で服部半蔵。

それが『どうする家康』の場合、こうですからね。
「あの服部半蔵が、実は忍術がヘタでヘタレだったらおもしろくない?ww」
何も面白くありません。『どうする家康』はメンタリティがいじめっ子なんですよ。

半蔵は自分は忍びでなく武士であるとはっきり言っています、忍びに求められる術を心得ているのは寧ろ大鼠です。
今まで何を観て来たのかと何度も言いたくなりますが、あるいは何も観ておらず何も覚えていないのでしょうか。言っちゃ何ですが、それでよく、この大河のコラムを書こうという気になるなとは思います。

「あいつさあ、スゴイと言うわりにヘタレなんだよw」
標的にひとつでも些細な間違いを見つけると、延々とネチネチ小馬鹿にしてニヤついている。そういう精神性がこの作品には充溢しています。

ブーメランですか?

あと、この『首』の家康に関してだけ書いておきます。演じているのは小林薫さんです。

小林薫さんの家康はむろん素晴らしい。出てきたと思ったら即死する家康影武者だって、大河よりよほど家康らしい立ち居振る舞いでした。

その小林さんは『青天を衝け』で主人公の父親を演じていますね。先ほども書きましたが、同じ俳優さんが出ている大河作品なら、好き嫌い関係なく書いてほしいのですが、それをこのコラムに求めるのは無理なのでしょうか。

秀頼と千姫が猫と戯れる場面はいいと思います。猫がかわいいことは確かです。
ただし、『おんな城主 直虎』と『大奥』には遠く及ばない……。
このドラマのよいところは、あの猫だけかもしれません。

正しくは秀頼が猫を抱いて、千姫がその猫の絵を描いているわけですね。
で、それでも自分が好きな作品には及ばないと言っている。いやしくもプロのライターなら、それぞれの作品の持ち味があると取るべきかと思いますが。あと『直虎』の猫と言えば、主人公と同じ年数かそれ以上生きましたね。

そしてそんなに猫がいいのなら、大河でなく「世界ネコ歩き」でも観てそのレビューを書いては如何でしょうか。
あと武者さんが叩く作品を好きな人もいることをお忘れなく。


飲み物-ワインのデキャンタとグラス
[ 2023/11/30 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第45回に関しての武将ジャパンの記事について-1

遅くなりましたが、第44回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。

先週の放送で柱の傷を用いて成長の度合いを示していましたが、11~15歳までわずかな伸びだったのに対し、17~19歳にかけて急激に伸びていた。
人間の身長が一番伸びる第二次性徴期は10代半ば、13~16歳ぐらいのはず。
むろん個人差はあり、10代後半にかけて伸びる方もいますが、本作においてはドラマの展開に無理に合わせているようで興ざめしてしまうのです。

所謂成長スパートと呼ばれるもの(急速に身長が伸びる時期)、男児の場合、18歳までは身長が伸びると言われていますし、もちろんその後も伸びる人もいます。伸びが止まるのは、軟骨細胞がある骨端線が閉鎖されるためとされていますが、これには個人差があり、それが人によって伸びる時期にばらつきがある一因となっています。

(リンクが長いのでこうしています)

それと、こちらは西新宿整形外科クリニック様のサイトです。

骨端線はいつ閉じるものなの?


それから
「11~15歳までわずかな伸びだったのに対し」
11歳から12歳(この間に多分千姫と結婚)はかなり伸びています。

どうする家康秀頼身長1

そして19歳、この時に父秀吉を追い越しています。

どうする家康秀頼身長2
(『どうする家康』第44回)

ドラマの展開に合わせてと言うと、秀頼の身長が伸びた時に大きな出来事があったことを意味していると取れますが、12歳時に色々なことで尺が取られているものの、次に身長が伸びた17歳では本多忠勝死去のみ、そしてこの19歳で父を追い越したということでしょう。しかしこれで見る限り、秀頼は、遅くに背が伸びるタイプだったのでしょうか。

北半球なのに南に虹が出るとか。VFXが物理法則すら無視しているとか。甲冑に刀で切り付けるとか。重傷を負っているのにハキハキと話すとか。還暦過ぎた女性が若々しいままとか。
そういう現実味の薄さが、場面場面でドッと押し寄せてきて、辟易とさせられるのです。

南に虹が出るのはスピリチュアルな意味合いもあるし、また実際水平環アークと言って、南に出る虹もあります。

環水平アーク
(虹図鑑)

あと
「VFXが物理法則すら無視している」
具体的に第何回の、どのようなシーンでしょうか?
そして

「甲冑に刀で斬りつける」
もう4度目くらいかと思います。もちろんこの場合は、甲冑を着けていない部分を刀で狙っています。伏見城の戦いで、千代が甲冑を着けた相手の頸動脈を狙うのはそのためです。

「重傷を負っているのにハキハキと」
井伊直政のことでしょうが、これももう3度目くらいですね。
無論あの時直政はけだるそうに起き上がり、立ち上がることはできず、肩で息をつきながら話しています。そして天下を取りましたなと言う時だけ、ややはずんだ声を上げています。

「還暦過ぎた女性が若々しいまま」
これも具体的に誰のことでしょうか。何名かいると思われますが。

現実味が薄いというより、武者さんが勝手にそう決めてかかっているだけかと。
しかし3度目とか4度目のもあり、もうネタの使い回しで文字数を稼ぐしかないのでしょうか?

民放やVODでワイワイやっていたなら、まだトンデモ歴史作品として認識できたのに、NHKの大河という枠で放送されるから辛くてたまらなくなってしまいます。

「トンデモ」も武者さんがそう思いたがっているのではないかと思います。
そしてNHKの大河がどうこうと言う割に、その背景とか舞台を、好き嫌いにかかわらず理解していないようにも思うのですが。

だからこそ「城内で舞う」というわけのわからない描写が出てくるのでしょう。
青海波を舞う光源氏でも意識したのでしょうか。それともアイドルは踊るものという意識でもあるのでしょうか。

神社仏閣などで屋内で舞うというのはありますね。あるいは父秀吉を追い越したというのもあるのでしょうか。

そして、ここでも衣装とヘアメイクが不可解です。
なぜ秀頼は頭頂部がそのままなのか。何も被らないものでしょうか。
千姫の焼き芋みたいな色の衣装も見ていられません。スイカバーの妖精・大久保忠世が終わったかと思ったら、今度は焼き芋の妖精です。

「なぜ秀頼は頭頂部がそのままなのか。何も被らないものでしょうか」
舞楽というか雅楽の場合、直面(ひためん)といって面をつけずに舞うものもありますので、恐らくその手の舞なのでしょう。

素顔のまま[直面:ひためん]で舞う舞楽曲も多いのですが、とくに裲襠装束を用いる演目では、面を着用することが多くなります。

雅楽 上演のかたち 装束と面
(文化デジタルライブラリー)

「スイカバーの妖精・大久保忠世が終わったかと思ったら、今度は焼き芋の妖精です」
さらにこの後で
「この作品の衣装は、前半はペールカラー、後半は暗くするようにしていますが、横並びでそうされても違和感ばかりが募ります。年齢は意識されていないのでしょうか」
ペールカラーなどと言わず、淡色と言ってはどうですか。そして必ずしも前半=淡色、後半=暗めとなっているとは限りません。

そしてスイカバーだの焼き芋だの、出演者もスタッフもけなしまくりですね。とりわけ今年はこれがひどいです。千姫の衣装は濃い目の紫と思われますが、好きな大河だとほめまくるのでしょう。

剛毛でギトギトメイクの茶々だけでなく、千姫のメイクも濃い。
時代劇で当時のメイクを再現するのはまず無理です。
時代ごとの流行を取り入れても、それは必要悪でしょう。例えば80年代の時代劇は眉毛がしっかりしているものです。
そういう現代トレンドメイクからも程遠いため、わけがわからなくなる。

「時代劇で当時のメイクを再現するのはまず無理です」
それはそうでしょう。第一照明との兼ね合いもありますし、その意味で白粉と紅だけでは難しく、当然鉄漿などを付けることもできません。そして今回の場合、トレンドを採り入れたら採り入れたで、また武者さんはあれこれ言うのではないでしょうか。
第一それなら、90年代後半頃のメークはすべてガングロということになるのでは。

「80年代の時代劇は眉毛がしっかりしている」
貴方10年ルールはどうなったのですか。
大河でなく時代劇なら、どの時代劇であるかを明記してください。

秀頼の所作もシャキッとしていない。
この秀頼は、たしかに俳優御本人はイケメンかもしれませんが、時代劇の“絵”として見た場合、2016年『真田丸』の中川大志さんを思い出して悲しくなるだけなんですよね。

中川さんは中川さん、作間さんは作間さん。それぞれ主人公が違うのだから、描かれ方も雰囲気も違って当然です。それがいやならおとなしく『真田丸』を観て、『どうする家康』には言及しないでください。所作が嫌なら花柳寿楽氏に言ってはどうですか。
逆に私『真田丸』の時、『軍師官兵衛』だったらああだったなと思ったことがあります。

どうする白い羽織
そしてここで家康のアップが入ります。
白い羽織がつくづく、しみじみと、残念だ。
白い服は汚れが目立つから、何か特別な意味あいでもなければ着ないもの。服の色論争は重要で、人類共通の話でもあります。

その後でナポレオンの時代は白がもてはやされただのなんだの。
なぜナポレオンの頃の価値観と、江戸時代初期の日本を同じに見るのかわかりません。

そして

大河ドラマは言うまでもなく東洋。
白は死の色となります。
婚礼衣装でも白を使う日本は特殊であり、本来、白は縁起が悪いとはみなされがちです。
何か特別な意図を示すのであればまだわかります。『大奥』シーズン2の胤篤の白い裃は素敵でした。『麒麟がくる』は五行説を取り入れた結果、秀吉のテーマカラーが白でした。
こういう白い衣装は意図があるし、きっちり模様も入っているので、理解できます。
しかし本作の家康は、白い羽織が悪目立ちばかりしている。
同じ白い服でも『陳情令』の含光君でも意識しているのでしょうか。比較になりません。

相変わらず『大奥』と『麒麟がくる』は例外なのですね。
そして家康の羽織ですが、辻が花柄ですから真っ白ではありません。これもきっちり模様が入っています。
あと私『陳情令』を観ていないからそちらはわかりません。

そして花嫁の白無垢は邪気を払う、新しく生まれ変わるという意味があります。ブライダルや着物関連のサイトに、白無垢の由来について書かれているのがありますので、参考にされてください。取りあえずこちらを置いておきます。

【保存版】白無垢の意味や由来とは?結婚式の5つのスタイルや小物・髪型まで徹底解説
(THE KIMONO SHOP)



飲み物ーホットワインとくるみ
[ 2023/11/29 18:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第44回の『どうする家康』武将ジャパンコラムに関するnote記事

では今週もtaketak3946060さんのnote記事から。
この投稿では、『武将ジャパン』コラムからの引用部分はダークブルーです。


大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第44回~
https://note.com/taketak39460607/n/n3e48f31930a6

なぜ秀頼の成長を身長や宴会でしか表現できない?

