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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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葵徳川三代徒然-15

慶長6(1602)年、家康と秀忠は大坂で淀殿のもてなしを受け、秀頼は将来義父となる秀忠に、千姫に届けてくれと貝を差し出します。嫡男のいない秀忠は堅物と家康は言い、淀殿はお江は果報者じゃと言う一方で、上方の城で大坂と伏見のどちらが大事かと答えます。家康はどちらも重要であると答えますが、淀殿はさらに九条兼孝の関白就任について尋ねます。自分に関係はないと言う家康ですが、秀忠が将来は秀頼を関白職にと口にします。退出後家康はこの愚行に腹を立てて秀忠を殴り、あまつさえ、家臣たちに自分の後継は誰がいいかとまで訊き、さらに大坂城の西の丸を出ると伝えます。父に逆らえない秀忠は、側室となった京娘志乃に伽をさせますが、そこにお江が現れます。結局夢だったのですが、秀忠は志乃を下がらせます。その後3月27日に秀頼は権大納言の官職を賜り、その翌日は秀忠も権大納言となりますが、淀殿にしてみれば、息子の秀頼と「家臣」である秀忠が同じ官職というのは面白くありません。

秀忠の任命が一日遅れというのは、朝廷側の計らいとも取れると進言されるものの、淀殿は豊臣子飼いの大名が、家康になびいているのを嘆きます。藤堂高虎は、秀頼が元服するまでに官職を歴任する考えもあると述べますが、無論それは高虎の推測に過ぎませんでした。一方淀殿が怒っていることを聞かされた家康ですが、我々は淀殿の家臣ではない、ならば破談にすればいいとまで言い出し、さらに忠輝と伊達政宗の娘五郎八、前田利長の嫡男犬千代と、秀忠の娘珠姫との婚儀を推し進めます。そして秀忠を江戸に帰し、関東の地固めをするように命じたうえで、秀忠を正式な後継者と決めたと秀忠本人、そして家臣の前で言明します。4月10日に秀忠は江戸へ発ちますが、この時すでに東海道沿いの大名の殆どは徳川家ゆかりとなっていました。江戸で留守居をしていた家臣や兄弟をねぎらう秀忠ですが、10歳の弟忠輝は、自分の所領はたかだか1万石、1歳年下の秀頼は権大納言なのが羨ましいといったことを言い出し、大久保忠隣にたしなめられます。

秀忠は珠姫の婚儀のことをお江に話しますが、案の定お江に反対されます。3歳の娘を駆け引きの道具に使うのか、千姫を嫁がせるのが先とお江は主張しますが、今はむしろ珠姫を前田家に嫁がせる方が先でした。そして7月末、上杉景勝が江戸に来て家康に詫びを入れます。景勝の処遇は、他の西軍の大老や奉行同様に厳しく、会津120万石から米沢30万石へ減封されました。しかしその後、家康は持病の寸白(サナダムシ)で倒れてしまいます。このことを聞いた大野治長は淀殿にこれを伝え、千姫の父である秀忠が家督を継ぐことを待ちわびます。さらに二人は、家康の子ながら秀忠の義兄弟である、結城秀康を抱き込もうと策略します。しかし家康は全快し、佐渡の金山を徳川家所有として、伏見に銀座(貨幣鋳造所)を作らせます。一方志乃が懐妊したものの、秀忠はお江に知られるのを恐れ、志乃は忠隣の屋敷に預けられました。そして9月30日、珠姫は金沢へ旅立ちます。別れを惜しんで珠姫は泣き出し、秀忠とお江は、城の窓から輿入れの行列を見送ります。

淀殿の、家康への敵意があからさまになって行きます。そもそも九条兼孝の関白就任で、面白くない思いをしたところへ、秀頼と秀忠が同じ官職を賜ることになったわけです。なぜ秀頼が関白になれないのか、淀殿の我が子可愛さではありますが、これで家康への対抗心はさらに強くなります。しかも豊臣子飼いの大名が、家康に従うのが彼女には腹立たしいわけですが、どう考えても所領を与えてくれた家康に対し、恩義を感じるのは当然のことでした。これでは当分千姫を大坂にやれないと判断した家康は、その代わりに忠輝と伊達家の縁組、珠姫と前田家の縁組を優先します。珠姫の件ではお江が反対しますが、これも彼女の姉の淀殿同様、我が子への思いがかなりあったことでしょう。ちなみに珠姫が、輿入れの際にままごとの道具を持って行きたいと言うシーンがあります。『独眼竜政宗』で、輿入れして来た愛姫に、政宗が輪島塗のままごとの道具を、給仕の稽古という目的で与えるのを思わせます。何せ同じ方の脚本ですし。

