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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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西郷どん復習編6-江戸行きと新たな出会い

真に勝手ながら4か月ほどお休みしており、今年もあと3か月半ほどなので、駆け足&圧縮版で行きたいと思います。吉之助は祖父と両親を相次いで失い、妻の須賀とも離縁します。この大河は主人公の西郷吉之助と家族を比較的重視した描かれ方ですが、家族が去った後でに江戸へ行き、今度はまた別の様々な縁で結ばれる、新たな出会いがあるという展開になっています。ただその江戸行きも自腹であり、須賀は最初は家には金子がないと突っぱねます。この彼女の強さは、正助に対しても物おじせず、言うべきことをきっぱり言うという行為にもつながっています。

西郷どん8江戸へ発つ吉之助
家族に送られて江戸へ発つ吉之助(鈴木亮平)

しかし、後で家族や友人が協力して金を調達し、最終的には須賀が手切れ金を渡すことで、辛うじて吉之助の江戸行きが叶います。ちなみに須賀が離縁したのは、吉之助は江戸に行かせるべきなのに、彼の優しさに頼ってしまって、それを果たせなくなるからというのが理由でした。江戸に行った吉之助は、有村俊斎や大山格之助と再会を果たします。しかし初めての江戸で、いきなり彼らに品川宿の磯田屋に連れて行かれ、しかも要領が悪いため、門限を破ったところを見られてしまいます。罰として庭掃除を命じられるものの、これがきっかけとなって、斉彬のお庭方となって脇差を拝領します。何やらジョン万次郎の時と同じで、斉彬が最初から目をつけていたと取れなくもありません。

そして徳川斉昭への使いを命じられた吉之助ですが、どこかで見た顔に出くわします。それは磯田屋の遊女およしが、ヒー様と呼んでいた遊び人風の人物でした。このヒー様は実はこの斉昭の息子で、一橋家の養子となっていた慶喜でした。無論慶喜自身はそれを否定します。将軍家定に子がいないため、紀州家の慶福か、それとも慶喜かという後継争いが密かに起こっていたものの、この人物はそれに巻き込まれるのをかなり嫌っていました。しかも斉彬の養女篤姫は、子のない家定への輿入れが決まるわけですが、それはお世継ぎを産むのではなく、慶喜を将軍にするための根回しを期待されてのことでした。それまでひたすら忠誠を尽くすだけだった吉之助に、物事の様々な裏の面が見えて来るようになります。

西郷どん9吉之助あごをひねる斉彬
斉彬(渡辺謙、右)はお庭番を命じた吉之助のあごをひねる

この大河では所謂精忠組(その当時そう呼ばれてはいなかったようです)の活躍というよりは、吉之助の身内や糸、ひいては篤姫との出会いが多く描かれています。そのため人によっては物足りないこともあったようですが、この描き方もまた一つの方法ではあります。その手法が後の島編、またその後の糸との再婚にもつながるといえます。無論女性だけではなく、ヒー様との出会いもまたその後を左右するものでした。およしという名でここの遊女となっていたふきと出会うのみならず、遊び人の姿で磯田屋に出入りし、将軍に推挙されることを殊の外嫌う彼と知り合ったことで、吉之助はこの人物の素性を少なからず知ることになります。この磯田屋はいわば基地の役目も果たしており、吉之助はさらに橋本左内とも昵懇になりますし、後に長野主膳の手下が彼らを襲うのもここでした。

この作品では、一貫して民の為を思う吉之助という視点で描かれ、それ故斉彬の思想にも感銘を受け、主君と家臣というよりは、師とその弟子といった姿が顕著になって行きます。またそれ故に、斉彬の父斉興に食ってかかったり、まだ若さがかなり残る吉之助の姿も描かれます。この最初の江戸行きの時点では未熟で、政治的才覚もなく、周囲からの影響を受けっぱなしの吉之助ですが、後に篤姫と接することで世間の厳しさを学ぶことになります。さらに京での近衛忠煕や月照との出会いによって、その後の進むべき方向があらかた決定されるわけですが、それは一度断ち切られることになります。

西郷どん10ヒー様と吉之助
ヒー様こと一橋慶喜(松田翔太、左)と磯田屋で会った吉之助

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[ 2019/09/16 23:30 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代徒然-23

慶長13(1608)年4月、宮中の風紀は乱れており、家康は密かに関白を交替させようと目論みます。そしてこの年の8月には、秀忠が駿府を訪れます。そこで家康は、軍事に適した築城の手ほどきをし、もし西国の大名が攻めてきた場合にどうするかを息子に尋ねます。秀忠の答えは、関ヶ原の時同様中山道と伊勢街道を敵は通るというもので、そのための要となる安濃津城を建て替える必要があり、藤堂高虎は今治を離れてここの城主となります。家康は将来、謀反が起こることを想定しており、細かいことに囚われすぎていると秀忠を叱ります。無論政仁(ことひと)親王、後の後水尾天皇と血縁関係になることも家康は企んでおり、今の徳川家に取って天下分け目の決戦の相手は、豊臣家ではなく朝廷であるとも言います。武力を以て朝廷に圧力をかければ、朝敵となるのは好ましくないため、このような策に出たわけで、朝廷と豊臣の結びつきを防ぐことも念頭に置いていました。

その豊臣家では、阿波の蜂須賀家に秀頼への臣従を誓うよう、淀殿が誓紙を求めていました。家康はそろそろ秀頼を駿府に迎え、対面する時だと考えます。さらに家康は、いざという時に備えてシャムより武器を買い付けます。隠居のはずの家康がこのように振舞うことに、淀殿は不安を感じますが、秀頼の方は侍女の梢との間に子ができたことを淀殿に告げます。そして家康の後押しにより、完姫の夫である九条忠栄が関白に就任します。高台院を訪れた忠栄に高台院は、天子様のご機嫌を損じてでも公家の不正を正し、豊臣家と昵懇な公家であっても遠慮は無用と言い放ちます。さらに完姫には、徳川と豊臣両家の血を受け継ぐ者として、いざという時の仲立ちを依頼します。そして江戸では、秀忠の末娘の和姫を、公家に嫁がせたいとお江は言います。秀忠の目的は徳川の種を、お江に言わせれば「タンポポ」の如く他家にばらまくことにありました。