これに関しては、やはり茶々の「あと10年もすれば太閤殿下に追いつこう、さすれば太閤殿下の果たせなかった夢を、秀頼が果たすこともできましょう」という言葉に言及されています。無論この時はまだ、家康自身征夷大将軍になってもおらず、今後我が子秀頼が成長し、家康から受け継いだ(家康はこの時点で、あくまでも秀頼の代わりに政務を行う存在)政をどう行うのか、楽しみにしていたかもしれないとも書かれていますし、この年一度の測定が、そのまま関ケ原後の歳月の経過、年表的な意味合いがある点も指摘されています。

というか、仮に身長測定にそこまで注意を払わなくても、普通に本編を観ていれば、まだ幼かった秀頼が、酒の飲みくらべでは、自ら福島正則に褒美を渡すようになり、その後千姫と結婚している。そして第44回最後の部分では大人になっているわけで、明らかに成長したのが見て取れるはずなのですけどね。武者さん本人は、手習いとか学業で示してほしかったのでしょうが。

そしてこちらと似た内容ですが、

毎年正月になったら、秀頼の背丈を柱に削るってよ。
昭和の日本でもあったような既視感のある描写でしか成長を描けないなんて、トンチンカンな大河ドラマです。
例えば、「まだ幼いのにこの手習を見てくだされ。立派な字でしょう」とでも、できないものでしょうか?
日本史だと、割と定番の描写だと思います。
(中略)
他にも、「この歳でもう、四書五経を読みこなしました」という表現も考えられるでしょう。

ここでは
「11年の時の流れの中で秀吉公や茶々さまの背丈をを軽々と追い越していった『成長著しい秀頼公』でしたが『明良洪範』によると、彼は身長6尺5寸(約197cm)、体重43貫(約161kg)の恵まれた体格だったそうです。
淡々と刻まれる柱の傷を行く年月の流れと考え、『正月に柱の傷が刻まれるごとに成長していく秀頼公』と対照的に『容赦なく年月が流れ、世代交代の波が押し寄せ、年老い病を得て苦楽を共にした家臣や大切な人たちが家康さまよりも先にこの世を去っていく徳川家』を表しているのだと思います」
とあります。

実際秀頼は高身長であったとされていますが、世代交代にも言及されているのは興味深いです。
(無論徳川家でも秀忠の将軍就任、本多正純の台頭などがあります)
あと、大樹寺には家康の等身大の位牌があること、またその他にも、著名な戦国武将や歴代徳川将軍の身長と同寸法の位牌があること自体、計測方法が存在したことが示唆されています。

余談ですが体重の測定方法は、江戸時代前期に、『養生訓』で知られる貝原益軒が巨大な天秤で体重を測定しています。

結局、干し柿がなかった三成の最期も回想され、やっぱり文春砲は正しかったのかな……と今週も思い起こさせられながら

この干し柿に関しては、前の回の記事にもありますが、『明良洪範』(享保年間=江戸時代中期成立)という逸話集による創作とされている点、さらにガイドブックでも、この干し柿に関する記述は登場せず、最初からこの話を入れなかったのではと思われる点が指摘されています。にも関わらず、あたかも文春記事でのこのエピソードが、松本潤さんの意向により削られたとあるのを事実のように吹聴している点に触れられ、そして「正しかった」とは、どこのどのような内容が正しいのか、根拠を示してくれとも書かれています。

1回だけならまだしも、2回続けて文春記事のみを基に、鬼の首を取ったかのように
「やはり干し柿のエピソードがない!文春は正しかった!」
と騒がんばかりに文章を連ねるのは、武者さんらしくはありますが、信憑性に欠けるかと思いますね。

松本潤さんの意見が現場で強行され、すっかりプロデューサー気取り、と指摘していた文春砲がやっぱり正しかったのでは……となる。
それでも話題性だけのために小栗さんを起用するなんて、少しでも視聴率を上げたいのでしょうね。

これに関しては、
「延々と文春砲だの女性週刊誌だのゴシップや妄想が展開されていますが、読者はそんな事をレビューで見たいのではないと思います。
貴方のレビューはゴシップ紙ですか」
とあり、
また『日本人なら誰でも知っている教科書に沿っているだけで、その根拠は示されない』という記述もあるのですが、ならばその『日本人でも誰でも知っている教科書』の内容を詳しく解説した方が、歴史レビュアーらしいとも言われています。

この手の記述に至っては、大河でも歴史でもなく、単なる出演者叩きでしかありません。しかも自分が嫌いだからと言うだけでなく、他人(読者)にもその姿勢を強いているとも言えますね。

茶々の打掛の翻し方も、全く美しくないんですよね。
輝元をひっぱたくし、メイクはギトギトだし、これのどこが貴婦人なのでしょう。

こちらに関してはまず
「また女性を容姿で侮辱する事しかできないようですね。僻みでしょうか?」
とあります。そして茶々が激高したのは、西軍総大将で、大坂城を守る役目であった輝元が実は徳川に内応していたこと、石田三成に責任をかぶせたことが、彼女を怒らせたときちんと書かれています。

あとこれは私が関連投稿で書いていますが、茶々は貴婦人、つまり秀吉の側室で秀頼の生母であったからこそ、輝元を扇で打ち据えることができたわけでしょう。

それと彼女の病気について。私もこれについては少し書いており、関連リンクを引っ張って来ていますが、taketak3946060さんの記事には
「茶々さまは慶長6年(1601年)頃、「気鬱」が激しくなり胸の痛み・摂食障害・頭痛に悩まされており、曲直瀬玄朔という医師から薬を処方をされていたそうです。(『玄朔道三配剤録』)」
と書かれており、京都橘女子大学の論文がありますので、こちらでご紹介しておきます。

先ず、医師の曲瀬道三に よれば、淀殿は慶長六年(一六〇一)ごろから「気欝」が激しくなり、 胸が痛み、食事が取れなくなったり頭痛になやまされたりしている。曲瀬はその薬を処方しているのである。秀頼の後見役としての気苦労、家康、秀忠と対抗して豊臣家の位置を維持しなければならない政治的重圧が、体調の変化を生んだと思われる。
田端泰子『「大阪冬・夏の陣」に収斂する淀殿の役割』
joseirekishi_011_1-25.pdf
『京都橘女子大学女性歴史文化研究所紀要』

『大奥』は素晴らしい。
しかし、その感想を見ていると『青天を衝け』の残した負の遺産も感じます。
たとえば井伊直弼が出てくるだけで「チャカポンw」と言い出す投稿がある。
確かにそういうあだ名はあります。
しかし、幕末はその手のあだ名が語られている時代です。
『青天を衝け』では、井伊直弼はそうやって貶める一方で、徳川慶喜の
二心殿:裏表野郎
豚一:一橋の豚野郎・豚をよく食べたから
独公:ぼっち様
といったあだ名は無視している。

まずこれに対して、歴史上の偉人をあだ名で呼ぶのをやめるよう言いたいのか、あだ名で貶めたいのかどちらですかと言われていますね。
(個人的には、井伊直弼の渾名はよくない、徳川慶喜は寧ろ渾名で呼ぶべきと言いたいようにも見えます)
そして井伊直弼『チャカポン』は、『茶道(チャ)』『和歌俳諧(カ)』『雅楽の鼓打ち(ポン)』であること、家督相続の可能性が低かったことから、30歳過ぎまで埋木舎(うもれぎのや)で学問・武術・芸能に力を注いでいたことも書かれています。
ちなみに茶人としての号は『宗観』で、茶道における『一期一会』の理念を広めており、歌人としては私歌集『柳廼四附(やなぎのしずく)』(重文「井伊家文書」のうち)を発表、狂言作家として廃曲となっていた『狸の腹鼓』の復曲(いわゆる『彦根狸』)を試み、『鬼ヶ宿』(『青天を衝け』に登場)を新作した点、『鬼ヶ宿』については大河ドラマ『青天を衝け』でも描かれた点に触れられています。

一方徳川慶喜に関しては、豚肉が好きであったため「豚一」様と呼ばれたり、その時々の状況に合わせて態度を変えるので『二心』様(二心殿)、自ら重要な事項を決断したため『独公』などという渾名もあったことが、こちらの記事で説明されています。

チャカポンが『青天を衝け』の負の遺産なのかとは思いますが、武者さんも今年の大河で
「マザーセナ」「レーシック於愛」
などの渾名をつけたがっていますね。しかも、あまりいい意味ではありません。

そして私がちょっと勘違いしていた部分に関してです。

なんせ本作の家康は、秀頼と千姫の婚礼すら、立ったまま決めますからね。
一言でいえば雑。
一体この家康は、どの時代を生きているのか。
しかも茶々が笑顔を豹変させ、あのメイクの濃い顔を歪めながら秀頼にこう言う。
「あの狸、決して信じるでないぞ」
見れば見るほど嫌になる……。

茶々さまに『秀頼の代わり』を強調されながらも成人するまでの政務を頼まれ、家康さまは部屋を退出しようとしていました。
部屋を出て行こうとする家康さまに「千姫はいくつになったのか」と茶々さまが尋ね、「4歳になった」と息子の秀忠さまが答えます。
「太閤殿下のご遺言通り、婚儀をしかと進めましょう。両家が手を取り合うことが何より大事」と茶々さまが言い、徳川親子は退出します。
家康さまは退出直前呼び止められますが、秀頼公と千姫の婚姻を取り決めているのは双方の親である秀忠さまと茶々さまです。

実はこの婚礼の取り決め関連なのですが、実は私は婚礼と秀吉の遺言である婚儀とを取り違えており、そのため関連投稿では秀吉が決めていると書いています。婚礼そのものを取り決めているのは、ここにあるように秀忠と茶々ですね。

ただどちらにしても家康はこれには関与しておらず、従って
「なんせ本作の家康は、秀頼と千姫の婚礼すら、立ったまま決めますからね」
とはなりません。

それとこの当時の桑名に関して。
実は私もあまり桑名には詳しくないので、個人の方のブログ記事のURLを置かせて貰っていますが、こちらのnote記事では桑名に於ける明治以前の輪中(水害除けに、集落または田畑の周囲を囲んだもの)分布図があります。

木曽三川(きそさんせん)の洪水と治水の歴史
(独立行政法人水資源機構 長良川河口堰管理所)

そしてtaketak3946060さんの記事本文から一部抜粋です。実際森林はなさそうな地域です。

平八郎さんの居城・桑名城は伊勢国の東端に位置し揖斐川に臨む水城(海・河川・湖に隣接して築城した城)です。
城には船着場も整備され4重6階の天守、51基の櫓、46基の多聞櫓が並んでいたそうです。
桑名は木曽三川の河口にあり北西部に養老山地、南東部に伊勢湾を望み、城の北には東海道桑名宿『七里の渡し』があり、伊勢湾をはさんで対岸の熱田宿とを船で結んでいます。
木曽三川の河口に位置しているため、日本屈指の穀倉地帯であり後に尾張・伊勢の米が集積される宿場町になります。
現代でも海抜0mの輪中が点在する木曽三川の河口で『森林伐採で禿山になる様な山』や森林などの無い平野です。

毎度ながら一部しかご紹介できていませんが、他にも色々な点が画像、あるいは史料付きで説明されています。


飲み物-テーブルのホットワイン
[ 2023/11/26 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第44回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第44回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。


毛利家のご子孫が激怒?
茶々のように、間違った強い女路線は、女性を小馬鹿にするだけでなく、別の激しい怒りも呼び覚まします。
大坂城で平手打ちを喰らった毛利輝元。
その子孫の方が激怒して以下の動画をあげられました。
(中略)
じゃっどん、島津も酷い扱いをされとりもす。『西郷どん』も島津家当主が苦言を呈していました。

まずこの動画、私も見ました。すべて賛同とは行きませんが、ご子孫の方であれば、こう言われることもあるだろうとは思いました。
ただこのドラマでは、このような描き方になってはいます。
ですから武者さんがこのコラムのライターであれば、このご子孫の方の意見を汲みつつ、ドラマとしてはどのように描かれているか、その両方をすり合わせるべきでした。しかしこの場合、だからこの大河はダメなのだという叩き棒にしかなっておらず、その点でまたかと思わざるを得ません。

そして『西郷どん』、こういう子孫の方の苦情を持ち出すのは、嫌いな作品のみのようで、だからこそ叩き棒に持ってこいなのでしょうか、そういう利用の仕方もどうかと思います。
あと「酷い」ではなく「酷か」の方がよくないでしょうか。

それとちょっと前後する形になりますが、

ここのところNHKは長州に冷たいのではないか?
長州メインの大河ドラマ『花燃ゆ』という時点で何もかもが終わっていた――それから10年も経たないうちに、この仕打ちではさすがに怒りたくもなる。

『花燃ゆ』をあれだけディスっていた武者さんにこんなこと言われたくありません。
あの大河、主人公サイドは馴染めないものもありました。ただ吉田松陰が松下村塾生に狂えと言い、急進的な姿勢を取ろうとした時、兄民治がそれを諭すシーンなどはよかったし、長州藩士の描写などでは、功山寺決起などは見るべき部分もあったかと思います。

そして武者さん自身も『花燃ゆ』を丁寧に分析したとは思えず。ただ長州というだけでネガティブ路線に持って行ったふしがあります、そして今年は長州大河ではないし、ただ輝元の描写について色々言われているだけであり、それとこれは切り離して考えうべきでしょう。
たとえば過去の戦国大河の輝元を比較するというのであれば、まだわかりますが。

何よりも『花神』をまず観てほしいのですけどね。

まぁ『花燃ゆ』は、長州をよく描こうと思って失敗しただけの話でしょうけど、今回の毛利輝元はあまりに侮辱的ですよね。

それよりも吉田松陰の妹をヒロインにしてアピールしようとしたものの、創作をかなり入れなければならず、それでちょっと滑ったかと思いますが。そしてこの文(美和)的キャラ、長州でなければ寧ろ武者さんは好きな方ではないのでしょうか。

ただし『らんまん』や『大奥』では、良い薩摩隼人が登場しているのでまだ救いはある。
『大奥』の島津胤篤は素晴らしい。美形だけが魅力ではなく、郷中教育が育んだ柔軟性と聡明さが表現され『薩摩はやはりよいな』と感じたものです。
土佐についても『らんまん』でその魅力が描かれていました。

朝ドラ、そして10時のドラマと大河ではやはり違いますからね。
そもそも「良い薩摩隼人」と「悪い薩摩隼人」の違いは何であるかと思われますし、「郷中教育がはぐくんだ柔軟性と聡明さ」も具体的にどういうものなのか、説明して貰えないでしょうか。
そしてこれらは、あくまでも武者さんが好きな番組での描写であり、恐らくこれが彼らを主人公にした大河であれば、容赦なく叩くのではないかと思われます。

