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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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西郷どん復習編5-御前相撲出場と糸の思い

糸の下駄が吉之助の頭に命中して流れて行ったため、吉之助は糸に自分の草履を与えるものの大きすぎ、結局は糸を背負って、捕らえた鰻を渡すために大久保家まで行きます。さらに吉之助は糸のために草履を作り、迷惑をかけたと思う糸は、返礼として小物入れを作って吉之助に渡します。糸は海老原家との縁談をまだ決めかねており、それを見ていた大久保正助は、糸を密かに思っていたものの、当の糸は吉之助を思っていることを知ります。

その頃仙厳園では御前相撲が行われていました。下加治屋町郷中の総代、つまり代表は吉之助でなく村田新八に決まり、新八も本番に向けて意気込んでいたものの、当日になって腹具合が悪くなり、土俵を汚してはならぬと吉之助が代役を買って出ます。本来届け出のない者が出場することはできませんが、それが吉之助と聞いた島津斉彬はこれを認めます。そんな吉之助を応援し、菓子を賭けたのは斉彬の養女於一(篤姫)でした。吉之助は勝ち上がり、決勝戦で糸の縁談相手である、海老原重勝と対戦することになります。

西郷どん5吉之助代役 
新八の代役として土俵に上がる吉之助(鈴木亮平、左)

吉之助は重勝が足首を負傷していることを知りますが、わざと負けることも、相手の弱い点を突くこともせず、四つに組んで勝ちます。それを見た斉彬は自分も名乗りをあげ、吉之助と組むことになりますが、吉之助はひるまずに斉彬を投げ飛ばし、そのため西田町下会所の牢に入れられてしまいます。しかしそこには奇妙な姿の先客がいました。下男がその男を殺そうとしたため、吉之助はその下男を失神させ、妙な先客を背負って逃げ出します。実はこれは、すべて斉彬の仕組んだことでした。

この男ジョン万次郎は、かつて漁船が漂流してアメリカの捕鯨船に助けられ、その後しばらくアメリカで暮らすものの、故郷の土佐の母に会いたくて密かに戻って来ていました。アメリカでは愛のことをラブと言い、結婚も好きな物同士のラブによるものだと聞いて吉之助や正助たちは驚きます。このこともあって正助は吉之助に、糸に会って縁談を断らせるべきと言いますが、吉之助はその意を汲むことができません。どうも吉之助はこの辺に疎い人物で、それが後々まで続きます。

しかもこの時吉之助には、伊集院家の娘須賀との縁談が来ていました。結局糸は重勝と結婚することになり、この時点で一見丸く収まったかに見えますが、後に子供ができないことを理由に離縁されてしまいます。それはともかく、2人の男女はそれぞれ違う相手と結ばれることになり、「ラブ」とも無縁で、正助の骨折りも水泡に帰した感はありました。しかし最後に糸は、子供の頃から吉之助さぁをすいちょりもしたとそっと打ち明け、去って行きます。

西郷どん6吉之助と糸 
吉之助に思いを打ち明ける糸(黒木華、左)

無論この一連のことはフィクションと思われますし、その当時薩摩の男女がここまで思いを打ち明けるなどというのも、恐らくはなかっただろうとは思います。しかし描かれ方としては面白いものがあります。またこの第5話と第6話は艶事だけが描かれているわけではなく、その裏で進行している事案ももちろんありました。次回はそれについて書く予定です。またこれに関して、以前ご紹介した鈴木祐司氏の記事がありますのでご紹介しておきます。

大河ドラマ『西郷どん』は“出会いと別れ”の物語~林真理子&中園ミホの魔法で今後は静かにブレーク!?~
ここに登場する満足度は、面白かったか否かの5段階評価で、今のところ関東地方でのみ実施されているようです。最近満足度とか視聴熱、視聴質などなど様々な指標があってちょっと戸惑います。専門家の分析には不可欠なのかもしれませんが。

それから記事中の「テレビウォッチャー」のリンクですが、現在売り出し中のドメインに飛ばされますので、興味のある方は下記リンクからアクセスしてください。

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[ 2019/04/22 23:00 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代徒然-3

慶長3(1598)年8月18日、太閤秀吉が薨去します。石田三成は淀殿に、朝鮮から軍勢が戻るまでは、このことは伏せるようにと進言し、遺体は阿弥陀ヶ峰に移した後、本葬を執り行うことにします。一方で徳川家康は北政所に取り入っていました。北政所をまんかか様と呼ぶ家康は、その後伏見屋敷に戻って褌姿となり、本来他言無用とされた秀吉の訃報を、秀忠には打ち明けます。その後秀忠は江戸へ戻り、万が一に備えて戦支度をすることになります。江戸ではお江が秀忠を出迎えます。このお江は淀殿の末妹で、義父柴田勝家と母お市の方自決後は秀吉の庇護を受け、佐治一成に嫁ぐも離縁され、2度目の夫羽柴秀勝は朝鮮で戦死、そして今は秀忠の正室となって、娘の千は豊臣秀頼の婚約者となっていました。

