今回はこの1999年のワールドカップに於ける、メディアのあり方に関してです。まず大会前、ラグビーメディアはこぞって平尾ジャパンを讃えました。いささか持ち上げ過ぎではないかとさえ思っていました。やはり1995年大会で、事前にやけに期待を煽るような報道があり、1勝もできずリーグ戦敗退、さらにニュージーランド戦の145失点があってからは、ラグビー関連メディアは、手のひらを返したようにあれこれ批判しまくりとなりました。
今回もそうなるかもしれないという不安はありました。しかし1995年大会とは違い、サモアあるいはアルゼンチンには勝てるかもしれないと、まだ一縷の望みをつないではいました。しかし既に述べましたように、日本は1勝もできませんでした。ここに来て、またメディアは態度を一変させることになります。専門誌はその後、平尾ジャパンの検証記事を連載しましたが、「期待が大きかった分、失望もまた大きかった」と、当該記事の冒頭に記していました。
しかし期待を煽ったその一因は、当然メディアにもありました。1995年大会時と変わらなかったのは
大会前の行け行けどんどん
敗退後の手のひら返し
この2点です。強化体制や対戦国が違った分、全く同じとは言えなかったものの、大会後の強化陣に対する姿勢には、何らかの既視感を覚えずにはいられませんでした。
本来大会前にも欠点があればそれを指摘し、敗退後にも称賛するべき点があれば、それについて言及するのがメディアの仕事であり、それでもなお代表を応援するファンがつくというのが、本来のあり方でしょう。事前に煽るのは、大会に関心を向けさせるでもあるのでしょうが、そうまでしないと関心が向かないというのも、また妙なものです。95年、99年と続いたこのメディアの姿勢は、ラグビーメディアのみならず、日本ラグビーフットボール協会の姿勢にも疑問を抱かせました。
ならば、協会の姿勢をも含めた代表強化の在り方をも含めて、きちんと議論するのであればまだわかるのですが、実際はそうではありませんでした。この代表批判の多くは、平尾氏をはじめとする強化陣に向けられていました。無論強化の責任者であること、しかも大会中に曖昧なコメントに終始していたことから、勢い矢面に立たざるを得なかった部分はあります。しかしそれが昂じて、安易な強化陣叩きに変わっていった部分もあります。
要はワールドカップの代表チームの敗退、勝利させられなかった原因を客観的に探るべきだったのが、いつの間にか
「他国のプレイを引き合いに出した監督批判」
これにすり替わっていった感もあります。実際この時の「他国を見習え」の表現もちょっとどうかと思いました。これに関しては次に書きたいと思います。
無論すべての記者がそうだったわけではありません。JSPORTSの解説も務めていて、このブログでも時々紹介している村上晃一氏、あるいは小林深緑郎氏などは違っていましたし、また代表強化陣批判をしていた記者の中にも、温度差があったのも事実です。また専門誌と『ナンバー』のような専門誌、あるいは記者個人の著書などでは、同じ事柄を取り上げていても、当然というか、表現方法にいくらかの違いが見られました。
この平尾ジャパンは、1995年の大会後、短期スパンで監督が交代し、そのため強化がまだ安定していないこともありました。一方で選手はかなりモチベーションが高く、それなりの技を持った選手もいました。また前年のアルゼンチン戦、そしてワールドカップ直前のパシフィックリムなどで、前出のように1勝はできるかもしれないとは思っていましたが、いつの間にかメディアの中で、予想が勝手に盛り上がって行ったふしもあります。