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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  2018年09月

2018-19トップリーグ第3節 続き

それからトップリーグ第3節、先週アップした分以外の試合の寸評です。

コカ・コーラ-リコー
コカ・コーラが相手に反撃する場面も見られたが、プレーがやはり今一つ。後半になってリコーが得点を重ねるというありがちなパターン。リコー相手ならせめてホームで勝利するべきでしょう。それと、コンバージョンが長引いて失格になるようなミスは禁物です。

パナソニック-東芝
家電対決でかなり競った面白い試合。パナが試合をリードしてはいたものの、反則によるトライ抹消もありました。東芝は終盤でキンちゃんこと大野選手が登場しました。もはや大ベテランですが、モールの核としてはまだまだ健在です。

サントリーー神戸製鋼
優勝候補同士の試合。この試合の見どころはやはりダン・カーターに尽きますが、サントリーのカウンターも評価したいところです。ただしキックはカーターよりも、ヘイデン・パーカーの方が精度がいいのもまた事実かと。

宗像サニックス-NEC
サニックスは前半劣勢も後半で得点を重ね、NECに追い付くかに見えたが結局9点差で試合終了。いつも思うのですが、負けるのならボーナスポイントを得るような負け方でないと意味がありません。ただ相手のシンビンで5点追加したのは評価できます。

豊田自動織機-NTTコム
前半はNTTコムペース、後半は織機も勢いを挙げてトライを挙げるも、取られたらすぐ取り返されるパターン。前半の失点も響きました。また豊田自動織機に限らずですがが、マイボールラインアウトを取られてトライに結び付けられるのはリスクが大きいですね。

飲み物-黒ビール
[ 2018/09/25 00:45 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

西郷どん第36回「慶喜の首」

新政府軍は大坂へ軍を進め、大坂からやって来た旧幕府軍と鳥羽と伏見でぶつかります。これにより鳥羽伏見の戦いが起こります。錦の御旗を掲げ、勢いづく新政府軍と対照的に、旧幕府軍は劣勢となり、徳川慶喜は密かに江戸へ発ちます。

***********************

徳川慶喜は京から大坂へ逃げ、旧幕府軍を大阪から京へ進ませる。そして新政府軍と鳥羽・伏見で衝突し、戦闘となった。所謂鳥羽伏見の戦いである。新政府軍は旧幕府軍の前に劣勢となる。大久保一蔵からそれを聞いた岩倉具視は、あれの出番やと言う。それは一蔵がおゆうや他の女たちに作らせていた、錦の御旗だった。これが戦場に出て来たことで旧幕府軍は戦意を喪失し、逃げ出す。大坂まで追えと命じる吉之助だが、弟の信吾が弾に当たって負傷する。信吾は重傷だった。薩摩藩本陣の相国寺にいたお虎は吉之助に戻るように頼むが、小兵衛はまだ戦を続けていると言う。そして味方劣勢を知らされた徳川慶喜は、負傷兵から陣頭指揮を依頼される。

その後津藩が寝返ったという知らせが届き、軍議中の吉之助は村田新八や中村半次郎に、信吾の所へ行くように勧められるが、私情を挟むべきではないと吉之助は拒否する。慶喜の許へは味方の裏切りが報告され、また錦の御旗に刃を向けられず戸惑う兵もいた。こうなった以上は籠城をと言われ、慶喜もそれに応じる。慶喜は家臣の前で叫ぶ。
「余は戦う!余についてこい!」
しかし戦が始まって4日目の慶応4(1868)年1月6日、慶喜と側近、そしてふきは密かに大坂を抜け出した。この慶喜出奔の知らせは吉之助にもたらされた。これで実質的に新政府軍の勝利となる。

信吾の容体悪化が知らされたが、吉之助はこれから御所へ行って、慶喜討伐の勅許を受け取るつもりだった。小兵衛やお虎は信吾を案じる。同じ頃開陽丸は嵐の中を江戸へ向かっていた。激しく揺れる艦内でふきは一人笑っていた。慶喜様にも私にも罰が当たったのだ、もうすぐ海の藻屑とやらにと言うふきに慶喜は苛立つ。一行は江戸へ帰りつくものの、そこへ勝海舟が入って来る。勝はずけずけと、戦に負けたのも徳川の名を貶めたのもあんたのせいだと放言する。そこへふきが進み出て、あなたは西郷様から逃げただけ、西郷様に謝ればいいではないかと慶喜に進言する。慶喜はまたもふきに苛立ち、二度とその面を見せるな、失せやがれと言葉を荒げる。ふきはその場を去り、勝は慶喜に
「哀れだね、あんた」
と声をかける。

