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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  葵徳川三代

葵徳川三代徒然-19

徳川家康は秀忠に征夷大将軍職を譲ろうと決めます。しかし征夷大将軍とはあくまでも臨時の職であり、それを世襲するとは何事であるか、豊臣家を無視していると淀殿は不満をぶちまけます。さらにこの件に関して、関白職の就任資格がある五摂家を、大枚はたいて抱き込もうとしますが、そこは家康も手を回していました。さらにこれと前後して、秀忠とお江に待望の嫡男が誕生します。この子は竹千代と名付けられ、秀忠夫妻は乳母を決めていましたが、家康自らが竹千代の教育方針を定めることとなり、手元におかず自分が決めた乳母、福(春日局)に委ねることになります。また福の三男をはじめ、5人の少年たちが小姓となります。この福は明智光秀の家臣斎藤利三の娘で、才知に優れているのみならず、強かな女性でもあり、乳母となるに当たって夫稲葉正成と離縁していました。

さらに豊臣家に取っては都合の悪いことに、関白の九条兼孝が慶長9(1604)年に解任され、頭を丸めてしまいます。また秀忠の将軍就任に当たり、家康は高台院に、秀頼に臨席するべく話をつけてほしいと言いますが、淀殿はあっさり拒否します。一大名ではなく、秀忠はあくまでも豊臣家の家臣というのがその理由でした。こうする間にも、秀忠の次期将軍としての準備は着々と進んでいました。
そんな折、本多忠勝は病を得て第一線を退くことになります。そして慶長10(1605)年4月、秀忠は第二代征夷大将軍となるのですが、金地院崇伝は徳川家の人物らしく、家忠に改名してはどうかと申し出ます。しかし天海僧正は、貴人(この場合は秀吉)から拝領した名を、そう簡単に変えるものではないと言い、結局秀忠で通すことになります。

これに関して、加藤清正と福島正則が乗り込んで来ます。この両名は、征夷大将軍とは朝廷に抗う存在を征伐する存在のことだと主張し、何を仮想敵としているのか、豊臣家かと詰め寄ります。しかし家康は、この場合は南蛮人などの外国人(とつくにびと)であると答えます。さらに一部始終が終わった後、家康は秀忠に差しで自分の苦労を話して聞かせ、
「非常にあらざれば天下は取れず」
「心の中に一匹の鬼を飼え」
と言い、天下を守ることの難しさを説きます。さらに家康は、いざとなれば妻子も捨てる覚悟で臨めと秀忠に言いますが、それを聞いた秀忠は心が揺れるのを感じていました。

相変わらず徳川家を家臣と思っている、というか無理にでもそう思いたい淀殿の、意識のずれが窺えます。一方で彼女の妹のお江は、嫡男を産んだものの、将軍家の世継ということもあり、舅である家康がすべてを決めてしまうのに戸惑いを見せます。お江にしてみれば、福は自分と子供の間に割り込むが如き存在に見えたでしょう。これは、それ以前の大河で岩下志麻さんが演じた役に共通しています。『草燃える』では比企家が、『独眼竜政宗』では片倉家(特に喜多)が似たような存在でした。そしてその淀殿をあざ笑うが如く、家康は朝廷に手を回し、完姫の舅でもある九条兼孝を解任させてしまいます。尚この兼孝の後継者が、薩摩と縁の深い近衛信尹で、この人物から数えて九代目が、幕末に関白職にあった近衛忠煕です。

しかし千姫の父であるにもかかわらず、淀殿は秀頼を将軍後継祝賀の席に列席させようとはしませんでした。さらに加藤、福島の両名が乗り込み、秀忠の征夷大将軍就任に対して異議申し立てに等しい行動を取ってしまいます。この2人がのちのち分が悪くなる一因となったともいえそうです。それから福、後の春日局役が樹木希林さんです。『翔ぶが如く』の幾島をちょっと思わせます。前にも書きましたが、この大河はベテランの女優さんが多いせいか、女性ばかりのシーンもそれなりに重みが感じられます。しかし今までは恐妻家的存在であり、情にほだされるような印象が強かった秀忠は、今後変わることができるのでしょうか。

飲み物-パブのカクテル
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[ 2019/08/18 01:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代徒然-18

豊臣秀頼と千姫の婚礼に立ち会うため上洛し、大坂城で姉たちと再会したお江は、羽柴秀勝との間に生まれた完姫と久々の再会を果たし、また伏見城で生まれた初姫をお初の養女とします。完姫の九条家との縁組の件で、お江は帰途京へ寄り、高台院に伺いを立てます。高台院はこれを承知し、今や家康が天下人であることを認める一方で、淀殿が未だに豊臣家の権勢をかさにきたような振る舞いをするのを、苦々しく思っていましたが、お江に取っては実の姉であり、複雑な気持ちではありました。そして慶長8(1603)年8月10日、伏見城で家康の十一男である鶴千代が生まれます。この鶴千代こそ後の徳川頼房、つまり初代水戸藩主で、水戸光圀の実父でもありました。一方で8月27日、薩摩の島津家久(忠恒)が宇喜多秀家父子を護送して上洛します。宇喜多を島津が匿っていたこと、しかもその宇喜多は西軍の主力であったことから、家康は生かしておくのをためらいますが、秀家は既に頭を丸めており、同行の前田利長が助け舟を出します。秀家は利長の妹婿でもありました。

