FC2ブログ

ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  風林火山

風林火山徒然-45

昨年の4月からアンコール放送が始まった『風林火山』は、3月半ばで最終回を迎えました。この大河は、本放送時は軍師になるまでが面白いけど、後はつまらない、特に由布姫の爺やのようになってしまって面白くないといった声もあったようです。しかしこの場合、勘助という中年から初老の軍師が、諏訪家の姫に密かな恋心を抱き、彼女に身を賭して仕えるというのが原作のコンセプトなのですから、これは変えようがありません。その点が『武田信玄』とは異なる点です。

あちらの勘助は今川の間者のようなもので、しかも妻子持ちでした。あるいは本当はそのような人物だったのかもしれませんが、どうも勘助というとこの『風林火山』のキャラで上書きされてしまいます。ちなみに私の場合、上杉謙信もこの大河のキャラで上書きされています。また武田家に仕官した後も、川越夜戦だの上田原の戦いだのは、結構楽しめました。時々中だるみかなと思う部分もありましたが、1年50回やるからには、こういうエピもまたありでしょう。戦国物で、あまり戦に縁遠くなってしまってはちょっと困りますが。

キャストも結構よかったし、また「コッペパンの歌」の異名をとる(笑)OPテーマ、そして騎馬武者と旗と風景のタイトルバックもよかったです。私もこの大河は観ていないエピもあり、3年前に『真田丸』の予習を兼ねて全部DVDで観たのですが、こんなに面白かったのだなと改めて思いました。さらに、『真田丸』が始まってから、キャストが結構ダブっているのにも驚きでした。あの村上新悟さんが、春原惣佐衛門の役で出ていたのですね。他にも諏訪頼重役の小日向文世さんが、内野聖陽さんの勘助に「寅王丸を頼む」と懇願するシーンに、『真田丸』の「秀頼を頼む」がだぶりました。

ただクライマックスの第四次川中島の戦い、あれだけの戦いの割に人数が少ない印象があったのが残念でした。実はこれは『真田丸』も同じだったのですが。戦のシーンというのは、人数が多いほど迫力があるわけなので、それが『葵 徳川三代』の関ヶ原映像が、その後も使われた所以でもあると思われます。ただもうあの大河から20年近くになりますので、そろそろまた新しい映像をと思わずにはいられません。

それから勘助が甲斐に来て知り合った伝助(伝兵衛)、太助、平蔵との絡みがよかったです。平蔵もいい加減勘助と共に武田に仕えれば、また別の道が開けたのでしょうが、それができないのが平蔵の平蔵たるところでしょう。矢崎父娘共々オリジナルキャラですが、彼らの存在がまた、武田の家臣と違って、運命に翻弄されて行くイメージがあってよかったです。また笠原清繁夫人から、小山田信有の側室となった美瑠姫しかりでしょう。一方で今川トリオ、北条主従も見ごたえがありました。

この『風林火山』の後は『軍師官兵衛』が放送されています。こちらも観られる時は観ています。ただ4年前のものなので、あらすじの説明などは今回はアップしていません。その代わりと言っては何ですが、この「徒然」の官兵衛バージョンを今後アップして行こうかと考えています。この大河は最初は姫路中心で、秀吉に仕えたころから段々世界が開けてくるので、『風林火山』に比べると現段階ではまだ地味ですが、その代わり向こうにない世界が楽しめるかと思います。

飲み物-ブラウンエール
スポンサーサイト



[ 2018/04/22 01:00 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山の歴史的背景31-信玄と謙信

川中島の戦いは、なぜ5回も行われたのか。かつて百姓たちの力に頼っていた戦は、農閑期に行われるのが当たり前でしたが、越後と信濃は冬の寒さや降雪もあり、そのため短期の戦を何度も繰り返すようになったのではとも考えられます。中には半年ほどにらみ合った物もあるにはありますが、この両者が長い年月をかけて戦ったのは、果たして当事者たちに取ってプラスの結果をもたらしたのでしょうか。

元々上杉政虎(長尾景虎)は領土欲が乏しい人物で、北条と武田を抑えるために戦に出たようなものですが、彼が上杉も継がず、北陸経由で西へ出ていたら、恐らく室町幕府の再興はできたかとも思われます。ただし、その室町幕府がどこまで続いたかどうかは不明です。一方武田ですが、この川中島さえなければ、天下人となることもあるいは可能だったでしょう。しかしまず美濃を落とし、浅井や朝倉と戦いといった過程を経てのものではありますが。

武田晴信(信玄)の場合、信濃にこだわったのもわからなくもないし、父を追放し、姉を嫁がせた先の今川を無下にはできなかったのでしょうが、その気になれば、後年行った西上作戦に近いものを若いうちにできた可能性もあります。彼が50近くなってそれを行い、しかもその最中に没したことは、後の武田家にも大きな影響を及ぼしたことになります。ただし勘助が言うように、2つの海を支配するというのはかなり難しいというか、不可能に近かったとは思われます。

一方でこの2人は、後継者にも大きな問題を残しました。上杉政虎=謙信は、景勝と景虎のどちらに家督を譲るかを決めなかったため、御館の乱が起き、武田信玄の方は勝頼が跡目を継いだものの、父の頃からの譜代の臣が重荷になったともいわれています。そもそも諏訪家を継ぐはずで、諱に「信」の字が入っていない勝頼が継ぐのを、好ましく思わない者もいたかもしれません。油川夫人との男子がすべて「信」の字を受け継いでいるのとは対照的です。