年が明けて慶長4(1599)年、正月の10日に秀頼は、父秀吉の遺言通りに傅役前田利家、母淀殿と大坂城へ入ります。北政所は西の丸へ移ることになり、これも後家役割であると言います。しかし家康は引き続き伏見に留まったままでした。その頃三成は、島津義久と義弘が家康と行き来していたことを知り、やましいことがないなら誓紙を出すように迫ります。そこへ家康がやって来るものの、三成は被っている頭巾を取ろうとせず、側にいた浅野長政が強引に脱がせて囲炉裏へ投げ込み、三成は憮然として席を立します。家康はその「強情頭巾」が燃えているのを火箸で挟み、誓紙のことを長政から聞いて、自分とも誓紙を交わせと島津父子に詰め寄ります。その家康は太閤の意に背いて勝手に他の大名との縁組を進め、これによって堀尾吉晴らから糾弾されます。

しかし家康は、これはうっかり忘れておったとすっとぼけ、それでも糾弾するなら引退して江戸に引きこもると言います。家康は秀頼の補佐役を務めていました。さらに朝鮮から戻って来た武将たちが、迎えに出た三成に愛想をつかしていたこと、また家康が自分のことを君側の奸面白からずと言ったことなどに腹を立てていました。しかも伏見には、徳川に与する大名が集まって来ていたのです。この情勢は江戸にも知らされ、秀忠は軍を率いて上方へ向かうことになります。お江はこのことを案じ、さらに自らの体験を持ち出して、自分も姉たちも世話になった、太閤殿下に弓引くことのないように秀忠を説得します。また彼女の姉淀殿は、茶室で北政所から、これは家臣同士の諍いゆえ自重するようにと忠告します。

第2回、関ヶ原に至るまでの展開がこの回から始まります。秀吉の薨去後、早くも三成と家康の間に不協和音が生じ始め、それぞれ淀殿と北政所を後ろ盾にしている様子が描かれます。これを見越した家康は秀忠に命じ、いざという時の準備を急がせます。またこの回より、光圀の家臣である介三郎と覚兵衛が登場します。ここで光圀は、不偏不党の歴史を目指し、三成を逆臣呼ばわりするなと2人に命じます。また光圀の居室には、「彰往考来」の額が掲げられています。後にこれにちなんで小石川藩邸に彰考館が作られ、修史事業が行われます。後にこの修史は『大日本史』と呼ばれるようになります。なおこの「彰往考来」の名は『春秋左氏伝』にちなんでいます。後に藤田幽谷(東湖の父)もこの彰考館の総裁を務めています。

その後秀頼の大坂城入り、朝鮮から戻って来た福島正則、加藤清正や黒田長政らが三成をよく思っていないこと、さらに伏見に徳川に与する大名が詰めかけているなど、この時期のお約束ともいうべき出来事が描かれて行きます。さらに三成は大老である家康の前で頭巾を取ろうとせず、浅野長政が無理やり脱がせて火の中に投げ込みます。さらに家康不在の場で、大老や奉行が家康に対してどのような措置を取るべきかを話し合ったり、他の大名家と徳川家が勝手に縁組をしていることを、堀尾吉晴や中村一氏ら三中老が糾弾したり、明らかに家康が敵視されて行く様子が窺えるものの、本人はならば江戸に引きこもると凄みます。また大老である上杉景勝は、三成が正義を主張するのに対しこう言います。
「正義が勝ち負けを決めるのではない、勝ち負けが正義を決めるのだ」

さらに秀忠。江戸を離れるとお江に打ち明けるものの、お江は殿方が戦をするのは致し方なきことと言い、しかしそのせいで、自分たちはつらい目にあったと延々と語って聞かせます。『江~姫たちの戦国~』だと、戦は嫌でございますとなってしまうようなシーンも、岩下志麻さん演じるこのお江の場合は、秀忠より年上ということもあり、何とも説得力と迫力のある話し方で、秀忠はたじろぎます。無論秀忠はおなごが口を挟むなと反論しますが、お江は負けておらず、おなごは戦の道具に過ぎぬと、かように仰せられますかとぴしゃりと言います。一方で淀殿も、これは家臣の争いゆえ自重するようにと北政所に諭されます。ところでこの北政所は、家康からまんかか様と呼ばれていますが、元々は秀頼が北政所を呼ぶ時に使っていた呼称でした。

飲み物-お洒落なランプとウイスキーグラス 
[ 2019/04/20 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『平清盛』DVD第十巻を観て

久々に『平清盛』です。我が世の春を謳歌するようになった平家ですが、その一方で慢心ぶりが目につくようになります。清盛は自分こそを日本の頂にと考えるようになり、秘密警察ともいうべき禿を放ち、これが基で兎丸と袂を分かちます。

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嘉応元(1169)年。清盛は福原に居を構えることになり、重盛が平家の棟梁となった。しかし重盛は時子の子ではなく、そのため清盛と時子の間に生まれた宗盛の存在を気にしていた。その宗盛は、叔母であり、皇太后でもある建春門院滋子から重用されていた。
そして後白河上皇も出家するが、ここでひとつの事件が持ち上がる。後白河は出家に延暦寺を選ばなかったため、天台座主の明雲はこれを快く思わなかった。そして延暦寺は、尾張国での紛争に端を発して強訴を起こし(嘉応の強訴)、藤原成親の配流を求める。
清盛は、重盛に延暦寺といい関係を保つように言われるものの、成親は義兄であり、自分の心中をも打ち明けた人物でもあるため悩む。さらに時忠に不備があって感触を解かれ、成親は無罪となった。これを巡り、武装した武士たちが重盛の許へ押し寄せるが、そこへ後白河法皇と清盛とが姿を現す。一方伊豆では、狩りをしていた北条政子が、父と頼朝が共にいるのを目撃していた。