結局宇喜多父子は久能山、そして八丈島へ流罪となります。同じ年、家康は異母弟の松平康元、そして五男の武田信吉が世を去ります。家康も自分の余命を思い、幕府を盤石にすべきと考えます。11月3日、秀忠は右大将の官職を賜り、結城秀勝と松平忠吉は江戸へ向かい、さらに家康は江戸城に長富丸と五郎太丸を連れて入ります。家康は武田信吉の死去に伴い、長富丸に水戸の領地を与えますが、忠輝は無論いい顔をしません。さらに結城秀康は鉄砲隊を関所で咎められたことにより、秀忠に意見を述べます。さらに領地北ノ庄を福井と改めたいと申し出ます。その後家康は秀忠を呼びつけ、淀殿周辺がきな臭いこと、さらにかつての豊臣恩顧の大名を始め、身内にも気をつけるように注意します。とりわけ秀勝は秀吉の養子であり、何で秀忠を討つことになるかわからぬと諭し、さらに淀殿の妹であるお江にも気をつけるように言います。秀忠は父のこの言葉にうろたえます。

慶長9(1604)年正月、権力の中心となった江戸城を大名たちが参賀に訪れます。その中には西軍に与しながら、旧領の主に復帰した立花宗茂も姿を見せ、これこそ家康の懐柔策とささやかれました。さらに江戸を政治の中心地とするべく、家康は様々な方針を打ち出し、病の吉川広家に熱海の湯を贈ることを命じます。嫡男を授かりたいお江は神仏にすがり、ほどなく懐妊したことがわかりますが、家康には黙っているように秀忠に頼みます。女子であれば殿の立つ瀬がないというのがその理由でした。家康は糸割符制度や伏見城改築の普請など、幕府の足固めをさらに行い、また秀康に次なる将軍の秀忠の補佐をするよう、江戸に下るように命じます。嫡男長吉丸を連れて江戸に下った秀康は、嫡男が授からないと嘆く秀忠に、男子が生まれなければ長吉丸をとまで言い出します。その一方で、淀殿も秀頼と千姫の関係が壊れぬよう、心を砕いていました。この年の6月、完姫は九条家に輿入れします。

家康の足場固めと、それを無視しようとする淀殿の対決姿勢が徐々に露わになって行きます。しかし淀殿が、秀頼と千姫の間を心配するのに対し、家康の方は男児が次々と生まれて、後の御三家へとつながって行きます。尚鶴千代、後の頼房が生まれたシーンで、進行役の光圀が登場して父であるというのは、この大河らしくはあります。その傍らで忠輝は相変わらず冷遇されますが、これは義父の伊達政宗を警戒する意味もありました。さらに、こちらも天下人になろうとした黒田如水が亡くなったことで、家康もいささか安堵します。西国の大名の力を削ぐべく、伏見城の改築を命じる家康ですが、立花宗茂や吉川広家には懐柔策ともいえることを行っており、この人物の強かさが窺えます。なお宇喜多秀家が薩摩で頭を丸めたというのは、『常山紀談』によるもののようです。この時の領主家久は鶴丸城を築き、また奄美大島を直轄領としています。

しかしここに至るまで、秀忠は何とも頼りなげに描かれています。また家康は自分の余命がどうこうと言っていますが、何だかんだで大坂夏の陣までは指揮を執るわけなのですが。また秀頼と千姫は、如何にもこの年齢、今でいえば小学校中学年の子供といったイメージです。その千姫の母であるお江は、男児を授かろうと藁にもすがる思いで、もしまた女子であれば処分してくれとまで言い、かなり思い詰めている様子です。それはよくないと諭す秀忠に、お江はこう答えます。
「我が子を疎む親がこの世におりましょうか」
脚本のジェームス三木氏も演じる岩下志麻さんも、『独眼竜政宗』の義姫(お東の方)がちらついたことでしょう。あのお東の方はむしろ「我が子を疎む」母親として描かれていましたが、こちらではどうなりますか。

飲み物-マティーニ
[ 2019/08/11 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『麒麟がくる』新キャスト発表

『麒麟がくる』の新しいキャストが発表されました。

2020年大河ドラマ》新たな出演者発表

尾野真千子さんが演じる架空の人物、伊呂波太夫ですが、やはり池端俊策氏が脚本を担当した『太平記』の、花夜叉とイメージがダブりますね。この花夜叉も旅芸人一座の座長で、楠木正成の妹という設定、かつ大物と面識があるという役どころでした。しかもこの伊呂波太夫、門脇麦さん演じる駒を預かっていたといういきさつから考えると
花夜叉ー伊呂波太夫
藤夜叉ー駒
こういった関係になるかと思います。ちなみに藤夜叉は足利高氏と愛し合うようになり、後に彼の子供(足利直冬)を産むことになりますが、駒は光秀にどう絡むことになるのでしょう。

そして向井理さん。ご本人のコメントにもありますが、やはり未だに『そろばん侍 風の市兵衛』の印象が強いです。足利義輝は、三好三人衆が放った刺客を相手に斬り死にする悲運の将軍です。彼を殺す三好三人衆や三好長慶などは、誰が演じるのかとそちらにも期待です。

風間俊介さん、この人は今なお『西郷どん』の橋本左内のイメージですが、確かに若かりし頃の家康のイメージでもあります。恐らくこの中では、桶狭間後三河に戻って来た後清洲同盟を結び、嫡男信康を信長の娘と目合わせて同盟関係となるものの、その信康と正室築山殿を手に掛ける辺りがメインになりそうです。できれば神君伊賀越えまで描いてほしいです。そういえば『葵 徳川三代』では、関ヶ原の直前に、家康が信康のことを口にするシーンが出て来ますね。