特に異母弟の仁科盛信は武将としても優れ、この人物が継いでいたらまた違っていたかもしれませんが、やはり織田や徳川の前に劣勢とならざるを得なかったのは事実でしょう。とかく川中島のみがクローズアップされる武将たちですが、信長が天下を統べる前に生き、戦った2人の地方の大名の姿としては興味深いものがあります。それにしても仁科盛信は、武田信繁ほどではありませんが、ある意味戦国における賢弟とみなしてもいいかもしれません。

飲み物-ドリップコーヒー
[ 2018/04/17 00:30 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第50回「決戦川中島」

『風林火山』、いよいよ大詰めです。自らの失策を実感した勘助は、足軽を引き連れて相手陣へと攻め込みます。様々な思いが頭をよぎる中、渾身の力を振り絞って戦い、やがて川中島に散ることになります。

**********************

武田軍は勘助が提案した啄木鳥戦法により、妻女山の上杉軍を攻め落とすべく別動隊を送り込み、下って来たところを八幡原で討ち取る作戦を立てた。しかし上杉軍は既に下山しており、しかも武田に取って不利な車懸の陣を敷いた。別動隊が来るまでの時間稼ぎのため、信繁も諸角虎定も相手陣へ攻め込み、討ち取られた。勘助は失策であったことを後悔しつつ、かつて大井夫人が、いつになれば戦は終わる、何のために御仏はおられると聞き、御仏とてこの世に立てば戦と無縁ではないと答えた時の、「そなたは悲しく生まれついた」という言葉を思い返していた。

勘助は信玄に、間もなく援軍が参りますと伝えるが、信玄はこう言った。
「守るだけでは足らぬ。勝つのじゃ」
勘助は自分も前へ出る決意を市、義信に本陣を任せ、駒井正武に、お屋形様をお頼み申すと言って出て行った。その頃三条夫人は於琴姫を訪ね、空に浮かぶ雲のように、風に乗って流れて行きたいと言い、さらにその風を起こすことを、お屋形様や勘助は定めとしているようであるとも話す。

一方上杉陣では宇佐美定満が、武田の別動隊が山を下りてくる頃であり、そろそろ陣を退くように促すが、政虎は、敵が逃げ出さぬ限り信玄の首は取れる、悪しき夢に取り込まれた天地を解き放つと言ってそのまま攻めに入った。その時春日山城では、姉の桃姫と嫡男の卯松、後の景勝が政虎の勝利を祈願していた。一方上杉攻めに向かう勘助に、百足衆が敵の本軍が向かって来ていることを伝え、勘助はすぐに本陣にそれを伝えるよう命じる。そして自身は伝兵衛と太吉に足軽衆を率いさせ、攻め込む覚悟でいた。

するとその時義信がやって来て、自分が敵の本陣を突くと言い出した。勘助は、貴方様は武田家の嫡子、それがしとは命の重みが違います、命を粗末になさいますなと説得して本陣へ戻らせ、さらに勝頼のことを頼むとも伝えた。勘助の頭の中で、甘利虎泰の
「何を得、何を失うか」、
そして板垣信方の
「お屋形様を照らし続け、真の軍師になるのじゃ」
といった言葉が渦巻いていた。また由布姫の幻らしきものが現れ、死んではならぬと勘助を止めようとする。以前の幻は自分を止めようとしていたことを悟った勘助は、まだ生きておりまする、天下をお屋形様の物となるまで諦めないと叫ぶ。

一方別動隊のうち真田軍は、妻女山から千曲川へと下りて来た。しかしそこで対岸に村上義清の軍を見て、双方馬を川に乗り入れ、斬り合いとなる。そして八幡原の上杉軍は、宇佐美が本陣を手薄にするなと家臣たちに命じていた。また上杉陣で奮戦する山本勘助に、退くように命じる。
「一国を滅ぼしてまで何のために戦うのか」
その時政虎が馬を走らせ、武田本陣の方へ駆けて行った。これは兵たちを驚かせ、宇佐美と勘助も、期せずして政虎に道を空ける格好になった。

その直後勘助は政虎を追う。その政虎は信玄のみとなった本陣へ赴いて馬上から太刀を浴びせる。それを軍配で受け止める信玄。兵たちが戻り、一人が政虎の馬を槍で突いたため、この敵将はそのまま自陣の方へ戻って行った。身を案ずる武将や兵たちに、信玄は軍配を見せ、自分は三太刀受け止めたが、軍配には七太刀の傷が残っていた、あのような戦をするとは正に越後の竜神よと言う。その政虎の首を狙う勘助は奮戦を続けていた。宇佐美の「一国を滅ぼしてまで…」の言葉が脳裏をよぎり、勘助は心の内で、わが思う人のためであると答えていた。

その時直江実綱の馬が勘助に近づいて兜を落とし、勘助は不意を食らって落馬し、眼帯が落ちた。しかし勘助の目に、孫子の旗がはっきりと見えた。かつて勘助は、自分が天下への道がはっきり見えたと当時の晴信に告げたこと、そして日本海と太平洋、両方の海を支配するように進言したことを思い出す。勘助は満身創痍となりながら、なおも戦い続けた。かなたには白馬に跨った政虎が見えたが、もはや勘助はその政虎に追いつけなかった。少しでも近づこうとしたが途端、政虎は上杉本陣の方へと去って行った。

