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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  2016年09月

真田丸あれこれ その43

まずこちらの記事から。

「真田丸」草刈正雄さん「本物の殿様」と対面 秋田県の佐竹敬久知事「知事のほうが大変」
(産経ニュース)

記事中にもありますが、この佐竹知事は、かの佐竹家の流れを汲む方です。ロシアのプーチン大統領に秋田犬「ゆめ」を贈り、向こうから猫をもらったという話は有名です。ちなみに草刈さんはトークショーのみならず、他の出演者共々、信繫の娘であるお田の方の墓所にもお参りをしたとの由。このお田の方は、「真田丸紀行」でも登場しましたが、信繫とたか(豊臣秀次の娘)の子で、墓所は秋田県由利本荘市にあります。

ではあれこれ第二弾です。今回はきりが随分としおらしいというか、出来る女、頼もしい女というイメージになっていました。この人は結構肝っ玉が据わったところもあるから、こういう役目にはうってつけなのかもしれません。一方薫(山手殿)、やはり九度山に行くのは無理なようですね…。しかしこの母上が、真田屋敷で一人目覚めて、誰もいないのに気がついてうろたえるのは、何か悲しいものがありました。そこでたまたま到着していた信之に、救われたようなものですが。大坂城で家康に改名を命じられた信之(幸)が、その後西の丸を訪れた時にも、真っ先にすがりついていましたから、今後は彼が面倒を見ることが、この時点で決まっていたのかもしれません。

女性たちといえば、それぞれ父と夫を失った春とうた。父の最期を夫に語った春の心中も如何ばかりかと思われますが、夫の処刑を目の当たりにして、かなりショックを受けたであろううたの、「あの人は豊臣のために…」的な一本調子のセリフがちょっと怖い。小早川秀秋に対して、毛利勝永、明石全登、そして宇喜多秀家の3人が斬りかかるシーンも怖いといえば怖いのですが、このうたはああいうホラー的演出をされていない分、余計に怖さを感じます。しかし三成は、結局ああならざるを得なかったかわけですが、刑部は徳川にも接近を図っていただけに、余計にやるせないものがあります。

また真田家の長女であり、岩櫃城主夫人でもある松。考えてみれば、彼女は岩櫃で暮らしていた分、一番関ヶ原の余波を受けずに済んだのかもしれません。夫の小山田茂誠も、信之の家臣となってまずは安泰です。互いに若い時に記憶を失ったり、主家が滅んだりしただけに、その後は安定した人生を送るという設定なのでしょう。それゆえに父や弟との別れもかなり辛いものがあったとは思われます。しかし姉上、徳川の監視がある中で、「ちょこちょこっとやっただけじゃない」などと言うのはどうかと…しかもその監視役に、あなたもそう思わない?と言わんばかり。最後は茂誠さんが黙らせていましたが。

それから監視役の大井政吉。この人は実在の人物ですが、あの「おーい」は三谷さん流のギャグでしょう。しかし命令とはいえ、何事にも立ち会わなければならないというのも、結構つらいものもあるかも。そして剃髪して高台院となった寧。豊臣の家に秀頼をカウントしないのは、彼女の意地でしょうか。しかしこの人は、関ヶ原の戦いが結局どう影響するか、今一つぴんと来ていない感もあります。既に政治のことにはかかわらないと決めていたわけですから、敢えてそういうふりをしているとも取れますが。一方で秀忠。城攻めをしていたの何だのと嘘ばっかり。あれは本多正信も内心苦笑物だったでしょう。

さて昌幸の「長生きしすぎたのかもしれん」、敬老の日の前日の放送にしては、ちょっと微妙なセリフですね。自分が輝くことのできる世は終わったと、この時点では既に勘付いていたのでしょう。既に体が不自由になり、素破としての活動は難しくなっている出浦昌相が、佐助経由で、大坂城への攻め込み方を教えた時、どのような気持ちだったのでしょう。次回はいよいよ退場回ですが、総髪白髪となった昌幸、今に残る肖像画そっくりになっています。次で一挙に10年経ちますから、皆それぞれに年を取ってしまうようです。

<付記>
  • 昌幸の「おのおのがた、ぬかりなく」第36回「勝負」と、第37回の両方で登場しますが、いざ戦に赴く時と、戦後処理時とではかくも違うものかと納得。しかし九度山行きが決まっても、最初のうちはまだ徳川討伐を考えていたのでしょう。その意味も込めての「ぬかりなく」であったかと。
  • 成長したすえに会う信繁。これからは伯父の信之を頼れという信繁に「父上は一人です」。瞬間信繁は、自分のことかと思ったのでしょう。しかしすえの口から返って来たのは「作兵衛伯父上です」そりゃそうでしょう、この父娘は、顔を合わせることなど殆どなかったわけですから。すえの、ちょっと硬い表情がまたいい。ちなみに九度山で、春との間に長男の大助が生まれるようです。