◆「印象に残っている大河の主演」ランキング!5位「岡田准一」「福山雅治」、3位「堺雅人」、2位「綾瀬はるか」を抑えた「意外な1位」の名前(→link)
このドラマの往生際の悪さは、事ここに至ってまで『チコちゃんに叱られる』とコラボをするあたりでしょう。
なりふり構わぬ番宣にはうんざり。
トークショーまで開催されるようです。
◆松本潤さんが大河「家康」最終日に静岡市でトークショー&PV 12月17日開催の来場者募集(→link)
静岡市の市民文化会館に松本潤さんを呼び、最終回のPV(パブリック・ビューイング)が実施され、1,800人の観客が無料で招待されるようです。

「往生際の悪さ」余計なお世話です。
もう『どうする家康』に関心がないのなら、トークショー云々黙っていて貰えないでしょうか。本当はこのコラムを書くのをやめてほしいと思ってはいますが。
こういうイベントは、この大河を好きな人、出演者を応援している人が行くものであり、武者さんのようにネガティブな突っ込みを入れる人が行くものでもありません。言っては何ですが、もう少しものがわかるライターであれば、ただ紹介だけで済ませておくでしょうね。

そして

そう考えると、一体どうしたことよ……とは思ってしまいますが、結局、袁術は玉璽を手にしても袁術なのですよ。って、『パリピ孔明』じみた話をして申し訳ありません。
袁術という名門出であることを鼻にかけたしょうもない男がいて、たまたま皇帝の証となる玉璽を手にしました。
そして皇帝を僭称してウダウダするものの、最後は滅亡するという話です。

ここでまた『パリピ孔明』、この番組も何かPRしなければならない理由があるのでしょうか。

大河主演という玉璽も、場合によっては重石になる。井上真央さんはもう克服しましたが、果たして今回はどうなるのか。

今回も同じような形で責めを負わせたいのですか。井上さんに対しても失礼だと思いますね。

でこの後
「何度も申していますが、このドラマは何かとおかしい要素に溢れている。
出演者同士の友情協調や、主演を褒める言葉がスピリチュアルなんです」
武者さんがそのように決めつけている、あるいはそのように見られてほしいと思っているようにしか見えませんのでここでは省きます。

あと

子、怪力乱神を語らず。『論語』「述而」
オカルトトークをすると、信頼性が落ちるぞ。まっとうな大人ならやめようか。

なととありますが、
「君子は、人智で計り知れないようなミステリアスなこと、説明がつかないようなことについては語らない」
という意味です。基本的に論理的でないものについては、みだりに口にしないとも取れます。憶測でものを言うのもこれに含まれるでしょうか。

そして

文春砲で「暴君」であると指摘された主演に忖度してのことなのか。
だとしても言葉選びが過剰で、不気味にすら思えてきます。まるでドラマの舞台から降りても、マザーセナ信徒になってしまったかのようだ。
いくらキラキラワードで飾ったところで、文春砲が出れば、夢は醒めます。

また文春砲ですか。マザーセナがどうこうより、武者さん自身が文春信徒であるように見えます。そしてまた松本さん関連のことであれこれ。

私は今年の大河を面白いと思えないことが、幸いなだと感じています。
人気事務所の主演を絶賛すれば、全国に数多いるファンから果実が得られるかもしれません。
しかし、渇すれども盗泉の水を飲まず――今回ばかりは誰かを傷つけることに加担することへ繋がりますので、そこに加担するのだけは勘弁。

面白いと思えないことは幸い=だからどんなことでも書いていいし、どんな形で叩いてもいいと言う論理すり替えのようにも見えてしまうのですが。
そして「盗泉」呼ばわりするその根拠は何ですか。今更ですが、非常に失礼な物言いですね。

「今回ばかりは誰かを傷つけることに加担することへ繋がりますので、そこに加担するのだけは勘弁」
文春砲も誰かを傷つけているかもしれないというのは、前にも書きました。その辺りの配慮は全くなしというか、特定の存在を信じ切ってしまえば、他に目が行かなくなってしまうのでしょうか。

遠慮無ければ近憂あり。『論語』「衛霊公」
遠い未来まで見通せず、「ネット大受けw」みたいなことばかり気にしているととんでもないことになるぞ。
まさにこの言葉通りの事態になった。
それが干し柿カットです。
端的に説明しますと、石田三成の見せ所となる「干し柿のシーン」が松本潤さんの意向で取り止めになったというもので、文春砲で指摘されていました。

これ前も書いていましたね、しつこいんですけど。
あと遠慮なければの意味ですが、遠い将来のことを考えることなく、目先のことばかりに囚われていると、問題や心配事が起こるという意味ですが、それとネット大うけとどう関係があるのでしょうか。

そして干し柿の問題、ドラマの中では伏線まであってそれが放送されないのはおかしいとか、『真田丸』の干し柿はこうだった、『麒麟がくる』はこうだっただのなんだの。それぞれの作品の描き方があるのは構いませんが、それを『どうする家康』でも繰り返す必要は全くないと思いますね。
しかもその『麒麟がくる』での風間俊介さんの家康について、

その後、金ケ崎での引き戦の最中で、「戦のない世を作るために、いまは戦をせねばならぬ時。いまは戦を重ねるしかない」と悟るシーンへとつながっていった。
上記のインタビューで風間俊介さんが「戦のない国にしたい家康」について語っています。そのテーマは『麒麟がくる』で既に描かれていた。

1983年の『徳川家康』でも似たような感じではなかったでしょうか。
さらに

それが『どうする家康』では、あまりに現実味のない、妄想のようなマザーセナの慈愛の国構想で強引に展開。描き方が雑すぎたから視聴者から疑念が噴出しました。
このドラマの家康像は何も新しくない。要はお粗末なだけだったのです。

また「マザーセナ」、そして
「視聴者から疑念」
では、具体的にどのようなものか書いてください。

「このドラマの家康像は新しくもない」
前にも書いていますが、戦国時代の東海地方を舞台にした作品は多く、脚本のもととなる史料などもいくらか似て来ます。
そして1つ前に書いているように、作品によって描き方は異なります。『どうする家康』が『麒麟がくる』を逐一踏まえなければならない理由はありません。

小人は水に溺れ、君子は口に溺れ、大人は民に溺れる。『礼記』
凡人は水に溺れる。ドラマ通はSNSやプロパガンダに溺れる。インフルエンサーは支持者に溺れる。

これなのですが、その最後に
「皆その褻なるる所ところに在あり」
と続きます。つまり人は失敗する理由がそのレベルによって違うが、その失敗はいずれも慣れから来る油断であるということです。

そしてその後『大奥』は素晴らしいが、井伊直弼を表す「チャカポン」に、『青天を衝け』の残した負の遺産を感じるなどとあります。そのうえで、一橋慶喜の渾名は言わないとか何とか。
このチャカポン、「茶歌ぽん」のことで、茶道、歌道、そして謡曲(『ぽん』は鼓の音から)と言われています。これはいずれも、埋木舎時代の渾名で、直弼の風流を愛する様を表したものでもあるのですが。

ある先生が著書で「幕末大河を信じて語られても困る」と毒を吐いていましたが、確かにその通りではないでしょうか。

幕末のみならず、大河はすべて創作が入っています。だから当然それを事実とすることはできません。
古沢氏も歴史は勝者の記録であり、いくらでも解釈できると話していましたね。

大河そのものだけでなく、昨今はファンダムもおかしい。推しをいかに激しくプッシュできるか。それを仲間同士で語り合うことが重要であり、どんなにバグだらけのシステムだろうが、萌えキャラがいればいい。そういう一点突破になっている。
作品として面白いか面白くないか? コンテンツ全体を見渡して評価することが邪道扱いされているようにすら感じます。

そしてまたファンダム叩きですが、ファン同士がやっている分には別に構いません。推しをプッシュしてもよし、作品として面白いか面白くないかは、ずばりその人次第だと思います。これは武者さんも、好きな作品ではやっていないでしょうか。
そして武者さんの言う「コンテンツ全体を見渡して評価する」とは、具体的にどのようなことなのでしょうか。ちょっと曖昧な表現に見えるのですが。

なぜ、こんなことを申し上げるか、というと次の記事が気になったからです。
◆《『どうする家康』も視聴率苦戦中》「つまらなかった大河ドラマ」ランキング…4位『平清盛』、3位『江』、2位『おんな城主 直虎』…納得の1位は?(→link)
2000年以降の大河ドラマで何がつまらなかったか?
視聴率ではなくアンケートで評価したもので、ランクインした作品のうち大河ファンに納得されるのは『江』と『武蔵』だけでは?とも感じます。
他の『青天を衝け』『平清盛』『おんな城主 直虎』『いだてん』は、むしろ高評価を掲げるファンも一定数いるはず。

『江』や『武蔵』を評価する人ももちろんいるかと思いますよ。人の好みは様々ですから。

またその中で、特に気になるのが1位の『いだてん』と5位の『青天を衝け』であり、東京五輪と新札の顔という、政治色のかなり強い要素があったとか、都合の良いところだけを見せて、ファンの気持ちを高ぶらせるのは、危険なことだと感じるなどと書かれています。
さらに「今までオリンピックに興味がなかったけど、このドラマのおかげで興味がでた!」というのは、かなり誘導されていませんかね?とか、主人公の、テロを是とする姿勢や愛人問題などはほぼ伏せられ、綺麗事ばかりが羅列されていたともあります。

別に『いだてん』でオリンピックに興味が持てたなら、それはそれでいいと思います。渋沢栄一しかりでしょう。それを楽しんでいる人に向かって、あれこれ言う必要はないと思います。ただ大河は、その主人公のすべてを描いているわけではないし、それが視聴者に共有されていれば、それはそれでいいのではないでしょうか。
そのうえ

今年の『どうする家康』は、旧ジャニーズが全面に押し出された結果、これまでの大河ファンが離れてしまったとも指摘されています。

逆に言えば、これまでの大河ファンが離れるような、それまでとは違った描き方を敢えてやっているとも言えるでしょう。これは先日分ご紹介した、日刊ゲンダイの記事にもあります。武者さんはお気に召さなかったようですが。
そして全面(前面でしょうか)に押し出すとあっても、放送開始時は松本さんと岡田さんのみで、その後旧ジャニーズから2人キャスティングされています。確かに松本さんは主役、岡田さんは信長役で、目立つポジションではありますが、そう多くの人が出ているわけではありません。

実際、来年になったら、見向きもしない視聴者が一定数いるでしょう。
大河ドラマが、自らそんな状況を作り出してどうするのか。
2024年『光る君へ』や2025年『べらぼう』については、今のところ懸念要素は見られませんが、以降の作品で、いつどこで偏向した姿勢が出てこないか?という心配は尽きない。

「実際、来年になったら、見向きもしない視聴者が一定数いるでしょう」

その根拠は何でしょうか。

そして「大河ドラマが、自らそんな状況を作り出してどうするのか」
などとありますが、武者さんて「本当に」大河枠の作品に興味があるのですか?
好きであろうが嫌いであろうが、ドラマをちゃんと観ているようには見えない、実際にはなかったシーンやセリフが出て来る、漢籍を持ち出したがる割に日本史の史料を持ち出そうとしない、海外ドラマや他の作品のPRばかりする(こちらが本業?)、考証担当の意見は否定する。
こういう点を考えると、どうも疑わしく感じられます。それと昨年の大河のコラムでも「脳みそが溶ける」といった表現がありましたが、こういう表現が好きですね。

あとまたメールフォームがあります、大坂の陣が楽しみですとでも送っておきますか。

そして最後になりましたが、三谷さん関係で『真田丸』、『鎌倉殿の13人』で共演した山本耕史さんと矢柴俊博さんに関する記事(2021年の記事です)がありました。私はこのお2人、同時に『きのう何食べた?』の小日向さんと富永さんを思い出すと書いておきます。

キャスト【ドラマ24】きのう何食べた?season2
(テレビ東京・BSテレ東公式サイト)


飲み物-ウイスキーロック
[ 2023/11/25 21:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第44回に関しての武将ジャパンの記事について-4

第44回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。なお先日投稿分の、衣装に関する五行思想関連を少し手直ししています。


この大河ドラマは、そもそも人間とは何か?ということすら全く考えてないようです。
前回、重傷を負ったはずの井伊直政が目をキラキラさせて、ガバッと起き上がるなり、戦況を完璧に知ったように「天下取りだね!」宣言をしました。

第43回のこれに該当するシーンですが、

直政「ほんのかすり傷、どうってこと…あ…」
(うまく起き上がれず、肩で息をする)
家康「おとなしくしておれ」

直政「ついに…ついにやりましたな、天下を取りましたな!」

まず最初の方、直政はかなりしんどそうに、起き上がるのもやっとという状態です。
そして後の方、この時直政は既に勝利を知っており、その後島津の軍がこちらに向かっていると聞いて、本陣の前を行かせないようにと井伊の軍勢を走らせたわけです。従って、
「戦況を完璧に知っている」
のは当たり前なのです。

で、今回は、年老いたはずの家臣二名が、情けないオープニングテーマを背景に、槍をブンブン振り回している。
年を取ったら体力は低下する――なんて書いていて、あまりにバカバカしいことすらわかってないかのような振る舞いが画面の中で横行しています。

体力が低下するすなわち何もできなくなるとは、一概には言えません。
体力のみならず筋力などの衰えはありますが。
そしてこの中では、老いなど認めんと言い切る本多忠勝が、榊原康政相手に槍試合を挑んでいるわけですね。昔取った杵柄ではありますが、流石に老いは隠せない、それを表現しているわけですが。

本多忠勝と榊原康政が槍を振るい合う場面。
視聴者の涙を誘いたいのか。やけに冗長で、二人が叫び声をあげるたびに寿命間近な人物には見えない……と思いましたが、背景もまた当時の状況には見えませんでした。

寿命間近とありますが、榊原康政逝去はこのさらに翌年、さらに忠勝が亡くなるのは5年後のことですが。

戦国時代は戦乱で建造物も焼ける。攻城戦のための兵器もいる。
そのため森林伐採が激しく、日本中は禿山だらけになりました。田の改良もまだ時間がかかるものです。
にも関わらず、やけに青々としている。
あの風景は、江戸幕府が森林回復政策をした結果のものではありませんか?