翌慶長14(1609)年2月、西国の大名の妻子を江戸に住まわせることや、マニラ総督ドン・ロドリゴがアカプルコまで戻る途中、ウィリアム・アダムスの船を貸し出すことなどが決定します。さらに家康は、西国から謀反が起こった際のもう一つの要、清洲城を点検した結果、尾張名古屋に築城することを決めます。一方で加藤清正や福島正則からは所領の築城を巡って反感を買い、これが後の両者の運命に影響します。そしてこの年の4月、島津家久(忠恒*)は幕府の指示で琉球攻めを行い、5月3日には京極高次が没して、お初は髪を下ろし常高院となります。養女初姫は大名の子ということで江戸へ下向しますが、千姫はなぜ自分は江戸へ下らなくていいのかと淀殿に尋ね、淀殿は豊臣家は大名家ではないからと答えます。その後秀頼に娘の結姫が生まれ、朝廷では九条忠栄が、不祥事の当事者である烏丸光広らの名を公言し、京都所司代の板倉勝重は、軽微な罰で済ませようとする公家に圧力をかけます。しかし家康はこれをよく思わず、極刑にすべしと宣言します。

朝廷と徳川家の関係が綴られて行きます。家康が後押しした九条忠栄、その妻で徳川と豊臣双方の血を引く完姫、さらに豊臣と昵懇の公家であろうとも、不正は罰するべきと言明する高台院。家康に取ってはこれ以上ないタイミングではありました。しかし不祥事、しかも時の後陽成天皇の女御と不倫関係になった、烏丸光広をはじめとする公家たちは、徳川家を見くびっており、自分たちや、身内である女官が忠栄に名指しされて顔色を変えます。彼らに取って武家とは、元は朝廷の守護職という認識で、正に『平清盛』の「王家の犬」の感覚であり、雅を解せぬ存在でもありましたが、時代は大きく変わっていました。家康があまりに厳しい態度を取ろうとするのに対し、天海僧正は朝廷を潰してはなりませぬと諭します。しかしこの一連の、公家への対処の厳しさが、後に和姫が入内するその布石となって行きます。

一方で家康は、西国大名の謀反を強く意識するようになります。蜂須賀家が差し出した誓紙ですが、その蜂須賀家が後年公家を匿い、謀反(宝暦事件)に加担したという設定で描かれたのが『鳴門秘帖』です。そして名古屋に城を築くことになり、尾張徳川家が始まることになります。しかしこの前も書きましたが、やはり公家への対処を巡っては、かなり異なった立場でありながら、幕末物を彷彿とさせます。一方で琉球に侵攻した島津家久(忠恒)ですが、この人物が奄美大島を薩摩藩の直轄としています。それから200年余りを経て西郷吉之助が流され、なおかつとぅま(愛加那)に出会った奄美は、この時に薩摩藩主の管理下に置かれました。尚この家久(忠恒)は、鶴丸城を築いた人物でもあり、さらに真田信繁に対して「日本(ひのもと)一の兵(つわもの)」と評価した人物であるともいわれてます。

(*)叔父に同名の人物がいるため、初名である忠恒と併せて表記しています。

飲み物-ワインのデキャンタとグラス
[ 2019/09/15 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

大河ドラマ雑考-31

先日の「2021年大河と「1年前」にこだわるNHK及び上田会長の発言」でご紹介した再来年の大河ですが、実はお札の肖像画が変わるのは2024年です。ならばその年にやればいいかと思います。2021年は渋沢栄一没後90年ですが、100年ならいざ知らず、ちょっと収まりが悪いようにも感じます。それにこれも先日書いたように、オリンピックにしろお札の肖像画変更にしろ、はたまたラグビーワールドカップにしろ、やけに前倒しして放送する印象があります。『不惑のスクラム』にしても『いだてん』にしても、直前のスペシャルドラマではいけなかったのでしょうか。受信料を取っている以上、如何にタイムリーに企画を持ってくるかが検討されてしかるべきなのですが、あまりその辺りは考えられていないようですね。

戦国と幕末ばかりやって面白くないという意見も目にしますが、ならばそれ以外の時代で数字を取れるか、話題になるのかという懸念もやはりあります。戦国とか幕末→明治維新が多いのは、それだけ主役となれる人物が多いからということでもあるわけですし。他に大河の舞台となる時代といえば、やはり源平とか鎌倉、南北朝位でしょう。無論江戸時代でもできなくはないのですが、この時代は他の時代劇番組で、主に架空の市井の人々を描くことが多くなっているため、逆に難しいのかもしれません。正月時代劇もありますし。ところで南北朝といえば、楠木正成を主人公にしようという声も上がっているようです。かなり難易度の高い人物であると思いますが、久々に南北朝物を観たいという気持ちも無論あります。それと幕末物で、桂小五郎と小松帯刀それぞれが主人公のを観たいです。

ところで戦国物といえば、『真田丸』を推す人がやはり多いようですが、私としては、これは三谷ドラマとして楽しんだようなものです。人形劇と絡めた「真田丸とホームズ」なるタグも作ったほどです。むしろここ最近でオーソドックスな戦国大河といえば、やはり『軍師官兵衛』だろうなと思います。九州絡みでもう少し描いてほしかったなとも思いましたが、かなり堪能できた大河でした。実際第41回から第50回までの平均視聴率は、官兵衛(15.92パーセント)の方が真田丸(14.58パーセント)より高くなっています。『真田丸』の最後の10回、大坂の陣メインの回も過去に何度か書いていますが、やはり昌幸がいなくなった時点で、ちょっと弱くなったかなとは思います。