頼朝は時政の身内ということで北条家を訪れる。そこでは平家の政に対する不満が高まっていた。その清盛は、宋との取引を重視しており、さらに朝廷の威を見せつけるべく、奥州藤原氏の棟梁(御館)秀衡を鎮守府の将軍に任じた。そして清盛は奥州から得た鳥の羽を宋からの物として、朝廷へ献上する。これには官職を解かれた時忠が一役買った。さらに清盛は宋の使者を福原に呼んで、後白河法皇と滋子に面会させる。
一方で平家の慢心を象徴するような事件が起こる。重盛の二男、資盛が鷹狩から帰る途中、輿が摂政基房の乗り物とすれ違っても道を譲らず、基房の随員たちから暴行を受ける。一門からは訴え出るべきと不満の声が上がるが、重盛は資盛に非があると言う。しかしその後基房の輿が襲われ、そこには時忠が法皇に進呈して、自らも身につけていた羽が残されていた。
この頃から、赤の衣装に赤い羽をつけた禿が、平家をよく思わない者たちを制するため都を跋扈するようになる。そして頼朝は清盛のこと、さらに父義朝への批判を耳にし、源氏は滅びぬと口にする。

政子は父時政が連れて来た、佐殿と呼ばれる頼朝のことが気になっており、父にどのような人物であるのかを聞く。時政は源氏の御曹司であることを明かす。そして清盛は大輪田泊の完成を急がせており、兎丸は宋船を入港させるための妙案を思いつく。その頃時子が病という知らせに、清盛は京へ戻るものの。時子は意外に元気そうだった。
時子は重盛が体調不良で権大納言を辞しており、京へ戻ってくれと頼むが、清盛は取り合わず、後白河法皇に羊と麝香を献上し、娘徳子を入内させることにする。以仁王の母である八条院暉子はこれを快く思わず、都で流行る疫病は羊のせいと噂を流す。
その一方で禿による取り締まりは激しさを増して行き、兎丸はこれはやり過ぎであると言うものの、清盛はやめようとせず、その傍ら徳子の入内を急がせる。同じ頃、鞍馬寺にいた義朝と常盤の子、遮那王(牛若)は、法会の笛を担当する者の代役を命じられ、寺を出て京へ向かっていたところを荒法師に出会う。

その荒法師は弁慶といった。源氏挙兵の目的で道行く人から太刀を奪っており、お前で千本目だと襲い掛かるが、遮那王は巧みに身をかわす。遮那王は自分は常盤の子で、清盛は父同然だと思っていると言い、弁慶を驚かせる。福原では万灯会が行われていたが、兎丸は清盛のやり方を疑問に感じるようになっていた。
やがて徳子は入内し、清盛は宋の明州から文を受け取る。この明州には、皇帝の兄である趙伯圭が関係しており、清盛はこの人物を迎えるためさらに泊の工事を急がせる。しかしこのために事故が起き、兎丸は「お前の国造りは盗賊がもの盗むんと同じや」と言って福原を出て行き、京へ戻る。
かつての仲間たちと共に海賊に戻って、宋の船を襲う計画まで立てる兎丸だが、そこに現れたのは禿たちであり、彼らは兎丸を殺してしまう。兎丸の遺体のそばには、衣装の赤い羽が散乱していた。清盛は時忠に禿を処分するよう命じ、兎丸の仲間たちが清盛を暗殺しようとやって来るも、ひたすらいくつもの石に経文を書き、その石を載せた船を泊に沈める。盛国はすべて殿の慢心によるものと直言し、お心の中にだけある国へ進む覚悟がおありなら、自分もついて行くとほぞを固める。

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サブタイトル
第36回「巨人の影」
第37回「殿下乗合事件」
第38回「平家にあらずんば人にあらず」
第39回「兎丸無念」
まず、あらすじでは触れていませんが、後白河法皇が滋子や側近たちに「大きな物を食べてみよ」と言い、何を食べたのかを問いかけるシーンがあります。大抵の場合それほどのものかと一蹴されてしまうのですが、清盛だけは法皇の自分に対する「如何なる野心を持っておるのか」の言葉尻をとらえて、その野心こそが自分が食べたものであると言います。そして法皇がそれを召し上がるのなら、腹を蹴破って出て来ると言う辺り、かなり挑戦的ではあります。そもそも徳子の入内もごり押し的ではありますし、また八条院暉子と以仁王が登場しますが、この以仁王は皇位継承の有力候補でありながら、高倉天皇の母建春門院滋子の妨害に遭ったともされています。平家に反対の意見を唱える人々が、段々と多く登場するようになって行きます。