飲み物-ビール2種類
[ 2016/09/24 01:15 ] 大河ドラマ 真田丸 | TB(-) | CM(0)

ボッケリーニのメヌエット

このところ『真田丸』、もしくはそれに付随する歴史関連が中心ですので、ちょっと気分を変えてボッケリーニの『弦楽五重奏曲 第三楽章 メヌエット』です。誰もが一度は耳にしたであろう懐かしい響き、秋の夜長に。


[ 2016/09/23 00:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『天地人』長谷堂城の戦いその他と『真田丸』の関ヶ原

長谷堂城の戦い関連、『真田丸』では登場しませんでしたので、『天地人』の分だけざっと書き出しておきます。前にアップしたのといくらか重複しますので、悪しからずご了承ください。

景勝は、西へと撤退する徳川軍を「義」のために追うなと命じる。兼続は異を唱えるが、ならば自分を斬ってからにしろと、景勝は太刀を差し出す。兼続はそれで空を斬り、主君にそれを返す。そんな折、最上の動きが怪しくなり、兼続は軍を率いて山形へと進む。時まさに慶長5年9月15日、関ヶ原の戦いのその日だった。一方関ヶ原では、どちらに付くか決めかねて動こうとしない小早川秀秋に、三成が直談判に行く。一方こちらも業を煮やした家康は、小早川陣に鉄砲をぶち込み、秀秋は慌てて大谷刑部を攻撃する。あっけないほどの短時間で決着がついてこの戦いは、徳川方の勝利に終わり、三成は敗走中に負傷して、どこからともなく現れた初音に救われる。そして兼続は、途中で関ヶ原の情報を得て、最上攻めを断念して撤退する。しかしやはり関ヶ原の結果を受けて、勢いづいた最上と伊達は、兼続たちに猛攻を加え、しんがりを務めた兼続は、ほうほうのていで会津に戻る。

この中で、「義」のため云々、そして関ヶ原と両立させたためどっちつかずになったというのは、「真田丸と天地人の関ヶ原比較」で触れています。また自分を斬ってから行けというセリフに関しても、「真田丸あれこれ その41」で、こちらは『真田丸』風アレンジで立場を逆転させています。
そして実際にはなかっただろうといわれる間鉄砲が、ここでは登場します。また長谷堂城の戦いも、兼続が関ヶ原の結果を知ったのが、早すぎるように思えます。最上や伊達の気配を察して、兼続が撤退するのであればまだわかりますが。これに関しては、「北の関ヶ原」関連記事で述べています。また、最上や伊達も、はっきりした形で結果を知っていたかどうかは不明です。

それにしても『天地人』の戦闘シーンですが、兜を着けているのに髪を下ろしていません。これは関ヶ原での小早川秀秋です。

キャプチャ32

つまり、髷をほどかないまま兜を着けていることになりますが、この時代それはまずないでしょう。一方『真田丸』第10回「妙手」の、虚空蔵山城での戦芝居、直江兼続と対峙する真田信幸の後姿ですが、きちんと髪を下ろしています。

キャプチャ34

どこにでも直垂姿で来る上杉主従、あるいは公の場で家康に羽織姿で会う上杉景勝も妙なものですが、これもかなりおかしな感じがします。

それから『真田丸』の関ヶ原のシーンへの反応は人さまざまのようですが、私はやはり、真田家から見ればああいう情報の伝わり方だったでしょうし、むしろ上田合戦だけに絞って締まった印象があったと思います。小早川秀秋の口から語られるのかなとも思いましたが、むしろこれは今後、実際に参戦した、そして小早川秀秋の幻に登場した毛利勝永、明石全登、そして宇喜多秀家ら、大坂の陣に登場する人物から信繁が話を聞き、それを自分の中で再構築することになりそうです。逆に、秀秋の口から語らせるより、その方がいいかもしれません。
無論私が長谷堂城の戦いを楽しみにしていたように、関ヶ原を楽しみにしていた人も多いかと思われます。ただ『真田丸』は最初から多少ひねった部分があるので、関ヶ原も当たり前には描かれないだろうなとは思っていました。私が長谷堂城にこだわるのは、真田が味方した上杉に関わる戦いであり、可能であれば最上義光登場を期待していたからです。しかしやはりそこまでは行きませんでした。ならばいよいよスピンオフ、あるいは上杉、伊達、最上プロパー大河を希望です。あるいは、後に上杉主従もしくは直江兼続の口から語られる可能性もあります。兼続が語る長谷堂城の戦いというのもよさそうです。