その勘助を狙っている上杉方の兵がいた、それは平蔵であった。勘助はそれが誰であるかをみとめ、自分の首を取るように言って摩利支天を渡そうとする。しかしその平蔵に矢が当たり、その場に崩れてしまう。なおも戦に執着する勘助に、今度は真田の六連戦が見えた。別動隊が戻って来たのだった。
「お屋形様、我らが勝ちにございまする」
その時上杉の兵が近づき、みしるし頂戴つかまつるとの声と同時に、勘助は首を取られた。

同じ頃勘助の屋敷では、おくまがリツの摩利支天が見当たらないのを不思議に思っていた、その時外から帰って来たリツは、摩利支天が縁側にあるのを見て、何らかの異変を悟る。リツはかつて勘助が「いつまでもそなたを見守っておる」と言ったのを思い出し、涙を流す。結局戦は午前が上杉、午後は武田が優勢となったが勝負はつかず、また多くの死傷者を出した。善光寺の上杉陣では、髻山で首実検を行うと政虎が伝える。我らの勝ちにございましょうと直江が問うも、まだ戦は終わらぬと答え、この乱世も一睡の夢のようなものだと言う政虎。

しかし信繁、諸角の首はとうに武田方により取り戻されていた。かつて父信虎を追放する時に、よく決意してくださったと同意した信繁を思い出し、信玄は涙する。その時駒井が、かなたから走ってくる人影を見つけた。それは勘助の首なし死体を背負った伝兵衛だった。
「山本勘助にございまする~~」
そして太吉も、勘助の首を抱えて戻って来た。間違いありませんとの太吉の言葉に「あのつらじゃ間違えようがあるまい」と馬場信春は言い、勘助の胴と、笑顔を見せている首とをつなげ、家臣たちは勝鬨を上げる。

申の刻(午後4時)、武田信玄は陣を退いた。その頃越後ではヒサが、子供たちに食事をさせ、平蔵の分も準備していた。その平蔵は戦場を槍にすがって歩きながら、もう戦はいい、早く帰りたいと独り言を言いつつ歩いていた。戦場には戦死した兵たちの甲冑、あるいは刀剣を金に換えるための百姓たちがやって来ており、その中にはおふくの姿もあった。平蔵はいつ帰り着くともしれないほど、遅々とした歩みで、死なねえぞと言いつつ越後を目指していた。

**********************

本編はこれで終わりですが、その後最終回の定番ともいえる主人公のここまでの足取り、さらにミツのセリフに加えて、「見果てぬ夢を追うものはとわに咲く一凛の花の如し」のナレ、そして白い花と同時に終わります。他にも平蔵といい伝兵衛といい、はたまた太吉といい、何やら第一回に回帰して行くような終わり方になっています。また紀行でその後の武田家が紹介され、義信事件と飯富虎昌の連座、三条夫人死去、信玄死去、長篠の戦い、謙信死去と来て、最後は勝頼の自害で終わっています。

しかしこのエピ全体が、勘助や信玄と、彼らを取り巻く人々の回想や言葉を中心に構成されています。締めの回ということで、恐らくはこのような形になったのでしょう。それにしても上杉政虎、義のために戦を行う人物は、言うことも浮世離れしています。また宇佐美が、武田は修羅の道を歩くといった意味のことを言っていますし、実際上杉に取ってはそのように映るのでしょうが、ならば織田信長は何なのだと言いたくもなります。やはり彼は魔王なのでしょうか。

[ 2018/04/15 23:30 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山徒然-44

川中島の戦い、まともにぶつかったのは第4戦だけだったといわれています。おかげでこの合戦がかなり有名になり、川中島すなわちこれとなってしまいました。まあ鞭声粛々といい、謙信(政虎)が武田本陣に斬りかかって来た件といい、後世に残したものは大きかったと思われます。しかしこの大河の場合、あれだけ謀略に優れた人物である勘助が、なぜ妻女山から上杉の軍勢が下りてくるのを予想できなかったのか、それが不思議といえば不思議ではあります。勘助が多少なりとも、たとえ信玄に言わなかったとしても、あるいは?という気にならなかったものでしょうか。

ここはやはり宇佐美定満の方がうわてでした。しかも旗と篝火は残して行くなど、あたかも勘助をおちょくるが如き方法で妻女山を後にし、しかも援軍がまだ来ない八幡原で一騎打ちなど、あたかも宇佐美が主人公と思われるようなシーンもありました。何やら勘助が今川義元にしたことが、形を変えて勘助自身に及んで来た感もあります。また大河の最終回というのは、主人公が望みをかなえる、華々しく討ち死にする、あるいは大往生というパターンが多いのですが、この大河は主人公が失敗して、しかも討ち死にするという異色の展開です。しかもその死ぬまでが如何にもしぶとい。晃運字伝の「このお侍はしぶとい」は正鵠を得ていたわけです。