ところで政宗の娘、五郎八姫と忠輝の縁組ですが、この忠輝はやはりどこか反抗的で、将来が思いやられる人物として描かれています。そして秀忠が父家康にいわれて、仕方なく側室にした志乃が妊娠していることがわかり、秀忠はお江にこれを知られてはならじと、大久保忠隣の屋敷に住まわせます。その家康は寸白の持病があり、寝込んでしまいます。無論これはサナダムシのことですが、真田が家康の敵となることを、あるいは掛けてもいるでしょうか。ちなみにこの当時、真田昌幸・信繁(幸村)父子は九度山にいました。しかしこの病のことを聞きつけた大野治長と淀殿は、さては三成の祟りか、後継者の秀忠なら御しやすしと、家康の死を密かに望みます。しかしその家康より先に、この二人が世を去ることになるのですが、それはもう少し先の話になります。それよりも、やはり三成の敵となった小早川秀秋が、この翌年に他界することになります。尚この回で、淀殿の叔父にあたる織田有楽(斎)が再び登場しています。大坂の陣へ向けて時代が動いて行きます。

飲み物-マティーニ2
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[ 2019/07/21 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代徒然-14

関ヶ原の戦いの後、石田三成、小西行長と安国寺恵瓊が処刑されます。その後も戦後処理が行われ、特に上杉と島津、毛利をどのように扱うかが論点となります。吉川広家は、毛利輝元は担ぎ出されただけで、しかも合戦中は大坂城を出ていないと弁護しますが、西軍の文書の多くに輝元の連署花押があったことから、安芸、備後と備中は福島正則のものとなり、かつて正則領だった尾張には、松平忠吉が入ることになります。さらに周防長門は吉川領と決まります。西軍に与した大名たちは改易されたり、所領を削減されたりし、その分は東軍の大名へと与えられました。その後家康をはじめ大名たち、豊臣家の近臣たちは淀殿に拝謁し、能『石橋』が演じられ、秀頼は淀殿の命で家康の盃を受けます。一方で細川忠興は、妻ガラシアを失って悲嘆にくれ、嫡男忠隆の正室千世を、なぜ逃がさなかったと咎めたうえで離縁してしまいます。

そして大坂城では、大野治長が関ヶ原で三成と戦ったのは、福島、黒田、藤堂高虎といった豊臣の大名であり、徳川は殆ど三成と戦っていないことを打ち明けます。その淀殿の妹、初の夫である京極高次は若狭を与えられます。しかし初がお江と羽柴秀勝の娘完姫を養育していることを知り、嫡男忠高の妻にと姉に願い出るものの、淀殿は姫をしかるべき公家と目合わせるつもりでした。同じ頃、尾張六十二万石を与えられた弟松平忠吉から、戦の味もおなごの味も格別と言われた秀忠は、側室にと、大久保忠隣から京の娘たちを紹介されます。秀忠は悩みますが、一旦下がらせてからそのうち一人を選びます。これは他の2人の面目を潰さないためでした。江戸ではお江が千姫に輿入れ間近だと言い聞かせますが、千姫は自分は男に生まれたかったこと、しかも弟がほしいと言い、なぜ男の子が生まれないのかと尋ねてお江を悩ませます。

そもそも秀忠が側室を勧められたのは、島津征伐に立花宗茂が差し向けられること、上杉の方も冬に入って動きがないことから、秀忠自身がしばらく上方に滞在するせいでもありました。またその島津征伐も、慎重論が出たことから一旦見送られます。そんな折、伏見城の茶室にいた家康は秀忠に、天子様に次いで身分が高いのは誰かと訊かれ、後々関白となる秀頼君と答えます。しかし家康は、いつまで豊臣の家臣でいるつもりだ、元々関白は五摂家のものであると言い、秀頼を関白の職に就かせないことを目論んでいました。その時、側室お亀の方が男子を産み、家康は大喜びして、秀忠に自分を見習えといいます。五郎太丸と名付けられたこの子は、後に尾張家初代当主義直となります。そして12月、淀殿の許へ九条兼孝が関白に就任したとの知らせが入り、秀頼の関白への道を絶たれた淀殿は、誰かの差し金であると言って激怒します。

関ヶ原後の戦後処理の中でも、上杉や島津に関してはなかなか思い通りに行きませんでした。無論上杉は伊達が抑えていましたが、その伊達も南部領を掠め取ろうとし、これが追加の恩賞を受けられなかった原因となります。しかし島津は黒田如水や加藤清正とも懇意であること、さらに西軍に付くのは義弘が独断で決めたこと、伏見城での鳥居元忠との一件があることなどから、今島津を攻めると九州の諸大名の怒りを買うということで、先送りされます。また細川忠興は、妻を失ったことで嫁の千世の責任を問い、離縁させてしまいますが、実際は嫡男忠隆が勘当された際、忠隆は千世と子を連れて家を出たとされています。後に忠隆は廃嫡されて長岡休無と名乗り、祖父幽斎を頼ります。また弟の興秋も出奔し、同じく幽斎を頼っています。この父と息子たちは、今一つ折り合いがよくなかったようにも見えます。