一方京では薩摩兵がいる相国寺に、大久保一蔵に連れられてイギリス人医師のウィリアム・ウィリスがやって来る、見慣れない異人に一同は戸惑うが、ウィリスは日本語で自分は医者だと言い、信吾を始め負傷兵の手術を行う。目を覚ました信吾に一蔵は、吉之助が慶喜追討の勅許を得たと話す。兄が鬼になってしまったと思っている信吾だが、実は一蔵からウィリスのことを聞き、信吾を始め負傷兵のために、京へ異人を入れるよう取り計らったのは吉之助だった。しかも天皇へ直訴までしてしていたのである。この年の2月、吉之助は東征を行うべく江戸へ発つ。まだ完全に回復していない信吾もそれに同行することになった。兄の覚悟を自分の目で確かめたかったのである。

そして駿府の新政府軍大総督府では、大総督である有栖川熾仁親王宛てに、江戸の寛永寺の宮様や徳川慶勝から進軍を押しとどめるように、そして静寛院宮(和宮)からは、慶喜は幕府に恭順している旨の文が届いていた。しかし吉之助はここで手を緩めるべきではないと言う。宇和島藩士林玖十郎は、既に慶喜は恭順していると反論するが、ならば兵器弾薬軍艦一切を引き渡し、慶喜は死を賭して我らが軍門に下るべきと吉之助。さらにたかが紙切れ一枚でと言い、先の御台所に不敬といわれるも、慶喜討伐は天子様の命令であると言う。結局官軍の江戸総攻撃は3月15日と決まった。

寛永寺で謹慎中の慶喜を勝海舟が訪ね、新政府軍の進撃を伝える。自分は天子様の許しを待つ身と言う慶喜に、彼らはあなたの首を狙っている、幕府歩兵を使って相手と戦うよう促す。それでは日本は異国の手に落ちると慶喜は答える。お父上の前だからそう申されているのかと勝は尋ねる。慶喜の前には、父斉昭の「尊攘」の揮毫が掲げられていた。勝は旧幕臣の山岡鉄舟を駿河へ向かわせる。大総督府へ入った山岡は堂々と名を名乗り、吉之助に会って勝の文を渡す。慶喜の天子様への忠誠は真であると言い、江戸行きを促すが、吉之助は頑なに拒む。山岡は戦うことになると、勝とも矛を交えることになると言うが、吉之助は妥協しなかった。

そこで山岡は腹を切ろうとし、この命に代えて、天子様に我らの願いを伝えてくれと言う。なぜそこまでするのかと問う吉之助に、山岡は答える。
「侍が主を信じられなくなったら、それはもう侍ではございますまい」
山岡の思いを察した吉之助は江戸行きを承諾し、進軍を止めさせる。先に江戸へ入った吉之助たちは、薩摩が大戦を仕掛けると恐れられていることに気づく。そこへやって来た初老の女がいた。それは幾島で、吉之助に会いに薩摩藩邸を訪ねていたのである。吉之助は護衛の者に変装して江戸城へ入り、12年ぶりに天璋院となった篤姫と再会する。

*************************

まず先日書いていた白熊(はぐま)の件です。他にも赤熊(しゃぐま)、黒熊(こぐま)がありますが、これらは江戸開城後、官軍の兵士たちが江戸城に保管されていた物をかぶって戊辰戦争に臨んだ、従って鳥羽伏見の時はまだない、また藩によって色分けされていたというのが通説になっています。村田新八の格好が気になったので、いくつかネット検索したのですが、正しいか否かはともかく、以下のような説があることがわかりました。
なぜこの風俗が始まったのか定かではない
藩ごとの色分け(白熊=長州、黒熊=薩摩、赤熊=土佐)というのは俗説
戊辰戦争前に存在したかもしれない
また浅川道夫氏の説によれば、薩摩は白熊で、黒熊は鳥取藩の山国隊であり、村田の格好はこれらの説を踏まえた設定と取れなくもありません。なお文献は書籍中心で、「倒幕軍 武士 赤熊」で検索すると、当該文献がヒットするはずです。

そして慶喜とふき。前回も書きましたが、側女とはいえふきは武家や公家の姫ではなく、農民から飯盛女となり、慶喜に落籍(ひか)せてもらった人物です。従って姫君のような婉曲的な表現をすることはありません。また飯盛女時代に、様々な客を自分で見て来てもいるはずです。慶喜に対して直言するのは、明らかに彼女のこういう前歴も関わっているでしょうし、また開陽丸での慶喜とフキのやり取りは、明らかにヒー様とおよしのそれでした。しかし江戸で鰻が出て来るとは、吉之助の影響でしょうか。尤も鰻は冬の方が旬といわれていますので、身一つで帰って来た先の将軍とその家臣にふるまうのは、あながち間違いではないかもしれません。