最後に伊吹吾郎さん、最早ベテランというか重鎮と呼ぶに相応しい俳優さんです。ただこの人は、『天地人』と『軍師官兵衛』で続けて北条氏政を演じているため、どうもそちらのイメージの方が強くなっています。太原雪斎といえば、『風林火山』で伊武雅刀さんが演じた雪斎を思い出します。この時の今川トリオはなかなか凄みがありました。しかし義元と雪斎が出るからには、当然寿桂尼も出て来ると思われますが、誰が演じるのでしょう。ちなみに伊吹さん、『国盗り物語』では細川藤孝を演じています。

ところで来年は戦国ドラマということもあり、『ポツンと一軒家』からファンが戻ってくることも考えられますが、それでも仮に大河ファンの期待に沿えなかった場合、大河そのものの在り方を問われることにもなりかねません。特に信長を違う視点で描くという、今までにない手法でのドラマとなるだけに、その点は注意してほしいと思います。

尚私は、大河や朝ドラはスクランブル放送でもいいかと思っています。面白ければ契約数は増えるわけですから。どこまで面白いコンテンツを作れるかが、問われることにはなりますが。

飲み物-アイスコーヒー
[ 2019/08/08 23:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代徒然-17

慶長6(1602)年、秀忠と志乃の子長丸が早世します。これによりお江は男児を産む決意をします。また前田玄以、小早川秀秋も相次いで世を去ります。この年押し詰まった頃、淀殿の妹であり、お江の姉であるお初が、家康の許を訪れます。この時お初は、姉の淀殿の振る舞いに言及し、さらに淀殿の顔を立てることとして、千姫の早期の輿入れを促します。家康はそれに応じ、またお初の、新年の大坂城への参賀を受け合います。しかし家康は翌慶長7(1603)年正月は、伏見城で諸大名の参賀を受け、大坂行きは2月8日まで延長することになります。さらに征夷大将軍宣下の儀のため、本多正信が片桐且元に、秀頼を臨席させるように申し出ます。当然ながら、淀殿の心中は穏やかではありません。関白の職を公家に返上したのみならず、今度は源頼朝に倣って家康は幕府を江戸に開き、関東から国政を行うことを目論み、このために自身の家系を源氏に改めたとあって、淀殿は「僭上の沙汰である」と家康を罵り、またこれをはねつけなかった片桐且元を弱腰と非難します。

家康が江戸に幕府を開くことをお江と千姫に知らせた秀忠は、千姫の婚礼がこの年夏に決まったことを伝えます。千姫は母を江戸に残すのを気に掛けるものの、お江は懐妊していることがわかります。さらに家康の側室、お万もまた懐妊していました。そして家康の征夷大将軍宣下が行われますが、無論淀殿も秀頼も、その祝宴に姿を現そうとはしませんでした。一方でお初は淀殿を訪ね、世の大名が徳川になびいていることを姉に伝えますが、淀殿は太閤殿下なら許すはずもないこと、千姫との縁組も中止だと伝えます。しかしお初は、この縁組は太閤殿下のご遺言、さらに浅井家の血を残すのは母お市の方のご遺言であると言い、婚礼が行われる夏までは自重するように諭します。そして江戸では、阿国歌舞伎をお江と千姫母子、お茶阿の局と千姫の叔父の忠輝母子が見物していました。その後忠輝は会食中に家康に冷遇されている自分を嘆き、母にたしなめられるも、日頃の母上の言葉を伝えたまでのことと言い、お茶阿の局をうろたえさせます。

お江は秀忠に、身重であるにも関わらず、千姫の輿入れに同行して淀殿と会うと言い張り、承諾させます。母子は東海道を西へ進み、5月15日に伏見城へ入ります。家康が子供たちと、豊臣子飼いの大名たちの子との縁組みをさせているのが、淀殿には面白くありませんが、お江が同行していると聞いて、自分やお初に会いたがっていることを悟ります。その後千姫は祖父家康に会い、自分が人質であると忠輝に言われたことを告げますが、家康はそれを否定します。さらに五郎太丸や長福丸といった、千姫に取っては年下の叔父たちを紹介し、もう一人生まれてくることを伝えますが、千姫にはそれがぴんと来ないようです。その後お江は産気づきますが、今度も生まれたのは女児でした。秀忠はそれを嘆きますが、実は秀忠も阿茶局と大姥局の計略により、侍女の静と二人きりにされてもいました。やがて浅井三姉妹は何年ぶりかに再会し、淀殿は秀頼同様、浅井家の血筋を引く千姫に、血筋を残すように諭した後、7月28日に秀頼と千姫の婚礼が行われます。

男児を産む決心をしたお江ですが、今度も生まれたのは女児でした。ちなみに嫡男家光(竹千代)が生まれるのは、この翌年のことになります。このせいもあり、家康は五郎太丸を秀忠の養子にすることまで考えるようになります。その家康ですが、千姫にそなたの年下の叔父じゃと、この五郎太丸と長福丸を紹介しますが、千姫はどこか不思議そうです。この当時、年下の叔父や叔母などそこまで珍しくもなかったと思われますが、秀忠に側室がいないことに加え、お江がこのことを千姫に話していないことも関係しているでしょう。実際千姫に同行する決意をしたのも、義父の家康が恐ろしいというのがその理由で、そう思わせる一因として、忠輝が歌舞伎を観た後の発言が挙げられます。しかしこの忠輝、ますます人好きのしない若者に育っているようです。ところで千姫も妹珠姫同様、「ままごとの道具」を持参していいかどうかお江に尋ねています。