まず、忠勝は桑名藩の初代藩主です。そしてこの時代の桑名藩は、港町と交易の町であり、江戸時代の地図を見てもあまり森林が多い地帯ではなさぞうです。
一応個人の方のブログなので、URLだけ置いておきます。

旧東海道 桑名宿(くわなしゅく)(知立から四日市)-4
http://yamakazeoto.jugem.jp/?eid=184
(山の風音)

そしてここでもまた、こういう人物を出さない、センスがないなどと書かれています。

日本の原風景を作り出した偉人として、それこそ伊奈忠次や大久保長安も出せたでしょう。
本多正純を出しながら大久保長安を出さないあたり、つくづくセンスがないドラマです。

伊奈忠次は登場しています、なだぎ武さんが演じていますね。

成長後の秀頼が出てきます。
衣装は貧乏臭いわ。茶々も着回しだわ。どんだけ貧乏なのか。

「衣装は貧乏臭いわ。茶々も着回しだわ」
ぱっと見黄金の地に紫の鳳凰の水干ですね。緑の地に柄を織り出した袴も、お金がかかっているのではないでしょうか。そして茶々は先日も書いていますが、黒と金を基調にした打掛を何着も持っていて、その時々で違うのを着ていますね。

しかも、この秀頼、宴のことしか口にしない。
本作は、宴の規模でしか権力が表現できないかのようです。貝塚の規模で集落の状況を確認していた時代じゃないんですよ。
それなのに「時は満ちた」とか、陳腐な決めゼリフを吐く家康。
タップすればイベントが展開するスマホゲーの世界です。

この宴、時は満ちた、そして最後に「西ににらみを利かせる」忠勝の肖像画。
これらは何を意味するのでしょうか。普通の宴ではなさそうですが。

今回は肖像画が入りましたが、やはり力尽きていると思いました。
まぁ、そうなりますよね。『大奥』チームがあんなに生き生きして、薩摩切子や懐紙入れを用意しているのに、こちらはニコライ・バーグマンをパクれと言われたらそうなりますよね。
やはり小道具チームは被害者なのかどうか……。

「小道具班、力尽きたまま」
とかでまた4行程度で1パラグラフ。これどうにかなりませんか?
加えてまた『大奥』を叩き棒。
というか、小道具はあるけど武者さんが認めていないだけでは。

その後

なぜ伊達政宗はセリフ処理だけなのか?
個人的にはディーン・フジオカさんが演じるところを見たい人物です。
伊達とゆかりの深い福島県出身であり、かつとてもお洒落。
政宗といえば漢詩も詠みました。独眼竜として唐の名将・李克用を意識しておりましたし、彼にピッタリではないでしょうか。

なる記述から始まって伊達政宗関連が延々と続きますので、悪いけどこの後の関連記述は省略します。殆ど武者さんの自己満足と行っていい文章が続いていますので。

で、猪苗代湖に続いて福島県がどうこう。まあ会津愛が多分にあるのでしょうし、福島県そのものが悪いわけではないのですが、こういう武者さんの自説補強に使われるのが鬱陶しいです。
それに武者さん、ディーンさんが『あさが来た』と『青天を衝け』で演じた五代友厚は嫌いなのですよね。
それは、俳優としてのディーン・フジオカさんを認めていないことになりませんか。
どちらも朝ドラと大河での出演なのですけど。

個人的に政宗の漢詩と言えば「馬上少年過ぐ」を思い出します。

三成の非情さも描くなら、秀次事件をセリフ処理はまずいんじゃないですかね。
三成があの惨劇を冷徹な顔で見守る場面があれば、説得力があったと思いますよ。ま、干し柿すらない今年の大河には期待していませんけどね。
『天地人』ですら秀次事件があったのに、今年はない。なんだったんですかねえ。

逆に、なぜそこまで秀次事件にこだわるのかとなります。
今回の主役は石田三成や西軍諸将ではありません。これらのうち誰かが主人公であれば、もう少し描かれた可能性は高いでしょう、これは『天地人』しかりです。家康もこの事件を受けて上洛して伏見城に滞在していますが(第39回21分辺り)、そこまで重きは置かれていません。

しかし、よほど「柿は痰の毒」と言う三成を見たかったのでしょうか。

で、この後
「ま、私だって大河以外に活路を見出したい。何も期待していませんので」
とありますが、それなら無理して期待していない大河のコラムを書く必要もないでしょう。
何度か書いていますが、これが個人サイトやブログであれば別にその人の勝手です(それでも問題なしとは言えませんが)。しかし報酬付きのコラムで、ドラマはちゃんと観ているかどうか疑問、さらに他の作品を叩き棒にするという姿勢が解せないのです。

この大河は誰かから怒られるのでは?
そう思う理由のひとつに、作り手の性癖暴露があります。
◆「どうする家康」北川景子と松本若菜が一触即発…《笑顔のバトルが恐ろしすぎる》と話題(→link)
海外からすると、日本のコンテンツの痛いお約束があります。
女同士のバチバチ描写です。

以前『篤姫』の篤姫と和宮関連で似たような記事があったのを思い出しました。
しかしこれは「作り手の性癖暴露」なのでしょうか。
その次にこうあります。

そりゃあ、妃と寵姫が競うような作品ならば海外でもその手の描写はあります。
しかし、日本のコンテンツはどんな状況でもぶち込んできて、それをニヤニヤしながら見ているのが「ミソジニー」とみなされてしまいます。

では今までの大河の女性同士の対決を、ここでリストアップして貰えないものでしょうか。ここまで書くのであれば、恐らく武者さんはすべて把握しているのでしょうから。

あと「妃と寵姫が競うような作品」とあります。
一例として、以前武者さんは『風林火山』をほめていたことがあります。ただあの中では妃と寵姫ならぬ、正室と側室の関係がかなり描かれていましたが、武者さんに取ってあれはミソジニーにはならないのでしょうか。

今、トレンドは「シスターフッド」です。
女性同士が協力する姿であり『大奥』の徳川家定と阿部正弘がその典型例。
それが支持される時代に、いまだに「女のバトルw」と盛り上がっている時点で、うっすらと恥ずかしいことは認識すべきではないでしょうか。

トレンドがシスターフッド(女性同士の連帯)とありますが、『どうする家康』の制作スタッフは、シスターフッドを念頭に置いて作ったわけでもないでしょう。そもそも主人公も、その家臣も男性です。
そして一方では、武者さんが何かにつけてカルトの教祖呼ばわりする瀬名が、於愛を家康の側室に指名するシーン、あるいはその瀬名がお万を許すシーン、そういうのは無視されてしまっているのでしょうか。あと、徳川の女性と旭姫の交流もあったかと思いますが。

『麒麟がくる』の駒のことも思い出します。
「女のくせに将軍のそばにいるなんてありえない、おかしい!」と言われていました。それを言うなら、とっくに大坂を脱出した阿茶がうろつく方があり得ないでしょう。

武者さん、先日分でピーキー、つまり
「限られたワードや事象に対して、過剰に反応し、テンションが高くなる」
ことについて書いていましたが、駒という固有名詞に対しては、似たような反応を示していませんか?

そして
「とっくに大坂を脱出した阿茶がうろつく方があり得ないでしょう」
これはまた異なことを。
第43回をもう一度観直してくださいね。来客を伝えに来た家臣が
「北政所様のお使いで」
と、はっきり言っていますよ。

◆松本潤「どうする家康」に再評価の声…歴代大河ワースト2位でもNHK思惑通りでホッ?(→link)
日刊ゲンダイは、これまで本作を散々貶してきたのに、この手のミソジニー描写があると一気に甘くなる。
メディアの支持者が圧倒的に中高年男性だからですかね。
ワースト2位で“思惑通り”とは、そんなワケないでしょ。

「この手のミソジニー描写」
ミソジニーと言うより、茶々と阿茶の駆け引きというべきでしょうね。「嫌いな作品」で、女性同士が何か対立しているとすぐミソジニー呼ばわりするのも、武者さんの悪い癖だと思います。
そしてこれ、ミソジニーが原因だからじゃないんです。記事中にありますが、

「要するに録画して見る視聴者が多いだけ。“史実重視派”の大河ファンがネット上にあれこれ書き込むほど支持されていない、というわけでもなさそうです」
「新たに若い視聴者を取り込もうという実験的な大河と考えれば、NHKの狙いは当たった、そこそこ成功したとも言えそうです(中略)古沢良太さんの“らしい脚本”も泣いて笑える。つまらないドラマとは思えませんけどね」

ということのようです。
こういうのをちゃんと読まず、中高年男性が支持しているとか、ワースト2位で思惑通りのわけがないなどと書くのは、武者さんの決めつけにほかならないと思います。見方を変えれば、武者さんがこの大河が再評価されているという記事を、わざわざ教えてくれたとも取れますが。

それと「ワースト2位」、歴代大河視聴率のことでしょうが、昨年貴方が『鎌倉殿の13人』コラムで書いていたことを、もう一度コピペさせてください。

ネット配信が普及した現在は、記録も容易なことから、特にその傾向が強く、海外ドラマの宣伝を見ていると「驚異的な視聴回数を記録!」といったコピーがついています。
ではなぜ日本では、未だ古めかしい基準に頼っているのか?
メディアや読者の感覚がアップデートされてないというのが大きな理由の一つ。
もう一つ、視聴者数と視聴回数が公表されていないことも確かですが、例えば大河についてNHK側が把握していないわけがありません。
例えばNHK朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』は、視聴率は低いものの、NHKプラスの視聴回数がかなり高かったため、NHKとしては成功とされているようです。
『鎌倉殿の13人』も、視聴回数は公開されておりませんが、かなり高いとか。


飲み物ー暖炉とお酒
[ 2023/11/25 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第44回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第44回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。

このページでは例によってと言うべきか、『大奥』と『麒麟がくる』を叩き棒にしまくっています。ワンパターンだなと思うと同時に、叩き棒にされているドラマに失礼だと思いますけどね…武者さんがこれらの作品を本当に好きなのか、疑ってしまう所以です。

千姫がわざとらしく走ってきて、江が追いかけてくる。
いったい乳母はどうしたんですか。こんな大事な存在を放置して、一体なんなんでしょうか。

まず「わざとらしく」走って来るも何も、あの年頃の女の子としては普通に走っていると思いますが。逆に「わざとらしくない」走り方とは、具体的にどういう走り方なのかと思います。この「わざとらしい」も、嫌いな作品を叩くうえで武者さんはよく使いますね。

そしてこういうところまで乳母が来るでしょうか。千姫は、身内である「おじじ様」の所へ行こうとしているのです。たとえばどこか危険な所へ行こうとしているのであれば、監視役としての乳母は必要でしょうが。

家族関係の描き方がせいぜい昭和なんですよね。
乳幼児死亡率や危険性もふまえていない。本作の作り手は根本的に育児への関心がないのでしょう。
高齢者への敬意もないし、精神状態が中高生程度で止まった妄想ばかりにも思えてきます。

これもちょっと意味不明ですが、まず
「本作の作り手は根本的に育児への関心がないのでしょう」
こう書くからには、武者さんは育児経験がおありなのでしょうか。ならば、自身の育児経験と照らし合わせて、何がどのように違うのかを説明してほしいです。

そして乳幼児死亡率だの危険性だの書かれていますが、1つ前に書いているように、千姫は特に危険な所へ行こうとしているのではないし、また重篤な病気に罹っているわけでもありません。

それから高齢者への敬意ですが、これは先日分の於大に関してでしょう。あの時家康は、お前にはつらいことも言ったと後悔する於大に、体を労わるようにと薬湯を煎じて飲ませています。一体、どこが「敬意がない」のでしょうか。

何よりもここで唐突に
「家族関係の描き方がせいぜい昭和」
「精神状態が中高生程度で止まった妄想」
などと出て来ます。
「せいぜい昭和」とは、昭和の頃の大河で子供や高齢者を虐待する作品でもあったのでしょうか。ならばどの作品か教えてほしいものです。
あと「精神状態が中高生程度」、さっぱり意味がわかりません。叩こうとしてあれもこれも詰め込んだ結果、よくわけがわからない文章になっていませんか。

千姫があそこまで怯えているのは、嫁ぎ先が嫌だからのようです。しかも、江が子どもの前でペラペラと語っていたようなんですね。
秀頼の母である茶々は、江の姉です。まだ幼い江を庇ったことだってあった、そんな大事な姉です。
その姉の悪口を我が子に吹き込むって、性格が歪んでいませんか?