飲み物-本とウイスキー

[ 2016/09/22 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

2016-17トップリーグ第4節結果そして「ラグビーと真田丸」

今週末はトップリーグはお休みです。ということで、前節の結果ですが、東芝がヤマハ発動機に6-40で大敗には驚きでした。今シーズンの有望株の1つであるNTTコミュニケーションズとキャノンは、それぞれ近鉄とホンダに勝利です。

ラグビーワールドカップイングランド大会で、日本が南アフリカを倒す大金星を挙げてから、もう1年になります。リオ五輪の七人制でも準決勝まで進出と、ここのところ代表コーチング体制が、比較的うまく行っていると思われる日本ラグビーです。ただし、女子代表はもう少しレベルアップが必要かと思われますが。日本の場合、というか他の国でもそうでしょうが、ワールドカップでは優勝するつもりで行かないと、やはり勝ちは望めないだろうなと思います。勝ちに行っても負けることがあるわけですから、必勝は最低の条件でしょう。

ところで『真田丸』の石田三成は、徳川家康との決戦に対して、勝負に対して煮え切らない態度を見せ、大谷刑部を苛立たせます。これはもっともな話で、相手と雌雄を決するのにああいう態度、かつての某日本代表監督のような態度では、それは刑部さんキレますね。これは事実で、せっかくの大舞台なのに勝つと明言しない監督もいましたし、何の裏付けもなく、3トライ取った方が勝ちという監督もいましたから。私もあの回の放送時「勝ちに行かんかい!」と突っ込みを入れたことを、ここで告白しておきます。

そのラグビーと『真田丸』関連でもう一つ。ご存知の方もいると思いますが、かつて明治大学ラグビー部に、北島忠治氏という名監督がいました。元々は明治の相撲部で、たまたまラグビー部から助っ人を頼まれてその魅力に取りつかれ、95歳の天寿を全うするまで、監督を務めたことで有名です。おまけに、結構ヘビースモーカーでもありました。明治ラグビー部の基本である、重戦車フォワードを活かした「前へ」の戦法を築いた人物でもあります。OBの方から聞いた話では、とにかく特別な人物らしい。

実はこの北島氏は、新潟県上越市の出身です。上越といえば春日山城で有名で、かつての上杉家の本拠地でした。無論その他にも有名人を輩出している土地ですが、この方は、あるいは謙信公や景勝公と並ぶ著名な存在なのかもしれません。ちなみに今年の3月、北島氏の遺品が市の施設に展示され、ありし日を偲ぶことができるようになっています。長男の治彦氏も、かつて日本代表の強化にかかわっています。

日本ラグビーに功績、故・北島忠治さんたたえる
リージョンプラザ上越に記念コーナー開設
(上越タイムズ)

[ 2016/09/22 01:00 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

真田丸あれこれ その42(昌幸VS家康)

さてあれこれ第一弾(最近この第一弾、第二弾のスタイルですね)ですが、その前にもう一つお詫びです。先日の「北の関ヶ原5」、真田昌幸のセリフについて「あらすじで述べる」としていましたが、「あれこれ」の誤りです。重ね重ねすみません。

さてそのセリフ、つまり
「上杉と同盟する」
ですが、同じころ上杉家中の直江兼続の軍勢は、最上を鎮圧しようとして逆に攻め込まれ、撤退を余儀なくされていました。それでなくても伊達と最上を監視することで、手いっぱいの状態だったわけですから、「同盟」とは、かなり厳しかったでしょうし、仮にお屋形様が許しても兼続は許さなかったと思われます。

もし上杉も、徳川の後を追って関東に攻め入ったりしていたら、恐らく取り潰されていた可能性があります。家康ならばそのくらい平気でやるでしょう。また三成が家康を攻めるその理由として、家康の「私利私欲」を挙げていましたが、しかし秀吉だって三法師を担いで、結構私利私欲まみれではありました。三成は、秀吉が権力を握った時の柴田勝家に、若干ダブるところがあります。そもそも老衆が万が一掟を破った時の、罰則法がなかったというのが、五大老五奉行制の欠点ではあったわけです(三中老が存在したという説もありますが)。それも刑部のいうように、他の老衆をうまく抱き込めばよかったのですが、三成はその才覚を天性欠いていたようにも見えます。

さて本題です。昌幸はなぜ自分たちは秀忠に勝ったのに、降伏しなければならないのかと不満げです。前回のあれこれ(41)で、私はこう書いていますが
「同じ合戦に加わっているように見えながら、実はこの人物だけ違う次元の戦をしていたようにも思えます。」
正にこれだったかとも思われます。かつての領地を巡っての一対一の争いなら、それでも通じたでしょう。しかし上田合戦は、関ヶ原の戦いの一部でしかなく、総大将が負けた以上、上田で勝っても負けを受け入れなければならなかったわけです。これを不服として、昌幸は徳川の兵たちの陣を攻めますが、これがかえってよからぬ結果を招いたふしもあります。