しかしおふくを、この川中島第4戦関連エピで出して来たのはうまかったです。この時代したたかに生きていた農民がいたこと、戦の後に甲冑や刀を奪い取り、それを売って生計を立てていたというのがよくわかる描写になっています。あと最後の最後が、勘助でなく平蔵なのもこの大河らしい。普通信玄の命令で勝鬨を上げる、あれで終わりそうなものですが、あの続きがあるというのが、戦の何たるかを物語っているようにも見えます。それを考えると、『真田丸』のラストシーンはもうちょっとひねってほしかったと思います。さらに音楽の千住さん、題字の柿沼さん、大熊朝秀から酒をふるまわれる武将の役で出演でした。

飲み物-パブのビール1
[ 2018/04/14 00:30 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第49回「死闘川中島」

上杉と武田、互いに霧を利用しての策を打ちますが、勘助の策は裏目に出てしまい、その結果上杉軍を相手に武田軍は苦戦します。そして信玄の弟信繁も、援軍が来るまでの時間を稼ぐために出陣し、かつての傅役である、諸角共々敵兵に討たれます。

**********************

永禄4(1561)年9月9日、上杉軍は妻女山、武田軍は海津城にそれぞれ本陣を置いてにらみ合っていた。9月9日、勘助は雨模様の外を見ながら、「戦は我が人生の如し」という言葉を思い出していた。勘助の策としては兵力を二つに分け、別動隊を妻女山に送り込んで上杉の本陣を崩し、山を下りて来た彼らを川中島の八幡原で迎え撃つという作戦だった。しかしその一方で、かの老女おふくが上杉陣へ行き、宇佐美定満に目通りを乞うた。おふくは宇佐美にまず報酬をねだる。宇佐美が金3枚を与えると、勘助に言ったように、明日の朝は川中島は濃い霧の中だと教える。

勘助は翌朝は川中島に濃い霧が立つため、出陣は早ければ早いだけいいと主張し、卯の刻に攻めかかることになった。しかし上杉軍の方でも、宇佐美が敵は動くかもしれぬと言い、この霧を利用しない手はないと言う。宇佐美は、妻女山を下ることを提案する。しかも、旗や篝火はそのままに捨て置くという方法だった。しかもその時海津城では、食事を準備する煙が立ち込めていた。それは、数時間内に武田軍が動くということだった。

別動隊には飯富、馬場、高坂、真田、相木らの1万2千の兵が投入された。「明日こそは決戦にござる」と勘助。その後陣中で将校も兵も食事を摂り、勘助は真田や相木と共にいた。かつては彼らはすべて武田の敵であったが、晴信によってその運命を変えられた。敵を勢いづかせないためにも、別動隊の役割は大きかった。あるいはもう会えぬかもしれぬと真田は言い、相木はこのような戦いは、海ノ口以来だと言う。

信玄は信繁と差しで食事を摂り、今日は兄と呼んでくれと信繁に言う。この時信玄41歳、信繁37歳だった。信繁は息子の信豊に訓戒をしたため、お屋形様に逆意あるべからずと最初に書いたものの、このような訓戒がなくてもすむ世になってほしいと言う。そのためにも生き抜くのじゃと信玄。また信玄は、亡き大井夫人の衣に自分で陀羅尼を書いた物を信繁に渡し、いざという時は、これがそなたを守ると手渡す。その後、別動隊が次々に妻女山を目指して行き、山の方から霧が出始めた。

しかし妻女山に入った別動隊は、先に放った物見がことごとく討ち取られているのに気づく。そして真田幸隆は、敵の姿が見えないのを訝しんでいた。その頃忍芽はひどく胸騒ぎがしていたが、信じるほかない、信じることこそ女の戦と葉月に告げる。かたや上杉軍は山を下り、千曲川の方へと行軍を続けていた。また武田の本隊は、川中島へと向かう。武田は鶴翼の陣を敷いたが、敵はまだ見えなかった。霧で遅れているのではと言う勘助に、この霧は味方にばかり有利ではないと信玄は答える。

その時百足衆の一人が、かなたに騎馬武者が見えると報告する。それは上杉の兵で、しかも武田に不利な車懸の陣を敷いていた。別動隊は妻女山山頂がもぬけのからであることを知り、急いで下山するが、その時まで時間稼ぎをする必要があった。勘助は自らの失敗を認めるが、信玄に「そちがうろたえて何とする」と諭される。勘助の脳裏に、板垣信方の「真の軍師になれ」という言葉がよみがえった。勘助は鉄砲を用い、本陣を固めるものの、上杉軍の攻撃で陣形が乱れ始めていた。

そして信繁が、時間稼ぎのために本陣を発った。信玄から授かった陀羅尼の布の母衣をつけていたが、途中で春日源之丞に、これを信豊に渡せと命じる。自分の命は惜しくはないが、この母衣が奪われるのは口惜しいということで、そのまま信繁は馬を進め、上杉の武将たちと斬り合いとなる。満身創痍になりながらも敵を倒す信繁のもとへ、傅役であった諸角虎定が駆け寄る。信繁は最終的に柿崎景家に討たれ、虎定も上杉の騎馬武者に囲まれて落命した。信繁と諸角豊後守(虎定)の討ち死にの知らせは、ほどなく信玄のもとへと届けられた。

