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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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西郷どん第36回「慶喜の首」

新政府軍は大坂へ軍を進め、大坂からやって来た旧幕府軍と鳥羽と伏見でぶつかります。これにより鳥羽伏見の戦いが起こります。錦の御旗を掲げ、勢いづく新政府軍と対照的に、旧幕府軍は劣勢となり、徳川慶喜は密かに江戸へ発ちます。

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徳川慶喜は京から大坂へ逃げ、旧幕府軍を大阪から京へ進ませる。そして新政府軍と鳥羽・伏見で衝突し、戦闘となった。所謂鳥羽伏見の戦いである。新政府軍は旧幕府軍の前に劣勢となる。大久保一蔵からそれを聞いた岩倉具視は、あれの出番やと言う。それは一蔵がおゆうや他の女たちに作らせていた、錦の御旗だった。これが戦場に出て来たことで旧幕府軍は戦意を喪失し、逃げ出す。大坂まで追えと命じる吉之助だが、弟の信吾が弾に当たって負傷する。信吾は重傷だった。薩摩藩本陣の相国寺にいたお虎は吉之助に戻るように頼むが、小兵衛はまだ戦を続けていると言う。そして味方劣勢を知らされた徳川慶喜は、負傷兵から陣頭指揮を依頼される。

その後津藩が寝返ったという知らせが届き、軍議中の吉之助は村田新八や中村半次郎に、信吾の所へ行くように勧められるが、私情を挟むべきではないと吉之助は拒否する。慶喜の許へは味方の裏切りが報告され、また錦の御旗に刃を向けられず戸惑う兵もいた。こうなった以上は籠城をと言われ、慶喜もそれに応じる。慶喜は家臣の前で叫ぶ。
「余は戦う!余についてこい!」
しかし戦が始まって4日目の慶応4(1868)年1月6日、慶喜と側近、そしてふきは密かに大坂を抜け出した。この慶喜出奔の知らせは吉之助にもたらされた。これで実質的に新政府軍の勝利となる。

信吾の容体悪化が知らされたが、吉之助はこれから御所へ行って、慶喜討伐の勅許を受け取るつもりだった。小兵衛やお虎は信吾を案じる。同じ頃開陽丸は嵐の中を江戸へ向かっていた。激しく揺れる艦内でふきは一人笑っていた。慶喜様にも私にも罰が当たったのだ、もうすぐ海の藻屑とやらにと言うふきに慶喜は苛立つ。一行は江戸へ帰りつくものの、そこへ勝海舟が入って来る。勝はずけずけと、戦に負けたのも徳川の名を貶めたのもあんたのせいだと放言する。そこへふきが進み出て、あなたは西郷様から逃げただけ、西郷様に謝ればいいではないかと慶喜に進言する。慶喜はまたもふきに苛立ち、二度とその面を見せるな、失せやがれと言葉を荒げる。ふきはその場を去り、勝は慶喜に
「哀れだね、あんた」
と声をかける。

一方京では薩摩兵がいる相国寺に、大久保一蔵に連れられてイギリス人医師のウィリアム・ウィリスがやって来る、見慣れない異人に一同は戸惑うが、ウィリスは日本語で自分は医者だと言い、信吾を始め負傷兵の手術を行う。目を覚ました信吾に一蔵は、吉之助が慶喜追討の勅許を得たと話す。兄が鬼になってしまったと思っている信吾だが、実は一蔵からウィリスのことを聞き、信吾を始め負傷兵のために、京へ異人を入れるよう取り計らったのは吉之助だった。しかも天皇へ直訴までしてしていたのである。この年の2月、吉之助は東征を行うべく江戸へ発つ。まだ完全に回復していない信吾もそれに同行することになった。兄の覚悟を自分の目で確かめたかったのである。

そして駿府の新政府軍大総督府では、大総督である有栖川熾仁親王宛てに、江戸の寛永寺の宮様や徳川慶勝から進軍を押しとどめるように、そして静寛院宮(和宮)からは、慶喜は幕府に恭順している旨の文が届いていた。しかし吉之助はここで手を緩めるべきではないと言う。宇和島藩士林玖十郎は、既に慶喜は恭順していると反論するが、ならば兵器弾薬軍艦一切を引き渡し、慶喜は死を賭して我らが軍門に下るべきと吉之助。さらにたかが紙切れ一枚でと言い、先の御台所に不敬といわれるも、慶喜討伐は天子様の命令であると言う。結局官軍の江戸総攻撃は3月15日と決まった。

寛永寺で謹慎中の慶喜を勝海舟が訪ね、新政府軍の進撃を伝える。自分は天子様の許しを待つ身と言う慶喜に、彼らはあなたの首を狙っている、幕府歩兵を使って相手と戦うよう促す。それでは日本は異国の手に落ちると慶喜は答える。お父上の前だからそう申されているのかと勝は尋ねる。慶喜の前には、父斉昭の「尊攘」の揮毫が掲げられていた。勝は旧幕臣の山岡鉄舟を駿河へ向かわせる。大総督府へ入った山岡は堂々と名を名乗り、吉之助に会って勝の文を渡す。慶喜の天子様への忠誠は真であると言い、江戸行きを促すが、吉之助は頑なに拒む。山岡は戦うことになると、勝とも矛を交えることになると言うが、吉之助は妥協しなかった。