飲み物-アイスコーヒー
[ 2019/09/11 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代徒然-22

延び延びになっていた『葵 徳川三代』ですが、まず9月1日放送分からです。慶長12(1607)年閏4月8日、結城秀康が亡くなります。生母於万の方は、秀康を身籠った時築山殿からひどい仕打ちを受けていました。そのせいか、秀康没後家康の許可を得ず髪を下ろしてしまいます。しかし秀忠も、そして家康も悲嘆に暮れ、「秀康の武勇と忠吉の知略が秀忠に備わっておれば」と言い出す始末です。さらに家臣の追い腹禁止令を秀忠に出させます。秀康逝去後、家督は嫡男忠直が継ぎますが、やはり世を去った松平忠吉の後継は義利に決まります。しかし隠居したとはいえ、家康は秀忠にあれこれ口を挟みたがっていました。その頃江戸城には天守閣が完成します。一方大坂では、徳川家の不幸は思い上がりの罰であるとみなされていました。思い上がりというのは、「日本国王殿下」宛ての文を携えた朝鮮からの使節を、朝廷ではなく江戸に向かわせた件でした。しかも大御所という名称もけしからんとなりますが、これは古田織部が、前の将軍への尊称であると説明し、その場を鎮めます。

その年の7月3日、駿府城の本丸御殿が完成します。その祝いに毛利輝元も駆け付け、家康は秀康の娘喜佐を秀忠の養女として、輝元の嫡男秀就に嫁がせることにします。さらに9月には片桐且元が駿府を訪れ、家康は秀頼と四方山話がしたい、対面するまでは死なぬぞと且元に伝えます。その頃大坂では女中のお通が身籠り、宿下がりという形で大野治長の屋敷に預けられ、妊娠は当面伏せられます。千姫は懐妊にはまだ早く、しかも江戸ではその母お江が懐妊します。その頃ちょっとした事件が起きました。竹千代がすずめの子がほしいと言い、御殿の屋根に上がった小姓の松平長四郎が落ちてしまったのです。しかし竹千代の命で御殿の屋根に上がり、しかも主である竹千代を庇った長四郎に秀忠は感銘を受けます。この長四郎は後の松平伊豆守信綱、所謂「知恵伊豆」となります。その後も竹千代の指南役が選ばれ、徳川家の嫡男の座は盤石となります。

そして10月4日、お江は女児を産み、和姫と名付けられます。しかし駿府では本丸御殿が焼けてしまい、慶長13(1608)年の年明け早々、家康は大名に普請を命じます。かつて豊臣方であった外様大名たちがこの工事に駆り立てられるのは、淀殿に取っては不愉快なことでした。無論これは大名が金銀を蓄えないようにするための、家康の策でした。豊臣家に寺社への寄進を勧めるのも、やはりそうかと淀殿が言った矢先、秀頼が疱瘡で倒れます。これは駿府や江戸にも伝わり、もし秀頼逝去の際には、嫡男不在のためお家取り潰しになる可能性大でした。豊臣家は一介の大名とは事情が異なるものの、家康は「一介の大名」であると言います。しかし大坂ではお通が男児(国松丸)を出産し、秀頼も快方に向かいます。しかしこの年の4月、且元が朝廷に参内し、秀頼の快癒祈願の礼を述べたことで、大坂と昵懇の公家衆をどうにかすべきとなります。お江は和睦の為に自分を大坂へと言いますが、御台所が自ら和睦に向かうなど前例のないことでした。

松平忠吉に続いて結城秀康も世を去ります。実際この2人のうちどちらかでも長命していれば、その後の徳川家はまた違っていたかもしれません。しかし秀康を抱き込むと目論んでいた大坂方は、この知らせをどのように受け止めたのでしょうか。この江戸と大坂が反目し合った慶長年間後半は、互いが互いに睨みを利かせていたとも取れます。一方で淀殿や千姫が仲介となり、両者がどうにか戦を避けていた時期でもありました。それから朝鮮の使節の「日本国王殿下」ですが、これは日本も中華帝国の傘下に入っているという解釈によるものです。このため「皇」ではなく「王」です。しかし本来その立場である朝廷を顧みず、我こそは「王」といわんばかりの家康に淀殿は腹膨るる思いでした。さらに、その家康から見れば秀頼は「一介の大名」であると、淀殿が聞いたら激高しそうなことを口にします。

また千姫でなくお通が子を産みますが、これもどうやら江戸には知らされていないようです。これで秀頼には嫡男ができ、淀殿が言うように「豊臣の家は安泰」と一応はなっていますが、徳川に比べると如何にも心もとなくはありました。そして徳川方は、大坂と昵懇の公家衆を何とかしろとなり、この辺が正に幕末大河を思わせます。無論幕末、特に慶応年間が押し詰まった頃には、これとは立場が逆になるのですが、武家政権下に於ける公家の存在意義というものを窺わせる描写でもあります。また秀頼が疱瘡に罹った際、西国の大名が見舞いに行っていると藤堂高虎が言ったことに対し、家康は神経をとがらせます。そしてお江は、五女の和姫を産みます。この和姫が後に入内することになります。そのお江は、庭で竹千代がお福や小姓たちと遊んでいるところ、しかもお福に懐いているところを見て、複雑な気持ちになります。

飲み物-ビールと夜景
[ 2019/09/10 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代徒然-21

