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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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大河関連本と大河のあり方

以前、『花燃ゆ』放送時に少し触れたような気がしますが、『大河ドラマ読本』という本が洋泉社から出ていたことがあります。実はそれを読んだことがあるのですが、あまり面白くなかったのを覚えています。時期的に冒頭が『真田丸』で、表紙が『龍馬伝』、『篤姫』、『天地人』のそれぞれの主人公で、この3作品をはじめ、『新選組!』や『義経』が大々的に取り上げられています。しかしなぜか『風林火山』がその中にありません(その次の章では取り上げられていますが)。恐らくその辺りも、面白味を感じなかった一因であるかと思います。『花燃ゆ』が批判されていたのはまだわかるのですが。

また同じ会社から、同じ頃に『大河ドラマと日本人』なる本も出ています。こちらも確か立ち読みか何かでページをめくった記憶があるのですが、やはりさほど面白味を感じませんでした。『読本』の方は、松村邦洋さんが登場していましたが、こちらは星亮一氏と一坂太郎氏という、歴史に携わっている人々の対談になっています。しかし内容がどうも主観的というか、それぞれの好き嫌いで判断されているふしがあること、さらにDVDがあるにも関わらず、観ておられない作品があるということで、これでは大河全体の分析がきちんとできているのか、疑問に感じられます。実際ネット上で、この内容への違和感を目にしたこともありますし、アマゾンの書評でも批判的なものが見られました。

大河関連の本というと、今までの作品集大成をはじめ、色々な作品に言及するタイプの本が多いのですが、本当の話、もう少し突っ込んだ内容の物がないかと思っています。ただしディープに突っ込むにしては、1年というスパンで区切られていて、シリーズ物でないことから、ドラマそのものの変化や成長を見極めるのが難しいと思われます。昨今の大河の多くが面白くないというのは、スタッフやキャストもさることながら、主人公が出尽くした感があること、費用を掛けていないこと、SNSに頼り過ぎなこと(これは実際フォローしていてそう思います)、とかく過去の作品と比較されがちなことなど様々ですが、この、1年間で完結するという点にも問題はありそうです。むしろ今必要なのは大河を続けるべきか否か、続けるならこれらの諸問題を如何に解決するのか、それを論じた書籍ではないかと思うのですが…。

飲み物-アイスコーヒー
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[ 2018/04/03 00:45 ] | TB(-) | CM(0)

『若草物語』と『ダウントン・アビー』

11月29日のグーグルトップは、ルイーザ・メイ・オルコットの生誕184年記念ということで、『若草物語』のイラストでした。私としては、『赤毛のアン』の方が好きなのですが、この『若草物語』の巡礼遊びで『天路歴程』を、ピックウィッククラブでディケンズを知ったので、その意味では思い出深い本ではあります。無論『赤毛のアン』でも結構シェークスピアだの、レイヤーケーキだの、ブナ屋敷だの様々なことを知ったのですが。
『天路歴程』に関しては今までにも何度か書きましたが、ジョン・バニヤンの著書で、主人公クリスチャンが、破滅の町から天の都まで巡礼する様を描いたものです。清教徒(ピューリタン)に大きな影響を与えた書物で、『若草物語』も清教徒的なところがあります。尤もオルコット自身はユニテリアンという、かなり現実主義的なプロテスタント諸派の信者だったようです。
ところで一般にいわれる『若草物語』には続編があり、姉妹が結婚して家庭を持つところが描かれています。『赤毛のアン』もこれは同じなので、海外ではシリーズで読んでいる人も多いようです。

ところで『ダウントン・アビー』という海外ドラマがあります。12月4日からシーズン5がNHKで放送予定ですが、これのシーズン1のエピソードで、若草物語が登場するシーンがあります。伯爵夫人のコーラが、アメリカ出身なので登場したのだろうと思ったのですが、実はこれは、その後のシーンの伏線でした。
伯爵家のパットモア料理長が白内障に罹り、視界が定まらなくなって、お客用の料理であるローストチキンを床に落としてしまい、猫がくわえて行こうとして、下僕やメイドたちが慌てて取り戻します。かてて加えて、デザートに砂糖をかけるのですが、実はこれは塩だったわけで、これと似たシーンが『若草物語』の中にも登場します。
マーチ夫人が仮病を使って、娘たちに家事をやらせるところで、ジョーが料理を作ってお客をもてなすのですが、みんなどれもあまり食べようとしない。ならばとデザートの苺クリームで挽回しようとするものの、実はこれも、砂糖と間違えて塩を大量にふりかけてしまっていました。しかもクリームは腐って酸っぱくなっていたというわけです。