さて西に浅井三姉妹あり、東に阿茶局と大姥局あり。この大河に出て来る女性は、若い侍女や側室を除けば、女傑といったイメージのおばさまたちであるのが特徴です。実際お江も家康から、身重であるのに上洛するとは女傑であると言われています。面白い大河といえば合戦が多いとか、男同士の陰謀めいたものが何らかの形で登場するといった点が、その条件として挙げられるでしょう。しかしこういう女優さんたちが出て来るのもまた、見ごたえがあるといえそうです。三姉妹のうち小川真由美さんは『武田信玄』、岩下志麻さんは『草燃える』、『独眼竜政宗』で、それぞれ気が強く癖のある女性を演じているせいもあります。この中で一番癖が強くないのは波乃久里子さんで、それゆえ調停役的なお初にふさわしいといえるでしょう。『江~姫たちの戦国~』も無論浅井三姉妹ですが、この意味でかなり雰囲気が違っています。

飲み物-赤いカクテル
[ 2019/08/03 00:58 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代徒然-16

家康は銀座を設け、さらに朱印船貿易など着々と地固めを始めました。伊達や前田、特に伊達政宗に隠密を放ち、千代(仙台)の城の様子を探らせてにらみを利かせます。所領も増え、1万石以上の家臣も増えたことから、最早天下人と呼ばれるにふさわしい存在となっていました。さらに江戸に拠点を移し、江戸を国政の要とする一方で、大名たちの江戸屋敷や、二条城の建設も考えていました。しかし大坂方には何の断りもなく、とりわけ二条城と伏見城をどのように区別するのかもはっきりしていませんでした。これに対して家康は、二条城は儀礼の場であると答えますが、淀殿にしてみれば、自分たちの存在が脅かされることに他なりません。またこの前に、側室のお万が懐妊します。そして秀忠のお手付きとなり、大久保忠隣の屋敷に預けられていた志乃もまた、臨月が近くなっていました。そんな志乃に秀忠はこっそりと会いに行きます。

しかし屋敷に戻った秀忠をお江が待っていて、秀忠はしどろもどろの言い訳をします。しかもその志乃が産んだ子は男児で、長丸と名付けられました。複雑な思いのお江ですが、長丸の養育に専念するとしおらしいことを言います。しかし一方で志乃の存在を邪魔に思い、京に帰すように言います。秀忠は父家康から、志乃には御殿を与えるように言われていただけに、志乃に詰め寄られて困惑します。お江の鼻っ柱の強さは、大坂の姉(淀殿)にそっくりじゃと家康は言います。その家康と秀忠は、慶長7(1602)年は年賀のために上洛することはありませんでした。またこの時、関ヶ原で寝返って東軍についた小早川秀秋は、東西いずれもの大名からも相手にされず孤立を深めます。またこの時井伊直政は、関ヶ原で受けた鉄砲傷が悪化して、歩くのも不自由になっていました。ほどなくして直政は世を去ります。

直政は、島津義久への赦免を遺言していました。これは、やはり島津から負傷させられた娘婿の松平忠吉も同じでした。家康は井伊家に佐和山城を取り壊し、新しく城(彦根城)を作るように命じます。そして家康は母の於大の方を連れて上洛し、花見を楽しみます。その時、お万が男児を産んだとの知らせが入ります。長福丸と名付けられたこの子は、後の紀州徳川家の祖である徳川頼宜となります。さらに家康は今後のことをにらみ、天下人としてどのような官職であるべきか、金地院崇伝と天海僧正の意見を聞き、関白ではなく征夷大将軍がふさわしいということで、公家に根回しを始めます。そして、二条城の工事が諸国大名によって始まったこの年の8月、於大の方は伏見城で没します。享年75歳でした。

これには登場しませんが、徳川家康の水道工事と貨幣制度の設立に関しては、今年の正月時代劇『家康、江戸を建てる』でも触れられています。また朱印船貿易、大名の支配、さらに二条城を作るとなれば、家康が事実上の天下人であることは周知の事実でした。これに関しては、最早豊臣家の過去の栄光は霞まざるを得なかったといえるでしょう。一方で秀忠は、お江が志乃を側室として軽んじることに対し、淀殿も側室であると反論しますが、お江は淀殿は浅井長政の娘で、信長公の姪であると主張します。ここは姉妹の血ともいえます。ただしこの長丸は幼くして病死し、その後お江が産んだ男児が後の徳川家光となって、父秀忠の跡を継ぐことになります。しかし秀忠も嘘が下手というか、ことこの点に関しては、全く父親に似ていないのは事実です。

それから松平忠輝が相変わらず悪戯三昧で、掛軸の七福神の弁天像にヒゲを描いただの、侍女の着物に毛虫を投げ込んだだのといわれています。この時数えの11歳ですから、わからなくもないのですが、1万石とはいえ大名ではあったのです。しかも伊達政宗の娘五郎八とは、娘婿と言っているわけですから、結婚せずとも婚約中ではあったでしょう。(実際の結婚はこの4年後)実際この大河でも後はかなりぎくしゃくするのですが、それはまた後ほど。それから淀殿、こちらも家康との折り合いはかなり悪くなっています。家康の真意を年賀に上洛して来た際に訊こうと思いつつ、その年賀の挨拶には来なかったのですから、肩透かしを食わされたようなものです。しかし彼女の本当の試練はこの後、江戸幕府が開かれた時から本格化して行くことになります。今は忠臣であるはずの片桐且元も、その後は追放されてしまうわけですし。

