FC2ブログ

ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  大河ドラマ

『草燃える』の時代背景と人物設定 続き2

『草燃える』総集編第5編に行く前に、先日のラグビー関連投稿で「ブリストルの奇跡」などと書いておりましたが、もちろん「ブライトンの奇跡」です。失礼いたしました、訂正しています。

では第5編ですが、既に頼朝や頼家、大姫も退場しており、実朝が将軍を継承しています。そして政子や義時の父時政は、この実朝の暗殺未遂の疑いをかけられて鎌倉を追われ、二代目(初代は時政)執権となった義時は和田義盛を滅ぼし、子供のいない実朝の継承者選びに乗り出します。その頃鎌倉を僧形の伊東祐之が訪れ、養女の小夜菊を自分の側女にほしいと義時が申し出ます。この小夜菊は遊女ながら、かつての義時の妻で、壇ノ浦に沈んだ茜と瓜二つでした。

しかし祐之は義時との確執から両目をつぶされてしまい、小夜菊と鎌倉を去ることになります。しかも出家して京で修行を積み、鎌倉に戻って来た頼家の子公暁は鶴岡八幡宮寺の別当を任されるも、本来ならば将軍職を継いでもおかしくない身であるため、それが面白くありません。そして三浦義村が公暁を焚き付け、実朝暗殺を計画させます。建保7(1219)年1月27日、大雪の中を参拝に向かった実朝は公暁に暗殺されますが、これを事前に察知していた義時は仮病を使ってその場を離れていました。しかしその公暁も三浦に裏切られ、殺されます。

源氏三代の将軍が途絶えた後、頼朝の遠戚に当たる藤原頼経を将軍として迎え入れるものの、実質は執権政治が行われることになり、これによって朝廷との軋轢が生じて承久の乱が起こります。この時政子は初めて尼将軍として御家人の前に立ち、檄を入れます。これは鎌倉方の勝利に終わりますが、政子は改めて失ったものの大きさに呆然とします。その後鎌倉を、琵琶法師となった祐之が訪ねて来ますが、政子は会おうとはせず、義時の前で祐之は琵琶法師であると繰り返すのみで、自分の素性を明かそうとはしませんでした。

大体こういった内容ですが、個人的にはこの第5編=最終回が一番大河らしく感じられました。無論、それ以外が全く大河らしくないとは言いませんが、武家政権の樹立、土台固めに付き物の血なまぐささ、武士たちの処世術が一番描かれていたのではないかと思われます。

いずれにしても、この大河は北条政子という女性の視点から描かれており、そのため婚礼をすっぽかして頼朝の許に走ったこと、夫婦関係と子供たち、特に大姫のことや、義経の愛人静への視線などに尺をかなり取っていますが、この回では大部分が武士同士の駆け引きが中心となっています。元々頼朝の頃から、こういう駆け引きはあったわけですし、人質の義高を討たせるのもその一環なのですが、そういった部分の女性視線の描写が、私としては、やはりどこか情に訴えているように見えました。

また政子が実朝の暗殺計画を、参拝に向かった後に初めて知るという設定になています。要は彼女は、実朝にどのようなことが起こっているかは、何も知らされていなかったわけです。

そもそも政治にも関与していないため、知らないところで意外な出来事が次々と起こり、政子はそれ故にむなしさが募る設定になっています。この大河の方向性がそうである以上仕方ないのですが、ただ最後の最後で尼将軍として出てくるのですから、何が起こっているかを多少は知りつつも、敢えて目をつぶっていたという設定でもよかったでしょう。

あと伊東祐之、この人はオリキャラですが、実在の人物との絡ませ方は『元禄太平記』の柳沢兵庫よりはいいと思います。と言うか、あの大河ももう少し総集編の回数を増やしていれば、それなりに納得の行く展開にはなったのかも知れません。それと現代語のセリフには、やはりどこかもやっとしたものを感じます。そのせいもあるのでしょうか、この後近現代を舞台にした大河以外は、すべての登場人物が現代語を使う設定にはなっていません。

さて三谷幸喜氏の『鎌倉殿の13人』まで、あと1年3か月となりました。その前の『青天を衝け』はクランクイン済みですし、NHKの公式サイトにも「ただいま制作中」となっていることから、脚本のための取材、リサーチは進んでいるのでしょう。しかし三谷さんといえば遅筆でも有名ですが、今回はどうなることやら。それと今までこの人は『新選組!』、『真田丸』と2つの大河を手がけていますが、本物の大河よりも、実は『新・三銃士』の方が大河らしいのではないかと思っています。実際これは、人形劇の大河などと言われてもいたようですし。