もう一つ慶喜絡みです。寛永寺の慶喜を勝海舟が訪ねて来て、新政府軍と戦うように勧めます。しかしこの時慶喜は、それをすれば日本が外国の手に落ちると言います。あのロッシュに頼っていて、吉之助に言わせれば「日本を売ろうとして」いた慶喜がです。しかも父斉昭の「尊攘」の揮毫の前でそう言ったのですから、これが慶喜の意思と考えていいでしょう。後述する、大坂城の家康の馬印の前での発言とはかなりの違いです。そして慶喜がこれを口にした後は、勝は「上様」と慶喜を呼び、山岡鉄舟(鉄太郎)を駿府へやることになります。

さらにその駿府の新政府軍大総督府関連です。有栖川宮熾仁親王は、この新政府軍の大総督で、しかも自ら志願してのものでした。ちなみに熾仁親王は、大政奉還前は一会桑政権から糾弾され、明治天皇践祚の後に謹慎を解かれています。しかもこの時静寛院宮と呼ばれている和宮親子内親王と、かつては婚約していました。それを思うと、熾仁親王の心中も察せられるような気がします。また寛永寺の宮様とは公現入道親王(後の北白川宮能久親王)のことで、寛永寺は3世から15世まで皇族が貫主を務めていました。

尚この中で、吉之助がたかが紙切れ一枚と言い放ち、先の将軍御台所に無礼だと林玖十郎にたしなめられますが、吉之助は、この東征は勅許を得ていると切り返します。この林玖十郎(通顕)は宇和島藩士で、後に得能亜斯登(とくのうあすと)と改名しています。この紙切れ一枚と言うセリフと、錦の御旗により旧幕府軍の士気が下がった時に、旧幕府側の松平定敬が、錦の御旗をいかがわしいと言うのと何やら呼応し合っているようにも見えます。無論慶喜側は新政府側のような勅許もなく、慶喜は家臣の手前「余は戦う」と言うしかなかったのですが、家康の馬印の前でのこの言葉は、その後すぐに裏切られてしまいます。

それからウィリアム・ウィリス、かなり前に『維新の港の英人たち』という本で目にした覚えがありますが、あるいはうろ覚えかもしれません。この本は、かつて駐日英国大使を務めたヒュー・コータッツィ氏(サー・ヒュー・コータッツィ)の著作で、この方は他にも色々な著作をものしています。この方の著作、そしてウィリスの手術などについて書きたいのですが、既に長々と書いていますので、それはまた日を改めることにします。

[ 2018/09/25 00:30 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

IWAKURA Tomomi

He was born as the second son of HOROKAWA Yasuchika, an aristocrat in Kyoto. He was not a typical aristocratic boy and had an unusual ability. He was adopted by another aristocrat IWAKURA Tomoyasu when he was 14 and then attended at the court. As his family was so poor, they provided gamblers have a party at a part of their residence to get the house cut (*). 

In 1854, he became a chamberlain of Emperor Kōmei. However, he opposed the shogunate and the signing the Treaty of Amity and Commerce between the United States and Japan. After the assassination of II Naosuke who signed the treaty,  he cooperated with the aristocrats who support Kōbu-gattai movement and encouraged the marriage of Princess Chikako (Kazu-no-miya) with TOKUGAWA Iemochi. However, radical royalism gained strength and he who supported the relationship of the Imperial court and the shogunate was expelled as one of the treacherous subjects by radical aristocrats. He was ordered to confine himself in his house by the emperor also. So he became to live in Iwakura Village.

He was not pardoned even after the Kinmon Incident (**). At that moment, samurais from some domains including SAIGŌ Kichinosuke visited and talked with him about overthrowing the shogunate. In 1866, the emperor passed away and was succeeded by Prince Mutsuhito (Emperor Meiji). After that he was pardoned and returned to political world. Though Tokugawa Yoshinobu had returned the government to the Imperial court already, he asked the Imperial court to proclaim the Restoration of the Imperial rule. Thus the new government was established.

西郷どん岩倉具視
Iwakura Tomomi (SHŌFUKUTEI Tsurube)

In 1868, the shogunate caused the Battle of Toba-Fushimi and then he agreed with fighting against Yoshinobu and the domains that supported him (Boshin War). Kangun, army of the new government defeated the domains and he finally led the new government. He also contributed to transfer the capital from Kyoto to Tokyo and inspected Europe ant the US to negotiate for treaty revision to break off unequal treaties. At that time he felt that it's necessary to lay a railway to develop industries.  

When he returned to Japan, he opposed Seikanron (***) advocated by SAIGŌ Kichinosuke (Takamori) so he was assaulted by a thug (****). And he tried to control the nobles as there was an opposition between aristocrats and former daimyos and their vassals but it ended in failure. Later the problem was solved by establishing the House of Peers (current Sangi-in, the House of Councilors or upper house*****).

Around 1880, he decided to establish a constitution and sent ITO Hirobumi to Europe. On the other hand, he dismissed ŌKUMA Shigenobu, a member of the government who was against him. However, he died of stomach cancer in 1882 It's before Hirobumi's return.

He was the first man in Japan who was given a state funeral.