慶長11(1606)年8月、家康は公家たちを京でもてなした後高台院に会います。これも家康の朝廷工作の1つでした。同じ年の9月、江戸城の本丸が完成して秀忠と家族はそちらへ移ります。ただ竹千代のみは、西の丸でお福に養育されていました。11月に入って家康が江戸を訪れ、大広間の狩野派のふすま絵に目を見張り、大坂に負けぬものを建てよと秀忠に命じます。また五郎太丸と長福丸も官位を与えられ、それぞれ義利、頼将と名乗るようになります。その時竹千代が病との知らせに、家康は西の丸に薬を届けさせ、お江は息子を見舞いますが、竹千代は既にお江よりもお福に懐いていました。同じ頃大坂では、淀殿が家康をさらに苦々しく思うようになります。戦が始まればどうすると問う姉にお初は、どちらにもつかず身を挺して止めると答え、太閤殿下の御威光は一代限りと姉を諭しますが、淀殿にはそれが面白くありません。しかもお初の夫、京極高次は三成を裏切ったとまで言う始末です。

この年の12月24日、忠輝と伊達政宗の娘五郎八も結婚しました。そして元旦、お梶が女児を出産し市姫と名付けられます。しかしその直後家康は倒れ、見舞いに来た秀忠に、淀殿か関白を辞めさせた近衛かが調伏していると洩らします。そして自分が死んだらどうするつもりかと尋ね、返答に窮する秀忠に、秀頼は65万石の大名として封じ込め、外様は鉢植え(一定の地に根付かせない大名)として国替えを行い、逆らえば改易とするように命じますが、伊達と島津は除外して後々松平の姓を与えるように言います。また朝廷は幕府が手綱を握り、目下懸案の事項である皇位継承については、八条宮智仁親王ではなく、政仁親王の立太子をと促し、さらに市姫を妃として入内させよと命じますが、流石に秀忠はここまでの口を出すのには抵抗を感じました。その後この件で、先の関白である近衛信尹が江戸を訪れますが、秀忠はこれは不忠にあらず、人の道に違うことを咎めぬ公家衆こそ不忠と一歩も引きませんでした。

大坂では淀殿や側近の大野治長が、家康は仮病で、大名の動向を探っているのではないか、あるいは既に薨去しているのではと疑い、片桐且元に真偽のほどを確かめさせます。その頃松平忠吉が、父の見舞いに江戸を訪れますが、当の忠吉自身が背中の腫物に苦しんでいました。秀忠は唯一母を同じくし、しかも年子の忠吉を見舞いますが、父家康があの年齢で今もかくしゃくとしているのに驚きます。一方で家康は全快し、子や孫の前で自分は体を鍛えており、しかも薬を飲んでいることの大切さを説くのでした。そして忠吉に会い、関ヶ原の時の鉄砲傷を武人の誉れと褒めますが、それと同時に背中の腫物を見て一瞬言葉を失います。3月5日に忠吉は世を去り、駿府に戻る途中で訃報に接した家康は、自分の身代わりになったと嘆きますが、その後結城秀勝までが危篤となります。そして大坂では、秀頼が女中と同衾していたことに淀殿は動揺します。その秀頼は自分は大名でもかまわないこと、千姫を大人の都合で離縁するのは不憫であると母の淀殿に伝えます。

淀殿の頑なな姿勢が表面化して行きます。妹のお初から、豊臣家の威光は一代限りといわれても耳を貸さず、関ヶ原の表面上の名目である家臣同士の諍いが、自分と家康の諍いであったと捉える見方が顕著になります。ところでこの時期の皇位継承についてですが、後陽成天皇の弟宮八条宮智仁親王は、かつて豊臣秀吉の養子であり、鶴松誕生後に養子の関係でなくなってからは、八条宮家を創設しています。しかし一度臣籍に下った親王が、皇位継承というのはよくないということで、後陽成天皇の皇子政仁(ことひと)親王が皇位を継承することになります。この親王が後の後水尾天皇です。秀忠の家臣たちは、結城秀康の例を引き合いに出し、一度他家に養子に出すと家督は継げぬと近衛信尹に進言します。しかしこれは、家康が徳川とのつながりを持たせるために、既に妃がいる八条宮ではなく、まだ年若い政仁親王を推したのではないかとも思われます。実はこの政仁親王の中宮は、市姫ではなく秀忠の五女和姫で、その長女が後の明正天皇である興子内親王です。

それにしても、淀殿の姿勢がますます意固地になっている印象を受けます。本来どちらにも与しなければいいものを、関ヶ原を引き合いに出してお初の夫は三成を裏切ったなどと言うのは、自分は最初から三成の味方だったと言外ににおわせているに他なりません。さらに家康も、実はもういないのではないかと言い出しますが、朝鮮での戦役のため薨去を伏せざるを得なかった秀吉の時とはわけが違います。その意味ではお初も、そして一大名であることを受け入れる秀頼も、淀殿よりは考えがまともであるといえます。しかし家康も秀忠に、幕府を潰すな大名を監視しろ、しかし伊達と島津は別格だと言う辺り、この2人をかなり恐れていたともいえます。しかし島津に関していえば、後に幕府を潰した最大勢力といっても過言ではないのですが。この大河は戦国から江戸を描いていますが、徳川家メインということもあって朝廷工作がかなり描かれており、それが幕末大河とダブる印象が少なからずあります。

飲み物-お洒落なランプとウイスキーグラス
[ 2019/09/01 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

大河ドラマ雑考-30

まず、大雨の被害に遭われた方々へお見舞い申し上げます。ラグビー関連は、今回は明日投稿予定で、今日は先日の続きになります。

その先日分にも書きましたが、サブカル支持層に受ける大河というのは、それまでの大河を支持して来た層には、必ずしも受けるとは言い難いようです。従来の大河ファンの多くは、やはり大河は安定路線でいてほしいわけですし、それを考えると構成や脚本などにいくらかの違和感があるのは当然のことといえます。確かに、今まで大河を観なかった層に観てもらうため、それまでとは違う切り口の大河を展開するという方法もあるのでしょうが、やはりリスクが大きいともいえます。