飲み物-ロックグラスカクテル
スポンサーサイト



[ 2020/09/22 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『草燃える』の義経と人物描写 2

順序が前後しますが、『草燃える』のDVD第1巻を観た感想です。まず義経の描写についてですが、やはりちょっと単純かつ荒っぽい印象を受けます。兄頼朝が自分と会った際に、涙を流したと言って喜ぶ義経を、同母兄である全成が、自分の時もそうだったと言って牽制するシーンもあります。実はこれを観る前に、『義経』の壇ノ浦の回前後を観たのですが、この場合は流石に主人公ということもあり、壇之浦は早まったと反省しています。

ともあれ、この大河的には義経は短慮で先っ走りな人物という設定ですが、そもそも鞍馬を抜け出して弁慶と対峙する時も、一対一ではなく、京の盗賊団に取り巻かれる描写になっていました。それはともかく、平安から鎌倉に移行する時期が舞台である以上、頼朝、全成、義経そして梶原景時それぞれの思惑をもっと見たかったなと思います。ただ政子もまた主役であり、むしろ彼女の物の見方がこの作品の方向性を決定づけているとも取れます。

そのせいもあってか、男女の絡みの場が比較的多い印象があります。頼朝と政子はともかく、頼朝が義時の妻となっていた茜を手籠めにしてしまい、その後生まれた茜の子(後の北条泰時)が、どちらの子であるかわからないという描き方になっています。これに従うと、北条氏は実は源氏の血を引いていたということになるのですが、それはともかく。

そもそもこれは、茜が父大庭景親の命乞いに頼朝と会ったのが裏目に出たともいえますが、命乞いをしても恐らく景親は処刑されたでしょうね。無論義時と、この茜が密会するところも登場します。こういったシーンとか、この間も書きましたが、木曽義高の面影をいつまでも引きずる大姫などに、やはりかなりの尺を割いています。ところでその大姫ですが、義高の死を知って病に臥すも、ふくよかすぎてあまり病み衰えた雰囲気がないのがちょっと残念です。

それから頼朝が執務中に政子が来てあれこれ話すシーン、これはかつての大河では割と見られたのではないかと思いますが、意外なことに、女性の描写が多い最近の大河の方が少なくなっているようです。2010年代に入って、リアルタイムですべて観た男性主人公大河、すなわち『軍師官兵衛』、『真田丸』そして『西郷どん』では、あまりこのようなシーンはなかったと思います。実際に夫婦がプライベートな会話を交わすのは、寝所であったのではないでしょうか。

また政子が冒頭の方で着ていた赤の衣装、『武田信玄』で南野陽子さんが演じていたおここ(湖衣姫ではありません)の衣装と何となく似ているのですが、こちらの気のせいかもしれません。あと頼朝の住まいが流人としては立派な感じもしますが、これも恐らく『平清盛』のイメージが強いせいもあるのでしょう。あの頼朝の家というより「小屋」はかなりひどかったですね。監視役である北条時政が、時々野菜を持って来ていましたし。

しかしこの大河、伊東祐之がとにかく貧乏くじを引いています。政子が山木兼高と結婚させられそうになったため、彼女を愛するあまり頼朝の許へ逃がす役目を負うのですが、これは単なる「パシリ」役でしかありませんでした。その後も不利益を被り続けた挙句、彼は琵琶法師となって最終的に義時と対面します。これにより、苦難の中で受け続けた負の感情が昇華されたようにも取れますが、それについては総集編の最終話を観てからにしましょう。

飲み物-カクテルとオイルランプ
[ 2020/09/20 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『国盗り物語』に見る明智光秀番外編と川中島大河

『国盗り物語』の明智光秀関連の投稿をしていて思ったのですが、美濃時代、そして越前にいた頃に比べると、光秀の物の考えが明らかに変化しつつあります。これは織田家の家臣という、安定した地位を得たことによって、不遇をかこっていた牢人時代や朝倉家の客分の頃よりも、自分の力を発揮できる環境にいることがまず一因でしょう。無論濃姫に目通りして、昔のままの十兵衛として見られることに反発した、いわば強がりのようなものもあると思われます。自分は濃姫と結婚できず、どころかその夫となった人物に仕えることになり、何とかして一目置かせたいという気持ちも少なからずあるのでしょう。