その一方で家康の江戸幕府への布石は着々と進められて行きます。淀殿に拝謁した際、家康の盃を秀頼に与えるということまでしておきながら、その秀頼の関白への道を断ち切り、かつてのように五摂家に戻したために、淀殿は激怒します。無論この先にも、家康が秀忠を後継者にした件といい、方広寺の鐘の件といい、淀殿を激怒させる事件は何度も起こるわけで、これがそもそもの発端だったといっていいでしょう。「武士はあくまでも武士で関白ではない」と言うのは、正に幕府の設立を示唆しています。また江戸のお江は、嫁に行かなければならない女ではなく、自分は男の方がよかったと長女の千姫にいわれてしまいます。夫の秀忠は側室を持つことを決めますが、お江のことが頭をよぎり、どこかぎこちない感じです。そんな時、父の家康にまた男子が産まれるのですから、秀忠はいよいよ立つ瀬がなくなります。

ところで初が、しきりに京極忠高の嫁にと願った完姫ですが、この人は結局九条家に嫁ぐことになります。淀殿としては、秀頼の関白への道はなくなったものの、養女である完姫を九条家に嫁がせたことになり、彼女の血は今の皇室にまでつながっています。豊臣家の面目は何とすると怒ったものの、最終的にはその面目を保ったともいえるでしょう。ところでこの完姫と秀頼が遊んでいるシーンに、茶トラの猫が登場します。これがなかなか可愛い。茶トラは島津義弘が飼っていたという説もあり、それを考えると、ここで茶トラが登場してなおかつ逃げていったというのは、いささか寓意的でもあります。関ヶ原の戦いは終わりましたが、今後は大坂の陣に至るまでが、また微に入り細にわたり描かれることになりそうです。

飲み物-パブのビール3杯
[ 2019/07/13 01:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代復習1

『葵 徳川三代』も関ヶ原と三成処刑が終わりました。ここでちょっと復習です。この大河の特徴は、時間をかけて描いて行く点にあります。無論戦国末期から安土桃山時代が舞台となる大河では、秀吉没後から家康の天下取りの描写は無論外せないのですが、通常はそれでも5、6回程度です。しかしこれでは10回以上に亘って描いているわけですから、かなりの長丁場といえます。それも水増しというよりは、他の大河ではあまり登場しないような、関ヶ原に関与した様々な人物を描いているためと捉えるべきでしょう。そのためキャストが幾分多めになっています。特に家康が三成と対立した後、豊臣方の大名を味方に付けるよう工作して行く様子や、秀忠の恐妻家ぶりがかなり描かれています。

ただやはり、実際は織田有楽斎と蒲生郷舎は戦っていないのに、戦っているかのように描かれているとか、石田三成が伏見城の治部少輔丸に籠っていないというのは、今観るとやや奇異に映ることもあります。治部少輔丸が初めて描かれたのは、確か『軍師官兵衛』です。無論いくらかフィクションがあるのは、ドラマとしては当然のことではあります。それから水戸光圀が、狂言回し的に色々なシーンに登場します。これはジェームス三木氏らしいといえます。光圀を演じた中村梅雀さんは、『おんな城主 直虎』でもナレーターでしたが、私としてはこちらの方が好きです。『直虎』の場合、竜宮小僧という存在が今一つはっきりしなかったせいもあります。

あとこれは先日のにも書きましたが、西軍が負けたにもかかわらず、立花宗茂が今一度対戦をと主張します。無論この当時としては、これが当たり前だったでしょう。この当時はその基礎固めが行われていたとはいえ、江戸幕府もまだ存在せず、家康を討とうと思えばまだ一縷の望みはあったはずです。実際三成がそうしようと考えていたとしても、不自然ではなかったでしょう。むしろ三成がそう考えていた場合、どのような行動に出たかを描くのもありかと思います。関ヶ原で一旦終止符が打たれるというのは、後世から見た時代の移り変わりとも取れますので。あと浅井三姉妹は、この大河でも結構描かれています。これを観ると『江~姫たちの戦国~』は必要だったのかとも思われます。

それから前回(第13回)までのサブタイトルに関してですが、以下のようになっています。

第1回  総括関ヶ原
第2回  秀吉の遺言
第3回  五大老五奉行
第4回  豪腕五十八歳
第5回  反主流
第6回  多国籍軍
第7回  弾劾状
第8回  多数派工作
第9回  風雲大垣城
第10回  前哨戦
第11回  天下分け目
第12回  合戦関ヶ原
第13回  三成最期

反主流だの多数派工作だのは、恐らくは当時の時事ネタといった印象です。あまりこういう用語を使われると、さて如何なものかと思いますが、殊更な多用は避けられています。

飲み物-ワインとワイングラス
[ 2019/07/08 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代-13