飲み物-コーヒーとキャンドル
[ 2016/12/01 01:00 ] | TB(-) | CM(0)

『太平記』第九章 鎌倉幕府滅亡ノ事

いよいよ鎌倉幕府滅亡です。しかし『太平記』はこれからがいよいよ正念場なのですが…幕臣である足利高氏が後醍醐天皇側につくことになり、鎌倉攻めの新田義貞は、剣を稲村崎で海に投じます。

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名越高家が討死し、南北の六波羅は風雲急を告げる事態となっており、兵をかき集めることに腐心する。そして北朝の光厳天皇、後伏見上皇、花園上皇は北の六波羅の館に入る。一方で、高氏の長男で人質に取られていた千寿王は、潜んでいた大蔵谷を何者かによって連れ出された。

5月7日未明、足利高氏は2万5千余りの兵を率いて丹波を出たが、今日に到着する頃にはその倍になっており、これに赤松の軍、そして後醍醐天皇の側近である、千種忠顕の軍が合流した。迎え撃つ六波羅勢は6万騎であったが、足利連合軍はこれを破り、六波羅の南北それぞれの探題は、帝と上皇を連れ落ちのびて行った。

しかし南探題の北条時益は途中で落命、光厳天皇は負傷、そして多くの敵軍を前に、北探題の北条仲時をはじめ400人以上の武士が自害して果てた。光厳天皇と二人の上皇は京へ送還された。そして上野では、新田義貞が挙兵していた。

幕府は京に軍を送る予定だったが、まず新田勢を討ち取ることにした。武蔵国小手指原で両軍は相まみえる。その最中、六波羅陥落の知らせが伝わり、退却する幕府軍を追って、新田軍もまた鎌倉へと馬を進めた。5月21日、稲村崎沖に敵の船を見た義貞は、海が開かれんことをと、剣を海に投げ入れる。

その後潮が引いたのを見た義貞は、馬を進めて鎌倉に入る。酒宴を張っていた北条高時は、嶋津四郎を当てにしていたが、あっさり降伏してしまう。さらにその後、新たに探題職を任じた金沢貞時、そして大仏貞直も戦死、高時たちは東勝寺へと逃げる。そしてその場で高時、長崎円喜と弟の高重、駿河時顕らも自刃して、鎌倉幕府は滅亡した。元弘3年(1333)5月22日だった。

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鎌倉幕府が終焉の時を迎えます。大河ドラマでは、確か金沢貞時も東勝寺で自刃する設定でした。また新田義貞勢は稲村崎を渡った後、極楽寺口から鎌倉入りします。この後時代は建武の新政となるわけですが、そこで今度は新たな問題が表面化します。

それからここのところお休みしていた『応天の門』、また来月辺りから再開しようと考えています。年末に始めるのも何ですが、年明けはまた新しい大河もスタートするので、その前からぼつぼつ始めておいた方がいいかと思っています。

[ 2016/11/23 01:15 ] | TB(-) | CM(0)

『太平記』第八章 義貞・高氏、謀反ノ事

畿内で幕府方が圧倒的に不利になり、隠岐の後醍醐天皇のもとにもその知らせが届きます。そしてついに新田義貞と足利高氏も、後醍醐天皇側に付き、幕府に対して反旗を翻すようになります。

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隠岐島に配流となっていた後醍醐天皇のもとへ、畿内の情報が届けられ、後醍醐天皇は臣下の千種忠顕に綸旨を認めさせて、各地に届けさせる。一方で鎌倉では、先帝こそ悪の根源であるとし、討手を差し向けため、後醍醐天皇と側近は密かに隠岐島を抜け出し、伯耆の名和長年のもとに身を寄せた。

名和長年は兵を率いて、船上山で討手を迎え撃つ。この時名和軍は150騎ほどであったものの、近隣諸国の部族の旗を偽造し、味方が押し寄せたように見せかけて、敵を欺く。また実態を悟られないよう、木陰から敵に向けて矢を射かけ、寄せ手の大将であった佐々木弾正左衛門は、それがもとで戦死する。