ところで過去の大河での明智光秀のキャラ設定は、大きく分けて2通りあるかと思われます。ごく大ざっぱではありますが、
陰のある、いわば敵役としての光秀
二枚目の要素が強い光秀
この2つのタイプでしょうか。たとえば『利家とまつ』の光秀は前者と思われますし、逆に『信長 KING OF ZIPANGU』や『秀吉』の場合は後者の雰囲気が強いようです。それとは別に、陰のある二枚目という設定の光秀も存在し、この『国盗り物語』や『功名が辻』で坂東三津五郎さん(十代目)が演じた光秀像がこれに該当します。いずれも司馬作品であり、司馬さんの描く光秀というのが、すなわちこういう人物であると言えます。この三津五郎さんもそうですが、近藤正臣さんの光秀が嵌っていると思われるのは、この『国盗り物語』の、謹直である一方でどこか屈折した光秀を、かなり再現できているせいもあります。

そもそも大河の主人公や主要人物の場合、その人に取って一番インパクトの大きな作品で描かれる人物像が、すなわちその人物を代表する傾向があるようです。例えば私の場合、今では徳川家康は内野聖陽さんか西田敏行さん、上杉謙信はGacktさんの印象が強くなっています。これはあくまでも推測ですが、大河の初期の頃に描かれた主人公は初登場ということもあり、よくも悪くも正統派主人公として、英雄として描かれることが多いものの、2作目や3作目辺りになると、最新の研究によって設定が変わったり、また場合によっては、マイナスの面を強調されたりするようになるからでしょう。

謙信と言えば、川中島物も最近は作られなくなりました。私の場合『武田信玄』以後の作品しか知りませんが、江戸時代物と同じで、登場人物やストーリー展開が似たような感じになるせいでしょうか。ならば上杉景勝、伊達政宗、最上義光の三者を描く方法もあります。これは寧ろ『天地人』でやってほしかったところです。その『天地人』では阿部寛さんが謙信を演じていましたが、甚だ失礼ながらどうも阿部さんより、『風林火山』のGacktさんの印象の方がやはり強いです。逆に阿部さんは『テルマエ・ロマエ』のイメージです。『風林火山』の場合、周囲が如何にもといった戦国武将たちの中で、ああいう独自の雰囲気の謙信を配したのが、功を奏したと言うべきでしょうか。

しかし武田信玄は、武力も軍才も持ちながら、あと一歩のところで織田信長に及ばず、さらに嫡男勝頼の地位を危うくした人物でもあるのですが、上杉謙信は「義」を掲げたこと、関東管領の上杉家を継いだことなどの影響もあり、その意味で信玄とは一線を画しています。しかしこの人も後継者をはっきりさせないまま急死し、それが御館の乱のもととなったのですから、その意味では禍根を残したとも言えます。前出『天地人』で御館の乱が登場しますが、どうも今一つな感があるため、今度大河化するのであれば、もう少し非情なイメージで描いてくれないかと思います。

飲み物-ホーセズネック
[ 2020/09/19 00:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

大河ドラマ雑考-38

まず『八重の桜』や『相棒』に出演した芦名星さんが亡くなられました。そして、かつて日テレ系の『西遊記』で、沙悟浄を演じた岸部シローさんが、8月末に亡くなられていたことが報道されています。お二人のご冥福をお祈りします。

それと先日から書いている『元禄太平記』総集編でもう一つ、最後の方に政権批判の落首が登場します。これが皆同じような筆跡であるというのもちょっと妙なものです。これなら『真田丸』の聚楽第の落書の方が、リアリティがあったと思います。

しかしこうして見ると、昔の大河にも多少はおかしな点があり、その当時の大人の視聴者は、いくらか違和感を覚えながらも観ていたとも言えるでしょう。無論『江~姫たちの戦国~』で、江が明智光秀に説教するとか、『花燃ゆ』で、杉文(楫取美和子)がおにぎりばかり作っているといった描写に比べれば、それでもかなりまともではあるのですが。

大河は一度リセットしてはどうかと、少し前に書きましたが、大河にせよ昔のドラマにせよ、言うなればTVしかない時代の産物ではあると思います。この当時視聴者は、地上波の番組を観るしかありませんでした-と言うか、「しかありませんでした」という表現は、この場合ちょっと正しくはないかも知れません。その当時はそれが当然であったからです。

何事もそうですが、今までなかった物が新たに登場することにより、それ以前の時代には最早戻れなくなるわけですが、TVも同様のことが言えます。視聴者が地上波以外のコンテンツを選べる時代になると、かつてのTVのシステムというのは、ある程度勢いを失わざるを得なくなります。その中で生き残ったいくつかの地上波コンテンツが、その後も継続して視聴されて行くわけで、TVそのものよりも、地上波が徐々に衰退しつつあるというのが正しいのかも知れません。