今回も第1回の復習のようになります。関ヶ原の後石田三成は三珠院に身を寄せますが、そこも危なくなり、住職に石田一族の供養を頼んで近くの洞穴に身を潜めます。その一方で大坂城では、筑後柳河城主立花宗茂をはじめ西軍の諸将が、今一度家康と決戦をと息巻くのですが、毛利輝元はそれに反対します。何せ決戦しようにも三成も小西行長も、さらに安国寺恵瓊も行方知れずとなっていました。また大津城主京極高次は、家康が敗北したかと思い込んで高野山へ入り、お初は松の丸殿と共に大坂城に入って、姉の淀殿と対面します。お初は人生3度目の落城を経験し、松の丸殿は戦見物をしていた町の者に憤っていました。その頃家康は草津に滞在しており、その地へ秀忠がやっと到着しますが、家康は会おうとしません。

秀忠はいっそ腹を切ろうかとしますが、榊原康政や本多正信といった家臣たちに止められます。その時福島正則が、小西行長を捕らえたと高笑いし、それを耳にした秀忠は自分が余計に惨めに感じられます。さらにその後、安国寺恵瓊も捕らえられました。そして9月21日、ついに三成も捕らえられ、後は宇喜多や島津であると、家康は逆賊に狙いを定めます。また少ない手勢で、5倍もの数の相手に奮闘した京極高次を高野山から呼び戻すことにしますが、秀忠は江戸で謹慎じゃとまで言い出します。そんな家康に対して、家臣たちは秀忠を庇い、秀忠は父の前で賀詞を述べることになります。しかしいざ口上を述べ始めたものの、それはどうにもぎこちないものでした。お江もこの件では心を痛め、阿茶局に諭されます。

毛利輝元は大坂城を出て木津へ移り、奉行たちも国許へ戻ります。そして長束正家は自害しました。体を壊していた三成は治るのを待って、25日に大津城へ入り、東軍諸将や家康、秀忠に面会します。この時三成は節度ある態度を取りつつも、福島正則や小早川秀秋、果ては家康に向かって率直な物言いをし、さらに東軍諸将に秀頼君へのご奉公をと強く願い求めます。三成はその後本多正純に預けられ、処刑前日白湯を田中吉政に所望しますが、水気のある物は柿しかありませんでした。柿は痰の毒だと言う三成ですが、明日が処刑であることを思い出し、苦笑いします。10月1日、三成と小西行長、安国寺恵瓊は斬首され、家康と東軍諸将が大坂城に入って、千姫の輿入れが早められることになります。

散り散りばらばらになった西軍ですが、立花宗茂はもう一度徳川と戦をと主張します。恐らくこの当時の感覚としては、それが当たり前だったでしょう。しかし毛利輝元は、肝心の西軍の将が行方不明だと言います。さらに吉川広家についても、出馬しないことで毛利を救ったと諭しますが、宗茂はどうも気が納まらないようです。尚この人は後に西軍に与したのを許され、陸奥の棚倉藩藩主となっていましたが、筑後柳河藩の藩主であった田中吉政の子、吉次に嗣子がいなかったことから、かつての領国に返り咲くことになります。そして西軍は小西行長、安国寺恵瓊、さらには石田三成が捕まり、後は宇喜多と島津だと家康は言明します。確かに家康に取って島津は恐ろしい存在であり、目の上のたんこぶでもありました。

その後毛利や奉行衆が去った大坂城に、家康が入ります。家康に取って恐るべき島津の家臣が、270年近く後に、家康の江戸城に入ったことを考えると、時代の移り変わりとはそのようなものだと思わされますが、それはさておき。結局関ヶ原に間に合わなかった秀忠はいささか捨て鉢になりますが、榊原康政や本多正信から止められ、さらに正信の子正純は、遅れたのは父正信のせいとまで言い出します。ところで三成が捕らえられて縄をかけられているところへ、福島正則が悪態をつき、その後黒田長政が陣羽織を着せかけるのはお馴染みの風景です。尤も福島正則も、実際は家康から利用されていたわけですが、この時はまだまだ意気軒昂です。長政は内心、父如水の天下人への道が絶たれたと思ったことでしょう。

飲み物-マティーニ
[ 2019/07/07 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

大河ドラマと合戦

まず、豪雨の被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。

今年のような近現代物、あるいは女性主人公の大河などは、合戦がないからいいと言う人もいるようです。しかし私に言わせれば、やはり大河というのは合戦あり暗殺あり、陰謀ありの方が面白いと思います。男性が主人公の方が概して面白いと感じるのは、そのせいもあるでしょう。最近はそれも少なめになっています。これは予算の面で合戦シーンが難しいせいもあります、無論最低限は入れていますが。その意味でも、ドラマをいくつかリストラして、大河の予算を増やすべきかと考えてしまいます。やはり甲冑とか槍に鉄砲、大砲や幟などがあった方が、大河らしさを感じるのは事実です。今までの大河がそれに沿った形で作られており、それを変えてしまうのもまた難しいからです。

