2018年10月20日、平尾誠二氏逝去から2年後に、神戸製鋼はトップリーグのレッドカンファレンスを1位通過しました。それについては、また後ほどアップします。そういう日に書くべきか迷いましたが、メディア関連でもあるので書いておきます。
日本ラグビーフットボール協会もそうですが、ラグビーメディアも多分に大学ラグビー贔屓なところはあります。もう10年以上前になりますが、専門誌が同じ大学の選手を3か月続けて表紙に起用したことがあります。流石に月ごとに違う選手ではありましたが、代表シーズンも近くなっているのに、これはないだろうと思いました。ラグビーブームが起こった80年代も、元々は大学ベースで、それに社会人(現トップリーグ)が頭角を表しつつあった時代でした。こういう社会人チームの代表格が新日鉄釜石であり、神戸製鋼であったのです。共に強豪でしたが、神戸製鋼が社会人王者の時代になると、大学との差がかなり目立つようになっていました。
この当時は社会人王者と学生王者の一発勝負が、日本選手権でした。一発勝負、しかもコイントスの代わりにじゃんけんという奇妙な「選手権」でしたが、ともあれこの頃既に、社会人ラグビーが注目を浴びつつあったのです。そしてかつて釜石に在籍した小藪氏と、神戸製鋼に在籍した平尾氏は、共に日本代表の監督を務めました。小藪氏が監督の1995年ワールドカップで、日本は145失点でオールブラックスに完敗します。しかしこの時はまだ、ワールドカップ後の反省などといった記事は、そう大々的ではありませんでした。代表強化への批判はありましたが、代表チーム強化への批判が高まったのは、1999年大会後の方でした。無論この時も、批判されても仕方がない事情はありました。
これは平尾氏関連で書いて来ましたが、直前まで好調だったのに本番でそれが発揮できなかったこと、選手起用や、チームとしての結束に問題があったことなど、いくつか挙げられます。しかし、どうもメディアは平尾氏にいい印象を抱いていなかったのではないか、そう取れることもあります。神戸製鋼が上昇気流に乗ると同時に、大学ラグビーとの力の差が明らかになり、ラグビー即ち社会人という雰囲気が出来つつあったのは事実でしょう。しかも1990年代後半から、大学との一発勝負がなくなり、日本選手権が再編されるようになりました。
さらにその前からですが、神戸製鋼の外国人選手に、ワラビーズ(オーストラリア代表)のウィリアムス選手がいて、それを日本ラグビー界や協会がよく思っていないと言われたこともあったようです。あくまでも推測ですが、そして釜石もある意味そうでしたが、協会や一部メディアには、神戸製鋼により、大学の地位が引き下げられたように見えたのかもしれません。ただし社会人という、20代から30代の選手が中心のリーグが注目されるのは、他国の例で見ればきわめて自然なことです。むしろ80年代の日本のように、大学の方がもてはやされていたことの方が、特殊であったともいえます。
日本協会にしてみれば、自分たちがお金を出さずとも選手を強化してくれる大学は、ありがたい存在なのかも知れません。しかしこの考えには、いささか賛同しかねます。ビジネスがお世辞にもうまいとはいえない、またガバナンス、組織構成員主体の意思決定も如何なものかと思わざるを得ない、日本ラグビーフットボール協会らしい考えともいえます。池田純氏(サンウルブズCBO、日本協会元理事)の辞任に見るように、内部がさほど変わる様子を見せないようでは、協会は叩かれても仕方がないでしょう。
尚池田氏が辞任した際の記事はこちらにあります。本来協会もこれに対して釈明を行うべきですが、生憎それに類した記事は見つかりませんでした。
彼らは「改革」など望んでいなかった。私はなぜラグビー協会を辞めるのか。
https://number.bunshun.jp/articles/-/830359(NumberWeb)
また協会理事の岩渕健輔氏と池田氏の対談の様子の画像、及び池田氏関連の記事が、こちらに掲載されています。
「常識を疑ってかかることが大切」岩渕健輔氏(日本ラグビーフットボール協会 理事/ラグビー日本代表男女7人制総監督)
(VICTORY)
何はともあれ、この協会が来年のワールドカップで、ポカをやらないことを望んでいます。そして次期会長は、この岩渕氏でいいのではないかとも考えています。