**********************

しかしこの場合、どう見ても宇佐美の方が勘助よりも上手だったということでしょう。というより、上杉方もおふくから情報を得ていたとは、よもや思わなかったのでしょうが。しかしおふくもまたちゃっかりしています。無論彼女にしてみれば、どちらに付くわけでもないのですから、両方に同じ情報を教え、報酬をもらえればあとはそちら次第というわけです。まさに信玄の言葉通り、この霧は味方にばかり有利ではなかったわけです。おまけに食事の準備をするのを、妻女山という高所から見下ろせる位置にいたのも、上杉には有利でした。

そして、信玄の最愛の弟である信繁が、この戦いで戦死します。さらに彼の従者ともいうべき諸角虎定も、この時に命を落とします。その意味でもこの第四次川中島の戦いは、一連の戦いの中でまさに激戦であり、死傷者を多く出した戦いでもありました。しかもこの時の信繁は、既に母衣を春日源之丞に渡していたため、何度かにわたって敵の槍を受けながらの死闘で、止めを刺したのは柿崎景家でした。この人は猛将として知られていますが、最近の研究では、内政の能力もあった人物といわれています。

[ 2018/04/08 23:45 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山の歴史的背景30-小田原攻めと成田長泰

長尾景虎は小田原攻めを行う際に、成田長泰を味方につけます。この時の関東出兵は、北条氏康に攻められていた里見義堯の要請によるものでしたが、景虎は長泰が城主である忍城に入り、そこで正室の伊勢を人質に取ることになります。この長泰はかつては関東管領上杉家の家臣で、その後は北条氏の家臣となっていました。また伊勢は都の公家の姫という設定ですが、実際の長泰の正室(白井局)は、長尾氏の出身であったとされています。

これにより北条氏康の軍は一度撤退し、最終的に小田原城に籠ることになります。後世の、氏政が当主の時の小田原征伐とは違い、この時は氏康が長尾軍の補給路を断たせたため、結局小田原城は落ちず、しかも武田が北信濃に攻め込んだことから、景虎は一旦引き上げざるを得なくなります。この時ドラマでは、景虎が酒を持って城門から一人で入り、北条の矢弾をものともせずに、悠々と酒をあおるシーンが登場します。

実は先日より始まった『軍師官兵衛』のアンコール放送、官兵衛が北条氏政に投降をせまるところから始まりますが、この時も矢や銃弾が飛んでくるにもかかわらず、かすりもしないわけです。あれは、この『風林火山』のシーンを参考にしたのでしょうか。それはさておき、越後へ戻る前に、景虎は鎌倉の鶴岡八幡宮で、正式に上杉の名跡を継ぎ、憲政の政をもらって、名を政虎と改めます。沿道には新しい関東管領を迎える人々であふれていました。

この時成田長泰は、烏帽子直垂の正装で騎乗していました。これを見た政虎は、長泰を馬から引きずり下ろして暴行を加えます。このことで人質になっていた伊勢が、成田家の先祖が、源義家にも下馬せずに挨拶をしたと夫を弁護します。実際はこの時は扇で額を叩き、烏帽子を落としたといった程度のもので、それでも十分非礼ではあるのですが、あの暴行の仕方はこの大河の政虎=謙信のキャラ同様、常軌を逸したものがあります。

これに関しては領地争いも絡んでいたという説もあります。結局長泰は兵を連れて忍城へ戻りますが、その数年後政虎に屈します。この時に隠居して家督を嫡男に譲っていますが、恐らくこの時既に70近くで、当時としてはかなり年配でした。その後は家督継承でもめ、完全に第一線を退くことになります。なおこの人物は、豊臣秀吉の小田原征伐時には既に亡くなっており、石田堤が築かれた忍城を守っていたのは、弟の泰季でした。

飲み物-ブラウンエール
[ 2018/04/07 23:30 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第48回「いざ川中島」

いよいよ第四次川中島の戦いが始まります。双方とも、攻め急いでは負けると考えつつ策を練る中、武田は妻女山に入った上杉軍の退路を断つ作戦に出ます。しかしその時、原虎胤が生きているという知らせが届きます。彼を匿ったおふくは、見舞いに行った勘助に「濃い霧が明日出る」と予測しますが、これが合戦に大きく影響することになります。

**********************

永禄4(1561)年8月16日、長尾景虎改め上杉政虎は出陣した。一方甲府での評定では、海津城の攻防が話題となった。直ちに出陣をという要求もあったが、信玄は、急いては敵の思うつぼと様子見を決め込んでいた。また義信は勘助に、海津城は落ちぬと申したなと念を押す。勘助は、攻めかかりもしませぬ、海津城を落としてはお屋形様を引き寄せられませぬと答える。それは、上杉方が最も望まないやり方であった。

一方上杉陣では、海津城は落とせるとの見方があったが、弱者をいたぶるようなやり方は最も好まぬと、政虎は一蹴する。政虎は八幡原から千曲川、妻女山という進路を取るつもりだった。直江実綱はそれを不安視するが、宇佐美定満は、信玄は川中島で真っ向から来ることになると言う。その海津城の城主である香坂虎綱は、上杉軍が夜間に進軍して来るのを目の当たりにしていた。

政虎が妻女山に入ったことを知った信玄は、直ちに出陣することを香坂に伝えるよう命じた。この戦には義信も出陣することになっていた。義信は幼い頃、不動明王について傅役の飯富虎昌が話してくれたことを思い出していた。三条夫人は義信を案じつつ、不動明王の間に入った。信玄はそなたを今まで恐れさせてしまったと三条夫人に告げる。三条夫人はそんな夫に、さようにお思いでしたら此度は勝利をと伝える。2人の結婚から25年が経過していた。