In this series, he is a man who always begs money when the samurais visit him as a reward for working for them. On the other hand, he is fearless and make the arrangements for the new government after returning to political world. When the new age comes, he is in his element  but later he became to oppose Kichinosuke over Seikanron. 

(*) SANJŌ Sanetomi whose family rank was above that of him made picture cards of karuta (playing cards) as side job.
(**) Radical samurais were expelled from Kyoto after this but he who was expelled by radical people was not pardoned.
(***) The theory of pressing Korea to open the country. Tomomi refuses it as making an enemy of Korea means opposing its suzerain Qing Dynasty. However, unlike other members who supported Seikanron, Kichinosuke insisted that he attempted to become an ambassador and have a top-level conference instead of conquering the country.
(****) The thug was one of so-called fuhei shizoku, former samurais who were dissatisfied with the new government. As they supported Seikanron, they attacked Tomomi who abandoned it.
(*****) Because of this, the throne for the emperor is in Sangi-in only. So the opening ceremony of the National Diet is usually held in the house, not Shūgi-in (House of Representatives). 

西郷どん小判を受け取る岩倉具視
Tomomi (right) receives money from Ōkubo Ichizō

The images are from the official website of "Segodon".

[ 2018/09/24 01:00 ] Taiga Drama Sego-don | TB(-) | CM(0)

大河クイズ戦国編3

久々に大河クイズです。戦国大河上級編です。無論この上級とは、出題者本人がそう思っているだけですので、あしからずご了承下さい。

次のうち、織田信長が正月の酒宴で、朝倉義景や浅井父子の頭蓋骨を出したシーンが登場する大河はどれでしょう。

  1. 軍師官兵衛
  2. 功名が辻
  3. おんな城主 直虎
  4. 武田信玄

戦国大河のうち、OPに初めて人物が登場した作品の、オープニングテーマの作曲者を答えてください。(敬称略)

  1. 池辺晋一郎
  2. 林光
  3. 冨田勲
  4. 芥川也寸志

いずれも竹中半兵衛が登場する大河です。この中で半兵衛を演じた俳優さんの年齢が、放送時点で最も高かったのは誰でしょう。(敬称略)

  1. 軍師官兵衛
  2. 国盗り物語
  3. 功名が辻
  4. 秀吉

戦国大河の登場人物で、兜の前立てが三日月型の武将を三名挙げてください。


次の作品の中で、最終回で歴史的事件を前倒しにしている作品があります。どれでしょう。

  1. 天地人
  2. 黄金の日日
  3. 軍師官兵衛
  4. 太閤記

戦国大河の中には、真田昌幸夫人と石田三成の妻が姉妹という設定の作品があります。その作品の石田三成役の俳優さんを答えてください。(敬称略)

  1. 鹿賀丈史
  2. 江守徹
  3. 真田広之
  4. 中村芝翫(中村橋之助)

次のNHKのプロデューサーのうち、制作統括として戦国大河を手掛けたことのない人は誰でしょう。
(敬称略)

  1. 屋敷陽太郎
  2. 櫻井賢
  3. 土屋勝裕
  4. 中村高志

戦国大河の原作を著した作家を三名挙げてください。


正解発表は1週間後を予定しています。

それからこれとは関係ないのですが、23日の『西郷どん』に白熊(はぐま)が登場します。今までこの手の被り物についても書いていますが、これには諸説あるようなので、またあらすじと感想で説明したいと思います。

[ 2018/09/23 23:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

西郷どんの歴史的背景28-「ヒーロー」としての坂本龍馬の誕生

前回は龍馬暗殺のシーンが描かれました。幕末に、大いなる仕事をしたヒーローという印象が強いのですが、最近では薩長同盟は薩摩の要請も大きかったともいわれ、また船中八策も、彼がすべて仕上げたものではないといわれています。(構想はあったようです)また日本最初の新婚旅行も、小松帯刀の方が先ではないかという説もあります。これは大河関連で何度か書いていますが、幕末に於ける彼の一番の功績は、武器の調達であったのではないかと思われます。その龍馬はいつ「ヒーロー」になったのかというと、どうも坂崎紫瀾の影響が大きいようです。この人物は元々は土佐藩医の息子でした。

明治維新後は高知新聞の新聞記者となって、幕末の土佐を舞台にした小説『南の海血汐の曙』を執筆します。そういえば、『龍馬伝』で、岩崎弥太郎のそばにいる記者を見たという方も多いでしょう。あれが坂崎紫瀾で、浜田学さんが演じています。またこの人は自由民権運動にも関わっていましたが、その演説が不敬罪に抵触したことにより、後に収監されます。龍馬を主人公とした小説『汗血千里駒』はその保釈中に、土陽新聞に発表されたもので、上士と郷士の対立などにも触れられており、自由民権運動への思いを、この小説に託したともされています。ある意味政治的でもありますが、政治的ばかりとも言い切れないようです。