そこで山岡は腹を切ろうとし、この命に代えて、天子様に我らの願いを伝えてくれと言う。なぜそこまでするのかと問う吉之助に、山岡は答える。
「侍が主を信じられなくなったら、それはもう侍ではございますまい」
山岡の思いを察した吉之助は江戸行きを承諾し、進軍を止めさせる。先に江戸へ入った吉之助たちは、薩摩が大戦を仕掛けると恐れられていることに気づく。そこへやって来た初老の女がいた。それは幾島で、吉之助に会いに薩摩藩邸を訪ねていたのである。吉之助は護衛の者に変装して江戸城へ入り、12年ぶりに天璋院となった篤姫と再会する。

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まず先日書いていた白熊(はぐま)の件です。他にも赤熊(しゃぐま)、黒熊(こぐま)がありますが、これらは江戸開城後、官軍の兵士たちが江戸城に保管されていた物をかぶって戊辰戦争に臨んだ、従って鳥羽伏見の時はまだない、また藩によって色分けされていたというのが通説になっています。村田新八の格好が気になったので、いくつかネット検索したのですが、正しいか否かはともかく、以下のような説があることがわかりました。
なぜこの風俗が始まったのか定かではない
藩ごとの色分け(白熊=長州、黒熊=薩摩、赤熊=土佐)というのは俗説
戊辰戦争前に存在したかもしれない
また浅川道夫氏の説によれば、薩摩は白熊で、黒熊は鳥取藩の山国隊であり、村田の格好はこれらの説を踏まえた設定と取れなくもありません。なお文献は書籍中心で、「倒幕軍 武士 赤熊」で検索すると、当該文献がヒットするはずです。

そして慶喜とふき。前回も書きましたが、側女とはいえふきは武家や公家の姫ではなく、農民から飯盛女となり、慶喜に落籍(ひか)せてもらった人物です。従って姫君のような婉曲的な表現をすることはありません。また飯盛女時代に、様々な客を自分で見て来てもいるはずです。慶喜に対して直言するのは、明らかに彼女のこういう前歴も関わっているでしょうし、また開陽丸での慶喜とフキのやり取りは、明らかにヒー様とおよしのそれでした。しかし江戸で鰻が出て来るとは、吉之助の影響でしょうか。尤も鰻は冬の方が旬といわれていますので、身一つで帰って来た先の将軍とその家臣にふるまうのは、あながち間違いではないかもしれません。

もう一つ慶喜絡みです。寛永寺の慶喜を勝海舟が訪ねて来て、新政府軍と戦うように勧めます。しかしこの時慶喜は、それをすれば日本が外国の手に落ちると言います。あのロッシュに頼っていて、吉之助に言わせれば「日本を売ろうとして」いた慶喜がです。しかも父斉昭の「尊攘」の揮毫の前でそう言ったのですから、これが慶喜の意思と考えていいでしょう。後述する、大坂城の家康の馬印の前での発言とはかなりの違いです。そして慶喜がこれを口にした後は、勝は「上様」と慶喜を呼び、山岡鉄舟(鉄太郎)を駿府へやることになります。

さらにその駿府の新政府軍大総督府関連です。有栖川宮熾仁親王は、この新政府軍の大総督で、しかも自ら志願してのものでした。ちなみに熾仁親王は、大政奉還前は一会桑政権から糾弾され、明治天皇践祚の後に謹慎を解かれています。しかもこの時静寛院宮と呼ばれている和宮親子内親王と、かつては婚約していました。それを思うと、熾仁親王の心中も察せられるような気がします。また寛永寺の宮様とは公現入道親王(後の北白川宮能久親王)のことで、寛永寺は3世から15世まで皇族が貫主を務めていました。

尚この中で、吉之助がたかが紙切れ一枚と言い放ち、先の将軍御台所に無礼だと林玖十郎にたしなめられますが、吉之助は、この東征は勅許を得ていると切り返します。この林玖十郎(通顕)は宇和島藩士で、後に得能亜斯登(とくのうあすと)と改名しています。この紙切れ一枚と言うセリフと、錦の御旗により旧幕府軍の士気が下がった時に、旧幕府側の松平定敬が、錦の御旗をいかがわしいと言うのと何やら呼応し合っているようにも見えます。無論慶喜側は新政府側のような勅許もなく、慶喜は家臣の手前「余は戦う」と言うしかなかったのですが、家康の馬印の前でのこの言葉は、その後すぐに裏切られてしまいます。

それからウィリアム・ウィリス、かなり前に『維新の港の英人たち』という本で目にした覚えがありますが、あるいはうろ覚えかもしれません。この本は、かつて駐日英国大使を務めたヒュー・コータッツィ氏(サー・ヒュー・コータッツィ)の著作で、この方は他にも色々な著作をものしています。この方の著作、そしてウィリスの手術などについて書きたいのですが、既に長々と書いていますので、それはまた日を改めることにします。

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[ 2018/09/25 00:30 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)
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まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

実は『いだてん~東京オリムピック噺~』を観なくなったので、再び『西郷どん』復習の投稿をアップしています。関連文献もまた読もうかと考えていますし、BSで再放送中の『葵 徳川三代』の再放送も観ています。そしてパペットホームズの続編ですが、これは是非とも三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、『相棒』をはじめとする刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、いよいよ日本でのワールドカップの年です。今季は代表下部チームとの兼ね合いもあり、スーパーラグビーでは今一つでしたが、ワールドカップでのベスト8成るでしょうか。

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