結局上田城は明け渡され、昌幸と信繁は高野山、正確にはその麓の九度山に流罪となるわけですが、なぜ打ち首にすることもできたのに、しなかったのか。それを昌幸に語る時の家康の言葉がまたすさまじい。
「この生き地獄、たっぷりと味わうがよい」
どうも家康は、信幸と忠勝が命乞いに来る前から、昌幸父子、特に自分が散々煮え湯を飲まされた昌幸を、一気に成敗するのではなく、真綿で首を絞めるようにしたかったのではないか、そういう印象があります。それも戦に出る機会を悉く奪うという、昌幸に取っては正に、両手両足をもがれるに等しい物でした。

そもそも家康と豊臣方は、それ以前から互いに牽制し合うところがあり、その一例が、上杉景勝会津転封の際の、庄内を巡る豊臣-上杉と、徳川-最上の確執です。慶長出羽合戦も、そして関ヶ原後の改易と処罰も、多分にこういったものを引きずっているといえます。かなり非道にも取れますが、逆にいえば、その当時、その程度のことができないと天下は取れないということでしょう。実際家康は江戸幕府を創設するに当たり、豊臣の失敗を繰り返さないようにしたわけで、その意味で秀吉は家康の反面教師であったといえます。

そして信幸は「幸」の字を「之」に変えます。読みは変えなかったというのは、家康へのささやかな抵抗なのでしょう。この当時、通字(継承される名前の一文字)を捨てるというのは大変なことであり、だからこそ家康も、信幸にそう命じたと察せられます。

飲み物-エスプレッソ

[ 2016/09/21 01:00 ] 大河ドラマ 真田丸 | TB(-) | CM(0)

今後の大河ドラマ雑考

確か昨年の今頃は、『花燃ゆ』群馬編が始まった頃でした。しかし脚本がころころ変わり、主人公の設定も変わって、時系列もいじっているため、終盤に向けての盛り上がりも感じられず、早く『真田丸』が始まらないかと、待ち望むようになっていました。その『真田丸』にここまで嵌るとは、正直な話、思わなかったのですが…。実際、近年まれに見るパンチ力のある作品だとは思います。

無論三谷さんの脚本はコント的なところもありますし、合戦が少ないとか、本格大河ではないなどともいわれてはいます。しかし、要所要所は押さえられてはいますし、キャストが非常にいい。これは今までの大河でも屈指といえるかもしれません。結構キャストで観る観ないを判断する人もいるでしょうから、この点でも貢献しています。合戦は、屋外セットが作られている大坂の陣関連エピで楽しめそうです。

来年は脚本は期待できそうです。ただ制作側はどう考えているのでしょうか。そこの部分がかみ合わないと、やはり女性大河は面白くないということになりそうです。しかしそれよりも、問題と思えるのは再来年です。せっかく西郷どんを主役にするのなら、しかも本人没後140年、明治維新150年という節目の年であれば、もう少し重厚さを持たせるべきではないかと思います。そもそもなぜ西郷隆盛(吉之助)に女性視線が必要なのか、前にも書きましたがよくわかりません。

あるいは、『天地人』以来10年間続いた、大河不毛といえる時期にこれで終止符が打たれるのでしょうか。この間は部分的に面白かったものも含めて、楽しめた大河は『龍馬伝』、『八重の桜』、『軍師官兵衛』、そして『真田丸』くらいです。あと『平清盛』を今ちまちま観ていて、いくらか楽しめてはいます。主人公を男女交互で現代感覚にした結果、質の面で、大河とは言い難いものもまた作られてしまったわけなので、言ってはなんですが、もう少しまともな路線に戻ってほしくはあります。

個人的に、戦国から江戸初期の東日本を舞台にしたものを、もう少し観てみたいものです。現在「北の関ヶ原」をアップしていることや、『真田丸』の上杉主従や伊達政宗(宴会部長的政宗ですが、気に入っています)が結構好きなこともあるので、彼らとその周辺の武将、佐竹とか最上といった大名たちの群像劇が観たいものです。これだと、単独では50話は難しいという人物でも登場させられます。事情が許せば1年でなく、シリーズにしてもいいでしょう。無論『真田丸』のスピンオフができればベストですが。

実際、伊達、上杉、最上が揃って、そこそこ活躍した大河は今まで殆どありません。『独眼竜政宗』は上杉不在、『天地人』は最上不在でしたし。『天地人』も、長谷堂城の戦いまで描くのであれば、最上義光をきちんと出すべきでしたね。結構東北の雄ではあると思うのですが。本家関ヶ原が、俗説も含めてあまりにも広く知られているのに比べると、北の関ヶ原は多少マニアックで、それゆえ探求のし甲斐があると思われます。