坂崎紫瀾は大正2(1913)年に世を去り、それから半世紀を経た昭和37(1962)年に、司馬遼太郎氏が産経新聞に、『竜馬がゆく』の連載を開始します。この2つの作品によって、日本人が一般に抱く坂本龍馬像、つまり自由で大胆で、懐が深いという人物像が出来上がったともいえます。幕末のヒーローとしての龍馬像は、坂崎、司馬両名が大きく貢献しており、2人の合作ともいえるでしょう。無論フィクションも入っていると思われ、これらの作品のみで本来の龍馬を捉えるのは難しいでしょうが、この人物に対して興味を持つ、そのとっかかりにはなりそうです。

飲み物-パブのビール1
[ 2018/09/23 01:15 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

MATSUDAIRA Katamori

He was born in Takasu domain of Mino (eastern part of current Gifu) as the 6th son of MATSUDAIRA Yoshitatsu, lord of the domain. He was adopted by his uncle Matsudaira Katataka, lord of Aizu domain by getting engaged with his daughter Toshi hime in 1846.

In 1852, he succeeded his adopted father and four years later, he married with Toshi hime. But she dies in 1861 so Teru hime, his sister-in-law controlled ladies-in-waiting and maids in the castle. She once married with OKUDAIRA Masamoto, lord of Nakatsu domain in Buzen (eastern part of current Fukuoka and northern part of current Ōita) but was divorced.

As radical royalists was rampant in Kyoto at that time, he was asked to appoint to Kyoto Shugo-shoku, the position that maintained public order in the city by TOKUGAWA Yoshinobu and Matsudaira Shungaku. Though SAIGŌ Tanomo (*), chief vassal of the domain refused it as the domain got into financial trouble. However, he accepted it obeying the family precept that Aizu domain should be loyal to the shogunate. The precept was left by HOSHINA Masayuki, first lord of the domain.

西郷どん松平容保
Matsudaira Katamori (Shūji Kashiwabara)

Then he went to Kyoto and met Emperor Kōmei in December, 1862. He was one of the central figures of kōbu-gattai movement and exposed the crimes of radical samurais or assassins using Shinsengumi and Kyoto Mimawari-gumi. He guarded Tokugawa Iemochi when he visited Kyoto and helped expelling radical aristocrats from Kyoto in 1863. Thus he gained the confidence of Emperor Komei and was given his letter and poem. At the Kinmon Incident, he commanded his soldiers and Shinsengumi members though he felt sick.

On the other hand, Satuma and Chōshū formed the alliance secretly and the movement of overthrowing the shogunate grew. And Emperor Kōmei who trusted him passed away in December 1866 and he lost his support. On the 14th of November, Yoshinobu restored the government to the crown (Taisei Hōkan) and the position of Kyoto Shugo-shoku was abolished. He tried to persuade Yoshinobu who decided to comply with his enemy. But he was prohibited to enter Edo Castle so he returned to Aizu.

Then the Boshin War began. Some domains in Eastern Japan asked the new government to pardon Aizu domain but Kangun (army of the new government that obtained permission of the emperor) identified the domain as the Emperor's enemy and launched all-out attack against him and his people. While many domains in Eastern Japan were beaten by Kangun with latest style weapons and he surrendered to the army after a month of the battle to hold the castle.

He was pardoned through the good offices of MAEBARA Issei of Chōshū and KIRINO Toshiaki (NAKAMURA Hanjirō) of Satsuma and confined himself in the house in Tokyo. Then he had a son called Kataharu between his concubine Saku and became the lord of Tonami domain, new domain ruled by the Matsudaira clan. Later he was pardoned and became the priest of Nikkō Toshō-gū Shrine in 1880. On the 5th of December in 1893, he died of pneumonia in Tokyo at the age of 59.He is said that he always had a bamboo pipe containing the letter of Emperor Kōmei until his death. 

In this series, he is described as a daimyo and Kyoto Shugo-shoku who is loyal to Hitotsubashi (Tokugawa) Yoshinobu and asks him about how to deal with the radical samurais from Chōshū domain. And when Satsuma domain came to the fore after Taisei Hōkan, he often advises Yoshinobu about the movement of Satsuma to support him.

(*) He is said to have been a distant cousin of SAIGŌ Kichinosuke, who fought against his domain in the Boshin War. Toshiyuki Nishida who narrates "Segodon" plays the role of Tanomo in "Yae no Sakura" and acts Kichinosuke in "Tobu ga Gotoku".

西郷どん松平容保2
Katamori who tells Tokugawa Yoshinobu about the movement of Satsuma domain

The images are from the official website of "Segodon".