飲み物ウイスキー
[ 2019/07/28 01:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代徒然-15

慶長6(1602)年、家康と秀忠は大坂で淀殿のもてなしを受け、秀頼は将来義父となる秀忠に、千姫に届けてくれと貝を差し出します。嫡男のいない秀忠は堅物と家康は言い、淀殿はお江は果報者じゃと言う一方で、上方の城で大坂と伏見のどちらが大事かと答えます。家康はどちらも重要であると答えますが、淀殿はさらに九条兼孝の関白就任について尋ねます。自分に関係はないと言う家康ですが、秀忠が将来は秀頼を関白職にと口にします。退出後家康はこの愚行に腹を立てて秀忠を殴り、あまつさえ、家臣たちに自分の後継は誰がいいかとまで訊き、さらに大坂城の西の丸を出ると伝えます。父に逆らえない秀忠は、側室となった京娘志乃に伽をさせますが、そこにお江が現れます。結局夢だったのですが、秀忠は志乃を下がらせます。その後3月27日に秀頼は権大納言の官職を賜り、その翌日は秀忠も権大納言となりますが、淀殿にしてみれば、息子の秀頼と「家臣」である秀忠が同じ官職というのは面白くありません。

秀忠の任命が一日遅れというのは、朝廷側の計らいとも取れると進言されるものの、淀殿は豊臣子飼いの大名が、家康になびいているのを嘆きます。藤堂高虎は、秀頼が元服するまでに官職を歴任する考えもあると述べますが、無論それは高虎の推測に過ぎませんでした。一方淀殿が怒っていることを聞かされた家康ですが、我々は淀殿の家臣ではない、ならば破談にすればいいとまで言い出し、さらに忠輝と伊達政宗の娘五郎八、前田利長の嫡男犬千代と、秀忠の娘珠姫との婚儀を推し進めます。そして秀忠を江戸に帰し、関東の地固めをするように命じたうえで、秀忠を正式な後継者と決めたと秀忠本人、そして家臣の前で言明します。4月10日に秀忠は江戸へ発ちますが、この時すでに東海道沿いの大名の殆どは徳川家ゆかりとなっていました。江戸で留守居をしていた家臣や兄弟をねぎらう秀忠ですが、10歳の弟忠輝は、自分の所領はたかだか1万石、1歳年下の秀頼は権大納言なのが羨ましいといったことを言い出し、大久保忠隣にたしなめられます。

秀忠は珠姫の婚儀のことをお江に話しますが、案の定お江に反対されます。3歳の娘を駆け引きの道具に使うのか、千姫を嫁がせるのが先とお江は主張しますが、今はむしろ珠姫を前田家に嫁がせる方が先でした。そして7月末、上杉景勝が江戸に来て家康に詫びを入れます。景勝の処遇は、他の西軍の大老や奉行同様に厳しく、会津120万石から米沢30万石へ減封されました。しかしその後、家康は持病の寸白(サナダムシ)で倒れてしまいます。このことを聞いた大野治長は淀殿にこれを伝え、千姫の父である秀忠が家督を継ぐことを待ちわびます。さらに二人は、家康の子ながら秀忠の義兄弟である、結城秀康を抱き込もうと策略します。しかし家康は全快し、佐渡の金山を徳川家所有として、伏見に銀座(貨幣鋳造所)を作らせます。一方志乃が懐妊したものの、秀忠はお江に知られるのを恐れ、志乃は忠隣の屋敷に預けられました。そして9月30日、珠姫は金沢へ旅立ちます。別れを惜しんで珠姫は泣き出し、秀忠とお江は、城の窓から輿入れの行列を見送ります。

淀殿の、家康への敵意があからさまになって行きます。そもそも九条兼孝の関白就任で、面白くない思いをしたところへ、秀頼と秀忠が同じ官職を賜ることになったわけです。なぜ秀頼が関白になれないのか、淀殿の我が子可愛さではありますが、これで家康への対抗心はさらに強くなります。しかも豊臣子飼いの大名が、家康に従うのが彼女には腹立たしいわけですが、どう考えても所領を与えてくれた家康に対し、恩義を感じるのは当然のことでした。これでは当分千姫を大坂にやれないと判断した家康は、その代わりに忠輝と伊達家の縁組、珠姫と前田家の縁組を優先します。珠姫の件ではお江が反対しますが、これも彼女の姉の淀殿同様、我が子への思いがかなりあったことでしょう。ちなみに珠姫が、輿入れの際にままごとの道具を持って行きたいと言うシーンがあります。『独眼竜政宗』で、輿入れして来た愛姫に、政宗が輪島塗のままごとの道具を、給仕の稽古という目的で与えるのを思わせます。何せ同じ方の脚本ですし。