一方出陣が決まり、勘助は朝から槍の稽古をしていた。そんな勘助に、リツは初めて父上と呼びかけ、自分が香坂に嫁ぐこと、そして、留守中は自分が山本家を守ることを明言する。やがて山本家の男たちは、女たちに見送られて出陣した。そして8月18日、勘助は諏訪の由布姫の墓前にひざまずき、勝頼が初陣を飾ることを伝える。すると光が差し、由布姫がそのばに現れてこのように言った。
「勘助…なりませぬ」
その後諏訪から秋山信友が勝頼とやってきたが、勘助は上意であると言って、勝頼に高島城入りを勧める。

信州上田の武田本陣では、勘助のこの策を信玄がほめた。そして勘助が下がった後、信玄は側近の駒井政武に、勘助は怯えているかどうか尋ねる。山本殿は、その身をお屋形様に捧げる覚悟であると答える駒井。信玄はよう仕えてくれたと駒井をほめ、生きながらえるようにと命じる。その後信濃勢が合流した武田側は、8月24日に雨宮に入り、上杉の退路を断つ作戦に出る。この時双方が、攻め急いだほうが負けであると考えていた。政虎は妻女山から動かなかったが、兵糧を絶やさぬため、上杉の雑兵は乱捕りまでやっていた。

8月29日、武田勢は海津城へ入った。今こそ襲撃をという柿崎景家だが、それでは敵の思うつぼだと諭される。そして海津城では信玄が、何かと割れることの多い勘助と馬場信春とで、策を立てよと命じていた。しかしその時、行方不明になっていた原虎胤が生きていたとの連絡が入り、勘助が会いに行くことになる。とある百姓家の軒先で、原の兜をみつけた勘助は中に入り、原が負傷して横たわっているのを見る。その家ではおふくという、怪しげな老女が彼の面倒を見ていた。何かにつけて報酬をせびるおふくに、勘助は川中島にいつ濃い霧が立ち込めるかを聞いてみた。おふくは雲の流れを見て「明日じゃ」と答える。

**********************

いよいよ合戦という時、リツが初めて勘助を父上と呼び、香坂虎綱と結婚することを伝えます。こで心おきなく勘助は戦に向かうことになりますが、茂吉の息子(太吉の孫)が佐助なのですね。よもやこの佐助が、『真田丸』のあの佐助となったのでしょうか。年齢的にも同じくらいですし。この大河と『真田丸』は結構接点があるため、ついついそのようなことを考えてしまいます。

それから由布姫の墓を訪れた勝頼に、勘助はお屋形様のお下知として、高島城に入るように伝えます。いささか不満げな勝頼ですが、彼がこの合戦で初陣を飾っていたら、どうなったのかとも思います。しかしなんだかんだで上意としつつ、実際は勘助の捏造というのも結構ありそうです。信玄から、面倒くさいことは儂の下知としておけと言われている可能性もありです。

それから百姓家の老女おふく、何やら怪しげな雰囲気ですが、金銭に目がない辺りはやはり俗世の人間です。というか、この人は要は戦争ビジネスで儲けているわけです。この家にムカデのごま油漬け?がありますが、そういえば武田には百足衆がいましたね。

[ 2018/04/01 23:00 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第47回「決戦前夜」

上杉政虎と名を改めた景虎が、成田長泰に暴行を加え、諸将が引き上げて上杉も相模から退きます。いよいよ上杉と武田の直接対決が始まろうとしていました。また香坂虎綱は、リツとの結婚を承諾します。

*************************
 
関東を平定し、上杉の名跡を継いだ政虎(景虎)は、武田が海津城を築いたことを知る。その政虎は家督継承後、自分の行列を馬上から見ていた成田長泰に腹を立て、暴行を加えていた。その挙句、成田は他の関東の諸将と共に、政虎の陣から兵を引き上げてしまっていた。しかも人質である妻の伊勢は、人質として留め置かれたままだった。

成田は自分にも伊勢にも無礼を働いたと政虎は怒る。しかし伊勢は、夫が上杉を裏切った報いなら受けるが、無礼の報いは受けぬと言う。夫の祖先もその昔、源義家と馬上で例を交わしており、諸将は裏切ったのではなく見限ったのだと断言する。さらに伊勢は、神仏を敬う貴方様がかくも人の心に無知であるのか、天罰などと言っても所詮は人間の驕りと、強い言葉を政虎に投げつける。

政虎は伊勢を斬ろうとする柿崎景家を止め、伊勢の言葉を自らへの戒めと受け取った。そして武田の動きを知り、関東を引き上げる。伊勢は忍城へ送り返した、それは成田が北条につくのを防ぐためでもあった。そして永禄4(1561)年5月、割ヶ嶽城は落ちるが、原虎胤が負傷して行方不明になる。そして伝兵衛は内応者を募った功績として、黄金3すくいを受け取ることになる。