実際私もスカパー!に加入して初めて、チャンネルにお金を払うとはこのようなことかと実感したわけで、専門チャンネルを持たないNHKでは味わえない満足感がありました。NHKもBSを1局にしようとしていますが、当然その分コンテンツ数は減ります。それなら経費のかかる大河をしばらく見合わせるという方法もありますし、そもそも、公共放送に本当に1年間の連続ドラマが必要なのか、考えてみる必要はあるでしょう。

いっそのこと『半沢直樹』を時代劇化して、スペシャルとして放送してはどうかと思います。元々時代劇的で、今回は歌舞伎の要素も多分にあるドラマなので、下手な大河より面白い物が作れそうです。時代劇も最近は専門チャンネルやBSのコンテンツとなっていますが、そのような状況中で、地上波で1年間放送できる大河は実に贅沢なものです。民放の場合、スポンサーがついてこそのドラマ制作ですが、NHKはそれを考えずとも済むというのもその一因でしょう。

しかしスポンサーの存在を考慮に入れなくていいというのは、その反面、緊張感を欠いたものとなりがちです。NHK大河がどこか自己満足的または独善的に見えるのには、こういうNHKならではの理由が挙げられるわけですが、正直金食い虫のそしりも免れないのではないでしょうか。大河というのは別に神聖不可侵なものでもなく、なのに視聴者のコンセンサスを得ているかどうかも定かではない作品もある以上、廃止するか、あるいは休止するか否かの議論は、もっと柔軟に行われてしかるべきかとは思います。

飲み物-アイスコーヒー
[ 2020/09/18 00:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『国盗り物語』に見る明智光秀 20

義昭は将軍になりたくて苛立ちますが、そのためには根回しが必要でした。織田家は戦国大名としては新興であり、そのため武田や上杉といった家に対し、次期将軍を引き取りたいと伝え、了解を得ておく必要があったのです。また信長の周囲の大名たちと交渉をしなければならず、北近江の浅井氏には妹のお市を嫁がせたためどうにかなったものの、南近江の六角氏は手ごわい相手でした。それやこれやで、義昭の岐阜への動座が決まったのは、永禄11(1568)年7月のことです。

光秀の立場は足利家への連絡官兼儀典係で、義昭に付き従う細川藤孝に、信長はすべて本気でやる人物であることを告げます。義昭を引き取るにしても、朝倉義景のように儀礼的ではなく、必死でそのための工作を行い、さらに上洛という、現時点では不可能と思えることも考えているようです。そのような目的に向かって無我夢中であるという信長の姿勢が、光秀にはすべて本気の人物と映り、例えば閨で女といる時も、本気でいると光秀は語ります。

常に謹直な光秀にしてみれば、このような例えは珍しいと言えました。光秀自身、尾籠な話であるとしながらも、信長は閨で戯れながらも子を生ませることを考えており、その子がもし女であった場合、どの方面の政略に用いるか、そのようなことまで考えていると藤孝に話します。藤孝はおかげで、信長がどのような人間であるか理解しますが、その一方で、信長が最近「天下布武」なる印を使っていることを持ち出します。

この当時、印で自分の理想を表現するというのは、多くの武将の間で流行っていました。しかし天下布武というこの印文は、信長の天下取りの理想をはっきり表しており、その意味で他の大名とはかなり違っていました。藤孝は、義昭を将軍の地位につけながらも、その実、自分がその地位を狙っているのではないかと懸念します。これに対して光秀はこう言います。
「男子とはそうあるべきものではないか」

これが藤孝には意外でした。しかし光秀は、寸尺の地に住んでいても海内を呑む気概がなければ男子とはいえぬと言い、藤孝は、足利家の武権を信長が奪おうとするのはよいことかと訊き返します。しかし光秀は、これはあくまでも気概の問題であると強調します。藤孝は幕臣という立場上、信長の今後の動向が気になるようです。光秀は信長が、現実に足利家の世を奪おうとするわけではないと藤孝を諭します。

一方で光秀は、気概というのは大事である、自分もこの世に生を受けた以上、天下布武の気概をひそかに持っていると言いますが、光秀がこのようなことを言うのが藤孝にはおかしかったのか、声を立てて笑います。光秀は笑いたければ笑えと思いますが、それを表情に出すことはしませんでした。そして岐阜では、義昭を迎える準備が整い、郊外にある立政寺が、義昭のための仮御所に当てられることになります。