[ 2018/09/23 00:30 ] Taiga Drama Sego-don | TB(-) | CM(0)

再び大河関連本と大河のあり方

『花燃ゆ』が放送されていた頃に、『大河ドラマと日本人』という本が発売され、何度かこのブログでも取り上げたことがあります。しかし書店の店頭で見た限りではありますが、内容的に、何か偏りがあるようにに感じられたこともあり、結局購入することはありませんでした。この書籍に関しては、花燃ゆ番外編47-この回は必要なのか?や、この投稿のタイトルにもなっている、大河関連本と大河のあり方などでも多少触れています。

内容は歴史の専門家(星亮一氏、一坂太郎氏)の対談形式で、それぞれの主観による部分が大きく、しかもDVDが出ている作品なのに観ていないとか、さらにこれは一坂氏ですが、大河は反権力であるべきだなどという発言があり、ちょっと引きました。この一坂氏は確か『獅子の時代』がお気に入りで、平沼銑次の反骨心に共感していたようですが、ならば権力側は無視してもいいのかということにもなります。リンク中の『花燃ゆ』第47回番外編で触れていますが、本来は統治する側と、される側のバランスが取れてこそのものではないかと思います。しいて言えば、やはり主人公サイドをある程度は優先させるべきでしょう。

それから『花燃ゆ』関連の終わりの方で、大河は家族団欒なのか歴史追求なのかとも書いています。歴史というか、正確には史実追求です。そして、マニアックな歴史好きを対象にするべきとも言ってはいますが、今この投稿を読んでみて、さてどのようなものかとも思います。実はこの投稿では、最早家族そろって大河を観るという時代でもなさそうだし、ならば史実中心にした方がいいという書き方をしていました。しかし現実には、その時点で様々な形で視聴されてはいたわけです。しかもその後の大河も、ホームドラマ的な部分は存在していることを考えると、この捉え方はちょっとよくなかったかと反省しています。

むしろ史実同様、ホームドラマ的要素も大河には必要なのです。問題はその匙加減です。特に『花燃ゆ』は、その部分が多すぎた嫌いはあるでしょう。さらに史実メインを好む人がいる一方で、ホームドラマ的な要素を好む人もいるでしょう。大河のホームドラマ的要素というと、あまりいい顔をされないかもしれません。しかしやはりいくらかは必要なわけです。私はヴィンテージと呼んでいますが、所謂かつての名作にもそれに該当するシーンは登場します。ドラマですから創作部分もありますし、正直言ってあまり面白くない創作も、過去の物を観る限りいくつか存在しました。そういう作品をもう一度観る機会があれば、書いてみようかなと思います。しかしそれを考えると、過去はやはり美化されやすいのかなと思ったりもします。いつかも書きましたが、一定時期以前の大河が、無謬の存在のように見られている印象もあります。

また大河に限らず、ドラマ視聴者にはいくつかのコミュニティがあると考えられます。そしてそのそれぞれが好き、嫌い、あるいはどちらでもないといった感じになるのでしょうが、結構どちらでもないという無党派層も、それなるにいるかとも思われます。このうち嫌いで観ている人たちというのは、一番少ないかと思われますが、それでも全くいないともいえないかもしれません。私も『花燃ゆ』と『おんな城主 直虎』にはその傾向がありました。いずれも歴史的描写がどのくらいあるのか、それを目当てに観ていたようなものです。

この先大河がいくらか変わるかというと、実はそう変わらないのではないかとも思います。やはり昔の大河を、リアルアイムで放送されていた時のような雰囲気で再現するのは難しいでしょう。何よりも本当に大河を刷新したいのであれば、思い切った改革案をNHKの方から出してしかるべきなのですが、どうもその様子が窺えません。再来年のも大河の原点に帰ってどうこうとありますが、具体的にどのようにするのかがあまり示されていないのが残念です。制作統括が『平清盛』と同じ方ですが、あるいは、あの大河の戦国版のようになるのでしょうか。名将の父親たちの世代から始まるというのも、なんとなく清盛に於ける父・忠盛の存在を連想させますので。

飲み物-カクテル
[ 2018/09/22 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

ラグビーメディアに思うこと-7 ラグビーとテレビ中継2

前回の続きです。ラグビーに限らずスポーツ中継はそうですが、実況担当者と解説者がいます。さらに選手にインタビューをするための、グラウンド上のインタビュアーがいることもあります。解説者は、当該競技のOBであることが多いです。コーチや代表スタッフを務めている人もいて、ラグビーもその例に洩れずです。一方でラグビーライターが務めることもあります。JSPORTSの場合ライターが務めることが多く、もちろんそれぞれ個性がありますし、やはりというべきか、本人のコラムとコメントとに共通点がかなり見られます。

従ってコラムが好きという人物は、解説も好きということが多いのですが、当然その逆もあります。実は一人あまり聞きたくない人がいるので、その人が解説の時は副音声にすることが多いです。しかもその人だけならまだしも、ダブル解説で、もう一方の解説のみを聞きたいという時もあるのですが、こればかりはやむをえません。副音声は、国内(トップリーグ)の場合はスタジアムの音声になるので、臨場感があって却って楽しめることもあります。国内でもスーパーラグビーの場合、そして国際試合(テストマッチ)の時は英語の音声になります。