ところで政宗の娘、五郎八姫と忠輝の縁組ですが、この忠輝はやはりどこか反抗的で、将来が思いやられる人物として描かれています。そして秀忠が父家康にいわれて、仕方なく側室にした志乃が妊娠していることがわかり、秀忠はお江にこれを知られてはならじと、大久保忠隣の屋敷に住まわせます。その家康は寸白の持病があり、寝込んでしまいます。無論これはサナダムシのことですが、真田が家康の敵となることを、あるいは掛けてもいるでしょうか。ちなみにこの当時、真田昌幸・信繁(幸村)父子は九度山にいました。しかしこの病のことを聞きつけた大野治長と淀殿は、さては三成の祟りか、後継者の秀忠なら御しやすしと、家康の死を密かに望みます。しかしその家康より先に、この二人が世を去ることになるのですが、それはもう少し先の話になります。それよりも、やはり三成の敵となった小早川秀秋が、この翌年に他界することになります。尚この回で、淀殿の叔父にあたる織田有楽(斎)が再び登場しています。大坂の陣へ向けて時代が動いて行きます。

飲み物-マティーニ2
[ 2019/07/21 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

参院選ツイと『いだてん』私感

ちょっと政治がらみで、またあくまでも私見ではありますが。
著名人の参院選絡みのツイートが話題になっているようですが、そしてその人それぞれの主張があるのは認めますが、どちらかといえば、リベラル(というか政権批判)といった感じのツイが主に取り上げられています。その反対の意見もあっていいかと思うのですが、参院選絡みのツイがないのでしょうか。『いだてん』に出演していた俳優さんもツイしているようですが、この人もどちらかといえば憲法改正反対、アラブの春に影響されたといった論調です。ただアラブの春というのは、実際はアラブ世界で政治的混乱をきたしていて、果てはシリア内戦を招いているのですが。

その『いだてん』、この間ちらりと観たのですが、率直に言って阿部サダヲさんがうるさかったので、チャンネルをオフにしました。確かに阿部さん演じる田畑政治という人物は、とにかくよく喋る人であり、ある意味変人でもあったのは事実のようです。しかし、これは最初の頃の描写(その頃はまだ観ていました)もそうでしたが、どうも変人としての部分のみがやけにクローズアップされていて、実際に日本にオリンピックを招致するまで、色々苦悩したであろう部分が見えて来ず、そういった内面描写に物足りなさを覚えました。それと阿部さんは、やはり主役というより脇役的な印象を受けます。『平清盛』の信西入道はよかったと思いますが。

この大河には、それ以外にも色々違和感を覚える部分はありますが、キャストが豪華であるという意見もそのひとつです。豪華キャストというのは、むしろ今アンコール放送中の、『葵 徳川三代』などに当てはまる言葉ではないでしょうか。この大河のキャストは間違いなく豪華です。ただ『いだてん』の場合、役所広司さんや杉本哲太さん、それから中村獅童さんなどは有名でしょう。しかし正直な話、私にとってはあまり名前を知らない俳優さんも結構います。むしろ『ノーサイド・ゲーム』の方が大河出演者が多く、その意味で豪華キャストではないかと思われるほどです。個人的に、トキワ自動車の常務を演じている上川隆也さんが、もし田畑政治を演じたら、どのような雰囲気になっただろうかと思います。

飲み物―アイスコーヒー5
[ 2019/07/17 00:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代徒然-14

関ヶ原の戦いの後、石田三成、小西行長と安国寺恵瓊が処刑されます。その後も戦後処理が行われ、特に上杉と島津、毛利をどのように扱うかが論点となります。吉川広家は、毛利輝元は担ぎ出されただけで、しかも合戦中は大坂城を出ていないと弁護しますが、西軍の文書の多くに輝元の連署花押があったことから、安芸、備後と備中は福島正則のものとなり、かつて正則領だった尾張には、松平忠吉が入ることになります。さらに周防長門は吉川領と決まります。西軍に与した大名たちは改易されたり、所領を削減されたりし、その分は東軍の大名へと与えられました。その後家康をはじめ大名たち、豊臣家の近臣たちは淀殿に拝謁し、能『石橋』が演じられ、秀頼は淀殿の命で家康の盃を受けます。一方で細川忠興は、妻ガラシアを失って悲嘆にくれ、嫡男忠隆の正室千世を、なぜ逃がさなかったと咎めたうえで離縁してしまいます。

そして大坂城では、大野治長が関ヶ原で三成と戦ったのは、福島、黒田、藤堂高虎といった豊臣の大名であり、徳川は殆ど三成と戦っていないことを打ち明けます。その淀殿の妹、初の夫である京極高次は若狭を与えられます。しかし初がお江と羽柴秀勝の娘完姫を養育していることを知り、嫡男忠高の妻にと姉に願い出るものの、淀殿は姫をしかるべき公家と目合わせるつもりでした。同じ頃、尾張六十二万石を与えられた弟松平忠吉から、戦の味もおなごの味も格別と言われた秀忠は、側室にと、大久保忠隣から京の娘たちを紹介されます。秀忠は悩みますが、一旦下がらせてからそのうち一人を選びます。これは他の2人の面目を潰さないためでした。江戸ではお江が千姫に輿入れ間近だと言い聞かせますが、千姫は自分は男に生まれたかったこと、しかも弟がほしいと言い、なぜ男の子が生まれないのかと尋ねてお江を悩ませます。