暗殺とか陰謀というのも似た物があります。そういうのが残酷に映る人も無論いるでしょう。しかし歴史の転換期には、そういう物もまた数多く存在したわけです。たとえば来年の『麒麟がくる』には、恐らく足利義輝暗殺も出て来るでしょう。無論本能寺の変も、その当時の天下人であった信長の暗殺です。むしろそれなしで描く方が難しいし、またその場合の登場人物も限られてしまいます。明治初期までの歴史の表舞台に立った人は、多かれ少なかれそういう経験をしていますから、それと無縁な人物といえば、表舞台に立たない、要は知名度のあまりない人物になりがちです。それで大河を1年やれるかどうかという問題にどうしてもなって来るわけです。

結局大河というのは著名な侍の生涯を描く物という前提があり、そのために1年間という時間がキープされているわけです。その侍基準を近現代の人物や女性に当てはめると、どこか余ってしまうことになります。だから創作の部分が多くなってしまう。しかし創作部分にあまり尺を割いてしまうと、普通の時代劇あるいは近現代劇とあまり変わらなくなってしまいます。わざわざ大河にした意味がなくなるでしょう。

合戦シーンは昔はやはり多かったのですが、ロケばかりはできないためスタジオ撮影もそこそこあり、それがやや迫力不足に感じられた作品もあります。局地戦とかゲリラ戦、本陣のシーンならスタジオでもまだ何とかなりますが、やはり野戦シーンはロケに勝るものはないでしょう。ただ『真田丸』の大坂の陣、天王寺口の戦いのシーンは、せっかくの屋外撮影なのだから、もう少し人数を使ってほしかったと思います。真田軍の騎馬武者が少なすぎた感があります。

飲み物-アイスコーヒー
[ 2019/07/04 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

大河に向かない主人公

先日のその主人公は誰?でも書きましたが、大河にはやはり、主役に向く人と向かない人がいるのは事実かと思います。
主人公としてふさわしい人物といえば
  1. 為政者または著名な武将
  2. 軍師を含む彼らの家臣
  3. 彼らとつながりのあった商人、または、武士ではないが士分の人物
この3つでしょう。特に1と2に該当する人物で、ある程度名が知れていればまずまずといえます。

その反対に向いていない人は

女性
中には、主人公となれるだけの知名度の高い女性もいますが、それでも1年でなく半年で十分かと思われます。その人物自身が天下を取ったわけではなく、また合戦に出たわけでもないからです。2クールの方が密度の高い作品ができるでしょう。ただし、朝ドラの時代劇版のようになるのは避けたいところです。また2010年代のように、男女1年おきにというのも考えものです。これでは、女性主人公の知名度が低くなるのも無理からぬ話です。

無名の男性
たとえばある地域では郷土の英雄的な人物でも、全国的な知名度が今一つという人もいます。今年の『いだてん』も、主人公の知名度という点ではこれに該当します。こういう人も半年単位で描いた方がいいでしょう。また、今まで何度か脇役的に登場していて、その人物を主人公にしたいけれど、1年ではちょっと厳しい場合も半年でまず描くという方法でいいでしょう。それが好評だった場合は、1年物にするという方法もあるのです。

剣豪
1971年の『春の坂道』と2003年の『武蔵 MUSASHI』は、どちらも剣豪と呼ばれる人たちが主人公です。ただ剣豪とか剣術家と呼ばれる人たちは、軍師とはまた異なっており、自らの力で如何に剣術を極めるかが本来の姿であると思われます。『春の坂道』の柳生宗矩のように、後で大名に取り立てられるのであれば納得できますが、むしろ一介の剣士そのものを描くのであれば、『塚原卜伝』とか『柳生十兵衛七番勝負』のように、BS時代劇や今の土曜時代ドラマがふさわしいのではないでしょうか。

しかし実際半年大河は検討するべきではないかと思います。隔年で1年物と半年物を交互に放送してもいいでしょう。

飲み物-パブのビール1
[ 2019/06/30 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代徒然-12

第1回のいわば復習になります。この時代は中世的な武者同士の槍試合が影をひそめ、鉄砲→長柄→持ち槍の集団戦法となっていました。石田三成と対峙したのは黒田、細川、加藤嘉明そして田中吉政の連合子飼い連合軍、島津には井伊などの徳川家臣で、宇喜多秀家は福島正則と堂々渡り合っています。毛利は身動きが取れず、しかし何よりも家康を苛立たせたのは小早川秀秋でした。桃配山から下山した家康は、小早川陣に大砲を討つように命じます。そして「山が動き」、小早川は大谷吉継の陣目がけて襲い掛かり、家康を満足させます。吉継は小早川に「三年の内に祟りを成してくれん」と言い、自刃します。首はその場に埋めることになっていましたが、これは湯浅五郎が持ち去りました。また三成の家臣、蒲生郷舎は織田有楽斎と戦った後に討ち取られます。