南半球、特にニュージーランドやオーストラリアの試合で副音声を聞くときは、コクニー調の発音が飛び込んで来ます。Todayをトゥダイと発音するあれです。大体わかるのは半分程度ですが、慣れるとこれはこれで面白いものです。海外の場合は試合にもよりますが、実況+1人または2人のコメンテーター、それにグラウンドでのインタビュアーという体制になっています。こちらも往年の代表選手が多く、結構ビッグネームがいたりします。またかつてはテレビでなく、ラジオの中継で名実況担当者がいたこともありました。

JSPORTSの実況担当者といえば、土居壮氏と矢野武氏が真っ先に連想されます。土居氏は元テレ東のアナウンサーで、独特の語り口で実況をする人物です。かなりのベテランで、特に小林深緑郎氏の絡みが面白い。そして矢野氏ですが、この人はかつて俳優でした。大河ドラマ『春日局』に堀田正盛役で出演しており、その後フリーアナ、タレントに転向しています。最初はかなり絶叫口調だなと思いましたが、そのうち慣れて来ました。「世界最高峰のアタッキングラグビー」や、2015年ワールドカップ、日本ー南ア戦の「スクラム組もうぜ」(*)は有名です。

一方でNHKの実況担当者です。こちらは局アナということもあり、可もなく不可もなしです。つまり無難だが、反面これは面白いという人はそういないのですが、1991年大会決勝時の実況アナが、「ラグビーはサッカーから生まれた」と発言したのだけは忘れられません。これは間違いで、ラグビーもサッカーも私立学校でのフットボールから生まれ、手を使うか否かで袂を分かったためです。それと95年大会で、解説の藤原優氏と、当時の代表の梶原(かじはら)選手をごっちゃにして、「カジハラさん」と呼んだ人もいました。これはまあご愛嬌ではありますが。

(*)ちなみに先日JSPORTSで、ワールドカップまで後1年企画として、この「スクラム組もうぜ」のタイトルで2015年大会の試合が紹介されました。24日と27日にも再放送予定なので、詳しくはEPGまたはJSPORTSサイトで。

飲み物-ブラウンエール
[ 2018/09/21 23:30 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

軍師官兵衛徒然-21

第25回「栄華の極み」。黒田家には官兵衛が助けた子供たちが大勢いてにぎやかになっていた。一方公家の吉田兼和は、明智光秀が山城国丹波庄を取り戻したことに気をよくし、信長に官位を受けるよう口添えしてくれと頼む。姫路城は普請が終わり、毛利攻めが始まろうとしていた。山陰道攻めでは明智の力を借りることになり、官兵衛が自ら光秀と交渉する。雨と雷鳴の中、坂本城で官兵衛は光秀の娘倫に会う。荒木村重の子村次の妻で、謀反後実家に戻っていたのである。倫には有岡城の暮らしがまだ思い出されていた。そこへ光秀が来て、村重が毛利を頼って安芸にいることを話す。あの男の気持ちがわかると光秀、村重は信長への好悪2つの感情が入り混じっていたのである。その光秀は官兵衛に、自分に仕える気はないかと言うが、官兵衛は、秀吉以外の男のもとで働く気はなかった。

退出した官兵衛は、吉田兼和に会うが、兼和は信長の態度を恐ろしがり、帝(正親町天皇)が光秀を頼りにしていると伝える。その明智に黒田が仕えてはどうかとも言った。その後宇喜多秀家が病死する。直家は宇喜多家を秀吉に委ねるつもりだった。そして官兵衛を呼び止め、織田は危うい、天下を取るのは秀吉であるとに話す。官兵衛はほどなく視察のため備中へと発った。一方安土城では、信長は宣教師たちが連れて来た黒人の男を気に入り、側近にして弥助と命名する。そして姫路城では秀吉とおねがやって来て、光と松寿丸に面会する。光は息子のことでおねに大きな恩義を感じており、そしておねもまた松寿丸を愛しく思っていた。その夜は姫路城で宴が開かれた。翌朝おねは夫の寝所でお鮮という名を聞いてしまい、事情を知っているであろう官兵衛が呼び出されるが、秀吉がそれを取りなす。

官兵衛は妻の光だけがいれば十分だった。その光は官兵衛に、妊娠したことを知らせる。城中が喜びにわきかえった。その後朝廷は光秀を仲介役とし、左大臣の官職を授けようとする。信長はそれを受け入れるが、その交換条件として帝の譲位を申し出て兼和を驚かせる。信長はさらに城下のすべての明かりを消させ、琵琶湖から安土城までを松明で照らし出す。やがて天正10(1582)年の正月、安土城で秀吉と官兵衛が目通りすると、信長は目前に迫った新しき世作りは信忠にまかせ、自分は世界に出たいと言う。一方小早川隆景は、国境の領主たちを集める。織田など取るに足りぬと言う者もいたが、清水宗治だけは相手のことをよく知っており、討ち死にする覚悟を決めていた。それからほどなくして、松寿丸は姫路の黒田屋敷で元服し、長政と名を改めた。