これによって佐々木弾正左衛門の軍は退き、またもう一つの敵である隠岐判官も、雷雨に足がすくみ、そこへ名和軍が猛攻をかけて勝利を納める。この知らせに、各地から援軍が押し掛けて来た。また今日では六波羅軍と赤松軍が戦闘を続けており、その他の関東勢はなかなか陥落しない千早城に手こずっていた。

しかも関東勢は、楠正成に味方する野武士たちに補給路を断たれ、兵糧が尽きかける有様で、退却を始めた兵たちはその野武士たちに命を狙われたり、命は助かっても、鎧や衣類を剥ぎ取られる者もいた。その関東勢の寄せ手の一員であった新田義貞は、鎌倉幕府の滅亡を確信し、後醍醐天皇に味方することを決める。

それには勅命が必要であった。義貞は家臣の船田義昌から、近隣の山中に大塔宮が潜んでいることを知り、令旨を受けて来るように命じる。やがて義昌は綸旨を持ち帰り、意を決した義貞は、そのまま領国へ引き上げてしまった。また他の関東勢も様々な理由をつけ、千早城を離れて行った。

無論鎌倉でもこれらの情報を受け取っており、さらに名越高家と足利高氏を将として、大軍を伯耆へ派遣することを決める。しかし高氏は、源氏である自分が北条氏に命じられることを快く思わず、弟の直義と相談し、一応は京に上るものの、その後伯耆へ密使を立てる。

高氏は後醍醐天皇から朝敵征伐の命を受ける。その一方で名越らと軍議を重ね、高氏は山陰道、高家は山陽道を経由して伯耆に入ることになるが、その途中で赤松円心の軍が名越を迎え撃つ。赤松は総崩れになったかに見えたが、名越を討ち取り、片や高氏はそのまま領地のある丹波に入り、そこに置いた本陣には、諸国からの武士が馳せ参じた。

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後醍醐天皇の隠岐脱出に加えて、いよいよ新田義貞、足利高氏の登場です。これは鎌倉幕府の消滅が近いことを意味し、新田義貞が剣を稲村ケ崎近辺で海に投じることになります。しかし幕府が滅んだら滅んだで、今度はまた新たな困難が待ち受けることになります。

大河ドラマの『太平記』では、千早城にましらの石がいて、楠軍の一員として加わっていました。そして高氏の方はといえば、妻子を鎌倉に留め置いたまま、京へ向けて進軍することになります。大河ドラマの方も、そろそろまたアップを考えています。

[ 2016/10/27 01:00 ] | TB(-) | CM(0)

『太平記』第七章 千早城ノ合戦ノ事

大塔宮が吉野を根拠地とし、いよいよ反幕府ののろしが上がり始めたため、北条高時も軍勢を送り込むようになります。しかしそこへ登場したのは、やはり「あの男」でした。

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大塔宮が発した令旨により、各地の大名が反幕府に転じ始めた。一方で北条高時もおびただしい軍勢を差し向け、京の六波羅軍と合流してまず赤坂城を攻める。赤坂城主平野将監はよく粘ったが、水を止められて投降、しかし武装を解かれた上に首を刎ねられ、その後吉野山や金剛山の兵で、投降する者はいなくなった。

また吉野へは、二階堂道薀の軍が押し寄せ、大塔宮は自害を覚悟する。しかしそれを諌めた人物がいた。それは村上義光だった。義光は宮を逃がしてその鎧をまとい、我こそは護良親王(大塔宮)と名乗って自害を果たし、本物の大塔宮は高野山へと脱出した。

しかし自害したのが、本物の宮ではないと知った二階堂軍は、楠正成が立てこもる千早城を攻めるが、楠方の策に嵌り、なかなかうまく行かない。赤坂城が落ちたのは水を止めたことに倣い、幕府軍は麓の水を止めようとするが、正成は別の場所から水を手に入れ、しかも城内の数百もの水槽に水を湛えておいた。

緊張が緩んだ敵の隙をついて、楠軍は幕府軍の名越勢を襲い、その旗を奪って城に掲げた。名越軍は城へ向かうが、やはり城に入ろうとするところを妨害され、包囲戦に持ち込むが、今度は暇を持て余していた。そんな折、楠軍が城から出たとの知らせに、弓を射かける敵方に襲い掛かる名越軍だったが、相手は弓を射ながら退却しており、彼らが斬りかかったのは藁人形であった。しかもまた楠軍の妨害に遭い、千早城は落ちなかった。

そして播磨でも、守りが手薄になった京に攻め込むべく、赤松円心が挙兵していた。赤松はまず兵庫で六波羅軍を破り、京へと向かう。元弘3年(1333)3月12日のことだった。