そして小西行長の軍が敗走し、勝利を確信した家康は勝鬨を上げます。また石田三成の陣は、豊臣子飼いの連合軍に攻め込まれて大荒れとなり、三成は自刃しようとしますが家臣に止められます。その後わずかな手勢を連れた三成は戦場を抜け、毛利も逃亡しますが浅野幸長が追跡します。そして西軍の中で関ヶ原に残された島津義弘は、甥の豊久と共に、家康陣に攻撃を仕掛けるという捨て身の策に出ます。これによって井伊直政と松平忠吉を負傷させますが、豊久は戦死し、島津軍はあと一歩というところで家康に背中を向け、退却することになります。首実検を行った家康は、明日は山狩りだと言いつつ東軍の武将を呼び集め、労をねぎらった後まず大坂の人質を解放すると言い、さらに小早川秀秋の寝返りを評価し、寝返った諸将だけで佐和山城を攻めるように命じます。

ところで9月17日、まだ木曽の妻籠にいた秀忠軍は、関ヶ原の第一報を聞きます。なぜ戦を始めたのだと家康に不満げな秀忠ですが、物事には潮時があると本多正信がたしなめます。その頃大坂城では、奉行の増田長盛と前田玄以が、戦のことを秀頼と淀殿に報告していました。片桐且元は相変わらず、これは家臣同士の争いという姿勢を貫きます。長盛と玄以は、自分たちは家康を敵視していないと言いつつも、且元から弾劾状を送ったこと、淀殿から秀頼に出馬を要請しようとしたことを指摘されて返答に窮します。一方佐和山城は圧倒的に優位な小早川他の軍に攻め込まれ、三成の兄正澄は戦死、父継は自刃し、りんが介錯を行います。そしてそのりんも、火の中で家臣に首を討たせて果てます。燃え上がる城を、近くまで逃げて来た三成一行は呆然と見つめていました。

関ヶ原で東西相討ち、小早川他の裏切りもあって家康の東軍が勝利を収めます。ところで第1回の時にも書きましたが、この中で蒲生郷舎と織田有楽斎が戦うシーンが登場します。これは実は蒲生郷舎ではなく頼郷といわれています。また小早川秀秋陣への大砲も諸説あり、最初から裏切っていたという説もあります。ちなみに大谷吉継の「三年の内に」云々ですが、秀秋はこれからほどなくして世を去っています。しかし小早川秀秋といえば、私としては浅利陽介さんのイメージが強いです。後この秀秋に佐和山城を攻めるように家康が命じた時、「豆殻を以て豆を煎る」と揶揄したのは本多忠勝でした。お前たちは三成の城を本当に討てるかと試したようなものですが、秀秋や吉川広家にしてみれば屈辱的ではあったでしょう。

それから佐和山城では、三成の正室りんが敵の手にはかかりとうないと言い、炎の中で首を討たせます。以前細川玉の自刃シーンは必要かと書いたことがありますが、これとの対比のためでしょうか。ただお市の方と細川玉に限っては、何か戦国大河の定番化している感もあります。その意味で『軍師官兵衛』のだしの処刑や、この大河でのりんの自刃は新鮮に映りました。来年の『麒麟がくる』で、光秀の妻が坂本城で亡くなるのは描かれるのでしょうか。一方で、井伊直政を島津豊久が負傷させるのは、桜田門外の変で、有村次左衛門(有村俊斎=海江田信義の末弟)が井伊直弼の首級を上げるのを彷彿とさせます。この関ヶ原自体、後の幕末につながって行くものがあるにはありますが。この時の捨て奸(がまり)を使った島津の退き口も有名です。

飲み物-カクテルとオイルランプ
[ 2019/06/30 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

高氏と官兵衛双方に見る共通点とは

『麒麟がくる』の脚本は、メインが池端俊策氏で、サブとして前川洋一氏、岩本真耶氏が加わることになっています。池端、前川両氏はそれぞれ『太平記』と『軍師官兵衛』で脚本を手掛けています。観たことがある方ならおわかりでしょうが、この2つには実は色々と共通点があります。まず主人公である高(尊)氏や官兵衛は、当初クセのある、しかもあまり有能ともいえない主君に何かと手を焼きます。『太平記』では北条高時、『軍師官兵衛』では小寺政職で、どちらも演じているのは片岡鶴太郎さんです。しかし高時は意外に冷静な一面もあり、また政職は正室お紺の方の言葉には従うところもありました。ただこの政職は妙な欲を出して、荒木村重に官兵衛暗殺を依頼したため、高時とは違った形ながら、非業の最期を迎えることになります。

また高(尊)氏と官兵衛は、子供の頃にちょっとした冒険をして危なくなることや、前半と後半とで人物像が異なる点などが似通っています。無論人間的成長もあり、最初と最後の方では異なる人物のように描かれるのは大河ではありがちなのですが、高(尊)氏は最初南朝方に与したものの、結局袂を分かった辺りから、官兵衛は秀吉が天下を取った辺りから、それぞれの「黒さ」が際立つようになります。高(尊)氏が九州に一旦下って勢力を立て直した点と、官兵衛が最終的には九州から天下人を目指していた点とはやや類似性を感じさせます。無論高(尊)氏は脚を傷めてもおらず、また佐々木道誉的な同志は官兵衛にはいませんでしたが、3人の家臣(前半は荒木村重や竹中半兵衛も)がその埋め合わせをしたといえるでしょう。

ところで佐々木道誉を演じた陣内孝則さんは、『軍師官兵衛』にも宇喜多直家の役で出演しています。その他には塩見三省さん、麿赤兒さん、勝野洋さんが両方の作品に出演していますし、『太平記』で主人公の母清子を演じた藤村志保さんは、途中降板となりましたが、『軍師官兵衛』のナレーションを務めていました。鶴太郎さんも含め、この中から来年の大河に出演する人が、あるいは出て来るのでしょうか。

飲み物-アイスコーヒーブラック
[ 2019/06/28 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

その主人公は誰?