如何せん今後しばらくの大河は、『真田丸』と比較されると考えて間違いないでしょう。それほどこの大河のインパクトは大きいです。そのためにも、脚本やキャストでもっと魅せる大河が出て来てほしいものです。本格大河といっても、過去のシーンの焼き直しになっては面白くないので、様々なアングルから脚本を書ける人にも出て来てほしいし、本来大河は主人公を男女交互にするのではなく、楽しめる本格大河と、三谷さん脚本のような変化球大河とが交互に出てくるべきものでしょう。

飲み物-ドリップコーヒー
[ 2016/09/20 02:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

真田丸-37

まず、先日の「北の関ヶ原5」で、「伊達がなぜ上杉領を攻撃しようとしたのか」を「攻撃したのか」と書いておりました。失礼いたしました。「しようとした」と単に「した」では全然意味が違いますからね、修正しております。さて北の関ヶ原は描かれませんでしたが、関ヶ原後の処理にいささか不満げな昌幸、そして骨を折った信之、上田城の旧城主と新城主の入れ替わりに加え、戦後処理が様々な形で登場します。

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関ヶ原の戦いが一日で終わったことに驚く信幸。そして秀忠軍に勝利を収めた昌幸は、石田軍大敗北を受け入れられず、徳川方の兵の陣を潰しにかかる。しかし既に大坂城が徳川に抑えられ、三成も捕縛されたため、信繫に説得されて、信幸にすべてをゆだねることにする。そして昌幸は徳川方に倒伏し、家康、秀忠と本多正信父子とで話し合いが持たれる。この場で、城攻めの最中に家康からの使いが来たと嘘を言う秀忠。家康は処分は真田の先送りにし、平野長泰を派遣して蟄居を言い渡す。

信繫は山頂が白くなった烏帽子岳を眺め、小山田茂誠に、あの山が三度白くなれば里に雪が降ると言い聞かせる。一方茂誠は、自分が使えた武田、北条、真田が悉く不運な目に遭うのを嘆くが、信繫は、真田はまだ滅びていないと言う。そして信幸は、父と弟を救うために大坂に出向こうとしていた。そこへ舅の本多忠勝がやって来る。彼らは殿に刃向ったと言う忠勝に、敵とて親子であり、兄弟であると言って出て行こうとする信幸。忠勝はその態度に感心し、共に家康に嘆願をしてくれることになった。

上田城に徳川の兵が監視役として入り、蟄居生活が始まる。姉の松は監視の兵の側で、関ヶ原で戦っていないのだから無罪だ、秀忠が勝ってに負けたようなものと平気で喋り、夫の茂誠に窘められる。昌幸は、信長が死んだ頃が一番楽しかったと言い、またこれからどうなるかと信繁に尋ねる。信繁は兄上次第だと答え、恐らく改易は免れず、牢人となることを覚悟していた。そして大坂では、信幸と舅の忠勝が、家康に二人の助命を求めていた。

自分に免じて助けてくれと言う忠勝は、ついには信幸と上田城に籠って、徳川軍相手に討死するとまで言い出す。結局家康は、死罪にはしないことを約束し、その代わりに父との縁を切らせるため、信幸の「幸」の字を捨てるように命じた。忠勝に取っては生まれて初めての徳川への反抗であり、信幸は舅に対して多大な恩を感じる。そして大坂城の西の丸では、大谷屋敷から移された薫(山手殿)、春、そしてきりが人質として生活していた。薫は信幸に会い、涙を流す。

上田に戻った信幸は、領地召し上げと高野山への流罪が決定したことを、父と弟に伝える。しかし高野山は女人禁制なので、山麓の九度山に家族ともども移ることになった。その後、昌幸の領地は信幸が統治することとなり、茂誠は信幸の家臣となり、作兵衛は引き続きすえの保護者に戻り、内記は引き続き昌幸に仕えることになった。出立の前の日、昌幸は病床の出浦昌相を見舞い、信幸に出浦を任せることにする。出浦は佐助の口を借りて、大坂城への攻め込み方を教えるのだった。そして新城主となった信幸は、信「之」と名を改める。

また出立前に、信繫は十六になったすえに会った。今後は信幸に身柄を預けようとするが、すえは自分の父は一人しかいないと答える。それは信繁ではなく、作兵衛だった。翌日、昌幸・信繁父子と内記は上田を発ち、九度山へ向かう途中で二人は大坂城に入って家康に会う。家康は、死罪にしなかったのは、昌幸からすべての物を取り上げて高野山麓に押し込め、生き地獄を味あわせることだと口にし、不敵な笑いを残して去って行く。信繁は片桐且元に呼ばれて、剃髪した寧(高台院)とも会う。