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いよいよ元弘3年、鎌倉幕府滅亡の年です。この時足利高氏も、当初は渋りますが、軍を率い、京へ赴くことになります。そしてその時には、あちこちで反幕府の火の手が上がるようになっていました。

[ 2016/10/06 01:30 ] | TB(-) | CM(0)

コミック シートン動物記

そういえば、子供の頃読んだことがあるという人も、多いかと思います。これは姫川明さんによる、小学館の学習まんがシリーズ発行の物で、収録されているのは

  • ロボ カランポーの王
  • サンドヒルのオジカの足跡
  • スプリングフィールドのキツネ
  • 白いトナカイの足跡

ちなみに「ロボ カランポーの王」は、所謂「オオカミ王ロボ」ですね。

以前姫川さんのブログで紹介されていた、「サンドヒルのオジカの足跡」を読みたくて購入したもので、シートン自身と考えられる主人公のヤンがシカを追い回す姿、先住民のチャスカとの出会い、そして最終的に、オジカを仕留めずそのまま別れる場面などが、活き活きと描かれています。無論他の3編、オオカミが人間をどのように感じているかやキツネの親子の情愛、トナカイの疾走する姿なども丁寧に描かれており、少年向けのため内容はコンパクトになっていますが、大人にもお勧めの一冊です。
巻頭に姫川さんによる動物のイラストの他に画像もあり、その他にも各編ごとに、その動物に関するクイズ、そして巻末ではシートンの年譜、人となりなども紹介されています。

余談ながら、『新・三銃士』も同じ小学館のシリーズでコミック化されています。

(画像はアマゾンより)
シートン動物記
[ 2016/09/25 01:45 ] | TB(-) | CM(0)

『太平記』第六章 大塔宮ト正成再挙ノ事

では、『太平記』コミック版第五章に行きます。後醍醐天皇の隠岐配流の一方で、大塔宮護良親王、そして楠正成が動き始めます。

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後醍醐天皇が隠岐に流された後、大塔宮は山伏に変装して諸国を巡り、討幕運動を進めていた。しかし幕府の追及の手は厳しく、ついに逃れらなくなったところへ、紀伊の野長瀬六郎が現れる。その他にも、大和の辺りには大塔宮に味方する土豪たちが増えて行った。そして大塔宮は、吉野を根拠地とし、諸国の武士に討幕の令旨を送付する。

その頃、赤坂城の落城から行方が知れなくなっていた楠正成が、忽然と姿を現した。元弘二年(1332)四月三日のことである。その頃赤坂城の主は湯浅孫六となっていた。孫六は突如現れた楠軍にあわてふためき、使いを六波羅に送る一方で、合戦に備えて兵糧を運び込ませた。しかし、夜間兵糧を密かに運ぶ人夫たちは楠方に待ち伏せされ、兵糧を奪い取られてしまう。

彼らは命を助けられたものの、楠方に加勢することになった。すなわち、兵糧を運ぶ兵たちが楠の軍勢に追われているようにして、赤坂城に近づき、孫六の隙をついて、赤坂城を戦わずして手に入れた。こうして楠正成は、和泉、河内の兵を従えて、五月十七日には住吉、天王寺付近に現れ、六波羅の幕府兵と対峙した。六波羅勢は五月二十日に京を発ち、二十一日に決戦の時を迎えた。

六波羅勢は相手の軍備のみすぼらしさを笑い、楽勝と思っていたところへ、左右から敵の挟み撃ちにあう。これを聞いた北条高時は、宇都宮治部大輔(公綱)を京へ派遣した。公綱は七月十九日に天王寺へ向かい、これを聞きつけた楠は、ある策を講じる。公綱軍が攻めて来た時、楠は既にその場におらず、退却したものと思われていた。

しかし夜になり、天王寺周辺の生駒山、秋篠の里から住吉難波の里に至るまで、楠軍の焚く篝火で埋め尽くされた。しかし一向に攻めて来ず、この持久戦に疲れた公綱軍は、ひとまず京へ引き上げることにした。すると、それを狙ったかのように楠軍が天王寺入りし、正成は「天王寺の妖霊星」として戻って来た。そしてその後、金剛山に大拠点を築くことになる。