大河ドラマには、無名の主人公が登場することがしばしばあります。これは今年もそうですし、視聴率の不振はそれが原因という指摘もあるようです。その他はやはり女性主人公とか、近現代の人物などに多く見られるという特徴があります。ドラマそのものはそう悪くなくても、主人公の知名度が低くて割を食うということもまた、往々にしてあるものと思われます。

歴代大河の架空の主人公、または歴史好きや時代小説ファンを除いて、さほどに知名度が高くなかったと思われる主人公をピックアップしておきます。
(青文字架空人物)

むら、るい、雪(三姉妹)
原田甲斐(樅ノ木は残った)
柳生宗矩(春の坂道)
斎藤道三(国盗り物語)
柳沢吉保(元禄太平記)
大村益次郎(花神)
呂宋助左衛門(黄金の日日)
平沼銑次、苅谷嘉顕(獅子の時代)
天羽賢治(山河燃ゆ)
川上音二郎、貞奴(春の波涛)
高原未希(いのち)
啓泰(琉球の風)
藤原経清(炎立つ)
山本(川崎、新島)八重(八重の桜)
杉文=楫取美和子(花燃ゆ)
井伊直虎(おんな城主 直虎)
金栗四三、田畑政治(いだてん)

大河ドラマ史上初の、架空の主人公が登場したのは1967年の『三姉妹』でした。幕末が舞台となっていて、実在の人物も登場してはいたものの、平均視聴率はその当時で19パーセント台でした。しかし翌年の『竜馬がゆく』はそれよりも低く、それを考えると一概に有名人だから高いともいえないようです。その後1970年代に放送された『樅ノ木は残った』は、オリキャラではないものの、仙台藩の伊達騒動の中心人物原田甲斐を主人公としていました。こちらも視聴率は平均21パーセントと、当時としてはそう高くありませんでした。全国的な知名度は恐らく今一つだったのかもしれません。但し、ドラマそのものへの評価は高かったようです。翌年の、柳生宗矩が主人公の『春の坂道』も、平均視聴率は21パーセント台でした。

やはり大河には、わかりやすい人物が求められるという傾向があるのかもしれません。ただし『国盗り物語』も、平均視聴率は22パーセントでした。斎藤道三があまり馴染みがなかったこと、半年単位で主人公が入れ替わるという編成(これは今年も同じ)も関係しているでしょうか。ただこの主人公交代は、舅から婿への世代交代的な意味合いのものでした。その意味で『葵 徳川三代』と通じるものがあります。その後『花神』とか『獅子の時代』はそう高くなく、また近現代もの、90年代半ばで編成が変わった際の大河も低めの数字でした。特に90年代半ばは、今まで取り上げられなかった人物を取り上げた点は評価できましたが、やはり著名な人物に比べると、求心力に乏しかったように思われます。

知名度が低いからとか、近現代だからよくないというわけではないし、視聴率が低いからよくないとも一概にはいえません-ただし視聴率は指標であり、NHKが公表する限り、何らかの形でマスコミも取り上げます。本当は総合視聴率が一番いいのでしょうが。それから近現代は大河よりもむしろ朝ドラの守備範囲であるうえに、知名度があまりないとか功績が知られていないと、やはりドラマの展開が見えにくく、途中からでも観ようという気が起きにくくもなります。またドラマの構成も大きく関係しています。「挑戦」するのは別にいいのですが、あまり変則的な作り方をしない、近現代は2クールなどにして、本来の大河とはまた違った形で取り上げるといった方法もあるのです。NHKの本音を知りたいところです。

飲み物ーアイスカフェオレ
[ 2019/06/26 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代徒然-11

慶長5(1600)年9月14日。西軍の本陣大垣城で、池田輝政は城攻めをと主張し、いっそ大坂城へという極論まで出ます。無論この状況で動くことは、背後を突かれるに等しいものでした。吉川広家は毛利輝元の出馬を要請しますが、毛利輝元の態度は実に煮え切らないものでした。さらに島津義弘は夜襲作戦を打ち出します。その是非を巡って議論が行われる中、島左近が現れ、敵は佐和山方面へ移動中という噂ありと伝えます。無論これは家康の策でした。城攻めよりも野戦の方が得意な家康が、自分に有利にするために、西軍を大垣城から出して関ヶ原方面に向かわせたのです。そして京極高次の大津城は本丸だけとなり、淀殿の使いの木食上人(応其)が使者として、開城を高次に迫ります。また秀忠の軍は、いまだ木曽路に留まっていました。