ここで千姫の言葉をもう一度。
「母上がいつも茶々お姉様は怖い怖いと、何を考えているかわからぬと」

恐らくは、子供の頃から気が強い姉の茶々を見て育ったこと、そして今も豊臣家の女あるじとして振舞っていることを考えれば、彼女に取っては及ばない相手でもあり、そのため恐ろしい人であることよ程度は言ったかも知れないでしょう。それを耳にした千姫が、話を膨らませて解釈した可能性はあります。

そしてお江は、初(後の常高院)が同行してくれることもちゃんと話していますね。ただ千姫はおじじ様の側にいたいようです。

思えばこのドラマはそんな家族ばかりでした。市も娘の前で「本当は家康さんが好きだったの」とかペラペラ喋っていた設定でしたもんね。
歴史人物への敬意が全く感じられないのです。

「本当は家康さんが好きだったの」
なんて言っていませんけどね。
第30回で母上はよう昔話をしてくださいましたと茶々が言い、その昔話の内容とは、胴をつけて泳ぐ稽古をしていて、溺れた自分を竹千代が助けてくれたことだったわけです。

「歴史人物への敬意が全く感じられないのです」
ブーメランですか?

思えばあのマザーセナからして両親が死んだ後もケロッとしていましたし、そのマザーセナのことすら家康は忘却の彼方。
あれだけベタベタといちゃついておきながら、仏壇の前で手を合わせる場面すらありません。
打掛で走ってくる江の所作にしても、『大奥』と比較するとあまりに厳しい。
茶々の打掛の翻し方も、全く美しくないんですよね。輝元をひっぱたくし、メイクはギトギトだし、これのどこが貴婦人なのでしょう。

また「マザーセナ」ですか。
そしてこれ、忘却の彼方ではないのですね。於大とのシーンの中で、この瀬名のことを示唆するようなセリフがありますし。
それから仏壇と言いますが、全国的に仏壇が普及したのは江戸時代ですよ。これは檀家制度とも関係がありますが。寧ろ貴方が何かにつけて揶揄する、石川数正の押し花と正信念仏偈に、瀬名への思いが込められていたとは言えます。

また茶々は身分が高いからこそ、輝元を打ち据えることができたのですが。
そして所作が『大奥』と比べてひどいと言うのなら、画像を貼るなりして比較できるようにしてください。

秀頼と千姫の婚礼描写も、『大奥』の家定・胤篤と比べたら、ただの手抜きにしか見えません。
時代劇ファンの皆様は『100カメ 大奥』もご覧になられたかもしれませんが、「神は細部に宿る」とはまさにこのことで、本作と比較して驚くばかりだったでしょう。

「秀頼と千姫の婚礼描写」
そんなシーンありましたか?
慶長9(1604)年に秀頼の背丈を測った時、既に千姫と結婚していたというシーンならありますが。
要は、千姫が大坂に行くのを嫌がるも家康に窘められる→秀頼と結婚して背丈を測る場に立ち会う→秀忠が千姫のことを真っ先に家康に尋ねて叱られる。
こういう流れでしょう。

それと私100カメ観ていないから何とも言えません。

『大奥』にできて『どうする家康』にできない、そんな言い訳は通用しないはずです。

元々描かれる時代も人々も違うから、一概に比較はできないと思うのですけどね。

家康って、他社への親切な接し方が女性相手だといつも同じ。
キザでスカしたイケメンプリンスしかありません。
年上の母親相手だと「ババアかw」となるし、茶々は悪役なので「このバカ女がw」と感じさせます。
年下かつ好感度を見せなければいけないとなると、「俺に惚れんなよ」スイッチが入る。

「他社」は他者のことだと思いますが、完全に武者さんの主観でしかありません。
要はこれも、家康はこのように見られてほしいという、武者さん自身の「願望」なのでしょう。

しかし、千姫相手にそのスイッチを入れてしまうと、とてつもなく恐ろしいことになります。
この二人の場面は、祖父と孫娘には見えない。不気味な下心のあるおじさんと少女に見えてしまいました。
怖すぎます。

どこをどう見たらそのように見えるのか、皆目不明です。
私の場合、家康が千姫に取ってちょっと甘いおじいさんであること、千姫もこのおじじ様を頼っていたいということはわかりますが。

関ヶ原本戦の描写は、どう逆立ちしたって本線がBBC『ウォリアーズ』の圧勝であることは予想通りでした。
まぁ覆せるわけもないし、そこは最初から諦めていました。
しかし、親子の情愛の描き方まで完全敗北とはどうしたことでしょうか。
『ウォリアーズ』では、秀忠遅参のあと、家康は我が子・信康の死を思い出し、秀忠を助命する決意を固めます。そこには揺るぎない親子愛がありました。

この『ウォリアーズ』もここのところかなり紹介されていますが、何か紹介しなければならない理由でもあるのでしょうか。それにこのコラムで内容をきちんと説明するわけでもなく、どのような方法で見られるかも明記されていません。
第一武者さんが一方的に圧勝だ親子愛だと言っても、こちらは全然観ていないのですけど。

あとこの作品、別に関ケ原だけを採り上げているのではないのですけどね。

一方でこちらはどうか。
秀忠をネチネチネチネチ責める家康は、圧倒的なパワハラ感があって胸が苦しくなりました。
老母にも冷たい。息子には横暴。孫には気持ち悪い。
一体この家康は何を表現したいのか。彼が日本の近世を構築するなんて、冗談でも止めて欲しい。

「秀忠をネチネチネチネチ責める」
言っては何ですが、私にしてみれば武者さんこそが、オンエアされてもいないシーンを持ち出したり、好きな作品を叩き棒にしたりして、この大河を
「ネチネチネチネチ責めて」いるようにしか見えません。
老母にはちゃんと薬湯を煎じていますし、孫は可愛いのでしょうね。
そういう家康なら、日本の近世を構築しても納得が行きます。

家康メインの水色羽織はなんなんですかね。
年齢を踏まえて欲しい。
しかも配色センスが濁っていて、東洋の伝統色とは異なり、とにかくセンスが感じられない。

武者さん、以前日本の伝統色と書いていましたが、東洋の伝統色にシフトしていますね。
そして水色の羽織ですが、あれは藍の薄いやつで、れっきとした伝統色のはずです。
そして年齢を踏まえてほしいとありますが、『葵 徳川三代』の家康は、晩年でも白を着ていますし、

葵徳川三代家康
(『葵 徳川三代』より)

年齢を重ねたから、薄い色を着ていけないという決まりはないでしょう。
まして家康公のような人の場合、着衣が残っているから、それを参考にして作ることもあります。

人物デザインの創作現場から vol.10 ~ 辻ヶ花への道 ~
(『どうする家康』公式サイト)

ただ武者さん、公式サイトを見ているようには見えないのですね。

そして『大奥』の場合、

美を作り上げるためにここまで気を使うのか。
見ているだけでうっとりしてしまうような凝り方で、カメラで映るとどうなるか、きっちり妥協のない現場の様子が映し出されていました。
ただただ圧倒される。

『大奥』を見ていると、幕末の錦絵が動き出したのではないかと思えます。
原作はモノクロが基本ですので、色彩感覚はドラマで作り上げていくしかない。そうする過程で、当時の色彩感覚や美意識を再現しようとしていることが伝わってきました。

まあこの人の場合要は表裏一体で、好きなものにはこれでもかと賛辞を送る一方で、嫌いなものには、その反動としてあることないことつき交ぜて叩きまくるわけですね。
無論『どうする家康』もまた、当時の色彩感覚や美意識が再現されているわけですが、武者さんにはそれが見えていないのだろうと思われます。

その美術部トップは『麒麟がくる』と同じ大原拓さんとのこと。
◆「麒麟がくる」チーフ監督が語る“カラフル大河”の裏側 衣装はサッカー代表も参考に 光秀はフランス?(→link)
納得です。あの作品は衣装に五行説を取り入れていて、とにかく画面そのものが美しかった。

その大原拓氏、美術部トップというかチーフディレクターでしょうか。
そして五行説(五行思想)なら、『どうする家康』衣装デザインの柘植氏がこれに言及しています。武者さんが好きな作品だけではないということです。

古代中国で生まれた自然哲学の思想で、万物を形づくっているのは5種類の元素「木・火・土・金・水」だという考え方だそうです。それぞれに「青(緑)・赤・黄・白・黒(紫)」の5色が当てられているんですね。五色幕など日本文化にも影響の片りんがあります。今回は、特に五行思想にのっとって色彩構成をしているわけではありませんが、家康と彼を取り囲む戦国大名たちに対して、カラーチャートを作って色を振り分けて分類しようとすると、自然とその5色が意識されているかのように見えるので不思議です。

人物デザインの創作現場から vol.1 ~ 家康ブルーに込めた思い ~
(『どうする家康』公式サイト)

「衣装が色鮮やかすぎる」とクレームが入りましたが、再現性へのこだわりが理解されないか、ピーキー過ぎたのでしょう。
センスが尖り過ぎていただけで、序盤に修正するとすぐに批判は止んでいます。

実際放送開始から1か月ほど経っても、「今回の大河ドラマの衣装は、昭和に登場した化学染料の色」というコメントもありましたし、10月頃まではあれはおかしいという指摘もありましたね。そして身分が高い人ならまだしも、庶民レベルであの色遣いはちょっと抵抗がありました。

そして武者さん、「ピーキー」て、他人のこと言えないと思いますよ。
これ「限られたワードや事象に対して、過剰に反応し、テンションが高くなる」意味ですよね?

そして美しさはますます磨きがかかってゆきました。
役者の美貌だけではなく、それをさらに輝かせる工夫が随所にあり、あの美は、大原さんがいてこそなのかと納得。
眼福とは、まさに彼の作り上げた映像を見ているときのためにある言葉でしょう。

ちなみに大原氏は、武者さんが嫌いな『軍師官兵衛』でもディレクターを務めていますが、もちろん『軍師官兵衛』の映像も、貴方に取っては眼福なのですね?
岡田准一さんの素襖姿を置いておきます。

軍師官兵衛素襖
(『軍師官兵衛』より)

『どうする家康』の衣装や美術とは、比べることすら失礼かもしれません。本作の合戦シーンでは「兜に照明が入り込んでそのまま流す」なんてことがまかり通っていて、美醜以前の問題と思えます。

「兜に照明が入り込んでいる」の裏付けをお願いします。

衣装のことについて私が意見を申し上げていると、こんな反論も見られました。
「武者は『どうする家康』の衣装を貶すが、『麒麟がくる』だって批判されていたのに、そうしなかった! ダブルスタンダードだ!」
ダブルスタンダードも何も、その発想すら思い浮かびませんでした。
『麒麟がくる』は癖が強いだけで、ずっと美しいと私は感動していました。それが伝わらなかったようで残念です。

「その発想すら思い浮かびませんでした」
自分を守るための否定という心理関係の言葉を、ちょっと思い出しました。
そして
「癖が強いだけ」
先ほども「センスが尖り過ぎていた」とありましたが、そういう部分に抵抗を覚える人もいるでしょう。

そして好きな作品はほめにほめまくるのに、ここからまた『どうする家康』叩き。
つまるところこのコラムの場合、ほめるのも叩くのも、何かおおげさなのですね。

美術へのこだわりが全く感じられない本作。
大坂城でパリピしている場面が入りました。
成長期の秀頼すら同じ、茶々も同じ着物です。『大奥』の貧乏公家より粗末な暮らしでは?