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楠正成が再登場します。鎌倉方が送り出した宇都宮公綱とは、一戦も交えずして天王寺に舞い戻り、やがて赤坂城に代わる拠点を築きます。ここには支城が十七もあり、その一つが千早城で、ここでの戦いにおいて、またも正成の策が冴えわたることになります。

[ 2016/09/16 01:00 ] | TB(-) | CM(0)

『太平記』第五章 先帝ノ遷幸ト妖兆ノ事

六波羅兵に味方を捉えられた後醍醐天皇は、ごくわずかな供の者と隠岐へ配流となりますが、帝の流罪という暴挙に反感を覚える人々も少なくありませんでした。そして鎌倉では北条高時が政治を顧みず、田楽や闘犬にのめり込みます。

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元弘二年三月七日、後醍醐天皇は今度は隠岐へ配流となった。京から摂津、播磨を行くその最中、備後の豪族児島高徳は、帝にお伝えしたいことがあると待ち伏せを行うが、一行は山陽道ではなく、山陰道から美作に入る予定であった。高徳たちは美作の杉坂に向かうが、既に一行は宿に入った後だった。

そこで高徳は一計を案じ、宿の近くの木の幹を削って、このような文字を書きつけた。

天莫空勾践
時日無范蠡

翌日、一行がその前を通り、一同は誰が書いたのか、その意味は何であるのかを不審がる。勾践は越の王で、その臣范蠡が、敵国呉を滅ぼした故事を引用して、勾践を自分に、呉を北条になぞらえ、そのうち范蠡のような臣が出て来るに違いないという意味だと一同に教える。

その後一行は伯耆を経て、出雲の美保関から船で隠岐へ向かった。その間に持明院統の量仁親王(光厳天皇)が即位をしていた。隠岐の御所は如何にも小さかったが、側につく阿野簾子(三位殿の局)は天皇を励ます。

一方鎌倉では、北条高時が田楽に耽っており、ある夜田楽法師たちと共に乱痴気騒ぎをしていて、「天王寺の、や、ようれぼしを見ばや」という囃子が聞こえてきた。それをある侍女がたまたま覗くと、田楽法師たちはまるで鴉天狗に似た、鳥の化け物のようであった。また獣や鳥のものと思しき足跡がそこかしこに残されていた。

儒学者藤原仲範は、妖霊星は世が乱れる時に災いをなす星で、かつて聖徳太子が『未来記』を納めた天王寺のあたりから、動乱が起こり、国が亡びるということではないかと憂える。しかし当の高時はそういうことにはお構いなしで、田楽の次は闘犬に夢中になっていた。犬たちの死闘を何かのように喜ぶ高時に、眉をひそめる者も無論いた。

隠岐では、この有様では鎌倉幕府が滅ぶのも近いと、三位殿の局は口にする。それを聞いた後醍醐天皇も、自分の復権に野心を燃やすようになって行った。

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大河では最初から闘犬が登場し、高氏がそれに振り回されます。そして鴉天狗も大河のOPの冒頭に登場します。そして「天王寺の妖霊星」ですが、これは楠木正成のことであるといわれており、実際彼はその後、天王寺周辺で六波羅軍を迎え撃ちます(天王寺の戦い)。そして、大坂夏の陣で真田信繁が徳川家康を追い詰めたのも、天王寺口の戦いでした。


[ 2016/08/18 01:15 ] | TB(-) | CM(0)

『太平記』第四章 笠置落城ト武将楠ノ事

久々に『太平記』コミック版のあらすじに行きますが、そろそろまた大河のもアップしたいところです。この第四章は後醍醐天皇の笠置行幸に加え、楠木正成が登場します。

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後醍醐天皇一行は笠置に行幸し、近在の武士に行在所を守らせたが、人数も少なく、名のある武将もいない有様だった。そんな折、天皇の夢に登場した紫宸殿の庭に、木が一本立っており、しかも南の方角に枝を茂らせていた、その場に居合わせた人々は、天皇にその木陰の玉座を勧めた。この夢から後醍醐天皇は、楠という名の武将が近くにいないかを探らせ、楠木多門兵衛正成の存在を知る。

この楠木正成は、その当時の言葉でいう悪党と考えられる。この悪党は、鎌倉時代後期には既に武装集団を形成して、幕府や荘園領主の脅威となっていた。正成も、日野俊基と接触があったと考えられる。勅使の命で正成は後醍醐天皇の行在所に赴き、関東の兵は手ごわいものの、こちらにも戦法がある、心配なさらぬようにと言い残し、その後六波羅の兵に刃向うべく河内で挙兵した。