いよいよ義昭が岐阜に向かいます。光秀もこの動座に関しては、重要な役割を与えられていました。そして旧知の藤孝に会った光秀は、信長が常に目的を持ち、それに向かって邁進する人物であることを知った藤孝は、信長が最近「天下布武」なる印を使っていることを話題にします。この当時、印で理想を表す大名は多いものの、信長のこの印文は天下取りを意味しており、幕臣である藤孝は、信長が将軍の地位を狙うのではないかと気になっていました。

光秀は、それはあくまでも気概の問題で、信長が将軍の地位を狙うことなどありえないと言いますが、この「信長の野望」は、それからほどなくして現実のものとなります。無論この時点ではまだ、将軍となるべき義昭を擁して上洛するべく、信長は自分の計画を実行に移しつつありました。また光秀の方は、この前に濃姫に目通りした際に「世に志のある者は穏和でない」と言い、今度は自分にも気概があると言い出し、徐々に変化が窺われるようになります。

飲み物-チューリップグラスのビール
[ 2020/09/17 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

大河と忠臣蔵 6(元禄太平記)

引き続き元禄物、赤穂義士物の大河についてですが、1999年に『元禄繚乱』という作品が放送されています。しかし大石内蔵助夫妻の描写に関して、どうも朝ドラ的で疑問が残り、結局あまり観ませんでした。討ち入りの回は観た覚えがあります。あるいはこの時点では、既に大河に於いて元禄物の果たす役目は終わっていたのかも知れません。

この時代、あるいは源平物もそうですが、どうしても登場人物が限られてしまいます。そのため何回か大河化すると、持てる手札を出し尽くすような形になりかねません。それでも源平物は、ゴールの設定が奥州合戦とか承久の乱とか複数あるので、まだバリエーションがありますが、元禄物の場合は赤穂浪士討ち入りがゴールとなっているため、描ける時代が限られてしまいます。江戸時代の文治政治の黎明期から定着期という設定で、由井正雪辺りから赤穂事件までを描いた方がいいと思うのはそのためです。

今後は寧ろ南北朝とか、戦国時代の初期に題材を取ることが多くなるのではないでしょうか。南北朝は皇室に関わることもあって、過去一作品が制作されたのみなので、今後やろうと思えば題材はいくらでもあります。無論戦国期も、幕末もまだ多くの題材が手つかずの状態です。

それから『元禄太平記』の中でまだ気になった点があるので、もう少し挙げておきます。討ち入り時に吉良邸の関係者が数えるほどしかいないのですが、いくら何でもあれはないでしょう。史実では100人ほどいたとも言われています。浪士たちの動きをスムーズにする目的もあったでしょうし、吉良家が油断していたという表現をしたかったのかもしれませんが、あそこまで少ないというのはちょっと考えられません。

それと主人公の柳沢吉保や大石内蔵助を始め、武士が着ている裃ですが、この時代の物としては肩幅が広いのではないかと思います。あれは、もう少し後の時代の物ではないでしょうか。市井の人々や遊女の衣裳などは、ほぼこの時代の物であるとは思いますが。

いずれにしても、今度『峠の群像』を観てみようと考えています。この『元禄太平記』と、大石内蔵助を始めとする浪士たちや、大名の描き方がどのように違うのか、その部分を指摘できたらと思います。

飲み物-アイスココア
[ 2020/09/16 00:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

大河と忠臣蔵 5(元禄太平記)

先日投稿したあらすじの続きになります。柳沢吉保と大石内蔵助、この2名を主人公にして話が進むわけですが、この大河では赤穂の浪士たちのやったことは、一応は正義として描かれているわけです。ならば幕府方、要は吉保やその主君の綱吉を、もう少しダーティに描いてもよかったかと思います。それとこれは前にも書きましたが、大奥のシーンが思ったより少ないのが残念です。この当時の大河は全52回でしたが、それを前後編のみにしているため、どこか話が飛びがちになっているのではないかと思われます。

『国盗り物語』の総集編も前編と後編のみですが、この場合は戦国時代が舞台ということもあり、戦闘や将軍の脱出劇などの非日常的な出来事が多く、それによってストーリーにメリハリがつくようになっています。しかしそれでもやはり短いなとは思います。この後大河の総集編は、5回という時代が続くことになりますが、寧ろその位の方がわかりやすいでしょう。

それから兵庫というオリキャラについて。これも屋内シーンが多いせいもあって市井の人物を作り、浪士たちと接触させるようにしたのでしょうが、先日も書いたように、ちょっとファンタジー的になっています。この人物は、常に着流しで月代が伸びており、如何にも江戸時代の浪人といった格好です。そして恐らくは捨扶持でも貰っているのでしょう、生活はそこそこできているようです。