寧との会話の間に小早川秀秋が入って来るが、すぐに立ち去ってしまう。関ヶ原の戦い後、ずっと引き籠っていると心配する寧。その秀秋は廊下で、毛利勝永、明石全登、そして宇喜多秀家の幻を見て逃げ出し、庭先へ転げ落ちてしまう。この秀秋は二年後、不審な死を遂げた。また茶々の許へも且元が行くが、いずれまた会えるとあっさり面会を断る。真田屋敷に入った信繁は、春と再会して、舅の刑部の最後を聞かされる。また加藤清正が三成夫人のうたを連れて来て、三成の最後を知らせる。うたは話しているうちに、「あのお方は豊臣家のために…」を繰り返し、半狂乱になる。

母の薫が、とても九度山の生活に耐えられそうにないと見た信繁は、上方へ向かっている兄信之に、薫を託して上田に戻すことにする。翌朝、目を覚ました薫は、屋敷に誰もいないのに驚き、あちこちの部屋を覗いたあげく、大坂に到着した信幸にすがりつく。そして昌幸、信繫と春、内記、きりらは雪の中を九度山に到着する。今までとは違う質素な館を目にする一行。その様子を、九度山の村長である長兵衛と村人たちが見ていた。

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関ヶ原の石田軍大敗後、真田昌幸と信繁にも沙汰が下り、結局九度山への流罪となります。そして刑部は戦いの最中に自害、三成は斬首、そして寝返った小早川秀秋は、いきなりのホラー展開、関ヶ原で裏切った相手の幻に苛まれます。三成夫人のうたは何か取りつかれたかのように、夫は豊臣のことしか考えていなかったと口走り、信繫が大坂で出会った様々な人々が去って行ってしまいます。ちなみに昌幸夫人の薫、『真田丸』では分かれて暮らす設定ですね。『真田太平記』では九度山で暮らしていましたが。そういえば助命のために忠勝がはったりをきかせるシーン、あれも『真田太平記』に登場していました。

あと「烏帽子岳が三回白くなったら里に雪」は、お正月の『ブラタモリ』と『家族に乾杯』のコラボ番組で、堺雅人さん自ら口にしていました。あれが伏線でしたか。そして剃髪した寧ですが、今回の登場人物の中では、真田信之について長生きの人物で、大坂の陣後9年間生きます。また茶々、また会うからとあっさり追い返す辺り、如何にも彼女らしいというべきですが、押し花の山吹が印象的です。そういえば、小田原で彼女が利休から買った山吹の扇はどうなったのでしょうか。

[ 2016/09/20 01:15 ] 大河ドラマ 真田丸 | TB(-) | CM(0)

北の関ヶ原 5

9月18日放送の『真田丸』では、やはりというか慶長出羽合戦関連のシーンは登場しませんでした。わずかに、昌幸のセリフのごく一部が、上杉絡みではありましたが…しかしこの期に及んでなお、上杉と同盟して江戸を攻めることを考えていたのでしょうか。

そのセリフについては、また「あれこれ」で詳しく触れるとして。当時の上杉は、石田方有利と見て、最上に圧力をかけたものの、最上の攻撃に遭って退散せざるを得なくなり、しかも兼続がこの撤退でしんがりを務めたこと、情報元の石田方が壊滅状態になったことなどから、上杉方の現状把握や対応は、後手に回ることになります。この時の撤退はかなりすばやく、またかなりの激戦でもありました。

前回でも触れましたが、伊達政宗は徳川優勢と見ており、そのうち長谷堂に攻め込んだ兼続の軍が引き上げるであろうこと、自分も上杉領に攻め込む予定であること、そして、無論そのことは内密にしておくように、最上へ派遣した留守政景に伝えています。なぜ上杉領(伊達郡、信夫郡)を攻撃しようとしたのか、それは上杉の背後を襲うことで撤退を促し、上杉を追い払ったという実績を作るためだったと考えられています。

しかし政宗は、10月1日に予定していた伊達・信夫両郡への攻撃を、9月27日になって延期します。これはその数日前に、伊達(留守政景)の軍が、上杉方の兵を討ったということから、景勝自ら山形に出馬する可能性も出て来たためで、成り行きを見て判断するというものでした。政宗自身は、上杉攻撃を自重するように家康から言われており、景勝が攻め込んだため、やむなく兵を動かしたという方法を採ることにしたと思われます。