そもそも秀忠が側室を勧められたのは、島津征伐に立花宗茂が差し向けられること、上杉の方も冬に入って動きがないことから、秀忠自身がしばらく上方に滞在するせいでもありました。またその島津征伐も、慎重論が出たことから一旦見送られます。そんな折、伏見城の茶室にいた家康は秀忠に、天子様に次いで身分が高いのは誰かと訊かれ、後々関白となる秀頼君と答えます。しかし家康は、いつまで豊臣の家臣でいるつもりだ、元々関白は五摂家のものであると言い、秀頼を関白の職に就かせないことを目論んでいました。その時、側室お亀の方が男子を産み、家康は大喜びして、秀忠に自分を見習えといいます。五郎太丸と名付けられたこの子は、後に尾張家初代当主義直となります。そして12月、淀殿の許へ九条兼孝が関白に就任したとの知らせが入り、秀頼の関白への道を絶たれた淀殿は、誰かの差し金であると言って激怒します。

関ヶ原後の戦後処理の中でも、上杉や島津に関してはなかなか思い通りに行きませんでした。無論上杉は伊達が抑えていましたが、その伊達も南部領を掠め取ろうとし、これが追加の恩賞を受けられなかった原因となります。しかし島津は黒田如水や加藤清正とも懇意であること、さらに西軍に付くのは義弘が独断で決めたこと、伏見城での鳥居元忠との一件があることなどから、今島津を攻めると九州の諸大名の怒りを買うということで、先送りされます。また細川忠興は、妻を失ったことで嫁の千世の責任を問い、離縁させてしまいますが、実際は嫡男忠隆が勘当された際、忠隆は千世と子を連れて家を出たとされています。後に忠隆は廃嫡されて長岡休無と名乗り、祖父幽斎を頼ります。また弟の興秋も出奔し、同じく幽斎を頼っています。この父と息子たちは、今一つ折り合いがよくなかったようにも見えます。

その一方で家康の江戸幕府への布石は着々と進められて行きます。淀殿に拝謁した際、家康の盃を秀頼に与えるということまでしておきながら、その秀頼の関白への道を断ち切り、かつてのように五摂家に戻したために、淀殿は激怒します。無論この先にも、家康が秀忠を後継者にした件といい、方広寺の鐘の件といい、淀殿を激怒させる事件は何度も起こるわけで、これがそもそもの発端だったといっていいでしょう。「武士はあくまでも武士で関白ではない」と言うのは、正に幕府の設立を示唆しています。また江戸のお江は、嫁に行かなければならない女ではなく、自分は男の方がよかったと長女の千姫にいわれてしまいます。夫の秀忠は側室を持つことを決めますが、お江のことが頭をよぎり、どこかぎこちない感じです。そんな時、父の家康にまた男子が産まれるのですから、秀忠はいよいよ立つ瀬がなくなります。

ところで初が、しきりに京極忠高の嫁にと願った完姫ですが、この人は結局九条家に嫁ぐことになります。淀殿としては、秀頼の関白への道はなくなったものの、養女である完姫を九条家に嫁がせたことになり、彼女の血は今の皇室にまでつながっています。豊臣家の面目は何とすると怒ったものの、最終的にはその面目を保ったともいえるでしょう。ところでこの完姫と秀頼が遊んでいるシーンに、茶トラの猫が登場します。これがなかなか可愛い。茶トラは島津義弘が飼っていたという説もあり、それを考えると、ここで茶トラが登場してなおかつ逃げていったというのは、いささか寓意的でもあります。関ヶ原の戦いは終わりましたが、今後は大坂の陣に至るまでが、また微に入り細にわたり描かれることになりそうです。

飲み物-パブのビール3杯
[ 2019/07/13 01:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代復習1

『葵 徳川三代』も関ヶ原と三成処刑が終わりました。ここでちょっと復習です。この大河の特徴は、時間をかけて描いて行く点にあります。無論戦国末期から安土桃山時代が舞台となる大河では、秀吉没後から家康の天下取りの描写は無論外せないのですが、通常はそれでも5、6回程度です。しかしこれでは10回以上に亘って描いているわけですから、かなりの長丁場といえます。それも水増しというよりは、他の大河ではあまり登場しないような、関ヶ原に関与した様々な人物を描いているためと捉えるべきでしょう。そのためキャストが幾分多めになっています。特に家康が三成と対立した後、豊臣方の大名を味方に付けるよう工作して行く様子や、秀忠の恐妻家ぶりがかなり描かれています。

ただやはり、実際は織田有楽斎と蒲生郷舎は戦っていないのに、戦っているかのように描かれているとか、石田三成が伏見城の治部少輔丸に籠っていないというのは、今観るとやや奇異に映ることもあります。治部少輔丸が初めて描かれたのは、確か『軍師官兵衛』です。無論いくらかフィクションがあるのは、ドラマとしては当然のことではあります。それから水戸光圀が、狂言回し的に色々なシーンに登場します。これはジェームス三木氏らしいといえます。光圀を演じた中村梅雀さんは、『おんな城主 直虎』でもナレーターでしたが、私としてはこちらの方が好きです。『直虎』の場合、竜宮小僧という存在が今一つはっきりしなかったせいもあります。

あとこれは先日のにも書きましたが、西軍が負けたにもかかわらず、立花宗茂が今一度対戦をと主張します。無論この当時としては、これが当たり前だったでしょう。この当時はその基礎固めが行われていたとはいえ、江戸幕府もまだ存在せず、家康を討とうと思えばまだ一縷の望みはあったはずです。実際三成がそうしようと考えていたとしても、不自然ではなかったでしょう。むしろ三成がそう考えていた場合、どのような行動に出たかを描くのもありかと思います。関ヶ原で一旦終止符が打たれるというのは、後世から見た時代の移り変わりとも取れますので。あと浅井三姉妹は、この大河でも結構描かれています。これを観ると『江~姫たちの戦国~』は必要だったのかとも思われます。