そして先日書いたように、女性大河の主人公の如く神出鬼没で、綱吉が六義園で襲われた時に、この人物が着流しのまま出て来たり、吉良上野介の首を取った赤穂浪士を出迎えたり、その時に間者として吉良屋敷にいたおときの死を聞いて、そのまま吉良屋敷に行ったりしています-しかしこの時点で、如何にも浪人風情の男が吉良屋敷に行くのは無謀ですね、浪士たちの共犯と取られかねないと思います。それはさておき、そもそもおときなる女性とどうやって知り合ったのか、その部分もカットされているためよくわかりません。

加えておときという女性、自堕落な生活を送る兄源八から吉良屋敷にいわば売られたようです。この人は、多分吉良の屋敷に入る前から兵庫を思っていたのでしょう。密かに屋敷を抜け出して、愛しい人の許へ行くのはまあいいのですが、嫁にしてくれだの抱いてくれだの、この当時の武家の女性がこういう物言いをするでしょうか。オリキャラだからとも言えますし、この2人を演じた竹脇無我さんと三林京子さんは悪くはなかったのですが、この2人を中心とする展開は、大河よりも普通の時代劇の方が似合っているようにも思えます。

それよりも、一部の人物でいいから浪士の人となり、浪人としての生活などを描いた方がよかったのではないでしょうか。しかし三林さんといえば、個人的には『葵 徳川三代』の恰幅のいい阿茶局の印象が強いです。あと前編では名乗らなかったはずの兵庫が、後編ではどういうわけか身バレしています。

それと意外に尺を取っていたのが、綱豊(家宣)の呪詛調伏を巡るシーンです。ストーリーの山場となる部分だからでしょう。ここで古谷一行さん演じる間部詮房が、石坂浩二さんの吉保と差しで話すのですが、考えてみればこの後、2人とも金田一耕助を演じています。私は結構この古谷さんの金田一が好きなのですが、それはまた改めて。その他にも『八代将軍吉宗』で、石坂さんがこの間部詮房を演じていたり、それぞれが『利家とまつ』(古谷さん)と『江~姫たちの戦国~』(石坂さん)で千利休を演じていたりもします。

閑話休題。実はこの間部も家宣の寵臣であり、その後家継薨去に及んで間部もまた失脚します。時の権力者という後ろ盾を失えば失脚するという点では、両者とも同じです。

飲み物-アイスコーヒーブラック
[ 2020/09/15 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

大河と忠臣蔵 4(元禄太平記)

『元禄太平記』総集編の第2巻についてです。柳沢吉保の全盛期から失脚、そして赤穂事件が描かれます。

まず桂昌院の官位授与での働きで、吉保は石高を加増され、さらに世継の問題で紀州家の綱教(紀伊中納言)を推しますが、一方で大奥の忠臣的人物となった右衛門佐は、甲府藩主綱豊を次期将軍にと望んでいました。綱教の正室で綱吉の娘の鶴姫が病で、桂昌院が寵愛する隆光が快癒祈願を行っていましたが、そこに出かけた右衛門佐は、そこで行われているのは、やはり病に臥せている綱豊の呪詛調伏であることに気づきます。綱豊の寵臣、間部詮房はそのことを主君に知らせ、さらに吉保に対しても事実を打ち明けたうえで、間部は綱豊の護符を持ち帰ったところ、その日から病状が好転したことを告げます。

さらにその一方では、大石内蔵助が主君浅野内匠頭の一周忌が終わった頃から、酒色に溺れるようになっていました。無論これは他人の目を欺くものであり、実際は密かに嫡男主税以外の家族を離縁して、妻陸にはこれが今生の別れになることを伝えます。その赤穂の浪人たちは、しばしば吉保の甥、柳沢兵庫と会っていましたが、そこにおときが訪れます。このおときは兄源八の策略により、吉良家に側女として上がっていましたが、兵庫が忘れられず彼の家を訪れ、自分と結婚してくれとまで迫ります。

また内匠頭の弟である大学の閉門が決まったことから、内蔵助たちは機は熟したと、江戸へ下向し、血判状を作って決行の日に備えます。そして内蔵助は内匠頭の未亡人、揺泉院を訪れますが、邸内に何か不穏な気配を察し、自分は仇討などするつもりはないと言ったうえで屋敷を後にします。しかしその後血判状を目にした揺泉院は、ことのすべてを察します。同じ頃、吉保の庭園である六義園を訪れた綱吉が襲われ、さらに柳沢家出入りの商人である紀伊国屋文左衛門が、赤穂の浪士たちの話を持ち出して思わせぶりな態度を取ります。