3年前の『真田丸』は色々な層に受けて、しかも人気はそこそこあったようです。確かに私も『真田丸』は(終盤を除いて)面白く観たのですが、これは三谷幸喜氏のファンが多く観たこと、そしてPRにお金をかけたであろうことも、理由として挙げられるでしょう。それから戦国物だったことも、2010年代の大河としては、高めの視聴率を後押ししたと考えられます。ただそれでも2010年代の大河では、『真田丸』よりも、『江~姫たちの戦国~』の方が平均視聴率は高くなっています。また一方で、『真田丸』はあまり観たくなかったという人も無論存在します。

受信料や職員の高給が取り沙汰されている現在、NHKが今後大河を継続して作りたいのであれば、一番手っ取り早いのは、朝ドラ同様半年にしてしまうことです。そのうえでスクランブルをかける、スポンサーをつけるという方法もあります。これは先日も書いていますが、エンタメ系の作品はこのくらい思い切ったことをしてもいいのではないでしょうか。無論この場合、エンタメ系はすべてスクランブル化し、ニュースや気象災害をワンコイン程度の受信料で賄えばいいのです。また編成としては『坂の上の雲』のようにシリーズにして、何年かに分けて放送することもまた検討されていいでしょう。

大河じゃなくて海外ドラマの方が面白い、そもそも海外ドラマしか観ないという人もいます。私も海外ドラマを観ることはありますが、やはり日本の時代劇と海外ドラマ(それが歴史物であっても)とでは、受ける印象がまた異なって来ますし、時代劇の最後の牙城という側面も持ち合わせているのだから、如何に視聴者が納得行くように残すべきかが急務かと思われます。それと海外ドラマや映画などは、外国に配信または配給するのを目的として、多額の予算を投じているわけですから、そこそこのレベルの作品であるのは当然です。無論大河そのものも、日本のドラマとしては多額の制作費をつぎ込んではいるわけですが。

それから女性主人公の作品に特に見られるのが、主役レベルの男性の登場人物と、子供の頃親しかった、あるいは比較的若い頃に恋仲であったという描写です。無論男性主人公の物にも、女性との関係で似た描写が見られますが、特に女性主人公の場合、その男性とのつながりがやけに強調されているように見えます。『篤姫』などもかなり、小松帯刀との関係をアピールしていました。本人の功績が限られているため、そういう部分を表に出さざるを得ないのでしょうが、そうまでして女性主人公で作るべきかと思われる一因でもあります。

あと大河にはお笑い枠とかスポーツ(格闘技系)枠などがあります。特にお笑い枠、つまり落語家とかお笑いタレントなどは、ベテランであるほどその人のキャラが演技に反映されます。『いだてん』でのビートたけしさんが特に顕著です。無論『西郷どん』の笑福亭鶴瓶さんや、『真田丸』の桂文枝さんなども本人のキャラが際立った部分はありましたが、この人たちはあくまでも脇役でしたし、私はこの2つの作品は割と楽しめました。ただ『いだてん』にはやや違和感があったうえに、たけしさんの場合はほぼ主役でナレーターなのに聞き取りにくく、落語で話が途切れてしまったりしたことで、マイナスのイメージが強くなったのは事実です。宮藤氏は元々スポーツでなく落語を描きたかったようですが、ならばもう少し落語家を演じられ、また口跡のいい人をキャスティングすべきでした。

しかし受信料の問題が取り沙汰されるほど、NHKのエンタメ作品はこれでいいのかと思えてしまいます。元々大河の定義、たとえば侍の生涯がメインでしかも男性主人公というように、あらかじめ決めておけばよかったのですが、そこは主人公と観光地のタイアップもあったのでしょうか。タイアップをするなとはいいませんが、そのために無名の主人公を出すのであれば本末転倒です。実際再来年の大河は一旦休止にして過去の作品を再放送し、制作にかける時間を、大河を半年放送にすることも含めた、NHKのエンタメ作品の在り方の模索、スクランブル放送の検討などに費やしてほしいとさえ思うようになっています。

飲み物-アイスミルクティ
[ 2019/08/29 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

大河ドラマ雑考-29

『いだてん』が低視聴率更新で、関西では4パーセント台という記事を目にしました。これについては、以前も触れてはいます。私は2月まで観て、その後何かでチラ見した程度ではありますが、やはり万人受けしないのだろうなと思います。好きな人は本当に好きなのでしょう。しかし今までの大河の路線を逸脱しているところもあり、そのため離れて行った視聴者もかなりいるようです。元々近代物が大河ドラマでは鬼門ともいわれています。

実際1980年代半ば近現代三部作をやって、結局時代劇路線に戻しましたが、皮肉というか、1986年に放送された第3作の『いのち』が、その中で一番の高視聴率でした。これは脚本が橋田寿賀子さんというのもあったかもしれません。そしてこの当時は別に新大型時代劇が放送されていて、近現代大河を観ない人はそちらを観ていた可能性が高いです。しかし今年は、それに該当する作品は作られていません。勢い、皆が民放に流れて行くことになります。中には『葵 徳川三代』のアンコールの方を観ている人もいるでしょう。

昨今は特に、受信料の問題が浮上するようになっています。大河を作るのはいいのですが、制作費もかなりかかっています。視聴者を満足させるにはどのような方法で作るべきかを、NHKも考えてしかるべきでしょう。受信料関係で改善するべきこととしては、TVでの視聴者からのみ徴収する、電波を止めてほしい人には送信をやめるようにする、この2点がまず挙げられます。さらにスクランブル化するという方法があります。この方法は最初から契約世帯しか観ないため、TVでの視聴者のみが対象で、しかも電波送信を止める必要もありません。