しかし兼続の方は、9月の下旬になっても、上方(石田方)の方はどうということはないという書状を、上杉家臣である岩井信能や清野長範に送っており、清野宛ての文には、上杉につきながら最上に寝返った農民の籠る城に、放火予定であるということも書かれています。10月1日になって兼続は、山形攻めのため菅沢山に敷いていた陣を撤収します。これは、関ヶ原における石田方の敗戦を聞いたためといわれていますが、その時点ではまだ、関ヶ原の結果を知らなかったという説もあります。

一方で政宗は、宇都宮の結城秀勝に書状を送って、南北から上杉を挟み撃ちにするよう依頼し、また本来石田方であった佐竹氏も、伊達にすり寄る姿勢を見せるようになりました。しかし肝心の上杉に情報が届くのは遅かったとなれば、確たる情報もないまま、上杉方は伊達や最上、ひいては庄内に攻め込んだ村上、堀といった敵をも相手にしなければならなかったわけです。関ヶ原のあまりにも早い終結は、北日本における戦いをも左右しました。

しかもこの慶長出羽合戦は翌年にまで持ち越され、上杉主従が伏見で家康に目通りするのは、それが終結した後のことです。次は、その後の福島での合戦について書く予定です。

(資料:直江兼続と関ヶ原)

飲み物-パブのビール3杯
[ 2016/09/19 01:30 ] 日本史 | TB(-) | CM(0)

真田丸に見るシャーロックホームズ 31

今回はずばりこれです。

信繫と三十郎の別れ

信繫が三十郎に、内通者のふりをして戸石城の門を開け、兄信幸の軍を入れるように命じます。三十郎は、常に一心同体と(多分)思っている信繁の命令を喜んで引き受けますが、信繫はさらに、その後も戸石城に留まるように言います。これは当然なことで、内通者が、自分が裏切った相手と城を出て行くはずがありません。しかし三十郎はこれがどうにも耐えられないようで、かなりの戸惑いを見せます。信繁が人質として赴いていた上杉家の春日山城から、大坂へ旅立つ際に一度別れ、そしてやっと再会できたかと思っていたら、また離れ離れで、三十郎も何ともやるせないものがあったのでしょう。

パペットホームズでは、「本当に困った校長先生の冒険」の最後の方で、ホームズが深夜、ワトソンに別れを告げて221Bを去って行きます。オルムシュタイン校長を脅迫し、その証拠であるケーキをモリアーティ教頭に突き付けられたためですが、寝ていたのを起こされ、ことの次第を聞かされたワトソンもまた、おおいに戸惑います。しかし、これ以上ワトソンを巻き込むわけに行かないホームズは、自分を信じてくれと言い残して単身窓から抜け出し、姿をくらませてしまいます。このシーンが、BGMの「ビートン校迷宮のテーマ」とも相まって、かなり重々しさを感じさせます。

しかもこの証拠のケーキ、正しくはケーキのデコレーションですが。モリアーティ教頭はマイクロフトでなく、弟のシャーロックに罪をなすりつけるために、それを一部食べてしまっています。元々ケーキのデコレーションにはこうありました。

「マイクロフト・ホームズ 尽きることのない友情に感謝する ウィルスン・ケンプ」

この件は、ケンプがいわばマイクロフトと組んで、校長を脅迫したわけです。しかし教頭は「マイクロフト」の部分を食べてしまい、ホームズの部分だけを残して、犯人はお前だとシャーロックを問い詰めます。しかしシャーロックの方は、如何にも彼らしく、なぜケンプはフルネームなのに、ホームズはそうでないのか、疑問に感じていました。

このホームズ兄弟の確執には、なかなかシビアなものがあります。しかしシャーロックの奇行と成績の悪さに、兄として、生徒会長としてかなり苦労して来たであろうことを思うと、いくらか同情の余地はありそうです。一方真田家では、勝者となった信幸は、敗者の父と弟を救うため、同じく勝者である舅の力を借りながら奔走することになります。

飲み物-アイスコーヒー
[ 2016/09/18 01:30 ] 大河ドラマ 真田丸 | TB(-) | CM(0)

真田丸あれこれ その41(+毛利の裏切りと上杉主従のやり取り)

では、その40で触れていないことあれこれです。
稲の行動
上田合戦
石田方はなぜ負けたか
陣羽織
妄想「上杉主従のやり取り」
尤も、石田方の敗因と上杉主従は、本編から外れたおまけのようなものですが。

まず稲が、舅と義弟の沼田城入りを拒む有名なシーンですが、これは実は、大坂から逃げて来たというのが大きな伏線になっているようです。再び乱世に戻ろうかという時期に、供を連れているとはいえ、女子供の旅というのはそう生易しいことではありません。それを敢行する辺り、この女性はなかなか気丈であるわけです。