清盛の野心の表れのひとつが「禿」です。正直な話この大河の禿は少々不気味で、何か舞台の演出を彷彿させるところがあります。羽をつけさせたのは、奥州からの羽とつながりがあると思われますが、実際奥州産の鷹の羽は朝廷への献上品として有名でした。これは『炎立つ』にも登場しています。その『炎立つ』の主人公である奥州藤原氏も密貿易を行っており、清盛はこれに目をつけていたようです。

そして、これは当然といえばそうではありますが、後白河法皇の物言いに「ヒー様」を連想しがちになります。高位の人物らしく感情を押し殺した感じの言い方で、それが人を圧するように聞こえるせいでしょう。

[ 2019/04/20 00:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

アンコール大河絡みで考えたこと 続き

先日の『江』に関してもう少し。『葵 徳川三代』の場合、徳川三代に加えて、浅井三姉妹が本筋に絡んで来ていると書きましたが、『江』も徳川サイドをメインに描いていれば、江がやたらにあちこちに出て来るというのは、ある程度防げたのではないかと思います。特に私の場合、女性主人公の大河に関しては、男性サイドにもう少し尺を取る描き方をした方が、大河としてもう少し格好がついたのでは考えるせいもあるでしょう。

またこの頃から女性を主人公にする動きが出て来て、しかも『篤姫』がヒットしたせいで、言っては何ですが二匹目の泥鰌狙いということもあったかと思います。しかし『篤姫』の場合は、江戸時代末期の大奥という、一種独特の人間関係に縛られた空間の住人、それも女主人と呼んでいい立場だったこと、そして薩摩出身ということなどによる相乗効果もありました。寧ろこのような後宮的なイメージがあったのは、『江』ではなく『平清盛』の方でした。

『江』は別に女性主人公大河でなくてよかったと思います。『天地人』の後の戦国物で、しかも『龍馬伝』の後だから、女性を主人公に(『天地人』もいわば夫婦大河でしたが)という思惑もあったとは思います。ただ女性主人公は『八重の桜』まで待ってよかったのではないでしょうか。無論これは東日本大震災後に決まった企画ですから、その辺りの見通しは難しかったと思われます。ただこれは何度か書いていますが、何も隔年で女性主人公をやる必要もなかったと思います。

たとえば2011年に男性の戦国大河、2012年に『平清盛』、2013年に『八重の桜』でもよかったと思うのです。そしてその3年後くらいに、また女性主人公で今度は戦国をやる、こういうパターンでよかったのではないでしょうか。実際『葵 徳川三代』の翌年は『北条時宗』で、その次が戦国物で夫婦大河の『利家とまつ』でした。この当時はまだ平安・鎌倉時代物が見られましたが、最近はそれもあまり登場しなくなりました。

この時代はあまり馴染みがなく、視聴者離れを招きかねないのが大きな理由と思われます。時代背景は面白いと思いますが、大河化するならそれに見合った作り方をしなければならないでしょう-源氏三代とか、北条氏の執権体制後の鎌倉幕府などもありでしょう。『北条時宗』は北条時輔(時宗の異母兄)が元帝国へ渡って、マルコ・ポーロと会話までしていたのはやや抵抗がありました。渡部さんは『毛利元就』の時の方が好きでした。

しかし大河にせよ他のドラマにせよ、はたまた映画にせよどうしても好き嫌いというのは出て来てしまうものだなと思います。全面的に嫌いとか否定するというのは、あまりやりたくはありません。ただこれは誰にもありがちなことだとは思いますが、大河とかドラマを観ていると、やはり好きな作品の方に甘くなるという傾向が出て来ます。一方で嫌いな作品の方に批判点を多く見出すこともあります。そのような見方について、改めて書けたらと思っています。

飲み物-コーヒー 
[ 2019/04/16 23:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

アンコール大河絡みで考えたこと

『葵 徳川三代』のアンコール放送が始まりましたが、2016年から今まで、このアンコール放送はすべて戦国時代で、男性の主人公となっています。まず2016年に『武田信玄』、2017年に『風林火山』、2018年が『軍師官兵衛』で今年2019年がこの『葵 徳川三代』です。恐らくそういう設定の方がリクエストが多く、観る人ももちろん多いのでしょう。しかし幕末はやはり放送されないのでしょうか。個人的には『徳川慶喜』とか『龍馬伝』を観たいなとも思ってはいるのですが。

ところで坂本龍馬を主人公にした大河は、今まで2作品が制作されています。1つは『竜馬がゆく』、もう1つが『龍馬伝』です。それで思うのですが、この人物が主人公の大河というのは、幕末大河でもあるのですが、同時に坂本龍馬個人の人物伝という印象が強いです。彼の人生というのが、薩摩や長州の人物のように、藩ぐるみで倒幕に立ち向かったものではないせいもあるでしょう。同じことが『篤姫』についてもいえるかと思います。

『篤姫』は幕末大河の範疇には入りますが、どちらかといえば篤姫自身の物語であると同時に、大奥大河ということもできます。大奥関連では『八代将軍吉宗』なども、ある意味それに区分されるかと思います。『篤姫』の場合、この大奥の部分が強調して描かれたことが高視聴率に貢献したふしもあります。大奥的な題材を好む人も一定数いるかとは思いますが、『花燃ゆ』での奥女中編は、本来の大奥とは異なること、美和の守役就任を前倒ししたことなどで、やや無理がありました。