茶々は金と黒がメインの打掛が多いのですが、その時々で違う柄のを羽織っています。そして秀頼が着ている、緑の絹の亀甲文様が入った水干は、幼い頃のとは違いますね。

宴だと言いますが、酒を飲むだけで食卓も映りません。作る手間すら惜しんだのか、あるいはスケジュールが厳しくてスタッフが対応しきれなかったか。

嫌いな作品だと悪い方向に取りたがりますね。
あれは年始の挨拶に訪れた大名たちが、余興として飲みくらべをやっているわけでしょう。そもそもこの当時「食卓」はなくて「膳」ではないかと思いますが。

でこの時に勝った福島正則が褒美を受け取っているわけですが、このシーン、正則が豊臣家にも忠誠を誓っていたことを裏付けてもいます。そして何よりもこれは、かつて茶々が正月に「(家康がいる)西の丸が賑やか」と言ったこと、あれを踏まえているかと思われます。

「打倒家康!」
そんな『戦国BASARA』シリーズじみた掛け声をあげながら、九度山で特訓する真田信繁(真田幸村)って何を考えているのでしょうか。
あれほどまでに家康へ敵意を燃やして叫んでしまったら、周囲にバレバレ。
さっさと真田信之に対して「弟は何を考えてるの? 軍事訓練しているって報告が上がってきているけど」と問い合わせればよいだけの話ですよね。

あの、如何にも武田家式の鍛錬方法ですね。
ただし、あれが家康の想像の範囲内なのか、実際にそうなのかはこの時点では定かではありません。

そして信之に問い合わせるより、こういう流人の目付け役のような人物はいるでしょうから、そちらに訊いた方が早いのではないでしょうか。

真田信之と本多忠勝の必死の助命嘆願を平気で足蹴りにしてしまう信繁。
本作の作り手は『真田丸』すら無視するようで、見ているだけで脳みそが溶けそうです。

まず、こちらでは助命嘆願のシーンはありません。
そして、『真田丸』と必ずしも同じ描き方をしなければならないものでもありません。
自分が好きな作品を叩き棒にするのはもうやめませんか。

さらにまた「脳みそが溶けそう」
この間は脳みそが削られるでした、色々と大変なことで。


飲み物-2つの赤いカクテル
[ 2023/11/24 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第44回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第44回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。
しかし武者さん、この大河の関ケ原の面白さは、何だと思っているのでしょう。馬がロケで走り抜けるのみならず、事前の調略シーンなども当然含まれるはずなのですが。


過去の大河作品で主演を務めてきた俳優を集めた本作。
その一人である於大ですが、結局、この方も最初から最後までどうしようもなかった。
家康にせよ、その母にせよ、まるで加齢が感じられません。
現代の高校生とその母親みたいな雰囲気ですよね。

また「どうしようもない」。
何がどうしようもないかと言うと、加齢が感じられないからだそうです。松島奈々子さん演じる於大は出家していますし、それだけでも雰囲気がかなり変わっている上に、年齢を感じさせる雰囲気になっていますけどね。家康に至っては、何をかいわんやです。
しかしそこまで年齢を重ねたように見えないのなら、武者さんが老けメイク担当してはどうかと言いたくもなります。

そしてこの対面の場面で、背後にある天守閣は何があったんでしょうか?
圧倒的なハリボテ感で気が遠くなりそう。コンクリートで作られた模擬天守のような印象すらありました。

気が遠くなりそうでなく遠くなった方が、これを観ずに済むのではありませんか、
別に天守閣には何も起こっていないと思いますが。

家康と二人きりになった於大は、若い口調で息子への反省の弁を語っていました。
他にもっと言うことがないのでしょうか?
「おかん論破してやったw コレスケベな本じゃねえしwww 保健体育の教科書だしwww」
そう浮かれている中高生みたいなメンタリティでしょう。

まず言っていることがよくわかりません。
論破するシーンなんてありましたか?於大と2人きりになったシーンでは、まず於大が都に招いてくれてありがとうと礼を述べ、何も思い残すことはないと言います。そんな於大に家康は薬湯を勧めます。そして於大は、今まで国のためにすべてを捨てよと言って来たが、それが正しかったかどうかと反省したうえで、もう捨てるでない、そなたの大事なものを大切にしなされと言っているわけです。

なのに
「おかん論破してやったw コレスケベな本じゃねえしwww 保健体育の教科書だしwww」
て何ですか?武者さんの妄想にしか見えませんが。

その後
「死ぬ間際の母親に対してこんな塩対応するなんて、家康から人の心が感じられない」
この時於大は自分が先が短いとも何も言っていませんが…。

なぜ、ウィリアム・アダムスは洋服のままで出てくるのでしょう?
織田信長と弥助。
徳川家康とウィリアム・アダムス。
この両者を比較すると、家康の方がより画期的な態度といえます。
三浦按針という和名を名乗らせ、日本人の妻をもたせ、所領や屋敷を与えた。衣食住を同じものとすることで、受け入れることを示したのです。
そういう気遣いを台無しにする洋服姿。

まだこの時は三浦按針を名乗っておらず、従って和服も着ていない設定になっていると思われます。
弥助の場合は最初から信長の家臣として扱われたのですから、和服を着ていてもおかしくはないでしょう。但し『軍師官兵衛』で、最初に連れて来られた時は、まだヨーロッパの衣服だったかと思います。

要するに、ここはドラマ10『大奥』でも話題になった村雨辰剛さんを出したかっただけなのでしょう。
「八重洲」の由来となったヤン・ヨーステンは出てきません。

「ドラマ10『大奥』でも話題になった村雨辰剛さんを出したかっただけなのでしょう」
その裏付けは何ですか?根拠もなしに、自分の憶測ばかり書いていませんか。
そしてヤン・ヨ―ステンですが、ここでは船大工であるアダムスの方を重視していると思われます。また例によって、描かれてない人や物ばかり突っついているようですね。
あと来週は和服姿のアダムスが登場します。

それと村雨さん、昨年の『釣り人万歳』に出ていたのを思い出しました。

外国人枠にするならば、彼でも良かったのでは? なんてことを本作で考えてはいけません。
そもそも深く考えていないのが本作の特徴。なにせ、歴史に興味がなかった脚本家が最低限のことしか学ばないと公言していますから。

「歴史に興味がなかった脚本家が最低限のことしか学ばない」
それの出どころは何ですか?出典もなしにあれこれ言わない方がいいと思いますが。
そして古沢さんはこう言っています。
「僕はそもそも今残っている歴史はフィクションだと思っているところがあります。いま残っている歴史は、勝者が都合のいいように語り継いだものですから、どう解釈しても自由だと思っているんです」

本多正純が出てきました。
「イカサマ師の息子」呼ばわりを公式がしていますが、ただの侮辱にしか思えません。
家康の側近であれだけ知恵を出している設定なのに、未だに「イカサマ師」と正面きって息子に言いますかね。
冗談にせよ言われた方はどう思う?

武者さん、ちょっと前で
「将軍になる根拠として、なぜ『吾妻鏡』でも出さないのか? セットで進言すれば、この正信からだって多少は知性が見えたでしょう」
と書いておきながら、今度は
「家康の側近であれだけ知恵を出している設定」
と書いていますが、結局どちらが本当なのでしょうか。

それに正純ですが、
「父のような不埒な生き方を許さぬ」
などと言っていることから、父親がイカサマ師、一筋縄で行かない人物であることは息子としても知っていたでしょう。

ウケ狙いの言葉でスベるのも駄作の特徴と言えるでしょう。
井伊直政の「おいら」だって全く似合っていなかった。
そもそも戦国時代の一人称ではなく、江戸期以降に「俺」が訛って使われた東国の主語です。
考証を踏まえれば無茶苦茶ですが、それ以前の問題でもある。
「おいら」だの、「いかさま師」だの、そんな語彙がイケてる!と思っている時点で、センスがない。

「おいら」が似合っていたかいなかったかはともかく、あれは「おら」が訛ったものという説もあり、この「おら」は全国的に使われています。

己/おらの語源・由来
(語源由来辞典)

あと
「そんな語彙がイケてる」
これも誰かがそう言ったのですか?憶測でものを言わないで欲しいのですけど。これ、報酬を貰って書いているコラムですよね?

語彙力が低い=脳筋なら、このドラマそのものがそうなりますね。
過去に自分で「腹を召す」と使っていただけでなく、今週も「申されませ」と家臣が主人に使っていました。
誤った敬語の使い方は、現代社会でならまだ許容されるのかもしれませんが、大河ドラマで何度も起きて欲しくはなかったなぁ。

語彙力が低いだ脳筋だ、武者さんがこの大河にそうあってほしいという願望が込められているのでしょうね(苦笑)。
そしてこんな記事まで貼り付けてあります。
◆どうする家康:“脳筋キャラ”の限界露呈? 福島正則の「語彙力」に視聴者注目 最終的に「内府殿と共に!」繰り返す(→link)

しかしこの記事、最後に
「 『アイコンタクトが露骨だし、福島殿は語彙力がなさすぎるけど、人を扇動するのはノリと勢いなのよね』といった感想も書き込まれた」
とあり、さもありなんとは思います。

ところでこの「申されませ」ですが、本多忠勝の「包まず、申されませ」ですね。
申す(まうす)は元々丁寧語としての意味合いがあったとされています。こちらには
「これに対して「まうす」は、高い敬意を表して主として男性が改まった公的な場で用いた」
とありますから、この場合あながち間違いでもなさそうです。

戦国の古文書解読よく出る語彙・単語編 五十音順「ま」~「ん」
(raisoku.com)

そして久々?の「ポリアンナ症候群」。
何だか武者さん、ここで自分でポリアンナ症候群だと言っており、

もうポリアンナちゃんとでも対話しないとやってられません。
今週の“よかった探し”その一は……井伊直政の新規場面がなかったこと!
その二は……『大奥』により、井伊の名誉は保たれたこと!

結局のところ、板垣さんの井伊直政叩きがまだ続いているようです。と言うか、前回の関ケ原で負傷し、その1年半後に亡くなるのだから、仮に今回出るとしてもそう出番はなかったかと思われます。
そしてまた『大奥』がどうのこうの。

彼は声だけでも、美しくもおぞましい。善と悪と、光と影が常に入り混じっているようなニュアンスが出ている。
歴史的評価を踏まえると、どちらにも振り切らない。憎めないけれども愛せない。そういう複雑な光彩をもつ人物として、完璧な配役です。

好きな作品には優しいですね。
こういうところが、大河のみならず、ドラマのライターとしてふさわしいのかどうか、首をかしげたくなる部分でもあります。

余談ながら、『大奥』は観ていませんが、同じよしながふみさん原作の『きのう何食べた?』は毎回観ております。原作全て読んでいますし。次はシンガポールチキンライスが登場のようですね。

そして、

今回が退場となる家臣団は、頑張っていたと思いました。
ただし、残念だったのが加齢演技。せっかくの人気武将のお別れなのに、説明セリフを語らされては感慨も薄まるばかり。
もしかしたら主演の演技力に忖度しなければならない諸事情でもあったのでしょうか。
そんな諸事情を頭の片隅に入れて見るドラマなんて、ハッキリ申せば楽しくありません。

加齢演技と説明セリフて、何か関係がありますか。
そして毎度のことですが、この説明セリフとやらは何のことであるのか、それをちゃんと「説明」して貰えないものでしょうか。あれこもこれも説明セリフだ面白くないばかりで、何のこっちゃと正直思うのですが。

「もしかしたら主演の演技力に忖度しなければならない諸事情でもあったのでしょうか。
そんな諸事情を頭の片隅に入れて見るドラマなんて、ハッキリ申せば楽しくありません」
諸事情でもあったのでしょうかというのは仮定のはずですが、その次で急に断定表現になっていますね。

ドラマの流れは、劇中だけで完結すべきであって、補足説明や最新研究などを考慮しながら見ていられない。
視聴者の多くは関連書籍を購入してまで背景を読み取るなんてしないでしょう。

武者さん、昨年は大河コーナーに関連書籍があるとか、歴史雑誌に取り上げられている、だから素晴らしいなどといった意味のことを書いており、一昨年と今年はその逆だなどと今までも書いています。
しかしここで
「視聴者の多くは関連書籍を購入してまで背景を読み取るなんてしないでしょう」
何か矛盾していません?