この3つのいずれも、受信料収入が不安定化しかねないため、NHKは嫌がるのだろうと思いますが、公共放送で年収1800万円近い高給の方が、むしろおかしいのではないでしょうか。公務員レベルで十分です。正に既得権益の死守ではないかと思われます。むしろある程度不安定要素があった方が、組織内に緊張感が生まれるのではないかとさえ思うのですが…。ならばスポンサーを一部つけるなり、いっそのこと民営化するという方法もあるでしょう。

話が戻りますが、『いだてん』と『おんな城主 直虎』にはどこか似通ったものがあります。出演者も一部ダブっていますが、演出方法がどうも奇を衒いすぎたように見える点です。こういうサブカル好きな層が好みそうな演出方法が、本来の大河視聴者の嗜好とどこか反りが合わないと考えられます。そして『直虎』を支持したコアなファンが、『いだてん』の支持層となっているようにも感じられます。

『直虎』も戦国大河では最低視聴率で、関東であまり数字がよくなかった『西郷どん』に総合視聴率では及びませんでした。一方で『花燃ゆ』は『直虎』とはまた違いました。こちらはどちらかといえばメロドラマ的演出で、サブカル支持層には刺さりにくかったといえるでしょう。また全体的に試行錯誤している感があり、脚本家もくるくる変わって、どこか腹をくくった雰囲気がなかったのもまた事実です。一応完結編でかなり路線を変えることで、何とか格好がつくにはつきました。

『直虎』に関しては当該記事にも書いていますが、4月の半ば位まではそこそこの大河でした。しかしその後の直虎の描き方にあまり共感できなくなり、多少興味が薄れて行きました。また井伊直政も、事前の予想とはかなり異なっていました。私としては草履投げも、エクセルまがいの計算方法もなくていいから、それなりに戦国武将らしい姿をもっと見たかったのですが…。結局後半は録画視聴に移行するようになりました。

この『直虎』のエンディングに、モブでいいから井伊直弼が登場し、桜田門外の変になって次作『西郷どん』に続かないかと思ったことがあります。しかし考えてみれば、島津軍は関ヶ原から撤退する時に、直政に重傷を負わせています。この時の島津義弘にあやかったのが、次作第1回の妙円寺詣りなのですから、続けるという意味では、関ヶ原でにらみ合う直政と島津軍の方がよりふさわしかったのかもしれません。いずれにしても実現はしませんでしたが。

飲み物-アイスコーヒー
[ 2019/08/28 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代徒然-20

慶長10(1605)年5月10日、忠輝は兄秀忠の名代で大坂を訪問します。一人っ子の秀頼とは違い、忠輝殿は兄弟が多いと言う淀殿に対して、忠輝は兄弟が多いと損をすることもあると答え、側近から注意されます。豊臣家と徳川家は親戚同士じゃと言う淀殿ですが、同じ月の23日、秀忠は清洲城を訪れて松平忠吉に会います。将棋を指しながら、忠吉は福島正則がこの城を訪れたことを話します。正則はこの地は要害の地ではないと言うものの、そもそも要害の地にありがちな籠城戦は、自分向きではないとかわし、さらに豊臣家の今後についても話します。尤もその忠吉は戦に出ようにも、体調を崩し、腫物に苦しむ身となっていました。そして福島正則は、家康の幕府を快く思わない淀殿に対して、(徳川の)代が替われば風向きも変わる、今は耐える時と進言します。また正則は、自分は豊臣の家臣であると断言します。そしてこの年の6月4日、秀忠は江戸城に戻ります。お福に抱かれた竹千代はかなり大きくなっていました。

将軍としての仕事を本格化させる秀忠ですが、結局は父家康の指図通りにことを運ばざるを得ず、自ら内政を執り行うというよりは、本多正信と正純の父子にすがっているように見えました。また大坂に対しても、すべては父上の腹の内と言い、お江を怒らせてしまいます。その年の10月、家康は江戸に入りますが、前田利長に密使が行ったことを知らされます。しかし家康は、むしろ淀殿が謀反を起こしてくれた方が勿怪の幸いと言い、大名たちに江戸城の普請を命じます。さらに、日本に漂着したリーフデ号の航海長、ウィリアム・アダムスに面会します。家康はアダムスに船を作らせ、所領を与えて江戸に住まわせます。アダムスはその後日本人女性と結婚し、三浦按針を名乗ることになります。年が明けて慶長11(1606)年正月、淀殿は豊臣家家臣であるはずの大名たちが、江戸城の普請に関わるのがやはり不愉快なようですが、福島殿は家康には面従腹背であると諭されます。

その頃家康のお狩場で、関東総奉行の内藤清成と青山忠成が、領民に雁を獲るための罠を許し、これがもとであわや両名は切腹にまで追い込まれますが、本多正信が一芝居打って事なきを得ます。しかし家康は、秀忠が自分の顔色を窺うことをよく思わず、自覚を持たせるために駿府で隠居することを決め、さらに忠輝の舅である伊達政宗の屋敷で能と茶を楽しみます。家康が秀忠のために駿府行きを決めたことで、天下に名を成す人物は口やかましきものと政宗は言い、また家康は秀頼を引き取って大名にしたい旨を打ち明けます。家康はまた、いざという時は政宗が頼りであると言い、3月に駿府へ発ちます。ところが子を産まぬため、家臣松平定綱の後添いとした側室、お梶が自分の子を身籠っていることを知らされます。一方でお江もまた懐妊し、6月に秀忠の二男国千代(後の忠長)が誕生しますが、お江は国千代は自分で育てたいと秀忠にせがみます。