あれは一応は長州大河だったのですから、志士たちと美和をもっと描いた方がよかったかと思います。恐らく梃入れの目的もあったのでしょう。しかしどうもうまく行ったようには見えません。同じ意味で『江~姫たちの戦国~』(以下、『江』)も似たものがあります。こちらは歴史的事件や茶々の描写などはある程度受け入れられましたし、肯定している人もいましたが、戦国版『篤姫』を狙っていたような感もあり、実際一部のスタッフは『篤姫』と同じでした。

ただ江の場合戦国時代であったため、大奥という制度がまだ存在しておらず、複数の武将との縁組なども珍しくないため、『篤姫』と同じ手法で描くのは難しかったようです。江を伊賀越え等に登場させたのは、そうでないと主人公の存在感が出ないという側面もあったのでしょうが、飛躍しすぎでした。どうも好きでない作品ということもあり、点が辛くなるのかもしれませんが、この伊賀越えや千利休切腹の際に登場する設定はやはりおかしかったのです。

話がかなり逸れましたが、そしてこちらのキャストはまた違いますが、『葵 徳川三代』の浅井三姉妹は、それぞれがかなり存在感がある描かれ方です。徳川三代というタイトルではありますが、この三姉妹もドラマの本筋に絡んで来ています。加えて徳川体制が確立するまでの、それぞれの女としての苦労も描かれているわけですから、やはりある程度ベテランの女優さんが演じて、初めて様になる一面もありました。

飲み物-ローズヒップティー
[ 2019/04/16 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代徒然-2

では先日の「葵徳川三代-1」の続きです。

大谷吉継(刑部)は藤堂高虎の軍と一戦交えます。そこへ京極、黒田といった東軍の諸将が駆け付け、一方で島左近は様子を窺っていました。石田三成は黒田、細川の両軍相手に苦戦します。さらに井伊の軍は島津軍と対峙していました。戦況が一進一退というのに、気持ちが穏やかでない家康ですが、松平忠吉が井伊直政と先陣を務めたことを大いに喜び、桃配山を下りて本営を移します。そして三成の重臣、島左近は黒田の兵の銃弾を浴びて討死します。さらに毛利秀元の使者が援軍のために吉川広家の陣を訪れます。しかし広家は行厨(弁当)を使うと言って動く様子を見せません。さらに、池田と浅野の軍をここに引きつけているのは、立派な働きであると言い返します。そして石田三成の家臣、八十島助左衛門が島津の陣中へ向かいますが、ここでも交渉は難航します。結局三成が直々に島津陣へ赴くことになります。この戦の雑兵には、年若い宮本武蔵もいました。

その頃秀忠は疲労困憊しつつも西へ向かっていました。途中居眠りをしそうになり、どこからともなく現れた、武装の妻お江の夢に諫められて我に返ります。そして家康は寝返ることになっていた小早川秀秋が、これまた動かないのにしびれを切らせて、砲弾を松尾山の小早川陣へ撃ち込みます。秀秋はついに大谷陣を攻撃し、その後西軍では4000人もの裏切りが出ることになります。最初は西軍に傾いていた戦況も午後になって逆転し、やはり三成の家臣であった蒲生郷舎(さといえ、元の名を横山喜内)も織田有楽との戦いで戦死。吉継はついに自決します。そして陣形が崩れた宇喜多軍、さらに小西行長の軍は敗走し、家康は勝鬨をあげます。三成は自刃しようとするも側近に止められ、彼もまた敗走します。しかし島津義久と義弘は、どうせならと家康の陣に攻め込み、井伊の軍と戦います。この時、松平忠吉は左腕を撃たれます。

戦に勝った家康ですが、まだ大坂城に人質になっている諸将の妻子が残っているため、その解放を優先します。そして寝返った小早川秀秋をねぎらいつつも、今度は佐和山城の攻撃を命じます。それを聞いた池田輝政はこう皮肉ります。
「豆を煮るには豆殻を以てすべし」
その後戦場には、甲冑や刀剣を奪う者たちがやって来て修羅場と化します。佐和山城攻撃では、三成の兄正澄が戦死、父正継は自刃、そして妻のおりんも家臣に首を討たせます。三成も21日に高時村で捕らえられ、晒し者となります。その三成は、家康に対して忌憚なく思うことを打ち明け、家康は戦は天候の如きものと言い、自分に立ち向かった三成の雄渾さをほめます。その後三成は小西行長、安国寺恵瓊らと打ち首になり、大坂城に入って淀殿に戦の報告をした家康は、孫の千姫と秀頼の縁談を早々に進めることを願い出ます。

この関ヶ原のシーンを見ると、改めて人数が多いなと感じます。これは『風林火山』の川中島も及ぶところではありません。さらにこれからハイビジョンになったこともあり、それまでよりも画質がよくなっています。そしてこの第1回は、ナレーターで水戸光圀役の中村梅雀さんによると
「前夜祭」「番外のご祝儀」
というわけで、次回からが本格的なドラマとなります。ところでこの大河では、家康にせかされて小早川秀秋が裏切る設定になっており、そのため大谷吉継が自刃の際に
「にっくきは小早川秀秋、3年の内に祟りをなしてくれん」
と声に出すシーンがありますが、実際秀秋はその2年後に亡くなっています。その他にも島津義久と義弘は薩摩弁で話していますし、吉川広家の行厨は「宰相殿の空弁当」として有名です。この人は後で、毛利領の安堵の文を黒田長政に託しています。