小田原城では上杉が引き上げたこともあり、酒宴が催されていた。これも武田のおかげと言う清水吉政に、武田もいずれは敵となることもあると氏康。そして、焼けていた二枚貝を見ながらこう言った。
「よく焼けぬ貝(甲斐)、よくよく食えぬ男よ」
その頃真田幸隆は、川中島の戦のことを忍芽に話していた。あの相手に謀略では戦えぬと言う幸隆。その時河原隆正が訪れ、長野業正が亡くなったことを知らせる。

勘助は、香坂(春日)虎綱にリツを引き合わせる。最初は互いに乗り気でなさそうだったが、結局香坂がリツを気に入る。ただし山本家を継ぐのをためらっており、ならば男子が何人か生まれたら、一人に山本家を再興させるということに落ち着く。そして越後では、政虎が甥の卯松(後の景勝)に習字を教えていたが、それを見ていた桃姫は、弟に何かの変化があったのに気づく。政虎に言わせれば、それは慈愛だった。

さらに矢崎家では、平蔵が出陣が決まったと言って戦支度をさせる。必ず戻って来るようにと夫を説得するヒサ。そして永禄4年8月14日、上杉軍は出陣するが、平蔵は今一つうかぬ表情でいた。そして狼煙でこれを知った晴信は、家臣を集めて策を練る。海津城は危ういかと訊く晴信に、勘助は答えた。
「されど、海津城は落ちませぬ」

**********************

慈しみ、慈愛といった言葉が出て来る回ですが、ありがちな女性主人公の大河のように、それのみが前面に出て来ないところには好感が持てます。しかし景虎改め政虎の、卯松に対する姿勢が変わったというのには、多分に伊勢の言葉も影響しているように見えます。

それから勘助がリツを香坂に引き合わせるシーン、リツは自分の城だから、リツを見れば自分の奥義がわかると言って、香坂が首をひねります。何やら苦し紛れの会話ですが、この手の会話に慣れない勘助としては、何とかうまくまとめた方でしょうか。しかし香坂は、勘助がどうこう言うよりも、リツの持つ雰囲気にほだされたようです。川中島の戦いが始まるまでは、めでたしめでたしだったのですが…。

そして上杉軍撤退後、北条氏康が酒宴を催すシーン。清水吉政が「今宵はよろしいのでは」というのは、もちろん北条家では酒は朝に嗜む物だったからですね。しかしこの
「焼けぬ貝かな」
のシーン、結構好きです。その後氏政と氏康が2人で舞うシーンもいい。とにかくこの『風林火山』では、今川家でもところどころ舞のシーンが登場しますが、如何にもこの時代を表していていいものです。

[ 2018/03/24 00:30 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山徒然-43

放送は既に終わりましたが、こちらはもうしばらく続きます。長尾景虎の関東平定ですが、当然北条はいい顔をしません。最終的には小田原城に籠城し、しかも長尾方の補給路を断つ作戦に出たため、北条の勝ち戦に終わります。後年、豊臣秀吉が小田原攻めを行った時、北条は同じ籠城策に討って出ます。しかし景虎の時とでは、如何せん人数が違い過ぎました。しかし武田、北条、上杉というと、かの沼田錠を巡る争いを思い出します。あの時猪俣邦憲が名胡桃城を襲撃したりしなければ、またその後の歴史は変わっていたのでしょうが。

そして武田とはと言えば、北信濃を撹乱する作戦に出ます。北信濃というのは、常に武田の標的となりかねない地域であり、これで揺さぶりをかけたわけですが、しかし伝兵衛と葉月が晴れて夫婦になる、その発端となった戦でもあるわけです。縁談と言えば、海津城が完成しつつあり、その城主になる春日虎綱に、勘助は嫁を迎えないか、つまりリツをもらえと言い出すわけです。無論これは創作ですし、実際は養父香坂筑前守の娘と結婚していて、息子を3人儲けますが、その二男が『真田丸』に登場した春日信達です。そういえばあの中では、海津城の庭に百日紅の木がありましたが、あるいは勘助があれを植えるように命じたのでしょうか。

さらに景虎は、上杉の名跡を継ぎ、上杉政虎と名乗るようになります。前の管領様も大抵に遊び好きではありましたが、新管領様はこれまたどこか不思議な人物ではありました。しかし前管領の上杉憲政は、政虎(後に輝虎)没後に起きた御館の乱で処刑されてしまうわけで、この人物がもう少し前の時代に生まれていたら、北条におびえることもなく、結構波乱はあったものの、管領として一生を終わることができたでしょう。管領という、如何にも中世的な官職の終焉と同時に、大名としての上杉の栄華もまた、終わりを迎えつつありました。これも『真田丸』で上杉景勝が、信玄公の昔にと言っていたのを思い出します。

飲み物-ビール2種類
[ 2018/03/23 00:45 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第46回「関東出兵」

今川義元が桶狭間で戦死し、その一方で長尾景虎は上杉を継ぐことになります。この上杉に対して、信濃で一戦を交える予定の武田は、要所に城を築くことになります。その建設を請け負ったのは、かの香坂虎綱でした。

**********************

長尾景虎は関東管領、上杉憲政の名跡を継ぐことになった。そのために関東平定を目論み、北条攻めを行う。また武田としても北条を助け、さらにこの動きを阻まなければ、信濃の領主たちは景虎になびく可能性があった。信濃で景虎と一戦交えるためにも、川中島周辺に城を作る必要はあり、勘助は牧城で香坂筑前守の養子となった春日虎綱と話し合う。城の建設予定地は八幡原で、香坂を城代とし、両者とも次の景虎との戦いに四郎を初陣させるつもりでいた。