六波羅兵は攻めに手こずり、鎌倉からも出兵することになった。その兵を率いたのが大仏定直、金沢貞冬、そして足利尊氏らである。これは大軍で、太平記には二十万と記してあるが、これは誇張されており、実際には数万程度であったといわれる。しかし坂東武者に手柄を横取りされたくない一部の六波羅兵が、笠置城を攻め落とし、後醍醐天皇に従っていた貴族や僧、武士が捕らえられた。

上洛の途中でこれを聞いた関東の兵たちは、方針を変更して、正成が立てこもる赤坂城を目指すことになった。しかし楠木軍は、相手を悩ませるゲリラ戦法を多用し、赤坂城そのものにも、敵を欺く仕掛けが施されていた。ついに関東方は兵糧攻めに持ち込む作戦を採る。それから二十日以上が経ち、楠木方の兵糧も底をついてきた。

すると正成は、自ら赤坂城に火を放って忽然と姿を消した。この如何にも型破りな発想は、それまでの武士たちは、持ち合わせないものであった。

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大河ドラマではましらの石が、日野俊基から依頼された剣を届けに行き、そこで楠木正成と接触して、楠木軍の一員として戦う様子が登場します。また、赤坂城に移るに当たり、家屋敷を焼くシーンもありました。いずれにせよ、この「悪党」正成の戦法は、当時としてはかなり常軌を逸した、それゆえに相手を欺きやすいやり方であったといえます。

[ 2016/08/03 01:00 ] | TB(-) | CM(0)

『太平記』第三章 資朝、俊基ノ斬罪ノ事

平穏に終わったかに見えた正中の変の戦後処理、しかし後醍醐天皇と側近は、反幕府勢力を益々強めるようになります。それに呼応するかのように、幕府方もまた動くようになり、ついに日野資朝と俊基は捕らえられます。

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正中の変により、討幕計画は頓挫したものの、後醍醐天皇の寵姫阿野簾子に男児が誕生する。そして正中三年(1326年)三月、皇太子であった邦良親王の薨去により、簾子は我が子を後継者にと目論むが、後醍醐天皇は第一皇子である尊良親王を皇太子とする予定だった。そして、後醍醐天皇に位を奪われた後伏見院はひそかに工作し、自らの皇子である量仁(かずひと、光厳天皇)を幕府の仲介で立太子させた。

これを受けて後醍醐天皇は、中宮禧子の懐妊目的で文観僧正を呼び、関東調伏の祈祷をさせた。この祈祷は四年に及び、その間に反幕府勢力が台頭して来ていた。その間に簾子は三人目の皇子、のちの後村上天皇を出産する。そして元徳二年(1330年)に、後醍醐天皇は南都北嶺への行幸を重ね、延暦寺では天台座主の大塔尊雲法親王と接近するが、これは幕府の知るところとなった。関東調伏を企てた文観は捕らえられて拷問を受け、結局後醍醐天皇の行幸の理由から、法親王が武芸に励んでいることなど、あることないことを話してしまう。

これによって日野俊基は鎌倉に送られた。そして資朝は佐渡に流され、斬罪となる。しかし息子の阿新(くまわか、後の国光の中納言)は、父の最期を見届けたいと、中間と共に佐渡に渡るが、守護職本間入道は故意に父子を会わせず、資朝は斬首され、その首が阿新の元に届けられた。入道は身を隠したが、屋敷にいた子の三郎を阿新は斬り、山伏の助けを借りて逃げ延びる。一方俊基も鎌倉で斬首され、身の危険を感じた後醍醐天皇は、女房車に見せかけた車に三種の神器共々乗り込み、笠置へと移った。

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大河ドラマでは、足利中心ということもあり、この阿新が登場しないのが残念でしたが、その一方で、花夜叉一座との絡みなどはかなり描かれていました。そしてこの後はいよいよ、かの楠木正成の登場となります。

[ 2016/07/21 00:45 ] | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

実は『いだてん~東京オリムピック噺~』を観なくなったので、再び『西郷どん』復習の投稿をアップしています。関連文献もまた読もうかと考えていますし、BSで再放送中の『葵 徳川三代』の再放送も観ています。そしてパペットホームズの続編ですが、これは是非とも三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、『相棒』をはじめとする刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、いよいよ日本でのワールドカップの年です。その前にスーパーラグビーの結果はどうなるでしょうか。

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