一方秀忠は、戦が終わってから草津に到着するという不面目のため、その場で腹を切ろうとしますが家臣に諫められます。後にこの秀忠は大坂城で、秀頼に対して言葉を述べ、淀殿は秀頼に千姫の父上じゃと紹介します。この時も家康は、自分がそれとなく指示しているのに、反応が鈍い秀忠に苛立っているようです。一方三成は、捕らえられた後に本多正純に身柄を預けられ、いよいよ処刑前日という時、自分を捕らえた田中長吉の主である吉政と語らいます。三成がそれとなく白湯を所望し、この辺りには人家がないと吉政が断って、枝になっていた柿を勧めようとします。柿は痰の毒でござると断る三成ですが、明日までの命であることを思い出し、兵たちが笑う中自分も苦笑します。三成の辞世の歌は以下のようなものでした。
「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく わが身なりけり」

尚この時、家康は島津を武力討伐する予定でした。結局実現はしなかったものの、後に自分の遺体を薩摩の方角に向けて埋葬させています。家康が最も恐れたのは、あるいは島津父子であったかも知れず、実際、250年後にそれは現実となります。それからかつての横山喜内が、ここでは蒲生郷舎となっていますが、実際には別人であり、横山喜内は蒲生頼郷のことであるといわれています。

飲み物-パブのビール1 
[ 2019/04/14 01:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代徒然-1

4月7日から『葵 徳川三代』の再放送が始まりました。第1回ということもあり、通常の回より長めであることから
関ヶ原の戦いに至るまで
合戦及び合戦後
この2つに分けようと考えています。
まず関ヶ原の戦いに至るまでですが、実はこれは第2回以降で詳しく描かれるため、第1回では主に、当事者がこの戦いに関して自らの決意を述べるシーン、さらに石田三成が兵を動かすシーンが中心となっています。三成は家康を追うべく軍資金を淀殿に依頼しますが、これに片桐且元は猛反発します。淀殿は北政所から、これは家臣同士の争い、自重されよと釘を刺されていました。

いよいよ合戦間近となり、三成は東へ向かった家康を追うべく挙兵します。これに関して三成は、佐和山城で息子たちに別れを告げ、父と兄にその後を任せる決意を固めていました。さらに三成は、東には上杉景勝、さらに子供たちの伯父である真田正幸(字幕ではこうなっています)がいると言い、毛利輝元を大将とした自軍に信頼を寄せていました。一方で家康は、三成を迎え撃つべく野戦に持ち込もうとし、忍びの者を放って、三成をおびき寄せる作戦を採ります。奇しくも三成と相まみえることになるであろう9月15日は、かつての嫡男信康の命日でもありました。その頃嫡男秀忠は、信州で足止めに遭い、思うように行軍ができずにいました。

家康は、先鋒として四男の松平忠吉と共に井伊直政を行かせることにします。9月15日朝のことで、徳川の武将に先鋒を務めさせるのがその目的でした。しかし戦場には福島正則が、自分が先陣でであると頑張っているため、直政は、忠吉様は初陣故物見をしようとしていると正則に伝え、道を空けさせます。無論これは直政の策略であり、その後井伊の兵が西軍の宇喜多の軍勢に向けて発砲します。それを知った黒田長政は狼煙を上げ、ここに戦端が開かれることになりました。

この黒田長政の狼煙は、数週間前に『軍師官兵衛』にも登場しましたが、それはさておき。この第1回は関ヶ原を目一杯楽しむ回であり、主だった武将が次から次へと出て来るのは見ごたえがあります。なお東軍は関ヶ原の前に合言葉として、「山が山、麾(さい)が麾」を使っていましたが、「山が山」と問われて「麾が麾」と平然と答える藤堂高虎は堂に入ったものでした。この藤堂高虎、「七人主君を変えねば武士とはいえぬ」で有名な人物でもあります。ちなみのこの合言葉は、『功名が辻』でも使われていました。

三成はこの合戦に臨むに当たり、歌を詠んでいました。
「散り残る紅葉は殊に愛おしき 秋の名残りはこればかりとぞ」
何やら豊臣家を暗示するような歌でもあります。一方で、その豊臣家と事を構えるとは、烏許(おこ)の沙汰である、つまり愚かなことであると言ったのは、秀忠の正室の江でした。そういえば最近の大河は、あまりこういう言葉が使われなくなったなと思います。「おこがましい」などと言う時の「おこ」ですね。またこの大河は「御意」が出て来たことでも有名です。