この大河は、明智光秀がいささか従来のイメージと違うのが残念ですが、ともあれその光秀は、官兵衛を召し抱えようとします。無論官兵衛に取って、秀吉以外の人物の下での仕事は考えられませんでした。ところで光秀の娘、倫が登場します。官兵衛とああいう出会い方をするのかどうか、ちょっと疑問ではありますが、ともかく有岡城でのことを話し、さらに父の光秀が、村重が安芸にいることを教えます。この倫、後に明智弥平次光春の奥さんになったと思います。演じているのが石橋杏奈さんで、この年のパペットホームズに、メアリー・モースタンの声で出演していました。しかしあの着物、『真田丸』の小松姫のとよく似ているのですが気のせいでしょうか。

その光秀も、信長が官職を欲しがらないのには閉口します。元々光秀の描かれ方というのは、朝廷や足利義昭と、信長の仲介役でかなり苦労するというのが多いのですが、再来年はどのようになるのでしょうか。しかし乱世に於ける公家と武家の折衝というのは、戦国でも幕末でもそう変わりはないように見えます。ただこの2つを比べた場合、時代的な背景が大きく異なるのは事実です。そして官兵衛は病床の宇喜多直家が、自分の家族は秀吉に預けること、織田は危ういと言ったことで、複雑な心境になります。しかもその信長は、朝廷からの官職の申し出をやっと受けますが、その代わりに帝の譲位をなどと言い出すに至ります。さらに安土城をライトアップしたりと、まさに栄華ここに極まれりといったところです。

光秀が村重に言及した件、そして直家の言葉などなど、本能寺の変の伏線と思われるシーンが多く登場します。さらに備中高松城主の清水宗治、他はともかくこの人だけは、織田の恐ろしさを知っていました。そして討死覚悟と、予言めいたことを口にします。この人物は、羽柴軍が本能寺の変を知り、それを伏せて和解するのと引き換えに切腹した人物で、要は今回の多くのシーンは、本能寺の変へそのままつながっているといえそうです。そしていよいよ長政が元服ですが、光は次の子を身籠っていました。ちょうどリアルタイムでの放送時に『ダウントン・アビー』の第1シーズンが放送されていて、グランサム伯爵夫人の妊娠を彷彿とさせたのを思い出します。生憎こちらの方では、流産という結果になってしまいましたが。

飲み物-バーのラテフロート
[ 2018/09/21 01:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

The Historical Background of Sego-don 7

The Assasination of SAKAMOTO Ryoma

Like ODA Nobunaga in Sengoku period, there are various theories regarding his death. Some say the people involved in the shogunate killed him and the others says it's the deed of the samurais who sereved Satsuma domain. Recently, it is regarded that Mimawari-gumi, the security party formed by the shogunate vassals did it.

西郷どん龍馬暗殺1
Ryōma tries to protect him

The details of the assassination depend on the memory of NAKAOKA Shintarō. On the 15th of  November (lunar calendar), he visited Ryōma who had a cold in Ōmiya and told Minekichi, an apprentice of the inn to buy chicken. During their conversation, they heard a noise downstair so Ryōma or Shintaro shouted "Hotaena (be quiet) !" because they thought that Minekichi played a joke. But the noise was caused by the assassins and the shout let them know where their enemies were as a result.

西郷どん龍馬暗殺2
The bloodstained hangroll in the episode

They burst into the room and slashed them. As Ryōma didn't put his sword on his side, he twisted his body and took the sword and recieved the attack on the sheath of his sword. However, he had a wound in his forehead and it proved fatal. At that moment, a hanging scroll in the room was bloodstained. Soon after he died and Shintarō died two days later. In this episode (the 35th episode), he says "I should not die, it's too early" at the moment (*).

(*) Shun Oguri who plays the role of Ryōma asked Makoto Bonkohara, who directs the episode to add the words to the script.

The images are from the official website of "Segodon".

[ 2018/09/20 23:30 ] Taiga Drama Sego-don | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

実は『いだてん~東京オリムピック噺~』を観なくなったので、再び『西郷どん』復習の投稿をアップしています。関連文献もまた読もうかと考えていますし、BSで再放送中の『葵 徳川三代』の再放送も観ています。そしてパペットホームズの続編ですが、これは是非とも三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、『相棒』をはじめとする刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、いよいよ日本でのワールドカップの年です。今季は代表下部チームとの兼ね合いもあり、スーパーラグビーでは今一つでしたが、ワールドカップでのベスト8成るでしょうか。

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