そして吉良邸で茶会が催された12月14日の深夜、上野介の在宅を確信した浪士たちは吉良邸の門を壊して忍び込み、目指す相手の上野介を探し出しますが、その時おときが清水一学から斬られ、上野介が炭小屋にいると言い残して果てます。炭部屋に隠れていた上野介を探し出した浪士たちは、家臣たちに上野介であることを確認させたうえで首を取ります。また浪士の一人堀部安兵衛はおときの遺髪を兵庫に渡します。

こうして泉岳寺に引き上げた浪士たちの処分ですが、これらに関しては、吉保はすべて蚊帳の外に置かれた状態でした。彼らはその後いくつかの大名家に預かりとなり、吉保は、忍びで内蔵助が滞在する細川家を訪ねて言葉を交わします。その後切腹の沙汰が決まります。兵庫は大小をおときの墓前に置き、いずこへともなく姿をくらませます。

赤穂義士の切腹の後、吉保への批判が相次ぐようになり、吉保は城内でも疎外感を味わうようになります。そして鶴姫は亡くなり、次いで夫の義教も世を去って、次期将軍は家宣と名を改めた義豊となります。この時にも吉保は石高を加増されますが、これが彼に取っては最後の輝きとなりました。その後綱吉は薨去し、吉保も家宣に取り入ろうとしたもののうまく行かず、甲府藩主となるものも幕閣からは追放され、事実上の失脚となります。

大体こういった展開です。大石内蔵助に取って多少都合のいい展開のように見えますが、無論この大河の最大の山場は、唯一の「戦闘」シーンである討ち入りですから、その部分を盛り上げるのは悪いことではありません。しかし何かといえば吉保の甥である柳沢兵庫とか、その思い人であるおときが討ち入りに絡んで来てしまっています。兵庫はオリキャラであり、あちこち動かせるのは事実です。ただどうもこの人物とおときが浪士に絡むシーン、さらに2人が恋仲であるというのがどこかファンタジー的で、何やら女性主人公の大河を連想させてしまいます。この第2巻の感想に関してはまたこの次に。(この項続く)

飲み物-ウイスキーロック
[ 2020/09/14 00:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

大河ドラマ雑考-37

先日の大河ドラマ雑考で、架空の人物が主人公の『獅子の時代』について触れています。一方が会津、一方が薩摩の出身で、それぞれの異なる生き方を描いています。

その他にも、架空の人物を主人公として描いた作品としては『三姉妹』、『山河燃ゆ』、『いのち』そして『琉球の風』がありますが、このうち幕末や近現代を舞台にしていないのは、『琉球の風』のみです。幕末から近現代を描くに当たっては、創作をなかなか入れ難いこともあり、架空の人物をメインに持って来た方が、思い切った描き方ができるのが理由の一つでしょう。しかし架空の人物を主人公にしてまで、大河を作るべきなのでしょうか。

それなら大河にしなくても、BS時代劇か何かで十分ではないかと思われますし、実在の人物で大河化されていない人もかなりいるであろうことを思えば、やはりこの方法には多少の違和感があります。そのせいもあってか、ここ20年ほどは、架空の主人公の大河は作られていません。

その代わり、女性主人公に代表されるような、無名の主人公の作品が多くなっています。無名というと語弊があるでしょうが、ある時期までは殆どその経歴も身分も知られていないような人々のことです。無論最初は無名であっても、新島(山本)八重のように後半生は名を知られるようになり、さらに叙勲の対象となった人物のような場合は、前半を工夫すれば、主要な人物として描くことに異論はありません。一方で杉文(楫取美和子)も後半生は名を知られるようになりますが、ただ主役はやはり弱いかなとは思います。

それからこれは来年の大河への懸念でもあるのですが、幕末から近代にかけて偉業を成した人物ならば、せめてその人物の晩年までを描いてほしいものです。渋沢栄一は90代まで長命していますが、その晩年までを描くにしては、主演の吉沢亮さんはやはり若すぎるし、若い頃メインで終わらせようとすると、晩年が駆け足になってしまうように思えます。それでは如何にも中途半端で、朝ドラの男性主人公のようになってしまいそうです。

飲み物-カクテルオレンジ
[ 2020/09/13 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『国盗り物語』に見る明智光秀 19