そして家康は、兵たちに生米を食べさせないようにと言い、水に浸けておいて戌の刻に食するようにとも命じています。なお戌の刻というのは、午後8時前後のことです。その関ヶ原への道を急ぐ秀忠は、中山道で血尿を出してしまい、随行していた榊原康政を驚かせます。また福島正則と井伊直政の先鋒争いですが、これには諸説があります。忠吉と直政は、正則の陣中を通らなかったともいわれていますし、当日の朝霧に紛れて前進し、たまたま敵に遭遇したという形にしたという説もあります。井伊は元々徳川の先鋒を務めるのがならわしとなっていましたが、桜田門外の変後、混乱の責任を取らされる形で10万石没収となり、その後は官軍に転向することになります。

飲み物-ランプと水とウイスキー 
[ 2019/04/13 00:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『功名が辻』再び-2

再び『功名が辻』です。この大河では地震で子供を失ったり、捨て子を拾ったりといったシーンも描かれ、これがまた夫婦大河らしさを感じさせます。最初の子よねを失った後、捨て子を拾って拾と名付け、大事に育てるのですが、この拾は結局山内家の後継にはなれず出家し、後に土佐へ来ることになります。この若い僧湘南を演じたのは三浦春馬さんです。その代わりとして、弟康豊の子である忠義を自分の後継と定め、実際この人物は土佐藩の第二代藩主となります。

この土佐を貰ったのは関ヶ原の戦いでの働きが大きいのですが、しかしこの土佐入国には、前の領主である長曾我部の侍(正確には半農半兵)が激しく抵抗していました。彼らは一領具足と呼ばれ、いざとなれば主君のために馳せ参じる身分でした。このため彼らに武器を持たせず、しかも一か所に呼び集めるために種崎浜での相撲大会を思いつき、その場にやって来た者たちを射殺するという手段を取ります。

この中で千代の幼馴染で忍びの六平太も死に、また山内家の重臣である祖父江新右衛門の子新一郎も、一領具足から殺されます。新一郎を失ったことを新右衛門に詫びる千代ですが、新右衛門は逆に息子の死を、山内家の土佐統一のために逆手に取ることを提案します。この土佐入りはかなり血なまぐさいものでもありました。後にこの時の一領具足は郷士となり、山内家の侍は上士となります。この郷士と上士の関係は『龍馬伝』でもお馴染みですが、武市半平太は郷士より上の白札という身分でした。

ところでこの大河で、もう一人印象深い人がいます。それは、秀吉の母なかを演じた菅井きんさんです。これは菅井さんが亡くなられた時、あるいは真田丸関係などでにちょっと書いています。秀吉の妹旭が徳川家康の正室になり、家康のことを「婿殿」と呼ぶことになるわけですが、これがやはり如何にも様になります。確か最初は千代も誰だかわからず、百姓だろうと思っているわけですが、後で嫁を「うちの寧々さ」と呼んでいるのを聞いて、一豊夫妻は驚きます。

このなかは、息子(秀吉)のことも「日吉」と呼んでおり(秀吉は子供の頃日吉丸と呼ばれていた)、側女のことを寧々が気に病んでいると聞いて、あの者に側女などおるのかと呆れ、既に大名にまで出世した息子を叱りつけたりもしています。後に大政所と呼ばれるようになってからも、畑仕事が好きでたまらず、城の庭に植えたナスの出来具合を気にするなど、尾張の農家の女を地で行く人物でもありました。

飲み物-パブのビール2 
[ 2019/04/13 00:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『功名が辻』再び

『功名が辻』について、またちょっと書いてみたいと思います。所謂夫婦大河で、山内一豊とその妻千代が力を合わせ、一豊が出世して大名となり、さらに土佐の藩主となるまでの展開が綴られています。元々これは司馬遼太郎氏の作品がベースになっていますが、それとはかなり違った印象のドラマになっています。オリキャラである忍びの六平太の設定も異なっています。どちらかといえば多少甘目で、千代が戦に対して否定的である点などは、かなり改変されているといっていいでしょう。

そのためホームドラマ的な色彩が強くなっていますが、そのようなものだと割り切れば楽しく観ることができました。上川隆也さんが一豊を演じたのもプラス要因でした。その他に六平太役の香川照之さん、織田信長役の舘ひろしさん、豊臣秀吉役の柄本明さん、徳川家康役の西田敏行さんや一豊の母法秀尼役の佐久間良子さん等が、ヒロインの仲間由紀恵さんを支え、山内家の家臣である祖父江新右衛門と五藤吉兵衛を、それぞれ前田吟さんと武田鉄矢さんが演じていました。そのせいかこの吉兵衛は「金八先生」風味でした。

一豊が出世した後、山内家は使用人を増やす必要に迫られます。そこで雇った侍女のたきが、この吉兵衛の袴を縫い直すことから、徐々に二人の間に愛が芽生えるシーンとか、千代が祖父江家の子供が懐かないのに難渋するシーン、さらに子供たちに米を食べさせようと、自分は食うや食わずやの生活をしていて、目を回してしまうシーンなどはやはりホームドラマ的で、その一方にある戦闘シーン、また引きこもりの一豊に、母法秀尼が自害を促すシリアスなシーンと対を成していたともいえます。

戦闘シーンそのものは割と普通だったと思いますし、関ヶ原の戦いなどは、『葵 徳川三代』のストック映像を使っていると思われるところがありました。一方でこの大河は、秀次事件にかなり尺を割いていました。また小牧・長久手の戦いでも秀吉と秀次の確執が描かれています。そもそもこの秀次が、山内家に預けられていたという設定からこうなったともいえますが、この辺の描き方は割と好きでした。ちなみに秀次を演じていたのは成宮寛貴さんです。