大谷吉継は松尾山に布陣した小早川秀秋を訪れ、秀秋の関白就任要請とその場合の待遇を明らかにします。これは西軍諸将の連署状で、西軍の秀秋引き留め策ともいえるものでした。秀秋も杭瀬川の戦いの勝利を評価し、吉継はそれもあって家康が西に移動していること、そのため秀秋に引き続き松尾山に留まるように依頼します。その家康は9月15日という命日を前に、亡き息子信康のことを思います。そして松平忠吉と井伊直弼に先陣を切るように命じ、敵の主力が大垣城を出て関ヶ原に向かったことを喜びます。家康は午前6時頃桃配山に陣を敷きますが、石田三成は午前4時頃笹尾山に到着していました。そして第1回にあった忠吉と直政の先陣ですが、霧が晴れかけた早朝の関ヶ原で、忠吉初陣故の物見であると福島正則をどかせ、井伊の兵が敵に発砲したことから戦の火ぶたが切られます。

そして黒田長政がのろしを上げ、戦が本格的に始まります。各部隊の激しい一騎打ちが始まり、家康は戦況の見えなさに苛立ちます。そして本営を移すことに決めます。宇喜多は福島、大谷は藤堂、そして三成は黒田と細川の連合軍と戦う中、小早川は動こうとせず、また島津も三成の援軍として加勢する素振りは見せませんでした。さらに吉川広家に至っては、これより行厨(弁当)を使うと言い始めます。三成の思惑通りにことが進まない中、家康は桃配山を下りて、寺沢広高の軍を大谷にぶつけ、山内一豊を南宮山から下ろすように命じます。そのような中、三成の家臣島左近は銃弾を受けて戦死します。そして秀忠の軍は今なお木曽にあり、途中用を足した秀忠は、尿に血が混じっているのに気が付きます。

関ヶ原前夜から前半が描かれます。この大河はとにかく、関ヶ原への経緯や大坂の陣が起こるまでにかなり時間を割いています。大部分は第1回で描かれた通りで、家康が信康のことを思い出すシーン、忠吉と直政に先陣を切らせるシーンなどが出て来ます。この先陣を切る時に直政が、やはり徳川の直臣でなければならぬ、福島正則に切らせようものなら、後々まで自慢するといった意味のセリフを口にします。福島正則という豊臣子飼いの大名に対しての、徳川方の視線が窺えます。また三成の歌も登場します。この歌の「散り残る紅葉は殊に愛おしき」ですが、これはやはり豊臣のことでした。さらに合言葉あり、秀忠の遅々として進まない軍あり。この大河の関ヶ原のダイジェスト版が、『功名が辻』の関ヶ原であるといえそうです。

しかし、やはりこの大河の関ヶ原は見ごたえがあります。CGも使っていますが、何といってもアナログの部分、エキストラの動員が実に多い。この関ヶ原のシーンのストック映像が、他の大河で使われるのも納得といえば納得です。だからこそ、ここまで関ヶ原をじっくりと描けるのでしょう。画面でもススキの穂がはっきりと見え、恐らく穂が出る頃を狙ってロケを行ったと思われます。あと戦場での様々な人間模様も描かれ、単なる天下分け目だけで終わっていないのには好感が持てます。それと三成の「今こそ(東軍に)天誅を加えん」というのは、何やら幕末の志士を思わせるものがあります。元々天誅というのは、神が下す天罰の意味であって、幕末の専売特許ではないのですが、幕末大河で頻繁に使われるせいもあります。

それから名前だけですが、木食上人が出て来ます。元々この人は六角氏に仕えており、天正元(1573)年に高野山で出家しています。秀吉や三成とも親交があり、また九州平定で島津氏との交渉も請け負った人物です。しかし高野山で秀次の切腹を行わせるよう迫られ、さらに秀吉も没したことから、青巌寺の住職を辞し、その後この京極高次への使者となります。ただ西軍に与したと思われたことから、晩年は隠遁生活に入ります。ちなみに高野豆腐の製法を確立したのは、この木食上人であったといわれています。大河でなく、5回シリーズ位でドラマ化してほしい人物です。尚出家する前に「こま」という娘がいたということですが、来年の大河にもこの名の人物が美濃編で出て来ます。なにか関係があるのでしょうか。

飲み物-カクテル
[ 2019/06/24 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

実は『いだてん~東京オリムピック噺~』を観なくなったので、再び『西郷どん』復習の投稿をアップしています。関連文献もまた読もうかと考えていますし、BSで再放送中の『葵 徳川三代』の再放送も観ています。そしてパペットホームズの続編ですが、これは是非とも三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、『相棒』をはじめとする刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、いよいよ日本でのワールドカップの年です。今季は代表下部チームとの兼ね合いもあり、スーパーラグビーでは今一つでしたが、ワールドカップでのベスト8成るでしょうか。

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