「シン・大河」のセンスなんて知りませんて。
忖度をしなければ楽しめない。ポリアンナを探し続けなければ楽しめない……早く2024年が来て欲しい。

いつまで「シン・大河」などという、一部マスコミが作ったような言葉を使っているのでしょうか。そんなの公式は使っていないのですけど。朝ドラなどでもそうですが、自分で改変したのを事実であるかのように言うのも、武者さんの悪い癖だなとは思いますが。
「忖度をしなければ楽しめない。ポリアンナを探し続けなければ楽しめない」
それは武者さんがそう思っているだけで、こんなこと何もしなくても楽しんでいる人はいるのですが。

「早く2024年が来て欲しい」
もう11月も下旬だし、黙っていてもその内来ます。
それよりもはっきり言って、今後はもう今年の大河について書いてほしくないなと思ってしまいます。


飲み物‐黒ビールと木のテーブル
[ 2023/11/23 00:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第44回に関しての武将ジャパンの記事について-1

第44回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。しかしやはりもう書く気をなくしているのか、直近数回分に書いたことの焼き直しのような文章が見られます。


冒頭でそのシーンが回想されること自体はドラマとして不自然ではないかもしれません。
しかし、肝心の合戦映像がいつも同じ曇天で背景が白くなることには、どうしたことでしょうか。
同時に、しみじみと思います。
本物の馬がロケで駆け抜けない関ヶ原の戦いに意義はあるのでしょうか?
大河ドラマで乗馬ができないなんて単なるサボり。

特に関ケ原の戦い、午前は曇天だったのでこの設定は特におかしくありません。井伊直政も霧がかかっていると言っていたはずです。
まあ私は前にも書いていますが、曇天続きで、戦のない世の中になって晴れ渡るという設定もありかとは思いますが。

「本物の馬がロケで駆け抜けない関ヶ原の戦いに意義はあるのでしょうか」
小早川秀秋の裏切りで、騎馬武者が乗った本物の馬が怒涛の如く押し寄せている
戦闘のシーンでも本物の馬が登場している
この2つを見落としていませんか?

「大河ドラマで乗馬ができないなんて単なるサボり」
こちらも乗馬シーンです。まさかこれでサボりとは言いませんよね?

どうする家康第26回乗馬1-2
(『どうする家康』公式サイトより)

ドラマ10『大奥』の乗馬シーンと落差があまりに大きく、今回の大河制作陣がどういう方針で制作されているのか理解に苦しみます。
◆ドラマ10『大奥』家定役・愛希れいかが乗馬シーンで体感した“奇跡”(→link)

戦国時代の合戦と江戸時代の乗馬を同列に論じられるものでしょうか?だったら『大奥』だけ観ていればいい話です。

結局、干し柿がなかった三成の最期も回想され、やっぱり文春砲は正しかったのかな……と今週も思い起こさせられながら場面は変わり、戦の締めくくりとして、家康が大坂城へ。
茶々に挨拶すると、棒読み人形の秀頼が何だか語っています。この辺りで字幕をオンにした視聴者もいるかもしれません。
あいかわらず毛量が多く、化粧がキッツい茶々。
青年期と同じ発声の家康。
うるさい劇伴。
今週もまた何のドキドキもないコントのような劇が始まるのだと確信させられます。

そしてまたくどくどと文春砲ですね。こちらの方がうるさく感じられます。

「棒読み人形の秀頼」
幼君である秀頼はまだ世間話ができません。茶々が取って代わっていることもあり、最低限のことを喋っているだけと思われます。
そして毛量が多く化粧がキッツいと、北川さんの役作りを無視するかのような書き方。

「どうする家康」北川景子、茶々役で再登場!一人二役に「最後まで暴れ抜いてみようと」
(シネマトゥデイ)

「声の出し方や表情の作り方はもちろん、かつらの形や衣装も相談させてもらって、扮装の力も借りながら、お市とはまた違う、強さや危うさを併せ持った人にできればなと」

どうする背丈を刻むことで成長を表現
毎年正月になったら、秀頼の背丈を柱に削るってよ。
昭和の日本でもあったような既視感のある描写でしか成長を描けないなんて、トンチンカンな大河ドラマです。

江戸時代には既に、高位の人々の身長は測定されています(測定方法は不明)。
家康をはじめ歴代徳川将軍の身長もほぼわかっていますし、秀頼はかなりの高身長であったと伝わっています。そのため、身長を測ることは特におかしくありません。

あと昭和の日本云々は、「背くらべ」という歌のことでしょうが、あれの初出は大正時代です。

そして成長の証として、

「まだ幼いのにこの手習を見てくだされ。立派な字でしょう」
とでも、できないものでしょうか? 日本史だと、割と定番の描写だと思います。
(中略)
他にも、
「この歳でもう、四書五経を読みこなしました」
という表現も考えられるでしょう。『麒麟がくる』では、明智光秀の優秀さを示すセリフとしてありました。
(中略)
いずれにせよ秀頼の成長や賢さを表現するのであれば、もっと他に方法があったはずです。

武者さんはこのシーンをちゃんと観ていない、あるいは理解できていないと考えるべきでしょうか。
あの時、秀吉の身長もあの柱に刻み込まれていました。そして茶々は、
「あと10年もすれば太閤殿下に追いつこう。さすれば、太閤殿下の果たせなかった夢を、秀頼が果たすこともできましょう」
と言っており、秀頼の背丈が秀吉のそれを追い越すことで、かつての秀吉を超えてほしいと期待している様が窺えます。

本作の所作指導は本当にどうなっているのでしょう。
家康の歩き方が、後半になるにつれ、ますますひどくなっていませんか。老齢ながらに頂点へ立っていく人物の迫力が感じられません。

「ますますひどくなっていませんか」
何がどうひどくなっているのか、それを具体的に示してください。でないと、単に武者さんの主観でしかありません。

先週、井伊直政が堂々と「天下とったね!」と家康に向かって喜んでいました。
果たして家康は何がどう天下人なのか。
服装や所作を見ると浮かんでくることもある。もしも家康が秀頼を主君とみなしているのであれば、こんなラフな格好でやってこないでしょう。

この時家康は、確か秀頼よりも官位は上(正二位、秀頼は従二位)だったかと思います。秀忠は裃を着けていますが。
あと天下人については前にも書いていますが、ここでは秀頼のもとで政を行う人物のことですね。

堂々と尻を向けて出ていくはずもない。家康については【四之宮逆さ船】という伝説があります。
(中略)
実際にあったことかどうか、ではなく、当時の人々が如何に礼儀にこだわっていたか、この逸話からもわかるでしょう。
なんせ本作の家康は、秀頼と千姫の婚礼すら、立ったまま決めますからね。

四之宮逆さ船については長くなるので省きます。要は、家康が舟尻に座ったため、船頭が畏れ多いと船尾ではなく、船首に立って漕いだ話ですね。
で礼儀にこだわる云々、家康が尻を向けて出て行っているとありますが、家康は立った後そのまま数歩後ずさりし、廊下に出る時に秀頼と茶々に背中を向けています。最初から背中を向けていたわけではありません、ちゃんと観てください。

「秀頼と千姫の婚礼すら、立ったまま決めます」
この回にそういうシーンありましたか?
茶々は「太閤殿下のご遺言通りに」と言っており、あの場で決まったわけではありません。

一言でいえば雑。一体この家康は、どの時代を生きているのか。
しかも茶々が笑顔を豹変させ、あのメイクの濃い顔を歪めながら秀頼にこう言う。
「あの狸、決して信じるでないぞ」
見れば見るほど嫌になる……。

どの時代も何も、江戸幕府が成立する直前、安土桃山時代の最晩年に当たる時期を生きています。
そして茶々があの狸を信じるでないのが嫌と言うのは、武者さんの個人的感想に過ぎません。そういう個人的感情を、「仕事」に持ち込むべきなのでしょうか?

歩きながらヘラヘラと喋る秀忠は、それだけで十分に愚か。
上田攻めのことを取り上げなくても最初から「このバカではだめだ」となるでしょう。
家康がカッコつけた口調で「結婚は人質ってことだろうぜ!」とシリアスな口調になって、凄い思いつきでもしたかのような扱いが苦しいです。
当時はそういうものでしょ? ここは政略結婚がない世界ですか?

秀忠はこの時20代前半であり、その辺りがまだ見えていなかったと思われます。だからこそ家康も、秀忠に試練を与えなければならないと後で思ったのでしょう。
そして
「結婚は人質ってことだろうぜ!」
などと言っていませんけどね。
「早う人質をよこせと言っておるんじゃ」
ですね。
そしてこの時の家康はカッコつけではなく、秀頼と茶々の前で見せていた表情を引っ込め、本音でものを言っているわけです。縁組で両家の結びつきを喜ぶ秀忠に、千姫は人質だぞと釘をさしたわけでしょう。

正信も、つくづく、どうしようもない
本作の出来が悪いのは、何も家康一人の問題でもありません。
いつもの腹立たしい口調で「将軍になればぁ〜?」とか言いだす正信もひどい。
唐突で、根拠がないのです。
「関ヶ原の戦い」
の後は
「征夷大将軍」
だよね!
という日本人なら誰でも知っている教科書に沿っているだけで、その根拠は示されない。

「どうしようもない」しか武者さんは言えないのでしょうか。
かなり重要なことをずばりと言っていますね、正信は。豊臣家との付き合いが難しくなることを踏まえて、将軍になって幕府を開けばと促し、家康も自分は武家の棟梁となり、公家である豊臣との住み分けができると言っているわけです。
ちゃんと根拠がありますが?

結局、この大河は『鎌倉殿の13人』が投げたボールを受け止めきれていないんですね。
将軍になる根拠として、なぜ『吾妻鏡』でも出さないのか? セットで進言すれば、この正信からだって多少は知性が見えたでしょう。
せっかく三谷幸喜さんが投げてくれたボールを受け止められないとは、悲しさしかありません。

では『吾妻鏡』のどういう部分がヒントになると、武者さんは考えているのでしょうか。その具体例を示してください。そして
「この正信からだって多少は知性が見えた」
とあるのもどうかと思います。この人物はかなり知恵が回ると思いますが、武者さんは『吾妻鏡』や『貞観政要』などなど、自分が気に入る文献を読まない人物は、知性の面で劣ると思っているようですね。

「最終回にサプライズキャスティングするのが大河!」
って、そういうことじゃないでしょ。
今年の最終回に小栗旬さんを出すなんて、単なる恥の上塗りではありませんか。

なぜ「そういうことじゃないでしょうよ」なのですか?
なぜ恥の上塗りなのでしょうか?
とどのつまり、小栗さんが出るのが嫌なのだなとしかこちらは受け取れないのですが。

◆ 『どうする家康』に小栗旬が出演するとしたら誰を演じる? 有力視される“3つの可能性”(→link)
もしも小栗さんが登場するとしたら一体何の役を演じるのか?
記事ではこう示されています。
・伊達政宗
・天海
・徳川家光
個人的には徳川慶喜ですかね。さっぱりした顔で大政奉還して、幕臣や松平容保が困惑したらこう言わせる。
「だってさぁ、徳川家康だって、どうせクズだったんでしょ? だったらこんな幕府いらねーし」
しかし、このわけのわからない噂のせいで、文春砲の信憑性が増しているあたり、まったくもって逆効果とも思える。
◆松本潤『どうする家康』視聴率“大河ワースト2位”ほほ確実、盟友・小栗旬に最終回「直々オファー」情報も「プロデューサー気取り」文春パワハラ報道が再加熱(→link)

また週刊文春。過去に於いて「萬平ラーメン教」(まんぷく)呼ばわりをし、この大河に於いては「マザーセナ」と瀬名の考えをカルト呼ばわりしていた武者さん自身が、文春の熱烈なる信者であるわけですね。
そして歴代の徳川慶喜を演じた俳優さん、また慶喜公の子孫の方に対しても、随分と失礼な物言いであるかと思います。

七之助さんに続き、もしも小栗さんのキャスティングが行使されたら?
松本潤さんの意見が現場で強行され、すっかりプロデューサー気取り、と指摘していた文春砲がやっぱり正しかったのでは……となる。
それでも話題性だけのために小栗さんを起用するなんて、少しでも視聴率を上げたいのでしょうね。

貴方、そんなに文春について書きたいのなら、悪いことは言わないから大河のライターなど止めて、ゴシップか芸能の方に転向した方がいいと思いますよ。文章の質からしてそんな感じですし。
あと小栗さん関連でちょっと書きたいことがあるのですが、それはこの投稿の最後の部分にします。
それと『どうする家康』、タイムシフト視聴率や総合視聴率は割といいのですね。

オープニング変更は今回で何度目なのでしょう。
その度に御大層な記事が出たりしますが、元の曲からしてしっくり来ないため、いくらアレンジしたって視聴者の興味を惹くにはいたらない。

OP「変更」ではなく、この回限りのOPだったのですが、公式サイトをちゃんと見ていないようですね。
もう一度貼っておきます。

第44回だけのスペシャル・エディション! テーマ音楽&タイトルバック特別版
(『どうする家康』公式サイト)

で、その後
「坂本龍一さんが手掛けた『八重の桜』から10年で、よくここまで劣化したもので」
「大河はじめ東洋の時代劇は、伝統楽器を入れることがむしろ王道でしょう」
何だか既視感のある文章ですね。
特に2番目、この間も書きましたが、昨年の『鎌倉殿の13人』では『新世界より』が使われていましたが、武者さんはこれをどう考えているのでしょう。

大河のオープニングを聞いていて、怒りすら込み上げてきそうです。

勝手に怒っていてください。

テロップを無駄に遊んでSE入れながら年号を出すセンスは作り手の自己満足としか思えません。
背が伸びる柱と重ねるところも含めても、単に秀頼が大きくなっただけで、それ以上のことは見えてこない。
家康に警戒心を抱かせるような賢さを、秀頼に求めてはいけないんですかね。
『この秀頼なら何かやってくれそうだ!』と思わせてこそ、大坂の陣も盛り上がるハズ。