それから前回(第13回)までのサブタイトルに関してですが、以下のようになっています。

第1回  総括関ヶ原
第2回  秀吉の遺言
第3回  五大老五奉行
第4回  豪腕五十八歳
第5回  反主流
第6回  多国籍軍
第7回  弾劾状
第8回  多数派工作
第9回  風雲大垣城
第10回  前哨戦
第11回  天下分け目
第12回  合戦関ヶ原
第13回  三成最期

反主流だの多数派工作だのは、恐らくは当時の時事ネタといった印象です。あまりこういう用語を使われると、さて如何なものかと思いますが、殊更な多用は避けられています。

飲み物-ワインとワイングラス
[ 2019/07/08 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代-13

今回も第1回の復習のようになります。関ヶ原の後石田三成は三珠院に身を寄せますが、そこも危なくなり、住職に石田一族の供養を頼んで近くの洞穴に身を潜めます。その一方で大坂城では、筑後柳河城主立花宗茂をはじめ西軍の諸将が、今一度家康と決戦をと息巻くのですが、毛利輝元はそれに反対します。何せ決戦しようにも三成も小西行長も、さらに安国寺恵瓊も行方知れずとなっていました。また大津城主京極高次は、家康が敗北したかと思い込んで高野山へ入り、お初は松の丸殿と共に大坂城に入って、姉の淀殿と対面します。お初は人生3度目の落城を経験し、松の丸殿は戦見物をしていた町の者に憤っていました。その頃家康は草津に滞在しており、その地へ秀忠がやっと到着しますが、家康は会おうとしません。

秀忠はいっそ腹を切ろうかとしますが、榊原康政や本多正信といった家臣たちに止められます。その時福島正則が、小西行長を捕らえたと高笑いし、それを耳にした秀忠は自分が余計に惨めに感じられます。さらにその後、安国寺恵瓊も捕らえられました。そして9月21日、ついに三成も捕らえられ、後は宇喜多や島津であると、家康は逆賊に狙いを定めます。また少ない手勢で、5倍もの数の相手に奮闘した京極高次を高野山から呼び戻すことにしますが、秀忠は江戸で謹慎じゃとまで言い出します。そんな家康に対して、家臣たちは秀忠を庇い、秀忠は父の前で賀詞を述べることになります。しかしいざ口上を述べ始めたものの、それはどうにもぎこちないものでした。お江もこの件では心を痛め、阿茶局に諭されます。

毛利輝元は大坂城を出て木津へ移り、奉行たちも国許へ戻ります。そして長束正家は自害しました。体を壊していた三成は治るのを待って、25日に大津城へ入り、東軍諸将や家康、秀忠に面会します。この時三成は節度ある態度を取りつつも、福島正則や小早川秀秋、果ては家康に向かって率直な物言いをし、さらに東軍諸将に秀頼君へのご奉公をと強く願い求めます。三成はその後本多正純に預けられ、処刑前日白湯を田中吉政に所望しますが、水気のある物は柿しかありませんでした。柿は痰の毒だと言う三成ですが、明日が処刑であることを思い出し、苦笑いします。10月1日、三成と小西行長、安国寺恵瓊は斬首され、家康と東軍諸将が大坂城に入って、千姫の輿入れが早められることになります。

散り散りばらばらになった西軍ですが、立花宗茂はもう一度徳川と戦をと主張します。恐らくこの当時の感覚としては、それが当たり前だったでしょう。しかし毛利輝元は、肝心の西軍の将が行方不明だと言います。さらに吉川広家についても、出馬しないことで毛利を救ったと諭しますが、宗茂はどうも気が納まらないようです。尚この人は後に西軍に与したのを許され、陸奥の棚倉藩藩主となっていましたが、筑後柳河藩の藩主であった田中吉政の子、吉次に嗣子がいなかったことから、かつての領国に返り咲くことになります。そして西軍は小西行長、安国寺恵瓊、さらには石田三成が捕まり、後は宇喜多と島津だと家康は言明します。確かに家康に取って島津は恐ろしい存在であり、目の上のたんこぶでもありました。

その後毛利や奉行衆が去った大坂城に、家康が入ります。家康に取って恐るべき島津の家臣が、270年近く後に、家康の江戸城に入ったことを考えると、時代の移り変わりとはそのようなものだと思わされますが、それはさておき。結局関ヶ原に間に合わなかった秀忠はいささか捨て鉢になりますが、榊原康政や本多正信から止められ、さらに正信の子正純は、遅れたのは父正信のせいとまで言い出します。ところで三成が捕らえられて縄をかけられているところへ、福島正則が悪態をつき、その後黒田長政が陣羽織を着せかけるのはお馴染みの風景です。尤も福島正則も、実際は家康から利用されていたわけですが、この時はまだまだ意気軒昂です。長政は内心、父如水の天下人への道が絶たれたと思ったことでしょう。

飲み物-マティーニ
[ 2019/07/07 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

実は『いだてん~東京オリムピック噺~』を観なくなったので、再び『西郷どん』復習の投稿をアップしています。関連文献もまた読もうかと考えていますし、BSで再放送中の『葵 徳川三代』の再放送も観ています。そしてパペットホームズの続編ですが、これは是非とも三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、『相棒』をはじめとする刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、いよいよ日本でのワールドカップの年です。今季は代表下部チームとの兼ね合いもあり、スーパーラグビーでは今一つでしたが、ワールドカップでのベスト8成るでしょうか。

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