その他にも秀吉が老いて失禁をするシーンとか、寧々が茶々にライバル意識を燃やすところ、明智光秀が本能寺を襲撃する前にひどく悩むところなども結構描かれていました。寧々は浅野ゆう子さんでしたが、見るからに肝の据わったイメージでした。そしてあの光秀の描き方は『国盗り物語』にヒントを得たのでしょう、司馬さんらしい光秀です。あと三谷幸喜さんの足利義昭も登場していましたー何とも情けない公方様ではありましたが。

実際女性大河より夫婦大河の方がいいのではないかと、以前にも書いたことがあります。無論夫婦大河が朝ドラ的になるという批判もあるかもしれません。しかしそれを言うのであれば、女性主人公も似たような感じになりやすいといえます。まだ著名な夫婦というか、奥さんがそこそこ名を知られた戦国武将(その他の時代でも可)はいるのですから、この辺りを掘り下げてみては如何かとも思うのです。

飲み物-ワインのデキャンタとグラス 
[ 2019/04/12 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

西郷どん復習編4-斉彬の藩主就任と国入り

赤山靱負の切腹、そして大久保次右衛門の遠島と、吉之助の身の回りが慌ただしくなります。吉之助は斉彬に書状を送ると共に、赤山の血染めの着衣をも江戸に届け、それは斉彬の心を大きく動かすことになりました。そして嘉永4(1851)年、斉彬の父斉興は、将軍家慶に目通りするも、その場で朱衣肩衝(あけのころもかたつき)の茶器を渡されます。この茶器は戦国期の茶人、武野紹鷗が所有していたといわれていますが、これは即ち、隠居を勧告されたに等しいものでした。つまり、これからはのんびりと茶でも嗜んではどうかという意味が込められていたのです。斉興は当然これに立腹しますが、その斉興を斉彬が訪ねます。

斉彬は最早、父に薩摩を任せてはおけないと考えていました。そして父に短銃を見せます。あのロシアン・ルーレットのシーンです。斉彬はまず自分に向けて引き金を引き、無事を確認したうえで父に短銃を渡します。斉興は引き金を引くのを躊躇し、銃を取り落としてしまいます。当初は、実はこれには弾丸が込められていないのだろうと思ったものですが、後で斉彬が引き金を引いた際に、実際に弾丸が飛び出したことから、決死の覚悟であったことが窺えます。ともあれ、これで斉興は藩主の座を下り、斉彬が新藩主となりました。

この知らせが薩摩に届き、吉之助は内職に励んでいる大久保家へ向かってこのことを報告した後、まだ謹慎中であった大久保正助に笠をかぶせて、外へ連れ出します。言うまでもなく赤山靱負の墓前に、このことを報告するためでした。しかしその場には、既に糸が来ていたのです。後にこの糸と吉之助、正助の間でちょっと妙な具合になるのですが、それはまたその時に。ともあれ、晴れて新藩主となった斉彬は国入りを果たします。新しい殿様について走り出す子供たちを、追い払おうとする供の侍に対して、斉彬はこのように言います。
「手荒にするな、子供は国の宝だ」
そして自ら、子供たちに対して顔を見せる型破りな藩主でした。

その後正助の謹慎はまだ解かれず、吉之助は正助のために本を借り、糸は紙を差し入れします。一方で斉彬は、斉興時代の家臣をまだ重用しており、お由羅に味方した者たちに何の処罰もないということで、有村俊斎が怒りを露わにします。無論これは斉彬にも考えがあってのことでした。先代の家臣を引き続き登用したのは、論語に拠るところが大きいようです。そして斉彬の藩主就任により、御前相撲が開かれるのを知った吉之助は、これに勝って次右衛門をはじめ、斉彬のために尽力した者の赦免を求めようとします。この辺りが吉之助らしくはありますが、無論勝者には米10俵が与えられるのも大きな魅力でした。

そういう吉之助に糸は好感を抱いていました。しかし糸は父から海老原重勝との縁談を持ち出され、悩んでいました。しかし父直温にしてみれば、娘が郷中の男たちと親しくしているのは、あまりいいものではありませんでした。糸は結局、甲突川に掛かる橋の上で下駄を蹴り上げ、表が出たら嫁に行く、裏が出たら縁談を断ることにしようと思ったものの、勢いがよすぎたため、甲突川の中にいた人物の頭を直撃します。その人物は吉之助でした。

西郷どん4斉彬薩摩入り 
国入りを果たす島津斉彬(渡辺謙)

[ 2019/04/06 23:30 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)
プロフィール

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Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

実は『いだてん~東京オリムピック噺~』を観なくなったので、再び『西郷どん』復習の投稿をアップしています。関連文献もまた読もうかと考えていますし、BSで再放送中の『葵 徳川三代』の再放送も観ています。そしてパペットホームズの続編ですが、これは是非とも三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、『相棒』をはじめとする刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、いよいよ日本でのワールドカップの年です。その前にスーパーラグビーの結果はどうなるでしょうか。

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