年号を出すことは、その時々での出来事を表しているのですが、それも理解できていないのでしょうか。
あと「家康に警戒心を抱かせるような賢さ」
それは次の回で出て来るはずですが、公式サイトを見ていないから予告も見ていないのでしょうね。

そして小栗さん関連です。
武者さん、小栗さんは好きだと思われますが、なぜ『かぞく』についての記述がないのでしょう。別に入れたくなければ入れなくてもいいのですが、やたら他作品を持ち込むことが好きなのに珍しいです。直近何回分かのスクショをチェックしましたが、紹介されていないようです。

ちなみにこれは映画作品ですが、都内2か所で上映されたのみで、後はAmazonプライムビデオの配信となっています。

『かぞく』公式サイト

内容としては、4人の男性の家族の喪失そして再生を描く作品となっています。出演は登場順に
吉沢亮さん
永瀬正敏さん
小栗旬さん
阿部進之介さん
です。

まさかとは思いますが、吉沢さんが『青天を衝け』で主演だったからなんてことはありませんよね?
あと阿部さんも『どうする家康』の黒田長政役、そして『軍師官兵衛』(こちらも武者さんが好きではない)の加藤清正役ですが、嫌いな作品に出ているから、紹介しないと言うわけにも行かないでしょう。

そしてこの作品、11月24日から200か国に向けて発信のようです。武者さんは海外の作品を重視する傾向がありますが、こういう日本発のコンテンツが海外に向けて発信されるのにも、もう少し注目しては如何かと思ってしまいます。


飲み物-ホットワイン2
[ 2023/11/22 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第43回の『どうする家康』武将ジャパンコラムに関するnote記事

全国的に荒れた天気だったようです。風が強く、冬並みの気温に下がった所も多かったのではないでしょうか。しかし天候とは気まぐれなもので、来週はまた気温が上がる地域もあるようなので、体調管理にお気をつけください。
さて、今週もtaketak39460607さんのnote記事からいくつかご紹介です。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第43回~
https://note.com/taketak39460607/n/n49022feb6278

尚いつものように、武者さんのコラムの引用部分はダークブルーです。

干し柿エピソードが無いってことは文春砲の記事は否定できず?

このnoteではまず干し柿関連の逸話は、『明良洪範』という逸話集によるものとあります。そして文春記事で、柿のエピソードが削られたのが、松本潤さんの意向によるものとあって、あたかも事実のように吹聴していることに関して、関係者に裏を取ったのかとありますね。

三成公が京都の町を引廻されている最中に水が飲みたくなったので、警護の者に伝えたところ、水がなかったので干し柿を差出された。
三成公は「痰の毒であるから食べない」と言って断った。
「間もなく首を刎ねられる人が毒を断つのはおかしい」と笑われたが、三成公は「そなた達小物には分からないだろうが、大義を思う者は、首をはねられる瞬間まで命を大事にするものだ、それは何とかして本望を達したいと思うから」であると答えた。
『明良洪範』

そしてカットされた理由について、taketak39460607さんも、
「捕縛された三成さんと家康さまとの大津城での対面(9月23日)を重視したのではないでしょうか」
と指摘しています。
そして大谷吉継が柿を手土産に持参した件は、横浜一庵という武士から柿100個が送られた際の礼状に、「拙者好物御存知候(私の好物をよくご存知ですね)」と書いている逸話が紹介されています。ちなみにこの横浜一庵という人物は、豊臣秀長の家臣であったと伝わっています。

また柿伝説は他の文献にもありますが、実際これは創作または俗説とみなされているようです。元々三成は柿好きであったとも言われており、『真田丸』では柿が送られて来たからと細川忠興にあげたところ、逆に怒らせてしまっていました。

そして慶長5年(1600年)9月14日へ。
「関ヶ原の戦いは取捨選択が大事」とは申し上げましたが、本作はあまりにもすっ飛ばしすぎたため、何の感慨もないままオープニングに入ります。
オープニングテーマも、アニメも、何も心に響かない。

この点に関しても、本作がすっ飛ばし過ぎたのではなく、武者さんが誹謗中傷のための視聴に終始しており、内容をろくに観ていないのではないかと指摘されています。そして調べればすぐわかる歴史的事項にケチをつけ、歴史系レビュアーを名乗りながら、何の解説も加えていないから、心に響かないのではないかともあります。
そして、実際には以下のようなことが描かれていたことが挙げられています。

  • 上杉景勝公による国元での動きとそれを詰問する徳川方、それに反発する直江状と上杉征伐。
  • 真田昌幸公・信繁公親子の西軍入りと稲さんによる沼田城入城拒否。
  • 東軍の北上の隙を突いた西軍の挙兵と『内府違いの条々』の流布。
  • 大坂の東軍諸将の妻子が人質に取られる
  • 東軍による小山評定と西上。
  • 第二次上田合戦
  • 伏見城落城
  • 福島正則公が岐阜城を攻め落とし西軍のいる大垣城に迫り、秀忠さまの本隊が着く前に戦が始まる恐れがある。(福島・黒田の協力確実)
  • 真田の策にはまった秀忠さまの大遅刻決定
  • 西軍が真田の足止めを知り『大きな蜘蛛の巣』を張り決戦は関ケ原と決める。
  • 東軍も西軍の動きを見て関ヶ原で雌雄を決する策に乗る
  • 関ケ原合戦(43話)
  • また関ヶ原本戦に至るまでの東軍・西軍の動きは第42話で紹介。

武者さん、こういうのを確かに目にしているはずなのですけどね。私も関連投稿で書いていますが、第41回及び42回のコラムにしても、ちゃんと観た人の書き方ではありませんね。

そして今回特に気になった、板垣李光人さん演じる井伊直政を叩く記述。

あんなヒョロヒョロした体で甲冑を着られるか!
失望感を通り越し、絶望感ばかりが募る井伊直政。
腕も白く細いヒョロ政に、本物の島津が突撃したら瞬時に擦りおろしてしまうでしょう。
赤鬼どころか、とにかく弱々しい。
たった一言のセリフですら腹から声が出ておらず、どうしてここまで酷いのか……と、唖然とするしかありません。
(中略)

ここでは『たった一言のセリフ』とはどこの場面のどんなセリフなのか、具体的に提示してほしいとあり、出陣前に一人称が「おいら」に戻ったことを言っているのであれば、直政が相槌を打つ家康に礼を述べたシーンになるが、家康の前であり、特に腹から声を出す必要もないことと書かれています。

そして『あんなヒョロヒョロした体』『失望感を通り越し、絶望感ばかり』『腕も白く細いヒョロ政』の記述に関して。
線の細さが嫌というのは個人の好みの問題で、それを盾に板垣さんの容姿を『腕も白く細い』『失望』『絶望』などと侮辱するのは、人の価値を外見だけで測る差別的な考え方だという指摘があります。尚板垣さん自身は、赤備えの甲冑についてこうコメントしていると、『スポニチアネックス』の記事が引用されています。

実際に鮮やかな陣羽織と真っ赤な甲冑を着用し、武田の残党を率いて声を上げるシーンは、これまでの直政の人生を思うと感慨深かったですし、僕自身の高揚感も重なったように思います。でも、甲冑はかなり重みもあるので、撮影で1日中着用していると地面に沈んでいくような感覚になりました(笑)。

本作は甲冑の重さや、制限される関節の動きを度外視しています。
甲冑をつけていては絶対にできないような動きをしてしまう。
甲冑の防御性能すらわかっていないのか、着ているところに刀身をぶつけにいく間抜けさも健在。
そんなことしたら刀が折れるだけですよ!

これに関しても『甲冑の重さや、制限される関節の動きを度外視した甲冑をつけていては絶対にできないような動き』とはどんな動きであるのか、具体的にどういう場面のどんな動きであるかと疑問が呈されています。そして実用的な当世具足の重量は15~20キロであること(金陀美具足は11キロらしい)、雑兵や足軽のような武装ならもっと軽いこと、そして動きやすいことについて触れられています。その一方で、西洋のフルプレートアーマーのように全身を覆うものではなく、装甲の薄い首まわり、脇や太腿は、組み打ちすることで狙えることなどが書かれており、そのための方法としては、相手を押し倒す方法、長槍で上から叩く方法(槍衾を作る)、刀の打撃を槍の柄で止める、近接戦で敵の急所である首筋の頸動脈などがあると説明されています。

またこちらのサイトも紹介されています。

具足櫓 (http://gusokuyagura.o.oo7.jp/omosa.html)
日本武士と西洋騎士の鎧・甲冑の防御力と重量と動きやすさ (stonewashersjournal.com)

2番目のサイトは、私も武将ジャパン関連投稿でご紹介しています。

そしてまたも干し柿関連の文春記事に関して。

死を前にしても三成の毅然とした態度を表すエピソード――干し柿の話は、後世の創作とかなんとか、そういう問題ではありません。
10月の週刊文春に掲載されていた文春砲の中身が正しいかどうか。
この干し柿が一つの審査基準となっていたのです。
(中略)
文春砲曰く「松本潤さんがやりたがらなかった」とのことで、それを親友の七之助さんは承諾した、というものです。
干し柿エピソードは三成の意志の強さが表される見せ場の一つであり、役者としては演じたい場面でしょう。
ゆえに私は注目していました。
もしも干し柿のエピソードが出たら、文春砲はデマということになりかねない。
結果、干し柿は……出ていません。

これについても例の干し柿関連逸話は創作であり、三成と家康の大津城での対面が重視されたのではないかとあります。さらにドラマの制作は脚本が絶対ではなく、現場でのアドリブ提案や日程の都合などで変化することもあり、当の出演者も、自身の意見としてアドリブを入れたり、構成を変えるなどの裏話についての記述があります。
(小手伸也さんがその代表格でしょう)

にもかかわらず、『干し柿が一つの審査基準』『文春に「松本潤さんがやりたがらなかった」と載っていたから』『役者としては演じたいに違いないのに』とあり、本来は「干し柿エピなかったね」で済むのに、史料の精査もなく週刊誌記事のみを論拠としている武者さんの姿勢に、これまた疑問が呈されていますね。
「一視聴者の貴方の妄想や我がままで勝手に変えられるわけではないですし、制作側の意向が反映されるのは当たり前です」

そして井伊直政の天突脇立兜に関して、

ペンキを塗ったばかりのような赤い兜に、天井の白い照明が点々と反映していて、スタジオ撮影だなって丸わかり。

と武者さんは書いているわけですが、taketak39460607さんの記事では、この兜が登場した『おんな城主直虎』、『西郷どん』(こちらでは、赤備えの前に井伊直弼が座っています)の画像もあり、「ペンキを塗ったばかりとは」と呆れられていますね。赤備えが始めて登場した時も、武者さんは似たようなことを書いていたかと思います。

また白く見えるのは、兜の元々の光沢か光の反射の具合もあるのではないでしょうか。

さらに、松本さんが写真集を出版し、展覧会を開催するのがお気に召さない件。

ソロ写真集を出し、展覧会を開催する今年の主演とは大違いでは?

松本潤さんの写真集は書籍説明に
『松本潤個人としては初の写真集。主演を務める大河ドラマ『どうする家康』の撮影が開
始されて間もない、松本39歳の誕生日から、2023年10月26日のクランクアップまでの、約1年2か月間にわたる日々の記録。』
とあること、初となる展覧会『JUN MATSUMOTO EXHIBITION「PERSPECTIVE ‐時をつなぐ眼差し‐」』は、松本さん自身が選んだ、6人のクリエイターとのコラボレーションでを通して、松本さんが得た”言葉と視点”を体感する展覧会であることが説明されています。
そしてこれは大河ドラマを楽しんでくれたファンや視聴者のためのものであること、このイベントを楽しみたい人が申し込めばいいこと、それを踏み込んできてネチネチと論って叩き続ける方が迷惑だと書かれています。同感です。

あとこの武者さんのコラムには、『青天を衝け』の殺陣について「あれも酷かった、水戸藩士が薩摩ジゲン流特有の猿叫をしたり」という記述があることを、私の関連投稿でご紹介しています。しかし武者さんは、どうも薩摩藩士が襲撃に参加したことを知っているようです。実はこのnoteで以下のコラムが紹介されているのですが、

桜田門外の変と意外な事実~井伊の首を取ったのは薩摩藩士だった - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) - 3ページ
https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2023/03/02/110050/3

薩摩藩士有村次左衛門が、井伊直弼の襲撃に加わっていたことがはっきりと書かれています。しかもこれは今年の3月の記事ですから、第43回コラム執筆当時は、当然わかっていたはずなのですが。

飲み物-ワインと暖炉の火
[ 2023/11/19 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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