そもそも結婚した当初から、間者としての役割を期待されていたとはいえ、なかなか信幸に馴染もうとしなかった点から見ても、これは彼女の元々の性格でしょう。ちょっとおどおどした感じのおこうさんとは対照的です。無論おこうさんは真田の娘であり、昌幸は叔父、信繫は従弟にあたるという意味で、接し方が違うのも当然ではありますが。しかし仙千代と百助が実に可愛らしい。

そして上田合戦ですが、父上は戦をしている時は、正に本領発揮、実に活き活きとしています。乱世を待ち望むのもむべなるかなです。そして内記、作兵衛に加えて、松の夫の小山田茂誠と、信幸とその家臣を除く真田の一門が顔をそろえています。これだけを見ると、あの天正壬午の変の頃の真田家を思い出しますが、20年足らずで時勢は大きく変わってしまいました。

その時勢にどうやって乗るかをも見定めたうえでの、犬伏の決断だったのですが、甲斐信濃を取り戻して「よっしゃー」と叫ぶ辺り、徳川でも豊臣でもなく、やはり武田の家臣なのであり、その意味で同じ合戦に加わっているように見えながら、実はこの人物だけ違う次元の戦をしていたようにも思えます。

そして石田&大谷陣。三成にあれこれ忠告する刑部殿の衰えが痛々しい。いくら輿を使ったとはいえ、これでどうやって戦場まで出るのが危ぶまれるほどです。ところで石田軍の方は、総大将は毛利輝元でしたが、実はこの人は、徳川方と内通していて、起請文まで出していたという説もあります。

また小早川秀秋は、はじめから徳川についており、家康が催促した所謂「間鉄砲」はなかったこと、そして「空弁当」の吉川広家も、実は輝元の本心を知っていたゆえであったこと、何よりも小早川や吉川を含めた毛利家そのものが意思統一できず、従って石田三成の有力な味方とはなり得なかったというのも、石田方が崩れた一因と見てよさそうです。結局毛利は、責任を安国寺恵瓊に押し付ける格好になりました。

それから合戦回にはつきものの、武将たちの陣羽織ですが、地模様入りの絹の陣羽織が多い中で、やはり真田昌幸の革の陣羽織は目立ちますし、如何にも様になりますね。そして信幸の陣羽織ですが、これは絹のような光沢が無く、毛羽立ったように見えるので、あるいはビロードかとも思われます。しかしこの時代、ビロードはかなり贅沢品だったでしょう。また上杉のお屋形様が、謙信公のような南蛮風の格好をしていないのにも好感が持てます。

ところで先日投稿の「北の関ヶ原4」で、『天地人』の、景勝が徳川を追うのを止めるシーンは、実際にこんな感じだったらいいかなと想像(妄想)してみます。なおキャストは『真田丸』のそれに置き換えてください。

景勝「やはり秀忠を討つ。兵を出そう」
兼続「お待ちを。会津の守りが手薄になれば、最上伊達が攻め込むのは自明の理。それはなりませぬ」
景勝「しかし治部とも源次郎とも約束したこと、無下に見過ごすわけにも行かぬ」
兼続「では、兵をお出しになる前に、一つお願いがございます。この山城守を、斬ってからになさいませ」
景勝「そなたを…斬るとな」
兼続「左様にございます。それがしは幼少の頃より、お屋形様にお仕えして来た身。天下の帰趨を見定められぬのは残念ではありますが、今、お屋形様にこの場で斬られようとも、思い残すことはございませぬ」
景勝「そなたは我が家臣であると同時に、長年の友にて、この上杉の執政。それはできぬ…できぬ」
兼続「早う、この首をお討ち取りくださいませ」
景勝「…わかった。兵は出さぬ。如何に徳川の行いが非道であろうとも、この景勝、そなたを失うては太刀打ちはできぬ。そなたは儂の右腕、あるいはそれ以上のものじゃ」
兼続「痛み入りまする」
景勝「治部、源次郎、済まぬ…」

慶長出羽合戦、長谷堂城の戦いを中心にした、3回シリーズくらいのスピンオフを制作してほしいものです。無論、上杉の会津移封以降の様々な出来事を、できるだけディープにしかもひねって描いてほしい。三谷さん、如何でしょうか。

飲み物-カクテル
[ 2016/09/17 02:00 ] 大河ドラマ 真田丸 | TB(-) | CM(0)
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Author:aK
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実は『いだてん~東京オリムピック噺~』を観なくなったので、再び『西郷どん』復習の投稿をアップしています。関連文献もまた読もうかと考えていますし、BSで再放送中の『葵 徳川三代』の再放送も観ています。そしてパペットホームズの続編ですが、これは是非とも三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、『相棒』をはじめとする刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、いよいよ日本でのワールドカップの年です。今季は代表下部チームとの兼ね合いもあり、スーパーラグビーでは今一つでしたが、ワールドカップでのベスト8成るでしょうか。

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