信長が岐阜城で光秀に会ったその1年後、清須城から岐阜城まで家臣団の移動が行われます。織田の家臣団の甲冑はその華麗さで有名で、鉄砲も多く、その眺めは壮観でした。一方濃姫を始め女性たちは小牧城から出立し、やがてすべてが岐阜城に入ります。光秀は城の外で家臣団、そして女性たちを出迎えますが、濃姫の駕籠を見た時、場合によっては自分の妻になっていたかもしれない女性であることを思います。実際鷺山城に道三がいた頃の光秀は、濃姫を自分にくれるような気がしてならなかったのです。

その10日ほど後、福富平太郎が光秀を訪ねて、濃姫に目通りします。この日濃姫は、念入りに化粧をしており、光秀は廊下に侍したままで推挙の礼を述べます。濃姫は自分だけが推挙したわけではないと言いつつ光秀に目をやり、光秀は髪が細い方だが、信長の言うような薄禿でないことを確信します。寧ろ、若い頃とそう変わってはおらず、濃姫がそのことを言うと、光秀は士に対する褒め言葉ではないと苦笑します。しかし濃姫はあくまでも容貌のことを言ったのでした。

その後2人は桜の木から、山城入道、つまり道三のことに話題を移します。驚いたことに、濃姫はお万阿のことも、山崎屋庄九郎のことも知っており、光秀にもお万阿のことについて尋ねます。光秀はかつてお万阿に会った時に聞いたこと、つまり自分の夫は油商人の山崎屋庄九郎であり、長旅をしては時々京に戻って来ていた、道三などという人物のことは存ぜぬと言い、濃姫も面白いお方だと興味を持ちます。

さらに道三のように、京と岐阜とで別々の人生を送った人物など、古往今来存在したためしがないと言い、濃姫は男の理想(ゆめ)でしょうと答えます。光秀は改めて、道三という人物のただならなさを思います。実際道三は、彼に取っては神と言うべき存在でした。濃姫は、そなたも2人の正室がいるかと問うものの、光秀は、流石にそれは自分にはできないこと、自分の妻はお槇ということ、そして子供は娘ばかり3人であることなどを話します。娘ばかりでは後継者がいないわけですが、だからと言って光秀は側室を持とうとはしませんでした。

その後濃姫は
「十兵衛殿は穏和でありまするな」
と声を立てて笑うものの、それが光秀には気に入らないらしく、
「なんの、世に志のある者が穏和でありますものか」
と答えるのですが、これには別段深い意味があるわけではありまぜんでした。しかしこの16年後、それが現実のものとなり、この両名がそれに関与することになります。

なおこの時期光秀は、信長から知行地を貰うと同時に、足利義昭からも扶持を貰っていました。2人の主君がいたわけですが、足利義昭の場合は将軍という雲の上の人であり、普通の主と家来という関係とは捉えにくい関係でしたが、そういう家来は、これから京へ上ろうという織田家に取っては必要不可欠な存在でした。そして光秀は当面の仕事として、その義昭を金ヶ崎から美濃へ連れてくることになります。

光秀と濃姫が再会します。今回は光秀に取っては、主君の正室としての濃姫に会うわけで、話題は自然と道三のことになります。ここで光秀は、濃姫がすべてを知っていることに驚くわけですが、寧ろ娘にそういう話を聞かせるということは、道三らしくはありました。無論この原作では、道三は油商人であり、なおかつ美濃の守護代でもあったわけですが、最近では父子二代で美濃の守護代に上り詰めたという説が有力で、『麒麟がくる』ではこちらの方を採用しています。

また、1人で2人分の人生を送った道三というのは、実に浮世離れしたものでしたが、同じ時期に2人の主君がいる光秀の立場もかなり特殊といえます。また濃姫から穏和であると言われた光秀は、その言葉を否定します。その前に、そなたも変わらないと言われた時にも一旦否定しており、道三の死後様々な辛酸をなめたこの人物としては、昔のままの十兵衛として見られることに抵抗があるのでしょう。「穏和」という表現に関しては、1997年の『毛利元就』でも、嫡子の隆元が優しいといった表現をされることに不快感を示しますが、この時代の武将は特に、そのような表現をされることに於いて、自分が無能であると言われたに等しい感情を持ったともいえそうです。

飲み物ーアイスカフェオレ
[ 2020/09/11 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、BSで再放送中の『葵 徳川三代』の再放送も観ています。そしてパペットホームズの続編ですが、これは是非とも再来年の大河が始まる前に、三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、『相棒』をはじめとする刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出しました。これを機に、今後さらに上を目指してほしいです。そのためには、国内のラグビーももっと変わってしかるべきでしょう。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

TopNTagCloud