大坂との対立がかなり現実味を帯びて来ます。しかも忠輝が、兄弟の確執ともいえることを秀頼と淀殿の前で打ち明けます。この言動は、後々豊臣方の道具として使われかねないものでした。また二代目将軍となった秀忠も、父家康の操り人形のようなところがあり、将軍としてはいささか頼りない存在でもありました。それもあって、家康は江戸から駿府へ移ることを決めます。その家康は、ウィリアム・アダムスに船を作らせるのみならず、所領を与えて武士として扱います。何やら近世の人物というよりは、明治期のお雇い外国人的な雰囲気も感じられます。そして淀殿は、相変わらず家康への敵対を崩そうとせず、福島正則のような豊臣子飼いの大名が、家康のために働くのを苦々しく思っています。関ヶ原で家康に与してなおかつ所領をもらっている以上、家康が事実上の主なのは当然のことではあるのですが。

その一方で、家康にも秀忠にも子が産まれます。まず秀忠の方ですが、待望の嫡男竹千代が産まれたあとで、今度は二男国千代が誕生します。尤もこの国千代は、成人した後に問題行動を起こすようになり、それがもとで兄家光との関係が悪化したといわれています。しかしお福(春日局)に竹千代を「取られた」悔しさから、国千代は手許に置きたいというお江、この人物もまた嫡男を乳母に取り上げられて、二男を手許に置いて可愛がるその典型でした。本当に岩下志麻さんの大河での当たり役です。そして家康の方ですが、こちらは子供ができないという理由で、駿府に同行させず、一旦は松平定綱の継室としたお梶が、大殿の子供を授かったとの文が送られて来ます。このお梶の子が市姫で、伊達政宗の子忠宗と婚約していましたが、幼くして亡くなります。後に家康は、孫の振姫を忠宗の婚約者としています。

飲み物-パブのビール
[ 2019/08/27 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代徒然-19

徳川家康は秀忠に征夷大将軍職を譲ろうと決めます。しかし征夷大将軍とはあくまでも臨時の職であり、それを世襲するとは何事であるか、豊臣家を無視していると淀殿は不満をぶちまけます。さらにこの件に関して、関白職の就任資格がある五摂家を、大枚はたいて抱き込もうとしますが、そこは家康も手を回していました。さらにこれと前後して、秀忠とお江に待望の嫡男が誕生します。この子は竹千代と名付けられ、秀忠夫妻は乳母を決めていましたが、家康自らが竹千代の教育方針を定めることとなり、手元におかず自分が決めた乳母、福(春日局)に委ねることになります。また福の三男をはじめ、5人の少年たちが小姓となります。この福は明智光秀の家臣斎藤利三の娘で、才知に優れているのみならず、強かな女性でもあり、乳母となるに当たって夫稲葉正成と離縁していました。

さらに豊臣家に取っては都合の悪いことに、関白の九条兼孝が慶長9(1604)年に解任され、頭を丸めてしまいます。また秀忠の将軍就任に当たり、家康は高台院に、秀頼に臨席するべく話をつけてほしいと言いますが、淀殿はあっさり拒否します。一大名ではなく、秀忠はあくまでも豊臣家の家臣というのがその理由でした。こうする間にも、秀忠の次期将軍としての準備は着々と進んでいました。
そんな折、本多忠勝は病を得て第一線を退くことになります。そして慶長10(1605)年4月、秀忠は第二代征夷大将軍となるのですが、金地院崇伝は徳川家の人物らしく、家忠に改名してはどうかと申し出ます。しかし天海僧正は、貴人(この場合は秀吉)から拝領した名を、そう簡単に変えるものではないと言い、結局秀忠で通すことになります。

これに関して、加藤清正と福島正則が乗り込んで来ます。この両名は、征夷大将軍とは朝廷に抗う存在を征伐する存在のことだと主張し、何を仮想敵としているのか、豊臣家かと詰め寄ります。しかし家康は、この場合は南蛮人などの外国人(とつくにびと)であると答えます。さらに一部始終が終わった後、家康は秀忠に差しで自分の苦労を話して聞かせ、
「非常にあらざれば天下は取れず」
「心の中に一匹の鬼を飼え」
と言い、天下を守ることの難しさを説きます。さらに家康は、いざとなれば妻子も捨てる覚悟で臨めと秀忠に言いますが、それを聞いた秀忠は心が揺れるのを感じていました。

相変わらず徳川家を家臣と思っている、というか無理にでもそう思いたい淀殿の、意識のずれが窺えます。一方で彼女の妹のお江は、嫡男を産んだものの、将軍家の世継ということもあり、舅である家康がすべてを決めてしまうのに戸惑いを見せます。お江にしてみれば、福は自分と子供の間に割り込むが如き存在に見えたでしょう。これは、それ以前の大河で岩下志麻さんが演じた役に共通しています。『草燃える』では比企家が、『独眼竜政宗』では片倉家(特に喜多)が似たような存在でした。そしてその淀殿をあざ笑うが如く、家康は朝廷に手を回し、完姫の舅でもある九条兼孝を解任させてしまいます。尚この兼孝の後継者が、薩摩と縁の深い近衛信尹で、この人物から数えて九代目が、幕末に関白職にあった近衛忠煕です。

しかし千姫の父であるにもかかわらず、淀殿は秀頼を将軍後継祝賀の席に列席させようとはしませんでした。さらに加藤、福島の両名が乗り込み、秀忠の征夷大将軍就任に対して異議申し立てに等しい行動を取ってしまいます。この2人がのちのち分が悪くなる一因となったともいえそうです。それから福、後の春日局役が樹木希林さんです。『翔ぶが如く』の幾島をちょっと思わせます。前にも書きましたが、この大河はベテランの女優さんが多いせいか、女性ばかりのシーンもそれなりに重みが感じられます。しかし今までは恐妻家的存在であり、情にほだされるような印象が強かった秀忠は、今後変わることができるのでしょうか。