しかしこの戦が長引けば、武田家が後継者不在となることも考えられた。元々武田の勝利は、勘助の謀略によって得られたところが大きかったが、今度はその策によって敗れることも考えられた。そして永禄3(1560)年8月29日、景虎は関東へ攻め込んで厩橋城を占拠する。この頃久留里城攻めにかかっていた北条氏康は、松山城へ引き上げた。

厩橋城には、関東の諸将が集まって来た、その中には憲政の腹心である長野業正もいた。大儀であったという憲政に、今はそなたの主はわしであると言う景虎。長野の顔色の悪さを倉賀野直行が咎めるが、北条の顔色が移っただけであると長野は取り繕う。また氏康は無理な戦はしないというが、その氏康がこの関東を奪った以上、油断はできなかった。しかし憲政が、竜若丸の仇を言うのに対し、景虎は天の命じるところによりと、それぞれの意見の食い違いが見られた。一方氏康は松山城から小田原城へ戻ることにした。

香坂の海津城が完成した。攻めるための城、勝つための城じゃと勘助。もっと築城について色々教えを乞いたいと言う香坂に、年齢はいくつだと尋ねる。34と答える香坂に勘助は、なぜ嫁を取らぬかと訊くが、香坂は山本様を見習ってと答える。

永禄4(1561)年正月。景虎たちはまだ厩橋城にいた。宇佐美定満は自分の部下となった平蔵に、お屋形様をどう思うかと尋ねる。「いくさがみの化身のよう」と答える平蔵に宇佐美は、皆がさように見たがっておるだけで、お屋形様は神でなく人に過ぎぬ、強大になれば驕りも生じるであろう、それが危ういと言って聞かせる。さらにその後、景虎は10万の兵を率いて忍城へ行き、城主成田長泰に自分の先鋒になるように命じる。そこへ成田の妻伊勢が現れた。都から嫁いで来ており、関東に来る途中は風が強く、霊峰富士も見られなかったと言う彼女の言葉を聞いて、景虎は成田に伊勢を人質とするように告げ、富士を見られよと言う。

しかし厩橋城攻めは当初の予定の3日では終わらなかった。小田原城が堅牢であるうえに、氏康が味方に補給路を断たせたためである。この場合、戦が長引くほど北条が有利になった。また今川氏真は、松平とのことで出陣が難しく、結局武田が北信濃の割ヶ嶽城を落とすことになる。これには相木と原が指揮官として選ばれた。この城攻めの最中、葉月が伝兵衛に近寄り、城主を降伏させることを伝える。機密事項であり、二人は互いに抱き合う振りをしながら密談をかわした。そして伝兵衛は葉月に、この戦が終わったら自分の嫁になってくれと言った。

ところで小田原城は、3日経っても落ちなかった。神仏の御加護は我にと景虎は言うが、伊勢は、戦をする神や仏が信じられぬと言う。それを聞いた景虎は小田原城の城門から酒を持って入り、矢や銃弾が彼を狙う中、己が力を信じ、悠々と酒盛りをしてみせた。氏康はそれを見てつぶやく。
「あのような敵と、我らは戦っておるのか」

その年の閏3月16日、景虎の上杉家の家督相続が、鶴岡八幡宮で行われた。沿道には関東の諸将が詰めかけ、成田長泰もその中にいたが、一人騎馬姿であった。参列していた宇佐美は、それを見てまずいと直感する。案の定景虎は、成田を非礼であると馬から引きずり下ろし、あらん限りの暴行を加えた。

**********************

矢や銃弾が降り注ぐ中で、堂々と景虎が酒盛りをする回です。この景虎の動きを見計らって北条と武田が動きますが、今川はそれどころではありませんでした。無論、松平信康が岡崎城に立てこもり、今川を敵に回すような行動に出たためです。実際氏真が動いた場合、どうなったかはわかりませんが、彼(あるいは寿桂尼)がこの時やっていたのは、自分の配下にある国衆たちを押さえつけておくことでした。

そして武田は割ヶ嶽城を落とし、この時伝兵衛は葉月と夫婦約束をかわすことになります。そして勘助はといえば、香坂弾正虎綱に嫁を取る云々の話をしますが、恐らくこの時点でこの人物を、リツの夫にと考えていた感はあります。何と言っても自分の「教え子」に自分の「養女」を嫁になるのですがら、かなり好都合です。それにしても厩橋城、「前管領」憲政と、「現管領」景虎とが恐ろしく違った印象ですが、あれ家臣はどう思ったのでしょうか。

[ 2018/03/19 23:00 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

実は『いだてん~東京オリムピック噺~』を観なくなったので、再び『西郷どん』復習の投稿をアップしています。関連文献もまた読もうかと考えていますし、BSで再放送中の『葵 徳川三代』の再放送も観ています。そしてパペットホームズの続編ですが、これは是非とも三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、『相棒』をはじめとする刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、いよいよ日本でのワールドカップの年です。今季は代表下部チームとの兼ね合いもあり、スーパーラグビーでは今一つでしたが、ワールドカップでのベスト8成るでしょうか。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

TopNTagCloud