飲み物-パブのカクテル
[ 2019/08/18 01:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代徒然-18

豊臣秀頼と千姫の婚礼に立ち会うため上洛し、大坂城で姉たちと再会したお江は、羽柴秀勝との間に生まれた完姫と久々の再会を果たし、また伏見城で生まれた初姫をお初の養女とします。完姫の九条家との縁組の件で、お江は帰途京へ寄り、高台院に伺いを立てます。高台院はこれを承知し、今や家康が天下人であることを認める一方で、淀殿が未だに豊臣家の権勢をかさにきたような振る舞いをするのを、苦々しく思っていましたが、お江に取っては実の姉であり、複雑な気持ちではありました。そして慶長8(1603)年8月10日、伏見城で家康の十一男である鶴千代が生まれます。この鶴千代こそ後の徳川頼房、つまり初代水戸藩主で、水戸光圀の実父でもありました。一方で8月27日、薩摩の島津家久(忠恒)が宇喜多秀家父子を護送して上洛します。宇喜多を島津が匿っていたこと、しかもその宇喜多は西軍の主力であったことから、家康は生かしておくのをためらいますが、秀家は既に頭を丸めており、同行の前田利長が助け舟を出します。秀家は利長の妹婿でもありました。

結局宇喜多父子は久能山、そして八丈島へ流罪となります。同じ年、家康は異母弟の松平康元、そして五男の武田信吉が世を去ります。家康も自分の余命を思い、幕府を盤石にすべきと考えます。11月3日、秀忠は右大将の官職を賜り、結城秀勝と松平忠吉は江戸へ向かい、さらに家康は江戸城に長富丸と五郎太丸を連れて入ります。家康は武田信吉の死去に伴い、長富丸に水戸の領地を与えますが、忠輝は無論いい顔をしません。さらに結城秀康は鉄砲隊を関所で咎められたことにより、秀忠に意見を述べます。さらに領地北ノ庄を福井と改めたいと申し出ます。その後家康は秀忠を呼びつけ、淀殿周辺がきな臭いこと、さらにかつての豊臣恩顧の大名を始め、身内にも気をつけるように注意します。とりわけ秀勝は秀吉の養子であり、何で秀忠を討つことになるかわからぬと諭し、さらに淀殿の妹であるお江にも気をつけるように言います。秀忠は父のこの言葉にうろたえます。

慶長9(1604)年正月、権力の中心となった江戸城を大名たちが参賀に訪れます。その中には西軍に与しながら、旧領の主に復帰した立花宗茂も姿を見せ、これこそ家康の懐柔策とささやかれました。さらに江戸を政治の中心地とするべく、家康は様々な方針を打ち出し、病の吉川広家に熱海の湯を贈ることを命じます。嫡男を授かりたいお江は神仏にすがり、ほどなく懐妊したことがわかりますが、家康には黙っているように秀忠に頼みます。女子であれば殿の立つ瀬がないというのがその理由でした。家康は糸割符制度や伏見城改築の普請など、幕府の足固めをさらに行い、また秀康に次なる将軍の秀忠の補佐をするよう、江戸に下るように命じます。嫡男長吉丸を連れて江戸に下った秀康は、嫡男が授からないと嘆く秀忠に、男子が生まれなければ長吉丸をとまで言い出します。その一方で、淀殿も秀頼と千姫の関係が壊れぬよう、心を砕いていました。この年の6月、完姫は九条家に輿入れします。

家康の足場固めと、それを無視しようとする淀殿の対決姿勢が徐々に露わになって行きます。しかし淀殿が、秀頼と千姫の間を心配するのに対し、家康の方は男児が次々と生まれて、後の御三家へとつながって行きます。尚鶴千代、後の頼房が生まれたシーンで、進行役の光圀が登場して父であるというのは、この大河らしくはあります。その傍らで忠輝は相変わらず冷遇されますが、これは義父の伊達政宗を警戒する意味もありました。さらに、こちらも天下人になろうとした黒田如水が亡くなったことで、家康もいささか安堵します。西国の大名の力を削ぐべく、伏見城の改築を命じる家康ですが、立花宗茂や吉川広家には懐柔策ともいえることを行っており、この人物の強かさが窺えます。なお宇喜多秀家が薩摩で頭を丸めたというのは、『常山紀談』によるもののようです。この時の領主家久は鶴丸城を築き、また奄美大島を直轄領としています。

しかしここに至るまで、秀忠は何とも頼りなげに描かれています。また家康は自分の余命がどうこうと言っていますが、何だかんだで大坂夏の陣までは指揮を執るわけなのですが。また秀頼と千姫は、如何にもこの年齢、今でいえば小学校中学年の子供といったイメージです。その千姫の母であるお江は、男児を授かろうと藁にもすがる思いで、もしまた女子であれば処分してくれとまで言い、かなり思い詰めている様子です。それはよくないと諭す秀忠に、お江はこう答えます。
「我が子を疎む親がこの世におりましょうか」
脚本のジェームス三木氏も演じる岩下志麻さんも、『独眼竜政宗』の義姫(お東の方)がちらついたことでしょう。あのお東の方はむしろ「我が子を疎む」母親として描かれていましたが、こちらではどうなりますか。

飲み物-マティーニ
[ 2019/08/11 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

実は『いだてん~東京オリムピック噺~』を観なくなったので、再び『西郷どん』復習の投稿をアップしています。関連文献もまた読もうかと考えていますし、BSで再放送中の『葵 徳川三代』の再放送も観ています。そしてパペットホームズの続編ですが、これは是非とも三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、『相棒』をはじめとする刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、いよいよ日本でのワールドカップの年です。今季は代表下部チームとの兼ね合いもあり、スーパーラグビーでは今一つでしたが、ワールドカップでのベスト8成るでしょうか。

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